常紋トンネル慰霊碑

北海道

1. 導入

北海道北見市留辺蘂町金華。旧金華小学校跡の高台に、常紋トンネル工事殉難者追悼碑が立っている。

「常紋トンネル」と聞けば、作業服姿の男、うめき声、消える信号、列車を止める人影といった怪談を思い浮かべる人が多いだろう。北海道の心霊スポットを調べていると、必ずと言っていいほど名前が出る場所だ。

だが、追悼碑は怪談の舞台を示す看板ではない。大正時代の鉄道工事で命を落とした労働者を弔い、長く表へ出なかったタコ部屋労働の歴史を残すために建てられた。常紋トンネル自体は、今もJR北海道石北本線の列車が走る現役施設である。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑

私は2020年、スーパーカブ110で北海道を回っていたときにここを訪ねた。トンネルや線路へ入ったわけではない。撮影したのは、金華の高台にある追悼碑と周辺だけだ。

昼は碑の位置や周囲の地形を落ち着いて見られた。夜になると木々の奥行きが消え、カメラのライトから外れた場所は何も分からなくなる。心霊現象より先に気になったのは、ヒグマだった。「熊、絶対いるだろ」と口にしたくなる環境で、冗談では済まない。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑

その夜、作業員の霊を見たわけでも、説明のつかない声を録ったわけでもない。撮影機材にも、記録に残すほどの異常はなかった。それでも一人で立つには十分怖かった。歴史を知ったうえで碑の前に立つ怖さと、暗い山で生き物の気配を探る怖さが、別々に重なっていた。

常紋では、確かな史実のすぐ隣に怪談がある。人骨が本当に見つかったため、噂のどこまでが事実なのか分かりにくくなった。まず工事と慰霊の経緯をたどり、その後で口承とネット上の怪談、私が見た現地を分けて考えたい。

2. 史料と歴史

常紋トンネルは、北見市側の留辺蘂町金華と、遠軽町側の生田原方面を結ぶ常紋峠の下にある。「常紋」は、北見側の常呂郡から「常」、遠軽側の紋別郡から「紋」を取った名とされる。全長は約507メートル。単線・非電化の鉄道トンネルで、現在も石北本線の列車が通る。

工事は1912年3月に始まり、1914年10月に開通した。500メートルほどと聞けば短く感じるが、重機も現在の安全基準もない時代の山岳工事だ。資材の運搬、掘削、排土、坑内の補強を人力中心で進め、工期は約36か月に及んだ。

ここで働いたのは、網走監獄の囚人ではない。本州から周旋人を通じて集められ、「タコ」と呼ばれた民間労働者たちだった。前借金や高額な生活費で逃げられない状態に置かれ、監視のもとで長時間働かされた。明治期の囚人道路と混同されやすいが、時期も仕組みも別である。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑の碑文

追悼碑には、粗食、重労働、病気、暴力によって百数十人以上が亡くなったと刻まれている。全員の氏名と死因を網羅した公的名簿は確認できない。むしろ、名前すら十分に記録されなかった人がいたことが、この工事の実態を物語っている。

常紋の歴史が広く知られる転機は、1970年9月の遺骨発見だった。1968年の十勝沖地震で傷んだトンネルを改修し、待避所を広げた際、煉瓦壁の奥の玉砂利から人骨が出たとされる。場所は常紋駅側から三つ目の待避所、壁から約60センチ奥。頭蓋骨には損傷があったという。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑の碑文

以前から「殺された労働者が壁へ埋められた」という話はあった。遺骨の発見は、その口承に現実味を与えた。ただし、壁の奥から人骨が出たことと、宗教的な意味で生きた人間を埋める「人柱」が行われたことは同じではない。殺害後に隠したのか、亡くなった人を現場へ埋葬したのか、発見状況だけで死の経緯までは決められない。

その後、周辺でも遺骨の収集が進み、常紋トンネル殉難者之墓へ納められた。1959年には国鉄中湧別保線区と当時の町の協力で歓和地蔵尊が設けられている。1980年11月、留辺蘂町と建設期成会が旧金華小学校跡の高台に追悼碑を建立した。石北本線を見下ろす場所に碑を置いたのは、鉄道の恩恵を受ける側が、その建設に払われた犠牲を忘れないためだった。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑の碑文

歴史の掘り起こしには、北見の高校教員だった小池喜孝が大きな役割を果たした。地域の証言を集め、1977年に『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』を刊行。1983年には追悼碑建設期成会が完成記念誌『トンネルの壁のなかから』をまとめた。どちらも怪談集ではない。記録からこぼれ落ちた労働者の人生を、地域の側から拾い直した本である。

