富本銭と和同開珎――「日本最古の貨幣」をどう定義するか

発見が変えた通説

かつて和同開珎(708年)が日本最古の流通貨幣として広く紹介された。飛鳥池遺跡で富本銭、鋳型、鋳棹、未製品がまとまって出土し、7世紀後半の国家的工房で鋳造されたことが明確になった。

確認事実

飛鳥池工房は金・銀・銅・鉄・ガラス・漆製品を生産し、天武・持統朝の紀年木簡や皇族名、資財管理関係木簡が出土する。富本銭の七曜文と「富本」文字、製造工程が考古学的文脈で確認できる。

未解決点

富本銭が給与・交易に広く流通したのか、儀礼・厭勝・限定決済に使われたのか、価値単位と発行範囲は十分に確定していない。「最古の鋳造貨幣」「最古の流通貨幣」「貨幣的青銅品」は定義が違う。無文銀銭などとの前後関係も区別する。

2026年の更新

奈良文化財研究所保管の飛鳥池遺跡出土品は、2026年3月に国宝指定の答申。指定手続の段階(答申/官報告示)も記事日付と併記する。

公的資料

「日本最古」が入れ替わった日

長い間、日本で最初の本格的な貨幣は、708年に発行された和同開珎だと説明されてきた。教科書や博物館でも、和同開珎は古代国家が作った最初の銭として知られていた。ところが、奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から、和同開珎より古い時期に鋳造された富本銭と、その製造を示す鋳型、鋳棹、未完成品がまとまって見つかった。

発見によって、「最古の貨幣」という言葉の中身を分ける必要が生じた。国内で鋳造された時期が最も古い銭なのか、国家が公式に発行した最初の銭なのか、広い地域で物の売買に使われた最初の銭なのか。富本銭と和同開珎は、同じ問いへの競争相手ではなく、貨幣制度が形になる別の段階を示す。

奈良文化財研究所は、飛鳥池遺跡の富本銭を、和同開珎に先行する「我が国最古の鋳造貨幣」と説明している。一方、和同開珎が古代国家によって大量に発行され、各地へ広がった重要性は失われない。見出しだけを「最古が覆った」で終えると、発見が本当に変えた歴史像を取り逃がす。

飛鳥池遺跡という巨大工房

飛鳥池遺跡は、飛鳥寺の南東、飛鳥浄御原宮に近い場所にある。1991年に遺跡が確認され、1997年から1999年の発掘調査で、7世紀後半を中心とする大規模な工房群の姿が明らかになった。金、銀、銅、鉄、ガラス、漆、瓦など、異なる素材を扱う生産施設が同じ区域へ集められていた。

炉、坩堝、羽口、鋳型、金属片、失敗品、研磨具といった遺物は、完成品だけでは分からない製造工程を伝える。富本銭も一枚だけ偶然落ちていたのではない。鋳型、枝状につながった鋳棹、切り離す前後の未製品があるため、この場所で実際に鋳造したことを確認できる。

木簡には天武・持統朝の年紀、皇族名、物資管理に関わる記述があり、工房が王宮や寺院の需要と結びついた国家的施設だったことをうかがわせる。約8000点に及ぶ木簡が出土したとする報告もあり、工人の作業場だけでなく、材料と製品を管理する行政組織があった。

飛鳥池遺跡の技術には、朝鮮半島との類似も指摘される。新羅土器、ガラス製造、金属加工などを一つずつ比較し、工人の移動や技術伝播を検討する。ただし、似た技法があるから特定の国の職人集団がそのまま移住したと断定はできない。原料、工具、製品の系譜と文献を合わせて考える必要がある。

富本銭の形

富本銭は中央に四角い穴を持つ円形の銅銭で、表面に「富本」の二字と、上下に七つの星を表したとされる文様がある。円形で方孔を持つ形は中国銭の伝統につながる。文字と文様の配置には、富や生命を願う吉祥的、呪術的な意味を読む説もある。

「富本」という銭文が何を意味するかは、完全には決着していない。富の根本、国家の富を願う語と解釈できる一方、典拠や読み方をどこまで確定できるかは議論がある。七曜文も星辰信仰や陰陽思想と結びつけられるが、具体的な使用場面を直接記す文書はない。

貨幣の形をしているから、現代の硬貨と同じように店で値札どおり支払ったとは限らない。古代東アジアの銭形品には、流通銭、儀礼用、墓への副葬、厭勝銭、地鎮具など多様な役割がある。富本銭がどの範囲で、何と交換され、価値をどう数えたかを示す記録は乏しい。

飛鳥池で製造痕がまとまって見つかったことは、国家的な生産を強く示す。しかし「国家が作った」と「全国で日常的に流通した」は同じではない。出土分布、摩耗、まとまった埋納、ほかの物価記録を調べて、使用の実態を判断する。

