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後頭部でささやき続ける、もうひとつの顔――エドワード・モードレイク伝説の全貌と、与太記事が「医学的事実」に化けるまでの一三〇年

眠れない夜、うなじの唇が動きはじめる

想像してほしい。真夜中、蝋燭が一本だけ灯った寝室。若い男がベッドに横になっている。顔立ちは整っている。ギリシャ彫刻みたいだ、と当時の記録は書いている。でも彼は仰向けにならない。絶対にならない。うつ伏せか、横向きか、そのどちらかだ。

理由は簡単で、後頭部にもうひとつ顔があるからだ。

枕に押しつけると、その顔が呼吸を邪魔されて怒る。だから彼は枕を使わない。頭を浮かせるようにして、椅子に座ったまま眠ろうとする。それでも眠れない。うなじのあたりで、湿った唇がひらいたり閉じたりする感触がずっと続くからだ。声にはならない。でも聞こえる。彼にだけ聞こえる。地獄でしか交わされないような言葉を、その口はひと晩じゅう途切れずにささやき続けたという。

これがエドワード・モードレイクの話だ。日本語だとモードレイク、モードレークとも書く。英語表記はMordakeとMordrakeが混在していて、実はこの表記ゆれ自体が話の出どころを探る手がかりになる。十九世紀イギリスの貴族の跡取り。学者としても音楽家としても優秀。だが後頭部の顔に精神を削られ続け、二十三歳で自ら毒を飲んで死んだ、と、そういうことになっている。

先に結論を書いておくと、この男は実在しない。実在しないどころか、誰がいつどこで作ったかまでほぼ完全に特定されている。それでもこの話は死なない。百三十年経ってもSNSで年に何度も蘇る。今日はそのへんを、生まれた瞬間から現在地まで全部たどっていく。

一八九五年十二月八日、日曜版の紙面で男は生まれた

まず出生証明書から見よう。エドワード・モードレイクという名前が人類史上はじめて活字になったのは、一八九五年十二月八日、日曜日。ボストン・サンデー・ポスト紙の紙面だ。記事のタイトルは「現代科学の驚異――かつて悪魔の落とし子と思われた半人間の怪物たち」。ずいぶんな見出しだが、当時の日曜版はこういうノリだった。

書いたのはチャールズ・ロティン・ヒルドレス。詩人であり、空想科学小説の書き手であり、そして新聞記者だった男だ。この記事の中で彼は、「王立科学協会」の古い報告書を掘り起こした、という体裁を取っている。埃をかぶった記録の山から、常識では信じがたい人体の異常例をいくつも見つけ出した。今夜はそれを読者諸君に紹介しよう。そういう書き出しなんだよな。

ここで一発でバレる嘘がある。「王立科学協会」なんて団体、十九世紀のイギリスには存在しない。ロンドン王立協会は実在するが、名前が違う。しかもロンドン王立協会の記録は検索可能な形で保存されていて、ヒルドレスが挙げた症例はひとつも出てこない。ちなみに「Royal Scientific Society」という名前の組織が本当に設立されるのは一九七〇年のヨルダンだ。記事から七十五年後の話である。

この記事は評判がよかったらしく、すぐに他紙に転載された。三日後の十二月十一日にはパーソンズ・デイリー・サン紙、六日後の十二月十四日にはデカーター・ヘラルド紙。当時のアメリカの新聞は面白い読み物を平気で使い回した。こうしてモードレイクの名前はアメリカ中西部までひと月足らずで広がった。

そしてここからが本当にまずいところなんだが、この記事を「一次資料」として引用した奴らがいる。しかも医者だ。

語り継がれてきた物語を、頭から終わりまで

いったん検証を脇に置いて、伝説そのものを丁寧に再話しよう。正直、この話は物語としてよくできている。だからこそ死なないんだと思う。

エドワード・モードレイクは、イングランドで最も高貴な爵位のひとつを継ぐはずの青年だった。家名はぼかされている。これも常套手段だ。「さる名門」と書いておけば誰も確認できない。彼が生まれたとき、産室にいた者たちは最初何が起きたのかわからなかった。赤ん坊は健康そのもので、顔立ちも美しかった。産婆が体を拭こうとして頭をひっくり返すまでは。

後頭部の、髪の生え際のすぐ下。そこに小さな顔があった。目があり、鼻があり、口があった。目は閉じていたが、まぶたはちゃんと動いた。

成長するにつれてその顔もいっしょに育った。ただし本人の顔ほどには大きくならない。大人になった時点でも、掌にすっぽり収まるくらいのサイズだったという。特徴的なのは、その顔がとても美しかったことだ。伝えられている描写は「美しい少女の顔」。夢のように愛らしく、悪魔のように醜悪、という矛盾した言い回しで語られている。愛らしさと悪意が同居していた、ということらしい。

