## テネシーの森には、番号を振られた人間が置いてある
まず、匂いの話からしたい。
アメリカ・テネシー州ノックスビル。大学病院の裏手に、有刺鉄線を巻いた金網のフェンスに囲まれた雑木林がある。広さはだいたい三エーカー弱。日本の感覚だと、小学校のグラウンドをちょっと大きくしたくらいだ。門には鍵がかかっている。看板も出ていない。木がびっしり生えていて、外からは中がほとんど見えない。
その門を開けて中に入ると、最初に来るのは視覚じゃない。匂いだ。
甘い。それが多くの訪問者が最初に口にする言葉らしい。腐敗臭というと、生ゴミとか、ドブとか、そういうものを想像すると思う。でも実際に人間が野外で腐っていく現場の空気は、もっと粘っこくて、甘ったるい。鼻の奥にへばりつく感じ。夏のテネシーは湿度が高くて気温も上がるから、その甘さがぶわっと膨らむ。一度嗅ぐと、家に帰ってシャワーを浴びても、しばらく鼻の中に残る。ここで働く研究者たちは口をそろえて「慣れる」と言う。慣れるらしい。本当かよ、と思うけど、慣れるらしい。
次に来るのが音だ。ブーン、という低い羽音。一匹二匹じゃない。何百、何千という単位のハエが、林の中のあちこちで唸っている。夏場だと、その音は林全体で鳴っている。BGMみたいに。そして足元。落ち葉を踏むと、ときどきカサカサじゃない音がする。硬い甲虫の背中を踏んだ音だ。
そして最後に、目が慣れてくる。落ち葉と下草の間に、黒いビニールがかかった塊がいくつも見える。そのビニールをめくると、人間がいる。仰向けだったり、うつ伏せだったり、木陰だったり、日なただったり。手首には番号のタグ。ここでは名前で呼ばれない。全員が番号だ。
この場所の正式名称は、テネシー大学人類学研究施設。世界中の人が呼んでいる通称は、ボディファーム。日本語に直すと、死体農場。
## 113年ぶんの間違いが、この施設を生んだ
なんでこんな施設ができたのか。話は1977年の暮れにさかのぼる。
当時テネシー大学の人類学科長だったウィリアム・バス博士――みんなビル・バスと呼ぶ――のところに、ナッシュビル近郊の保安官事務所から連絡が入った。古い墓地で、墓荒らしが入った形跡がある。掘り返された穴の中から遺体が出てきた。しかも頭がない。南北戦争時代の墓の上に、誰かが最近の殺人被害者を隠したんじゃないか。そういう筋書きだった。
バスは現場に呼ばれた。当時すでに彼は法医人類学の第一人者で、骨を見れば年齢も性別も身長もだいたい言い当てられる人だった。警察が骨のことで困ったらバスに聞け、というくらいの存在。
穴の底から出てきたその遺体を見て、バスは驚いた。肉がまだ残っていたのだ。しかもピンク色。腐敗臭もする。腸まで判別できる。骨だけになった南北戦争の兵士なんかじゃない。どう見ても、そんなに前に死んだ人ではない。
バスは所見を述べた。白人男性。二十代半ば。身長は一メートル八十センチくらい。体重八十キロ弱。そして、死後経過はおよそ半年から一年。
これが、彼のキャリア最大の間違いになる。
その遺体は、南北戦争の南軍中佐ウィリアム・シャイその人だった。1864年、ナッシュビルの戦いで戦死した人物。つまり、バスが「死後一年以内」と言った遺体は、実際には死後113年経っていた。
なぜそんなことになったのか。理由は二つある。ひとつ、シャイ中佐はナッシュビルでも早い時期にエンバーミング処理を受けた人物のひとりだった。つまり防腐処理がされていた。もうひとつ、彼が納められていたのは、密閉性の高い鋳鉄製の棺だった。空気も水も虫も入らない。その中で百年以上、彼の体はほとんど時間が止まったような状態で保たれていた。そこに墓荒らしが穴を開けて、体を引きずり出した。その拍子に頭部が胴体から離れた。犯人たちは金目のものだけ持って逃げたらしい。
引きずり出された瞬間、止まっていた時計が動き出した。空気に触れた組織が急速に腐り始めた。バスが見たのは、113年間封印されていた体が、掘り出されてから数週間だけ腐敗したところだった。ピンク色の肉も、腐敗臭も、それで説明がつく。
シャイ中佐は1978年2月13日、遺族と南部連合の顕彰団体の人たちが見守る中、あらためて埋葬された。墓荒らしの犯人は逮捕されていない。
問題はバスのほうだ。彼はこの一件で、猛烈に恥をかいた。そして恥をかいたあとで、もっと恐ろしいことに気がついた。
自分が113年も間違えたのは、自分がバカだからではない。人間の体が、どういう条件下で、どういう速さで腐っていくのか。それを体系的に調べたデータが、この世に存在しないからだ。
法医人類学者たちは、経験と勘と、断片的な症例報告を寄せ集めて「死後三か月くらいですかね」と言っていた。それが法廷に出て、人の運命を決めていた。土台がなかった。
だったら作るしかない。バスはそう考えた。
## 大学に「人間を野ざらしにする土地をください」と頼んだ男
1980年、バスは大学に土地を要求した。目的は、人間の遺体を屋外に置いて、腐っていく過程を最初から最後まで記録すること。
これがどれだけ無茶な要求か、想像してほしい。大学の敷地内で、人間の死体を野ざらしにする。学部長が卒倒してもおかしくない。実際、最初にあてがわれたのは大学が持っていた農場の隅っこで、その後、医療センターの裏、放射線安全管理棟の奥という、とにかく人目につかない場所に移された。当時のノックスビルでは、そこはほぼ誰も来ない藪だった。
