「1980年2月5日火曜日から、私はすべてを覚えています」。カリフォルニアに暮らす一人の女性が、研究者にそう告げたのは2000年のことだった。名前はジル・プライス。当時34歳だった彼女は、14歳のあの日を境に一変していた。
自分の身に起きたほぼすべての出来事を、鮮明に思い出せるようになっていたのだ。その範囲は日付と曜日、その日の天気やニュース、着ていた服の色にまで及んでいた。まあ、これは超能力の話でもSFの話でもない。実在する脳の特異体質の話である。
超記憶症候群、あるいはハイパーサイメシア(Hyperthymesia)。医学的には「高度に優れた自伝的記憶(HSAM: Highly Superior Autobiographical Memory)」と呼ばれる。ジル・プライスは、その記録に残る最初の症例だ。
「忘れる」ことができない、という地獄と天国
私たちの多くは、昨日の夕食に何を食べたかさえ、数日後には曖昧になる。ところが、HSAMを持つ人々は違う。何年も、何十年も前のある特定の日について、まるで昨日のことのように詳細に語ることができる。その日は何曜日で、何が起きて、自分がどう感じたか。そこまで全部だ。
正直、うらやましく思える能力だ。ただ、当事者たちの声を聞くと、事情はそう単純ではないことがわかる。色褪せないのは楽しい思い出だけではない。恥ずかしい失敗も、裏切られた怒りも、大切な人を失った悲しみも同じように戻ってくる。感情の生々しさを保ったまま、繰り返し押し寄せてくるのだ。
ある研究者はこの状態を、「記憶の看守であると同時に、記憶の囚人でもある」と表現している。忘れることは、人間にとって呪いであると同時に、心を守るための不可欠な機能でもある。その機能を持たない人々の物語は、「記憶力がいい」という単純な言葉では到底片付けられない。深い苦悩と発見の物語なのである。
すべての始まり――ジル・プライスの告白
ジル・プライス(旧姓ローゼンバーグ)は1965年12月30日、南カリフォルニアで生まれた。幼い頃から、人並み外れた記憶力の兆候は見せていた。それが決定的になったのは14歳、1980年2月5日火曜日のことだったという。「その日から、私はすべてを覚えています」と本人は繰り返し語る。
以来、過去のあらゆる日付が、まるでカレンダーを見るように瞬時に呼び出せる状態になった。誰かが何気なく口にした日付を聞くだけでいい。彼女の頭の中では、その日の出来事が次々と再生され始める。当初、この能力は誰にも打ち明けられずにいた。自分がおかしいのではないかという不安を、プライスは長年抱え続けていた。
ここからが転機だ。2000年、ついに彼女は勇気を出す。カリフォルニア大学アーバイン校(UCI)の著名な脳科学者ジェームズ・マッガウ教授に、一通のメールを送る。
「先生、私には問題があります。43歳から今日に至るまで、自分の人生のすべての日を思い出せるのです」。そういう趣旨の訴えだった。この一通のメールが、記念すべき最初の発見につながっていく。HSAMという症例群は、後に世界中で50人以上が確認されることになる。
学会が動いた日――「AJ」から「ハイパーサイメシア」へ
マッガウ教授と、共同研究者のエリザベス・パーカー、ラリー・カーヒルら。研究チームはプライスを匿名の「AJ」として、長期にわたり研究した。彼女の日常的な日記の記述と、実際に起きた出来事の記録。この二つを照合して正確さを検証する、地道な作業が積み重ねられた。
研究チームは彼女の脳をMRIでスキャンした。海馬や前頭前皮質の構造そのものは、統計的に正常範囲内であることを確認する。一方で、強迫性障害(OCD)の患者に見られる脳の特徴と、ある種の類似性がある可能性も指摘した。
この症例が学術誌『Neurocase』に正式な論文として発表されたのは、2006年。「hyperthymestic syndrome(超記憶症候群)」という新しい名称が、医学文献に初めて登場することになった。これが、この現象に関する世界初の学術的報告である。
その後、より多くの類似症例が集まるにつれて、研究チームは名称を「HSAM(高度に優れた自伝的記憶)」へと改めている。狙いは、単に「異常な記憶」というレッテルを避けることにあった。あくまで通常の記憶能力の延長線上にある、際立って優れた自伝的記憶。そう位置づけるための呼称変更だった。
2008年、プライスは自らの半生を綴った回顧録『The Woman Who Can’t Forget(忘れられない女)』を出版した。共著者はバート・デイヴィス。これをきっかけに彼女は、匿名の「AJ」から素顔を明かした当事者として、世界的に知られる存在となった。
記憶に押しつぶされる日常――プライス自身の言葉
プライスは著書やインタビューの中で、この能力がもたらす苦しみを繰り返し語っている。彼女にとって記憶は、望んで呼び出すものではない。勝手に押し寄せてくるものだった。