その顔にはできないことが多かった。ものを食べられない。飲めない。声を出してしゃべることもできない。だが、できることのほうが厄介だった。まず目が動く。部屋に入ってきた人間を目で追う。相手が右に動けば右を見て、左に動けば左を見る。次に表情が動く。しかも本体の感情と完全に逆に動く。エドワードが泣いていると、うしろの顔はにやにや笑う。エドワードが機嫌よく笑っていると、うしろの顔は嘲るように口をゆがめる。そして唇。唇だけは絶え間なく動き続けた。声にならない言葉を、ひたすら吐き出し続けた。

エドワード本人は聡明な青年だった。深い学識を持つ学者で、稀に見る才能の音楽家でもあった。ピアノを弾いた、という記述もあれば、作曲もしたという話もある。だが彼は社交界に出なかった。父親の屋敷の一室にこもり、家族とすら距離を置いて暮らした。母親は彼を見るのを嫌がった。父親も同様だった。使用人のうち、彼の世話を許されたのはごく少数だけだったという。

彼が医師たちに繰り返し訴えた言葉が伝わっている。「この顔がぼくに突きつける誘惑は、どんな想像力をもってしても思い描けないものだ」。そしてこう続けたという。「ぼくはこの悪鬼と縫い合わされている。悪鬼だ、間違いなく」。

彼が求めたのはひとつだけ。切り取ってくれ、ということだった。頭を割ってでもいいから、この顔を取り除いてくれ。ロンドンじゅうの外科医に頼んだ。誰も引き受けなかった。当時の外科技術では、後頭部を開いて組織を取り除く手術は死を意味した。麻酔はあった。だが無菌手術の概念はまだ普及の途上で、開頭手術の生存率は絶望的だった。医師たちは「不可能だ」と告げるしかなかった。

「悪魔の顔を焼いてくれ」――最期の数日に何があったか

伝説の中で最も生々しいのは終盤だ。

二十三歳になったころ、エドワードの状態は限界に達していた。もう眠っていない。何日も眠っていない。うしろの顔は夜になるとささやきの速度を上げる。しかもその内容が、単なる悪口や呪詛ではなくなっていた。誘惑になっていた。何かを「しろ」と迫ってくる。彼はそれを口にすることを拒み続けた。医師たちに「あの顔が何を言っているのか」と聞かれても、彼は答えなかった。「言えない」と首を振るだけだった。

彼の担当医として名前が残っているのは二人。マンヴァーズ医師とトレッドウェル医師だ。この二人がエドワードの部屋に日参し、記録を取り、彼の訴えを聞いていたことになっている。二人は交代で彼を見張った。目を離すな、というのが暗黙の了解だった。何かをしでかしかねないことは、誰の目にも明らかだったからだ。

それでも彼は毒を手に入れた。どうやって入手したのかは、伝説の中でも説明されていない。監視は厳重だったはずなのに、と記録は書いている。ともかく彼はそれを飲み、二十三歳で死んだ。

彼が残した手紙が、この物語の一番おそろしい部分だ。彼は「自分が埋葬される前に、悪魔の顔を破壊してくれ」と書き残していた。理由も書いてあった。「それが墓の中でも、あのおぞましいささやきを続けるといけないから」。

そして最後の願いがある。人里離れた荒れ地に埋めてくれ、と彼は書いた。石も置くな。名前も刻むな。何の印もつけるな。誰にも見つけられない場所に、ただ土に還してくれ。

その通りにされた、ということになっている。だから墓はない。記録もない。探しようがない。物語としては完璧に閉じている。この「証拠が残らない理由」まで内蔵しているところが、この話の異様に巧妙なところなんだよな。

医学書に化けた瞬間――二人の医師がやらかしたこと

さて、ここからが伝説が化け物になった経緯だ。

一八九六年十月、ジョージ・M・グールドとウォルター・L・パイルという二人のアメリカ人医師が『医学における異常と奇異』という分厚い本を出した。原題は『Anomalies and Curiosities of Medicine』。人体の珍奇な症例を千数百件ぶちこんだ、当時としては相当に真面目な医学レファレンス書だ。今でも古典として名前が挙がるし、電子図書館で全文が読める。

この本の中に、エドワード・モードレイクがいる。

グールドとパイルは、ヒルドレスの新聞記事の該当部分を、ほぼそのまま引き写した。「人体の奇形にまつわる最も奇怪で、最も憂鬱な物語のひとつ」という書き出しから、美しい少女の顔、泣くと笑う表情、絶え間なく動く唇、悪鬼と縫い合わされているという言葉、毒、荒れ地の墓まで、全部だ。

彼らが付けた出典表記はたった一言。「一般向けの資料より」。それだけ。新聞名も、日付も、ヒルドレスの名前も書かなかった。おそらく本人たちも、切り抜きの出どころをちゃんと把握していなかったんだと思う。

