1. 導入
埼玉県羽生市本川俣に、「化けトン」と呼ばれる小さなトンネルがある。

正式には、東武伊勢崎線の線路をくぐる歩行者用隧道だ。埼玉県の資料では「東武伊勢崎線軌道土盛りの歩行者用隧道」と紹介されている。利根川はすぐ近く、線路はトンネルの先で堤防へ上がり、そのまま群馬県側へ渡っていく。周囲には住宅や田畑があり、東側には千手院と墓地がある。

山奥の廃隧道ではなく、今も人や自転車が通る生活道だ。それでも「後ろから足音が近づく」「兵隊の姿が出る」「男性の霊を見た」といった噂があり、心霊スポットとして知られている。
ところが由来を調べると、幽霊より先にムジナが出てきた。羽生市が紹介する昔話では、ムジナが人やさまざまなものに化けて遊んだとされる。現在の兵隊や男性の霊よりも、化けトンの古い怪異はこちららしい。
さらに話を追うと、埼玉県側にあった初代川俣駅、利根川橋梁、近くの煉瓦窯、昭和の引堤工事、子どもたちが呼んだ別の「おばけトンネル」まで出てくる。短いトンネルだが、土地の記憶は驚くほど多い。
私はスーパーカブで本川俣へ向かい、入口や内部、煉瓦とコンクリートの継ぎ目を撮影した。化けトンはなぜその名で呼ばれるようになったのか。まずは明治時代の鉄道史から見ていく。
2. 史料と歴史
この隧道が造られたのは1906年、明治39年。埼玉県景観資源データベースと羽生市の資料に建設年が記されている。

小規模ながら、表面には端正な煉瓦アーチが残る。内部は長手と小口を交互に見せるイギリス積みで、入口には色の濃い焼過煉瓦が使われたとする観察もある。明治の煉瓦が、現在も現役の鉄道を支えている。
トンネルが必要になった理由は、東武伊勢崎線と利根川の歴史をたどると分かる。
東武伊勢崎線は1903年4月23日、加須から川俣まで開通した。当時は利根川橋梁がなく、川俣駅は現在の群馬県側ではなく、羽生市本川俣の堤防下に置かれていた。列車を降りた先で渡船に乗り、利根川を渡る時代だった。
1906年2月、川俣から足利町までの延長工事が始まり、翌1907年8月27日に全長549メートルの利根川橋梁が開通した。川俣駅は群馬県側へ移転し、埼玉県側の初代駅は約4年で役目を終えた。
化けトンは、鉄道が堤防と橋梁へ向かって上っていく土盛りの下に造られた歩行者用隧道だ。埼玉県の資料では所有者を東武鉄道株式会社としている。文化財指定はないが、県の景観資源に登録され、羽生市も近代化遺産として紹介している。
近くには、トンネルの煉瓦を製造した工場があったという話も残る。田山花袋の作品には旧川俣駅近くの粗末な煉瓦工場や、窯の跡と赤い煉瓦が草に埋もれた景色が描かれている。
ただし、そこで焼かれた煉瓦が実際にトンネルへ使われたかどうかは分からない。羽生おばけトンネル研究会は、工事監督や品質、窯の規模、出荷記録などから、地元産ではなかった可能性も指摘している。煉瓦だけでなく、瓦や土管を焼く窯だったという見方もある。
現在の隧道は、1906年の姿そのままではない。利根川では1957年から1965年にかけて羽生・千代田引堤工事が行われた。堤防を後ろへ移して川幅を広げ、東武伊勢崎線の橋梁を約100メートル延長し、線路も約1.2メートル高くした。

1992年には羽生駅から川俣駅までの複線化が完成し、新しい橋梁が加わった。トンネルもコンクリートで延長され、嵩上げされている。短い内部には、明治の煉瓦、昭和の河川工事、平成の複線化が継ぎ足された跡が残っている。
3. 噂が育つ土壌
化けトンの東側には千手院と墓地がある。明治17年の迅速測図にも、この付近に墓地を示す記号があり、鉄道より先に墓地が存在していたことが分かる。

本川俣墓地には、1329年の銘を持つ阿字一尊種子板碑も残る。胎蔵界大日如来を表す梵字「ア」が刻まれた、鎌倉時代後期の板碑だ。土地の記憶は、明治の鉄道より何百年も古い。
墓地があるから幽霊が出るわけではない。それでも夜の煉瓦隧道、隣接する寺と墓地、頭上を通過する列車という組み合わせは、怪談が生まれやすい。

