二人で暮らすうちに、片方が抱く「誰かに狙われている」という確信を、もう片方も共有するようになる。郵便の遅れも、隣家の物音も、テレビの言葉も、すべて同じ筋書きの証拠に見えてくる。かつて「フォリ・ア・ドゥ」と呼ばれたのは、密接な関係にある人々の間で、妄想が共有されるように見える現象だった。まあ、順を追って見ていこう。
「二人の狂気」という歴史的な名称
フォリ・ア・ドゥはフランス語で「二人の狂気」を意味する。1877年、精神科医シャルル・ラゼーグとジュール・ファルレが、ある症例を論じた。緊密な関係にある二人の間で、妄想が伝わったように見えるケースだ。この名称が知られるようになったのは、そこからだ。その後、家族や三人以上に広がる例にも、派生した呼び方が使われた。
20世紀には、いくつかの分類が提案された。一つは、主導する人の妄想をもう一人が受け入れる型だ。もう一つは、もともと素因を持つ人々が、同時に似た妄想を示す型だ。ただし、こうした分類は歴史的な整理であり、すべてのケースがきれいに当てはまるわけではない。
診断名としての扱いも変わってきた。以前は「共有精神病性障害」など、独立した名称が使われた。現在の診断分類では、別の精神病性障害の枠組みで扱われる。つまりフォリ・ア・ドゥは、今も現象を説明する言葉として残っている。ただし、固定された一つの病気を指す名称ではない。
妄想がウイルスのように感染するわけではない
ここからが本題だ。「妄想が伝染する」という表現は分かりやすい。ただし、文字どおり心から心へ病原体が移るわけではない。報告されてきた例では、長期間の同居、社会的な孤立、強い依存関係、情報源の偏りなどが重なっている。外部の人と話す機会が減り、二人の説明だけが互いの現実確認になると、反対の情報が入りにくくなる。
とはいえ、支配的な人が一方的に妄想を押しつけ、受け身の人がそのまま信じるという図式だけで片づけることもできない。二人が互いの不安を強めたり、もともと似た症状があったりする場合もある。夫婦や家族の仲が良いこと自体が原因でもない。「閉じた関係だから危険」と一般化すれば、当事者への偏見になる。
治療の歴史では、二人を一時的に離して状態を確かめる考え方が語られてきた。しかし、分離すれば必ず解決するという単純なものではない。それぞれの症状や生活環境に応じた判断が必要になる。念のため言えば、読み物の知識だけで、身近な二人をこの名称に当てはめることはできない。
パパン姉妹事件は「確定症例」ではない
この言葉と結びつけて紹介されることが多いのが、パパン姉妹事件である。1933年、フランスのル・マンで起きた事件だ。住み込みで働いていた姉妹が雇い主の母娘を殺害した。その閉ざされた関係や事件後の言動が、当時の精神科医や知識人の関心を集めた。裁判、階級対立、労働環境、姉妹の生育歴など、さまざまな観点から論じられてきた事件でもある。
ただし、姉妹の精神状態を現代の基準で改めて確定することはできない。当時の鑑定にも見解の違いがある。事件をフォリ・ア・ドゥだけで説明するのは、遡及診断にあたる。後世の戯曲や映画が描いた心理も、史料と同じではない。凶悪事件を「二人で同じ妄想を持った結果」と一本の筋にすると、確認できる事実と解釈の境目が見えなくなる。
SNSのエコーチェンバーとは別の話
現代では、同じ意見の人だけが集まるSNS空間を「デジタル版フォリ・ア・ドゥ」と呼ぶことがある。閉じた情報環境で確信が強まるという比喩には、分かりやすい部分もある。しかし、政治的な意見や陰謀論を共有する集団と、医療上の妄想を伴う状態は同じではない。
カルト、家族内の支配、ネット上のエコーチェンバーも、それぞれ別の仕組みを持つ。何かを二人で強く信じているだけで、精神病性障害になるわけではない。匿名の「隣人が同じ妄想を話していた」といった投稿も、臨床記録として扱えない。
フォリ・ア・ドゥの奇妙さは、他人の考えが魔法のように入り込む点にあるのではない。現実を確かめる手段が、人間関係の中で狭くなっていく点にある。歴史的な診断概念、実在事件への後世の解釈、現代社会を語る比喩を分けて読む。そうすると「狂気の感染」という刺激的な言葉の奥に、孤立と相互作用の問題が見えてくる。
