鎖塚

北海道

1. 導入

北海道北見市端野町緋牛内。旧道沿いの木立の中に、鎖塚はある。

初めて名前を聞いたときは、いかにも心霊スポットらしい呼び名だと思った。だが由来を調べると、印象はまるで変わる。明治24年(1891年)の中央道路開削で亡くなった囚人たちを埋葬し、墓標の代わりに鎖を置いた。それが「鎖塚」と呼ばれるようになったという。

現地には供養碑、観音像、六地蔵が並び、土を盛った塚が残る。長年にわたり地域の人たちが守り、慰霊を続けてきた場所だ。怪談を抜きにしても、ここに立つ理由は十分にある。

鎖塚の供養碑と周辺

一方、心霊スポットとしては「作業服姿の男が現れる」「暗闇から鎖を引きずる音が聞こえる」と語られてきた。私は北海道をスーパーカブで回っていたとき、昼と夜の二度、鎖塚を撮影している。一日200円で北海道を一周してこいという、札幌の知人が考えた無茶な企画の途中だった。電波が入る場所では生配信もしながら、道内の心霊スポットを一つずつ巡った。

昼の鎖塚は撮影できた。夜もカメラは回した。ところが、その夜の映像はいまだに公開できていない。

撮影中、耳元で男のうめき声がした。その少し後には、誰かに呼ばれたような声も聞こえた。近くの人声だったのか、動物だったのか、風や木々の音をそう聞いたのか。映像を見直せば手がかりは得られるかもしれない。それでも再生する気になれず、今日まで止まったままだ。

鎖塚の供養碑と周辺

心霊スポットへ行く人間が何を怖がっているんだ、と自分でも思う。だが、怖いものは怖い。この記事に載せる動画が昼のものなのは、夜に何もなかったからではない。確かめ直す覚悟がまだできていないからだ。

鎖塚には、資料に残る歴史と、繰り返し転載されてきた怪談、そして私自身の未整理な体験がある。三つを一緒くたにせず、分かっていることから順に見ていきたい。

2. 史料と歴史

中央道路は、明治政府が北方防備と北海道内陸部の開拓を急ぐために整備した道だった。網走から北見峠までを結び、「囚人道路」「北見道路」とも呼ばれる。現在の道道104号、国道39号、道道103号、国道333号などに重なる道筋で、鎖塚のある緋牛内は東側区間に当たる。

工事のため、1890年には約1200人の囚人が網走へ送られた。北見市の資料では、翌1891年の工事に網走監獄の囚人約1100人、職員200人余りが動員されたとされる。着工月には資料ごとの差があるものの、その年のうちに約160キロを開通させたという大筋は一致している。

重機のない時代に原始林を倒し、根を起こし、湿地や川を越えて道を延ばす。現場が監獄から離れるにつれて仮の収容施設を移し、昼夜を問わず工事を続けた。食料も寝場所も足りない。逃亡を防ぐため、二人一組で鎖につなぐ「連鎖」も行われた。栄養失調、病気、けが、暴力によって、短い工期の間に多くの命が失われた。

鎖塚に残る中央道路の慰霊史跡

北見市の解説は犠牲者を200人以上としている。囚人211人、看守6人とする二次資料もあれば、現地の供養碑には、墓標もなく路傍へ埋められた囚人が300人余りともいわれる、と刻まれている。集計の範囲が違うため数字は揃わない。だが、わずか数か月の道路工事で200人を超える犠牲が出たことは、公的資料からも読み取れる。

亡くなった囚人は現場近くへ埋められ、目印として鎖が置かれたと伝わる。土を盛った墓は「土饅頭」と呼ばれ、かつては沿道のあちこちにあったという。道路改良や開拓で多くが失われ、緋牛内には三基が残ったとされる。

鎖塚に残る中央道路の慰霊史跡

慰霊の動きが形になったのは、ずっと後のことだ。博物館網走監獄によれば、昭和30年頃から郷土史研究者や住民による遺骨の発掘が進んだ。1968年には当時の端野町長が由来を記した立札を設置。その後に地蔵尊が祀られ、1976年、端野町開基80周年を機に供養碑と六地蔵が建立された。同じ頃に鎖塚保存会が組織され、慰霊が受け継がれている。