最初の遺体が置かれたのは1981年。身元不明で引き取り手のない男性だったと言われている。バスと学生たちは、その一体を毎日見に行った。何日目に色が変わるか。何日目に膨らむか。何日目にしぼむか。何日目に虫が来るか。ノートに書いた。写真を撮った。
いま、その施設には常時150体から200体の人間が置かれている。開設以来、通り抜けた遺体は千八百体を超え、その骨は洗浄されて標本になり、千七百体分を超える現代人骨コレクションになった。アメリカで最大級の、現代人の骨の標本群だ。1981年に最初に受け入れられた献体は、いまも骨のかたちで研究に使われ続けている。四十年以上たっても、まだ働いている。
ちなみに1985年、施設のすぐ近くに駐車場ができた。「見えてしまう」という話になって、目隠しの塀が追加された。このあたりのドタバタが、いかにも現実という感じがして好きだ。
## 森の中、車のトランクの中、水の底、コンクリートの下
ここからが本題だ。施設の中で、実際に何が置かれているのか。
まず、いちばん多いのは地面に直接置かれた遺体。服を着せた状態、裸の状態。日なた、日陰。仰向け、うつ伏せ、横向き。落ち葉に半分埋もれさせたもの。金網のケージをかぶせて、動物に食べられないようにしたもの。逆に、あえてケージなしで置いて、アライグマやハゲタカやネズミがどう食べていくかを見るもの。
次に、埋めたもの。深さを変えて埋める。浅い穴、深い穴。一体だけ埋めた穴、三体まとめて埋めた穴、六体まとめて埋めた穴。これは大量埋葬の現場を再現するためだ。内戦や虐殺のあとの集団墓地を掘り返す国際的な調査チームが、ここで訓練を受けている。
そして、車。中古の乗用車が林の中に何台か置いてあって、トランクの中や後部座席に遺体が入っている。夏の車内は六十度を超える。密閉された鉄の箱の中で、人間はどう変化するのか。これは実際の事件で、車から遺体が見つかるケースが多いからだ。
水。プラスチックの水槽やタンクに沈められた遺体がある。水の中では腐敗の進み方がまったく変わる。虫が来ない代わりに、脂肪が石鹸みたいな物質に変わっていく現象が起きる。屍蝋と呼ばれるやつだ。
コンクリート。文字通り、遺体の上にコンクリートを流して固めたものがある。犯人が床下に埋めて上からコンクリートを打った、という事件が現実に起きるからだ。そのときの遺体はどうなっているのか。どのくらいで腐敗が止まるのか。何年たてば掘り出したときに何がわかるのか。ここで実験しておかないと、現場では誰も答えられない。
ほかにも、ビニールシートで包んだもの、スーツケースに詰めたもの、焼いたもの、部分的に切断したもの。全部、実際の事件で起きたことの再現だ。ここに置いてある「シチュエーション」は、誰かの想像力から出てきたものじゃない。全部、どこかで本当に人がやったことなのだ。それが個人的にはいちばんゾッとする。
## 腐るというのは、五幕の芝居みたいなものだ
腐敗のプロセスは、ざっくり五つの段階に分けて説明されることが多い。
第一幕、新鮮期。死んだ直後から数日。見た目はまだ生きている人に近い。でも体の中では、細胞が自分の消化酵素で自分を溶かし始めている。自己融解というやつだ。同時に、腸の中にいた何兆という細菌が、生きている間は腸壁で抑え込まれていたのに、その抑えが外れて全身に散っていく。人間は、自分の中に自分を分解する菌をずっと飼っている。生きている間だけ、それを飼い慣らしている。
第二幕、膨張期。細菌がガスを出す。二酸化炭素、メタン、硫化水素、アンモニア。そのガスが体の中にたまって、腹が膨れる。夏だと数日で、風船みたいにぱんぱんになる。皮膚は緑がかった色に変わり、体の表面に血管の走った跡が黒く浮き出る。この時期がいちばん匂う。そしていちばん虫を呼ぶ。
第三幕、腐敗活動期。膨らんだ体のどこかが破れて、ガスと液体が抜ける。ここで一気にしぼむ。同時に、ウジの大群が組織を食べ始める。ボディファームの研究者たちが「ここが本番」と言う時期だ。体の下の地面は、流れ出た体液で黒く濡れる。植物が枯れる。この黒い染みは、遺体を動かしたあとも土に残る。だから、後から現場を調べる人間にとってはものすごく重要な手がかりになる。
第四幕、腐敗後期。柔らかい組織はだいたい消える。残るのは皮と腱と軟骨と骨。ウジは去っていき、代わりに乾いた組織を食べる甲虫やダニが主役になる。
第五幕、白骨期。骨だけになる。ここからは、太陽と雨と気温と、地面の中の生き物が、何年もかけてゆっくり骨を風化させていく。
この五幕の進行速度が、条件によって恐ろしく変わる。テネシーの真夏なら、置いてから二週間ちょっとで骨が見えてくることもある。冬なら数か月かかる。日なたと日陰で違う。服を着ているかどうかで違う。太っているか痩せているかで違う。生前に抗生物質を飲んでいたかどうかでも違うと言われている。
だから研究者たちは「何日たった」ではなく、積算温度という考え方を使う。その日の平均気温を毎日足していって、合計何度分の熱を浴びたかで腐敗の進み具合を測る。摂氏二十度の日が十日なら二百度日。摂氏十度の日が二十日でも二百度日。同じ数字なら、だいたい同じくらい腐っている。この考え方をきちんとデータで裏づけたのが、ボディファームの大きな仕事のひとつだ。
## ハエは、あなたが死んだことを人間より先に知っている
ボディファームの研究の中でも、いちばんSFっぽくて、いちばん実用的なのが法医昆虫学だ。