この一手が致命的だった。新聞の与太記事なら、読者は与太として消費する。だが医学書に載っていると、話は変わる。以後百年以上にわたって、モードレイクを紹介する人間はみんな「一八九六年の医学文献に記載がある」と書けるようになった。実際、二十世紀に出た奇形症例集や見世物小屋の歴史本の多くが、グールドとパイルを孫引きしている。孫引きの孫引きが繰り返されるうちに、出発点が新聞の日曜版だったことは完全に見えなくなった。

グールドは検眼学の分野で名を残した実力ある医師だし、パイルも同様だ。悪意があったとは思えない。ただ、彼らが生きた時代には「ファクトチェック」という発想そのものが今ほど強くなかった。印刷されたものは、とりあえず信じる。それが標準だった。

一緒に生まれた仲間たち――魚女と四つ目男と蜘蛛

面白いのは、ヒルドレスの記事にはモードレイク以外にも大量の「症例」が並んでいたことだ。

リンカンの魚女。腰から下が魚のようになっていて、脚の代わりに尾がついていたという女。半人半蟹の男。手が鋏になっていて、横歩きしかできなかったとされる。ノーフォークの蜘蛛。人間の頭を持ち、六本の毛むくじゃらの関節脚で這い回った生き物。そしてクリックレイドの四つ目男。顔にふたつずつ、計四つの目を持っていた男の話だ。

こいつら全員、歴史上のどんな記録にも存在しない。医学史にも、教区記録にも、地方紙にも、王立協会の議事録にも出てこない。生まれたのは一八九五年十二月八日、全員同時、同じ紙面の上でだ。

そして皮肉なことに、この兄弟姉妹のうち生き延びたのは二人だけだった。エドワード・モードレイクと、クリックレイドの四つ目男。この二人だけが二十世紀を越えて、今も画像検索で出てくる。魚女も蟹男も蜘蛛も、誰も覚えていない。

なぜモードレイクだけが残ったのか。答えは単純で、他のやつらは「あり得なさすぎた」からだ。腰から下が魚の女は、人魚だ。おとぎ話だ。誰も本気にしない。でも後頭部にもうひとつ顔がある人間は、ぎりぎり、ありそうに聞こえる。実際、顔の重複という現象は本当に存在する。そこがこの話の生命線なんだよな。

書いた男の正体――詩人チャールズ・ロティン・ヒルドレス

犯人の履歴を見ておこう。

チャールズ・ロティン・ヒルドレスは一八五三年八月二十八日、ニューヨーク生まれ。生年については一八五六年説、一八五八年説もあって定まっていない。詩人として世に出た男で、『死の仮面、その他の詩』という詩集を出している。タイトルからしてもうそういう趣味の人だ。

小説も書いた。一八八九年の『謎の都市OO――オルベロ国の冒険』は、オーストラリアの奥地の地下に古代ギリシャ由来と思しき失われた文明が眠っている、という少年向けの空想科学冒険譚だ。ほかに短編のホラーもいくつか残している。要するに彼は、事実を報じる記者ではなく、幻想を売る書き手だった。

そして新聞にも書いていた。当時のアメリカの新聞界はいわゆるイエロー・ジャーナリズムの全盛期で、日曜版は完全に娯楽媒体だった。読者を驚かせる読み物を毎週供給しなければならない。詩人で幻想作家の男が「古い学会報告から発掘した怪物たち」という体裁の記事を書くのは、当時の紙面としてはむしろ自然な仕事だった。彼は嘘をついたというより、フィクションを事実の文体で書いた。それだけだ。

そのヒルドレスは、記事の掲載から一年経たない一八九六年八月二十二日に死んでいる。四十二歳か、それくらいだった。つまり彼は、自分の作ったこの怪物が医学書に転載されるところすら見ていない。ましてその後百三十年間、世界中の人間を騙し続けることになるなんて知る由もなかった。

彼が生涯かけて書いた詩も小説も、今ではほとんど誰も読まない。代わりに、たった一晩で書いたであろう与太記事の登場人物二人が、彼より百三十年長く生きている。書き手としてこれは、勝ちなのか負けなのか、よくわからない。

物語は増殖する――版によって顔の性別もしゃべる内容も違う

伝説というのは、伝わるうちに必ず変異する。モードレイク譚も例外じゃない。主要な変異体をひとつずつ見ていこう。

「うしろの顔は美少女だった」版

これがグールドとパイルに載った、いわば正典に一番近い形だ。うしろの顔は少女のもので、しかも美しい。ここが芯で、単に醜い瘤がついていたなら悲惨ではあっても不気味ではない。美しい少女の顔が、悪意を持ってこちらを見ている。この組み合わせがこの話の背骨になる。愛らしさと邪悪さのショートは、人間の脳が一番処理に困る配合なんだよな。ちなみにこの版では、顔の性別が女であることが本人の苦痛を増幅させている。彼は自分の中に「女がいる」ことに耐えられなかった、という読み方も後年されるようになった。

