17歳で老人になった少年――早老症プロジェリアの子供たちが駆け抜けた人生

生まれたときは普通の赤ちゃんだった。それが1歳を過ぎる頃から、髪が抜け、身長の伸びが止まり、皮膚が薄くなり、関節がこわばっていく。10歳になる頃には、外見も体内の血管も、80代の高齢者とほとんど変わらない状態になってしまう――これが早老症プロジェリア(正式名称:ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群、HGPS)という病の現実である。世界でも数百人しか患者が確認されていない超希少疾患でありながら、「子供が老人になる」という直感的にすぐ理解できる残酷さゆえに、これまで数多くのドキュメンタリーやニュースで取り上げられ、世界中の人々の心を揺さぶってきた。

サム・バーンズ――「幸せに生きるための哲学」を語った少年

プロジェリアという病名を世界的に知らしめた最大の功労者は、間違いなくアメリカ・ボストン近郊フォックスボローに生まれたサム・バーンズだろう。サムはプロジェリア患者の平均寿命とされる13歳をはるかに超え、17歳まで生き抜いた。その人生は、ただ病と闘うだけのものでは決してなかった。サムは精巧なレゴの街を何時間もかけて作り上げることに情熱を注ぎ、学校では優秀な成績を収めて表彰され、高校のマーチングバンドに所属してドラムを担当し、プロムにも参加した。将来はマサチューセッツ工科大学(MIT)に進学して発明家になることを夢見ていた。

2013年、サムは「幸せに生きるための哲学(My Philosophy for a Happy Life)」と題したTEDxトークに登壇する。小柄な体で堂々と語られたその内容は、老いた身体に閉じ込められた少年の言葉とは思えないほど前向きで、聴衆の涙を誘った。このトークは後に1億回以上再生される驚異的な広がりを見せ、プロジェリアという病の存在を世界中に知らしめることになった。しかしその翌年、2014年1月にサムは17歳でこの世を去った。彼の死は多くのメディアで報じられ、彼を主人公にしたHBOドキュメンタリー『Life According to Sam』はアカデミー賞のショートリストにも選出されている。

サムの両親であるレスリー・ゴードン博士とスコット・バーンズ博士はともに小児科医であり、息子の診断を受けて自ら「プロジェリア研究財団(Progeria Research Foundation)」を設立した。母のレスリー・ゴードン博士は研究者としても最前線に立ち続け、2003年に発見されたプロジェリアの原因遺伝子(LMNA遺伝子)の研究、さらに2012年に発表された治療薬ロナファルニブの臨床試験において、共著者として重要な役割を果たした。

この研究では、もともとがん治療薬として開発されたロナファルニブが、プロジェリア患者の血管の硬化や骨の構造を改善する効果を示すことが明らかになり、この病気に対する初めての治療的アプローチとして世界中の医学界に希望をもたらした。両親の執念とも言える研究への取り組みが、息子一人の命を救うには間に合わなかったとしても、後に続く子供たちの未来を確実に切り開いたのである。

サミー・バッソ――科学者になったイタリアの青年

プロジェリア患者として世界最長の生存記録を打ち立てた人物が、イタリア・スキオ出身のサミー・バッソである。1995年12月1日に生まれたサミーは、2歳のときにプロジェリアの診断を受けた。世界的にも認識されている症例数がわずか130例程度という、文字通り桁外れに稀な病気と向き合いながら、彼は家族の支えのもとで一般の学校教育を受け続けた。 サミーの人生は「病気の少年」という枠にはとうてい収まらないものだった。2018年には満点に近い成績で自然科学の学位を取得し、2021年には分子生物学の修士号を取得する。単に病気を「持つ」だけでなく、自らその原因を科学的に解明する側に回ろうとしたのだ。

彼は実際にロナファルニブをはじめとする実験的治療薬の臨床試験に自ら参加し、研究者たちと対等な立場で議論を交わす場面もあったという。2015年にはイタリアの国民的音楽祭「サンレモ音楽祭」に招待され、2019年にはイタリア共和国勲章を受章するなど、科学者としてだけでなく、社会的な啓発活動家としても高い評価を受けた。趣味で始めたアメリカ横断のルート66の旅は『Il viaggio di Sammy(サミーの旅)』という一冊の本にまとめられている。 サミーは自らの病についてこう語っていたと伝えられている。「プロジェリアは私の人生のほんの小さな部分にすぎない」。