峠にはかつて常紋信号場があり、蒸気機関車の重連や後補機で越える難所として鉄道ファンに知られていた。信号場は2017年に廃止されたが、トンネルは現役だ。慰霊碑へ行くことと、線路や坑口へ入ることはまったく別の話である。

3. 噂が育つ土壌

常紋の怪談が消えない理由は、歴史と物証があまりにも近いからだ。追悼碑があり、墓があり、地蔵尊があり、壁の奥から人骨が見つかった記録もある。「昔ここで誰かが死んだらしい」という曖昧な前置きではない。怪談を疑っても、苛酷な労働と死者の存在までは消えない。

トンネルと鉄道は、音の正体をつかみにくい場所でもある。列車の振動はレールや地面を通して先に届き、山や切通しに反射した走行音は、来た方向とは違う場所から聞こえることがある。風が坑口や構造物を抜ければ低いうなりになり、金属のきしみや枝の擦れる音が重なれば、人の声や足音に聞こえることもあるだろう。

原因の候補が多いことは、怖さを弱めない。山中では、音がしてもすぐ確かめられないからだ。生活音の少ない夜、遠くの列車音や動物の足音が一つずつ浮かび上がる。そこへ「壁から遺骨が出た」という知識が加われば、正体不明の音へ人の姿を結びつけたくなる。

旧金華小学校跡の高台と周辺

鉄道職員の話として語られてきたことも、常紋の怪談に重みを与えた。線路上の人影を見て列車を止めたが誰もいなかった、信号が消えた、火の玉を見た、職員やその家族に不調が続いた。日時や列車番号、設備記録まで揃う話は確認できないが、「現場を知る人の話」という肩書きは強い。

旧金華小学校跡の高台と周辺

さらにネットでは、「壁の中から人骨が出た」が「立ったまま人柱にされた」「壁の中には今も大勢が埋まっている」「列車が幽霊を見て何度も急停車した」へ膨らんでいった。最初の遺骨発見は事実だが、後ろの説明まで同じ強さで確認できるわけではない。

旧金華小学校跡の高台と周辺

場所の混同も起きている。常紋トンネル、旧常紋信号場、歓和地蔵尊、金華の追悼碑、周辺山林は別々の地点だ。「常紋で出た」という短い話が転載されるうち、トンネル内部の噂が慰霊碑の体験談になり、信号場の話が金華一帯の話へ広がる。

常紋の怖さは、誰かが一晩で作ったものではない。労働史、遺骨発見、地域の慰霊、鉄道関係者の口承、山の音、ネットでの誇張が、長い時間をかけて重なっている。

4. 現地調査

私が追悼碑を訪れたのは2020年。北海道をスーパーカブ110で回っていた途中だった。繰り返すが、常紋トンネルや線路へ入ったのではない。撮影場所は旧金華小学校跡の高台にある追悼碑と、その周辺である。

昼は木々の位置も道の形も見え、石北本線を見下ろす高台に碑を建てた意味を考える余裕があった。碑は恐怖を演出するものではない。近代化の陰で亡くなった人々を弔い、同じ扱いを繰り返さないという意志を刻んだものだ。

夜になると、林はライトが届くところまでしか見えなくなった。カメラの画角を確認している間、背後の音が気になる。振り返れば、今度は前が見えない。何かが起きなくても、その繰り返しだけで神経は削られる。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑周辺の林

一番怖かったのはヒグマだった。撮影中に姿を見たわけではなく、足跡や糞を確認したわけでもない。それでも山林に近く、人通りがなく、夜は見通しも利かない。遭遇する可能性を無視できる場所ではなかった。

風、葉擦れ、遠くの列車、動物の動きが混ざるため、音の正体も確かめにくい。この夜、私は作業服姿の人影も、明確なうめき声も確認していない。機材の異常を記録したメモもない。後から話を派手にするために、なかった出来事を足すつもりはない。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑周辺の林

ただ、何も起きなかったから平気だったわけでもない。決定的なものが映っていないことと、一人で立ったときに怖かったことは両立する。逆に、怖かったという感覚だけで霊の存在が証明されるわけでもない。

常紋トンネル工事殉難者追悼碑周辺の林

碑文の向こうには、名前を残せなかった人々の死がある。そこで大声を出したり、霊を挑発したりする気にはなれなかった。山の夜と野生動物まで考えれば、長居する場所でもない。