「顔はしゃべらない」版

日本語圏で最もよく流通しているのはこの版だと思う。うしろの顔は見ることも食べることも声を出すこともできない。ただ表情だけが動き、本体と正反対の感情を示す。エドワードが喜べば嘲り、悲しめば笑う。そしてささやきは「声」ではなく、彼の頭の中に直接届く。この版はホラーとしての完成度が高い。他人には何も聞こえないからだ。つまり周囲から見ると、エドワードは「聞こえないはずの声が聞こえる」と訴える精神病者にしか見えない。誰も信じてくれない。この孤立の構造が効いている。

「悪魔祓いを呼んだ」版

十九世紀末から二十世紀初頭のオカルト雑誌経由で広まった系統では、外科医に断られたエドワードが最終的に聖職者を頼る展開が加わる。司祭が屋敷に呼ばれ、うしろの顔に向かって祈祷を試みる。すると顔が祈祷の言葉に反応して笑いはじめ、司祭は途中で部屋を飛び出した、という具合だ。原典にはまったく存在しない挿話だが、これがあることで話は「奇形の悲劇」から「憑依譚」に完全に横滑りする。日本のオカルト系のまとめでこの版を採用しているものは今も多い。

「短銃だった」版

死因を毒ではなく短銃とする版も根強い。一発で頭を撃った、しかもうしろの顔を狙って撃った、という語り口になっているものすらある。原典ははっきり毒だと書いているので、これは明確な変異だ。ただ、この改変が生まれた理由もわかる。毒は「自分を消す」行為だが、うしろの顔を撃つのは「そいつを殺す」行為だからだ。物語としては後者のほうがカタルシスがある。伝説は、より劇的な形へ勝手に流れていく。

「双子の弟だった」版

比較的新しい系統で、うしろの顔は吸収されそこねた双子のきょうだいであり、意識も人格も別に持っていた、と説明する版がある。これは二十世紀の医学知識、とくに寄生性双生児という概念が一般に浸透したあとに生まれた合理化だ。オリジナルは「悪魔」で説明していたものを、現代人は「双子」で説明しなおす。同じ話でも、時代ごとに手持ちの怖がり方が違うのが面白い。

「見世物小屋にいた」版

エドワードは屋敷に幽閉されていたのではなく、家を捨てて旅の見世物一座に加わっていた、という版もある。この改変はほぼ二〇一四年以降のもので、出どころはテレビドラマだ。後述する。原典のエドワードは徹底して引きこもりであって、金を取って人に見せることは一度もしていない。

語り継がれる三つの証言

伝説の周りには、必ず「見た」「聞いた」と言い出す人間が湧く。モードレイクも例外じゃない。以下は好事家の間で回覧されてきた証言だ。裏は取れていない。取れるわけがない、というのがこの話のすべてなんだが、それでも読み物として面白いので紹介しておく。

主治医の手記として出回るもの

マンヴァーズ医師のものとされる診察記録の断片が、二十世紀初頭から古書市に出没している。いわく、初診の日、彼は患者の後頭部を診るために髪をかき分けた。そこにあった顔は目を閉じていた。医師は落ち着いて所見を取った。皮膚の状態、瞼のふくらみ、口唇の裂け方。ペンを走らせながら、彼はふと妙な感覚を覚えた。手が震えていたのだ。理由がわからない。痛みもない。恐怖の自覚もない。ただ手が震えていた。

そして彼が観察をやめて姿勢を起こそうとした瞬間、その顔が目を開けた。ゆっくりと、まぶたを持ち上げるようにして。医師は動けなかった。目は彼を正確に捉えていた。焦点が合っていた。医師は試しに一歩右にずれた。目も右に動いた。もう一歩戻った。目も戻った。そのあいだ、エドワード本人は椅子の上でまっすぐ前を向いたまま、静かに「先生、何か言っていますか」と尋ねたという。医師は「いいえ」と答えた。嘘だった、と手記は結ばれている。唇はずっと動き続けていた。

この手記は、文体も紙質も明らかに二十世紀のものだという鑑定が何度も出ている。要するに後世の創作だ。それでも、この「一歩ずれると目も動く」という一点だけで、この文書は百年生き延びてきた。書いた誰かは相当うまい。

助手を名乗った男の話

一九二〇年代のロンドンで、自分はトレッドウェル医師の助手だったと吹聴して回った老人がいた。パブで酒をおごられるたびに同じ話をした、という記録が残っている。彼が語ったのはこうだ。

