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83|オウム心理教 地下鉄サリン事件

これは作り話じゃない。日本で起きた事件のなかで何がいちばん怖かったかと聞かれて、元記事の書き手が挙げたのはオウム真理教の事件だった。弁護士一家殺害に松本サリン事件と、この教団が起こした事件はとにかく数が多い。どれも日本じゅうを震え上がらせた。

別格は地下鉄サリン事件。当時中学生だった書き手は、この事件にとんでもない衝撃を受けたと振り返っている。名前のとおり、地下鉄の車内でサリンがまかれた事件で、狙われたのはごく普通の通勤客たちだった。

手口の話はしない

怪談でも都市伝説でもない。日本の刑事事件史、テロ事件史のなかで最も甚大な被害を出した、実在の無差別テロなんだよな。だからサリンをどう作り、どうまいたかという実行の手口は、この先も一切書かない。ここは最初にはっきりさせておきたいところで、この方針は記事の最後まで一度も曲げずにいくつもりだ。

扱うのは、それ以外の部分。事件がどう起きて、どう記憶され、ネットでどんな噂や考察が飛び交ってきたか、その範囲に絞って話を進めていく。被害に遭った人たちのことを置き去りにしないように、そこだけは気をつけたい。

月曜の朝、ラッシュのど真ん中で

1995年3月20日の朝。その2日前にあたる3月18日の夜、教団の幹部らが乗用車の中でこの日の決行を最終的に取り決めたと伝えられている。車の中での話し合いで、翌々日の月曜の朝の予定が固まったことになる。

狙いはラッシュのピーク。午前8時前後という時間帯で、元記事の書き手も、明らかに大人数を狙った犯罪だったと書いている。いちばん人が詰まっている時間を、わざわざ選んだわけだ。

現場は地下鉄の三路線。丸ノ内線、日比谷線、千代田線で、ほぼ同時に有毒ガスの被害が出て、いくつもの編成にまたがって広がっていった。元記事は東京メトロと書いているけど、1995年当時の運営は営団地下鉄だ。

いちばん被害が大きかったのは日比谷線だった。亡くなった方の多くがこの路線に集中していたと伝えられ、同じ地下鉄でも乗った線と車両で運命が分かれてしまった。そう思うとやりきれない。

死者は13人。負傷者はおよそ6300人にのぼった。平時の都市で起きた化学テロとしては、世界的に見ても異例の規模だった。数字だけ並べても、その重さには想像がまるで追いつかないし、一人ひとりにその朝の暮らしがあったはずだ。

当日の東京は騒然となった。駅の構内や車両の中で体調を崩して倒れる人が次々に出て、救急搬送先の病院はパンク状態だったと当時の報道は伝えている。テレビも新聞も、しばらくはこの事件一色だった。

報道は事件一色。朝のワイドショーも夜のニュースも、来る日も来る日も地下鉄と教団の話ばかりだった。元記事がわざわざ当時のマスメディアの様子に触れているのも、あの空気を知っていればうなずける。

覚えている世代は多い。テレビの臨時ニュースで見た人も多く、中学生だった元記事の書き手もきっとその一人だったんだろう。いつもの平日の朝が根っこから揺さぶられた一日として、この日は多くの日本人の記憶に刻まれている。

世界がこの国を二度見した

書き手が怖がった点。サリンという化学兵器が使われたテロとして、この事件が世界で初めてのものになったと書き手は受け止めている。日本だけじゃなく、世界じゅうに衝撃が走った。

それまでテロは遠い話だった。治安が安定していない地域の出来事で、どこか別の世界の話として眺めていた人がほとんどだったと思う。書き手も同じように感じていたそうだ。対岸の火事、というやつだ。

ところが、そんなテロを起こす人物や団体が日本の中にいた。書き手はこれも怖さの理由のひとつに挙げている。安全だと信じていた足元に、じつはずっと火種が埋まっていたようなもので、気づいたときには手遅れだった。ぞっとする話だ。

安全神話という言葉。当時の日本は世界で一番安全な国とまで言われ、そんな呼び方をされたこともあった。地下鉄サリン事件はその安全神話を崩し、日本人の安全への意識を確実に変えてしまったと書き手は振り返っている。