『日本書紀』の「銅銭」

『日本書紀』天武天皇12年(683年)の条には、今後は銅銭を用い、銀銭を用いてはならないという趣旨の記事がある。和同開珎の発行より25年前であるため、ここに記された銅銭が何だったのかが長く問題になってきた。

飛鳥池遺跡の富本銭が7世紀後半にさかのぼるなら、この「銅銭」の有力候補になる。ただし、文献は銭の名を「富本」と書いていない。記事の年代、遺構の年代幅、富本銭の製造と使用期間を合わせると整合的だが、同一物だと銘文で証明されたわけではない。

同じ条文では、銀銭との関係も問題になる。和同開珎以前には、文字や文様を持たない無文銀銭が使われた。銀の地金価値で量る秤量貨幣だったのか、一定の形と重さを持つ計数貨幣だったのか。銅銭への切り替え命令が実際にどれほど徹底したかも分からない。

富本銭を「天武朝の公式通貨」と呼ぶ場合、この文献比定を前提にしている。確定事実は、飛鳥池遺跡で7世紀後半の国家的工房から富本銭の生産資料が出たこと。文献との対応と流通範囲は、その次の検討段階である。

和同開珎が作られた708年

『続日本紀』は、708年に武蔵国から和銅が献上され、元号を和銅へ改めたこと、銀銭と銅銭を発行したことを記す。銭名そのものは正史に明記されないが、現存する和同開珎銀銭、銅銭と記事を対応させるのが一般的である。

銭文は「和同開珎」と読む。「珎」を「宝」の異体字として「わどうかいほう」と読むか、「珍」として「わどうかいちん」と読むか、読み方には議論が続く。古代人が日常会話で何と呼んだかを直接記す仮名資料がないためだ。どちらかを絶対の正解として、別の読みを誤りと切り捨てることは難しい。

初期の和同開珎には銀銭と銅銭があり、書体や製作の違いから「古和同」「新和同」などに分類される。分類名は研究上のもので、発行当時の人がそう呼び分けたわけではない。鋳型の系統、金属組成、出土する遺構の年代を合わせ、製造時期と場所が研究されてきた。

政府は銭を役人への禄に用い、売買に使わせ、銭を蓄えた者へ位を与える政策まで行った。私鋳銭への重い罰も定めた。これらの記事は、銭が自然に広まったのではなく、国家が制度と罰則を使って流通させようとしたことを示す。

なぜ人々は銭を使わなかったのか

貨幣を発行すれば、すぐ全国の市場で使われるわけではない。品物を米や布で納め、交換する仕組みが根づく地域では、銅片に一定の価値があると皆が信じる条件が必要になる。銭で税を納められる、役所が銭で支払う、別の商品へ交換できるという循環がなければ、受け取る利点は小さい。

『続日本紀』に銭の使用を促す命令や蓄銭叙位令が繰り返し現れること自体、流通が思うように進まなかったことを示すと読める。私鋳銭が増えれば品質の低い銭が混じり、公定価値への信頼も揺らぐ。銀銭と銅銭の交換比率を変更した記事からも、政府が制度を調整した様子が分かる。

平城京造営の費用を銭の発行で調達しようとしたという説がある。政府が額面価値を持つ銭を作り、労働や資材の支払いに使えば、地金価値との差を財源にできる。しかし、実際にどれほどの利益が生じ、造営費の何割を賄ったかを示す会計帳簿はない。目的の一つとして論じられるが、単一の理由に固定はできない。

和同開珎は畿内だけでなく各地の遺跡から出土する。奈良文化財研究所のデータベースは、全国の出土遺跡を集成し、地域別の分布を比較できる。ただし、出土した一枚が市場で繰り返し使われたのか、儀礼で埋められたのか、持ち主が記念に保管したのかは遺構ごとに異なる。

出土場所で意味が変わる

住居跡や道路、役所、市場に関係する遺構から摩耗した銭が出れば、流通中に失われた可能性がある。墓、建物の柱穴、地鎮遺構からまとまって出れば、儀礼的に置かれた可能性が高い。河川や祭祀場の銭も、交換より奉献の役割を持ったかもしれない。

富本銭は出土数が和同開珎より少なく、分布も限られる。これを流通しなかった証拠とする見方がある一方、発行期間が短く、回収や再鋳造で残りにくかった可能性もある。銅は溶かして別製品にできるため、当時作られた総数と現存数は一致しない。

銭の摩耗も簡単な指標ではない。長く流通して磨り減ったのか、鋳造後の仕上げで表面が変わったのか、地中で腐食したのかを見分ける。金属組成の分析では鉛同位体比などから原料産地を探るが、古銭を再溶解していれば複数産地が混ざる。