2020年の撮影で持ち帰ったのは、怪異の証拠ではなかった。夜になると場所の印象が大きく変わること。人工の明かりが少なく、音の発生源を探しにくいこと。そして、トンネルへ近づかなくても、追悼碑だけで歴史の重さは十分伝わるということだった。

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5. 語られている怪異

  • 線路上の作業員:列車の前に作業服姿の男が現れ、制動後には誰もいなかったという。鉄道職員の体験談として広まったが、日時や列車番号を伴う記録は確認できない。
  • うめき声:坑内や旧信号場付近で、苦しそうな男の声が聞こえるという。風や列車、構造物の反響でも低い音は生まれるため、録音と状況がなければ判別は難しい。
  • 足音と金属音:線路脇や林から足音が近づき、砂利を踏む音や鎖の音が混じるという。鎖のイメージは、明治期の囚人道路と混同された可能性もある。
  • 信号の異常:旧常紋信号場で信号が消えた、設備が勝手に作動したという話。設備障害の記録と怪異を直接結びつける資料は見つかっていない。
  • 火の玉や青白い光:線路付近に光が現れるという口承。遠方の列車灯や反射光と区別できる写真、時刻、気象条件は確認できない。
  • 職員と家族の不調:駅員や信号場勤務者、その家族に病気や精神的不調が続いたという話。孤立した勤務、厳しい気候、夜勤の負担もあり、因果関係は判断できない。
  • 壁の顔や車窓の男:トンネル壁に手や顔が浮き、車窓へ男が映るという心霊写真の噂。原版や撮影場所の分からない転載が多い。
  • 慰霊碑で感じる視線:高台の碑で背後に人が立つ気配を感じるという。トンネル内部の話が慰霊碑へ移された面もある。
  • 帰路の事故や夢:供物へ触れたり騒いだりすると、事故に遭う、労働者が夢に出るという警告型の話。出典は弱いが、慰霊地での無礼を戒める物語にはなっている。

6. 噂の出どころを追う

常紋の怪談は、インターネットが生まれる前からあったとされる。工事関係者、保線関係者、周辺住民の間で、現場近くへ遺体が埋められた、人影を見て列車が止まった、といった話が語られていた。

1970年に壁の奥から人骨が見つかると、古い口承は急に現実味を帯びた。発見によって幽霊話まで証明されたわけではない。それでも「まったく根拠のない噂ではなかった」と受け取られ、その後の怪談を支える強い物証になった。

1970年代、小池喜孝らは関係者の聞き取りを進めた。1977年の『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』が記録したのは、幽霊の種類ではなく、非人道的な労働と名も残せなかった犠牲者だった。1980年の追悼碑建立、1983年の完成記念誌によって、埋もれていた歴史は目に見える形になった。

常紋トンネル殉難者を伝える追悼碑

一方、後年の心霊記事は、その歴史から強い部分だけを抜き出した。「壁のなかから」という言葉は、「壁の中へ大勢が生き埋めにされた」という話へ変わりやすい。トンネルで見つかった一体と、周辺で収集された複数の遺骨が混ざり、「数十体」「数百体が立ったまま出た」と書かれることもある。

常紋トンネル殉難者を伝える追悼碑

ネット上では、遅くとも2001年2月時点で、JR北海道旭川支社の地域向けページに「常紋トンネル幽霊秘話」が掲載されていた記録が残る。鉄道事業者側の読み物にも怪談が載ったことは、噂が個人サイトだけで流通していたのではないと分かる。ただし、それは当時の読み物であって、怪異を業務記録として認定したものではない。

常紋トンネル殉難者を伝える追悼碑

2000年代以降、鉄道サイト、旅行記、心霊スポット一覧、動画がそれぞれの角度で常紋を紹介した。鉄道サイトは峠越えと信号場、歴史記事はタコ部屋労働と追悼碑、心霊サイトは人影とうめき声を前へ出す。短い動画タイトルでは「北海道最恐」「人柱のトンネル」だけが残り、場所や史料の違いが消えていった。

現在読める怪談の多くは二次、三次の要約だ。同じ話が何件見つかっても、それだけで証言者が何人もいるとは言えない。追悼碑、地域史、書籍で確認できる事実と、出典の分からない体験談は、別のものとして読む必要がある。

7. 総合分析

常紋トンネル工事で多数の労働者が亡くなったこと、1970年に煉瓦壁の奥から人骨が見つかったこと、周辺の遺骨が集められ、1980年に追悼碑が建てられたこと。これらは複数の資料から追える。

作業員の人影、うめき声、火の玉、信号の異常、職員家族の不調は、それとは別に口承や怪談として残った。どれも日時、当事者、業務記録が揃っているわけではない。「歴史が本当だから幽霊も本当だ」と結ぶには距離がある。

