重い話から始めたい。札幌で、両親が娘とその恋人に殺された事件の話だ。女子大生が男に支配されて実の親の命まで奪ってしまった流れとして、ネットの記事やまとめで何度も取り上げられてきたんだよな。
名前には注意がいる。ここに出てくる池田真弓、安川奈智という名前は、あくまで伝えられた範囲での表記だ。元の資料自体が「仮の実名表記」と断っている。本人を特定するための記事じゃないし、そこを掘り下げるつもりもないので、その前提で読んでほしい。
裏付けの話もしておく。今回の照合では、同じ名前や十分に近い独立資料は見つからなかった。公的な裁判記録そのものにも、直接は当たれていない。だから中身はどれも、元記事の記述や伝説、あるいは噂という扱いで保留したまま読んでもらいたい。
候補はあった。自動の照合で、似ているとされた資料が3件ひっかかったんだ。未解決事件という一般的な項目と、2007年の名古屋市周辺の闇サイト殺人事件、1997年の神戸連続児童殺傷事件の3つだ。どれも一致度は弱く、題名が似ているだけなので採用は見送った。
中身もまるで別物だ。闇サイト殺人事件は、闇サイトで知り合った男3人が帰宅途中の31歳の会社員女性を拉致して殺害した事件だった。神戸の事件は、中学3年の男子生徒が小学生5人を襲い、2人が亡くなったものだ。その記録が2011年にすべて廃棄されていたことは、2022年の報道で明らかになった。
数字はどれも未確認。日時や人数、場所、動機、判決、捜査の流れは、どれも個別の確認がまだ要る。公的な記録や裁判資料、警察の発表、当時の報道と一つずつ照らし合わせて、初めて固まる話ばかりだ。隠蔽や口封じ、霊視、呪い、異界、陰謀みたいな説明も、裏付けがなければ噂扱いだ。
古い記事が語っていた「転落人生」
元の記事は短い。書き出しは「愛に依存し両親さえ殺害した女」という強い一文だった。伝説や異説として切り分ける記述は特にない。相手の男は、学業優秀で新聞配達のアルバイトをしながら自分で稼いで暮らしていた人物として紹介される。
男は大口を叩いた。財産を築いて出世してみせる、と嘯いていたそうだ。元記事は彼女を「渡辺麻里奈似の美人」と書いている。その人生がひとりのろくでなし男を愛したことで大きく道を外れた、というのが元記事の描いた筋なんだよな。
年号にはズレがある。元記事は、1999年に両親を殺した容疑で逮捕されたと書いた。でもこの先で触れるとおり、事件そのものは1991年の出来事だ。名前も「真弓」と「真由美」が混ざっていて、古い記事らしい書き飛ばしがあちこちに見えるのは頭に入れておきたい。
入口は求人だった。彼女は札幌で開かれるイベントコンパニオンの仕事に応募した。社長を名乗ったのは当時24歳の安川で、副社長はフランス人の男だったと元記事は書く。面接の場所は安川の自宅兼事務所で、そこへ出入りするうちに睡眠薬を飲まされ、乱暴されてしまったそうだ。
話はそこで終わらない。元記事は「女心の悲しいところ」と書き、彼女が安川を愛してしまったと続けた。安川には本当は収入がなかった、と元記事は明かす。彼女はリゾートバイトに行くと言って家を出て、そこから同棲が始まり、人生の軌道が大きく外れていく。
生活費は彼女が稼いだ。ホステスのアルバイトで、二人の暮らしを支えていたそうだ。元記事によれば、ロープで縛られたり、屈辱的な行為を強いられたりしていたと書かれている。痣ができるほど殴られても、それでも別れなかった理由を問われると、彼女は「一緒にいたかった」と答えていた。
露骨な描写もある。元記事には性的な虐待の具体的な書き込みもあるが、ここでは繰り返さない。二人が一日に何度も関係を持っていた、と書かれている程度にとどめておく。被害に遭った本人の苦しみを、読み物の刺激として安易に消費したくはないと、書き手として思っているからだ。
引き金は父親の訪問だった。父親が二人のマンションを訪ねてきたことを、安川は恨んだらしい。安川は真弓に、両親の殺害を持ちかけた。「人を殺さなければ金持ちにはなれない」と言われた彼女は、そのまま実行に移してしまったと元記事は書く。
最後は裁判の話。当初の見立てでは、真弓は従犯扱い。ところが本人が、自分も凶器を手にして母親を刺したと供述した。安川は最高裁まで争って結論を引き延ばしたが、真弓は上告しなかったとして、元記事は「まさに転落人生」と締めていた。
呼び名がいくつもある事件
ここからが本番だ。この事件には呼び名がいくつもある。「札幌両親殺害事件」のほかに、「札幌両親強盗殺人事件」や「道庁職員夫婦殺人事件」とも呼ばれてきた。起きたのは1991年、平成3年のこと。
