鍵をかけない谷で、隣人が銃を持ち出した
舞台は高知の山奥。2007年、高知県高岡郡津野町芳生野という小さな集落で、猟銃による射殺事件が起きた。元記事によれば、西森茂広容疑者が隣人の山本栄喜さん方で、山本さんの妻と息子に向けて猟銃を発砲したという。この発砲で山本さんの妻が命を落としている。怖い事件を集めたブログに、身内に近い目線で書き残された話で、読んでいるこっちまで息が詰まってくる。
芳生野は人の少ない土地だ。家々は川沿いにぽつぽつと並び、四国山地の懐の深いところで、仁淀川の支流に沿ったわずかな平地に寄り添っていた。茶畑と杉林に囲まれた谷あいの道を車で走ると、数分ごとに一軒の家が見える程度の密度だったらしい。2007年当時も今も、人口の少ない静かな山里のままだ。
隣近所の意味が都会と違う。顔の見える範囲が、そのまま全部お隣さんなんだよな。元記事は芳生野を、今も昔と変わらず近所の交流が多い地域だと紹介していて、そこに暮らす人の目線がよく出ていた。住民はすべて家族のようなもので、どの家も鍵をかけていなかったそうだ。
近所の人も遠慮がない。断りもなく庭先へ入ってきたり、玄関を開けて名前を呼びながら上がり込んだりするのが、ここでは当たり前の日常だった。都会暮らしの身からすると、ちょっと信じられないほどの開けっぴろげぶりに見える。それでも芳生野の人たちにとっては、何世代もかけて積み上げてきた信頼のかたちで、他人を疑わないのが普通だった。
書き手の立ち位置も独特だ。本人は芳生野の住民じゃなく、嫁の母親がこの地区に住んでいるという立場で、嫁の実家に泊まりに行くこともあった。外から通う身内の目で、村の開けっぴろげな暮らしを見ていたわけだ。だからこそ鍵をかけない家々の暮らしぶりが、書き手にはくっきり見えていたんだと思う。
酒の席は、いつもどおりに始まった
その日も酒の席だった。元記事によれば、西森容疑者と山本さんはその日も一緒に酒を飲んでいたという。二人の間には何時も近所付き合いがあって、隣人と酒を酌み交わすのはこの集落では特別なことでも何でもなかった。いつもの晩酌の延長みたいな、ゆるい時間が流れていたと想像できる。途中までは、たぶん笑い声も混じるような、どこの田舎にもある酒盛りの光景だったんじゃないかと思う。
年の差もあった。山本さんのほうが、西森容疑者より20歳ほど年上だったらしい。元記事の書き手は、ふだんから容疑者は小言を言われていたのかもしれないと、推測を交えながら振り返っている。年長者が年下を気にかけ、ときに口うるさく世話を焼くような、田舎の濃い人間関係には、いい面と息苦しい面が同居していたんだろう。
空気は急に暗転する。西森容疑者は席を立つと、突然自宅へ帰ってしまった。そこで猟銃を手にして、ふたたび姿を見せたとされる。山本さんの家に向けてか、あるいは山本さん方の敷地の中でか、山本さんの妻と息子に向けて発砲したとされる。
撃たれた妻は亡くなった。元記事はそう伝えているが、酒の席でどんな言葉が交わされ、何が引き金になったのかまでは書いていない。そこは空白のままだ。酔った勢いでいきなり猟銃を持って撃ってきた、という書きぶりから、突発的な激情に駆られた凶行だった線がうかがえる程度にとどまる。
現場の様子も曖昧だ。家に向けて撃ったのか、敷地に入ってから撃ったのか、元記事の記述からはどちらとも読める。何発撃ったのか、家族がどの部屋にいたのかみたいな細部も、元記事にはいっさい書かれていない。書かれていないことを想像で埋めて話を盛るのは、亡くなった人のことを思うと、ここではやめておきたい。
分からないことは多い。発砲されたもう一人、山本さんの息子がどうなったのかは、元記事には書かれていない。書き手はずっと西森茂広容疑者という呼び方を使っていて、判決までは追えていないので、ここでもその呼び方にそろえておく。山本さん本人がその場でどうしていたのかも、記述は見当たらない。
