一件の通報から始まった騒動
1944年8月31日夜、イリノイ州マトゥーンで、地元の有力者アーバン・ラエフ夫妻が就寝中に「甘ったるい、安っぽい香水のような匂い」を感じ、体が麻痺したと警察に通報した。これが後に「マッド・ガッサー・オブ・マトゥーン(マトゥーンの狂気さん)事件」として全米を騒がせる、アメリカ集団ヒステリー史上最も有名な事件の発端であった。
翌日9月1日にはアリーン・カーニーと娘が同様の症状を訴え、その夜、夫は「背の高い男で、暗い色の服と黒い帽子」の不審者を目撃したと証言した。この目撃情報が、後の「マッド・ガッサー」像を形作ることになる。
拡大する被害報告と街のパニック
以降、マトゥーン市内では奇妙なほど類似した被害報告が相次いだ。被害者たちは口を揃えて、甘い匂いを感じた直後に下半身から麻痺が広がり、唇や喉の痛み、吐き気、脱力感に襲われたと証言した。ノース21番街のある家の玄関には白い布と空の口紅ケース、合鍵が落ちていたこともあり、布は分析に回されたが症状を説明できる化学物質は検出されなかった。
市民は自警団を組織して武装し、警察はFBIの派遣を要請するほどの事態に陥った。地元新聞や全国メディアはセンセーショナルに報道し、後には報道そのものがパニックを助長したと批判されることになる。
警察の公式見解と事件の幕切れ
9月12日、マトゥーン警察署長C.E.コールは公式声明を発表し、原因は地元のディーゼルエンジン製造会社から揮発した四塩化炭素やトリクロロエチレンなどの工業溶剤であるとし、同時に多くの事例は「集団ヒステリー」の産物だった可能性を示唆した。最後の被害は9月13日、被害者は「男装した女性」を目撃したと証言し、現場には女性用ハイヒールの足跡も発見されている。これを最後に、犯人は消息を断った。
有力な容疑者と未解決のまま
2003年、地元の化学教師スコット・マルナは著書「The Mad Gasser of Mattoon」で、犯人はファーリー・ルウェリンというアマチュア化学者だったと主張した。ルウェリンは地元食料品店経営者の息子で変わり者として孤立しており、大学で化学を専攻し自宅に実験室を持ち、事件前に爆発事故を起こしていた。背が高く痩せ型で、目撃情報と一致する人物像だったとされるが、確実な証拠は得られていない。
実はこの事件には先例がある。1933年にバージニア州ボトートート郡でも、似たような「謎のガス携帯者」事件が発生しており、アメリカの小都市には周期的にこうした「見えない毒ガス」の恐怖が訪れていたことがわかる。
集団ヒステリーという現象
マトゥーン事件は、現代の社会心理学で「心身症状集団発症(Mass Psychogenic Illness)」の教科書的事例として頻繁に取り上げられている。戦時下の緊張した世相、センセーショナルな報道、既に何かを体験した人間の証言が新たな不安を呼び、さらに新しい「被害者」を生むという連鎖が発生する。
日本においても1979年の「口裂け女」パニックのように、子供たちを中心に口伝とメディア報道が相互作用して地域全体を巻き込む集団心理現象が発生した例がある。時代や国を問わず、不安と情報不足の中で人間の知覚がどのように相互に影響し合うかを示す事例として、両事件は比較される。
現代に残す問い
マトゥーン事件が現代人に突き付けるのは、実際に何かが起きていたのか、それとも不安の連鎖反応だけが存在したのかを、今もって完全に切り分けられない点にある。化学工場からの揮発という合理的説明、単一犯人説、そして心理的伝染説――いずれも完全には矛盾を解消しない。だがだからこそ、この事件は不安と情報が人間の知覚をどこまで曲げうるかを示す、謎を含んだままの教訓談として語り継がれ続けている。
Was The ‘Mad Gasser Of Mattoon’ A Poison-Wielding Maniac―Or A Mass Delusion?|All That’s Interesting
