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🎋 かぐや姫は実在したのか――『竹取物語』のモデル探し

満月の夜、羽衣をまとった天人の一群が空から降りてくる。翁も嫗も、帝の軍勢さえも、真ん中にいる美しい姫を前に手も足も出ず立ち尽くすしかなかった。誰でも知ってる名場面。

でもこの話、求婚する貴公子は実在の官人だし、舞台を名乗る土地はあちこちにあるし、最後は富士山の名の由来にまでつながる。千年以上前の物語に、なぜこれだけ現実の名前や地名が絡むのか。姫は本当に空想なのか。

誰が書いたのか、誰にも分からない

『竹取物語』は平安時代の物語文学だ。作者も成立年も分かっていない。九世紀の後半から十世紀の初めという説があり、十世紀の半ばという説もある。遅くとも十世紀の半ばには、もう世に出ていたらしい。

作者の候補に挙がるのは、源順、源融、僧正遍昭、それに斎部氏の一族あたりだ。どれも決め手がない。漢学にも仏教にも明るく、仮名で物語を書き、和歌も詠める。そんな教養の深い男性だという線までしか絞れていない。斎部氏は、朝廷の祭祀に関わった古い一族だ。

紫式部は『源氏物語』の絵合の巻で、この物語を「物語の出で来はじめの祖」と呼んだ。絵合は物語の絵を左右に分けて競わせる場面で、竹取の翁には『宇津保物語』の俊蔭が組まされている。紫式部の頃の宮廷でも、竹取はもう古い代表作の扱いだったわけだ。ずいぶんな古株。

原本はとっくに失われている。現存する最古のものは、室町時代初期、十四世紀の古筆切の数葉で、後光厳天皇の筆と伝わる。完全な形で残る古い写本なら、一五七〇年の奥付をもつ「里村紹巴本」と、永禄から天正の頃の「吉田本」がある。どれも原作から数百年後の写しだ。

紹巴本は、書き写された年が奥書で確かめられる点でも貴重な一本になる。「武藤本」と呼ばれる写本の題は『竹取翁物語』で、天正二十年、つまり一五九二年に上原元純が書き写し、中院通勝が校正した。いまは天理図書館の蔵書で、紹巴本が見つかるまでは、年代のはっきりした最古の写本だった。

本文の系統も一つではない。流布本系と古本系に分かれ、古本系には一八一五年の奥書をもつ新井信之蔵本がある。どの本を読むかで、細かい言い回しが変わる。

その間にどれだけ書き換えられたかは、もう想像するしかない。今読める『竹取物語』は、口伝えと写本の連鎖を生き延びた伝言ゲームの最終形みたいなものなんだよ。だから探したくなる。江戸時代の国学者から今のアマチュア歴史好きまで、元ネタやモデル探しはずっと続いてきた。

光る竹の中に、三寸の子が座っていた

話は「今は昔」で始まる。竹取の翁と呼ばれる老人がいた。野山に分け入って竹を取り、それをいろいろな道具に細工して暮らしを立てていた男だ。

ある日、根元の光る一本の竹を見つけた。不思議に思って近寄ってみると、筒の中に三寸ほどの小さな人が座っていた。三寸といえば九センチあまり。どう見ても普通じゃない。

翁はその子を家へ連れ帰り、妻の嫗と一緒に育てることにした。そこから妙なことが起きる。翁が竹を取るたび、節の中に黄金が詰まっているのが見つかるようになり、家はみるみる裕福になった。子のほうもわずか三か月で並みの背丈まで育ち、髪上げの儀(成人の儀式)を済ませた。

名付け親は御室戸斎部の秋田という人物。つけた名は「なよ竹のかぐや姫」で、なよ竹はしなやかな竹のことだ。本によっては「赫映姫」と書かれ、名前そのものが光る子の姿を映している。祝いの宴は三日も続いたという。

姫のいる家の中には暗いところがなく、光に満ちていたと物語は書く。その美しさの噂は、近所どころか都にまで広がっていく。家のまわりには夜となく昼となく、彼女をひと目見ようとする男たちがぞろぞろ押し寄せた。とんでもない人気ぶりだ。通い続けても会えない者が多く、やがて残ったのは、色好みで名高い五人だけになった。