エドワードの部屋には鏡が一枚もなかった。全部外させていた。だが一度だけ、彼が合わせ鏡を作らせたことがある。二枚の手鏡を使って、自分の後頭部を見ようとしたのだ。医師たちは止めた。見ないほうがいいと言った。エドワードは聞かなかった。彼は鏡を構え、角度を調整し、そして自分のうしろの顔と目を合わせた。

その瞬間、彼は鏡を落とした。割れた。彼は床に座り込んで、しばらく何も言わなかった。医師が「何が見えましたか」と聞くと、彼はこう答えたという。「あれはぼくを知っている」。それだけ言って、二度と鏡の話をしなかった。

老人はこの話を何百回もして、そのたびに細部が微妙に変わったらしい。鏡が三枚になったり、割れなかったり、エドワードが笑ったことになっていたり。まあそういうものだ。ただ「あれはぼくを知っている」という一言だけは、どのバージョンでも変わらなかったという。

屋敷の女中の証言とされるもの

もうひとつ、屋敷で働いていた女中の話がある。年老いてから孫に語ったものを、孫がさらに人に語った、という典型的な伝聞の伝聞だ。

彼女の仕事は、朝、若旦那の部屋に湯を運ぶことだった。決まりがあった。ノックをして、返事を待って、入ったら絶対に若旦那の背後を通らないこと。必ず正面から近づいて、正面から下がること。理由は誰も教えてくれなかったが、破った女中がひとりいて、その日のうちに屋敷を出て行った。

ある冬の朝、彼女が湯を運ぶと、若旦那は椅子で眠っていた。というより、気を失っているように見えた。何日も眠っていなかったのだ。彼女は起こさないようにそっと湯桶を置いた。そして下がろうとして、うっかり回り込んでしまった。

うしろの顔は起きていた。そして彼女を見た。

彼女がその後の人生で最も奇妙だったと語ったのは、恐怖ではなかったという。その顔が、彼女に向かって「静かに」と言うように、口の形を作ったことだ。声はしない。だが唇は確かに、しずかに、と動いた。まるで眠っている本体を起こすな、と言っているみたいだった。彼女はそれ以来、あの顔は主人を憎んでいたのではなく、守ろうとしていたのではないかと考えるようになった、と孫に話したそうだ。

この証言のいいところは、原典の「悪魔」という枠組みから外れているところだ。誰かが後から足したにせよ、足した人間には物語の才能がある。

二〇一五年、ミイラ化した頭部が「発見」される

さて現代パートだ。

二〇一〇年代に入ってから、ネット上に「エドワード・モードレイクの実物」を名乗る画像が何種類も出回るようになった。大きく分けて三系統ある。

ひとつは古い蝋人形の写真だ。セピア調に加工された、後頭部に少女の顔がついた男の胸像。これは実際に存在する物体で、アメリカの造形作家が見世物文化へのオマージュとして制作したものだ。もともと「これは伝説の再現です」と明示された作品だったのに、画像だけが切り離されて拡散した。

ふたつめは頭蓋骨の画像。後頭部にもうひとつ顔面骨がついた頭蓋標本の写真で、これも造形作品。医学標本を模した骨格レプリカの制作は普通にある工芸ジャンルで、これはその一点だ。

そして三つめが、一番デカくバズったやつ。ミイラ化した頭部の写真だ。乾いた皮膚、落ちくぼんだ眼窩、そして後頭部にはっきり残る第二の顔。「ついに発見された」「二〇一五年に競売に出た」「個人コレクターが所蔵している」といった触れ込みで、英語圏でも日本語圏でも爆発的に拡散した。

これはユワート・シンドラーという作家が制作した張り子細工だ。紙と糊でできている。彼はこれを「ガフ」として作った。ガフというのは見世物小屋の伝統的な作り物のことで、猿の上半身と魚の下半身を縫い合わせた人魚のミイラ、みたいなやつの総称だ。騙すために作るが、騙されるところまで含めて娯楽、という了解のある文化だ。

シンドラー本人は取材にこう答えている。誰もモードレイクを作っていないのが意外だったから、自分でやってみた。そしてこの伝説について、「ぎりぎり、あり得るかもしれないと思わせるところがいい」と語っている。作った本人が、この話の本質を一番的確に言い当てているのが面白い。

決定的にバズったのは二〇一八年五月七日、月曜日。ある大手の歴史画像アカウントがこの張り子の写真を「モードレイクの切断されたミイラ化頭部」として投稿し、七万八千回以上シェアされた。ここで完全に世界一周した。日本語圏に「モードレイクのミイラ」として入ってきたのも、ほぼこの波だ。

掲示板とSNSが暖めなおした死体

ネット拡散史をもう少し整理しておく。

第一波は二〇〇〇年代前半。海外の奇形・見世物小屋系のサイトが、グールドとパイルの本文をそのまま転載したのが起点だ。あの本は著作権が切れていて全文が電子化されているので、コピペし放題だった。「一八九六年の医学書に載っている実話」という紹介文とセットで、まず英語圏の掲示板文化に定着した。

