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80|武富士弘前支店強盗殺人・放火事件

初夏の朝、三階のフロアに男が現れた

朝の十時四十九分だった。二〇〇一年五月八日、場所は青森県弘前市田町五丁目。消費者金融「武富士」弘前支店の三階フロアに、一人の男が姿を見せた。桜の季節がちょうど終わり、弘前の街が初夏の日差しに包まれ始めた、そんな穏やかな時期の出来事。

男は水色のツナギを着込み、手には混合油の入った容器を提げていた。最初は融資の相談に来た客のふりをしていたとも言われるが、店に入るなり男は態度をがらりと一変させた。カウンター越しに「金を出せ。出さなければ火をつける」と怒鳴りつけたんだ。

応対したのは支店長だった。支店長は防犯マニュアルどおり、机の下のボタンで一一〇番通報を入れた。男はその気配を察して激高し、持ってきた新聞紙に火をつけると、まいてあった油めがけて投げつける。炎は一瞬で燃え広がっていく。

ここからが本当にむごい。三階という限られたフロアには、十分な避難経路がない。出入口から離れた奥へ逃げた従業員たちは、炎と煙に行く手をふさがれて外へ出られなかった。犯行そのものはわずか数分の出来事だったとされるが、五人の従業員が命を落とし、四人が重傷を負った。

あっという間の出来事。消費者金融の業界史に残る惨事として、今も名前が挙がる事件。犯人は現場の混乱に紛れて逃げ出し、そのまま姿をくらませた。警察が男の身元にたどり着いて手錠をかけるまでには、ここからおよそ十ヶ月もの長い時間がかかることになる。

「客商売は怖い」とつぶやいた書き手

昔、この事件について短い文章を残した人がいる。その人の説明はこうだ。ギャンブルがこうじてサラ金から借金を重ね、借金地獄に落ちた男が武富士弘前支店に押し入った。ガソリンをまいて火をつけてまで金を奪おうとして、結果的に五人もの死者を出した事件なんだと、その人は説明していた。

犯人はタクシーの運転手。住宅ローンを抱えていたうえに、知り合いのために代わりに借りてやったサラ金からの借金まで背負い込んでいる。その金を返すためにさらに借金を重ね、ギャンブルにも手を染めていたらしい。どうにもならなくなって、とうとうこの犯行に及んだそうだ。

そこから先は怒りの声。考えてみれば、犯人の勝手な逆恨みで武富士が狙われただけの話だ。何の罪もない従業員が命を奪われ、あるいは大やけどを負った。この事件を思い返すたびに客商売は怖いと痛感する、特に金融会社となると余計に怖くなると、その人は率直に書き残している。

当時は「サラ金地獄」なんて言葉が飛び交い、テレビでも軽い気持ちで借りたら利息が何倍にも膨れ上がって返せなくなる話がよく流れていた。取り立てが毎日やってきて怖い思いをした、みたいな金融会社側に不利な放送が多かったと思う、とその人は振り返る。金融会社の言い分は逆だ。借りた金を返さないほうが悪い、というわけだ。

まさにその通りだ、とその人も認めている。ただ、こうした報道も犯行に駆り立てる動機になったのかもしれない、とも付け加えていた。ここは本人の推測にすぎない。亡くなった人たちは会社のマニュアルに沿って働いていただけだし、それは店長であっても何ひとつ変わらない。

店長にしても、たまたま弘前支店に勤めていただけだろう、とその人は考えていた。そこへ突然、男が現れた。金を出さないと火をつけるぞと脅され、店長が「金は無い」と答えたためにここまでの事件へ発展した、というのがその人の理解だ。その「金は無い」という返事さえ、マニュアルどおりだったと思う、と。やりきれない話だ。

マニュアルどおりに対応して死んでしまうなんて、怖くて恐ろしいことだ。こういう事件がいつどこで起きてもおかしくないと思うと、客商売そのものが怖くなってしまう、と。その人の文章は、そんな言葉で終わっている。本当にその通りだと思う。

記憶は揺れるものだ。その人はガソリンと言っているが、ほかの記録では男が持ち込んだのは混合油とされている。店長が「金は無い」と答えた話も、ボタンで通報した話とは少し角度が違う。ただ、店の人たちがどちらにしても決められた手順どおりに動いた結果だった、という一点ではぴったり重なる。

