クレタ島には、二千年ほど前の話じゃなくて、三千五百年以上前の粘土板が山ほど埋まっている。そのうちの何千枚かは、一九五二年にひとりの建築家によって「読める文字」になった。ところが、同じ島の同じ時代の、見た目もほとんど同じ文字が、いまだにまったく読めない。名前を線文字A。発見からかぞえて百二十年以上、世界中の言語学者と暗号屋とコンピューターがよってたかって殴りかかって、いまだにびくともしていない。
いちばん意地が悪いのは、これが「まったく手がかりがない謎」じゃないってところだ。音は読める。声に出せる。クロ、キロ、サラ、アササラメ。粘土板の上の文字列を、それっぽい音でぜんぶ発音することはできる。なのに、その音の連なりが、地球上のどの既知の言語にも一致しない。目の前に文章があって、朗読までできて、意味だけが手からすり抜けていく。この記事は、その気の狂いそうな状態がどうやって生まれて、なぜ七十年以上ほどけないのかを、最初から最後までしつこく書く。
一九〇〇年三月、クレタの丘を掘ったら「読めない文字」が三種類も出てきた
話の起点は、アーサー・エヴァンズというイギリス人だ。オックスフォードのアシュモレアン博物館の館長で、印章石のコレクターだった。彼はある時期から、アテネの骨董屋やクレタの村で流通していた小さな彫刻入りの石にとりつかれていた。クレタの農村の女たちは、その石を「乳石」と呼んで、乳の出がよくなるお守りとして首から下げていた。三千年以上前の宮殿の役人が書類に押していた印章が、めぐりめぐって授乳のお守りになっている。エヴァンズはその石の表面に、エジプトでもメソポタミアでもない、見たことのない記号が刻まれているのに気づいた。ヨーロッパにも独自の文字があったんじゃないか。彼はそう考えて、記号の出どころを探して島に渡った。
当時のクレタはオスマン帝国領で、外国人が勝手に掘れる土地ではなかった。一八九八年にオスマンの支配が終わり、島が自治国家になったタイミングで、エヴァンズは狙っていたケファラの丘の土地を買った。地元では昔から「ここに何かある」と言われていた場所だ。発掘許可を取り、一九〇〇年三月二十三日に鍬を入れた。
そこから先の展開が、考古学史でもちょっと異常なくらい早い。数日で壁が出て、数週間で回廊が出て、フレスコ画が出て、玉座のある部屋が出て、要するに巨大な宮殿の全体像がぬっと地面から立ち上がってきた。エヴァンズはこの文明に、伝説のクレタ王ミノスの名前を借りて「ミノア文明」と名づけた。ギリシャ神話に出てくる迷宮とミノタウロスの話が、ただの与太話じゃなくて本当に迷路みたいな宮殿の記憶だったことになる。この時点でも十分にセンセーショナルなのに、彼が本当に欲しかったものはもっと地味なやつだった。文字である。
そして文字は出た。しかも出すぎた。焼けた瓦礫の層から、掌にのるサイズの粘土板がごろごろ出てきたのだ。もともとは日干しの帳簿で、放っておけば雨で溶けて土に戻る使い捨ての事務用品だったはずのものが、宮殿が焼け落ちたときの熱でうっかり素焼きになって、そのまま三千数百年生き延びていた。文明が滅びたおかげで書類が残るというのは、考えてみると相当に皮肉な話だ。
出てきた文字を並べてみて、エヴァンズは三種類に分けた。ひとつは絵文字っぽい「クレタ聖刻文字」。もうひとつが、線で書かれた古いほうの文字、線文字A。最後が、線文字Aによく似ているけれど整理されて洗練された新しいほう、線文字B。彼の見立てでは、線文字Aがミノア人の文字で、線文字Bはそれを改良したもの。どちらもミノア語という未知の言語を書いたもの。少なくともエヴァンズはそう信じていたし、死ぬまでその線を譲らなかった。
ここでひとつ、後世にえらい迷惑をかけることをエヴァンズはやらかしている。彼はクノッソスから四千枚近い線文字Bの粘土板を掘り出しておきながら、ほとんど公表しなかった。自分で解読するつもりだったのだ。粘土板は彼の手元に抱え込まれ、外部の研究者は写真の一枚も見られない状態が何十年も続いた。一九四一年に彼が九十歳で死ぬまで、材料は世に出なかった。解読という競技において、資料の独占は最悪の妨害になる。線文字Bの解読が半世紀遅れた責任の何割かは、まちがいなく発見者本人にある。
十八万枚のカードを刻んだ女がいなければ、あの解読はなかった
線文字Bが解けた話をするとき、たいていは「ヴェントリスという素人が解いた」で終わってしまう。それはドラマとしては正しいけれど、事実としては半分も伝えていない。ヴェントリスが立った土台を作ったのは、ニューヨークのブルックリン大学で古典を教えていた、アリス・コーバーという女性研究者だ。
彼女は一九〇六年生まれ、ハンガリー系移民の家の出で、奨学金を取って大学に進み、そのまま古典学の教員になった。授業を大量に持たされ、給料は安く、時間もない。それでも彼女は、空いている時間のぜんぶを線文字Bにつぎ込んだ。方針は徹底していて、「この文字がどの言語を書いているか」という問いを最初から捨てた。言語をあてずっぽうで決めてから読もうとすると、人は必ず自分の望む答えを見てしまう。だから彼女は、記号そのものの振る舞いだけを数えた。どの記号がどの位置に何回出るか。どの記号のあとにどの記号が来やすいか。ひたすらそれだけを、手作業で。
その手作業のために彼女が作ったのが、伝説の索引カードだ。総数はおよそ十八万枚。戦時中で紙が配給制だったから、新しい用紙なんて買えない。彼女は身のまわりの紙を片端から切ってカードにした。タバコの箱、グリーティングカード、教会の配布物、学生の答案の裏、図書館の廃棄カード。それを一枚ずつハサミで同じ大きさに切り揃え、そこに記号の情報を書き込み、タバコのカートンや靴箱に立てて並べた。ノートは四十冊。一九四六年から四七年にはグッゲンハイム奨学金でオックスフォードに渡り、まだ公刊されていない碑文を千八百点近く手で書き写して持ち帰っている。エヴァンズが抱え込んで出さなかった資料の一部を、彼女は自分の手で写して自分の索引に流し込んだわけだ。
