アメリカの公聴会から日本へ飛び火した疑獄
ロッキード事件は、一人の政治家だけをめぐる国内汚職ではない。航空機を売り込む米ロッキード社が、各国の政府関係者や仲介者へ多額の資金を流していた問題が、1970年代半ばのアメリカで表面化したところから始まる。
ウォーターゲート事件後、米議会と証券取引委員会は、大企業が帳簿に表れない政治献金や海外支払いを行っていた実態を調べていた。上院外交委員会の多国籍企業小委員会でもロッキード社の海外工作が取り上げられ、1976年2月、日本での航空機販売に関係する資金提供が明るみに出た。
日本側で問題になったのは、全日空が旅客機L-1011トライスターを選定した経緯と、対潜哨戒機P-3Cを含む航空機売り込みである。ロッキード社から代理店や仲介者へ渡った金が、政治家や企業幹部へどう流れたのか。国会には調査特別委員会が置かれ、検察はアメリカから資料と証言を得て捜査を進めた。
「丸紅ルート」「全日空ルート」「児玉ルート」という呼び名は、資金の流れや関係者が異なるために使われる。一つの秘密資金が同じ目的で全員へ配られたという単純な構図ではない。誰が、どの航空機について、どの立場で金を受け取ったとされたのかを分けて見る必要がある。
田中角栄と5億円
丸紅ルートで起訴された中心人物が、元首相の田中角栄だった。検察は、田中が首相在任中、全日空へトライスター導入を働きかけるよう依頼を受け、その報酬として丸紅を通じて5億円を受け取ったと主張した。
田中は1976年7月27日、受託収賄と外国為替・外国貿易管理法違反の容疑で逮捕された。逮捕時点では「元首相」である。田中内閣は1974年12月に退陣しており、ロッキード事件が米議会で明るみに出る約1年以上前に首相の座を離れていた。
この時間関係は、後に広がった「ロッキード事件を仕掛けて田中政権を倒した」という説を考えるうえで欠かせない。事件は田中の政治生命へ重大な打撃を与えたが、1976年の暴露が1974年の内閣退陣を直接起こしたわけではない。退陣には、金脈問題への批判や政権運営の行き詰まりなど、すでに表面化していた国内政治上の事情があった。
田中は一貫して受領を否定した。裁判では、丸紅側関係者の供述、資金の受け渡し記録、首相の職務権限と全日空への働きかけの関係、米国で得られた嘱託証人尋問調書の証拠能力などが争われた。
東京地裁は1983年10月12日、田中に懲役4年、追徴金5億円の実刑判決を言い渡した。国立国会図書館には「ロッキード事件(丸紅ルート)判決理由要旨」を収録した当時の資料が残る。東京高裁は1987年7月29日、控訴を棄却し、一審と同じ結論を維持した。国会会議録にも、この日に「懲役四年、追徴金五億円」の控訴棄却判決が出たことへの質疑が記録されている。
「有罪確定」と書いてはいけない理由
田中は東京高裁判決を不服として最高裁へ上告した。ところが、上告審の途中だった1993年12月16日に死去した。刑事裁判は被告人が死亡すると継続できず、公訴棄却となる。
したがって、田中について「最高裁で有罪が確定した」とする説明は誤りである。一審と二審はいずれも有罪だったが、最終審の判断が出る前に手続が終わった。法務省の刑事参考記録一覧でも、ロッキード事件の記録には「公訴棄却(被告人死亡)」を含む記載がある。
公訴棄却は無罪判決でも、嫌疑が晴れたという判断でもない。被告人の死亡によって、有罪か無罪かを上級審が判断できなくなった手続上の結末である。一、二審判決の存在を消すこともできないが、「確定判決」と同じ扱いにもできない。
この違いは、事件を擁護するか断罪するかという立場の問題ではない。刑事手続の状態を正確に書くための区別だ。「実刑判決を受けた」は事実であり、「実刑が確定して服役した」は事実ではない。田中は勾留後に保釈され、服役していない。
複数のルートを一つに畳まない