トンネルは短く、入口から反対側が見える。それでも内部へ入ると、自分の足音や話し声が反響する。煉瓦部分と後年のコンクリート部分では響き方も変わる。頭上の列車が近づけば、まずレールと土盛りから低い振動が伝わり、通過時には大きな音が天井から落ちてくる。後ろから足音が迫るという噂とよく合う環境だ。

利根川に近い平坦な土地で、周囲には田畑と堤防が広がる。山の岩盤へ掘られたトンネルではなく、鉄道土盛りを抜く穴なので、列車、車、風の音が入口から入り、思わぬ方向へ響く。
古い時代、この辺りには今より水田や草地、雑木林が多かった。正体の分からない音や人影は、幽霊ではなくムジナのいたずらとして語られたのだろう。人へ化ける、葬列を真似る、終電の頃に現れる。時代が変わるにつれて、説明に使われる怪異もムジナから兵隊や男性の霊へ変わったのかもしれない。

そして「おばけトンネル」という名前自体が、見る側を先回りして怖がらせる。普通の煉瓦隧道と聞いて訪れるのと、化けトンへ向かうのとでは、同じ足音でも意味が違って聞こえる。
4. 現地調査
スーパーカブで本川俣へ向かうと、東武伊勢崎線が利根川の堤防へ上がっていく途中に、小さな隧道が見えてくる。

最初の印象は、本当に小さいということだった。人や自転車が通るための穴なので、自動車用トンネルのような幅も高さもない。心霊スポットとしての名前だけ聞いて来れば、拍子抜けするかもしれない。
近くで見ると、明治の煉瓦アーチがきれいに残っている。奥へ進むとコンクリート部分へ変わり、上部には嵩上げの跡も見える。建設年代の異なる部分を隠さず継ぎ足しているため、トンネルの履歴を目で追える。

撮影では入口、内部、煉瓦とコンクリートの境目を記録した。古い煉瓦側だけでなく、反対側へ回ると増設部分との違いがよく分かる。

頭上は現役の東武伊勢崎線だ。線路内や鉄道用地、法面へ入ってはいけない。廃線跡ではなく、現在も列車が走る場所である。
東側の千手院と墓地も、今も管理され墓参りに使われている。墓石や供物を心霊写真の小道具にしたり、強い照明を向けたりする場所ではない。
トンネル内では、自分の足音、外を通る車や人の音、頭上を走る列車の振動が混ざる。後ろから足音が来るという噂を知っていれば、どの音も気になるだろう。

今回の記録には、現地で兵隊を見た、特定の声を聞いた、機材に異常が出たという内容はない。動画と写真に残っているのは、隧道の構造と周辺の景色だ。それだけでも十分に見応えがある。
狭い生活道なので、三脚や機材で通路を塞がず、人や自転車が来たらすぐ道を空ける必要がある。短いから安全というわけではない。上には線路、横には墓地、周囲には日常生活がある。
この場所の現地調査動画を見る埼玉県心霊スポット『本川俣の化けトン』 #心霊 #心霊スポット

5. 語られている怪異
現在もっとも広く知られているのは、一人で歩いていると後ろから別の足音が近づき、振り返っても誰もいないという話だ。狭い内部で音が反響する構造とも重なる。
兵隊の霊や、軍服姿の男性が現れるともいわれる。ただし、誰がいつ語り始めたのか、どの戦争と結び付けられたのかは不明だ。周辺の戦没記録や、トンネルで兵士が亡くなったという資料にはつながらない。
心霊サイトでは男性の霊という分類も見られる。服装、年齢、出現位置は一定せず、兵隊の噂を一般的な男性の霊としてまとめた可能性もある。
トンネル脇の墓地から霊が来るという話もある。墓地が鉄道より古く、入口から近いため結び付いたのだろう。特定の墓や故人を由来とする話は確認できなかった。

古い地域伝承では、ムジナが人やさまざまな物へ化けて遊んだため、化けトンと呼ばれるようになったとされる。羽生市の都市づくりフォーラムにも紹介される由来で、心霊サイトから生まれた話ではない。

終戦が近い頃、千手院付近で終電車とムジナをめぐる怪談が語られたともいう。羽生市が電子復刻する「羽生昔がたり」第1話は「終電車の怪」だが、話の中に現在のトンネル名は出てこない。

ムジナたちが地元名士の葬式を真似し、棺を担いで葬式ごっこをしたという昔話も残る。現在の足音や兵隊の噂とは、ずいぶん雰囲気が違う。
さらに、利根川の古い鉄橋近くに撤去されず残った別のトンネルがあり、子どもたちがそこを「おばけトンネル」と呼んだという証言もある。現在の煉瓦隧道とは別物で、呼び名が移った可能性がある。

