ある夜、目が覚めたまま二度と眠れなくなるとしたら。そんな悪夢のような病が、この世に実在する。致死性家族性不眠症、英語でFatal Familial Insomnia、通称FFI。
発症するとまず眠れなくなる。やがて完全に眠りを失う。そして眠らないまま、数ヶ月から数年のうちに死に至る。
しかも本人の意識は、はっきりしたままだ。思考力を保ったまま、身体のほうだけが壊れていく。世界でも数十家系しか確認されていない超希少疾患でありながら、その症状のあまりの残酷さから「世界で一番怖い病気」の一つとして語り継がれている。
ヴェネツィアの一族、ジャコモの呪い
物語は1791年、ヴェネツィア近郊の小さな町に生まれた一人の男、ジャコモに遡る。彼はいたって普通の人生を送っていた。ところが1836年、45歳になったある日から異変が始まった。
夜、どれだけ横になっても眠れない。うとうとしても数分で目が覚める。日を追うごとに不眠は悪化した。やがて彼は錯乱状態に陥り、幻覚を見るようになった。
手足の震え、異常な発汗、そして急速に進む認知の崩壊。ジャコモは床に伏せたまま、苦しみながら息を引き取った。当時、これが遺伝性の病であるとは誰も知る由もなかった。周囲の人々には「気が触れた」としか見えなかっただろう。
しかしジャコモの死は始まりに過ぎなかった。ここからが一族の長い話になる。
彼の子孫たちは代々、ヴェネツィア周辺で暮らしを続け、家系は150年以上にわたって繁栄した。だがその繁栄の陰には、常に同じ影が付きまとっていた。
一族の男女が中年に差し掛かる頃、決まって同じ運命が襲いかかったのだ。眠れなくなり、錯乱し、痩せ細り、そして死ぬ。誰もその法則に気づかないまま、一族は「呪われた家系」として、あるいは単なる不運として、この悲劇を何世代も繰り返してきた。
シルヴァーノの記録――医学史に刻まれた最初の詳細な観察
この奇病が初めて医学の光を浴びたのは1983年後半のことだ。イタリアの神経学者イグナツィオ・ロイター博士が、ボローニャ大学の睡眠研究所で一人の患者を診察した。この男性は後に「シルヴァーノ」という仮名で医学文献に残ることになる。しかも彼は、ロイター博士の一族の親戚でもあった。
ロイター博士は、シルヴァーノの脳を将来の研究のために提供してもらう約束を取り付けた。シルヴァーノのほうも、奇妙な運命を悟りながらも、意識がまだ清明なうちに自らの記録を残すことを決意する。
シルヴァーノの症状は、教科書に載っていないものだった。脳波を測定すると、睡眠にも覚醒にも当てはまらない、速く不規則な奇妙な波形を示した。医学が想定する「眠り」と「目覚め」のどちらの型にも収まらない、前例のない脳の状態だったのである。
それでもシルヴァーノは最後までユーモアを忘れなかった。自分の状況を冗談交じりに語り、見舞いに来た医療スタッフと会話を交わし、読書を続けた。正直、ここが一番こたえる。
彼の理性は最後まで壊れなかった。壊れていったのは身体だった。
この病に初めて正式な医学的記載が与えられたのは、1986年のことだ。ロイター博士と神経病理学者エリオ・ルガレージらのチームが、シルヴァーノの症例を中心に据えた論文を医学誌に発表した。致死性家族性不眠症という病名が世に出た瞬間である。
さらに1984年には、ピエルイージ・ガンベッティとルガレージが患者の脳組織を顕微鏡で観察した。そこで彼らは、視床という脳の深部領域が「スポンジ状」に変性していることを発見した。
この海綿状変性は、狂牛病(BSE)やクロイツフェルト・ヤコブ病と同じ「プリオン病」に特有の病理所見だ。ここから彼らは、FFIもまたプリオンによる病気ではないかと疑い始めた。
決定打となったのは1996年。カリフォルニア大学サンフランシスコ校のスタンレー・プルシナー博士の研究チームが、実験マウスにこの病を人工的に再現した。異常型プリオンタンパク質こそが原因だと証明したのだ。プルシナー博士はこの一連のプリオン研究により、翌1997年にノーベル生理学・医学賞を受賞している。
誰も生きていない「タンパク質の塊」が自己複製し、脳を内側から食い荒らしていく。FFIの正体は、SFさながらの生物学的怪異だったのだ。
遺伝子に刻まれた運命――PRNP遺伝子とコドン178