五つの無理難題と、しくじる貴公子たち

残ったのは石作皇子、車持皇子、右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、中納言石上麻呂足の五人だ。顔ぶれが豪華すぎる。かぐや姫は一人ずつに、この世にないか、あっても手に入れるのが絶望的な品を持ってこいと言った。注文の品は、仏の御石の鉢、蓬莱の玉の枝、火鼠の裘、龍の首の珠、燕の子安貝。仏の御石の鉢は釈迦ゆかりの品、燕の子安貝は燕が産むという言い伝えの品で、どれも本物があるとは誰も信じない代物だ。

石作皇子に命じられたのは、天竺にあるという仏の御石の鉢。皇子は本物を探しに行かず、三年たってから大和の山寺で古い鉢を拾ってくる。寺の賓頭盧像の前に置かれていた品で、煤で黒ずんでいる。姫が確かめても、蛍ほどの光さえない。突き返された皇子は、鉢を捨てて、なお言い寄った。

車持皇子に命じられたのは、蓬莱山にあるという玉の枝。根は銀、茎は金、実は真珠という品だ。皇子は筑紫へ湯治に行くと言い置いて都を出る。実際は人目につかない家にこもり、工匠たちに三年かけて偽物を作らせていた。

自分の苦労話を長々と語る皇子の前に、職人たちが現れる。報酬をもらっていないと、姫に訴えにきたのだ。偽物は、その場でばれた。見事な細工ほど、恥のかき方も派手になる。

阿倍御主人が差し出したのは、火鼠の裘。火にくべても燃えないという布だ。大金を積んで手に入れた自慢の品を、姫は火に入れて確かめる。めらめらと燃え上がる。偽物だった。

大伴御行は、龍の首の珠を探して自ら船で海へ出る。嵐に吹き流され、播磨の明石の浜に打ち上げられた。病みついて、目は腫れ上がる。九死に一生を得ただけで、珠は手に入らなかった。

石上麻呂足は、燕が産むという子安貝を欲しがる。大炊寮の棟に籠で吊り上げてもらい、燕の巣に手を突っ込んだ。つかんだのは、燕の古い糞。そのまま落ちて腰を打ち、病みついて死んでしまう。

笑うに笑えない。滑稽さと悲劇が同居したこの求婚話は、平安貴族の社会を痛烈に皮肉った風刺としてもずっと読まれてきた。五つの難題はどれも、品物そのものより、手に入れたふりをする人間のほうを笑っている。

求婚者のうち三人は、本物の高官だった

ここからが本題だ。この物語をただのファンタジーで済ませられない、最大の理由がある。五人の貴公子のうち、少なくとも三人が実在の官人と一致するんだ。

指摘したのは、江戸時代後期の国学者、加納諸平だ。物語が書かれてからおよそ千年も後の人になる。『公卿補任』の文武天皇五年、西暦七〇一年の公卿の並びが、求婚者の名前にそっくりだと気づいたのだ。右大臣阿倍御主人、大納言大伴御行、石上麻呂の三人は、実在が確かめられる奈良時代初期の高官だった。名前はほぼそのままだ。

残る二人にも、モデルの候補がいる。石作皇子は多治比嶋、車持皇子は藤原不比等とみる説だ。どちらも、物語の舞台に近い時代の大物。右大臣も大納言も中納言も、朝廷の政治を動かす太政官の高い官職で、いずれも一流の顔ぶれになる。そんな面々が鉢の煤や燕の糞に振り回されるのだから、落差がそのまま笑いどころになる。

文武天皇の頃の顔ぶれを、平安の作者が笑いものにしている。しかも彼らは、物語が書かれる頃には百年以上前の故人だった。実名でいじるとは言っても、相手はもう反論できない。作者は空想だけで書いたわけじゃなさそうだ。朝廷の人間関係や、それぞれの貴族の性格や評判を下敷きに、からかうように人物を作ったのかもしれない。

難題の結末にも、言葉遊びのような由来話がくっついている。石作皇子が鉢を捨ててなお言い寄ったことから、厚かましいことを「はぢを捨つ」と言うようになった。阿倍御主人の件は「あへなし」、石上麻呂足の件は「かひなし」の由来だ。大伴御行の件には「あなたへがた」。笑い話の落ちを先に決めてから、話を仕立てたように見える。

