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大阪千里念写事件――発狂した女性と写真の影

乾板に顔が浮かんだ、という話の正体

大正末期から昭和初期の千里丘陵に、念写ができる女性がいたらしい。実験の最中に錯乱し、乾板へ不気味な顔を残した。そんな筋書きの記事を、今回まとめて調査してみた。

結果から言う。事件名がない。被験者名も研究者名も出てこない。実験日、実験室、写真原板、当時の新聞記事、どれ一つ提示されないまま話だけが流通している。独立した記録も確認できなかった。

では正体は何か。実在する1910―11年の千里眼事件と、1920年代の千里山開発史。この二つを組み合わせて生まれた派生譚である可能性が高い、というのが調査後の見立てになる。

調べても出てこなかったもの

まず、被験者とされる女性の氏名も住所も家族構成も分からない。実験したという科学者、その大学、研究団体、どこにも行き当たらない。実験の年月日、使った乾板の種類、封印から保管、現像に至る手順、そのどれも記述がない。

錯乱や入院、死亡を裏づける医療記録も見つからない。肝心の念写写真そのもの、原板、複写、図版すら誰も出してこない。当時の新聞や雑誌、研究報告も空振りだった。昭和中期の目撃証言を載せた怪談集も同じで、探しても出てこない。

もちろん、これで完全に存在しないと証明できたことにはならない。ただ、実験史として最低限必要な固有情報が、この話には一つも付いていない。

本物の「千里眼事件」と並べてみる

比較の相手はちゃんと実在する。東京帝国大学の心理学者・福来友吉が関わった透視・念写の研究だ。御船千鶴子や長尾郁子らをめぐる1910―11年前後の騒動は、学術史や心理学史の研究対象として実在している。

東京大学の研究資料にも、御船千鶴子の服毒自殺や、長尾郁子らへの実験継続が記されている。記録が残るというのはそういうことだ。

一方で「大阪千里の無名女性」は、同じ系譜の資料のどこにも現れない。名称の「千里」と「千里眼」が連想でつながっただけではないか。その可能性も検討しておく必要がある。

千里山に残っている実際の記録

吹田市の公式地域史をあたると、年代の輪郭ははっきりする。千里山住宅地の開発が始まったのは1920年。翌1921年には北大阪電気鉄道が千里山まで延伸した。1922年には関西大学千里山学舎が開講している。

この年代は、たしかに話の舞台設定と重なる。ただし都市開発が実在することは、念写事件が実在した証拠にはならない。「竹林が残る新興住宅地」という背景だけを借りてきた、という読み方もできる。

写真の影を疑うなら、まずここを見る

写真に妙な影が出たとき、最初に潰す原因はだいたい決まっている。乾板やフィルムの二重露光。暗室内の光漏れ。指紋、薬品むら、現像むら。すでに露光された乾板との取り違えもある。

包装や封印の管理不備もよくある話だ。実験者や被験者による意図的な操作という、身も蓋もない可能性も残る。そもそも画像に「顔」を見つけてしまうパレイドリアという知覚の癖もある。

この話は、そのどの手順も示していない。だから「不気味な影」を再検証しようがない。

怪談の部品として残しておきたい型

作り話だとしても、伝説としての骨は保存する価値がある。まず、科学者の公開実験で能力者が追い詰められる型がある。能力の行使が精神の崩壊を招く型。写真が本人の意図しない死者や顔を映す型。この二つは怪談の定番でもある。

そして、研究記録が失われて土地の怪談だけが残る型。都市化前の竹林や雑木林を異界の痕跡とする型。これらは千里眼事件、心霊写真、女性霊媒への社会的圧力を再配置した都市伝説として読める。

竹林の実験室、乾板に浮かんだ顔

ここからが噂の中身だ。大正末期から昭和初期、千里丘陵の一角にはまだ竹林と雑木林が広がっていた。その一角に、「見えないものを写真に写せる」と噂される若い女性がいたという。近所では変わり者として遠巻きにされていた。

あるとき、都会から来た「学者先生」がその噂を聞きつけ、実験を申し出た。女性は未使用の乾板を手渡される。目を閉じ、何も映っていないはずの暗い部屋で、しばらく精神を集中する。