人が死ぬと、クロバエ科のハエがやってくる。研究者たちの表現を借りると、数分単位で来る。血や体液が出ていれば、本当に数分。何もなくても、条件が良ければ二十四時間以内には来る。彼らは人間の目や鼻や口や耳、それから傷口を狙って卵を産む。粘膜のある湿った場所が、生まれたばかりの幼虫にとって一番食べやすいからだ。
卵は環境にもよるが半日から一日ちょっとで孵る。出てきたウジは、脱皮を繰り返しながら三段階の齢を経て育つ。一齢、二齢、三齢。それぞれ大きさも形も違う。三齢まで育つと、体から離れて土に潜り、蛹になる。そして成虫になって飛び立つ。
ここが肝だ。この成長スピードは、気温によってきっちり決まっている。虫は変温動物だから、暖かければ早く育ち、寒ければ遅く育つ。種類ごとに「何度で何時間かかるか」の表が作られている。
つまり、遺体から一番大きく育ったウジを採取して、その種類と齢を特定して、現場の気温記録と突き合わせれば、「このハエが卵を産んだのは何日前か」が逆算できる。ハエが卵を産んだのは、その人が死んだ直後。だから、死亡時刻の下限が出る。この方法は、一か月以内なら日単位、うまくいけば時間単位まで詰められる。
さらに、一か月を超えると別の手が使われる。遺体に来る虫の顔ぶれは、腐敗の段階ごとに入れ替わっていく。最初はクロバエとニクバエ。組織が発酵してくるとチーズバエの仲間。乾いてくるとカツオブシムシやシデムシ。それを狙ってくる捕食性の虫やハチもいる。この「入れ替わりの順番」が地域と季節ごとにわかっていれば、いま来ている虫の組み合わせを見るだけで、死んだ時期の幅を絞れる。
ボディファームがやっているのは、要するにこの表を地道に埋める作業だ。テネシーの春に、この種のハエは何日目に来る。夏だとどうか。秋だとどうか。車の中だとどうか。水の中だとどうか。誰かが地面に人間を置いて、何年もかけて数えないと、この表は永遠に空欄のままだ。
ちなみに、ウジの塊は自分で熱を出す。何万匹が固まって代謝すると、その内部は周囲より二十度近く高くなることがある。冷蔵庫で二時間冷やされた遺体から採ったウジの塊が、まだ二十度あったという記録もある。だから研究者は現場でウジの塊の温度も測る。彼らは自分たちの成長を、自分たちで加速させている。
## その遺体は、どこから来るのか
ここが、多くの人が一番気にするところだと思う。
答えは、大半が本人の意思による献体だ。テネシーの施設には、すでに数千人単位で「死んだら送ってください」と登録している人がいる。生前登録した人はプレドナーと呼ばれる。報道によれば登録者はおよそ五千人。実際に毎年届くのは百体前後。
手続きは意外と事務的だ。献体書類に本人と証人二名が署名する。研究同意書を出す。生前の病歴や生活歴を書いた質問票を出す。そして家族に、自分がそうすると決めたことをちゃんと伝えておく。これが実は一番大事だとされている。
受け入れられない人もいる。HIV、結核、肝炎などの感染症がある場合。敗血症やMRSAのような活動性の感染がある場合。そしてエンバーミング済みの遺体は受け付けない。防腐処理をしてしまうと、自然な腐敗の観察にならないからだ。施設が満杯のときも断ることがある。
輸送はテネシー州内とノックスビルから百マイル圏内なら無料。それ以外は自己負担。献体そのものに費用はかからない。
残りは、身元不明のまま引き取り手が現れなかった遺体だ。検死局から回ってくる。この扱いは倫理的に難しい問題を含んでいて、施設側も慎重になっている。近年は本人の意思が確認できる献体を軸にする方向が強まっている。
そして、これは知っておいてほしいのだけれど、遺体は「置きっぱなしで終わり」ではない。屋外での観察がひととおり終わると、回収されて、洗浄されて、骨格標本になる。番号と、記録された生前情報とセットで、専用の保管庫に収められる。そこからは、身長推定式の検証だとか、年齢推定法の精度検証だとか、現代人の骨の変化の研究だとかに、何十年も使われる。腐るのを見られて終わりじゃない。そのあと、ずっと働き続ける。
## 「わたしはもうその体の中にいないから」――送ると決めた人たちの言葉
献体を申し出た人たちの動機は、思っているより明るい。
ある報道で紹介された登録者は、こう言っていた。要約するとこうだ。わたしはもうその体の中にいない。だからあなたたちが好きにしていい。教えるのに使ってくれ、学ぶのに使ってくれ。この人にとって、遺体は「自分」ではなくて、「自分が使い終わった道具」だった。だからこそ、まだ使えるなら使ってほしい、と考える。この感覚は、宗教的というより、かなりドライで実務的だ。
登録者の中には元警察官が多い。彼らの理由ははっきりしている。現場で、腐った遺体を前にして、死後何日かわからずに捜査が止まる経験をしているからだ。あのとき、もっと正確な推定ができていれば、あの家族に答えを返せていたかもしれない。自分の体が、その表の一行を埋めるのに使えるなら安いものだ、と。
教師や医療者も多い。彼らの言い方はもっとロマンチックで、「死んだあとも教え続けられる方法」なのだという。教壇に立てなくなったあとで、まだ授業ができる。そういう考え方をする人がいる。