記録には届いていない。公的な裁判記録そのものには、今回もアクセスできなかった。それでも独立した個人ブログやまとめサイトを突き合わせると、事件の大枠はおおむね同じ内容で繰り返し語られていた。
表題をめぐる事故もひとつ。このページは以前、「皆殺しの寺事件(武生事件)」という題で登録されていた。なのに本文の中身は、この札幌の事件だったんだ。今は表題が「札幌両親殺害事件」へ直され、武生の寺の放火と一家殺害は別のページで独立して扱われている。
だから線を引いておく。ここで掘り下げるのは札幌の事件だけだ。武生の寺の話とは意識してきっちり切り分けて書くので、読む側も二つを混ぜずに読んでもらえると助かる。
オーディション会場から始まった
彼女は19歳だった。当時の池田真弓は女子大生で、札幌市内のイベントコンパニオンのオーディションに応募した。それが事件の発端だったとされていて、ここから先の話はほぼ全部、この一度の応募から転がり出していく。
面接官は24歳の男。自称イベント制作会社の社長、安川奈智という人物だった。ネットの複数の記事が口をそろえるのは、真弓がこのオーディションをきっかけに安川の自宅兼事務所へ通うようになった点だ。
事件はある日起きた。睡眠薬を盛られた状態で、真弓は乱暴されてしまう。普通なら、そこで縁を切って警察に相談する道もあった。けれど伝えられる話では、真弓はそのあとも安川から離れられず、やがて交際し、同棲へと進んでいった。
ここからは心理の推測。加害者なのに愛着を深めてしまう、その心の動きをどう見るか。ネットの考察記事の多くは、支配と被支配の関係や精神的な依存がだんだん出来上がっていったんじゃないか、と見ている。ただ、それは後年の書き手による推測で、本人の証言が詳しく公開されているわけじゃない。
逃げ場のない同棲生活
同棲生活は異様だった。複数の記事が「異常」「常軌を逸していた」と書くほどの暮らしだ。安川には定職も定収入もなかったと伝わっている。生活費の大部分は、真弓がホステスのアルバイトに出て、そこで稼いだお金でまかなわれていたそうだ。
暴力も続いた。安川はロープで縛るような拘束や、日常的な暴力を伴う行為を繰り返したとされる。記事によっては、真弓の体から痣が消える日がなかったと書いているものまであって、読んでいて胸が苦しくなる。
返ってきた答えは短い一言。「なぜ別れなかったのか」と問われた真弓は、「一緒にいたかった」という趣旨の答えを残したそうだ。事件が「洗脳」や「支配」の物語として語られるようになった大きな理由が、この一言にある。
両親は気づいていた。娘の様子がおかしいと感じて、同棲先のマンションを訪ねたと伝えられる。なんとか二人の関係を引き離そうとしての行動だったそうだ。この親の介入を安川は激しく逆恨みしたとされ、ここから事件は取り返しのつかない方向へ動き出していく。
1991年11月22日の夜
誘い文句は決まっていた。安川は「人を殺さなければ金持ちにはなれない」という趣旨の話を繰り返したらしい。そうやって真弓に両親の殺害を持ちかけ、1991年11月22日、二人は真弓の実家を訪れて両親を殺害するに至った。
手口の細部は揺れている。記事によって書いていることが少しずつ違うんだ。真弓が睡眠薬入りの飲み物を用意し、寝入ったところを安川が刃物で襲った、とする記述がまずひとつある。もうひとつは、途中で本人の供述が出てきたという記述だ。
見方は途中で変わった。当初、真弓の関与は従犯的なものと見られていた、とする記事がある。ところが捜査と裁判の過程で、真弓自身が包丁を手にして母親を刺したと供述したと、いくつかの記事は伝えている。
遺体は運び出された。どちらの記述でも、ここから先の流れはほぼ同じだ。車で運ばれ、ガソリンをかけて焼かれたと伝わる。そのうえで、遺体は札幌市内にあるモエレ沼の周辺、湿地帯になっていた場所に埋められたとされる。
動機は逆恨みだけか。両親の生命保険金を狙った犯行だった、とする記述もある。一部の記事は680万円という具体的な金額まで挙げていた。犯行のあとには遺書を偽造しようとした形跡があったとも伝わっていて、読んでいて寒気がしてくる。
法廷でぶつかった二つの言い分
発覚は失踪からだ。両親の行方が分からなくなったことで、事件が表に出た。翌年にかけて遺体が見つかり、二人はほどなく逮捕されたとされるが、本当の山場はそこから始まる法廷だった。
証言は真っ向からぶつかる。安川側は「主導したのは真弓だった」と主張したとされる。真弓側は「自分は安川に脅され、支配されていただけだ」と訴えた。警察も検察も、どちらか一方の脅迫を明確に裏付ける証拠を見つけるまでは至らなかった、と複数の記事が伝える。
