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浅草十二階の怪――凌雲閣・自殺者・幽霊伝説

空へ伸びた塔が、なぜ怪談になったのか

明治のなかば、浅草の空に妙な建物が生えた。1890年に開業した凌雲閣だ。高さは約52メートル、階数は12。だから誰もが「浅草十二階」と呼んだ。

日本初の電動式エレベーターが動き、東京を一望する展望が売りになった。百美人のような興行も打っている。近代都市の象徴、というわけだ。

ところが後年の記憶はまるで違う。周辺の私娼街、飛び降り、塔の衰退、そして関東大震災の崩壊。この積み重ねが怪奇的なイメージを育てた。

先に断っておく。この話が挙げる「白い女」や「泣き声」の新聞記事は、探しても確認できない。かといって自殺記録を一切否定してしまうのも、それはそれで誤りなんだよな。

高さ173尺、煉瓦と木でできた見世物

明治23年、西暦でいえば1890年の開業になる。高さは173尺、いまの単位で約52メートル。10階までを煉瓦造で積み上げ、11・12階には木造の楼閣を載せていた。設計はウィリアム・K・バルトンといわれる。

塔のなかには日本初の電動式昇降機が据えられた。ところが、これが動かない。不調が続き、短期間で営業上の目玉を失ってしまう。

見どころは昇降機だけではなかった。展望台があり、店舗があり、休憩所があった。新聞縦覧室まで備えていたというから贅沢だ。絵画や写真、ジオラマの展示も並んでいた。

終わりは唐突に来る。1923年9月1日、関東大震災で上部が大破した。危険な残骸は爆破解体されている。

この塔がやったことは、要するに高いところから東京を見せたことだ。当時の人には新しい身体感覚だった。それを大衆へ配ってしまった。空へ伸びる近代技術には、期待と同じだけ不安がくっついている。怪談の舞台としては申し分ない。

動く箱に人が消える、という型

開業当時、昇降機そのものが珍しかった。機械で垂直移動する、それだけで立派な見世物になる。

その箱がすぐ止まった。故障が出て、安全性も怪しい。運用は長続きしなかった。閉じ込め、落下、無人で動く箱。後世の怪談へつなぐには、これ以上ない材料が揃ってしまう。

語られる型はだいたい決まっている。誰もいないのにエレベーターが動きだす。途中階で白い女が乗り込んでくる。最上階へ着いた客が姿を消す。

鏡に明治服の人物が映る、という版もある。震災の日の乗客の声がする、という版もある。ただし実際の事故記録と幽霊談は混ぜないほうがいい。この話は個別の故障も死亡事故も示していないからだ。

飛び降りた者たちは、いた

この話は妙な断言をしている。『警視庁史』には火災も自殺記録も載っていない、というのだ。ところが凌雲閣を扱った研究書『浅草公園凌雲閣十二階』は、目次に「飛び降りた自殺者たち」を掲げている。塔が自殺の場所として語られてきた歴史を、正面から扱った本だ。

つまり「自殺は一件もない」という反証は、そのままでは成立しない。

材料は揃っていた。高所からの飛び降り、夜の塔、喪服や白装束のイメージ。これが結びつけば、白い女や泣き声の伝説は勝手に育っていく。

もっとも、この話が持ち出す一節は怪しい。「1890年代の東京日日新聞に、白い着物の女が消えた記事がある」というやつだ。発行日も見出しも面も書かれていない。つまり誰にも確かめようがない。

塔の足元に広がっていた迷路

大正期の塔周辺には、「銘酒屋」と呼ばれる私娼店がぎっしり集まっていた。やがて「十二階下の女」という言い方が、そのまま私娼を指すようになる。

上を見れば華やかな展望塔、足元には貧困と性産業と迷路のような路地。この落差が、塔を「魔窟の塔」として記憶させた。

女性の失踪、無理心中、客引き、隠された秘密部屋。この手の物語は、そういう社会史的背景があれば自然に湧いてくる。とはいえ個々の事件は、警察や新聞記録で裏を取らないと何とも言えない。

火事で死んだ霊は、どこから来たのか

1923年の地震で塔は損壊し、周りは大火災に包まれた。映像や写真資料には、折れた塔と周辺火災がはっきり残っている。だから「十二階で火災はなかった」と言い切ったところで、関東大震災時の浅草火災と塔の損壊までは消せない。

一方で、1890年代の塔内火災で多数が死亡した、その霊が出る、という具体的伝説は見つからない。震災火災と周辺の死者、それに飛び降り自殺。別々の話が後世に一つの怪談へまとめられた可能性はある。