この地道な作業から出てきたのが、のちに「コーバーの三つ組」と呼ばれる発見だった。同じ語幹らしきものを共有しながら、末尾だけが規則的に入れ替わる語のセットが、粘土板の上に何組も見つかったのだ。ラテン語で言えばアルムヌス、アルムニー、アルムナのような関係。つまりこの言語には、名詞の語尾が文法によって変化する仕組み、いわゆる屈折がある。さらに彼女は、語幹と語尾のちょうど境目にまたがる記号の存在に気づいた。ひとつの記号が「語幹の最後の子音」と「語尾の最初の母音」を同時に抱えている。これが成立するということは、この文字はアルファベットでも表語文字でもなく、子音と母音をセットにした音節文字だ、ということになる。しかも、ある記号とある記号が同じ子音を共有している、あるいは同じ母音を共有している、という関係を、具体的な音を一切決めないまま導ける。
これは決定的だった。音価がわからないまま、記号どうしの親戚関係だけを表にしていける道が開いたのだ。彼女は実際にその表の原型を作りはじめていた。行に子音、列に母音を割り当てた格子。あと数年あれば、彼女自身が解読者になっていた可能性はかなり高い。
しかし時間は来なかった。アリス・コーバーは一九五〇年、四十三歳で癌により死んだ。線文字Bが読めるようになる二年前だ。彼女は生涯、この言語が何語かについて一度も断言しなかった。証拠が足りないから言わない、という姿勢を最後まで崩さなかった。地味で、禁欲的で、報われない。後年、ある作家が彼女を主役に据えた本を書くまで、一般向けの物語からはほぼ完全に消えていた人だ。
夜な夜な格子を描いていた建築家の、まぶしいくらい変な人生
そこへ登場するのが、マイケル・ヴェントリス。一九二二年生まれ。父親は軍人、母親は美術に強い関心を持つ人で、家庭環境は裕福といえば裕福、落ち着いているかというとそうでもない。彼は幼少期の一時期をスイスで過ごし、八歳でスイスドイツ語とポーランド語を身につけた。語学の吸収力が単純に異常だった。長じてからも、必要になるたびに新しい言語を積み増していくタイプで、空軍にいたころにはロシア語を実用レベルまで持っていっている。
運命の日は一九三六年。十四歳のヴェントリスは、ロンドンのバーリントン・ハウスで開かれていた展示に行き、そこで講演していた老エヴァンズの話を聞いた。ガラスケースの中には、クレタから来た粘土板。誰にも読めない文字。少年は講演のあと、本人をつかまえて確認した。あれはまだ解読されていないんですか。されていない、という答えが返ってきた。その瞬間に彼は決めた。自分が解く、と。十四歳の決意なんて普通は三年で消えるが、この子の場合は消えなかった。
十八歳のとき、彼は初めての論文をアメリカの考古学専門誌に発表している。内容は、ミノア語はエトルリア語の親戚である、というもの。ちなみにこれは後で本人が自分で否定することになる説だ。しかも投稿にあたって自分の年齢は伏せていた。高校生が査読誌に匿名で殴り込みをかけているわけで、この時点でだいぶ普通じゃない。
第二次大戦がはじまると彼は英空軍に入り、爆撃機の航法士としてドイツ上空を飛んだ。夜の空で、星と計器と地図から自機の位置を割り出しつづける仕事だ。断片的な情報から確からしい一点を絞り込む訓練を、彼は命がけで数年やったことになる。のちの解読作業との相性を考えると、この経歴はできすぎている。
戦後、彼が選んだ職業は建築だった。一九四八年に優等で学位を取り、教育省の仕事で学校の設計をやり、モダニズム建築の担い手として真っ当なキャリアを歩んでいる。線文字Bはあくまで夜と週末の話だった。ここが物語として強烈なところで、彼は言語学者ではない。古典学の学位も持っていない。学界のポストも、研究費も、指導教員もいない。あるのは語学の天才性と、十四歳のときの約束だけだ。
一九五〇年、彼は妙なことをやる。線文字Bに取り組んでいる世界中の研究者十二人に、アンケートを送りつけたのだ。この文字はどんな言語を書いていると思いますか、根拠は何ですか、と。そして返ってきた回答をまとめて全員に配った。いわゆる「世紀半ばの報告」である。研究者たちが互いの手の内を知り、自分の思い込みを相対化できるようにしたわけだ。素人が業界を勝手に横断してネットワーク化したようなもので、この動きがなければ後の展開はだいぶ違っていた。
その後、彼は自分の作業ノートを謄写版で刷って、関係者に送りつけるようになる。一九五一年から翌年にかけて、二十号まで出た。中身は分析の途中経過そのもので、うまくいかなかった仮説も失敗も全部書いてある。彼の作業の核は、コーバーが手をつけた格子の完成だった。エメット・ベネットという研究者が整理した記号一覧を使い、どの記号とどの記号が同じ子音を共有し、どれとどれが同じ母音を共有するかを、ひたすら統計と分布から詰めていく。音は入れない。あくまで空欄の表を、正しい形に組み上げていく。
そして彼は、格子の一部の欄に入るべきものについて、ある勘を持った。線文字Bの粘土板のうち、クレタで出たものにだけ出現して、ギリシャ本土のピュロスで出たものには出ない語群がある。逆もある。土地に紐づいた語ということは、地名の可能性が高い。地名は言語が変わっても発音がそこそこ保存される。ここが唯一の外部からの手がかりになりうる。
一九五二年六月一日、彼は「ありえない答え」に手を伸ばした
作業ノートの二十号は、一九五二年六月一日付。タイトルは、クノッソスとピュロスの粘土板はギリシャ語で書かれているのか、というもの。しかも本人はその冒頭で、これは「ふざけた寄り道」だと断っている。要するに、まさかとは思うけど一応試してみます、という体裁で書きはじめている。
なぜ「まさか」なのか。当時の常識では、ミノア文明はギリシャ人以前の非ギリシャ的な文明であり、エヴァンズ以来、線文字Bがギリシャ語であるはずがないというのが揺るぎない前提だったからだ。ギリシャ人がクレタの宮殿を運営していたなんてことになれば、エヴァンズが築いた文明像そのものが引っくり返る。ヴェントリス自身、直前まで自分の格子から出てくる答えがエトルリア系だと思っていた。
ところが、格子に地名の候補を差し込んで音価を仮置きし、その値を他の語に横展開してみると、出てきたのだ。コ・ノ・ソ。ア・ミ・ニ・ソ。トゥ・リ・ソ。パ・イ・ト。クノッソス、アムニソス、テュリソス、ファイストス。クレタの地名がそのまま並んだ。しかもそこで止まらない。同じ音価を他の粘土板に当てると、コ・ウォとコ・ワが男女の区別された人員の欄に出てくる。古典ギリシャ語で少年はクーロス、少女はコレー。パ・テは父。ポ・メは羊飼い。人名らしきものは、次から次へとギリシャ語の名前として読めていく。