FFIの原因は、20番染色体上にあるPRNP遺伝子の178番目のコドンに生じる点突然変異である。この遺伝子は本来、脳内で正常に機能する「プリオンタンパク質(PrP)」の設計図だ。ところが変異によって作られたタンパク質は、異常な立体構造に折り畳まれてしまう。
恐ろしいのはここからだ。この異常プリオンが周囲の正常なプリオンタンパク質に接触すると、次々と同じ異常な形に変えてしまう。つまり「連鎖反応」を起こすわけだ。
まるで一滴のインクが水槽全体を黒く染めていくように、異常プリオンは脳内に蓄積していく。とりわけ集まる先が視床、睡眠と覚醒のリズムを制御する部位だ。そしてその機能を内側から破壊していく。
この病気は常染色体優性遺伝だ。親がこの変異を持っていれば、子は50%の確率で発症する運命を受け継ぐ。しかも129番目のコドンにメチオニンを持つかどうかで臨床像が変わる。家族性のFFIだけではない。家族歴のない孤発性致死性不眠症(sFI)という、よく似た病型も存在することが分かっている。
病の四段階――眠れないまま壊れていく身体
FFIの経過は、医学的におおよそ4つの段階に区分される。第1段階は約4ヶ月。悪化する不眠、パニック発作、そして妄想的な思考が始まる時期だ。
第2段階は約5ヶ月で、幻覚が顕著になり、パニック発作も激しさを増す。第3段階は約3ヶ月。ここで患者は完全に眠ることができなくなり、体重が急速に減少していく。
そして第4段階、約6ヶ月。認知機能が著しく低下し、外界への反応がほとんどなくなり、最終的に昏睡から死に至る。発症から死亡までの期間は、平均して6ヶ月から36ヶ月ほどとされる。
典型的な発症年齢は50代前半だ。同時に瞳孔の異常な収縮、血圧の上昇、異常な発汗といった自律神経系の暴走症状も進行する。
何よりも患者本人を苦しめるのは、眠りへの渇望だ。「desperately, incessantly に眠りたい」と切望しながら、浅い、断片的なまどろみしか得られない。その状態が続く。
運動機能や発話能力は徐々に失われていく。なのに思考力だけは、最後まではっきりと保たれているケースが多いと報告されている。自分の身体が壊れていく様を、意識を保ったまま眺め続けなければならない。これがFFIが「残酷な病」と呼ばれる最大の理由である。
エリザベッタの証言――3年に一度、家族を失う一族
ロイター家の血を引くエリザベッタ・ロイテルという女性がいる。彼女はこの病気がもたらす現実の重さを、雄弁に物語る証言者だ。自身の祖父、2人の叔母、そして叔父を、彼女はこの病で失っている。
通常、致死性家族性不眠症の発症確率は3300万人に1人ともいわれる。きわめて稀な病気だ。ところが彼女の一族においては、変異遺伝子を受け継ぐ確率が実に2分の1という異常な高さになる。
エリザベッタは自らの状況を「およそ3年に一度、誰かを亡くしている」と表現した。家族の集まりのたびに、次に発症するのは誰なのか、自分自身は変異を受け継いでいるのか。そうした重苦しい問いが、常に頭上に垂れ込めている。
遺伝子検査を受けて自らの運命を知るか、知らずに生きるか。この選択そのものが、一族に生まれた者たちに課せられた過酷な十字架となっている。
もう一つの記録――「眠れない一族」に描かれた人々
ジャーナリストのD.T.マックスは、この一族を長年取材した。そして2006年、『The Family That Couldn’t Sleep(邦題:眠れない一族)』というノンフィクションを発表した。
この本は前述のシルヴァーノの記録を軸にしている。そこにプリオン病全体の恐るべき歴史を織り交ぜていく。クールー病、狂牛病、クロイツフェルト・ヤコブ病。そのうえで、ヴェネツィアの一族が世代を超えてこの病とどう向き合ってきたかを描いている。
マックスが克明に記録したのは、シルヴァーノの姿だ。最後まで自分の状態を冗談交じりに語り、周囲との人間らしいやり取りを保ち続けた男の姿である。
脳波計は「睡眠とも覚醒とも判定できない、速く不規則なギザギザの波形」を示し続けた。これは医学文献のどこにも載っていない、未知の脳の状態だったという。
派生する症例――アメリカ人男性の一年間の抵抗