とはいえ、すべてを後世の創作として切り捨てるのも乱暴だ。現場で見聞きした人が本当にそう感じた可能性はある。ただ、その原因が霊だったのか、列車灯、反響、動物、疲労、暗所での錯視だったのかは分けて考えなければならない。

石北本線を見下ろす追悼地

現地には、音や影を誤認しやすい条件が揃う。人家と照明の少ない山間部で、列車音は斜面や構造物に反射する。林には動物がいる。訪問者の頭には、百数十人以上の犠牲と壁内の遺骨が入っている。小さな音へ人の声を聞き取る土台は、すでにできている。

石北本線を見下ろす追悼地

私の2020年の調査では、噂にある具体的な怪異は確認できなかった。ただ、夜の常紋が強い不安を生む環境だという点は実感した。霊を探すことへ意識を奪われれば、ヒグマ、転倒、寒さ、車両といった現実の危険への反応が遅れる。こちらは噂では済まない。

石北本線を見下ろす追悼地

常紋が長く語られてきたのは、暗いトンネルだからだけではない。長く隠れていた労働史、壁の奥から出た遺骨、鉄道関係者の口承、追悼碑、山深い立地が一つの名前に集まったからだ。

碑の前で考えたのは、霊が出るかどうかより、なぜこれほど多くの死者が長く名前も残せなかったのかということだった。怪談は人をこの場所へ連れてくるかもしれない。だが、そこで見て帰るべきものは、怖いトンネルの評判だけではない。

8. 注意とアクセス

  • 名称は「常紋トンネル工事殉難者追悼碑」。所在地は北海道北見市留辺蘂町金華、座標は北緯43.803833度、東経143.568417度。
  • 追悼碑は旧金華小学校跡の高台にある。最新の現地案内、通行規制、管理者の指示を優先すること。
  • 常紋トンネルはJR北海道石北本線の現役施設。線路、坑口、旧信号場を含む鉄道用地へ絶対に立ち入らないこと。
  • 慰霊碑、墓、供物、周辺設備へ触れず、大声、挑発、長時間の照明を避けること。
  • 夜間は暗く、凍結、積雪、低温、路肩、野生動物の危険がある。ヒグマの出没情報を確認し、薄暗い時間帯と単独行動を避けること。
  • 車やバイクは通行の妨げにならない場所へ停め、私有地や管理地を駐車場所にしないこと。
  • 私が2020年にヒグマと遭遇しなかったことは、現在の安全を保証しない。

※本記事は肝試しや鉄道用地への侵入を勧めるものではありません。現地のルールを守り、慰霊地と近隣への配慮を最優先してください。

9. 引用・参考

  • 小池喜孝『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』朝日新聞社、1977年:ndlsearch.ndl.go.jp/books/R100000002-I000002099087
  • 常紋トンネル工事殉難者追悼碑建設期成会編『トンネルの壁のなかから 常紋トンネル工事殉難者追悼碑完成記念誌』1983年:ci.nii.ac.jp/ncid/BN01681623
  • CiNii Research『常紋トンネル 北辺に斃れたタコ労働者の碑』:ci.nii.ac.jp/ncid/BN06028824
  • JR北海道『安全報告書2017』:www.jrhokkaido.co.jp/corporate/safe/pdf_06/safetyreport2017_1.pdf
  • JR北海道旭川支社「恐い話 第二話 常紋トンネル幽霊秘話」2001年2月8日時点の保存ページ:web.archive.org/web/20010208000659/http%3A//www.jrasahi.co.jp/under/kowai/jomon.html
  • 国土地理院地図:maps.gsi.go.jp
  • 北海道「令和6年秋のヒグマ注意特別期間」:www.souya.pref.hokkaido.lg.jp/fs/1/0/6/2/2/2/5/9/_/令和6年秋のヒグマ注意特別期間について.pdf
  • 北見市「地域から探す 留辺蘂自治区」:www.city.kitami.lg.jp/administration/area/?area=3
  • 追憶の旅情駅探訪記「金華駅 JR石北本線」:charitetsu.jp/contents/station/kanehana/
  • ぶらっと北海道「常紋トンネル」:www.buratto-tabi.jp/hokkaido/joumon/
  • 常紋信号場へ:www.onitoge.org/tetsu/sekihoku/29jomon.htm
  • 常紋トンネル工事殉難者追悼碑:ouendaichi20092.web.fc2.com/doutou/kitamihtml/kanehana.html

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