要するに、線文字Bは、ホメロスより五百年ほど古い、アルファベット以前の、聞いたこともないくらい古風なギリシャ語だった。ヴェントリスはこれを、難解で古めかしいギリシャ語ではあるが、それでもギリシャ語だ、と表現している。半世紀ぶんの前提が一晩で崩れた瞬間だった。
一九五二年七月一日、彼はラジオでこの結論を話した。その放送を、ケンブリッジのジョン・チャドウィックという古典学者が聞いていた。チャドウィックは大戦中に日本語の暗号解読に関わった経歴を持ち、ギリシャ語の歴史的な音韻変化にも詳しい人物だった。彼はすぐにヴェントリスに連絡を取る。この組み合わせが完璧だった。ヴェントリスには構造を見抜く目があり、チャドウィックには「この語形が本当に古代ギリシャ語としてありうるか」を判定する専門知があった。ふたりは怒濤の勢いで共同作業に入り、数年後に『ミュケナイ・ギリシャ語文書』という分厚い決定版をまとめることになる。
三本足の鍋が出てきて、議論は終わった
もちろん、学界がすぐに納得したわけじゃない。とくにエディンバラの古典学者A・J・ビーティーは、この解読は成立していないと言い続け、何年も攻撃を続けた。方法論が恣意的だ、都合のいい語だけ拾っている、と。解読の主張というのは、原理的にいくらでも自作自演できてしまうから、この疑いは疑いとしては真っ当だ。必要なのは、解読の結果が事前に予言として使えることを示す証拠だった。
それが一九五三年に出た。ギリシャ本土のピュロスを掘っていたカール・ブレーゲンが、新しい粘土板を洗浄して読んだ。ピュロスの粘土板というのは、一九三九年の発掘初日にいきなり大量に出て、戦争のせいで長らく寝かされていた資料群だ。その一枚には、器物の絵と数量が並んでいた。ブレーゲンがヴェントリスの音価表を当てて読んでみると、三本足の器の絵の横に、ティ・リ・ポ・デと書いてある。ギリシャ語で三脚器はトリポデス。さらに、取っ手が四つ付いた壺の絵の横にはクェ・ト・ロ・ウェ、つまり四つの耳を持つもの。取っ手が三つならティ・リ・オ・ウェ・エ。
これがどれほど強い証拠かというと、ヴェントリスはこの粘土板を見ていない。音価表は先に完成していて、あとから出てきた未知のテキストに適用したら、絵と単語がぴたりと一致した。しかも一語じゃない。数の一致が絵の本数と連動している。ブレーゲンはヴェントリスへの手紙で、これは話がうますぎるように思える、と書いた。うますぎるように見えるが本当だった。ここで実質、勝負はついた。
一九五五年、ヴェントリスは大英帝国勲章を受ける。翌一九五六年九月六日の深夜、彼はロンドン北方の幹線道路をハットフィールド付近で走っていて、路肩に止まっていたトラックに突っ込んだ。即死だった。三十四歳。共著の大著が世に出るほんの数週間前のことだ。事故の状況をめぐっては、当時から余計な憶測が飛び交ったが、確かめようのないことについて外野が語ることではないし、記録として残っているのは深夜の交通事故だという事実だけだ。少年時代に決めた課題を三十歳で解き終えてしまった人が、その先の三十年をどう生きるつもりだったのか。それは誰にもわからない。
で、その方法を線文字Aに向けたらどうなったか
ここからが本題だ。線文字Bが解けた直後、当然みんなこう考えた。線文字Aは線文字Bの親だ。記号の形は七割方そっくりだ。だったら線文字Bの音価をそのまま流し込めば、線文字Aだって読めるようになるはずだ。実際、この作業自体はすぐ終わった。同じ形の記号には同じ音を割り当てる、という単純な原理を適用すれば、線文字Aの粘土板は今日にでも音読できる。研究者は普通にやっている。
そして、読み上げた結果、こうなった。ク・ロ。キ・ロ。サ・ラ。ア・サ・サ・ラ・メ。ダ・ウェ・ダ。ヤ・ディ・キ・トゥ。ウ・ナ・カ・ナ・シ。
何語だこれは。
ギリシャ語ではない。セム語族の既知の言語でもない。ヒッタイト語でもルウィ語でもない。エジプト語でもフルリ語でもエトルリア語でも、少なくとも誰もが納得するかたちでは一致しない。線文字Bのときは、音を入れた瞬間に既知の言語がなだれ込んできた。線文字Aでは、音を入れても何も起きない。ここが線文字A問題の核心であり、七十年間ずっと同じ場所で詰まっている理由でもある。
しかも厄介なのは、この「音読できる」という状態が、実は保証されていないことだ。線文字Bは線文字Aから記号を借りているが、借用というのは往々にして音がずれる。日本語のカタカナがラテン文字の音をそのまま保存していないのと同じで、記号の形が同じでも音まで同じとは限らない。エステル・サルガレッラという研究者は近年、線文字Aと線文字Bを字形のレベルで徹底的に比較し、両者は単純な親子ではなく、書記の実践として連続しつつも別の体系として再編されたものだ、という見方を提示している。書記の系統としては地続きでも、行政の仕組みも度量衡も違う。となると、Bから借りた音価は「たぶんこのへん」以上の意味を持たない。読み上げた音が本当は少しずつずれている可能性が、常に残りつづける。土台が微妙に傾いた上で単語の照合をやっているわけだ。
全部並べても、A4二枚に収まってしまう文章量
次の壁は、身も蓋もない話で、量である。
線文字Aの碑文は、現在知られているものを全部かき集めておよそ千四百点。記号の総数はおよそ七千四百個。ある研究者は、線文字Aの全コーパスは十二ポイントで組めばレターサイズの用紙で二ページ弱に収まる、と言っている。人類の一言語の、現存する全記録が、印刷して二枚。
比較すると絶望が具体的になる。線文字Bはクノッソスとピュロスとミュケナイなどを合わせて数千枚の粘土板があり、記号の数は桁がひとつ違う。エジプトの聖刻文字やメソポタミアの楔形文字にいたっては、比べる意味すらない量が残っている。解読というのは基本的に統計の勝負だ。偶然の一致と本物の規則を切り分けるには、母集団が要る。エリザベス・ウェイランド・バーバーは一九七〇年代に、解読が成立するために必要なテキスト量には下限がある、という趣旨の議論をしている。線文字Aはその線を下回っている。百年以上掘りつづけて、まだ下回っている。