電車は安全な場所のはずだった。毎朝なにも考えずに乗る電車が、ある日いきなり命を奪う場所に変わるなんて、あの朝まで誰も本気で考えていなかったと思う。安全神話が崩れるというのは、そういうことなんだ。

教団の中で決まっていたこと

一人の暴走ではなかった。少人数の思いつきでもなく、宗教団体としての組織的な意思決定のもとで実行された組織ぐるみのテロだった。そこがまず、背筋が冷えるところだ。

背後にいたのは、教団の最高指導者とされた人物。その主導のもとで、強制捜査が迫っているという危機感から、捜査機関を混乱させてけん制する目的があったとされる。追い詰められた組織が、通勤客を巻き込む方向へ走ったことになる。身勝手にもほどがある。

指示を受けたのは幹部信者たち。彼らは複数の路線に分かれ、それぞれ別々の車両に乗り込んだと伝えられていて、同じ朝に別々の電車で同じことが起きていた。考えるだけで寒気がする。

頭のいい若者たちが、なぜ

ここも引っかかる点だ。実行犯とされた人物の多くは若者で、高学歴で理系の専門知識を持っていたことが当時から大きく報じられた。社会に走った衝撃は強かった。元記事の書き手も、信者たちが高学歴だった点に怖さを感じたと書いている。

書き手の見立ては洗脳。信者たちは教祖の麻原彰晃という人物に洗脳されていた、と書き手は見ている。ただ、そもそもなぜ一見して怪しそうな宗教団体に加わろうとしたのか、そこは平凡な頭脳の自分には理解できなかったそうだ。

この率直さはいい。わからないものをわからないと書いているからこそ、読んでいるこっちも同じ場所で立ち止まってしまう。外から見て怪しいものが、中からもそう見えるとは誰にも言えない。

なぜ凶行に加担したのか。高い教育を受け、将来を期待されていたはずの若者たちへのその問いは、30年近くたった今も議論され続けている。答えは、まだ誰も出せていない。

洗脳のひとことで片づけていいのか

定番の説明がある。よく持ち出される言葉が「マインドコントロール」。解説記事でも識者の話でも、教団特有の手法についての考察として、これまで何度となく繰り返し取り上げられてきた。閉じた修行の場、外の情報からの遮断、教祖への絶対的な帰依を求める教義がまず挙がる。

そこに重なった終末思想。いわゆるハルマゲドン思想を核にした世界観を刷り込まれて、信者たちの判断力が少しずつ奪われていったのではないか。そんな見方は広く共有されている。

心理学の専門家の解説記事には、もう一歩踏み込んだ指摘もある。閉じた集団の中で価値観を少しずつ塗り替えられていく過程は、宗教二世問題にも共通する構造を持つ。自己啓発セミナーの一部も同じだという。耳が痛い話だ。

だから、この事件を特殊な狂信者が起こした特殊な事件として片づけない論調も、けっして少なくはない。誰もがはまりうる心理の罠として、捉え直そうとする見方だ。正直、こっちのほうが怖い。

逆の声もある。掲示板やまとめサイトの一部には、本当に洗脳だけで片づけられる話なのか、という書き込みが見られる。幹部信者にはそれぞれ個人的な野心があったんじゃないか、というもっと批判的な見方だ。

長官狙撃と、ささやかれ続ける裏話

大事件につきものの陰謀論。この事件でもいくつかの説が、ネットで繰り返し語られてきた。代表格が、事件の直後に起きた警察庁長官狙撃事件と、この地下鉄の事件とを結びつけて疑う噂だった。

狙撃事件のほうは謎のまま。教団の関与をにおわせる見方と、それを否定する見方が、今もネットで根強く語られ続けている。真相は公式には解き明かされないまま、狙撃事件はとうとう時効を迎えてしまい、決着はつかなかった。

この決着のつかなさが、妙な想像をかき立てた。警察内部の誰かが関わっていたんじゃないか、事件の真相は闇に葬られたんじゃないか、という説まで飛び出している。噂は噂を呼ぶ。