想像してみてほしい。誰かが何気なく口にした日付、テレビから流れるニュース、街で見かけた何気ない光景。そうした些細なきっかけひとつで、何十年も前の特定の日の記憶が、感情の生々しさを伴って一気によみがえってくる。
楽しい記憶ならまだしも、家族との喧嘩、友人との仲違い、失恋、恥ずかしい失敗までが等しく戻ってくる。当時とまったく同じ強さの感情とともに反復されるのだという。プライスはこの状態を、「休むことのない、終わりのないフィルムの上映会をずっと見せられているようなもの」と表現している。
周囲からは「うらやましい能力」だと言われる。そのたびに、言葉との温度差に孤独を感じてきたと明かしている。実際、彼女は長年にわたり実家の両親のもとで暮らし、この特異体質と折り合いをつけながら生きる道を模索し続けてきた。
また、一部の研究者からは懐疑的な見方も示された。単に幼少期から日記をつけ続けてきた習慣の結果ではないか、というものだ。これに対してプライスは、強い苛立ちと反論を示している。彼女にとってこれは、努力によって身につけた技術ではない。生まれながらの脳の特性そのものだからである。
タクシーで一躍有名になった女優――マリルー・ヘナーの証言
プライスの症例が公表されて以降、同じくHSAMを持つと確認された人物が何人も現れた。中でもっとも知られているのが、女優のマリルー・ヘナーである。テレビドラマ『タクシー』などで知られる、あの人だ。
彼女は自分の記憶の仕組みを、独特の表現で語っている。「誰かが日付や年号を口にすると、頭の中に時間軸に沿った小さな映画のワンシーンが次々と流れ出すんです」。子どもの頃から、周囲の大人たちには「あなたの記憶力は普通じゃない」と指摘されていた。
ただ、それが医学的に特別な現象だと知ったのは、ずっと後のことだった。きっかけは、CBSの人気報道番組『60ミニッツ』である。2000年代に入り、記者のレスリー・スタールが彼女の能力に関心を持ち、取材を申し込んできた。
MRI検査を受け、番組で特集された。結果、ヘナーは一躍「記憶の魔術師」としてメディアの脚光を浴びることになる。面白いのは、ヘナーがプライスとは対照的に、この能力を前向きに捉えている点だ。
彼女はこう語る。「嫌な記憶が消えないのは事実だけれど、それ以上に、人生を彩ってきた無数のささやかで幸せな瞬間まで、色褪せずに覚えていられる」。俳優としての台本の暗記にも、この能力は大いに役立ったと述べている。現在では自らの経験をもとに著書『Total Memory Makeover』を出版し、一般向けの記憶術コンサルタントとしても活動している。
同じHSAMという特性が、プライスにとっては重荷であり、ヘナーにとっては才能として受け止められている。この対比が示すのは、一律に「不幸」とも「幸運」とも言い切れない現象だということだ。HSAMは、複雑な個人差を持つ症候群なのである。
世界中で見つかった「忘れられない人々」
プライスの発見以降、UCIの研究チームには連絡が相次いだ。自分もHSAMではないか、という人々からの申し出である。現在までに、世界で50人以上がHSAMを持つ人物として学術的に確認されている。その中には俳優のほか、一般の会社員や主婦、学生も含まれる。幅広い職業・年齢層に散らばっているわけだ。
ある男性の逸話がある。10代の頃からカレンダーの計算に異常な強さを見せ、何百年も先の特定の日が何曜日になるかを瞬時に答えられたという。また別の女性は、幼少期のいじめの記憶が何十年経っても昨日のことのように鮮明だと告白している。そのために長期間にわたり、心療内科での治療を必要とした。
海外のオンラインコミュニティやSNS上には、HSAMを自称する人々が体験談を投稿し合う場も存在する。「テストで100点を取った日の教室の匂いまで覚えている」といった肯定的な投稿がある。一方で、切実な訴えも多く見られる。「大切な人を亡くした日の記憶が毎晩フラッシュバックのようによみがえり、眠れない」。
専門家の間では、こうした自己申告が実際にHSAMの基準を満たすのかどうか、慎重に見極める必要があるという指摘もなされている。単に有名な公的出来事を暗記する能力に長けているだけの人もいる。日記などの外部記録に頼っているだけの人も少なくない。記憶力の良さを主張する声を、そのまま信じるわけにはいかないのである。
医学はどこまで解明したか――脳の中で起きていること
HSAMの診断は、単なる自己申告では成立しない。UCIの研究チームが用いる基準は、かなり厳密である。被験者に無作為に選ばれた過去の日付を提示する。その日が何曜日だったか、その日に世の中で何が起きていたか、そして被験者自身の身に何があったか。それを尋ね、客観的な記録と一つずつ照合していく。
ただし、当初は課題も指摘されてきた。こうしたテストの多くが「有名な出来事に関する知識」に依存しているためだ。年齢や個人の得意分野による文化的バイアスが、かかりやすい。現在、UCI記憶・学習神経生物学センターのマイケル・ヤッサ博士らの研究室では、新しい診断ツールの開発が進められている。こうした偏りを避け、個人の知識量に依存しない、より客観的なものを目指す。