しかも、その二ページ弱の中身がまた冷たい。線文字Aの文書はほとんどが行政帳簿だ。人名か地名らしき語があり、商品の絵文字があり、数字がある。それが延々続く。手紙がない。年代記がない。神話がない。碑文らしい碑文もほぼない。文章の体をなしていないから、文法の材料が取れない。動詞の活用も、格の一致も、語順の情報も、ろくに拾えない。
例外的に「文らしきもの」が取れるのが、石でできた献酒台に彫られた定型句だ。同じ言い回しが、クレタ島内の二十数か所の遺跡から見つかった四十枚前後の献酒台に、繰り返し刻まれている。ア・タ・イ・ワ・ヤで始まり、途中でヤ・サ・サ・ラ・メ、あるいはア・サ・サ・ラ・メという語を挟む、あの決まり文句だ。ここでは複数の語が並び、語形の交替らしきものも観察できる。ブレント・デイヴィスという研究者は、こうした定型句の統計的な構造から、ミノア語の語順は動詞が先に来るタイプではないか、と論じている。文法の輪郭がわずかに見えかけている。ただし、それは輪郭であって、単語の意味ではない。
ロゼッタ・ストーンが、この島には一枚もない
三つ目の壁が、たぶんいちばん決定的だ。二言語併記の文書が、一枚も出ていない。
エジプトの聖刻文字が解けたのは、同じ内容がギリシャ語で併記された石が出てきたからだ。楔形文字はペルシャの多言語碑文が突破口になった。線文字Bですら、ある意味では既知の言語であるギリシャ語という「対訳」が頭の中にあったから、答え合わせができた。つまり歴史上の解読成功例は、ほぼ例外なく「知っている言語との接点」を持っている。
線文字Aにはそれがない。ミノア人はエジプトともレヴァントとも交易していたのだから、どこかに二言語の契約書や外交文書が眠っていてもおかしくない。実際、線文字Aはクレタ島の外でも見つかっている。テラ島のアクロティリ、ケア島、メロス島、キティラ島、さらに小アジアのミレトス、北エーゲのサモトラケ。海を越えて使われていた文字なのだ。それでも、対訳は一枚も出てこない。エーゲ海の海底か、まだ掘られていない丘の下に一枚転がっている可能性は、常にある。研究者が本気で夢見ているのはそれだ。ただし、百二十年待っても出ていない。
そして時間切れの問題もある。線文字Aは紀元前千四百五十年ごろ、クレタ各地の遺跡が焼けた前後にぱたりと使われなくなる。以後、クノッソスでは線文字Bによるギリシャ語の記録が始まる。書く人間が入れ替わったのだ。つまり線文字Aの資料は、増えるとしても、限られた層からしか出てこない。
クロ、キロ、ポトクロ――それでも判っていること
じゃあ何ひとつ判っていないのかというと、そうでもない。意味がかなり確からしい語が、いくつかある。
いちばん堅いのがク・ロだ。この語は、数字が並んだリストの最後に出てきて、その直後の数字が、上に並んだ数字の合計とほぼ一致する。何度も、いろいろな粘土板で一致する。だからク・ロは「合計」だ。これは言語がわからなくても言える。数学が翻訳してくれるからだ。同じ論法で、ポ・ト・ク・ロは複数のク・ロをさらに束ねた位置に出てくるので「総計」だろう、と考えられている。キ・ロは、数字がむしろ足りない場面、つまり帳尻が合わない欄に現れるので「不足」「未納」あたりだろうと推定されている。会計帳簿というのは、言語が読めなくても構造が読める、数少ないジャンルなのだ。
献酒台の定型句からも、いくらかは推測できる。文脈から見て、捧げる、与える、といった意味を担っていそうな語幹がある。ヤ・ディ・キ・トゥという語は、クレタの聖山ディクテ山と音が近いので、地名か山の神格の名ではないかと言われる。ア・サ・サ・ラ・メは、あまりに何度も出てくるので女神の名前ではないか、あるいは「わたしの女主人」のような呼びかけではないか、という説が長く唱えられてきた。ただし、これは音の似た語をよそから探してきているだけで、証明ではない。
商品の絵文字は比較的よくわかる。麦、ぶどう酒、オリーブ油、いちじく、羊、牛、布。絵だからだ。だから線文字Aの粘土板が何を記録した文書なのかは、言語がわからないままでも、かなりの精度で言い当てられる。実際、近年には、言語を解読せずに行政的な内容だけを構造から復元する試みも発表されていて、文書の種別を七割前後の精度で判定できるという主張が出ている。これは正直、慎重に見たほうがいい類の主張ではあるけれど、方向性としては現実的だ。倉庫の在庫表なのか、労働者の割り当てなのか、外部との受け渡しなのかは、数の並びと出土場所から推せる。
つまり現状はこうだ。何が書いてあるジャンルかはわかる。数字の意味もわかる。品目もわかる。人名らしき語がどれかもわかる。ただ、そこに書かれた人間たちが、どの言葉で自分たちの世界を呼んでいたのかだけが、わからない。倉庫の帳簿を、書いた人の言語を知らずに眺めている状態が、七十年続いている。
仮説その一、セム語族説――「クロ」は「すべて」に似すぎている
ここから仮説合戦の話に入る。まず古株で有名なのがセム語族説だ。旗を振ったのはサイラス・ゴードンという学者で、彼はミノア語を北西セム語、つまりフェニキア語やウガリット語の親戚だと主張した。
論拠の花形が、さっきのク・ロだ。セム語には「すべて」を意味するクッルという語がある。合計を意味する語が「すべて」由来なのは、言語として非常に自然だ。ゴードンはこの調子で、線文字Aの語をセム語の語彙と次々に照合していった。クレタは海上交易の要衝で、レヴァントとの往来は考古学的にも確実だから、背景としても筋は通る。
ではなぜ主流になっていないのか。批判の一つ目は、そのやり方だと何でも当たってしまう、というものだ。人類の言語には音の組み合わせの数に限りがあり、二音節や三音節の語なら、無関係な言語どうしでも偶然そっくりな語がいくらでも見つかる。専門的には空似語と呼ばれるやつで、これは解読ごっこの最大の落とし穴だ。似ている語を集めるだけでは証明にならない。証明になるのは、文法体系がまるごと一致するときだけだ。線文字Aは文法の材料が取れないから、この検証ができない。
