昭和32年、春の東京での話だ。4月9日、とんでもない事件が明るみに出た。発端はその7日前、4月2日の夜までさかのぼる。あるプロレスラーの長男が銭湯へ出かけたまま家に帰らず、そのまま行方が分からなくなったんだよな。
数日後、一通の脅迫状が届いた。書かれていたのは、現金を要求する文面だ。母親はすぐ警察に届け出て、犯人を割り出す捜査が始まっている。ところが犯人は現金の受け渡し場所に結局姿を見せず、この線での犯人捜しは空振りのまま終わった。
床下から出てきた金魚鉢
話が動いたのはここだ。警察に、ある精神病院から一本の通報が入った。有名な囲碁棋士の家に、ホルマリン漬けにされた人間がいるという、耳を疑うしかない知らせだった。
この棋士は実力者だ。囲碁の世界では、よく名の知れた人物だったという。ただ、その長男は心を病み、長く精神病院に入院していたようだ。退院したあるとき様子がおかしいので診てもらうと、言動が妙だったため、医師が家まで訪ねる運びになった。
親と医師が長男の部屋に入った。目に入ったのは、床に残る血の跡。床下を探ると金魚鉢が出てきて、その中には切断された子どもの顔が入っていたんだから、ぞっとする。
顔はホルマリン漬けだった。医師たちは、そのまま警察へ電話をかけている。金魚鉢の中の顔は、銭湯に行ったあと行方が分からなくなっていた、あのプロレスラーの長男のものだった。
犯人は棋士の長男。警察は彼を殺人犯として逮捕した。この男、ふだんから銭湯などで少年を誘い、わいせつな行為をしていたようだ。殺された少年もまた、銭湯でこの男に「家に遊びに来い」と誘われて、そのまま男の家までついて行った。
男の家で、少年は服を脱がされそうになった。拒むと男は殴りつけ、少年は殺されてから体を切断されたようだ、というのが元記事の書きぶりになる。両家とも有名人。猟奇的な殺人だったこともあって、事件は大きく報じられた。
以上が元記事の筋書き。収録元は、怖い事件を集めたカテゴリだ。抽出の種別はカテゴリ記事で、その中には伝説や噂、異説として切り分けるべき記述は見当たらなかった。
12歳の少年と26歳の男
骨組みを確かめておく。時は1957年、昭和32年の4月。場所は東京都内で、誘拐と殺人と、さらに死体損壊までが一度に重なった、なんとも重たい事件だった。
被害者は当時12歳の少年だ。父親は当時人気を集めたプロレスラーで、元は力士だった。加害者は当時26歳の男で、父親は日本棋院所属の囲碁の実力者だ。男自身も、精神科病院への入院と退院を何度も繰り返してきた人物だったと、資料では伝えられている。
4月2日の夜。少年は銭湯に出かけたまま、姿を消した。数日後、現金を求める脅迫状が家族のもとへ届き、警察も捜査に乗り出している。けれど犯人は受け渡し場所に現れず、身代金目的の誘拐として追いかける線は、その時点で行き詰まってしまった。
4月9日、急展開。きっかけは、精神科病院からの一本の通報だった。入院先で男が不審な言動を見せたため、家族と医師が自宅を訪ねている。床には血痕があり、床下からは金魚鉢や水槽に入れられてホルマリンに漬かった遺体の一部が見つかった。
遺体は少年のものだった。警察は男を殺人容疑で逮捕している。男は日ごろから銭湯などで少年に声をかけ、わいせつな行為に及んでいたとされる。当日も少年を自宅に誘い込み、行為を拒まれて逆上した末に暴行を加えて殺したと伝えられているんだ。
その後の行動も異様だ。男は遺体を切断し、ホルマリンに漬けて床下へ隠したという。元記事とこちらの資料を並べると、医師の訪問が退院後だったのか入院先での言動がきっかけだったのか、微妙にずれている。
懲役10年、そして消えた足取り
裁判の結末は明快。精神鑑定の結果、刑事責任能力は認められた。1958年7月に言い渡された判決は、懲役10年。男は控訴しなかったので刑はそのまま確定し、服役もしているから、法的にはとっくに片がついた事件なんだよな。有罪確定、服役済みの件。