もうひとつ、犯罪被害者の遺族が登録するケースもある。家族が行方不明になって、何年もあとに白骨で見つかって、それでも死んだ時期がわからず、犯人にたどりつけなかった。そういう経験をした人が、自分の体を差し出す。これはもう、復讐に近い執念だと思う。
施設は年に何度か、登録者向けの集まりを開いている。まだ生きているプレドナーたちが集まって、施設を見学し、法医人類学者と話をする。取材した記者によれば、その集まりの雰囲気は驚くほど陽気らしい。「わたし、あの木の下がいいわ」みたいな会話が普通に交わされる。自分の登録カードを財布に入れて持ち歩き、それを誇りにしている人たちがいる。
## 家族はどう思うのか
一方で、遺族の側はもっと複雑だ。
いちばんつらいのは、遺体が返ってこないことだ。ボディファームに送ると決めた場合、通夜も告別式も、遺体を前にして行うことができない。輸送は本人が亡くなった直後に行われる。家族は、遺体と対面する時間をほとんど持てないまま送り出すことになる。骨になった遺体はそのまま施設の所有物として標本になるので、原則として遺骨も戻ってこない。希望すれば火葬して返してもらえる場合もあるが、その場合は費用が家族持ちだ。
これに耐えられない家族はいる。本人が生前に決めていても、亡くなったあとで家族が「やっぱり嫌だ」と言い出して、話がこじれることは実際にある。だから施設は、書類よりもまず家族への説明を勧める。ここで一番効いてくるのは法的な有効性じゃなくて、残された人が納得しているかどうかだ、と現場の人間はわかっている。
逆に、送り出したことで救われた家族もいる。ある遺族が語ったところによると、父親の遺体を施設に送ったあと、数年たってから「あなたのお父さんのデータが、この論文に使われました」という連絡が来たのだそうだ。そのときはじめて、悲しみとは違う何かが胸に来たという。うちの親父は、まだ何かの役に立っている。その感覚は、墓石の前に立つのとは全然違う種類の慰めだった、と。
施設側も、そこは意識している。献体の案内には「人が自分の体を死後に差し出すというのは、途方もない贈り物だ」という趣旨の言葉が書かれている。本人が「水に沈めるのは嫌だ」「埋めるのは嫌だ」と希望していれば、可能な範囲で尊重される。
## 中で働いている人たちは、意外と普通だった
現場のスタッフの話も聞こえてくる。
長年この施設の副責任者を務めてきたリー・メドウズ・ジャンツは、取材にこう答えている。「ここは、あなたが想像しているような場所とは全然違います」。彼女は1985年からこの仕事に関わっている。四十年近く、人が腐るのを見続けてきた人だ。
研究員のメアリー・デイヴィスの言葉はもっと端的だ。「腐敗というのは、生と死のプロセス全体の一部でしかない」。淡々としている。彼女たちにとって、林の中に横たわっているものは怪物でもホラーでもなく、単に「まだ続いている自然現象」なのだ。
法医昆虫学を専門にする研究者は、同時に十体前後の遺体を担当して、どのハエがいつ来たか、どの甲虫がいつ現れたかを毎日記録していく。作業は徹底的に地味だ。ピンセットで幼虫をつまんで、瓶に入れて、ラベルを貼って、温度計を読んで、写真を撮る。この繰り返しを、雨の日も雪の日も、クリスマスも元日もやる。腐敗は休まないから、観察も休めない。
大学院生の話が面白い。ある研究では、埋葬地の温度変化を赤外線カメラで追うために、学生たちが夜通し林の中でキャンプをした。一時間ごとにアラームを鳴らして、高価な機材が壊れていないか見に行く。手にはクモを払うための棒。夕食は持ち込んだメキシカンのテイクアウト。人が腐っている林のど真ん中で、タコスを食べながら、三時間おきに機材を見に行く。真夜中の見回りのとき、遺体がガスで動いて音を立てることがあって、そこで悲鳴を上げるかどうかで、その学生がこの世界に向いているかがわかる、なんて言われている。
創設者のバス本人は、こういう言い方をしている。「匂いは多くの人を遠ざける」。認めているのだ。そして続けてこうも言っている。「わたしは法医事案を死体として見たことがない。誰なのか、何が起きたのかを解く挑戦として見ている」。この一文が、この施設の思想そのものだと思う。
## 一冊の小説が、この場所を有名にした
「ボディファーム」という呼び名は、実は研究者がつけたものじゃない。もともとはFBIの捜査官たちが、訓練で通ううちに使い出した隠語だったと言われている。
それを世界中に広めたのが、犯罪小説家のパトリシア・コーンウェルだ。彼女は1990年代前半にこの施設を取材で訪れた。検屍官ケイ・スカーペッタを主人公にしたシリーズの資料集めだった。そして1994年、シリーズ第五作として『死体農場』を発表する。原題はそのまま「The Body Farm」。
これがベストセラーになった。世界中の読者が「アメリカには人間を野ざらしにして腐らせている研究施設が実在する」ということを知った。日本でもこの小説の翻訳で名前を知った人が多いはずだ。
面白いのは、この本のおかげで施設の立場がむしろ良くなったことだ。それまで「大学の裏で気味の悪いことをやっている」と思われていたのが、「あの小説に出てくる、犯罪捜査の役に立っている研究所」になった。世間の風向きが変わった。バス自身も後年、ジャーナリストのジョン・ジェファーソンと組んで『実録死体農場』というノンフィクションを出し、さらに二人は「ジェファーソン・バス」という共同ペンネームで小説シリーズまで書いている。学者が、自分の研究所を舞台にした小説を自分で書くようになったわけだ。
