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87|あさま山荘事件(連合赤軍)

連合赤軍という名前は、いまやほとんど死語みたいなものだ。それでも中身は重い。元の記事は、いまの時代に置き換えるならテロ組織だと書いていた。当時の赤軍派と革命左派が合流して生まれたのがこの組織で、メンバーの大半は一流大学の学生だったらしい。

学生運動が行き着いた最後の砦。元の記事は、彼らのことをそんなふうに呼んでいた。その彼らが起こしたのが、日本の歴史に刻まれた大事件、あさま山荘事件だった。山荘の奥さんを人質にとって立てこもり、窓から銃を撃って機動隊とぶつかったという、あの事件のことだ。

テレビ局は各社そろって臨時放送に切り替え、一斉に中継を流した。最後は踏み込んだ機動隊員たちが犯人を捕まえ、人質も無事で事件は片がついた。話はそこで終わらない。山荘にたどり着くまでに、彼らが総括と呼ぶリンチ殺人を重ねていた実態が、あとになって明るみに出たんだよな。

怖さの芯はどこにあるのか。元の記事の答えは、彼らが何をしながらあさま山荘へ向かったのか、その一点に尽きるというものだった。恫喝と死の恐怖を使ったマインドコントロール。それが道中で起きていたことの正体だと、記事は続けていた。

一流大学の学生たちが、連合赤軍の委員長にマインドコントロールされていたと元の記事は書く。組織を乱したメンバーは、総括の名のもとに、ほかのメンバーの手でリンチされて殺されていったという。犠牲者は一人じゃない。

24人いたメンバーのうち、12人もが殺されたと元の記事は書いている。ちょうど半分にあたる。指示どおりのリンチをしなければ次は自分の番になるから、みんな言われたとおりに総括を実行したらしい。

元の記事はこれを、北朝鮮の独裁体制やイスラム国の実態となんら変わらないと表現していた。こんなことが日本で起きた。生き残った5人が、最後にたどり着いて立てこもった先があさま山荘だったと、元の記事は結んでいる。

このときリーダーと、その下にいた女性はすでに逮捕されていたそうだ。5人が結局何から逃げて山荘まで行ったのか、その細かいところはわからないと、元の記事は素直に認めている。謎は残ったまま。

将来有望な若者たちが、ある思想に傾いたタイミングで心を操られる。そうなると殺戮集団が生まれてしまう、というのが元の記事の見立てだった。一番怖いのは人間の脳だ。記事は最後に、いまの日本は平和だけれど、この先もずっと平和が続くことを願って締めくくられていた。

雪の残る軽井沢で始まった十日間

1972年2月のことだ。舞台は、まだ雪の残る長野県軽井沢の山あい。新左翼組織である連合赤軍の残党5人が、河合楽器製作所の保養所だったあさま山荘へと押し入った。管理人の妻を人質にとっての籠城。照合用に拾われた資料の概要では、期間は2月19日から28日、場所は長野県北佐久郡軽井沢町と書かれていた。

立てこもったのは坂口弘、坂東国男、吉野雅邦という20代の男3人。残る2人は加藤倫教と加藤元久。この2人は10代から20代の兄弟で、全員がかつては一流大学を目指せるような境遇にいた若者だった。そこが引っかかる。学生運動の理想から出発したはずの彼らが、いったいなぜ猟銃を構えて機動隊と向き合うまでになったのか。

その逆説が、この事件をただの籠城事件で終わらせなかった。警察は山荘をぐるりと囲んだ。投光車が夜通し山荘を照らし続け、テレビ各局はふだんの番組を止めて、この籠城をひたすら実況し続けた。

極寒のなかのにらみ合いは10日間に及んだ。2月22日には、民間人が刑事と間違えられて撃たれた。その人は後日亡くなった。警官でもなんでもない人が、ただ誤解されたというだけで撃たれて命を落としたわけで、これはやりきれない。

鉄球が壁を砕いた日

2月28日、事態が動いた。警察は放水と、巨大な鉄球を吊り下げたクレーン車を持ち出した。鉄球で山荘の壁を何度も打ち破り、そのまま突入したんだ。この突入で警視庁の幹部2人が犯人の銃撃を受けて殉職し、人質の女性は218時間ぶりに無事に救い出された。

突入の様子を映した中継の視聴率は、NHKと民放を合わせて89.7パーセントに達したとされる。桁外れの数字だ。当時のニュース中継としては記録的だったと、いまも伝わる。学校や職場のテレビの前で、大勢の日本人がこの瞬間を共有していたことが、のちのちまで記憶に焼き付く理由になった。