鎖塚に残る中央道路の慰霊史跡

文化財指定年は公開資料によって1990年と1992年に分かれるが、北見市が現在も指定文化財として案内していることは確認できる。

中央道路は北海道の交通と開拓を進めた。その足元に、自由を奪われた人々の命が埋まっている。鎖塚は道路建設の成果ではなく、その代償を忘れないために残された場所だ。

3. 噂が育つ土壌

鎖塚の怪談には、最初から強い絵がある。鎖につながれた囚人、昼夜兼行の労働、道端の埋葬、墓標の代わりに置かれた鉄鎖。作り手が架空の悲劇を加えなくても、聞いた人の頭には音と人影が浮かぶ。

歴史上の鎖は、怪談の中で「夜道をついてくる鎖の音」になった。囚人たちの姿は「作業服姿の男」へ置き換わった。場所の名前を知ってから金属音を聞けば、車の部品や枝の擦れる音より先に、足枷を思い浮かべるだろう。

現地の環境も、その想像を助ける。鎖塚は街中の展示施設ではなく、旧道沿いの草木に囲まれた場所にある。夜は供養碑や地蔵の輪郭がライトの中だけに浮かび、木立の奥行きが分からなくなる。遠くから近づいた車の音は、通過すれば急に消える。斜面や木々に反射した音は、どこから来たのかつかみにくい。

鎖塚の旧道と木立

ネット上で鎖塚の名を確認できる早い例の一つが、2003年8月の掲示板投稿だ。投稿者は地元で聞いた場所として鎖塚を挙げているが、鎖の音や作業服姿の男までは書いていない。2010年の掲示板系まとめでは作業服姿の男が登場し、2015年には投稿型心霊サイトへ現地写真が載った。2017年頃になると「作業服姿の霊」と「鎖を引きずる音」が一組の説明として定着している。

鎖塚の旧道と木立

この流れには転載の跡もある。中央道路の工事年を1881年とする誤記が、複数のページに同じ表現で残っている。正しくは1891年だ。同じ誤りまで一致するなら、別々の目撃者が同じ体験をしたというより、一つの文章がコピーされて広がったと考えるほうが自然だろう。

鎖塚の旧道と木立

また、資料では「鎖を墓標のそばへ置いた」とされる話が、怪談サイトでは「力尽きた囚人の鎖がその場へ投げ捨てられた」「鎖につながれたまま道路の下へ埋められた」と変わる。少しの言い換えで、出来事はずっと残酷で刺激的に見える。

だからといって、鎖塚で何かを聞いたという人まで嘘つきになるわけではない。暗い場所で音源を見つけられなければ、知っている物語を手がかりに音を理解するのは自然なことだ。ただ、サイトの掲載数と体験者の数は同じではない。その区別はしておきたい。

4. 現地調査

私が鎖塚を訪れたのは、スーパーカブ110で北海道を回っていたときだ。一日200円という企画だったので、観光旅行のような余裕はない。距離、燃料、天気、通信状況を気にしながら、撮れる場所を回っていた。

昼間に見ると、鎖塚はよく手入れされた慰霊の場だった。供養碑、観音像、六地蔵、土を盛った塚があり、怪談サイトの写真から想像していたよりも、人の手と祈りが感じられた。今回使っている写真と動画も、この昼の記録が中心になる。

夜は同じ場所が別物に見えた。ライトから外れた地蔵や木立はすぐ輪郭を失う。車や風の音が途切れると、自分の足音と呼吸だけが急に近くなる。歴史を知ってから一人で立ったのだから、緊張していたのは間違いない。

鎖塚の観音像と六地蔵

その最中、男のうめき声が耳元で聞こえた。遠くから響いた感じではなく、すぐ近くに口元があるような距離だった。その後には、こちらを呼ぶような声もした。長い言葉を聞き取ったわけではない。苦しそうな声と、自分へ向けられたと感じる短い呼び声だった。

周囲を見たが、人の姿はなかった。遠くの会話が地形や風で近く聞こえたのかもしれない。動物の声だった可能性もある。緊張で曖昧な音から意味を拾ったとも考えられる。私の感覚では枝や車の音とは違ったが、感覚だけで囚人の霊と決めることはできない。