静かな谷に広がった異変
一報の伝わり方も謎だ。事件がどう集落に広がったのか、元記事には詳しい描写がないので、ここから先は想像になる。これだけ閉じた谷で発砲があれば、パトカーのサイレンが響き、救急や消防の車両も上がってきたはずだ。普段は静かな山あいにそんな騒ぎが起きたら、住民全員がすぐ異変を知ったと思う。
家と家の境目が薄い土地柄。鍵をかけず、庭先を自由に行き来するのを、ここの人たちはずっと当たり前にしてきた。そんな土地で隣人が隣人を銃で撃つ出来事が起きたら、それはもう一件の事件では済まない。自分たちの暮らし方そのものを根っこから疑わされるような、そういう種類の深いショックだったと思う。
書き手の動揺はよく分かる。元記事の書き手は、事件を遠い土地のニュースとしては受け止めていなかった。この地区には、書き手の嫁の母親が住んでいたからだ。住んでいる住民にとっても、嫁の母がいる自分にとっても、開放的な村で起きたこの事件の怖さは相当なものだと書いていた。
どこを探しても出てこない記録
困ったことに記録が薄い。当時の新聞記事やテレビニュースのアーカイブを探しても、今回はこの事件を独立して報じたものを確認できなかった。警察発表や裁判資料、公的な事件記録のデータベースにも行き当たらない。動機の詳細も犯行の一部始終も、司法の場でどう認定されたのかも、どれも分からないままになっている。
猟銃の事件はほかにもある。徳島隣人3人射殺事件や京都猟銃発砲事件は、ネットのあちこちで広く記録され、たびたび話題にのぼってきた。それに比べると、芳生野猟銃射殺事件の名を冠した独立の記事やまとめは、照合した限り一本も見当たらない。この差は、ちょっと気味が悪いくらいだ。
これはこれで怖い話だ。人が一人亡くなっている事件なのに、ネットで追える形の記録がほとんど見当たらない。地元の人たちの記憶と、身内が書いた一本のブログ記事だけが、事件の輪郭をかろうじてつなぎとめている。時間がたつほどその輪郭までぼやけていくのかと思うと、なんとも言えない気分になる。
理由の筋書きは二つ。一つめは、事件が地方版や県内版の小さな扱いで終わり、紙の記事がデジタル化されないまま埋もれてしまった筋になる。地方の山間部の事件が全国紙のデータベースや大手ニュースサイトの検索網に引っかからず、そのまま風化していくのは珍しくない。
二つめは落ち着かない筋。元記事の書き手が、個人的な伝聞や体験として語った内容がまずあった。それが時間とともに細部の記憶違いや脚色をまといながら、一つの事件として語られるようになった線だ。どちらにしても、日時や人数、場所、動機、判決、捜査の経過は、公的記録や同時代の報道で一つずつ確かめる必要が残る。
出どころは元記事らしい。この事件がネットで語られるときの初出は、照合した限り、怖い体験や怖い事件を集めたブログの一本そのものだった。そこから怖い事件カテゴリのようなまとめサイトへ転載され、引用される形でじわじわ知られていった。一次情報は薄いのに、生々しい体験として語られる事件の典型例。
行間を埋める三つの読み方
推測ばかりが先に立つ。客観的な資料が乏しいぶん、ネットの考察は真相解明より、元記事の行間を埋める方向へ流れていった。いちばんよく見かけるのが、日常の鬱憤がたまっていたという説で、元記事自体がこの見方をほのめかしている。20歳ほど年上の山本さんから、日頃から何かにつけて小言を言われていたのでは、という推測がもとだ。
よくある図式。長年の小さな不満や屈辱が、酒の勢いで一気に噴き出したという見立てだ。怖い話や事件系のまとめサイトのコメント欄では、定番中の定番といっていい読み方になっている。ただ、これはあくまで元記事の書き手の推測で、動機を確定させる証言や捜査資料に基づくものは今回どこからも出てきていない。