ただし、この知名度には副作用もあった。「ボディファーム」という言葉があまりにキャッチーで、あまりに刺激的だったせいで、後発の施設の多くはこの呼び名を嫌がる。オーストラリアの施設の研究者たちは、はっきり「うちをボディファームと呼ばないでほしい」と言っている。農場じゃない、実験施設だ、と。気持ちはわかる。
## テネシーから、テキサスへ、コロラドへ、そして南半球へ
テネシーの成功を見て、同じ発想の施設がアメリカ各地に増えていった。ただ、増えた理由は「真似したかったから」じゃない。「テネシーのデータが自分の州では使えないから」だ。
これが決定的な点だ。腐敗は環境で決まる。気温、湿度、降水量、土壌、虫の種類、腐肉を食べる動物の顔ぶれ。テネシーの湿った落葉樹林で得られたデータを、乾燥した砂漠や標高二千メートルの山地にそのまま当てはめると、平気で何倍も外れる。だから各地に作るしかない。
2006年、ノースカロライナ州のウェスタン・カロライナ大学に施設ができた。ここはアパラチア山地の環境で、スカベンジャーによる遺体の散乱パターンと、遺体捜索犬の訓練に強い。
2008年、テキサス州立大学がフリーマン牧場という四千二百エーカーの広大な大学農場の一角に施設を開いた。ここは現在、この種の施設としては世界最大級で、研究用の敷地だけで二十六エーカーに達するとも言われる。テキサスならではのテーマがハゲタカだ。最初は近くの空港から「ハゲタカが旋回して危ない」と苦情が来た。それを逆手にとって、ハゲタカが遺体をどう解体するかの研究テーマにしてしまった。ハゲタカの群れは、人ひとりを数時間で骨にすることがある。この事実を知らない捜査員が現場を見たら、「何者かが激しく損壊した」と誤読しかねない。だから研究する必要がある。この施設は、テキサス南部で亡くなった身元不明の移民の遺体を掘り起こして身元を特定するプロジェクトにも取り組んでいる。
2010年、サム・ヒューストン州立大学が施設を開設。法医昆虫学と、火災が遺体に与える影響の研究に力を入れている。
2012年、南イリノイ大学カーボンデール校。ここでは、乾燥してミイラ化するプロセスや、農作業機械が遺体に与える損傷といった、実にローカルなテーマが扱われている。
2013年、コロラド・メサ大学。標高が高く、乾燥した西部の環境で、遺体がどのくらいの速さで白骨化するかを調べている。ここは同じ敷地内でも日当たりや風の当たり方で結果がまるで違うことを示した。
そして2016年、オーストラリア。シドニー工科大学が中心となり、シドニー郊外のブッシュの中に南半球初の施設を作った。正式名称は長いので、頭文字をとってAFTERと呼ばれる。場所は公表されていない。オーストラリアには、テネシーにもテキサスにもいない虫と動物と気候がある。ここの研究者たちは、オーストラリアのブッシュ特有のミイラ化プロセスを報告している。
イギリスも動いている。2019年、法医科学者のアンナ・ウィリアムズ教授らが軍と組んで国内初の施設を作る計画を発表した。ただし現在も足踏みが続いている。ウィリアムズは、いきなり野ざらしにするのは反発が大きいから、まずオランダにあるような「法医学的な墓地」の形式から始めてはどうかと提案している。遺体は地中に埋めて、地下に計測機器を仕込み、観察窓から見る。外から腐乱死体が見えなければ、心理的なハードルはずっと下がる。彼女が実施した調査では、市民の反応は思ったより好意的で、すでに献体の申し出も来ているという。
## 死体は、死んだあとも動く
各地に施設が増えたことで、テネシーだけでは出てこなかった発見も生まれている。中でも近年いちばん話題になったのが、オーストラリアの施設で行われた研究だ。
研究者のアリソン・ウィルソンは、一体の遺体をタイムラプスカメラで十七か月にわたって撮り続けた。カメラは三十分に一回シャッターを切る。彼女はケアンズからシドニーまで、毎月飛行機で通って記録を回収した。
そして、映像を早回しにして見たとき、彼女は自分の目を疑った。遺体が、動いていたのだ。
最初は体の脇にぴったりついていた腕が、時間とともに横に大きく開いていく。それも一度や二度ではない。観察期間を通して、遺体はずっと少しずつ姿勢を変え続けていた。
種明かしは怖くない。ミイラ化の過程で靭帯や腱が乾いて縮み、その収縮が関節を引っ張るからだ。オカルトではなく、物理だ。
でも、この発見の意味は大きい。捜査の現場では「遺体の姿勢」が重要な証拠になる。腕がこう開いているのは抵抗した跡ではないか。この向きで倒れているのは誰かが動かしたからではないか。そういう推理をする。ところが、誰も触っていなくても遺体は勝手に動く。この事実を知らないまま姿勢を読むと、そこにいなかった犯人を作り出してしまう可能性がある。この研究は、そういう誤読を防ぐためのものだ。
## で、それは本当に事件の役に立っているのか
役に立っている。しかも、かなり地味なかたちで。
テネシーの施設が積み上げてきた積算温度と腐敗段階の対応表は、いまやアメリカ中の検死官と法医人類学者が使う標準的な道具になった。「この状態なら積算でおよそ何度日」「つまりこの季節ならおおむね何日前」という推定が、根拠のある数字として法廷で語れるようになった。バスが1977年にできなかったことが、いまはできる。