FFIに対する治療法は、今も存在しない。それでも2006年に報告されたある症例は、多くの研究者の関心を集めた。52歳のアメリカ人男性の患者だ。
彼は診断後、あらゆる手段を組み合わせて症状の進行に抵抗した。ビタミン療法、瞑想、刺激剤の使用、感覚遮断療法。手当たり次第という言葉が浮かぶ。
その結果、統計上の平均生存期間を約1年も上回ることに成功した。その間に自らの闘病記を執筆し、さらには数百マイルの距離を自動車で運転することまで成し遂げたという。しかし最終的には典型的な4段階の経過をたどり、病には勝てなかった。
この症例は、FFIが「なす術のない病」であることを示している。同時に、患者自身の生きる意志や生活の工夫によって、わずかながらも進行を遅らせる余地があることも示す。貴重な記録として、今も引用されている。
バスク地方の家系とオランダの初症例――世界に散らばる血統
FFIはイタリアだけの病ではない。1998年時点で、世界中でおよそ40の家系がこの変異遺伝子を保有していることが確認されている。
中でも注目されるのがスペイン・バスク地方の事例だ。18世紀にさかのぼる共通の祖先を持つ、2つの家系がある。そこから1993年から2005年の間だけで、実に16件もの家族性発症例が報告された。何世代にもわたって受け継がれてきた変異が、地理的に離れた場所でも同じ悲劇を繰り返していたことになる。
また2011年には、オランダで初めてFFIと診断された症例が報告された。57歳のエジプト系男性だ。それまでオランダ国内では確認されていなかったこの病が、移民の血統を通じて国境を越えて広がっている。そのことを示す出来事となった。
プリオン病という病理学的な希少性に加えて、家系図をたどると大陸を横断する「見えない糸」が浮かび上がってくる。この点も、FFIが医学界だけでなく人類遺伝学の研究者たちの関心を惹きつけてきた理由の一つだ。
掲示板・SNSでの反応――「一番怖い死に方」という共通見解
FFIは海外の医学系まとめサイトで繰り返し話題になってきた病気だ。「世界一怖い病気」系のスレッドや、Redditの医学・都市伝説系コミュニティでも同じように扱われている。
多くの投稿者が共通して口にするのは、同じ感想だ。「眠れない状態のまま意識を保って死んでいくというのが、あらゆる死因の中で最も恐ろしい」。
「ゾンビ映画よりも怖い、なぜなら現実に起きているから」「がんより怖い。がんなら痛み止めで眠れるが、これは眠ることすら許されない」。こうした反応が典型的だ。
睡眠専門医や神経内科医が、一般ユーザーの質問にQ&A形式で答える記事や動画も多く作られている。「本当に一睡もできなくなるのか」「薬で眠らせることはできないのか」。素朴な疑問が、繰り返し投げかけられている。
実際には、末期に強い鎮静剤で意識レベルを下げるといった緩和的アプローチが取られることもある。だが根本的にプリオンの蓄積を止める手立てがない以上、進行そのものを止めることはできない。それが現在の医学的な回答だ。
治す手立てはまだない――それでも動き出した研究
現時点でFFIを治癒させる治療法は存在しない。対症療法としては、筋の痙攣に対してクロナゼパムが用いられる。エスゾピクロンやゾルピデムといった睡眠薬が試されることもある。いずれも長期的な効果は乏しいとされている。
一方で、動物モデルの研究には明るい報告がある。ペントサンポリスルフェート、メパクリン、アムホテリシンBといった薬剤が、疾患の進行を遅らせる可能性を示している。ドキシサイクリンを用いた臨床研究も進行中だ。
さらに近年では、発症前の段階で手を打とうという動きも出てきた。プリオンタンパク質そのものの発現量を薬理学的に低下させ、発症を予防しようという発想だ。「プリオン・アライアンス」などの研究団体の取り組みが進んでいる。
運命を受け継いでしまった家族たちにとって、これらの研究の一つ一つが希望の糸になっている。細くはあるが、確かな糸だ。
眠りとは、生き物にとって最も無防備で、最も安らかであるはずの時間だ。その眠りそのものを奪われ、意識を保ったまま身体だけが崩れていく。致死性家族性不眠症は、人体の謎の中でも際立って残酷な形で、私たちに「眠れることの尊さ」を突きつけてくる病気である。