山のアジトで行われていた総括

5人の逮捕で、事件はひとまず決着したように見えた。本当の恐怖はその後だ。群馬県の榛名山、迦葉山、妙義山の山中にはアジトが設けられていて、山荘へ向かう直前まで組織はそこにいた。そこで行われていたのが、総括と呼ばれる内部批判だった。

指導者とされたのは森恒夫と永田洋子の2人。その下でメンバーは、共産主義化が足りないなどの理由で仲間から吊るし上げを食らった。中身はこうだ。長時間の正座や食事の制限、屋外への放置まであって、そうした責め苦はやがて暴力へとエスカレートしていった。

場所は逃げ場のない山の中。従わなければ、次は自分が同じ目に遭う。その恐怖に押されるかたちで、仲間であるはずのほかのメンバーへの暴力に、加担させられていく者も現れた。

犠牲は1971年から1972年にかけて積み重なっていく。仲間だったはずの12人が命を落としたとされ、脱走した2人も別の場所に埋められていたことが後から判明した。数字だけで息が詰まる。

妊娠していた女性メンバーまで犠牲になったと伝えられている。日本社会が受けた衝撃は、籠城事件そのものより大きかったと言われる。無理もない話だ。みんながテレビで固唾をのんで見守った籠城劇の手前に、こんな殺し合いがあったと突きつけられたのだから。

生き残った者たちの行き先

指導者だった森恒夫は、逮捕されてまもなく獄中で自ら命を絶った。永田洋子は長い年月ののち、獄中で病死している。裁きの行方も割れた。生き残った側では、坂口弘の死刑が確定し、吉野雅邦は無期懲役に、加藤兄弟は服役を経て出所している。

一番数奇なのが坂東国男だ。1975年のクアラルンプール事件で、超法規的措置によって釈放され、国外へ出た。その後は日本赤軍に加わって1977年のダッカ日航機ハイジャック事件にも関わり、いまも国際手配が続いているんだよな。

ネットの闇スレで何度も掘り返される

念のため書いておくと、あさま山荘事件は1972年に本当に起きた歴史的な事件だ。怪談や都市伝説みたいに、匿名掲示板から生まれた話じゃない。出どころははっきりしている。それでも2000年代に入ってから、5ちゃんねるのオカルト板や事件史系のスレッドで、この事件は何度も話題にのぼってきた。

スレタイの定番はこうだ。「山岳ベース事件とかいうあさま山荘事件の影に隠れたガチの闇」。スレッドの多くは、テレビで中継された籠城劇よりも、その手前にあった仲間内のリンチのほうがはるかに恐ろしいって話で進む。

動画の世界でも同じ流れがある。YouTubeの事件考察系チャンネルには、当時の映像を流しながら総括の経緯を解説する動画が繰り返し上がってきた。視聴率89.7パーセントという数字も、決まって一緒に引用された。いまだに語り草ってことだ。

ネットの考察勢の間では、将来を期待された若者たちがなぜここまで極端な思想と暴力に染まったのか、そこに関心が集まりやすい。気になるのは心の中だ。語られ方は、マインドコントロールや集団心理の怖さという筋に寄っていくのがほとんどだ。

電器店の店先で、大人たちは黙っていた

当時小学生だった女性が、のちに個人ブログに残した回想がある。下校の途中、近所の電器店の店先に置かれたテレビに人だかりができていて、大人たちが誰ひとり口をきかずに画面を見つめていた。忘れられない光景だという。

鉄球が山荘の壁を打ち砕いた瞬間、周りから小さなどよめきが起きた。子どもだった彼女にも、何か大変なことが起きているという張りつめた空気だけは、はっきりと伝わってきたという。空気で伝わる怖さ。

榛名の山で聞かされたこと

こっちはぐっとオカルト寄りだ。オカルト系まとめサイトのコメント欄に、群馬県側から榛名山方面へ登山に来たという人が書き込んだ話がある。山の中で道に迷いかけたとき、妙に体感温度が下がる一角があったそうだ。後から地元の人に、その辺りは昔よくない事件があった場所だと聞かされて青ざめたらしい。

真偽は確かめようがない。それを承知で、もう一つの話も紹介しておく。榛名湖畔を訪れた別の投稿者は、夜に湖畔の駐車場で車を停めていたという。誰もいないはずの茂みの奥から人の話し声みたいなものが聞こえた気がして、すぐにその場を離れたと証言している。