脳画像研究では、通常とは異なる構造的特徴が報告されている。側頭葉や、記憶と習慣的行動に関わるとされる尾状核など、複数の脳領域でだ。一方で、海馬そのもののサイズや基本構造には、明確な異常が見られないケースが多い。
有力視されているのは、こんな仮説である。記憶の「量」が増大しているのではなく、記憶を「定着させ、繰り返し想起する」神経回路の使われ方そのものに違いがあるのではないか。
複数の研究では、別の共通点も報告されている。几帳面な整理整頓の習慣や、反復的な思考パターン。強迫性障害の傾向と重なる特徴が、しばしば見られるという。優れた記憶力と、ある種の心理的なこだわりの強さ。この二つが脳のレベルでどこかつながっている可能性が、示唆されている。
ただし、これらはあくまで相関関係だ。因果関係の解明は、今後の研究課題として残されている。
つらい記憶からも逃げられない、という現実
HSAMをめぐる報道や論文で、繰り返し強調される側面がある。「都合よく忘れる」ということが、一切できないのだ。一般に人間の脳は、時間の経過とともに記憶を自然に整理していく。痛みを伴う体験の感情的な強度を、徐々に和らげていく働きを持っている。
トラウマから立ち直り、日常生活を送り続けるために欠かせない働きである。いわば心の自然治癒力のようなものだ。ところがHSAMを持つ人々の場合、この「感情の風化」がほとんど起こらない。
喪失の悲しみ、屈辱的だった出来事、対人関係の傷。そうした負の記憶が、何十年経っても発生した当時とほぼ同じ鮮烈さで想起され続ける。そのため当事者たちはしばしば、不安障害や不眠、侵入的な思考に悩まされることが報告されている。
ある研究者は、この状態を「自伝的記憶における忘却の必要性」という言葉で説明している。人間には適度に忘れる権利がある。いわば「自伝的な物忘れ」こそが精神の健康に不可欠なのだと、その研究者は論じている。
この視点に立つと、HSAMは単なる「特殊能力」ではなくなる。忘却という、誰もが当たり前に享受している脳の機能。それがいかに私たちの心を守っているかを逆説的に照らし出す、貴重な自然実験のような存在だと考えられる。
「もしあなたが忘れられなかったら」――ネット上の反応
HSAMという現象がメディアで紹介されるたび、SNSや掲示板では活発な議論が巻き起こる。「もし自分がすべての記憶を鮮明に覚えていたら、耐えられないと思う」。そんな共感の声が多く見られる。一方で、「テストや資格試験の丸暗記に使えるなら羨ましい」といった軽い調子のコメントも珍しくない。
ちなみに、日本語圏のブログやSNSでも反応は活発だ。超記憶症候群を紹介する記事のコメント欄には、こんな意見が並ぶ。「大切な人との楽しい思い出も、当然色褪せずに残るということだから、一概に悪いとは言えないのでは」。「忘れられるからこそ人は前を向いて生きていけるのだと改めて実感した」。そうした感想が数多く寄せられている。
海外のディスカッションフォーラムでは、HSAMを自称する投稿者たちが日常生活での具体的な困りごとを共有する場面も見られる。例えば、こんな声がある。友人が何気なく口にした数年前の失言を、自分だけがはっきり覚えている。相手はまったく覚えていないため、気まずい思いをすることがよくある。
過去の口論の内容を一言一句覚えているせいで、当時と同じ怒りがぶり返してしまう。なかなか人間関係の修復ができない、という訴えもある。記憶の鮮明さゆえの対人関係の難しさを訴える声が、とにかく目立つ。学術論文だけでは伝わりにくい、HSAMという特性のリアルな重さ。こうした生の声の積み重ねが、それを浮かび上がらせている。
忘れられないという才能と、これからの研究
ジル・プライスの最初の告白から四半世紀近くが経ち、HSAMの研究は着実に進展を続けている。当初は「都市伝説めいた特異な症例」として扱われがちだった現象である。それが今では、正式な研究対象として確立されつつある。応用範囲は脳科学、心理学、さらには法医学(目撃証言の信頼性研究など)にまで広がっている。
研究者たちが狙っているのは、逆向きの答えである。HSAMを持つ人々の脳を詳しく調べることで、「なぜ大多数の人間は忘れるようにできているのか」を知ろうとしている。記憶研究における、根源的な問いだ。将来的には、アルツハイマー病など記憶障害の治療法開発にも役立つ可能性がある。この特異な脳の働きの解明に、そんな期待がかかっている。
プライス自身は今もなお、自らの経験を通じて多くの人々に「記憶とは何か」を問いかけ続けている。ヘナーのように前向きに能力を活かす当事者もいる。静かに苦しみと向き合いながら暮らす当事者もいる。
すべてを覚えているということは、幸福なのか。それとも、過酷な運命なのか。その答えは、今もなお一つに定まってはいない。