当時の読者は、あの有名な誰々をモデルにした風刺として、顔を思い浮かべながら読んだのかもしれない。そうなると話は姫にも及ぶ。かぐや姫自身も、当時実在した特定の女性か、何人もの女性のイメージを重ねて作られたのかもしれない。そんな推測まで出てくるわけだ。当時の官人の顔ぶれを知らなければ成り立たない笑いなので、作者は宮廷の事情に通じていたことになる。

月へ帰る夜、帝が燃やさせたもの

噂は、やがて帝の耳にも届いた。帝は狩りに出るふりをして竹取の家を訪ね、姫を見つけて連れ帰ろうとする。すると姫は、一瞬で姿を影に変えた。ただの人ではない。元の姿に戻れと言われて、ようやく姿を現した。

その後も、帝との手紙と歌のやりとりは続いた。ところが姫は、いつしか物思いに沈むようになる。

八月の満月が近づくころ、姫はとうとう打ち明けた。自分は月の都の人間で、罪を犯して地上へ流されていたのだという。罪は晴れた。十五日には迎えが来る。

泣き崩れる翁と嫗。帝は少将の高野大国に兵を二千人つけて、竹取の家を固めさせた。ところが空から飛ぶ車が降りてきて、天人たちが並ぶ。兵たちは心から力が抜け、弓を引くことさえできなくなる。まあ、相手が悪い。

天人の側の言い分も、物語はきちんと書く。月の王のような存在が、翁にこう告げる。翁が少しばかり善いことをしたので、その助けにと、ほんの短い間だけ姫を下した。その間ずっと、黄金も与えてきたのだ、と。

天人の一人が、壺に入った薬を姫に勧める。穢れた地上の食べ物を口にしたのだから、気分が悪いだろう、という理屈だ。姫は薬を少し嘗め、脱ぎ置く衣に包んで形見にしようとしたが、天人はそれを許さなかった。

姫は、育ててくれた翁への感謝と、帝への手紙を書き残す。歌も添えた。羽衣を着るこの時になって、あなたのことがしみじみ思い出される、という内容だ。不死の薬の壺は、帝への形見として残していった。

天の羽衣をまとったその瞬間、姫は人間の感情をすべて忘れてしまい、静かに月へと帰っていった。あっけない別れ。育ての親にしてみれば、たまったものじゃない。

残された帝は、手紙を読んで歌を詠んだ。逢うこともかなわず、涙に浮かぶようなこの身に、不死の薬が何になろう。そう嘆いたあと、帝は天にいちばん近い山はどれかと尋ねる。駿河の国にある山が、都にも近く天にも近いという答えが返ってきた。

勅使には調石笠が選ばれた。手紙と薬の壺を並べて、山の頂で火をつけよという命令だ。石笠は兵士を大勢連れて、その山へ登る。

奈良の広陵町は「ふるさと」を名乗っている

物語の中で、竹取の翁は「讃岐造」と呼ばれている。造は古代の姓の一つで、地方の有力者に与えられた。讃岐は四国の国名でもあるが、広陵町の説は、奈良の地名の散吉に結びつける。この名前を手がかりに、自分たちの町こそ物語の舞台だと名乗り出ているのが、奈良県北葛城郡広陵町だ。

かつて大和国広瀬郡に「散吉郷」と呼ばれた地域があり、いまの広陵町三吉のあたりに当たるらしい。讃岐の由来候補。町内には讃岐神社という古い社もある。

延喜式の神名帳に載る社とみられ、讃岐国の斎部氏が移り住んだとき、故郷の神を迎えて建てたとも伝わる。町の説明では、この神社の周辺に勢力をもった讃岐氏が、竹取の翁のモデルだという。地元では、ここが翁の暮らした場所と語られる。

境内には八基の灯籠が並ぶ。近くの八つの村が奉納したもので、もとの氏子の範囲を示すらしい。斎部の名は、姫の名付け親にも、作者の候補にも出てきた。気になる重なりだ。

町は今「竹取公園」を整備して、町おこしの核にしている。毎年秋には「広陵かぐや姫まつり」が開かれ、延べ約一万人が集まる。地元の女性がかぐや姫に扮した時代行列が出て、夜には打ち上げ花火もあがる。令和になってからもずっと続いている。

