帰宅したのは日が暮れた頃だった。
千葉の家に戻ってカブを止めて、装備を外して、シャワーを浴びた。それだけのことで体の力が抜けた。集落跡からの帰り道、迂回路を下りながらずっと後ろを気にしていた。振り返るたびに何もなかったが、首の後ろの感覚が家に入るまで消えなかった。
夕飯を食べながら、撮影した動画と写真を確認した。
動画は集落跡での三分間を含めて四十分近くある。再生すると、崩落箇所を越えてからの映像がほとんどだ。旧道の苔と崖の風景、集落跡の石垣、残った建物の外観。裏手に向けた三分間は、現地でも確認した通り、音が入っていなかった。
静止画は七十三枚あった。
順番に送っていく。入口の貼り紙、バス停の案内板、崩落箇所、集落跡の全景。残った建物を四方向から撮ったもの。
六十一枚目で手が止まった。
旧道の入口を撮った写真だった。
今日の帰り道に撮ったものだと思った。旧道の入口から外を向いて、県道側を撮った写真がある。それとは別に、もう一枚あった。
旧道の内側から、外を向いて撮った写真だ。
外側に止めたカブが映っている。入口の支柱と、貼り紙と、その向こうに止まっているカブ。県道の路面まで見えている。
入口の内側から撮ったということは、旧道の中に入って撮ったということだ。
今日、自分がそういう写真を撮った記憶がなかった。
記憶がないだけで、撮ったのかもしれない。バス停を確認したあと、入口の状況を記録しようとして、内側から一枚撮ったのかもしれない。無意識にシャッターを切ることはある。
写真のデータを確認した。撮影時刻が出る。
午後一時四十七分。
その時刻に私は迂回路を登っていた。集落跡に着いたのが一時過ぎだった。入口に戻ってきたのは三時を回っていた。
一時四十七分に入口にいるはずがない。
もう一度、前後の写真と時刻を照合した。一時台の写真はそれだけだった。
撮っていない。
では誰が撮ったのか。
私のスマホで、私のフォルダに入っている。
他に誰かが入口にいたとすれば、私がいない間に旧道の内側から外を向いてシャッターを切ったということになる。そんな人間がいたのなら、迂回路で出会っていてもおかしくない。あの踏み跡を通れば集落跡に行き着く。私とすれ違わずに済む道は、旧道の崩落区間だけだ。崩落していて通れない。
ただそれは人間の話だ。
写真をもう一度開いた。
カブが映っている。入口の支柱が映っている。貼り紙が映っている。
貼り紙に書いてある文字を読んだ。
「ここより先に入らないでください 集落の者より」
ここより先に入るな、という貼り紙だ。
私はそれを四回無視した。
第二話でおじいさんが言っていた言葉を思い出した。
「引き返さなかった人間の話は、あまり聞かん」
私は引き返している。毎回、入った後で戻ってきている。引き返さなかったわけではない。
だがよく考えると、おじいさんはそこから先を言わなかった。
引き返さなかった人間がどうなったか、知らないと言った。それだけだ。
引き返した人間がどうなったかは、言わなかった。
スマホの画面を閉じた。
その夜は早く寝ようとしたが、眠れなかった。
理由はうまく説明できない。布団の中で、天井を見ていた。この家は築四十年を超えている。夜になると柱や床が音を立てることがある。それは知っている。慣れている。
午前二時を過ぎた頃、スマホが光った。
アルバムのアプリから通知が出ていた。
「新しい写真が追加されました」
開いた。
真っ暗な写真が一枚、追加されていた。
暗すぎて何も見えない。ただの黒い画像だ。撮影データを確認すると、撮影時刻は午前二時十三分だった。


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