鎖塚の観音像と六地蔵

カメラは回っていた。公開するなら、映像を頭から見て、声の前後や入った位置を確かめなければならない。だが再生すると、あのときの距離感まで戻ってくる気がして、どうしても手が止まる。

鎖塚の観音像と六地蔵

私は作業服姿の男も、鎖を引きずる姿も見ていない。定番の「鎖の音」も、記憶の中心にはない。私が経験したのは、男のうめき声と呼び声だけだ。怪談と重なる部分はあるが、同じ筋書きをなぞったわけではない。

あの夜から残ったのは、派手な心霊現象の証拠ではなく、映像を見返せないという後味だった。昼の動画だけを公開しているのは、そのためである。

北海道 心霊スポット 鎖塚(昼バージョン)この場所の現地調査動画を見る北海道 心霊スポット 鎖塚(昼バージョン)

5. 語られている怪異

  • 鎖を引きずる音:夜、背後から重い鎖を引くような音がついてくるという。現在もっとも広く知られた噂だが、同じ文章の転載が多く、独立した証言数は分からない。
  • 作業服姿の男性:塚や旧道脇に、道路工事の囚人を思わせる男が立つという話。古い囚人服とも、現代の作業着とも書かれ、姿は一定しない。
  • 男のうめき声:暗闇から苦しそうな声が聞こえるという型。私自身も夜間撮影中に耳元で聞いたが、音源は特定できなかった。
  • 呼び声:誰もいない場所で自分を呼ぶ声がするという話。私がうめき声の後に聞いたのも、こちらへ向けられたように感じる短い声だった。
  • 足音と人影:歩調を合わせる足音、地蔵や木立の間に立つ影が語られる。暗所では砂利、動物、木の幹や石碑も比較対象になる。
  • 写真の顔や白い影:現地写真に顔、煙、光球が写るという投稿がある。原画像や撮影条件がないものは、虫、ほこり、レンズ反射との判別ができない。
  • 帰路の異変:挑発した後に事故や体調不良が起きるという警告型の話もある。出典は曖昧だが、慰霊地で騒ぐなという戒めとしては理解できる。

6. 噂の出どころを追う

確認できたネット記録を年代順に並べると、鎖塚の怪談が少しずつ形を得ていく過程が見える。

2003年の掲示板では、地元で聞いた心霊スポットの一つとして名前だけが挙がる。2010年のまとめで作業服姿の男が加わり、2015年の投稿型サイトには現地写真が載る。2017年の個人ページでは、1000人以上の囚人、160キロの道路、作業服姿の霊、鎖の音が一続きの説明になった。

鎖塚の土饅頭と供養碑

その2017年の文章には工事年を1881年とする誤りがあり、同じ誤記が後の複数サイトへ引き継がれた。つまり、ページが増えたぶんだけ新しい証言が増えたわけではない。歴史説明と怪談がセットになった定型文が、サイトを渡り歩いたのだろう。

鎖塚の土饅頭と供養碑

2020年頃には正しい1891年表記へ戻した記事も増えたが、鎖の音と男性の霊という組み合わせはそのまま残った。動画では、視聴者が同じ場面を繰り返し確認できる一方、「ここに声がある」「この影が顔だ」というコメントが次の視聴者の見方を決めることもある。

私の昼動画も現地紹介の一つとして参照されている。だが、夜に聞いた声は映像を公開していないため、今のところ私以外には検証できない。これは隠すべき弱点ではなく、体験談と公開資料を分けるために明記しておくべき点だと思う。

鎖塚の土饅頭と供養碑

現在の怪談は、まず史実の鎖塚があり、地域で「重い場所」として知られ、掲示板や個人サイトを通じて作業服姿の男と鎖の音が結びついたものと考えられる。たった一人の創作者が作った話でもなければ、掲載されたすべてが独立した証言でもない。史実の上に、長い時間をかけて怪談の輪郭が描かれていった。

7. 総合分析

鎖塚では、怪談の背景にある主要な出来事が実在する。1891年の中央道路工事、囚人約1100人の動員、200人を超える犠牲、沿道への埋葬、墓標代わりの鎖、三基の塚、地域による慰霊。ここまでは公的資料や博物館の解説で追える。