身体は老いていても、精神も知性も彼自身のものであり、病気に人生そのものを規定させはしないという強い意志が、この言葉には込められている。2024年10月5日、サミーは心血管系の合併症により28歳で亡くなった。プロジェリア患者としては異例の長寿を全うした彼の死は世界中で悼まれ、イギリスの経済誌『エコノミスト』が追悼記事を掲載するという、通常であれば政治家や著名な経営者にしか与えられないような扱いを受けたことも大きな話題となった。

世界に散らばる子供たち――それぞれの夢

プロジェリア研究財団は、世界各国から集まった157人ものHGPS患者たちの記録と物語を継続的に公開している。その一人ひとりに、それぞれの生活があり、夢があることが伝わってくる。 アメリカに暮らすメーガンは現在24歳。ロナファルニブの臨床試験に参加した最初の患者の一人であり、乗馬とジュエリー作りを趣味としながら、自らの治療そのものにも積極的に関わり続けている。同じくアメリカのゾーイは現在15歳で、体操を心から愛し、自らの名前を冠したチャリティー「Team Zoey」を通じて研究資金を集める活動を続けている。オーストラリアのエンゾは13歳で宇宙が大好きな少年であり、毎年チャリティーマラソンに参加して支援を呼びかけている。

スペインのアレクサンドラは8歳、ダンスをこよなく愛し、彼女の家族はスペイン初となるプロジェリア協会を立ち上げた。国も文化も違う子供たちが、それぞれの得意なこと、好きなことを通じて自分の人生を前向きに切り開こうとしている姿は、単なる「悲劇の物語」という枠を超えて、多くの人々に生きる力を与えている。

医学史への初登場――19世紀イギリスの2人の医師

プロジェリアが医学文献に初めて記録されたのは19世紀のイギリスである。1886年、外科医ジョナサン・ハッチンソンが、極端な発育不全と老化様の外見を示す症例を報告した。その約8年後の1897年、同じくイギリスの医師ヘイスティングス・ギルフォードが、同様の症状を示す別の症例をより詳細に記述し、この疾患に「プロジェリア(ギリシャ語で『早すぎる老化』を意味する語に由来)」という名称を与えた。この2人の先駆的な報告者の名前が組み合わされ、現在の正式病名「ハッチンソン・ギルフォード・プロジェリア症候群」が生まれた。当時はまだ遺伝子という概念そのものが黎明期にあり、なぜこのような早老が起きるのかはまったくの謎に包まれていた。

この病の分子生物学的な正体が明らかになったのは、実に100年以上のちの2003年のことだ。研究者たちは、プロジェリア患者の多くがLMNA遺伝子にごくわずかな変異(多くはサイレント変異と呼ばれる一見無害に見える一塩基の変化)を持っていることを突き止めた。この変異により、細胞の核を内側から支える「ラミンA」というタンパク質が異常な形の「プロゲリン」というタンパク質に置き換わってしまう。プロゲリンは細胞核の構造を歪め、細胞分裂のたびに正常な細胞よりもはるかに早く細胞を老化・損傷させていく。

この発見は、プロジェリアという希少疾患の研究にとどまらず、人間の「通常の老化」そのもののメカニズムを理解する手がかりとしても、老年医学の分野で大きな注目を集めることになった。

症状の全体像――加速する時間

プロジェリアの子供たちは生まれた直後は健康そのものに見えることが多い。しかし生後9ヶ月から2歳頃までの間に成長の停滞が始まり、髪の毛が抜け落ち、眉毛やまつ毛までも失われていく。皮膚は薄く硬くなり、静脈が透けて見えるほどになる。顔つきは特徴的な変化を見せ、鼻が細く尖り、下顎が小さくなり、頭部に対して顔が不釣り合いに小さく見える独特の相貌を呈するようになる。関節は高齢者のようにこわばり、股関節脱臼を起こしやすくなる。骨密度の低下、皮下脂肪の消失、そして何より深刻なのが、動脈硬化をはじめとする重度の心血管疾患の進行である。通常であれば数十年かけて起こるはずの血管の老化が、プロジェリアの子供たちの体内ではわずか数年のうちに進んでしまう。

