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桃太郎伝説のモデル「温羅」――岡山・吉備津神社に伝わる鬼退治の真相

温羅伝説――吉備津神社に残る鬼退治と鳴釜神事

岡山には、温羅という鬼を吉備津彦命が退治した伝説がある。山城から人々を苦しめる温羅と、朝廷から派遣された吉備津彦命。構図は単純だ。話の形だけを取り出せば、桃太郎の筋書きによく似ている。ただ、温羅伝説がそのまま桃太郎の原作だった、と確認できる古い記録は見つかっていない。

この伝説の面白さは、退治された温羅がただ消えないところにある。そこが妙だ。吉備津神社の鳴釜神事では、温羅は釜の音によって吉凶を知らせる存在になった。かつて敵だった鬼が、いまは土地の占いを支える役へ変わっている。いったん倒したはずの相手を、なぜ土地の側がわざわざ抱え込んだのか。

鬼ノ城の温羅と吉備津彦命

伝承によると、温羅は百済、あるいは遠い異国から吉備へ来た王子だった。大きな体と赤い髪を持ち、現在の岡山県総社市にある鬼ノ城を拠点に、人々や旅人を苦しめたという。絵に描いたような鬼だ。訴えを受けた朝廷は、吉備津彦命を派遣した。

両者は矢と岩をぶつけ合って戦った。決め手は二本の矢。吉備津彦命が二本の矢を同時に放つと、その一本が温羅の目に当たり、流れた血が血吸川になった、と伝承は語る。

温羅は雉、さらに鯉へ姿を変えて逃げ、吉備津彦命も鷹と鵜に変わって追いついた。空と水の追いかけっこ。逃げるほうも追うほうも、途中から人の形をしていない。この変身合戦にちなむものとして、矢喰宮や鯉喰神社などの地名・社名が説明されてきた。

まあ、ここまではあくまで神社縁起や地域伝承の世界だ。川の名や神社の存在そのものは確認できても、温羅と吉備津彦命が実際に変身して戦った証拠にはならない。物証は無い。土地のあちこちに点在する場所を、一つの物語で後から結んだものと見るほうがいい。

鳴き続ける首と鳴釜神事

温羅を倒したあと、その首はさらされたが、うなり声を上げ続けたという。とんでもない執念だ。骨になっても声が止まらず、吉備津神社の御竈殿にある釜の下へ埋められた。

それでも静まらなかった温羅が、吉備津彦命の夢に現れ、自分の妻・阿曽媛に釜の火を焚かせるよう告げた。夢枕に立った鬼。釜の鳴り方で世の吉凶を知らせる、とも約束した。縁起はそう伝えている。これが鳴釜神事の由来だ。

現在も吉備津神社では、湯を沸かした釜の響きによって吉凶を占う神事が行われている。湯気の立つ御竈殿。釜から音が出る仕組みを持った祭祀と、その音を温羅の声だとする縁起が、一体になって続いてきた。

御竈殿の下に本当に温羅の首があるかどうかは確認されていない。神事は遺骨の存在を証明しない。温羅という敵を土地の信仰の側へ取り込んだ物語を、そのまま今へ運んでいるだけだ。江戸時代には上田秋成が『雨月物語』の「吉備津の釜」でこの神事を題材にしており、怪異譚としても広く知られてきた。

鬼ノ城の遺跡と伝説は年代が合わない

鬼ノ城は実在する。

発掘調査では城門、石垣、水門などが確認され、7世紀後半ごろに築かれた古代山城だと考古学は見ている。遺構は確かにある。663年の白村江の戦いで倭国が敗れたあと、唐・新羅への警戒から築かれた防衛施設と見る説が有力だ。

吉備津彦命のほうは記紀神話の時代に置かれる人物で、鬼ノ城の考古学的な年代とそのまま一致しない。そこが引っかかる。いま残っている遺跡が温羅の居城だったことを、これまでの発掘成果は証明していない。立派な山城の跡があり、後世の人々がそこへ鬼の王の物語を重ねた、という見方も成り立つ。

ちなみに、温羅を渡来系の製鉄集団の長と見る説も人気がある。鉄と火の話だ。吉備で鉄生産が行われ、火や煙を扱う人々の姿が赤い鬼のイメージになった、という読み方だ。大和王権が吉備の有力な勢力を抑え込んだ記憶が、鬼退治の物語へ変わったとする説もある。

ただ、温羅本人や戦いを示す文字史料・考古資料は見つかっていない。歴史解釈の一つにとどまる。

桃太郎との結びつきは後から強まった

桃太郎と温羅伝説には、吉備の英雄が鬼を倒すという共通点がある。ところが、犬・猿・雉を連れ、きびだんごを持って鬼ヶ島へ渡る昔話と、吉備津神社の縁起は細部が大きく違う。

両者の結びつきが広く語られ出した時期は、江戸時代後期から近代にかけてだと整理されている。岡山の名物や観光の売り出しとも重なって、「桃太郎伝説の地」というイメージが定着した。きびだんごも、温羅退治の古い伝承には出てこない道具だ。

温羅を「桃太郎に倒された本当の王」だと断定することは、さすがにできない。かといって、ただの悪い鬼だと決めつける必要もない。どちらも行き過ぎだ。

伝承の中で温羅は、人々を脅かす敵から、釜の音で吉凶を知らせる土地の存在へ変わった。退治して終わる昔話とは違う、その複雑さこそが吉備の温羅伝説らしいところだ。

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