仲人の頼みから始まった転落

犯人の名前は小林光弘。当時四十三歳で、地元でタクシー運転手として働いていた。仮名ではなく、報道や複数のまとめブログで実名として広く伝えられている人物だ。青森県平賀町の生まれで、四人兄弟の次男として育ち、高校を卒業してからは真面目に働いていたという。同僚受けも悪くなかったらしい。

始まりは仲人の頼みだった。結婚のときに世話になった仲人の女性から、借金の肩代わりを頼まれたことだと伝えられている。その女性は詐欺事件に関わったあと亡くなった。それでも小林はその借金を自分で背負い続け、返済のために消費者金融から次々と金を借りるようになっていった。昔の書き手が言っていた「知り合いのために借りてやった借金」は、たぶんこの話のことなんだろうな。

追い打ちをかけたのが競輪だった。最初は息抜き程度だったギャンブルが、いつの間にか返済のための一発逆転を狙う手段に変わった。負けるほど借金は膨らむ。父親が亡くなったときに受け取った八百万円を超える保険金も、そのほとんどが競輪につぎ込まれたと言われている。

借金を返すために借金をする。返しても返しても、残高は減らない。父親の保険金という、本来なら立て直しの元手にもなり得た金まで競輪に消えたというのが、何ともやるせないんだよな。

借金の総額は最終的に数千万円規模に達した。自家用車を担保にして金を借りることさえ、何度も繰り返すようになった。返済期限は目の前に迫っている。「もう強盗でもしなければ金は作れない」というところまで追い詰められていた、というのが事件後に語られた小林の内面像だ。

捜査陣を十ヶ月悩ませた小さな痕跡

事件の直後、小林は怪文書のような手紙をマスコミに送りつけたと言われていて、捜査を混乱させる狙いだったとみられる。中身は「金が欲しかっただけで、出さなかった店側が悪い」という、呆れるほど身勝手なものだった。開いた口がふさがらない。犯行の凶悪さとは裏腹に、自分の正しさを言い張る異様な文面だったと伝えられている。

警察の捜査は難航した。逮捕までに、およそ十ヶ月もかかったんだ。決め手は、焼け跡から見つかった新聞紙に押されていた配達印の、ほんのわずかな「ズレ」だったという。新聞一枚が犯人への糸口になった。

配達区域が絞り込まれた。該当する地域で特定の軽自動車、緑色のサンバーを持っていたのは、小林ただ一人だったことが判明する。そこから任意同行、そして逮捕へとつながっていく。まさに執念の捜査だ。自宅からは、犯行のときに着ていたとみられるツナギも見つかっている。

十ヶ月は長い。事件のあった五月から数えれば、年が明けて翌年の春先までかかった計算になる。しかも犯人は地元のタクシー運転手だったんだから、その間ずっと、五人の命を奪った男が同じ町の空気を吸っていたことになる。ぞっとする話だ。

法廷で男は何を言い張ったのか

裁判で弁護側は「放火に明確な殺意はなく、無期懲役が相当」と主張した。二〇〇三年二月、一審の青森地裁が言い渡したのは死刑だった。迷いのない重い判決。人が死ぬおそれを十分に承知しながら油をまいて新聞紙に火をつけた、その行為そのものに判決は「未必の殺意」を認めた。

控訴審でも上告審でも、死刑は一貫して維持された。結論は動かない。二〇〇七年三月、最高裁で死刑が確定する。その後、小林側は三度にわたって再審請求を行ったものの、どれひとつとして通ることはなく、いずれも棄却されている。

法廷のやり取りで今もよく話題にのぼるのは、小林の態度だ。彼は最後まで「店側が金を出さなかったから起きたことだ」という趣旨の主張を崩さなかったという。読むだけで腹が立つ話だ。被害者や遺族に向けたはっきりした謝罪の言葉は、ほとんど記録に残っていない。この態度が量刑にも響いたのではないか、という見方が、事件を扱う個人ブログや掲示板ではしばしば語られている。

五人には何の落ち度もない。犯人の借金とも競輪とも、まるで関係のない人たちだった。いつもどおりの朝を迎えて仕事をしていただけの人たちが、他人の身勝手な理屈に巻き込まれて命を奪われたんだから、たまらない。

「オラは悪ぐね」という最後の一言

事件から死刑の確定まで、およそ六年。確定から執行までには、さらに七年あまりがかかった。逮捕の日から数えれば、男は十二年あまりもの長い時間を、ずっと塀の中で過ごしていた計算になる。長い道のりだ。