最終的な死因の大部分は心筋梗塞や脳卒中であり、これが患者の平均寿命を13〜14歳程度に留めている最大の要因となっている。 、プロジェリアの子供たちは知的発達に関しては年齢相応、あるいはそれ以上に優れているケースが多いことが知られている。身体だけが猛スピードで老いていく一方で、脳の発達や知能は正常に保たれる――このギャップこそが、サムやサミーのような子供たちが、限られた時間の中でも学問や芸術、社会活動において目覚ましい成果を残せた理由の一つだと考えられている。

家族の証言――「病気ではなく、この子自身を見てほしい」

プロジェリアの子供を育てる親たちが語る言葉には、共通したテーマが繰り返し現れる。「診断を受けた日、目の前が真っ暗になった。この子はいつか老人の姿で死んでいくのだと告げられて、平静でいられる親などいない」という告白がある一方で、「それでもこの子は、他のどの子供とも同じように、笑い、怒り、夢を語る一人の人間だ。病気のラベルではなく、この子自身を見てほしい」という願いが、多くの家族から一貫して語られている。ある母親は、我が子が同年代の子供たちから外見の違いをからかわれた経験について、「傷つかなかったと言えば嘘になる。でもこの子は、それ以上に自分の好きなことに没頭する力を持っていた」と振り返っている。

きょうだいを持つ家庭では、健康な兄弟姉妹が幼いながらに「なぜ自分の弟(妹)だけがこんな目に遭うのか」という理不尽さと向き合わざるを得ない場面も多く、家族全体が病気と共に成長していく姿が、数々の手記やドキュメンタリーの中で描かれている。

ネット上の反応――称賛と、当事者たちの複雑な思い

サムやサミーの動画、記事がSNSで拡散されるたびに、コメント欄には「こんなに前向きに生きられる人がいるのかと胸を打たれた」「自分の悩みなんてちっぽけだと気づかされた」といった称賛と感動の声が数えきれないほど寄せられてきた。一方で、プロジェリア当事者やその家族のコミュニティの中には、「感動ポルノ的に消費されることへの複雑な思い」を語る声も存在する。「私たちは『感動を与えるための存在』ではなく、ただ生きているだけだ」という指摘は、プロジェリアに限らず難病や障害を扱うドキュメンタリー全般に対してしばしば向けられる批判でもある。

それでも多くの家族は、正しい理解と研究資金の獲得のためには、自分たちの物語を発信し続けることが不可欠だと考え、啓発活動を続けている。オンラインの医学系コミュニティでは「LMNA遺伝子の変異はなぜ突然変異として起こるのか」「将来的に遺伝子治療で治せる日は来るのか」といった科学的な議論も活発に交わされている。

現在の研究と、閉じかけている希望の扉

2020年、ロナファルニブ(商品名ジグフィーロ)は、プロジェリアおよび関連する早老症候群に対する治療薬として、アメリカ食品医薬品局(FDA)から正式に承認された。これはプロジェリアという病気に対して世界で初めて承認された治療薬であり、患者の平均生存期間を有意に延長させる効果が臨床試験で確認されている。サムやサミーが自らの体を使って参加した治験の成果が、この承認という形で結実したことは、決して小さな意味を持たない。 さらに近年では、CRISPRなどのゲノム編集技術を用いて、LMNA遺伝子の変異そのものを修正しようとする基礎研究も進められている。

マウスモデルを用いた実験では、プロゲリンの生成を抑制することで寿命が大幅に延長する結果も報告されており、将来的にはより根本的な治療法が実現する可能性も指摘されている。プロジェリア研究財団をはじめとする患者家族主導の団体が、世界中の研究機関と連携しながら資金を集め続けていることが、こうした研究の進展を支える大きな原動力となっている。 生まれてからわずか十数年で、老人の身体を生きることになる子供たち。それでも彼らの多くは、限られた時間を嘆くのではなく、レゴの街を作り、科学を学び、ダンスを踊り、宇宙を夢見ることに使ってきた。

早老症プロジェリアという病は、人体という器の残酷な脆さと同時に、その中に宿る精神がいかに自由でありうるかを、私たちに教え続けている。

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