第二波は二〇〇八年前後、海外の匿名掲示板とブログ文化の時代。ここでモードレイクは「怖い実話」から「クリーピーパスタ」に近い扱いに変わっていく。誰かが挿絵を描き、誰かが日記の断片を偽造し、誰かが「うちの曽祖父が屋敷の庭師だった」と書き込む。原典にない設定がこの時期に大量発生した。前述の「悪魔祓い」や「短銃」も、この波で強化されたと見ていい。

第三波が二〇一四年秋。テレビドラマの影響だ。これで一般層まで一気に届いた。

第四波が二〇一八年の張り子ミイラ。ここで「写真がある」という致命的な誤解が全世界に定着した。

日本語圏の受容も面白い。日本ではまずオカルト系のまとめブログ経由で入ってきて、当初は「後頭部に顔がある男」という一行ネタとして消費された。その後、ドラマ経由でファン層に浸透し、動画配信の怪談朗読ジャンルで定番の一本になった。日本語で語られるとき、ほぼ必ず「感情が逆に出る顔」という描写が強調される。これは日本の怪異観と相性がいいんだと思う。憑いているものが、こちらの心を裏返して見せてくる、という構図だ。座敷童とも生き霊とも違うが、どこか通じるものがある。

考察界隈の反応もひととおり出そろっている。実在派の主張はだいたい三つで、「医学書に載っているのだから何らかの元になった症例があったはずだ」「貴族の家系なら記録を隠蔽できる」「王立協会の記録は全部が公開されているわけではない」。どれも一見もっともらしい。

反証はもっとシンプルだ。まず、新聞記事が医学書より一年早く、しかも本文が一語一句ほぼ同じである以上、医学書は新聞の孫引きでしかない。医学書に載っていることは何の裏付けにもならない。次に、隠蔽説は「隠蔽されているから証拠がない」という循環論法で、これは何でも証明できてしまうから議論の役に立たない。そして三つめ、記事の中でモードレイクと並んでいたのが人魚と巨大蜘蛛だという事実。同じ記事の他の症例が全部ファンタジーで、モードレイクだけ実話、というのはさすがに無理がある。

とどめを刺したのは、ミュージアム・オブ・ホークスを主宰するアレックス・ボーズィーの調査だ。彼が新聞アーカイブを掘って、ヒルドレスの記事と医学書の記述が完全に一致することを突き止めた。掲載日も執筆者も特定された。これで議論は事実上終わっている。それでも終わらないのが伝説というものなんだが。

現実のほうがよっぽど怖い――本物の症例たち

ここからが個人的には一番読んでほしいところだ。モードレイクは嘘だが、「顔が重複する」という現象そのものは実在する。しかもモードレイク譚より遥かに救いがない。

まず頭蓋顔面重複、いわゆるディプロソプス。ひとつの頭蓋の上に顔の構造が部分的あるいは完全に二組できてしまう先天異常だ。双子が分離しそこねたわけではなく、発生の初期に顔面の形成を指揮するシグナルが過剰に働くことで起きる、というのが現在の理解になっている。つまりこれは「双子」ではなく「一人が二つの顔を作ってしまった」状態だ。多くは死産か、生後ごく短期間で亡くなる。脳や心臓の異常を伴うことが多いからだ。

それでも生き延びる子はいる。二〇〇〇年代のアメリカで、顔の中央部が二重になった状態で生まれ、何年も生きた男の子の例が知られている。二〇〇八年にはインドで、目が四つ、鼻が二つ、口が二つある女の赤ちゃんが生まれて世界的な報道になった。地元では女神の化身として崇拝され、寺が建てられそうになった一方、家族は医療を受けさせるかどうかで揺れた。彼女は二か月ほどで亡くなっている。近年では、口が二つある状態で生まれた子が手術を経て健康に育っている例も報告されている。

もうひとつが寄生性頭部結合双生児、クラニオパガス・パラシティカスだ。こっちは本物の双子で、片方が頭部だけの状態で相手の頭にくっついて生まれる。医学史上最も有名なのが「ベンガルの二頭の少年」だ。

一七八三年五月、カルカッタ近郊のムンドゥル・ガイトという村で生まれた男の子。頭のてっぺんに、もうひとつの頭が逆さまにくっついていた。取り上げた産婆はあまりの光景に混乱し、赤ん坊を火に投げ込んで殺そうとした。止められたが手遅れで、寄生頭のほうは片目と片耳に重度の火傷を負った。

この第二の頭は、しゃべれなかったが確かに「生きて」いた。本体の少年が母乳を飲むと、こちらの唇も吸う動きをした。つねると顔をゆがめて泣くような表情を作った。目は開いたままで、閉じきることがなかった。そして常に涙を流していた。