死刑が執行されたのは、二〇一四年八月二十九日のことだ。場所は宮城刑務所。享年五十六だった。長い獄中生活のなかで、拘禁症状が見られていたとも伝えられている。執行の当日には、刑務官に取り押さえられながら取り乱していたという話が、事件をまとめた複数の個人サイトで紹介されている。

最後に発したとされる「オラは悪ぐね」という津軽弁の一言が、ネットでは繰り返し引用されている。事実かどうかは、公式には確かめようがない。それでも言葉は残った。加害者が最後まで自分の非を認めなかったことを象徴するフレーズとして、ネット上ではすっかり定着している。

もし本当なら、あの手紙の文面とそっくり同じ理屈だ。店が悪い、自分は悪くない。事件から十三年たっても男の言い分は少しも動かなかったことになるわけで、そこがいちばん薄ら寒いところなんだよな。

「なぜ武富士だったのか」をめぐる噂

この事件、いわゆる怪奇現象や霊的な噂はほとんど見当たらない。そのかわり繰り返し語られてきたのが、「なぜ武富士だったのか」という動機への疑問だ。幽霊より人間のほうが怖い。個人ブログのなかには、当時の世論がサラ金や消費者金融業界を否定的なトーンで語ることが多かった点に目を向けるものもある。

「取り立てが厳しい」「利息が高すぎる」といった声だ。そうした報道が結果的に犯人の逆恨みをあおったのではないか、という見方だ。昔の書き手と同じ疑い。ひとつの解釈にすぎない。動機の核心は競輪による借金苦にあった、というのが捜査と裁判の認定で、話の土台はあくまでそっちだ。

現場になったビルは、その後取り壊されて更地になったと、複数の記事で伝えられている。跡地が心霊スポットとして語られるような噂は、目立った形では広まっていない。それでも忘れられてはいない。弘前市内では、心霊スポットや怖い話をまとめたサイトで、青森県内の「怖い場所」のひとつとして間接的に触れられることがある。

事件のむごさそのものが、土地の記憶として重く残っている表れだとする見方もある。幽霊話は要らない。幽霊の噂なんてひとつもなくても、人が五人も亡くなった場所というのは、それだけで十分に重たいって話だ。

黒い煙を見た人、本部の電話を受けた人

事件直後の空気を伝えるのが、当時弘前市内に住んでいたという投稿者が個人ブログのコメント欄に寄せた体験談だ。その人はその日、仕事で近くの通りを車で走っていて、遠くの空に黒い煙が上がっているのを見たという。消防車のサイレンが何台分も重なって聞こえてきて、ただごとじゃないと直感したそうだ。生々しい証言。

ラジオをつけると武富士で火事だという速報が流れ、心臓が縮み上がった、というような趣旨の書き込みが紹介されている。時代が時代だ。携帯電話のワンセグもSNSも、まだ普及していなかった。地元の人の多くは、ラジオやテレビで流れた速報、あるいは口伝えで事件の発生を知ったと伝えられている。

別の証言もある。当時、武富士の別の支店で働いていた関係者だったとされる人物の話だ。本部から緊急の連絡が回ってきて、弘前支店でとんでもないことが起きたと聞かされたのが始まりだったという。同じ業界で働く仲間が亡くなったと知り、とても他人事とは思えなかったそうで、その気持ちは痛いほどわかる。しばらくの間は、どの店舗でも防犯体制が一気に厳しくなったそうだ。

この書き込みは、事件を扱う考察系サイトのコメント欄に残されている。真偽は確かめようがない。ただ、この事件をきっかけに消費者金融業界全体で防犯カメラが増やされたり、避難経路が見直されたりしたという。こちらは複数の記事が口をそろえて指摘している点だ。

城下町に刻まれた理不尽

弘前は津軽藩の城下町として知られ、弘前城の桜や昔ながらの街並みを目当てに観光客が集まってくる土地だ。そんな穏やかな地方都市で起きた事件だからこそ、地元の人たちの記憶に長く残ることになった。桜の街の惨劇。田町は商店や金融機関が並ぶエリアで、そこで起きた惨劇は単なる強盗事件の枠を超えて語られてきた。

当時の日本社会が抱えていた多重債務とギャンブル依存の闇。この事件はその象徴として、ほかの放火殺人事件と並べて語られることが多い。やりきれない。とりわけ重いのは、借金とも競輪とも何の関係もない従業員たちが命を落としたという、どうしようもない理不尽さだ。だからこそ「客商売の恐ろしさ」を思い知らせる事件として、今でも怖い話や実話系のまとめサイトで何度も取り上げられている。

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