批判の二つ目は、そもそも音価が借り物だという点に戻ってくる。線文字Bから借りた音が微妙にずれていたら、照合そのものが崩れる。ク・ロがクッルに似ているのは事実だが、その「クロ」という読み自体が仮説の上に乗っている。仮説の上に仮説を積むと、見た目は綺麗な塔ができるが、風で倒れる。
仮説その二、アナトリア語派説――海の向こうの親戚だった可能性
二つ目の有力候補が、小アジアの言語との親戚関係だ。ヒッタイト語やルウィ語を含むアナトリア語派は、印欧語族の中でも最古層に分岐したグループで、紀元前二千年紀のエーゲ海周辺では現役だった。レナード・パーマー、マルガリット・フィンケルベルクといった研究者がこの線を推してきた。
魅力的な理由がある。ギリシャ語には、明らかにギリシャ語らしくない語がたくさん混じっている。海を意味するタラッサ、糸杉を意味するキュパリッソス、そして何より地名だ。クノッソス、テュリソス、コリントス、ヒュアキントス。ンス、ッソスという語尾を持つ地名が、ギリシャ本土からクレタ、小アジア沿岸にかけて帯状に分布している。ギリシャ人が来る前にそこにいた人たちの言葉の化石だと考えられていて、俗に先ギリシャ基層と呼ばれる。この基層語がミノア語であり、それが小アジアの言語と親戚なら、地理的にも歴史的にも収まりがいい。
ただ、こちらも決め手を欠いている。アナトリア語派は印欧語族だから、屈折の形が特徴的で、動詞の人称語尾なども決まっている。線文字Aのテキストからそれが取り出せるなら、話は早い。取り出せていないのだ。ギリシャの研究者ガレス・オーウェンズは長年、線文字Aを印欧語族的に読む試みを続けていて、いくつかの語を宗教的な語彙として解釈する結論を出しているけれど、学界全体の合意にはなっていない。似た語がある、というレベルの証拠が、いくら積み上がっても合意には届かない。それが線文字Aという分野の掟だ。
仮説その三、どこにも属さない――だとしたら、詰みである
三つ目は、身も蓋もない可能性だ。ミノア語は既知のどの語族にも属さない、孤立した言語だった。
これは実は、いちばんありそうな答えでもある。青銅器時代の地中海には、記録に残らずに消えた言語がいくらでもあったはずだ。現在まで残った語族は、たまたま生き延びた一部にすぎない。ヨーロッパにはいまも、周囲のどの言語とも系統がつながらないバスク語が残っている。ミノア語がバスク語のような立場の言語で、しかも後継を残さずに滅びたのなら、比較のよすがはどこにもない。
そして孤立言語だとすると、これは実質的に詰みに近い。解読というのは、突き詰めれば「知っている何か」と「知らない何か」を結ぶ作業だ。結ぶ相手がいなければ、いくら記号の内部構造を精密に分析しても、意味には手が届かない。ク・ロが「合計」だとわかったのは、数字という、言語の外にある共通言語があったからだ。同じ手が使えるのは、数と絵と場所くらいしかない。抽象語や動詞や助詞の意味は、原理的に取り出せない。
ちなみに、これ以外にも仮説は山ほどある。エヴァンズ自身が示唆し、若き日のヴェントリスも信じたエトルリア語との関係。フルリ語説。ギリシャ語の古い層だったとする説。近年でも、カルトヴェリ語族だ、インド・アーリア語だ、という論文が定期的に出てくる。共通しているのは、どの説も他のどの説とも両立しないことだ。二十の解読案があって、そのうち十九以上が確実に間違っている。この状況自体が、資料が足りていないことの何よりの証拠になっている。
AIは線文字Aを解けるのか、という毎年恒例の話題
そして現代の必修科目、機械の話。
計算機による解読の話題が一気に広まったきっかけは、二〇一九年にマサチューセッツ工科大学のグループが出した研究だ。ジアミン・ルオとレジーナ・バージレイらは、未知の文字と既知の言語のあいだで語彙を最適に対応づける仕組みを作り、実際に線文字Bとウガリット語で試してみせた。線文字Bについては、アルゴリズムが「この文字が書いている言語はギリシャ語だ」という判定まで自力で出した。ニュースとしては痛快で、当時は「AIが失われた言語を解読」という見出しが世界中を回った。
ただし、この手法には前提がある。答えの候補になる既知の言語が要るのだ。仕組みとしては、未知語と既知語の対応づけのコストを最小化して、いちばん整合する対応を探す。だから、対応させる相手の言語が用意できないと動かない。線文字Bはギリシャ語という相手がいた。ウガリット語はヘブライ語という近縁がいた。線文字Aには、いない。候補としてセム語もアナトリア語も入れて回してみることはできるし、実際に試されているが、どれを入れても際立った信号が出ない。出ないことが答えなのか、資料が少なすぎてノイズに埋もれているだけなのか、それすら判定できない。
もうひとつの壁が、機械学習の宿命的な燃料不足だ。現代の言語モデルは、途方もない量のテキストからパターンを掬い上げることで成立している。線文字Aは全部でA4二枚だ。どんなに賢いモデルでも、二枚から言語の全体像は復元できない。統計は魔法ではない。
じゃあ機械は無力かというと、そんなことはない。むしろ活躍しているのは、意味の解読ではなく、資料の整備と字形の分析のほうだ。サルガレッラらが構築したSigLAという線文字A記号のデータベースは、三千を超える記号の実例を、どの碑文のどの位置に、どういう書きぶりで刻まれたかまで含めて検索可能にした。これは画像認識と相性がいい。同じ記号の微妙な書き癖から、書いた人間の手を識別する。どの遺跡でどの流儀が使われていたかを地図に落とす。誰がどこで文字を書ける立場にいたのかという、社会の側の問いに答えが出はじめている。オーストラリアのメルボルン大学でも、深層学習を線文字Aの分析に使う共同研究が動いている。
だから現実的な期待値はこうだ。機械は明日にも線文字Aを翻訳してはくれない。けれど、人間の目では追いきれない量の照合を回して、この語とこの語は同じ機能を持つ、この文書とこの文書は同じ書式だ、という中間的な事実を積み増してくれる。地味だが、これが増えれば増えるほど、いつか出るかもしれない一枚の対訳が持つ威力は上がる。
ファイストスの円盤という、同じ島のもう一人の厄介者