小説が塔に女を住まわせた

凌雲閣は文章のなかにもよく出てくる。石川啄木、北原白秋、金子光晴、そして江戸川乱歩。それぞれの作品世界に、この塔が顔を出す。

とりわけ効いたのが江戸川乱歩の『押絵と旅する男』だ。十二階から双眼鏡で見た女、という幻想的記憶を物語化した一編である。

厄介なのはここからだ。文学的なイメージは、しばしば史実の目撃談として逆輸入される。だから作品と新聞記事は、面倒でも分けて置いたほうがいい。

怪異が育つには、うってつけの建物だった

条件なら、この塔は全部そろえていた。煉瓦の塔内では足音も風音も反響する。窓からは街灯や月光、看板の反射が入り込む。狭い螺旋階段を上れば、高所のせいで眩暈もする。

エレベーター停止後は、長い階段を自分の脚で上るしかない。閉館後の無人空間はしんと静まり返る。そこへ私娼街と自殺と震災の記憶が乗る。おまけに、徐々に寂れていく巨大建築への郷愁まである。

これらの環境要因で説明できる可能性はある。ただ、説明がついたところで体験談の文化的価値が消えるわけでもない。両方は普通に両立する。

塔に眠る白い女――夜の凌雲閣で見たもの

明治二十三年、浅草公園の空に凌雲閣が屹立した。開業からわずか数年で、この塔は「昼の顔」と「夜の顔」を持つようになったらしい。好事家たちはそう語る。

昼は東京中を睥睨する近代の象徴。ところが夜になると、十二階の窓という窓に、誰も点けていないはずの灯りがぼんやり滲んだという。

噂の骨格はこうだ。ある晩、閉館時刻をとうに過ぎた凌雲閣の前を、人力車を引く車夫が通りかかった。真っ暗なはずの最上階の窓で、白い影が動いている。目を凝らすと、白い着物を纏った女がじっとこちらを見下ろしていた。

翌朝、塔の管理人が確かめに上がった。十二階には誰もいない。ただ、螺旋階段の踊り場に女物の下駄が片方だけ落ちていた。そういう筋書きである。

この白い女は、その後何度も目撃されたとされる。ある版では、夜警の男が最上階まで様子を見に行く。階段の途中で冷たい風とすすり泣きの声に襲われ、そのまま逃げ出した。

別の版はもっと嫌な感じだ。故障で停止しているはずのエレベーターが、深夜、誰も乗せずにひとりでに上下する。扉が開くたび、微かな女の香りが漂ったという。

語り手ごとに細部は変わる。それでも「高い場所に取り残された女」という一点だけは、ずっと共有され続けてきた。

誰が言い出したのか、たどってみる

困ったことに、この「塔の白い女」譚には一次資料と呼べる新聞記事がない。それでも平成以降、オカルト系のまとめサイトや怪談朗読動画のコメント欄で、何度も蒸し返されてきた。

広まりの起点として名指しされるのが、2000年代半ばのテキストサイト文化だ。「浅草の高い建物にまつわる怖い話」として紹介され、2ちゃんねるのオカルト板に立った「浅草・上野の怖い話」系スレッドへ、明治期の塔の話として書き込まれた。

当時のレスを読むと、「昔読んだ本に載ってた」「じいちゃんから聞いた話」といった伝聞形式ばかりだ。投稿者名やスレッド番号までたどれる一次資料は乏しい。

とはいえ、この「誰が言い出したか分からないのに、なぜか誰もが知っている」という状態こそ、都市伝説が民衆の記憶として定着していく典型的な過程だと考えられる。

ニコニコ大百科やpixiv百科事典的なまとめ記事でも、「凌雲閣」の項目にくっつく形でこの怪異譚が短く紹介されることがある。中身はだいたい同じだ。「エレベーター事故」「私娼街」「震災による倒壊」という史実のキーワードを下敷きにして、そこへ「白い女」の装飾を足した再構成である。史実の隙間を埋めるように怪談が育った典型例と考えられる。

双眼鏡の乙女と、戻らなかった客

この怪談には少なくとも二つの有名な派生形がある。一つ目は、江戸川乱歩の小説『押絵と旅する男』の記憶と混ざり合った「双眼鏡の乙女」バージョンだ。

作中では、主人公の兄が凌雲閣の望遠鏡を通して見世物小屋の娘に恋をする。挙句、自らも押絵の中の存在になってしまう。幻想的というより、少し怖い結末だ。

この文学的なイメージが強烈すぎた。だから後年、「実際に凌雲閣の展望台から双眼鏡を覗くと、いるはずのない女性の姿が見える」という体験談風の噂に転じる。これが二つ目の派生形になる。

要するに文学作品の記憶が、実体験のように語り直されたわけだ。フィクションと伝聞が混淆していく都市伝説特有の現象として、考察系ブログでもたびたび指摘される典型例である。