書き手も断言はしない。山本さんのほうが20歳くらい年上で、普段から容疑者は小言を言われていたのかもしれない、という書き方にとどめている。そのうえで、それでも酔った勢いで撃ってくるのは怖い、と続けていた。理由が何であれ、銃を持ち出すところまで行くのはやっぱり別の話だ、という感覚なんだろう。
二つめは猟銃に目を向ける。元記事は、田舎では猟銃を持つ人がたくさんいると書いていた。殺傷能力のある農機具もあって、何かをきっかけに殺人鬼へ変貌する要素が山里にはたくさんあるという指摘だった。書き手の実感がこもった言い方で、読んでいて妙にリアルだ。
この読み方だと話が広がる。事件は二人の人間関係のもつれにとどまらず、狩猟文化が根づいた農山村が抱える構造的な危うさの表れとして見えてくる。狩猟や有害鳥獣の駆除のために銃を持つ住民がいる土地では、一瞬の感情の暴発が、そのまま命に関わる結果につながりかねない。
この論点はよく出てくる。猟銃を使ったほかの事件、たとえばさっきの徳島や京都の事件と一緒に、同じ種類の議論の中で並べて語られがちだ。身近に殺傷力の高い道具がある暮らしは、それだけで怖い。そう感じた読み手が少なくなかった。
三つめは共同体の脆さ説。元記事によると、事件のあと集落の住民は戸締まりをし、近所で一緒に酒を飲むのも控えるようになった。この変化を読んだ考察好きの一部が、のどかな田舎の人間関係も一皮むけば危うい均衡の上にある、という教訓として受け取った。
鍵をかけない。よその家に自由に出入りする。平時なら、これは助け合いと信頼の土台としてちゃんと働く。でも誰か一人が理性を失ったとき、その開放性がそのまま被害を防ぐ壁を取り払ってしまう。皮肉な逆説だけれど、この小さな集落ではそれが机上の話で終わらず、2007年に本当の出来事になってしまった。
襖一枚の向こうが怖くなった
いちばん生々しいのは体験談だ。元記事の書き手はこの事件を、ただの伝聞としては受け取っていなかった。嫁の母親が暮らす地区、言い換えれば自分自身の家族の生活圏で起きた出来事として受け止めていたからだ。文章の温度が、ほかの事件記事とまるで違う。
事件以来、村は変わった。住民は戸締まりをし、鍵をかけ、近所で一緒に酒を飲むのは慎むようになったと書き手は記している。ずっと続いてきた鍵をかけない暮らしが、たった一度の凶行で崩れてしまったわけで、この土地にとっては事件の被害と同じくらい大きな喪失だったのかもしれない。
もう一つの告白がある。書き手は、嫁の実家へ泊まりに行ったとき、襖側に頭を向けて寝るのが怖くなったと打ち明けていた。事件を直接見た話じゃない。事件の余波として、あとからじわじわやってきた怖さで、個人的だからこそ妙に胸に刺さってくる一文だった。
この一文は、猟銃という凶器の物理的な脅威をよく伝えている。薄い襖一枚の向こうから、いつ何が飛んでくるか分からない。都会のマンション暮らしでは感じることのない、木造家屋ならではの壁の薄さへの怖さが、この証言には色濃くにじんでいる。読んでいて背中がひやっとした。
住民の反応の記録は乏しい。それでも、開けていた集落が事件を境に閉じていったこと自体が、村全体の証言みたいに見えてくる。誰か一人が刃物や銃を手に豹変するかもしれないと一度思ってしまったら、それまで当然だった隣人への信頼は簡単には戻らない。近所付き合いを控えたという一文に、その後の集落の空気が全部詰まっていた。
書き手の感想は率直だ。酔った勢いで、いきなり猟銃を持ち出して撃ってくるなんて本当に怖いと感じた、と書き手ははっきり記している。映画の中だけの世界と思っていた惨殺事件が、身内のいる土地で実際に起きてしまった。やっぱり近所付き合いはほどほどに、というのが書き手の出した結論だ。
掲示板には現れなかった事件