クレタの謎を語るなら、もう一枚の円盤に触れないわけにはいかない。一九〇八年七月三日、イタリアの考古学者ルイジ・ペルニエが、ファイストスの宮殿跡で直径十六センチほどの粘土の円盤を掘り出した。両面に、渦巻き状の帯が刻まれ、その中に記号が詰め込まれている。記号は四十五種類、延べ二百四十一個。
異様なのは製法だ。この円盤の記号は、手で刻まれていない。あらかじめ作られた印を、柔らかい粘土に押し込んで作られている。つまり活字である。グーテンベルクの三千年前に、クレタの誰かが活字を作って、一枚だけ何かを印刷した。ハンコを彫るくらいだから、量産する気がなければ割に合わない仕事なのに、同じ手法で作られたものは他に一枚も見つかっていない。
これがまた、まったく読めない。読めないどころか、そもそも読む材料がない。二百四十一個の記号で言語の統計を取るのは無茶にもほどがある。それでも解読を主張した人は山ほどいて、ギリシャ語だ、ヒッタイト語だ、ルウィ語だ、エジプト語だ、セム語だ、バスク語だ、いや文字ではなく絵の暦だ、と百年ぶん積み上がっている。どれも他のどれとも一致しない。短すぎるテキストは、読もうと思えばどんな内容にも読めてしまう。これは暗号の世界で昔から知られている性質で、円盤はその教科書的な実例になってしまった。
しかもこの円盤には、偽物疑惑までついている。二〇〇八年に美術史家のジェローム・アイゼンバーグが、これは発掘者の周辺で作られた近代の贋作ではないかと主張して騒ぎになった。決着していない理由が本当に間抜けで、熱ルミネッセンス年代測定をやれば焼かれた年代がかなり絞れるのに、資料を傷つける検査だという理由で許可が下りていないのだ。真贋を確かめる方法があるのに、確かめられていない。ちなみに、円盤と似た記号を刻んだ青銅の斧がアルカロコリという別の遺跡から出ているので、少なくとも記号体系そのものは実在したと考える研究者が多数派だ。
そして線文字Aとの関係。ブレント・デイヴィスは、円盤と線文字Aの記号の並び方の統計を比べて、両者はかなり高い確度で同じ言語を書いているのではないか、と論じた。文字体系は別でも、その下にある言葉は同じ。もし本当なら、円盤は線文字Aの資料として使える。ただし、二百四十一個の記号が加わったところで、A4二枚がA4二枚と少しになるだけだ。救援というにはあまりに小さい。
読めない文字は、ネットで最高に燃える燃料になる
さて、この百二十年の停滞は、インターネットの時代に入って一風変わった生態系を生んでいる。
まず、解読を主張する人が絶えない。学術系の論文投稿サイトには、毎年のように新しい「線文字A解読」が上がってくる。ハンガリー語だった、バスク語だった、原インド・アーリア語だった、ジョージアの言語の祖先だった、と、切り口は無限にある。共通するパターンもはっきりしていて、たいていは音価を線文字Bから借り、いくつかの語が自分の推す言語の単語に似ていることを示し、その語が現れる文脈がそれっぽく解釈できると述べて終わる。文法の全体像を提示するものは、まずない。専門家がこの手の主張に冷たいのは、意地悪だからではなく、この形式では原理的に検証ができないからだ。
一方で、素人の参入をまるごと否定しづらい空気があるのも事実だ。なにしろ線文字Bを解いたのは、言語学者ですらない建築家である。アマチュアが本職を出し抜いた前例が、この分野の一番おいしい場所に堂々と刺さっている。ヴェントリスにできたなら、という一行が、無数の人を粘土板の写真の前に座らせてきた。掲示板や質問サイトで線文字Aの話題が出るたび、必ず誰かがヴェントリスの名前を出し、必ず別の誰かが、あれは資料が桁違いに多かったから成立した話だ、と冷や水を浴びせる。この応酬は、もはや様式美として定着している。
歴史系のコミュニティでは、線文字Aは「まだ誰も勝っていないゲーム」として扱われている。未解読文字の話題になると必ず名前が挙がる常連であり、ヨーロッパで文字として最後まで残った大物として、特別な地位を持っている。同じ未解読でも、中世の写本をめぐる別の有名な謎とは客層がやや違っていて、あちらが「そもそも意味があるのか」という疑いと隣り合わせなのに対して、線文字Aは中身が確実に実在することが判っている。書かれているのは間違いなく実務の記録で、書いた人も読んだ人も確実にいた。この「絶対に意味はあるのに届かない」という確定した悔しさが、独特の粘りを生んでいる。
創作の世界でも、この文字はよく効く。未知の文字が刻まれた石板、というモチーフは、ミノア文明の迷宮のイメージと結びついて、ゲームや小説の背景として繰り返し使われてきた。牛頭の怪物と迷路の伝説がもともと乗っかっているぶん、素材としての格が高い。実際の粘土板の中身が、大麦の在庫といちじくの数と羊の頭数であることは、そういう物語ではだいたい省略される。個人的には、そこが一番おもしろいところだと思うのだけれど。
無償で公開されている資料が充実しているのも、この分野の空気に効いている。線文字Aの全碑文の翻字を自分のサイトで公開している研究者がいて、記号のデータベースも一般公開されている。だから誰でも、今日の夜から自分の手で語の分布を数えはじめられる。アリス・コーバーが十八万枚のカードを手で刻んで行った作業の何倍かを、いまは表計算ソフトが数秒でやってくれる。道具はこれ以上ないほど揃った。それでも解けていない。道具ではなく資料が足りない、という事実が、これで残酷なくらいはっきりした。
ここから先は誰も言い切れない、という一線
整理として、確定していないことを正直に並べておきたい。この分野の記事は、ここを曖昧にすると一気にうさんくさくなる。
第一に、線文字Aの音価は確定していない。線文字Bから借りた推定値であって、正しい保証はどこにもない。ク・ロという読みからして仮説だ。実際の発音はもっと違ったかもしれない。
第二に、ミノア語が単一の言語だったのかも確定していない。クレタ島全域と周辺の島々で数百年使われた文字だ。方言差があった可能性も、途中で使用言語が変わった可能性も否定できない。
第三に、ク・ロが「合計」であることは強いが、それも数の一致からの推定であって、辞書の裏付けがあるわけではない。多くの語について、意味の推定は文脈依存の当て推量にとどまる。