判決は無期懲役。1994年3月、真弓に無期懲役が言い渡されたとされる。真弓は控訴を取り下げ、この判決を確定させた。安川のほうは最高裁まで争ったそうで、最終的に無期懲役が確定したのは1999年前後だったと伝わっている。
その後はほぼ闇の中。服役後の消息はほとんど表に出ていない。一部の個人ブログには、真弓が刑務所の中で美容関係の資格を取ろうとしていた、という伝聞が載っている。ただ、それが本当かを確かめられる独立した資料は見当たらなかった。
ネットが育てた「物語」
落差が人を引きつけた。この事件がネットで何度も取り上げられるのは、その落差のせいだ。優秀で品行方正だったはずの女子大生が、なぜここまで転落したのかという問いが、ずっと読み手をつかんで離さないんだと思う。
目立つのは派手な見出し。「両親を殺してまで愛欲に溺れた美人女子大生」みたいな題がよく付けられている。そういう扇情的な書き方が、事件を都市伝説じみた「怖い話」として消費させる方向に働いてきたのは否めない。
論点は二つある。ひとつは、真弓は本当に洗脳されていただけなのか、という疑問だ。もうひとつは、二人のどちらが本当の主犯だったのかという疑問。考察記事や掲示板っぽいコメント欄では、真弓にも積極的な意思があったのでは、という見方まで含めて議論が繰り返されてきた。
大学名も揺れている。ある考察ブログが、記事ごとに表記が違う点を指摘していた。北海学園大学とする記述と、北星学園大学とする記述、その両方が見られる。伝聞が重なるうちに細かいところが少しずつ変わっていったんじゃないか、というのがそのブログの見立てだった。
象徴的な話だと思う。この事件は公式の一次資料よりも、噂や又聞きの積み重ねによって今の形に「物語化」されてきたことがよく分かる。大学名のズレは、その小さな証拠のひとつだ。
札幌の人たちが覚えていること
体験談も出回っている。当時札幌で暮らしていたという人の書き込みが、いくつか見つかる。ある匿名の投稿者は、自分の親が近所でこの事件の噂をしていたのを覚えていると書いていて、そのころはまだ小学生だったそうだ。
言葉の意味が分からなかった。「お嬢さんが親を殺した」という言葉が、子どもには飲み込めなかったと振り返っている。ただ、大人たちの深刻な顔だけが記憶に焼き付いている、という趣旨の回想で、妙に生々しくて心に引っかかる。
次はモエレ沼の話。別の投稿では、モエレ沼公園ができる前の話が語られていた。今みたいに整備される前、あの湿地帯には近づくなと祖父母から言われていたんだそうだ。理由は告げられなかった。あとになって、あれはこの事件と関係があったんじゃないかと思うようになった、と投稿者は書いている。
大学関係者の声も。当時大学関係者だったとされる人物の伝聞が、一部のブログに載っている。普段はおとなしくて、挨拶もきちんとする学生だった、という趣旨の証言だ。事件を知った同じ学部の学生たちが、しばらく学校に来られなくなるほどの騒ぎになったとも語られている。
どれも匿名の伝聞だ。本当かどうかを独立に確かめる手段はない。それでも事件が地元に与えた衝撃の大きさを伝える材料として、こうした話は繰り返し引用され続けてきた。
モエレ沼と、もう一つの取り違え
沼はいま公園だ。モエレ沼周辺は後年、イサム・ノグチの設計でモエレ沼公園として整備された。今は札幌の人たちの憩いの場だ。土地の来歴を知らずに訪れる人がほとんどなのも当然だ。事件を知る一部の年配の住民のあいだでは、整備前の土地の記憶と事件が結びついて語られてきたらしい。
武生の件も整理しておく。表題を取り違えられた武生事件とこの事件は、まったくの別物だ。武生は1934年の福井県、札幌は1991年の北海道で起きていて、発生した年代も地域もまるで違っている。性質も違い、向こうは放火による一家殺害で、こちらは密室的な家庭内の殺人だ。
混線は珍しくない。各地の「怖い事件」のまとめでは、二つが同じカテゴリで並ぶのもよく見かける。タイトルが似ていたりカテゴリが近かったりすると話が混ざりやすいので、読む側がそれを頭に置いておくのが大事だと思う。
奪われた二人の命のこと
怖い話では終われない。この事件はつい「怖い話」として消費されがちだ。でも本当は、二十代前半の若者二人が支配と暴力、そして経済的な困窮の中で、実の親を殺してしまった重い刑事事件なんだ。
図式は単純すぎる。「洗脳された哀れな女」対「鬼畜の主犯格」という構図で語られがちだ。けれど法廷で二人の証言が食い違ったこと自体が、事件の実像がいまも完全には見えていない証拠だと思う。
被害者は、真弓の両親。命を奪われた父と母が、確かにいた。都市伝説として面白がる目線と、実際に命が奪われた重大事件だという現実の両方を抱えたうえで、言葉を選んで触れていきたい。