話はそこで終わらない。この湖畔には、別の事件の影も重なっているからだ。同じ場所は1970年代に起きた連続殺人事件で遺体が遺棄された現場でもあって、たいていその話と抱き合わせで語られる。

Yahoo知恵袋の質問もある。浅間山荘周辺の山に出るという、連合赤軍事件の幽霊話を知りたい、という質問だ。返事はクールだった。回答者の一人は、ネットに書かれているだけの話なら創作の見込みも高いと、冷静に返していた。噂と実話がごちゃ混ぜになったまま話が受け継がれていく様子が、この短いやり取りからもよく見えてくる。

掲示板の住人がいちばん震えたところ

コメント欄の温度差がすごい。掲示板やまとめサイトのコメント欄には、籠城事件の張りつめた空気を懐かしむような書き込みが見られる。その隣には、山岳ベースでの内部リンチのむごさに震え上がる書き込みも並ぶ。

よく見かける声がある。テレビで見ていた大人たちが英雄視していた過激派の正体がこれだったのか、という驚き。同じ組織の仲間をここまで追い詰められる集団心理が一番怖い、という感想も繰り返し書き込まれてきた。

銃撃戦の記録として読んでいる人は少ない。閉じた集団のなかで人間らしさが失われていく、その過程そのものが恐怖の芯として受け止められているのがわかる。ここが肝なんだよな。単なる事件史の一ページで済まない理由も、たぶんそこにある。

地図に残る事件の名前

山岳ベースが置かれた榛名山のあたりは、連合赤軍の事件だけで語られる場所じゃない。同時期の凶悪事件も絡む。1971年に8人の女性を殺害したとされる大久保清の連続殺人事件だ。影は二重になる。被害者の一人の遺体は榛名湖畔で見つかっていて、心霊スポットの話になると両事件がセットで引き合いに出される。

千葉県の印旛沼も外せない。脱走した元メンバー2人が埋められていたとされる場所で、事件の背景を語るときには決まって名前が挙がる実在の地名だ。山の話だけでは終わらないってことだ。

あさま山荘そのものは、事件のあとも長野県軽井沢に建っている。周囲は観光地や別荘地だ。静かな景色と、50年以上前にここで起きた壮絶な籠城劇との落差が、訪れた人に独特の感慨を抱かせるらしい。

この話、どこまで確かめられているのか

最後に、元の記事の中身がどこまで裏付けられるかも書いておく。事件そのものや人物、組織の存在を確かめられる独立した資料の候補は見つかった。ここは線を引いておく。ただ、それで元の記事の細かい部分や動機、あるいは霊視や陰謀説のたぐいまで裏付けられるわけじゃないんだ。

照合できたのは大枠の話。あさま山荘事件と連合赤軍という二つの項目で、事件や人物、制度のあらましが確かめられる。資料の側では、連合赤軍は1971年から1972年にかけて活動した日本の極左テロ組織で、新左翼組織の一つだ。

結成は、共産主義者同盟赤軍派と京浜安保共闘革命左派の合流による。言葉は短い。山岳ベース事件やあさま山荘事件をはじめ、数々の殺人事件やリンチ殺人を起こしたと、資料は淡々と記していた。保養所の持ち主だった河合楽器製作所は、本社を静岡県浜松市に置く会社だとも添えられていた。

映画の名前も一つ挙がっている。2002年5月11日に公開された『突入せよ! あさま山荘事件』で、監督と脚本は原田眞人、主演は役所広司だ。1972年2月19日から28日までの10日間を描いた作品として紹介されていた。ただし一致度は弱く、題名が似ているというだけでは採用されず、参考候補の扱いにとどまった。

未確認の点もある。元の記事に出てくる日時や人数、場所、動機、判決、捜査の経過がそれにあたる。どれも公的な記録や裁判資料、警察の発表、同じ時代の報道にあたって、ひとつずつ確かめないといけないものだ。

ちなみに元の記事の中には、噂や異説として切り分けるような記述はなかった。隠蔽や口封じ、霊視、呪い、異界、陰謀のたぐいで事件を説明する話は、独立した裏付けがないかぎり噂や異説として扱われる。榛名の話もその棚の上だ。

怖さの本体は別にある。仲間を裁いて殺す側へ回っていった若者たちの、あの山の中の時間だ。元の記事が一番の恐怖は人間の脳にあると書いたのも、きっとあの山の中の時間のことを指していたんだと思う。

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