最初の数回は指定された景色が出たとされる。たとえば「今、頭の中にある建物」がぼんやりと乾板に浮かび上がり、立会人たちはどよめいたという。

ところが実験が重ねられるうち、女性の様子がおかしくなっていく。

目撃者を名乗る語りによれば、彼女は突然叫び声を上げた。「見える、見える、来る」と譫言のように繰り返し、椅子から崩れ落ちたという。学者たちが慌てて乾板を現像する。そこに写っていたのは指定した風景ではなく、輪郭のぼやけた「人の顔のようなもの」だった。

これが噂の核心部分になる。顔は誰のものか分からない。目のあたりだけが異様に黒く落ち込んでいた、と語られることが多い。この一件以降、女性は人前に姿を見せなくなったとされる。

実験に関わった人々の間でも、「あの部屋には近づかない方がいい」という空気が広がったらしい。噂の終盤はさらに続く。彼女はその後、竹林の奥で目撃されるようになり、手に古い写真を持った着物姿の女性の霊として語られるようになった。そういう展開が付け加えられている。

発祥をたどる――「千里眼」と「千里山」が混ざった場所

この噂の出自を考えるうえで欠かせないのが、実在した千里眼事件だ。1910年前後、熊本の御船千鶴子や香川・丸亀の長尾郁子といった女性たちが、「透視」「念写」の能力者として実験対象になった。実験を主導したのは東京帝国大学の心理学者・福来友吉らである。

騒ぎは新聞をにぎわせた。そして終わり方が重い。御船千鶴子は1911年1月に、長尾郁子も同年2月に、相次いで世を去った。これは国立国会図書館の資料や複数の学術サイトでも確認できる史実だ。

「女性能力者が公開実験の末に追い詰められ、命を落とす」という実際の顛末。これが日本のオカルト史における一種の「原型」として、後年さまざまな土地に移植されてきた側面がある。都市伝説や怪談を扱う考察系サイトの間では、そういう見方が語られている。

一方、大阪の「千里」という地名は、千里眼事件の「千里」とは本来無関係である。しかし言葉の響きが似ている。両者がネット上のまとめや又聞きの中で混同され、接続されていったのではないか、という指摘は複数の考察ブログで見られる。

さらに吹田市の地域史資料によれば、千里山住宅地の開発は1920年代に始まった。当時はまだ竹林や雑木林が広く残る新興住宅地だったことが分かっている。「都市化前の竹林」「新興住宅地に紛れ込んだ怪異」という舞台設定は、この実在の開発史とうまく重なる。

だから噂の書き手が意図的に、あるいは無意識にこの地域史を借用した可能性が高いと見られている。噂は5chやおーぷん2chの「学校の怪談」「近代史の闇」系スレッド、心霊写真を集めたまとめブログに散発的に投稿されていった。その中で「千里眼事件の亜種」として次第に定型化していった、というのが来歴を追う者たちのおおよその見立てになる。

派生バージョン――リング伝説との奇妙な接続

近年よく語られる派生版が一つある。御船千鶴子が貞子のモデルだ、という都市伝説的な言説だ。念写能力を持つ女性が周囲の無理解と好奇の目にさらされ、悲劇的な結末を迎える。この構図が鈴木光司「リング」シリーズに登場する貞子の母、山村志津子の設定に影響を与えたのではないか。そういう噂がオタク文化圏で広まった。

そこに、この千里の女性の噂が結びつけられている。真偽はともかく、「念写する女性=呪われた血筋の始祖」というイメージの型が共有されているのだ。だから「千里の女性もまた、後の代に何か禍々しいものを残したのではないか」という尾ひれのバージョンが、一部の考察系動画のコメント欄で語られている。

さらに別の派生では、女性は実験の失敗のあと入水した、あるいは竹林で首を吊った、という結末が語られることもある。ただし、こうした自死を仄めかす結末部分は史実の裏づけを全く欠いた創作性の強い脚色だ。実在の特定人物の運命として扱うべきではない。この点は強調しておきたい。

目撃談を追う――三つの証言

一つ目は、千里山周辺で育ったという投稿者の体験談とされるものだ。子どもの頃、友人たちと竹林の奥に踏み込んだ。そこで古い木造家屋の残骸のようなものを見つけ、その中でカメラのシャッター音のような「カシャッ」という音を複数回聞いたという。

振り返っても誰もいない。家に帰ってから撮った写真には、誰も写っていないはずの木立の隙間に、白っぽい影のようなものが写り込んでいたと語られている。

二つ目は、深夜に千里山周辺を車で通りかかったという投稿者の話になる。道路脇の暗がりに着物姿の女性が佇み、こちらに向けて何かを構えるような仕草をしていた。それを見たというのだ。