三つ目として語られるのが、「エレベーターに閉じ込められた客がそのまま行方不明になった」という筋だ。日本初の電動式エレベーターという触れ込みで人気を博した凌雲閣の昇降機は、実際には度重なる故障で早々に運行を停止したとされる。

そこへ尾ひれがつく。「乗った客が二度と一階に戻ってこなかった」。「今でも稼働していないはずのワイヤーが軋む音がする」。令和になってからも、怪談系YouTubeチャンネルの考察動画がこの話をしばしば拾っている。

線香の匂いがする角――現地で語られた声

浅草の下町で生まれ育ったという投稿者が、あるオカルトまとめブログのコメント欄にこう書き残している。

「うちの婆さんが子供の頃、十二階の跡地の近くを通ると必ず線香の匂いがしたと言っていた。震災で大勢死んだ場所だからだろうって、親戚は当たり前のように話してた」

この証言には続きがある。

「でも婆さんは、匂いのする場所がいつも決まって同じ角で、そこだけ妙にひんやりしていたのが忘れられないと言っていた」

匂いのする角がいつも決まっていた、というところが妙に生々しい。震災の記憶と塔の怪異が地続きになっている典型例として、地元の怪談蒐集ブログでたびたび引用されている。

別の目撃談は、深夜に浅草寺周辺を巡る肝試し系の動画投稿者によるものだ。「十二階跡の石碑の前で撮影していたら、明らかに誰もいないのに画面の端に白っぽいものが一瞬映り込んだ」。そんな報告が複数寄せられている。

投稿者自身も「編集で消そうか迷ったが、あえてそのまま残した」とコメントで述べている。そこから先はいつもの流れだ。「自分も同じ場所で寒気がした」「連れて行った友人が急に無口になった」。追随的な体験談でコメント欄が埋め尽くされ、一種の集合的な怪異体験の場として機能している。

もう一つ、SNS上の投稿がある。深夜の散歩中、十二階跡地付近を通りかかった人物が「明治時代の服装をした人影が路地の奥にすっと消えるのを見た」と語っている。この投稿には「震災の犠牲者では」「私娼街で亡くなった女性の霊では」という考察コメントが多数付いた。史実に基づいた解釈と怪異体験が、その場で結びつけられていく。

ネットの上で転がり続ける塔

5ちゃんねるのオカルト板や怖い話まとめサイトで紹介されるたび、決まって同じ議論が始まる。これは本当に明治時代からある話なのか、それとも後世の創作なのか。

考察好きのユーザーたちは丹念だ。日本初の電動エレベーター、私娼街「十二階下」、関東大震災による倒壊。史実を洗い出し、それぞれの要素がどう怪談的装飾を与えられていったかを分析するスレッドを度々立てている。

「乱歩の小説と実際の目撃談が混同されているのでは」「私娼街の悲劇が女性の霊という形に変換されたのでは」。史実と怪談の境界線を探る建設的な意見交換も、そこでは普通に行われている。

その隣で「そんな細かいことはどうでもいい、ただ怖い話として楽しめばいい」という声も根強い。都市伝説の受容の仕方そのものが議論の的になる。この構図がいちばん興味深いところだ。

塔が消えた土地に残ったもの

凌雲閣が建っていた浅草公園六区周辺は、大正から昭和にかけて日本有数の歓楽街として発展した。その賑わいの記憶は、いまも色濃く残っている。

塔そのものはもうない。跡地には記念碑が設置され、観光客や地元の歴史愛好家が訪れる小さなスポットになっている。

かつて「十二階下」と呼ばれた一帯が私娼街として知られていたこと。関東大震災で多くの人命が失われたこと。この二つが「あの辺りは何か出る」という漠然とした感覚を地元の人々に残しているのだとすれば、話は変わってくる。百年以上前に消えた塔が、形を変えて現代に生き続けている証拠なのかもしれない。

夜、記念碑の前に立って上を見上げても、当然そこに塔はない。それでも観光地化の進んだ浅草の喧騒の中で、この一角だけはどこか空気が違うと、地元の案内人が語ることがある。

かつて日本一の高さを誇り、多くの人の視線を集め、多くの悲劇を飲み込んだ塔。その記憶はコンクリートの下に静かに沈んだまま、訪れる者の想像力を刺激し続けている。

凌雲閣の怪異譚が今も語り継がれるのは、単なる作り話としてではないと思う。「近代化の光と影」を体現した象徴的な建物だったからだ。表舞台では電気仕掛けの最新技術と展望の解放感を誇り、裏側では貧困と自殺と震災の記憶を抱え込む。その二つを丸ごと呑んだ凌雲閣という存在そのものが、すでに一つの巨大な怪談だったのかもしれない。

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