大手掲示板も静かな様子。5chや2ch、おーぷん2ちゃんねるに、この事件の独立したスレッドは今回確認できなかった。まとめサイトで大がかりに考察された痕跡も見つからない。専門の考察コミュニティが形成されるほどの情報量が、そもそも世の中に出回っていないのがどうも実情のようだ。
世間の認知度は低い。徳島の事件やほかの有名な猟銃発砲事件と比べると、芳生野の事件の知られ方には、はっきりした差があった。それでも怖い話や実話怪談、事件系のまとめブログ、オカルト系サイトでは、この元記事が繰り返し引用されてきた。細々とではあっても、読み継がれてはいたんだよね。
コメント欄の声は似通う。田舎の人間関係の怖さがよく分かる、という感想がまず目につく。猟銃が身近にある生活は想像以上に危険なんだと実感した、という書き込みも典型的なパターンの一つになっていた。なぜ二人が酒を飲んでいてこうなったのか、動機の部分がもっと知りたいという物足りなさの声も、一定数あった。
動画の世界も同じ状況。YouTubeの実話怪談や事件考察系のチャンネルでも、こうした地方の小さな事件は、有名事件に比べて取り上げられる機会そのものが少ない。たまに扱われても、概要欄やコメント欄は、情報が少なすぎて考察のしようがないという反応が大半を占めていた。
裏を返すと、事情が見えてくる。当事者の身内による一人称の語りという特殊さのせいで、この事件は大きな考察ネタには育たなかった。代わりに、口伝えに近いかたちで少しずつ読み継がれてきたわけだ。派手な事件ではないのに妙に忘れにくいのは、たぶんそのせいだと思っている。
茶畑と杉林に囲まれた町
少し土地の話をしよう。津野町は2005年、旧葉山村と旧東津野村が合併して生まれた町だ。四国山地の山間部に位置し、町域の大半を山林が占めていて、茶の栽培や林業が主な産業になっている。いわゆる典型的な中山間地域。
芳生野もそんな山里の集落。山あいの谷筋に沿って、家が寄り添うようにできている。過疎化と高齢化が進むなかでも、住民どうしの結びつきがずっと濃いまま保たれてきた土地として知られていた。だからこそ、隣人が隣人を撃ったという話は余計に重く響いたんだろう。
似た事件は国内にもある。徳島県で起きた徳島隣人3人射殺事件や、京都府で起きた京都猟銃発砲事件がそうだ。どれも狩猟用の銃を持つ人物が、隣人や家族との軋轢を引き金に凶行に及んだケースとして記録されている。
共通点はひとつ。加害者が正規の手続きを経て猟銃所持の許可を得ていた、つまり合法的に銃を持てる立場の人間だったことだ。日常の人間関係のもつれが、銃という圧倒的な破壊力を持つ道具のせいで、取り返しのつかない結果に変わってしまう。その危うさを、どの事件もはっきり見せていた。
芳生野の事件も同じ構図にある。狩猟文化がいまも息づく山あいの集落では、身近な猟銃が平穏な日常と紙一重の危険をいつも抱えている。この事件が突きつけてくる教訓のなかでいちばん重いのは、たぶんそこだ。
確かなことと、語られていること
ここで線を引いておく。ここまでの動機や経緯、二人の関係についての具体的な描き方の多くは、元記事という一本の体験的な語りに基づいている。独立した警察発表や裁判記録、同時代の報道による裏付けは、今回の調査では確認できなかった。だから事件の細部は、確定した事実としては扱えない。
実在の人物と地域が関わる話。隠蔽や口封じ、霊視や呪い、異界や陰謀の類の説明がもし出てきても、独立した裏付けがない限りは噂や異説として扱いたい。山本さんが小言を言っていたという話も、書き手の推測の域を出ない。亡くなった山本さんの妻と遺された家族のことを考えると、ここは雑にしたくない。
確かなこともある。芳生野から、鍵をかけない暮らしが消えてしまったことだ。近所で一緒に酒を飲む夜も、玄関を開けて名前を呼ぶ声も、あの日を境にこの谷から少しずつ遠のいていった。静かな谷の暮らしを変えてしまったのは、隣の家から持ち出された猟銃だった。