両親は息子をカルカッタで見世物にして金を取った。普段は布で覆っておき、金を払った者にだけ見せた。少年は二歳か、四歳か、そのあたりでコブラに咬まれて死んだ。母親が水を汲みに行っている間の出来事だった。

死後、墓は暴かれた。遺体はイギリス人医師の手に渡り、解剖された。ふたつの頭蓋にはそれぞれ独立した脳が入っており、しかしひとつの空間を共有していた。頭蓋骨はイギリスに送られ、今もロンドンの博物館に収蔵されている。医学史上、確実に記録された最初の頭部結合寄生双生児の症例だ。

二十一世紀に入ってからも症例はある。二〇〇四年、ドミニカ共和国で生まれた女の子が分離手術を受けたが、術後まもなく亡くなった。同じ年、エジプトで生まれた女の子は二〇〇五年に分離手術を受け、一時は成功と報じられた。だが感染症を起こして翌年に亡くなっている。この子のケースは世界中で報道され、その画像が今度は逆に「モードレイクの証拠写真」として悪用される事態まで起きた。実在の患者の写真が、架空の貴族の証拠にされる。かなりひどい話だ。

ここで言っておきたいのは、これら本物の症例のどれひとつとして、モードレイク譚のようには進行しないということだ。寄生頭には独立した意識も、言語能力も、悪意もない。中枢神経の一部が形成されていても、それは自我を持つには程遠い。ささやきもしない。誘惑もしない。ただ、涙を流し続けたりする。それだけだ。それだけで、十分に人の心を折る。

蝋人形と鉄道員――二つ目の顔を「作った」男たち

もうひとつ触れておきたい系譜がある。二つ目の顔を演じた人々だ。

一九〇〇年代のアメリカで「二つの頭を持つメキシコ人」として巡業していたパスカル・ピニョンという男がいる。一八八九年生まれ、テキサスの鉄道労働者だった。彼の額には大きな良性の腫瘤があった。それを見つけた興行師が、腫瘤の上に蝋で顔を作り、ガラスの目を入れ、「二つ目の頭」に仕立て上げた。ピニョンは有名なサーカスの目玉として全米を回り、そこそこ稼いだ。一九二九年に亡くなっている。

彼のポートレートは今もネットに流れている。そしてしばしば、モードレイクの写真として誤用される。作り物の上に、別の作り物の名前が貼られるわけだ。この二重の偽造が、なんというか、この題材のすべてを象徴している気がする。

見世物小屋という文化は、本物と作り物の境界をわざと曖昧にすることで成立していた。客も薄々わかっている。わかっていて、金を払う。作り手と客の間に「これは嘘かもしれないが、そのつもりで楽しむ」という契約があった。モードレイクの話も、本来はその契約の中にあったはずだ。日曜版の与太記事として、笑って読み捨てられるはずだった。

契約が壊れたのは、医学書に載った瞬間だ。医学書には「これは楽しみのためのフィクションです」という但し書きがない。そこから百三十年、この話はずっと契約なしで歩き回っている。

トム・ウェイツが歌った「かわいそうなエドワード」

文化史の話に移ろう。

二〇〇二年、トム・ウェイツがアルバム『アリス』を出した。ルイス・キャロルとアリス・リデルの関係を下敷きにした、暗く美しい作品だ。その中に「プア・エドワード」という曲がある。ウェイツと妻のキャスリーン・ブレナンの共作だ。

歌詞はほとんど語りに近い。エドワードには後頭部にもうひとつ顔があった、と歌い出す。それは女の顔かもしれない、若い娘の顔かもしれない、と歌い手は言う。断定しない。ここがうまい。医者は取ることを拒む。取れば死ぬからだ。だからエドワードはその顔と生きるしかない。

そして曲は、エドワードが恋をした話に触れる。彼が幸せになりかけたとき、うしろの顔は嫉妬した。そして彼を追い詰めていく。最後にエドワードは死ぬ。歌い手は、あの顔がそうさせたのだと歌う。

ウェイツの声はいつも通り砂利みたいにざらついていて、伴奏は最小限だ。二分半ほどの短い曲なのに、聴き終わると疲れる。この曲がすごいのは、モードレイクを怪物として扱わないところだ。かわいそうなエドワード、と繰り返す。悲劇として、それも徹底的に個人的な悲劇として扱う。

正直、この一曲がなければモードレイクの知名度はもう少し低かったと思う。ウェイツのファン層は熱心で、歌詞の元ネタを掘る人が多い。二〇〇〇年代にネット上でモードレイクが再発見された経路のひとつは、間違いなくこの曲だ。