法医昆虫学のデータも同じだ。実際の事件で、遺体から採取されたハエの幼虫の齢と現場の気温記録から、死亡時期が特定の日以前だと確定し、容疑者のアリバイが崩れる、あるいは逆に容疑が晴れる。そういう事例が積み重なっている。ある事例では、十月中旬に採取された二種類のクロバエの発育段階から「死亡は十月三日以前」と結論づけられ、後に警察の別の証拠と一致した。
土の研究もある。遺体の下の土壌がどう変化するか。どんな化学物質がどのくらいの深さまで浸み込むか。これがわかると、遺体がすでに運び去られたあとの土から「ここに人がいた」ことを証明できる。犯人が遺体を移動させても、地面が覚えている。
さらに、遺体が発する揮発性化合物の研究がある。これは遺体捜索犬の訓練に直結する。犬に何の匂いを教えるべきか、その匂いは時間とともにどう変わるか。犬が広い山中で行方不明者を見つけられるかどうかは、この基礎研究に支えられている。センサーで死臭を検知する機器や、ドローンによる捜索技術の開発にも、この施設群のデータが使われている。
テネシーの施設は、FBIやNCISの捜査員の訓練所でもある。遺体の掘り出し方、記録の取り方、骨の見分け方を、実物で教わる。現場に出る前に、本物を見ておく。それができる場所は、そう多くない。
そして、この施設群の最大の成果は、実はもっと消極的なものかもしれない。「わからないことをわからないと言えるようになった」ことだ。かつては経験と勘で「死後三か月」と言い切っていた専門家が、いまは「この条件では推定の幅がこれだけ広がる」と正直に言えるようになった。誤った有罪判決を防ぐという意味では、これが一番大きいと思う。
## ご近所は、どう思っているのか
当然、揉めた。
初期には地元から反対の声が出た。近くに駐車場ができて、車から林の中が見えてしまうという話になったときは特にそうだった。目隠しの塀が立てられた。有刺鉄線と木製の塀と、その内側にもうひとつフェンス。三重になっている。それでも、風向きによっては匂いが漏れる。
「不動産価値が下がる」という苦情もあった。「子どもの通学路の近くにあんなものを」という声もあった。これは、まあ、そう言いたくなる気持ちもわかる。
ただ、時間とともに空気は変わった。理由は三つある。ひとつは、コーンウェルの小説をはじめとするメディア露出で、この施設が何をしているのか、なぜ必要なのかが広く知られたこと。ふたつめは、地元の警察や検死官が、実際にこの施設に助けられていると公言するようになったこと。三つめは、地域の住民自身がプレドナーとして登録し始めたことだ。「隣の施設」だったものが「自分が行く場所」になった。
いまでは、大学の施設として地域行事に組み込まれる程度には受け入れられている。開設からの節目には、地元の人を招いた記念行事も開かれた。
もちろん批判が消えたわけではない。いちばん筋の通った批判は「身元不明遺体の扱い」に向けられている。本人が同意していない遺体を、同意なく屋外に置いて観察していいのか。これは実際に難しい問題で、各施設とも本人同意による献体を主軸にする方向へシフトしてきている。
また、宗教的な観点からの反対もある。遺体を土に還すこと、遺体を無傷で保つこと、遺体を一定の儀礼を経て埋葬すること。これらを重んじる立場から見れば、屋外放置は明確に受け入れがたい。この批判に対して、施設側は「教義の問題であって、どちらが正しいという話ではない」というスタンスを取っている。嫌な人は来なくていい、というのが実際のところだ。
ネット上での反応はもっと極端で、「アメリカ狂ってる」から「自分も登録したい」まで、幅がすごい。この施設を扱った記事のコメント欄は、たいてい両極端の意見が並んで殴り合っている。
## 日本にボディファームがない理由
さて、日本の話だ。
結論から言うと、日本にボディファームは存在しない。作ろうとした動きも、ほとんど表に出てきていない。理由は、感情の問題だけではない。制度の問題が大きい。
日本で遺体をどう扱えるかは、いくつかの法律で細かく決められている。中心にあるのが、昭和二十四年にできた死体解剖保存法だ。この法律は、遺体を解剖できる場面を限定している。病気の原因を調べる病理解剖。医学・歯学教育のために体の正常な構造を調べる系統解剖。死因を調べる行政解剖。犯罪捜査のための司法解剖。おおむねこの四つだ。
そして刑法百九十条には死体損壊罪がある。遺体を損壊したり、遺棄したりすると罰せられる。上に挙げた解剖が罪にならないのは、死体解剖保存法や墓地埋葬法といった法律が「これはやっていい」と明示的に定めているからだ。つまり、法律に書いてある行為だけが許される、という構造になっている。
ここに、日本でボディファームが作れない理由がある。「遺体を屋外に一年間放置して観察する」という行為は、どの法律にも書かれていない。系統解剖でもないし、司法解剖でもないし、病理解剖でもない。書いていない行為をやると、死体遺棄や死体損壊にあたるおそれが出てくる。
献体についても、根拠になっているのは昭和五十八年の「医学及び歯学の教育のための献体に関する法律」だ。名前のとおり、対象は医学と歯学の教育。人類学の腐敗研究は、この文言に素直には収まらない。