ただし、悲惨な歴史が本当だから、夜に現れる霊も本当だということにはならない。鎖の音や作業服姿の男を紹介するページの多くは、同じ誤記を含む文章を転載している。数だけ見れば多くの証言があるようでも、源流はずっと少ない可能性が高い。

現地で鎖に似た音が生まれる条件もある。砂利を踏む動物、地面を擦る枝、車の金属部品、風で揺れる設備。斜面と木立の中では方向が分かりにくい。そこへ「鎖塚」という名前と歴史を知って入れば、曖昧な音を鎖として聞く準備ができている。

鎖塚保存会が守る慰霊地

私の体験も、その影響から自由ではない。耳元のうめき声と呼び声は今もはっきり覚えているが、音源を確認できず、映像も再検証できていない。だから「聞いた」というところまでは書けても、「囚人の霊だった」とは書けない。

鎖塚保存会が守る慰霊地

それでも、何もなかった場所とは思えない。証明できる怪異があるという意味ではなく、夜の短い声が、その後も映像を見返せないほど残っているからだ。調査とは、必ずしもきれいな結論を持ち帰ることではないのだと思う。

鎖塚でもっとも確かなのは、地域の人々が長年ここを守り、名前の残らなかった死者を弔ってきたことだ。「最恐」という一言だけでは、その営みが見えなくなる。怪談を追うにしても、最後に立ち戻るべきなのは塚と供養碑の前だろう。

8. 注意とアクセス

  • 所在地は北海道北見市端野町緋牛内842番地8。座標は北緯43.883333度、東経144.018167度。
  • 北見市が案内する指定文化財であり、中央道路開削の犠牲者を弔う場所。供養碑、観音像、六地蔵、塚、供物には触れないこと。
  • 正規の経路、現地標識、管理者の指示を優先し、私有地、農地、林内へ無断で入らないこと。
  • 車やバイクは道路、曲がり角、農地の出入口へ停めず、通行を妨げないこと。
  • 旧道周辺は夜間に暗く、路肩、凍結、積雪、低温、野生動物、接近車両の危険がある。明るい時間帯の短時間見学が望ましい。
  • 塚へ上がる、石碑へ機材を載せる、大声で呼びかける、霊を挑発する、強い照明を長時間当てる行為は避けること。

※本記事は肝試しや無断立入りを勧めるものではありません。現地のルールを守り、慰霊地と近隣住民への配慮を最優先してください。

9. 引用・参考

  • 北見市「端野町歴史民俗資料館:中央道路と鎖塚」:www.city.kitami.lg.jp/administration/education/detail.php?content=8046
  • 博物館 網走監獄「第3話 囚人が開いた土地」:www.kangoku.jp/history-culture/prison-stories/3
  • 北海道道路管理技術センター「北海道道路史上における悲惨な事例 北見道路」:rmec.or.jp/wp-content/uploads/2016/03/vol03-36-37.pdf
  • 北見市観光協会「鎖塚」:kitamikanko.jp/spot/960/
  • 北海道文化資源データベース「北見市立端野町歴史民俗資料館」:www.northerncross.co.jp/bunkashigen/parts/4525.html
  • KURU KURA「怖くて悲しい歴史がある心霊スポット5選」:kurukura.jp/article/200902-70/
  • 全国心霊マップ「鎖塚」:ghostmap.jp/spotdetail.php?spotcd=610
  • 心霊スポットスレまとめ「北海道 Part1」:psychic-spot.chobi.net/Hokkaido/Hokkaido1.html
  • 怖くて眠れない話「心霊スポット北海道」:kyouhu2010.blog129.fc2.com/blog-entry-168.html
  • グッチ北のジャイアン「心霊スポット 北海道北見 鎖塚」:9286293070.amebaownd.com/posts/2692434/
  • コジツケ君がゆく「鎖塚」:ameblo.jp/kojitukekun/entry-12953545318.html
  • ハッシー27のブログ「旅1430 鎖塚と殉難慰霊の碑」:0743sh0927sh.seesaa.net/article/502002784.html
  • BJTP「北海道最強危険心霊スポット 行ってはいけない10選」:bjtp.tokyo/hokkaido-sinrei-spot/

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