丸紅ルートでは、トライスター採用をめぐる田中への5億円が中心となった。全日空ルートでは、同社幹部らによる外為法違反や偽証などが争われた。児玉ルートは、右翼運動家で政財界に影響力を持った児玉誉士夫へロッキード社から渡った巨額の資金をめぐる問題である。
児玉はロッキード社の日本での販売工作に関わり、コンサルタント料などの名目で多額の資金を受け取ったとされた。病気を理由に国会への出席が実現しないなか、俳優の前野光保が小型機で児玉邸へ突入した事件まで起きた。これはロッキード疑獄への憤りを示す行動として報じられたが、航空機を住宅へ突入させる行為を英雄視することはできない。
P-3C導入をめぐる疑惑も、旅客機トライスターの5億円と同じ裁判事実ではない。防衛装備、商用旅客機、代理店契約を混ぜると、資金の受取人と目的が曖昧になる。疑惑として国会で追及されたこと、捜査対象になったこと、有罪判決で認定されたことは、それぞれ段階が違う。
当時「灰色高官」という言葉が広がったのも、名前が取り沙汰されながら刑事責任が確定しない政治家がいたためだった。国会で名が挙がった、新聞が関係を報じた、検察が起訴した、裁判所が有罪とした。これらを同じ「関与」と書けば、事件の輪郭はかえって見えなくなる。
嘱託尋問調書と司法取引の難題
日本の捜査には、ロッキード社幹部から直接話を聞く必要があった。しかし、米国側の関係者は、自分の供述が日本での訴追に使われる危険を抱えていた。
日米間では、関係者の刑事免責を前提に証言を得る手続が進められた。当時の日本法には、現在の協議・合意制度のような枠組みがなかった。外国の手続で得られた供述を、日本の刑事裁判でどこまで証拠にできるかが大きな争点になった。
最高裁は後の丸紅ルート関係者の裁判で、米国側証人の嘱託尋問調書について、日本の裁判官が日本法上与える権限を持たない免責を約束して得たなどの事情から、証拠能力を否定した。田中本人の上告審は死亡で終わったため、その判断を受けた最終的な有罪無罪の審理は行われていない。
この経過を「決定的証拠が捏造だった」と言い換えるのは正しくない。争われたのは主に、証言内容が真実かどうかだけでなく、証言を得た手続と日本の刑事訴訟法上の証拠能力である。国境を越える企業犯罪を捜査する際、他国の免責制度と国内法をどう接続するかという問題だった。
CIAが田中を失脚させたという説
ロッキード事件には、「中国との国交正常化を進めた田中を米国が危険視し、CIAが事件を仕掛けた」という説が根強い。ニクソン政権やキッシンジャーと田中の関係、米国の外交文書、情報機関と児玉誉士夫の接点などが材料として挙げられる。
冷戦期、米国の情報機関が海外政治へ秘密介入した事例は実在する。米上院のチャーチ委員会は、CIAやFBIによる秘密活動と権限濫用を広範に調査し、1976年に報告書を公表した。だからといって、情報機関が秘密活動を行っていたという一般的事実だけで、ロッキード事件の暴露が田中排除作戦だったと証明されたことにはならない。
陰謀説を立証するには、誰が、いつ、どの文書に基づいて、どの機関へ暴露を命じたのかを示す必要がある。米議会の公聴会は日本だけを標的にしたものではなく、オランダ、イタリアなど複数国への支払いも問題になった。ロッキード社の不正資金問題は、米国内の企業統治と政治改革の流れの中で調べられていた。
また、前述の通り田中は1974年に首相を辞任している。1976年の事件発覚は、元首相として保っていた政治力を揺さぶったのであり、現職内閣を退陣させた出来事ではない。「失脚」の意味を首相退陣と、その後の派閥支配の弱体化で分けなければ、年代が合わなくなる。
外交文書から米政府内の不信感や警戒が読める場合でも、それは刑事事件を仕組んだ命令書とは違う。関係が悪かったこと、利益が衝突したこと、工作を実行したことの間には、それぞれ証拠が要る。
田中政治は事件後も終わらなかった