もっとも、明文がないから絶対にできないというわけでもない。実際、手術手技研修に遺体を使うサージカルトレーニングは、長らく法律に明文がなかった。それでも2012年に日本外科学会と日本解剖学会がガイドラインを作り、倫理委員会の審査、本人の生前の書面同意、家族の理解と承諾という条件を揃えることで実施できるようになった。つまり、社会的な合意と丁寧な手続きがあれば、明文がなくても道が開くことはある。
とはいえ、ボディファームはハードルが桁違いに高い。まず、遺体を屋外に置くと近隣の住民から必ず反対が出る。日本は国土が狭くて、人が住んでいない広い土地が少ない。テネシーやテキサスのような「大学が持っている広大な農場」に相当するものが、そもそも乏しい。
さらに、日本の火葬率はほぼ百パーセントだ。遺体は焼くもの、という前提が社会に染み込んでいる。「焼かずに置いておく」という発想自体が、多くの日本人にとって想像の外にある。
それと、遺体に対する感覚の違いも大きい。日本では、遺体は「モノ」ではなく「まだ本人に近い何か」として扱われる期間が長い。通夜があり、葬儀があり、火葬があり、骨上げがあり、四十九日がある。遺体と対面する儀礼が段階的に組まれている。この文化の中で「遺体は返ってきません」という献体は、心理的にとても重い。
じゃあ日本の法医学は困っていないのか、というと、困っている。日本の気候、日本の土壌、日本の虫。それらの条件下での腐敗データは、圧倒的に足りない。日本の法医昆虫学の研究者は、ブタの死体を使った実験でデータを補っている。ブタは人間と体格や皮膚や内臓の構成が近いので代用に向いているとされる。ただし、あくまで代用だ。毛の量が違う。脂肪の付き方が違う。服を着ていない。人間そのもののデータには、どうしても届かない。
だから日本の法医学者は、アメリカやオーストラリアで得られたデータを、日本の気候に読み替えながら使っている。読み替えには、当然ながら誤差が乗る。これが日本の死後経過時間推定の精度を制約している。
## なぜ、これほど人を怯えさせるのか
最後に、この施設が持つ本当の怖さについて考えたい。
ボディファームを怖いと感じる理由は、たぶん「死体があるから」ではない。日本人は年間百五十万人以上が亡くなる社会に生きていて、葬儀にも参列するし、火葬場にも行く。死体そのものは、実は珍しくない。
怖いのは、そこに「途中経過」があるからだ。
ぼくらの文化は、死んだ瞬間から次の姿までを、ものすごい速さで飛ばすように作られている。亡くなった人は、きれいに整えられ、白い布をかけられ、数日以内に焼かれ、骨になって壺に入る。人間の姿から骨の姿へ、ジャンプカットされる。その間に何が起きているのかを、ぼくらは見ないですむようになっている。
ボディファームは、そのカットされた部分を、フルサイズで、無編集で映す。膨らむところ。破れるところ。しぼむところ。虫が湧くところ。溶けるところ。誰も見たことがないし、誰も見たくない、その中間の姿。
そして、そこに映っているのは他人じゃない。自分だ。あなたも、あなたの家族も、火葬という文化的な処理が入らなければ、まったく同じ道をたどる。同じ順番で。同じ虫に。あの林の中に横たわっているのは、処置されなかった場合のわたしたち全員の姿だ。
これがボディファームの本当の怖さだと思う。あれは死体の展示ではない。人間の未来の展示だ。
そして同時に、この施設は世界でいちばん誠実な場所のひとつでもある。ここにいる人たちは、目をそらさない。匂いに耐えて、虫を数えて、雨の日も雪の日も林に通って、人間が土に還っていく過程を一日ずつ記録している。それは死者を貶める行為ではなくて、むしろ、死者から何かを教わろうとする行為だ。
バスは言った。自分は法医事案を死体として見たことがない、と。彼にとってあれは謎であり、問いであり、答えを持っている先生だった。
森の中で腐っていくその人たちは、いま、誰かの行方を探している警察官に、誰かの死んだ日を知りたい家族に、静かに答えを渡し続けている。名前は伏せられたまま。番号だけを付けられて。
それが怖いか。怖い。それでも、あそこはたぶん、人間が作った施設の中で、いちばん死者に礼を尽くしている場所のひとつだ。
## あれは科学の施設なのか、それとも文化の発明なのか
ここまで書いてきて、あらためて引っかかっているのは「ボディファームは科学の施設なのか、それとも文化の施設なのか」という問いだ。
表向きは完全に前者だ。積算温度、昆虫の発育速度、土壌の化学変化、揮発性有機化合物。ここで生産されているのは数字であり、論文であり、法廷で使える推定式だ。ウィリアム・バスが1977年にウィリアム・シャイ中佐の遺体を前にして「半年から一年」と言い、実際には113年だったという失敗は、要するに「データがなかった」という一点に還元できる。だから彼はデータを作る工場を建てた。そこには何のロマンもない。ただの基礎研究のインフラだ。
でも、この施設が四十五年かけて生み出したもうひとつの産物は、たぶん数字ではない。「死んだあとの自分の体を、社会のために差し出す」という選択肢そのものだ。これは科学の成果じゃなくて、文化の発明だと思う。
考えてみてほしい。人類の歴史のほとんどの期間、死んだあとの体の扱いは、遺された人が決めるものだった。焼くか、埋めるか、鳥に食べさせるか、海に流すか。決めるのは共同体であり、宗教であり、家族だった。本人の意思が入り込む余地は、遺言という細い隙間しかなかった。
