沼地に響いた叫び声
ラムリー島の沼地を舞台にした、戦争中の怪異譚だ。時は1945年、日本軍とイギリス軍が戦っていた。「戦争にまつわる不思議な話・戦闘兵士編」には、次の一文が残されている。
第2次大戦中の1945年2月、ベンガル湾のラムリー島のマングローブが生い茂る沼地にイギリス軍が1,000人を超える日本軍をおびき寄せていた。19日の夜から20日の未明にかけて恐ろしい叫び声が続いた。負傷者の血の匂いに刺激された無数のイリエワニがこの沼地に集まり、動きのとれなくなっていた日本兵に襲いかかったのだった。(中略)夜が明けてから彼らが発見した生存者はわずか20名だった。
「一晩でワニが900人を食い殺した」という逸話は、広く知られている。1968年版のギネス世界記録にも、「動物による最大の犠牲者数」として載ったほどだ。しかし近年、その信憑性が揺らいでいる。疑問を投げかけたのは、歴史家や爬虫類学者たちだった。
話の出所――一冊の博物誌
話の出所は、一冊の博物誌に行き着く。カナダの博物学者ブルース・S・ライトが1962年に発表した『Wildlife Sketches: Near and Far』だ。記述は、わずか一段落。ライトは1945年のラムリー島攻略戦に従軍していた。現場を自分の目で見たのではなく、パトロール艇の乗組員から聞いた話を書き残している。
それでも、「信頼できる博物学者の証言」と受け止められた。1964年には、別の著書『Dangerous to Man』にも引用された。以後半世紀にわたり、「史実」として一人歩きしていく。
歴史家たちの反証
2010年代に入ると、複数の歴史家や生物学者が詳しく検証した。ビルマ戦線を専門とする歴史家フランク・マクリンも、その一人だ。日英双方の公式戦史には、大規模なワニの襲撃を記した箇所がないと指摘した。さらに、沼地の生態系への疑問もある。大量の人間を捕食するほどのイリエワニを、そもそも養えたのかという問いだ。
大きな転機となったのは、ナショナルジオグラフィックと爬虫類学者スティーブン・プラットのチームによる調査だった。調べたのは、日本側の軍事記録だ。島に取り残された約1000人の日本兵のうち、実際には約500人が生還していたと分かった。
英軍の公式記録に残る場面も、通説とは違っていた。1945年2月18日未明、数百人の日本兵が本土へ渡ろうと、必死に泳いで渡河を試みたという。「その夜聞こえた銃声と悲鳴」は、この場で溺死・射殺された兵士たちのものだった、という見方が強い。英軍の推定では、この夜だけで少なくとも200人前後が命を落としたという。
現地の村人への聞き取りでは、渡河中にワニに襲われた兵士もいた可能性が示された。死亡した人数は10―15人程度という。だから、ワニによる死者がゼロだったとまでは言い切れない。だが「一晩で900人」という数字は、誇張だったようだ。
ギネス記録の異例の取り消し
2017年、ギネス世界記録は調査結果を受け、本件を「動物による最大の犠牲者数」の記録から正式に削除した。編集長のクレイグ・グレンデイは「これほど死者数が高かったはずがないという説得力のある証拠を示された以上、記録から外す以外の選択肢はなかった」とコメントしている。半世紀近く「事実」と扱われた逸話が、記録の枠から外れた。珍しい見直しだったわけだ。
ここまで分かっていること
ラムリー島の戦いでは、多数の日本兵が命を落とした。その点まで否定されたわけではない。疑われているのは、ワニの大群が一夜で兵士を食い尽くしたという筋書きだ。一人の博物学者が聞いた話を出発点に、複数の著者を経て物語が大きくなっていった。怖い話ほど、その途中を見失いやすい。
飢え、渡河中の溺死、英軍の砲火。どれも地味で、救いのない史実だ。けれど、猛獣に食い尽くされる場面のほうが、劇的なイメージとして語られやすい。戦争にまつわる怪異譚が、なぜ生まれて広まるのか。この逸話は、その過程を考える手掛かりになる。