けれど、どれも裏付けはない。こうした説はどれも状況証拠や推測の域を出ないもので、独立した検証で確かめられた事実じゃないんだ。面白がって信じ込むのは、やめておいたほうがいい。

後継団体の話もよく出る。名前や組織の形を変えながら、今も一部で活動が続いているとされる。公安当局による観察処分の是非や、後継団体が勧誘の的にする層の傾向なんかも、ネットでは定期的に蒸し返されている。

あの車両にいた人たちの声

残された証言は数多い。事件を直接経験した人の証言は、被害者団体や報道機関の手でたくさん記録されてきた。車内で突然刺激臭がして、目の前の視界がかすみ始めたという証言も、そうした記録のひとつに含まれている。

隣の乗客が次々と倒れていく。何が起きているのか誰にもわからないまま、とにかく次の駅で降りようとして、人々は出口に殺到したという。想像するだけで息が詰まる光景だ。

駅員として当日対応にあたった人の手記も残っている。意識を失って倒れ込む乗客を必死に抱えては、ひとりまたひとりとホームへ運び出していったそうだ。自分も無事ではなかった。目の焦点がだんだん合わなくなった。

息もどんどん苦しくなっていく。そんな体の異変を感じながらも、その人は救助の手を止めずに最後まで乗客を助け続けたと記録されている。頭が下がる話だ。

苦しみは当日で終わらなかった。事件から長い年月がたった後も、後遺症とされる視力の異常やだるさ、心の後遺症に苦しみ続けているという証言は少なくない。13人の死と6000人を超える負傷の陰には、こういう日々が続いている。

九死に一生を得たという話も。ネットの個人ブログや投稿サイトには、当日たまたま乗る予定の電車を一本逃して難を逃れた、という体験談が見られる。家族が被害の出た車両に乗っていたけど軽傷で済んだ、という話もある。

ただし、どれも匿名の投稿。細かいところが正確かどうかを、第三者が独立に確かめるのは、どうしたって難しい部分が残ってしまう。あくまでそう語られている体験談として、受け取っておくのが筋だと思う。

掲示板の向こうに残る記憶

入口はネット。時間がたつにつれて、当時を知らない世代が掲示板やまとめサイトでこの事件を知る、という流れがすっかりできあがった。昔話としてじゃなく、画面の中の事件として出会うわけだ。

舞台は2ちゃんねる。今の5ちゃんねるだ。そのオカルト板やニュース速報系のスレッドでは、事件の重さとは別の角度から当時の記憶が語られている。社会の混乱ぶりはもちろん、教団が経営していた飲食店やパソコンショップの思い出まで出てくる。

替え歌の話まで出る。当時の子どもたちの間で流行ったものだ。事件そのものの重さとはまるで違う角度の記憶だけど、それも当時の空気の一部だったんだろう。表向きの商売の顔と子どもの遊び歌が、同じ記憶の棚に並んでいるのがなんとも不思議な感じがする。

命日の3月20日が近づくころ。SNSには当時の報道映像や新聞記事の切り抜きが、毎年のように繰り返し共有されては、タイムラインに流れてくる。風化させてはいけない事件だ、という言葉が添えられることが多い。

最近はYouTubeの事件解説チャンネルやポッドキャストでも、この事件がよく取り上げられている。若い世代に記憶を手渡す役目を、そっちがある程度は担っているらしい。語り手は変わっても、伝える中身は同じだ。いい流れだと思う。

13という数字の重さ

閉じた集団の極端な思想。それが無差別テロという最悪の形で、何の関係もない一般の市民に牙をむいた事件だった。高学歴の若者がなぜそこまで加担したのか、心理学の考察がどれだけ積み重なっても、完全な答えはまだ出ていない。

ネットには、この事件にまつわるいろんな話が、事件から30年近くたった今も次々に生まれ続けている。マインドコントロールの解説から、長官狙撃事件と結びつける陰謀論まで、幅は広い。その多くは、検証しようのない推測にとどまる。そこは冷静に見ておきたい。

確かなのは被害だ。この事件で13人の命が奪われ、6000人を超える人たちが心と体に深い傷を負った。その重みを忘れずに語り継いでいくこと、それこそがこの事件を扱ううえで、いちばん大事な姿勢なんだと思う。

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