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神様も妖怪も戦争に出た――日露戦争・太平洋戦争が生んだ怪異の記録

神様も妖怪も戦争に出た――戦場で怪異が語られた理由

戦争の記録に出てくるのは、作戦や兵器の話だけじゃない。神や妖怪、正体の分からない兵士が現れたという話も、しっかりついて回る。日露戦争では撃たれても倒れない兵士、太平洋戦争では敗戦を告げる予言獣。海外にも、天使や小さな怪物が兵士を助けたり困らせたりする話がある。

もちろん、こうした話を戦闘の事実と同じようには扱えない。いつ、誰が、どこで語り始めたのか分からないものも多い。まあ、そこは怪談の宿命だ。それでも、極限状態を経験した人々が恐怖や偶然をどう受け止めたのかを見る材料にはなる。

日露戦争に現れた「味方」

日露戦争には、こんな逸話がある。ロシア軍の捕虜が「白や赤の軍服を着た兵士を撃っても倒れなかった」と話した、というのだ。白や赤は、当時の日本軍の通常の軍服とは合わない。だから、神や妖怪が日本側へ加勢した話として語られた。

話は四国にも飛ぶ。四国では、化け狸が兵士に化けて戦地へ行ったという伝承も生まれた。謎の兵士の軍服には、愛媛の妖狸・喜左衛門狸を示す印があった。そんな話もある。どの狸かまで特定されているわけだ。

困ったことに、捕虜の証言がどの記録に残り、狸の話といつ結びついたのかははっきりしない。戦場で確認された人物というより、帰還後に整えられた伝承として見るのが妥当だ。

出雲大社では、開戦のころ境内の白い鳩が姿を消し、終戦後に戻ったという話が伝わる。鳩は祭神とともに戦地へ向かったのだ、と説明された。鹿島神宮の近くにも、こんな逸話がある。出征兵を乗せた列車が止まり、兵士たちが武神・タケミカヅチの加勢と受け取った。

むろん、動物の移動や列車の停車自体に、超自然的な原因が確認されたわけじゃない。見送る側と出征する側が、武運を願う気持ちを共有した話だろう。

件の予言と水木しげるの体験

人の顔を持つ牛。そんな姿で描かれる「件」は、災害や戦争を予言するとされる妖怪だ。1909年の新聞には、農家で生まれた牛が日露戦争を予言したという記事があるとされる。太平洋戦争のころにも、件が敗戦を予言したという噂が広まった。

件の特徴は、予言を告げるとすぐに死ぬという語りにある。ただ、実在する動物の記録ではない。新聞、噂、説話の中で形を変えた予言獣だ。先の見えない時代に「結末を知る存在」が求められたことは想像できる。でも、どの噂がいつ生まれたのかは、個別に確かめるしかない。

漫画家の水木しげるも、戦場で妙なものに出くわしている。ニューギニア戦線からの退却中、暗闇で黒い壁のようなものに進路をふさがれた体験を語っている。夜が明けると壁はなく、その先は崖だったという。水木は後年、これを妖怪「ぬりかべ」と重ねて語った。

この体験は本人の回想であり、本当に妖怪が立っていたという証明ではない。疲労や暗闇による知覚だった可能性もある。それでも水木にとっては、進めば危険だった場所で自分を止めた「何か」の記憶として残った。正直、実体の有無より、戦場体験がのちの創作へどう形を変えたかが重要な話だ。

海外の戦場にも怪異はいた

ここで舞台を海外へ移そう。第二次世界大戦中、英米の航空関係者は、原因不明の故障を起こす小さな怪物を「グレムリン」と呼んだ。整備ミスや機械の不調を架空の存在のせいにする冗談だ。張りつめた現場の空気をやわらげ、仲間同士の責任の押しつけを避ける役にも立ったと考えられている。

第一次世界大戦の「モンスの天使」も有名だ。1914年のモンスの戦いで、天使や昔の弓兵がイギリス軍を守ったと語られた。ただ、実際の集団目撃から始まった話ではない。同時期に発表された短編小説のイメージが、現実の戦場へ重ねられた、という見方が強い。

並べてみると、日本だけに特別な妖怪戦争があったわけじゃない。兵士を守る存在、故障の責任を引き受ける存在、勝敗を先に告げる存在。国が違っても、似た形で現れる。

怪異は戦争の証拠ではなく記憶の形

戦場では、睡眠不足、強い恐怖、暗闇、爆音などが重なり、見間違いや聞き間違いが起こりやすい。助かった理由が分からないとき、人は偶然を神仏の加護として受け止めることもある。仲間を失った体験や、生き残ったことへの複雑な気持ちを、怪異の物語に置き換える場合もあるだろう。

やっかいなのは、そこから先だ。神々が味方したという話は、戦意高揚や国家宣伝にも利用できる。個人の体験談、地域の伝承、公的な宣伝を一緒にしてはいけない。語られた背景と、誰に都合のいい話だったかを見分ける必要がある。

戦争怪異は、神や妖怪が本当に戦ったことを示す戦史ではない。恐怖の中にいた人々が、説明できない出来事へ名前と姿を与えた記憶だ。だからこそ、面白い怪談として消費するだけでなく、その後ろに現実の戦争があったことを忘れずに読みたい。

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