同乗者には見えていなかったといい、後日その道を再び通った際には、何事もなかったかのように普通の住宅街の景色が広がっていたとされる。

三つ目は、心霊写真を集めることを趣味にしているという投稿者の証言だ。古いフリーマーケットで購入した無名の古写真の中に、顔の部分だけ不自然に黒く滲んだ一枚があった。裏面には「千里」という文字だけが薄く書かれていたという。これが「千里念写事件の乾板の写しではないか」という考察が、SNS上で盛り上がりを見せたことがあると語られている。

掲示板・SNS・考察勢の反応

考察系の界隈では、この噂に対しても実在の千里眼事件との異同を整理しようとする動きが根強い。「御船千鶴子や長尾郁子の実験は記録が残っているのに、なぜ千里の女性だけ名前も記録も残っていないのか」。この当然の疑問がしばしば投げかけられる。

議論は「地方の一事例として記録されずに埋もれた説」と「後年の創作説」の二派に分かれて続いている。心霊写真愛好家の界隈では、この噂に便乗する形で「顔が写り込んだ古写真」を投稿するユーザーが定期的に現れる。そのたびに真贋論争が起きる、というのがおおよそのパターンだ。

また、「発狂」という言葉づかいそのものを問題視する声もある。精神疾患への偏見を助長するのではないか、というコメントが一部で見られる。噂を紹介するまとめサイトの中には、近年この表現を「錯乱」「心身に異常をきたした」といった言い回しに置き換える動きも見られる。

千里山という土地――実験室の舞台となった開発地の記憶

千里山は、大阪近郊でも早い時期の郊外住宅地のひとつである。1920年に北大阪電気鉄道、つまり現在の路線の前身が延伸し、1921年に住宅地開発が本格化した。1922年には関西大学の学舎も置かれ、都市近郊化が急速に進んだ地域として知られる。

一方でその開発の裏側には、別の歴史がある。それまで里山として利用されてきた竹林や雑木林が、急速に姿を消していったのだ。開発前の土地の記憶が失われていく。その過程で「開発前にそこにあった何か」を怪異として語る土壌が生まれたとしても、不思議ではない。

実在の千里眼事件が体現した「科学と超常のせめぎ合い」というテーマ。そこに千里山という実在の開発地の記憶が組み合わさる。こうして「大阪千里念写事件」という、いかにも本当にありそうな響きを持つ都市伝説が形作られていったのだろう。

念のため書いておく。本項はあくまでインターネット上の噂・都市伝説の紹介であり、実在の特定人物の精神疾患や死をことさらに断定するものではない。

この写真を「事件」と呼ぶために要るもの

大阪千里で女性が念写を繰り返し、やがて発狂した。この話には、撮影者名も病院名も写真の原板も示されない版が多い。白い影や知らない顔が写った複写画像だけが転載され、いつ誰が現像したのかも分からない。

事件として扱うなら、必要なものははっきりしている。撮影日時、使用したカメラとフィルム、立会人、現像所、ネガの保管経路。最低限これだけは要る。

フィルム写真では、二重露光、光漏れ、現像時の重なり、印画紙への付着物によって像が現れる。古いプリントを別のカメラで撮り直せば、反射や紙の凹凸も加わる。画像に人の顔を見つける現象にはパレイドリアも関係する。輪郭が顔に似ているだけで、撮影者の思念が感光したとはいえない。

反対のことも言っておく。原因を推定できない一枚があったとしても、それで念写の機序が証明されたことにはならない。

日本の念写史では、20世紀初頭に福来友吉が御船千鶴子、長尾郁子らの実験に関わったことが知られる。千里の話がその系譜を借りた創作なのか、後年の心霊雑誌に載った別の体験談なのか。見分けるには、最古の掲載例を探す必要がある。

「発狂」という古い表現も引っかかる。診断名も症状も示さないまま、精神疾患への偏見だけを強めてしまうからだ。本人の医療記録がない場合は、恐怖で精神を病んだと断定しない方がよい。

実験を再現するなら、条件は決まっている。未開封フィルムの管理、カメラの封印、複数の独立した現像、対照撮影。これらを用意する。一回限りの成功写真だけを残し、失敗した枚数を数えない方法では、確率を評価できない。

伝承としての「写真の影」と、検証可能な超心理学実験を混ぜないこと。それがこの話を読み解く基本になる。あと一つ、原板の所在も記録したい。

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