第四に、諸仮説はどれも決定的な証拠を欠いている。セム語説にもアナトリア説にも、支持する研究者はいるし、まったく無根拠ではない。だが、どれかが正しいと言える段階には遠く及ばない。孤立言語説がいちばん堅実に見えるのは、それが積極的な主張ではなく「他が示せていない」という消極的な結論だからだ。
第五に、ファイストスの円盤の真贋も、線文字Aとの言語的同一性も、確定していない。デイヴィスの統計は説得力があるが、標本の小ささという弱点を抱えている。
第六に、AIによる解読は、現時点で成功していない。成功したという見出しを見かけたら、それが線文字Bの話なのか、行政内容の推定なのか、単なる予測に過ぎないのかを確かめたほうがいい。
そして最後に、いちばん大事な未確認事項。線文字Aが今後解読される見込みがあるかどうかも、わからない。新しい遺跡から二言語文書が出れば、来年にも片がつく。出なければ、あと百年このままかもしれない。そして考古学的には、対訳文書が存在した保証すらない。ミノアの役人が、外国語との対照表を粘土に焼いて残す理由は、実はそんなに強くないのだ。
それでも人はなぜ、この二ページ分の文字に取り憑かれるのか
最後に、この謎の引力の正体を考えてみたい。
ひとつは、あと一歩に見えることだ。まったく手がかりのない謎なら、人はさっさとあきらめる。線文字Aは、記号の一覧があり、音価の候補があり、いくつかの単語の意味が判っていて、文書の種類まで推定できている。ここまで来ていて届かない。登山でいえば、頂上が見えているのに最後の岩壁がどうしても登れない状態が、七十年続いている。人間はこの状態に一番弱い。
ふたつ目は、前例があることだ。線文字Bという、条件のよく似た隣人が、しかも業界の外から来た人間に解かれてしまった。あの成功譚が呪いのように効いていて、同じことがもう一度できるはずだ、という期待が消えない。実際には、ヴェントリスの成功は、コーバーが十八万枚のカードで作った土台と、ベネットが整理した記号一覧と、ブレーゲンが掘り出した数千枚の粘土板と、ギリシャ語という既知の答えが揃って、はじめて成立した。天才がひとりいれば解ける、という物語のほうが気持ちいいから、そちらだけが流通してしまった。線文字Aで同じことが起きないのは、天才が現れないからではなく、材料が揃っていないからだ。
みっつ目は、中身の卑近さだ。この文字が隠しているのは、失われた叡智でも予言でもない。羊が何頭、油が何壺、いちじくが何個、そして誰それが何を納めた、という記録だ。三千五百年前に、誰かが夕方に机に向かって、その日の数字を粘土に刻んだ。翌日にはもう用済みになるはずだった紙切れが、宮殿の火事のせいで永遠になった。そこに書かれた人名は、確実に実在した人間の名前だ。彼らは自分の名前を、自分の言葉で発音していた。その音が、いまはもう誰にも復元できない。読めない文字の向こうに神殿の秘密が眠っているという想像より、こっちのほうがずっと寂しくて、ずっと強い。
そして四つ目。これは、答えが存在することが確定している謎だという点だ。世の中の謎の多くは、そもそも問いの立て方が間違っていたり、答えが存在しなかったりする。線文字Aは違う。書いた人がいて、読めた人がいて、意味があった。答えは確実にあって、ただ、この世界のどこにも残っていないだけだ。届かない場所に確実にあるものほど、人の手を伸ばさせるものはない。
三つの要素のうち、外からしか来ないもの
ここからは、本編でこぼれた話と、全体を眺め直したときに見えてくるものを、まとめて書いておく。
まず、線文字A問題の構造を一度きれいに整理しておきたい。解読という作業には、原理的に三つの要素が要る。ひとつ、文字体系の内部構造。どの記号が音節でどれが表語で、記号どうしがどう関係するのか。ふたつ、音価。記号にどんな音が対応するか。みっつ、言語。その音の連なりがどの言語なのか。この三つがぜんぶ未知だと、解読は基本的に不可能に近い。歴史上の成功例はどれも、このうち少なくともひとつが外から与えられている。エジプトの聖刻文字は言語がコプト語という形で残っていたし、対訳もあった。楔形文字は多言語碑文があった。線文字Bは、内部構造をコーバーが解き、音価をヴェントリスが格子で詰め、言語がギリシャ語だと判明した。三つのうち二つを人力で作って、最後のひとつが既知だったから成立している。
線文字Aは、内部構造については実はかなり進んでいる。音節記号と表語記号の区別、数体系、分数の表記、書式の類型、書記の手癖まで分析されている。音価も、借り物ではあるが仮に埋まっている。埋まっていないのは三つ目、言語だけだ。しかも三つの要素のうち、言語だけは内部分析からは絶対に出てこない。外から持ってくるしかない。テキストの中をいくら見ても、そこに書かれていない情報は出てこないからだ。だから線文字Aは、努力の量で殴れる問題ではない。ここが、他の未解読文字と比べても特殊なところだ。研究者が優秀でないわけでもなければ、手法が古いわけでもない。単に、必要な種類の情報が世界に存在していない。
次に、この百二十年の間に何度も繰り返されてきた失敗の型を書いておく。これは他の未解読文字にも、というか未知のものに挑むあらゆる場面にも効く教訓だと思う。
いちばん多い失敗は、答えを先に決めてしまうことだ。ミノア人はこういう人たちだったはずだから、その言語はこれのはずだ。そう決めてから記号を見ると、必ずその通りに見えてくる。人間の脳はパターン検出装置として過剰に優秀なので、ノイズの中から望んだ形をいくらでも拾い出す。アリス・コーバーがあれほど頑固に「言語の話はしない」と言い続けたのは、この罠を誰よりも警戒していたからだ。彼女は同時代に、根拠の薄い解読宣言を何度も見せられていた。だから彼女は、自分が正しいと思う答えについても口を閉ざしたまま、数えることだけをやって死んだ。あの禁欲は、方法論としてはいまも最先端だ。
二番目に多い失敗が、語彙の空似に頼ることだ。二音節や三音節の語なら、無関係な言語どうしでも似た音の語が必ず見つかる。ましてや音価が推定値で、比較対象の言語を全世界から自由に選べるなら、当たりが出ないほうがおかしい。だから語彙の一致は、単独では証拠にならない。証拠になるのは、体系の一致だけだ。名詞の格変化のパターンがまるごと合う、動詞の人称語尾が体系として合う、そういうときだけ、それは偶然では説明できない。線文字Aで体系の一致を示せた人は、まだひとりもいない。