ところがいま、テネシーには五千人の生きている人間が、「自分が死んだら森に置いてくれ」と書類にサインして、そのカードを財布に入れて歩いている。彼らは自分の死後の身体の使い道を、自分で設計している。これは歴史的に見て、かなり新しい事態だと思う。臓器提供カードの延長線上にあるようでいて、実は少し違う。臓器提供は「生きている誰かを助ける」という、わかりやすい利他だ。ボディファームへの献体は、誰か特定の個人を助けない。会ったこともない未来の捜査官が、まだ誰も殺されていない未来の事件を解くために使う、統計上の一行になる。それでいい、と決めた人が五千人いる。
この「匿名で、抽象的で、遅れて効く利他」を選べる人が現れたこと。これがボディファームの、いちばん静かな成果だと思う。
もうひとつ考えたいのは、恐怖と敬意の関係だ。日本でこの施設の話をすると、まず「かわいそう」「気の毒」「ひどい」という反応が来る。野ざらしにされている、虫に食われている、放置されている。だから死者が粗末に扱われている、という直感だ。
でもこの直感を、少し疑ってみたい。粗末に扱うというのは、何をすることなのか。
たとえば日本の火葬は、遺体を摂氏八百度以上の炉で一時間から二時間かけて焼く。骨だけを残して、あとは全部気体にする。これは物理的に見れば、ボディファームでの一年よりはるかに激しい破壊だ。それでもぼくらはこれを「粗末な扱い」とは呼ばない。むしろ、これをしないと供養が終わらないと感じる。
つまり、粗末かどうかを決めているのは、遺体に何が起きるかではない。その行為に社会的な意味が与えられているかどうかだ。焼くことには意味が与えられている。だから焼くのは丁重だ。森に置くことには、まだ意味が与えられていない。だから森に置くのは粗末に見える。
ボディファームがやっているのは、「森に置く」という行為に、新しい意味を与えようとする作業だとも言える。番号をつけて記録し、論文にし、標本にして永久に保管し、年に一度は献体者を追悼する。ちゃんとした手続きと、ちゃんとした感謝と、ちゃんとした記録がある。これは意味づけの装置だ。そして本人がそれを望んで署名している。この構図を丁寧に見ていくと、「かわいそう」という最初の直感は、少し揺らいでくる。
三つめに考えたいのは、この施設が突きつける「時間」の感覚だ。
ボディファームの研究者たちは、遺体を「時計」として扱う。腐敗の進み具合を読めば、そこから逆算して時刻がわかる。人間の体は、死んだ瞬間からストップウォッチのスタートボタンが押されて、ハエと細菌と気温が針を進めていく。この発想は冷たいようでいて、実はものすごく人間的だ。なぜなら、この時計を読む目的はただひとつ、「いつ死んだのか」を知ることだからだ。
そして「いつ死んだのか」は、多くの場合、遺された人にとって最後まで残る問いになる。行方不明になった家族が何年もあとに骨で見つかったとき、家族が知りたいのは「あの子はあの日に死んだのか、それとももっと長く生きていたのか」ということだ。あの日に死んでいたのなら、自分が必死に探していた三か月間、すでにその子はいなかったことになる。逆にしばらく生きていたのなら、自分が探していたあいだ、まだ間に合ったかもしれないことになる。残酷な問いだけれど、家族はそれを知りたがる。答えがないままでは、悲しみが着地しない。
ボディファームは、その答えの精度を上げるためだけに存在している。森の中の遺体は、名前も顔も伏せられたまま、他人の家族の問いに答えるための目盛りになっている。これは、かなり途方もない献身だと思う。
最後に、日本の話に戻る。日本にボディファームがないのは、法律のせいでもあるし、土地のせいでもあるし、火葬文化のせいでもある。でも根っこにあるのは、たぶん「死体を見ない」という社会的な合意だと思う。人が死んだら、専門家が引き取って、きれいにして、焼いて、骨にして返す。その一連の流れの中で、腐敗という段階は完全にスキップされる。誰も見ない。誰も語らない。
その合意は、たぶん優しさから来ている。見せないほうが、遺された人が傷つかない。それは本当だ。でも同時に、その合意は「わたしたちがどうなるのか」という知識を、社会から丸ごと消してしまってもいる。だから日本の法医学者は、日本の気候での腐敗データを持っていない。だから日本の死後経過時間推定は、アメリカのデータを翻訳して使っている。優しさのコストを、真相究明の精度で払っている、という言い方もできる。
これをどうすべきか、簡単な答えはない。日本にボディファームを作るべきだ、と気軽に言う気にもならない。近所の人の気持ちも、遺族の気持ちも、本物だからだ。
ただ、ひとつだけ言えることがある。テネシーの林の中で、いま何が起きているかを知っておくことには意味がある。それは怖い話としてではなく、自分の未来の仕様書として。人間は死んだあとどうなるのか。その問いから目をそらしても、答えは変わらない。答えを知っている人たちが、有刺鉄線の内側で、今日も一日ぶんの記録を取っている。
そして彼らは、いつか自分もそこに横たわるつもりでいる。研究者の中にも、プレドナーとして登録している人がいる。自分が四十年見つめてきたその過程を、今度は自分がやる。そう決めている人がいる。
あの施設のいちばん怖いところは、腐った死体があることじゃない。あそこにいる全員が、生きている人も死んでいる人も、同じ方向を向いていることだ。