町の公式サイトには、かぐや姫のふるさとを案内するページまである。くつしたの産地であることや、ブランドいちごの古都華も並ぶ中で、かぐや姫は町の看板の一つになっている。町は馬見古墳群でも知られ、古い時代の痕跡が地面の下に眠る土地だ。地名の由来から丁寧に説いていて、力の入れようがすごい。

高取山、京田辺、そして余呉湖の天女

名乗りを上げている土地は広陵町だけじゃない。鎌倉時代の僧、仙覚は、「竹取」を「タカトリ」と読み替え、奈良県の高取山こそ翁の住んだ場所だと唱えた。高取山は高取町にある山で、頂上近くには山城、高取城の跡が残る。江戸時代の国学者、契沖も、同じ読み方を説いている。読み方ひとつで場所が変わる、ずいぶん大胆な発想。

京都府の京田辺市にも、かぐや姫の里を名乗る声がある。地元の郷土史会は、『古事記』垂仁記に出てくる「大筒木垂根王の女、迦具夜比売命」を、姫のモデルだと主張してきた。名前が似ているだけでなく、物語の「山本」という地名が、京田辺の山本の周辺と重なるのだという。

月読神社や甘南備山など、月や天女にまつわる場所が多いことも、郷土史会は根拠に挙げている。古事記に載る皇女の名が、物語の姫の名と響き合う。そこから話を広げていくところが、モデル探しの醍醐味だ。

もっと面白いのが滋賀県の余呉湖だ。昔から「羽衣伝説」が伝わる土地で、『近江国風土記』の逸文に、その話が出てくる。この逸文は『帝王編年紀』の養老七年、西暦七二三年の条に引かれて伝わっている。

湖で水浴びをしていた天女が、人間の男に羽衣を隠されて天へ帰れなくなり、男と結ばれる。のちに羽衣を見つけた天女は、天へ昇っていく。関連の神社や地名も複数ある。

『丹後国風土記』の逸文にも、似た話がある。水浴びをしていた八人の天女のうち一人が、老翁に羽衣を隠されて帰れなくなる。老夫婦の養女になった天女は、酒造りの才を見せた。老いた夫婦に育てられる異界の娘。竹取の筋に重なる。

並べると、よく似ている。羽衣を失った天女は地上にとどまり、のちに天へ帰る。かぐや姫も地上で暮らしたあと、天の羽衣をまとって月へ帰っていった。辞典の解説でも、異界から来た者が貧しい人を富ませてから再び異界へ去る構造は、羽衣伝説と同じだと説明される。

この響き合いから、羽衣伝説が『竹取物語』の成り立ちに何かしら影響したのでは、という指摘もあるんだよ。どちらが先かは分からない。ただ、同じ型の話が各地にあったことだけは確かだ。

ネットでは、かぐや姫は宇宙人にされている

ネットの世界、とくにオカルト系のまとめサイトや動画では、かぐや姫を「月から来た宇宙人」と読む考察が根強い人気だ。根拠の場面はほぼ決まっている。竹の中から金色の光とともに現れるところ、羽衣を着た一団が天から舞い降りる終盤、地上の武力がまったく通じないところだ。どれも未確認飛行物体との遭遇譚っぽい。空想科学小説風の読み替えは、何度も繰り返されてきた。

三か月で大人の背丈になる成長の速さも、人間離れした証拠に数えられる。「これって完全にファーストコンタクトものの元祖だろ」という書き込みは定番中の定番だ。「天の羽衣を着せられた瞬間に人間の感情を全部忘れるとか、記憶操作の描写にしか見えない」なんて声もある。気持ちは分かる。竹取物語を「日本最古の空想科学小説」と呼ぶ人までいる。

もっと地に足の着いた読み方もある。加納諸平の指摘を踏まえ、「かぐや姫は特定の高貴な女性への当てつけとして書かれた風刺物語なのでは」と考える人たちだ。アマチュア国文学好きのブログや投稿サイトの記事に、そういう考察がたくさん並んでいる。いわば宮廷ゴシップの寓話読み。これはこれで面白い。

