夜明け前の駐車場に停まっていた一台の車
まだ夜も明けきらない時刻。1988年2月23日の午前4時半ごろ、名古屋市緑区にある県営大高緑地公園の駐車場に、一台の車が停まっていた。中にいたのは、デート中の若い二人だ。男性は当時19歳の理容師で、女性はその同僚の理容師見習い、当時20歳だった。
そこへ2台の車がやってくる。分乗していたのは男女のグループで、彼らは何の前触れもなく二人に襲いかかった。この未明から25日の未明にかけて続いた出来事が、のちに名古屋アベック殺人事件と呼ばれることになる。名古屋アベック殺害事件、暴行殺人事件、襲撃殺人事件といった呼び名もあるんだよな。
アベックは古い言葉だ。恋人同士の二人連れを指して、当時はごくふつうに使われていた言い方になる。その言葉がそのまま事件の名前に刻まれ、30年以上たった今も、この事件を指す呼び名として残り続けている。
舞台は一つの県では終わらない。愛知県と三重県、東海地方の二つの県にまたがって起きた事件だ。罪名を並べると強盗致傷、強盗強姦、殺人、死体遺棄になり、しかも手を下した側の多くは少年と少女だった。非人道的で残忍な手口と身勝手な動機が明るみに出るにつれて、この事件は日本中を震撼させていった。
シンナーの匂いのなかで決まった思いつき
加害者は6人。中心にいたのは、暴力団関係者である少年や青年らだった。顔ぶれは当時19歳から17歳の少年3人、20歳の成人男性1人、17歳の少女2人で、未成年がほとんどを占めていた。名前はここでは一切出さず、少年、少女という書き方で通していく。
始まりは前日、22日の夜だ。6人はシンナーを吸いながら、アベックを襲って金品を奪おうと思いついた。計画と呼ぶのもためらわれる、その場の思いつきだったわけだ。それがわずか数日のうちに二人の命を奪うところまで転がっていったのだから、読んでいて息が詰まる。
最初に狙われたのは別の二人。6人はまず名古屋港の金城埠頭でアベックを襲い、強盗強姦に及んでいる。ところが被害者の一人が車で近くの派出所へ逃げ込み、通報した。グループはそこで現場を移し、23日の午前4時半ごろ、大高緑地公園の駐車場で新しい標的を見つけてしまったんだ。
一夜のうちに、犯行が連鎖していく。時系列で追うと、金城埠頭での強盗強姦から大高緑地での襲撃まで、いくつもの犯行が途切れずに重なっていったことがわかる。通報されても止まらない。場所を変えて、また別の二人を狙ったわけだ。
大高緑地の駐車場で起きたこと
ここから先は重い話になる。被害に遭った二人の尊厳を考えて、細部を煽るような書き方はしない。それでも、いつどこで何が起きたのかという出来事の中身だけは、省かずに順番どおり残しておくことにする。それがこの事件を語るうえでの最低限の筋だと思う。
男たちは木刀や鉄パイプを持っていた。彼らは男性の車をぐるりと取り囲んだ。バールなどでフロントガラスを叩き割ると、中にいた男性を車の外へ引っ張り出し、木刀で滅多打ちにした。あまりに一方的な暴力だ。
女性は車内で腰を抜かしていた。その女性を車から引きずり下ろしたのは、グループの少女たちだった。少女たちは女性に裸になるよう命じたうえ、さらに手にした木刀で殴りつけるという暴行まで加えている。その後、男たちは女性を藪の中へ連れ込み、集団で性的暴行を加えた。
その間、少女たちは車内を物色し、女性の持ち物だったぬいぐるみまで奪っていった。金品を奪うという名目で始まった犯行が、そんな小さな私物にまで手を伸ばしていたことが、妙に胸に刺さって離れない。ほんの小さな私物だ。持ち主の顔を思うとやりきれない。
そして駐車場へ。女性は再び、あの駐車場へ連れ戻され、そこで男女らにたばこの火を全身に押し付けられている。男性は洗濯用のロープを首に巻き付けられ、絞められて殺害された。グループは男性の遺体を車のトランクに入れると、女性を連れ去ったまま、何事もなかったかのようにその場をあとにした。
三重の山あいへ向かった車
翌24日。女性はまだ解放されない。車内に監禁されたまま、グループの男の一人が住むアパートへ連れて行かれている。その夜、女性はそこでも再び性的暴行を受けた。23日の未明から丸一日以上もの長いあいだ、逃げる機会もないまま、あちこち連れ回されていたことになるんだよ。
25日の午前2時ごろ、女性を乗せた車は三重県大山田村に着いた。現在の伊賀市にあたる場所だ。男たちはそこで、男性の遺体を埋めるための穴を掘り始めた。そして女性もまた、その同じ場所で、男性と同じようなやり方で最後には命を奪われてしまったのだった。
二人に何か落ち度があったわけじゃない。夜明け前の公園の駐車場で、デートをしていただけだ。それなのに名古屋の公園から三重の山中まで連れて行かれ、二日足らずのあいだに、二人とも何もかもを奪われてしまった。言葉が出ない。
派出所へ逃げ込んだ一人が流れを変えた
事件が表に出たきっかけは、大高緑地ではなかった。最初に襲われた金城埠頭で、被害者が近くの派出所に駆け込んで通報していたのだ。発覚の糸口はそこにある。その後、大高緑地公園でひどく壊された車が見つかったことで、警察の捜査は一気に本格化していった。