問題はその後だ。男は1960年代後半に出所したとみられている。ただ出所後の足取りを確かめられる公的な情報は、ほとんど残っていない。ネット上には「製薬会社の社長になったらしい」という噂も流れているが、裏付けのない伝聞にすぎない。存命なら90歳超と推測される。
被害者の父親の話も残る。事件当時は妻と別居し、海外を転戦していたと伝えられる。元プロレスラーだったこの父親は、それから長い年月を経た1980年に、病気でこの世を去ったとされる。
銭湯が社交場だった時代
衝撃は大きかった。戦後復興期の日本を大きく揺さぶった事件として記録されている。理由の一つは、被害者と加害者の家がどちらも著名人の家庭だったことだ。もう一つは、遺体をホルマリン漬けにして残すという、あまりに猟奇的な保存方法が取られていたことだった。
時代の空気も絡む。当時の銭湯は、地域の人が集まる大事な社交の場だった。少年は、その銭湯で声をかけられて誘い出されている。この流れから、「銭湯文化が事件を助長した面があったのではないか」と指摘するネットの考察記事も出てきた。
語られるたびに濃くなる男の輪郭
資料には二つの層がある。Wikipediaの記事や文藝春秋系のオンライン記事は、わりと裏付けがしっかりしている。一方で個人ブログやまとめサイト、読書メーターなどのSNS投稿には、もっと扇情的で切れ切れの語り口が目立つ面もある。
まずは男の人物像。事件の前から、近所の子どもへのわいせつ行為で悪評があったと紹介されることが多い。飼い猫を全部殺したなど、動物への異常な振る舞いがあったとも書かれる。事件の前に「理想の少年を見つけた」、事件の後には「生きている時より一層かわいい」と日記に書いていたという。
引用の回数も多い。まとめサイトや考察系のブログで、犯人の異常な心理を示す話として何度も使われてきた。一次資料でどこまで確かめられているかは、記事ごとに詳しさがまちまちだ。伝聞の域を出ない部分も混じっているので、この手の話は少し距離を置いて読むくらいがちょうどいい。
「あの人に殺されるかもしれない」
胸の痛む話もある。ネット記事でたまに見かけるのが、少年が同級生に「あの人に殺されるかもしれない」と話していたという逸話だ。事実だとしたら、これほど痛ましい話もない。こういう予兆の話は事件のあとから付け足されやすい性質のもので、同時代の独立した資料での裏付けは限られている。
出所した男をめぐる噂
都市伝説めいた話も多い。製薬会社の社長説のほかに、陰謀論っぽい語りまである。一部の匿名掲示板やまとめサイトには、「実は精神鑑定の結果が操作され、本来より軽い刑になったのではないか」とある。どちらも裁判記録のような一次資料での裏付けはなく、噂や推測の域を出ない。
動画でも定番の題材。昭和の猟奇事件を扱う解説系のYouTubeチャンネルで、たびたび取り上げられてきた。コメント欄には「戦後の混乱期だからこそ起きた事件」「現代なら防げたかもしれない」と時代を振り返る声が多く並ぶ。その一方で、遺体の保存状況のような猟奇的な部分に関心が集まりがちな傾向も見える。
うちの立場は決めてある。被害者の尊厳を大事にし、猟奇的な細部を面白半分に強調することはしない。被害者は当時12歳の子どもだったので、被害者と加害者の実名を細かく載せ直すことも、ここではあえて避けた。事件の流れと法的な結末、ネットでの語られ方の整理に重心を置いている。
百科事典が付けた二つの呼び名
知名度は抜群だ。Wikipediaに独立項目があるほどの、昭和の未成年者被害事件だ。項目での説明は「少年愛者によるバラバラ殺人事件」と「加害者と被害者双方の親が著名人という殺人事件」の二本立て。
三大猟奇事件に数えられる理由
昭和の事件史の常連なんだ。この事件は「昭和三大猟奇事件」の一つとして語られることがある。戦後日本の猟奇殺人の歴史をたどるとき、必ずといっていいほど引き合いに出される事件の一つとされているんだ。ネットの考察記事が挙げる理由は、大きく三つある。