逮捕後も、田中は衆議院議員を続けた。自民党を離党しても、田中派の国会議員を通じて党内へ大きな影響力を保ち、「闇将軍」と呼ばれた。1983年の一審有罪判決後に行われた総選挙でも、自身は選挙区で当選した。
ロッキード事件を「逮捕された瞬間に政治生命が終わった話」とすると、当時の日本政治の現実を見誤る。有罪判決を受けた元首相が、党外から首相選びや人事へ影響を持ち続けたことこそ、政治倫理をめぐる批判を強めた。
一方、事件への評価と、田中内閣の政策評価は分けて考えられる。日中国交正常化、日本列島改造論、社会資本整備、地方への予算配分をどう見るかは、収賄事件の証拠評価とは別の論点である。政策上の功績を認めることが賄賂を無かったことにせず、刑事裁判を批判することが政策をすべて否定することにもならない。
人物を英雄か巨悪のどちらかに固定すると、事件は分かりやすくなる代わりに、政治権力と企業、商社、官僚、航空会社が接続した仕組みが消える。
世界の企業規制へ残した影響
ロッキード社の海外支払いは、日本だけでなく各国で政治問題を起こした。米国では、企業の裏金と海外公務員への支払いを規制する流れが強まり、1977年の海外腐敗行為防止法、FCPAにつながった。
企業が外国政府への販売を有利にするため、代理人やコンサルタントを介して資金を流す。帳簿には別の名目を記し、受取人を見えにくくする。ロッキード事件は、こうした行為を「現地の商慣行」で済ませず、本国の企業法制と会計規制の問題として扱う転機の一つになった。
日本でも、国会の証人喚問、検察の国際捜査、長期裁判を通じ、政治家の職務権限と企業献金、商社の仲介、証拠の国際共助が問われた。事件の全容が一枚の相関図で解けるわけではないが、企業が政治決定へ接近する経路を可視化した意味は大きい。
事件を読むための三つの線引き
第一に、疑惑、起訴、判決、確定を分ける。田中には一、二審の有罪判決があるが、上告中の死亡で公訴棄却となった。別ルートの人物については、それぞれ別の訴因と裁判結果がある。
第二に、確認された資金の流れと陰謀説を分ける。米国の情報機関が秘密活動を行った史実は、田中排除作戦の直接証拠ではない。公開外交文書や議会記録から読み取れる範囲と、後世の推測を同じ文章でつなげない。
第三に、田中角栄個人と、事件を可能にした仕組みを分ける。強い政治家一人の欲望だけで説明すると、企業、商社、航空会社、官僚、外国政府をまたぐ構造が見えない。
ロッキード事件の怖さは、秘密結社が国を操ったという話にあるのではない。公共的な意思決定が、表から見えない資金と個人的な仲介によってゆがめられ得ること。そして、全容を明らかにする司法手続自体も、国境と時間の壁に阻まれることにある。
公開文書から再検証するとき
事件から年月がたち、米国の外交文書、議会資料、企業記録の公開が進んだ。新しい文書が見つかったというだけで、過去の判決が直ちに覆るわけではない。作成者、宛先、作成目的、公開時の黒塗り、他文書との整合を確かめる必要がある。
外交官の報告には、確認した事実だけでなく、政治家への評価、現地報道の要約、将来予測も含まれる。「田中は米国にとって扱いにくい」と書かれていたとしても、事件工作の実行命令とは限らない。
企業側のメモも同様である。代理店が自分の影響力を誇張し、報酬を得るため「首相へ話を通せる」と説明した可能性がある。社内文書に名前があることと、その人物が金を受け取ったことの間には、送金記録や受領証言などの裏づけが要る。
資料公開の価値は、派手な一文を探すことより、当時の捜査や裁判が見られなかった情報を、既存の証拠と照らせる点にある。文書番号と所蔵機関を示し、翻訳だけでなく原文へ戻れる形で紹介すれば、読者も判断の過程を追える。
ロッキード事件には膨大な資料があり、すべてが同じ結論を支えるわけではない。食い違う文書を隠さず、確定した資金移動、当事者の主張、裁判所の判断、後年の仮説を別々に置くことが、再検証の土台になる。