そして25日を迎える。三重県大山田村の山中で遺体が見つかり、掘り起こされた。最初の襲撃からわずか二日ほどで、山の中に埋められた二人の遺体が発見され、掘り出されたことになる。捜査の手が届くまでの時間は短かった。
死刑から無期へ、揺れ続けた判決
裁判の話に移ろう。1989年6月28日の第一審判決で、主導的な立場にいた少年に死刑が言い渡された。犯行当時、この少年は19歳6か月。少年犯罪で第一審から死刑判決が出るというのは、当時としては極めて異例なことで、世間の目もそこに集まることになったんだ。
ほかの5人の判決も見ておく。もう一人の少年は犯行時17歳だった。18歳未満だったため少年法第51条の規定が適用され、本来なら死刑に相当する事案でも無期懲役に減らされている。年齢の線が、そのまま刑の重さを分けた形だ。
19歳6か月と17歳。同じ事件に加わっていても、犯行時に18歳を超えていたかどうかで、第一審の結論は死刑と無期懲役に分かれた。残る4人にも、それぞれ懲役刑が言い渡されている。成人だった男は懲役17年、もう一人の少年は懲役13年、関与した少女2人はそれぞれ懲役5年以上10年以下の不定期刑だった。
話はここで終わらない。1996年12月16日の控訴審で、死刑判決を受けていた主犯格の少年も無期懲役に減刑された。この判断は1997年1月に確定している。一審の死刑が二審で無期懲役に変わったこの経過は、少年への量刑のあり方をめぐる議論で繰り返し参照されてきた。
確定まで8年近い歳月。一審からそれだけの時間がかかった。事件が起きたのは昭和63年の冬で、判決が確定したときには、元号もとうに昭和から平成へと変わっていた。事件の発生から数えれば、9年近い時間がたっていたことになる。
コンクリート事件と並べて語られる理由
翌1989年には、女子高生コンクリート詰め殺人事件が発覚している。名古屋アベック殺人事件は、この事件と並べて「凶悪少年事犯の双璧」と評された。二つの事件は、少年による凶悪犯罪への世間の関心を、それまでにないほど急速に高めるきっかけになっていった。重い呼び名だ。
研究者による分析もある。この事件とコンクリート事件が、その後の少年法改正論議に多大な影響を与えたという位置づけだ。被害者2人の命をもてあそぶような残虐な犯行のあり方が、日本の社会に大きな衝撃を与えたことも指摘されている。
世論は厳罰化へ傾いた。少年法をもっと厳しくするべきだという声が高まったのだ。その一方で、法学の文献では別の角度からも、この事件がたびたび取り上げられてきた。犯行時に少年だった者の可塑性や更生の可能性を、量刑にどこまで反映させるべきかという司法上の論点としてだ。
ネットに残る噂と、踏み込まない一線
ネットの上は騒がしい。この事件を調べると、加害者たちのその後の消息や現在の暮らしを推測する記事が、やたらと多く出てくる。事件の全容をもっと細かく再現しようとするブログ記事も数えきれない。ただ、その中には公的な裁判記録や信頼できる報道で裏付けられていない推測や伝聞も混じっている。
そこが厄介なところだ。中には、それが事実のような顔をして書かれているものもある。特に出所後の動向や実名にまつわる情報は、真偽を確かめるのが難しいものがほとんどなんだよな。興味本位で細部を膨らませれば被害者への配慮を欠くことにもつながるので、ここではそこへは立ち入らない。
意見はきれいに二つに割れる。掲示板やまとめサイトのコメント欄では、少年法の厳罰化を求める声がよく上がる。もう一つは、当時の少年犯罪の背景にあった家庭環境や、暴力団との関わりを問題視する声だった。事件から30年以上が過ぎた今も、凶悪犯罪と少年法を語るときの代表例として、この事件は名前を挙げられ続けている。
念のため断っておく。具体的な投稿者名やスレッド名、投稿日時までは、一次資料として個別に確認できたものが見当たらなかった。なので時期や媒体は特定せず、そういう反応があるという紹介にとどめた。呪いや霊の噂のたぐいは、この事件には付いていない。
裏付けの範囲。事件そのものが実際に起きたことは、独立した資料でも確かめられる。ただし、元になった記事の細かな描写や動機の部分まで、その資料が一つ残らず裏付けてくれているわけじゃない。日時や人数、場所、動機、判決、捜査の経過といった細部は、本来なら一つずつ確かめるべきものだ。公的記録や裁判資料、警察発表、当時の報道と照らし合わせる作業が要る。
名古屋港の埠頭から伊賀の山まで
港と公園と山中。最初の襲撃があった金城埠頭は、名古屋港に面した工業地帯だ。遺体が埋められた三重県大山田村、今の伊賀市は、愛知県から車で山あいを抜けて走った、その先にある地域として知られている。犯行はこうして名古屋市内から三重県の山の中まで、実在する複数の地名にまたがって広く展開されていた。その広さもまた、この事件の異様さを物語る要素として指摘されている。
大高緑地は県営の総合公園だ。名古屋市緑区の広い敷地に野球場や庭球場、菖蒲池などがそろい、市民に親しまれてきたレクリエーション施設なんだ。事件のあとも、公園は名古屋の人たちの憩いの場として使われ続けている。けれど事件を知る世代のあいだでは、あの駐車場が凶悪事件の現場になったという記憶が長く語り継がれてきた。