「最古」を決めるには、銭そのものの年代だけでなく、出土した地層が動いていないかも確認する。後世の穴が古い層を掘り込めば、新しい銭が古い遺物と同じ高さから出ることがある。発掘状況の記録がない伝世品は、珍しくても年代証拠として弱い。

2026年の国宝指定答申

飛鳥池遺跡の主要出土品643点は、2025年に重要文化財へ指定された。さらに2026年3月26日、文化審議会は奈良文化財研究所が保管する「奈良県飛鳥池遺跡出土品」を国宝に指定するよう文部科学大臣へ答申した。富本銭だけでなく、鋳型、鋳棹、工具、木簡、ガラスや金属の生産資料を一括して評価した点が重要である。

文化財指定の記事では、「答申」と「指定」を区別する必要がある。文化審議会の答申後、官報告示を経て法的な指定となる。奈文研の2026年3月発表も、今後の官報告示に触れている。公開日現在の段階を確認せず「国宝になった」と書くと、手続を先取りする場合がある。

一括資料としての評価は、完成した富本銭一枚の希少性だけではない。原料から製品までの工程、工房の管理、東アジアの技術交流、律令国家形成を同じ遺跡で追えることにある。貨幣の誕生を、王の命令や一枚の珍品ではなく、生産組織全体から研究できる。

富本銭の発見で、和同開珎の価値が下がったわけではない。富本銭は国家が鋳造銭を試みた7世紀後半を示し、和同開珎は8世紀初頭に制度を広げようとした段階を示す。無文銀銭、富本銭、和同開珎を一本の順位表に並べるのではなく、素材の価値で量る貨幣から、国家が額面を保証する銭へ移る試行錯誤として読むと、「日本最古」という問いの奥行きが見えてくる。

鋳型から一枚の銭になるまで

古代の銅銭は、金属板を一枚ずつ丸く切って文字を刻んだものではない。鋳型へ溶けた銅合金を流し、枝状につながった複数枚を作る。冷えた後に鋳型から外し、枝から切り離し、外周や方孔の縁を整えて一枚の銭に仕上げる。飛鳥池遺跡では完成品だけでなく、鋳型、鋳棹、未完成品、工具があるため、工程を遺跡内で追える。

鋳型に同じ原型を押して作れば、文字や文様が似た銭を複数鋳造できる。それでも湯の回り方、鋳型のずれ、仕上げの削り方で一枚ごとの差が生じる。銭の書体差を年代や工房の違いへ結びつける際は、摩耗や腐食による変形も除かなければならない。文字が少し違うだけで、ただちに未知の銭種や別王朝の発行品とは決められない。

合金の配合は原料事情と再利用を映す。銅に含まれる鉛や錫などを分析すると製造群を比べられるが、古い銅製品を溶かして使えば組成は混ざる。鉛同位体比も有力な手掛かりである一方、単一の鉱山名へ機械的に結びつくとは限らない。製作技術、出土層、木簡年代と合わせて読むことで、七世紀後半の工房という位置づけが強くなる。

銭を作ることと信用を作ること

貨幣制度に必要なのは鋳造技術だけではない。受け取った銭を次の人も同じ価値で受け取るという信用、偽物を取り締まる仕組み、税や給与へ組み込む制度が要る。飛鳥池の工人が精巧な富本銭を作れても、それだけで全国的な市場は生まれない。和同開珎の時代に使用命令や蓄銭叙位令、私鋳への罰則が繰り返されたのは、国家が信用と流通を政策で育てようとした跡である。

富本銭と和同開珎の間には、技術上の連続と制度上の差の両方がある。前者を「失敗作」、後者を「完成品」と呼ぶのも適切ではない。富本銭が儀礼や限定的な支払いに使われた可能性、後の貨幣発行へ技術と発想を渡した可能性を検討できるが、用途はなお確定していない。分からない範囲を残すことで、発見以前の「和同開珎から突然始まった」という図より、国家形成期の試行がはっきり見える。

参照資料

  • https://www.nabunken.go.jp/news/2025/10/20251031press.html
  • https://www.nabunken.go.jp/news/2026/03/20260326press.html
  • https://www.nabunken.go.jp/asuka/kikaku/post-46.html
  • https://researchdb.nabunken.go.jp/wado/
  • https://heritagemap.nabunken.go.jp/statistic/148501-%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%B1%A0%E9%81%BA%E8%B7%A1%EF%BC%8F%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E6%B1%A0%E6%9D%B1%E6%96%B9%E9%81%BA%E8%B7%A1%EF%BC%8F%E9%A3%9B%E9%B3%A5%E5%AF%BA.html
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