一つ目は家柄。被害者も加害者も、社会的に名の知れた家庭の子どもだった。どちらかが一方的に上というわけでもない、いわば「格差のない悲劇」という見方がここから生まれている。
二つ目は猟奇性。遺体は隠すだけで済まされず、液浸標本のように保存されていた。当時の日本の犯罪史を見渡しても、ほとんど類例のない猟奇性だったというのが、考察記事の見立てになる。
三つ目は体制の穴だ。男には精神科への入退院歴があったのに、事件を防げなかった。精神医療と司法、警察の連携がうまく噛み合っていなかったことを、この事件ははっきりと浮かび上がらせた。
社会派の論考もある。当時の精神医療体制が整っていなかった点を突くものだ。単なる猟奇事件で片づけない見方だ。精神疾患を抱えた人への社会的なフォロー体制が欠けていたという角度から、この事件を論じる向きもあるんだよな。
資料ごとに揺れる細部
細部には揺れがある。年齢の表記や日付、出来事の順番が、情報源によって少しずつ違う。加害者の年齢も、26歳とする資料が多いというだけだ。逮捕時の詳しい生年月日や脅迫状の具体的な文面は、裁判記録や当時の新聞縮刷版などの一次資料に当たらないと確定できない。
書き方にも線を引いた。複数のまとめ記事や解説記事に共通する大筋だけを、確認できた事実として扱っている。日記の具体的な文言や心理の描写については、ネットで紹介されている逸話という扱いにとどめたうえで話を進めてきた。
独立資料と照らし合わせてみると
資料の照合もした。事件や人物、制度が実在したかを確かめる分には、使える資料が見つかっている。ただし、もちろんそれで元記事の細部や動機、ましてや霊視や陰謀説のたぐいまで裏付けられるわけではない。
候補は三つあった。一致度で見て、ぴったり重なったのは「少年誘拐ホルマリン漬け事件」の項目だ。少年愛者によるバラバラ殺人事件で、加害者と被害者の双方の親が著名人という殺人事件、という説明が付いている。
残り二つは弱い一致。一つは「バラバラ殺人」の項目だった。死体を部位ごとに分けたり、分けた一部を押しつぶしたりする殺人と死体損壊の一般的な呼び名だという。動機によっては、猟奇殺人に分類されることもあるそうだ。
もう一つは「誘拐」。他人をだまして誘い出し、連れ去ることを指す言葉だ。英語ではkidnapping、日本語では「かどわかし」とも言う。この弱い2件は題名が似ているだけなので採用はせず、あくまで参考候補に留めてあるという扱いになる。
確かめられた点もある。同名か、強く関わる独立資料の項目は確かに存在した。事件や人物、制度のおおまかな筋なら、その「少年誘拐ホルマリン漬け事件」の項目で照らし合わせることができる。
まだ誰も確かめきれていないこと
注意点も残っている。元記事に出てくる日時や人数、場所、動機、判決、捜査の経過がそれだ。どれも公的記録や裁判資料、警察発表、同時代の報道などで、一つずつ個別に確かめなければならない。
説明の種類にも要注意。「隠蔽」「口封じ」「霊視」「呪い」「異界」「陰謀」。この手の説明は、独立した裏付けが出てこない限り、あくまで噂や異説として扱うのがここでの決まりだ。
金魚鉢の少年が残したもの
法の上では決着済みの話。1957年に起きた事件は、1958年の判決で有罪が確定し、男は服役した。それでも、遺体をホルマリン漬けにした特異さと、両家がともに著名人の家庭だったという事情は、人の記憶から消えなかった。加害者のその後が公的に確かめられないことも重なって、昭和を代表する猟奇事件として語られ続けている。
付け足された話も多い。加害者のその後をめぐる噂や、少年の予兆の話がその代表だ。ただその多くは伝聞や推測の域にとどまっていて、独立した資料による裏付けは乏しいまま置かれている。読むときは、その点を頭の片隅に置いておきたい。
