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三種の神器は誰も見たことがない――天皇陛下も見ない”門外不出”の神宝

箱の中を確かめない継承

皇位継承のときの「剣璽等承継の儀」を思い浮かべてほしい。黒い箱と細長い包みが、侍従の手で運ばれる。中にあるとされるのは、草薙剣の形代と八尺瓊勾玉だ。ところが、新しい天皇がその箱を開け、品物を一点ずつ確認する場面はない。中身を見ないまま受け継ぐこと自体が、儀式の作法になっている。

普通の引き継ぎなら、まず現物を出して数を合わせるところだ。神器にその工程はない。開けないまま次の代へ渡り、それで滞りなく終わる。

三種の神器は、八咫鏡、草薙剣、八尺瓊勾玉の三つ。名前だけなら誰でも知っているが、美術館の国宝のように、順路の先で展示されたりはしない。実物を見せない扱いが続くからこそ、形や材質をめぐる噂が絶えず、「今も本当にあるのか」という疑問まで生まれる。

しかも神器は、古い工芸品として保存されているわけではない。神が宿る対象として扱われてきた。箱を開ければ謎が解ける、という発想そのものが、信仰上の扱いと噛み合わないわけだ。

神話のなかで生まれた三つの宝

八咫鏡が出てくるのは、天照大神が天岩戸へ隠れた神話だ。岩戸の外で神々がにぎやかに騒ぎ、天照大神が様子をのぞいたとき、その姿を映したのが鏡だった。光を取り戻す話の、ど真ん中に置かれた品だ。

草薙剣のほうは、スサノオがヤマタノオロチを退治した際、尾から現れた剣とされる。その後、東国へ向かったヤマトタケルがこれを用い、燃える草をなぎ払って危機を逃れた。この話から、草薙の名で呼ばれるようになった。

八尺瓊勾玉も、やはり天岩戸の場面に結びつく。天照大神を外へ誘い出すため、鏡とともに木へ掛けられたと伝わる。三つはそろって天孫降臨の際にニニギノミコトへ授けられ、後の皇位継承へつながる宝になった。

ここまでは神話の記述で、いつ誰が現在の品を作ったのかを示す来歴書ではない。神器の話を追うときは、神話で語られる宝と、歴史上の儀式で受け継がれてきた品を、いったん分けて考えたほうが混乱しない。

三か所に分かれている

三種の神器は、どこか一室にまとめて並べられているわけではない。八咫鏡の本体は伊勢神宮の内宮、草薙剣の本体は熱田神宮にあるとされる。皇居に置かれるのは、それぞれの形代だ。八尺瓊勾玉は、本体が皇居にあると伝えられている。

鏡や剣は幾重にも包まれ、神職でさえ普段から姿を確認するようなものではない。伊勢神宮の遷宮でも、御神体は外から見えないようにして移される。ここまで厳重だと国家機密の保管庫を思い浮かべるが、目的は秘密資料を隠すことではない。人の目にさらさないことまで含めて、御神体として扱っている。

この「見ない」という決まりには、後から怪談がいくつも付いた。熱田神宮で禁を破って剣を見た神職が病んだ、明治天皇が鏡を見て動揺した。そんな話もある。

どちらも、確かな記録で裏づけられた出来事とは言いにくい。熱田神宮の神職も明治天皇も、禁忌の強さを説明するために持ち出された役どころだ。伝承として読むのが妥当だろう。

失われたのでは、という疑い

草薙剣をめぐっては、歴史上の事件も記録されている。『日本書紀』には、668年に僧が剣を盗み、新羅へ持ち出そうとした話がある。壇ノ浦の戦いでは、安徳天皇とともに剣が海へ沈んだと伝えられる。そうなると、現在宮中で継承される剣と神話の剣をどうつなげて考えるかは、そう単純ではない。

実物が公開されないぶん、鏡の裏にヘブライ文字がある、本当の中身は失われて箱だけ残った、そんな説も繰り返し現れる。見えない相手には、人はいくらでも言葉を足せる。ただ、見えないことは何を想像してもよい証拠にはならない。確認できない空白へ、時代ごとの関心が書き込まれているだけでもある。

三種の神器の不思議さは、箱の中身を当てるクイズではない。見ない、開けない、同じ作法で次へ渡す。その約束を、気の遠くなるほど長い時間続けてきたところにある。正体を暴けばすっきりしそうでいて、暴いた瞬間に失われるものもある。神器は、その矛盾ごと受け継がれてきた宝なのだ。

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