撮影中に不可解な音が入った、カメラへ何かが映ったという動画や投稿もあるが、列車、反響、虫、車、人の通行など条件が異なり、同じ現象とは確認できない。

今の噂では兵隊が主役だが、古い記録ではムジナが主役だった。この入れ替わり自体が、化けトンらしい変化に思える。

6. 噂の出どころを追う
化けトンの源流を一つに決めるのは難しい。「おばけトンネル」と呼ばれた穴が、周辺に一つだけではなかったためだ。
羽生おばけトンネル研究会が集めた証言では、利根川の古い鉄橋近くにトンネルだけが取り残された場所があり、子どもたちはそこをおばけトンネルと呼んでいた。羽生・千代田引堤工事で周辺は大きく変わり、その構造物も昭和40年代までに撤去されたと推定されている。
郷土史研究家の話では、さらに以前から別の場所で「おばけトンネル」という言葉が使われていたという。現在の煉瓦隧道だけを見て、墓地の横だから昔からそう呼ばれたと決めることはできない。

怪談そのものは古い。羽生市の「羽生昔がたり」は1984年、第1話「終電車の怪」から刊行された。舞台は千手院の近くでムジナも登場するが、「おばけトンネル」という言葉は出てこない。
2003年刊行の第19巻には、ムジナが地元名士の葬式を真似た話が載る。2005年3月の第21巻「ムジナもんのつぶやき」では、ムジナが化けて出ることと、おばけトンネルの呼び名が明確に結び付けられた。
同年9月、羽生市の都市づくりフォーラムが近代化遺産としておばけトンネルを紹介した。明治39年の煉瓦隧道、旧川俣駅、煉瓦工場、ムジナの由来が自治体のページで一つになり、呼び名が広く定着したと考えられる。

それ以前にも、2002年から2003年頃の掲示板には心霊スポットとしての書き込みがあり、「15年から20年前にテレビへ出た」という投稿もあったという。番組名や放送日は確認できないが、1980年代のテレビ番組で紹介された可能性はある。

1970年代のオカルトブーム、1980年代のテレビ、2000年代初頭の掲示板、2005年の郷土資料と市の紹介、その後の心霊サイトと動画。呼び名と怪談が広がった大まかな順序は見えてくる。

一方、兵隊の霊がどこで加わったのかは分からない。古い地域伝承の中心はムジナで、隧道建設や利根川橋梁、引堤工事の資料にも兵士の死亡は出てこない。「終電車の怪」の時代設定から軍服姿を連想したのか、古い煉瓦と墓地へ兵隊話が後付けされたのか。いずれも推測の域を出ない。

ムジナは地域の昔語り、足音と男性の霊は心霊サイトで広まった噂、兵隊は出どころ不明。それぞれを同じ古さの伝承として扱わないほうがいい。
7. 総合分析
本川俣の化けトンは、特定の事件や死者を理由に怖がられてきた場所ではない。確認できた公的資料や地域資料には、トンネル内の死亡事故、殺人、兵士の死は出てこなかった。

代わりにあるのは、長く重なった土地の記憶だ。鉄道より前からあった千手院と墓地。利根川を渡れず埼玉側で止まっていた初代川俣駅。橋梁開通後わずか数年で群馬側へ移った駅。田山花袋が書いた煉瓦窯、昭和の引堤工事、そして何にでも化けるムジナ。
古い駅と工場、別のトンネルは消えた。それでも煉瓦隧道だけは残り、消えたものの話がこの穴へ集まったように見える。
「おばけトンネル」という名前も、最初から現在の場所だけを指していたとは限らない。別の穴を子どもがそう呼び、テレビや掲示板で心霊スポットとして語られ、郷土資料がムジナ伝承と結び、市が近代化遺産として紹介した。どこからが昔話で、どこからが後付けなのか、簡単には切り分けられない。

私は兵隊の霊よりも、ムジナのほうがこの土地には似合うと思う。水田と雑木林が広がっていた頃、終電の近くで人影を見て、あとからムジナの仕業だったと笑う。こちらのほうが本川俣の景色に馴染む。
兵隊の噂も、怪談が時代に合わせて姿を変えたものと考えれば理解できる。ムジナを知らない人にも、軍服の人影や追いかける足音ならすぐ怖さが伝わる。怪異そのものまで化けたわけだ。