それで、かぐや姫は「いた」のか

かぐや姫という一人の女性が歴史上に実在した、という確かな証拠はない。そこははっきりしている。ただ、求婚した貴公子の多くが実在の人物だったことは動かない。

辞典の整理では、物語は五つの部分からなる。姫の生い立ち、貴族たちの求婚、帝の行幸、昇天、富士の煙。最後の一つは、地名の起源を語る話だ。

舞台を名乗る土地は各地にあって、それぞれが独自の伝承や地名、神社を抱えたまま今日まで伝えてきた。広陵町は讃岐造の名から、高取山は竹取の読み替えから、富士市は不死の洒落から出発している。それぞれの説は、言葉の響きをたどって場所へ行き着く。

物語は作り話の形をとっている。それでも、実在の高官の名前、各地の羽衣伝説、現実の山の名の由来が、一つの話の中に層になって重なる。当時実在した誰か、あるいは複数の女性たちの面影に、古い信仰が幾重にも重なっているのかもしれない。

富士の煙は、不死の薬の煙だったのか

原文は、勅使が兵士を大勢連れて山へ登ったから「ふじの山」と名づけた、と書く。士に富む山、という洒落だと読まれてきた。一方で、不死の薬を燃やした山だから「不死の山」という読みも根強い。ただの語呂合わせに見える。ところが、そう単純でもない。

富士山は、平安の初めに何度も噴火した。八〇〇年から八〇二年にかけて延暦の噴火があり、足柄路が通れず箱根路が使われた。八〇二年の三月には、雲が立ち込めて十日後に新しい山ができたと伝わる。八六四年には貞観の大噴火が起きた。

北西の山腹の割れ目から溶岩が噴き出し、二か月以上も流れ続けた。『日本三代実録』は、炎の高さが二十丈ばかり、雷のような音が響き、地震が三度あったと記す。溶岩は「せのうみ」という巨大な湖の大半を埋め、残った水が精進湖と西湖になった。いまの青木ヶ原樹海は、その溶岩の上にできた森だ。

物語の成立が九世紀の後半までさかのぼる説に立てば、この大噴火は同時代の出来事になる。作中の富士も、煙を上げる活火山として描かれている。山頂から煙が立ちのぼるのを見て、「帝の使いが燃やし続ける不死の薬の煙」と見立てるのは、当時の人にはごく自然な発想だったという見方がある。なるほど、筋は通る。

都良香の『富士山記』にも、貞観十七年に白衣の美女が二人、山頂で舞ったという話が出てくる。国文学者の田口守は、この仙女の話が『富士縁起』の資料になり、『竹取物語』の伝説化に影響したと述べた。富士と天女の結びつきは、平安のうちにもう語られていた。

静岡県富士市に伝わる話では、かぐや姫は月ではなく富士山へ帰る。駿河国の姫名郷、いまの富士市比奈のあたりが舞台とされる。竹採の翁と姥が竹を切ると、一寸ほどの女の子が出てくる。姫は成長して国司の求婚を受け入れ、数年のあいだ幸せに暮らした。

ところが姫は、自分は富士山の仙女だと明かし、箱を一つ残して去ってしまう。国司が後を追うと、山頂の池の奥の宮殿で、天女の姿になった姫が待っていた。嘆いた国司は、姫の残した箱を抱いて、池に身を投げてしまう。

地名も残る。翁と姥が住んだという竹採屋敷、姫が帰った道とされる囲いの道、別れを惜しんで振り返ったという見返し坂、籠畑。富士市立博物館は「富士山かぐや姫ミュージアム」の名で、観覧が無料だ。「富士山とかぐや姫」のコーナーでは、富士山に帰るかぐや姫の物語を展示している。

本館には「富士に生きる」や「富士川舟運と渡船」といった常設展示もあり、土地の暮らしの中にかぐや姫の話が置かれている。富士山に帰るという筋は、羽衣伝説の型とも、不死の薬の山とも相性がいい。月じゃなかったのか。

物語の最後の一文は、帝が燃やさせた煙のことだ。その煙はいまも雲の中へ立ち昇ると、言い伝えている。

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