三番目は、短いテキストで大きな結論を出すことだ。ファイストスの円盤が典型で、二百四十一個の記号からは、統計的に有意なことはほとんど何も言えない。それでも百年ぶんの解読案が積み上がっているのは、短さがむしろ自由度を上げてしまうからだ。制約が少ないほど、多くの解が成立してしまう。解が一意に定まらない問題を、無理やり一意に定めようとすると、必ず自作自演になる。
こう並べると気が滅入るが、逆に、この分野で何が本当に進歩したのかもはっきりする。この二十年で最も大きく変わったのは、解読そのものではなく、資料の可視化だ。かつては、線文字Aの碑文を全部見ようと思ったら、各国の博物館と学術誌を渡り歩いて、限られた研究者にだけ許された閲覧を積み重ねるしかなかった。エヴァンズが資料を抱え込んで半世紀を無駄にしたのも、アリス・コーバーが千八百点を手で書き写す羽目になったのも、資料が閉じていたからだ。いまは、全碑文の翻字が公開され、記号ごとの実例が検索できるデータベースがあり、字形の細部まで画像で比較できる。この環境の変化は、解読そのものよりずっと確実な進歩だ。
その環境の上で、いま実際に成果が出ているのは、言語の解読ではなく社会の復元のほうだ。誰がどこで書いていたのか。書記の技術はどう伝わったのか。宮殿の管理者と、地方の小さな建物の管理者は、同じ書式を使っていたのか。字形の癖を追いかけると、こういう問いに答えが出る。サルガレッラが線文字Aと線文字Bを字形のレベルで比較して示したのは、要するに、書記という職業集団の連続性だ。ミノアの宮殿が崩れてギリシャ語話者が支配者になったあとも、粘土板に文字を刻む技術者たちは、たぶん現場に残った。支配者の言葉が変わったから、彼らは同じ手つきで別の言語を書きはじめた。文字体系が入れ替わる瞬間に、そこにいたのは征服者ではなく、いつも通り出勤した事務員だった、という話だ。これは解読ではないが、線文字Aの粘土板からしか出てこない、生々しい歴史そのものだと思う。
もうひとつ、深掘りしておきたいのが「解読されないほうが幸せなのでは」という、たまに見かける意見への反論だ。ロマンが失われる、という言い分はわからなくもない。実際、線文字Bが解けたとき、多くの人がある種の失望を味わった。あの神秘的な文字が語っていたのは、油の配給量と羊の頭数と、青銅の在庫だった。ホメロスの英雄たちの物語を期待した人は、事務書類を渡されて肩を落とした。
だが、あの事務書類はとんでもない情報量を持っていた。誰が何を持っていて、誰が誰に何を納めていたかが判ると、その社会の構造がまるごと見えてくる。神々の名前も出てきた。ミュケナイの人々が、後のギリシャ人と同じ神を、少しだけ古い形の名前で呼んでいたことが判った。奴隷がいたことも、職人の分業がどこまで細かかったかも、女性の労働がどう記録されていたかも判った。詩ではなく帳簿だからこそ、嘘のない情報が取れた。線文字Aが解けたとき、出てくるのもたぶん同じ種類のものだ。神々の名前と、職種と、地名と、税と、負債。それはロマンの喪失ではなく、ミノア社会の輪郭が初めて内側から見えるということだ。いまわれわれがミノア人について知っていることは、ほぼすべて壁画と建築と壺という「物」からの推測でしかない。彼ら自身の言葉での自己記述は、一行も読めていない。壁画で微笑む青い猿と、跳ね回る牡牛と、蛇を持つ女神像。あれを見て我々が語っているミノア文明像は、全部こちらの想像だ。彼らが自分たちを何と呼んでいたかすら判らない。ミノア人という呼称は、エヴァンズがギリシャ神話から借りてきた他称にすぎない。
そして、この記事の最初に戻る。音は読める、意味だけが読めない、というあの奇妙な状態について。
これは実は、体験としてかなり不気味なものだ。エジプトの聖刻文字が読めなかった時代、人々はあの絵文字を神秘的な象徴だと思い込んで、ありもしない深遠な意味を読み取ろうとした。読めないものは、いくらでも神聖化できる。ところが線文字Aは、その神聖化を許してくれない。音がある。ということは、言葉だ。言葉ということは、ある朝、誰かがそれを口に出して読み上げたということだ。ク・ロ、と読んで、そのあとの数字を確認して、合っていれば頷いたはずだ。その動作は完全に想像できるのに、その人が使っていた言葉だけが、この宇宙のどこにも残っていない。
言語というのは、話者が絶えた時点で、原理的に復元不能になる。書かれたものが残っても、それを読める人間の頭の中にあった辞書が失われれば、記号列はただの模様に戻る。線文字Aは、その事実を人類に突きつけてくる、たぶん最も上等な標本だ。文字が残ることと、言葉が残ることは、まったく別のことなのだ。粘土板は火事で焼かれて三千五百年生き延びた。だが、その粘土板を読み上げていた人たちの語彙は、火事とは関係なく、話す人がいなくなった時点で消えた。物質としての記録の頑丈さと、意味としての記録の脆さの差が、これほどくっきり出ている例はそうそうない。
最後に、現実的な見通しを書いて終わりにする。線文字Aが今後解読されるとすれば、道は三つしかない。ひとつは、対訳文書が発掘されること。クレタでもエジプトでもレヴァントでもいい、ミノア語と既知の言語が並んだ一枚が出れば、その日のうちに勝負がつく可能性がある。ふたつ目は、線文字Aの資料が劇的に増えること。数千点の規模に届けば、内部分析だけで文法体系を復元できる目が出てくる。みっつ目は、ミノア語の親戚にあたる未知の言語が、どこか別の場所で見つかること。小アジアや東地中海には、まだ十分に発掘されていない場所が残っている。
どれも他力本願だ。研究者が机の上でどれだけ賢くなっても届かない。だから、線文字Aの解読を待つというのは、要するに、まだ掘られていない地面を待つということになる。百二十年待った。あと何年になるかは、誰にもわからない。ただ、ひとつだけ確かなのは、答えは確実に存在するということだ。誰かがそれを書いた。誰かがそれを読んだ。それだけは、粘土板が保証してくれている。