現地の音も噂を支えている。煉瓦とコンクリートで変わる足音の響き、頭上を通過する列車、入口から入る外の音。誰もいないと思っているほど、音の方向を誤りやすい。

それだけで何十年も名前が残ったわけではない。トンネルの形、墓地、ムジナ、旧駅、消えた構造物、テレビ、掲示板、動画が少しずつ働いている。大事件の怨霊ではなく、地域の昔話と近代化遺産が現在の心霊スポットへ化けた場所だ。
怖い雰囲気はあるが、もう一度見るなら幽霊より煉瓦を見たい。明治のアーチと後年のコンクリートの継ぎ目、旧川俣駅があった方向、線路が堤防へ上っていく形まで見ると、小さな隧道が急に大きな歴史を持って見えてくる。

8. 注意とアクセス
- 名称:本川俣の化けトン、本川俣のおばけトンネル
- 資料上の名称:東武伊勢崎線軌道土盛りの歩行者用隧道
- 所在地:埼玉県羽生市大字本川俣1002付近
- 座標:北緯36.186694、東経139.529333
- 形状:東武伊勢崎線の土盛りを抜ける小規模な歩行者用隧道
- 竣工:1906年、明治39年
- 所有者:東武鉄道株式会社
- 交通:西羽生駅から徒歩圏
頭上は現役線のため、線路内、鉄道用地、法面へ立ち入らず、列車へ照明を向けないこと。狭い生活道なので、三脚や機材で塞がず、歩行者や自転車の通行を優先する。

東側の千手院と墓地では、無断立入り、墓石や供物への接触、墓参者の撮影、強い照明、大声を避ける。雨天後や利根川増水時は周辺の状況を確認し、危険を感じた場合は近づかないこと。
※本記事は肝試し等の行為を助長するものではありません。
心霊スポットとされる場所の多くは私有地や立入制限区域を含む場合があります。
必ずルールとマナーを守り、近隣住民への配慮を忘れずに。
9. 引用・参考
- 埼玉県景観資源データベース「東武伊勢崎線軌道土盛りの歩行者用隧道」 www.pref.saitama.lg.jp/documents/63675/1121609003.pdf 1906年竣工、所在地、所有者、煉瓦造り、旧川俣駅と周辺工場に関する説明を確認した公的資料。
- 羽生市「都市づくりフォーラム 第13回」 www.city.hanyu.lg.jp/docs/2012040100242/file_contents/2012040100242_www_city_hanyu_lg_jp_kurashi_madoguchi_matidukuri_01_life_09_mati_tosikei_forum_forum0509.pdf 近代化遺産としてのおばけトンネル、明治39年の建設、ムジナが化けたという呼称由来を確認した自治体資料。
- 羽生市「羽生昔がたり」 www.city.hanyu.lg.jp/docs/2010090700047/ 1984年から刊行された地域の昔語りと、第1話「終電車の怪」、ムジナに関する公開状況を確認した自治体資料。
- 群馬県明和町「東武伊勢崎線川俣駅の変遷」 www.town.meiwa.gunma.jp/life/soshiki/seisaku/5/ekihen/2249.html 1903年の埼玉側川俣駅開設、1907年の利根川橋梁開通と駅移転、1992年の複線化を確認した自治体資料。
- 国土交通省関東地方整備局「利根川・江戸川 直轄河川改修事業」 www.ktr.mlit.go.jp/ktr_content/content/000688654.pdf 昭和32年から40年の羽生・千代田引堤工事と、利根川中流部の治水事業を確認した公的資料。
- 羽生おばけトンネル研究会「羽生のおばけトンネルとは」 process.hanyuobaketunnel.com/page1.html トンネルの改修履歴、明治期の地図、ムジナ伝承、複数のトンネル起源説、掲示板とテレビによる呼称定着、煉瓦工場をめぐる考察を確認した地域研究サイト。
- 全国心霊マップ「本川俣のお化けトンネル」 ghostmap.jp/spotdetail.php?spotcd=2381 男性の霊、後ろから近づく足音、兵隊の霊という現在流通する噂を確認した投稿型心霊サイト。
- 埼玉交通情報「羽生市:お化けトンネル」 www.knet.ne.jp/~ats/t/hist/s4/obake.htm 墓地との近接、煉瓦造り、旧川俣駅に触れた早期の個人運営交通・史跡情報サイト。
- 「本川俣墓地 阿字一尊種子板碑」 kawai24.sakura.ne.jp/saitama-hanyu-honkawamataboti.html 千手院前の墓地に残る1329年銘の板碑について確認した石造物調査サイト。