ドラマが与えた第二の生

決定打は二〇一四年のテレビだった。

アメリカのアンソロジー・ホラードラマの第四シーズン、見世物小屋を舞台にした一連の物語の中で、エドワード・モードレイクが二話にわたって登場する。第三話が二〇一四年十月二十二日、第四話が十月二十九日の放送。ハロウィン週間にぶつけてきた。演じたのはウェス・ベントリー。両話とも四百万人以上が視聴し、その日のケーブル放送首位を取っている。

ドラマ版の設定は原典から大きく踏み外している。ここのモードレイクは、精神病院を脱走して見世物一座に身を寄せた男だ。あるハロウィンの夜、うしろの顔にそそのかされて一座の仲間を皆殺しにし、自分も死ぬ。そして死後、呪いになる。ハロウィンに興行を打った見世物小屋には、彼が現れる。どんな些細な演目でもだめだ。彼は霧と雷を連れて現れ、団員たちの心を読み、最も「純粋な怪物」をひとり選んで連れ去っていく。

この改変は原典とはまるで別物なんだが、脚本としてはよくできている。原典のモードレイクは受動的な被害者だ。ドラマ版は彼を能動的な裁定者に変えた。連れ去る相手を選ぶとき、彼は苦しみを経て何かを得た者を見逃し、そうでない者を選ぶ。つまり道徳的な判定装置になっている。

このドラマの影響は絶大で、以後の日本語圏の紹介記事の相当数が、原典とドラマ設定をごちゃまぜにしている。「ハロウィンに現れる」「見世物小屋にいた」「仲間を殺した」というのは全部ドラマ由来で、一八九五年の記事には一行も書かれていない。伝説が二層構造になったわけだ。

なぜこの話だけが死なないのか

最後に、なぜこの与太話が百三十年生きているのかを考えたい。

ひとつめ。この話は「自分の中に他人がいる」という恐怖を、これ以上ないくらい即物的に描いている。自我が分裂するとか、心に闇があるとか、そういう比喩じゃない。物理的に、頭蓋骨の裏側に、別の意志がくっついている。しかも切り離せない。逃げられない。眠っても離れない。人間が抱く恐怖の中でも、逃走が原理的に不可能なタイプの恐怖はいちばんきつい。

ふたつめ。見えないこと。エドワードは自分のうしろの顔を直接見られない。鏡越しでしか見られない。つまり彼は、自分を最も苦しめているものの実物を、生涯一度も見ていない。これは強烈な設定だ。人間は見えないものを最大に怖がる。

みっつめ。証明も反証もできないように話が閉じていること。墓はない。石もない。名前もない。荒れ地に埋められた。この一文が、あらゆる検証を封じている。ヒルドレスがどこまで意図したかはわからないが、結果としてこれは伝説を不死にする最強の装置になった。

よっつめ。「ぎりぎり、あり得るかもしれない」という感触。張り子を作った作家が言った通りだ。人魚は無理。巨大蜘蛛も無理。でも顔の重複はある。実際にある。だからこの話だけが、ファンタジーの側からリアルの側へ半歩だけ踏み込める。その半歩が、百三十年の寿命の差になった。

いつつめ。権威のスタンプ。医学書に載ったという一点が、この話に他の与太話にはない鎧を与えた。しかもその鎧は今でも有効だ。今この瞬間もどこかで「一八九六年の医学文献に記録がある」と紹介されている。出典があることと、事実であることは、まったく別だ。この話はそれを教えるために生き残っているんじゃないかとすら思う。

情報がどう腐るか、その五工程

改めて全体を見渡すと、エドワード・モードレイク譚は「怪談」であると同時に「情報がどう腐るか」の完璧な標本だ。腐敗の工程を順に並べると、あまりに教科書的で笑えてくる。

第一工程、フィクションが事実の文体で書かれる。ヒルドレスは嘘をついたのではなく、当時の日曜版という媒体のルールに沿って幻想を書いた。ここまでは罪がない。問題は文体だ。彼は「という物語である」と書かず、「という記録がある」と書いた。フィクションを非フィクションの服に着せた時点で、爆弾のピンは抜かれている。

第二工程、権威が無検証で転載する。グールドとパイルは新聞の切り抜きを一次資料として扱い、出典を「一般向けの資料より」の一言で済ませた。この曖昧化が決定的だった。出典が具体的なら誰かが確認できる。曖昧だと確認しようがない。曖昧な出典は、無出典より質が悪い。あるように見えて実は何もない、という状態を作るからだ。

第三工程、孫引きの連鎖。医学書に載ったという事実だけが独り歩きし、以後の紹介者は元をたどらなくなる。「一八九六年の医学書に記載」という一句は、まるでパスポートのように機能した。この段階になると、内容の真偽ではなく、引用の形式が信頼性を担保するようになる。情報の中身から、情報の見た目へ、判定基準がすり替わる。

第四工程、視覚証拠の後付け。ここが現代特有の恐ろしさだ。物語は先にあった。写真は後から作られた。しかも作った人間は騙す気がなかった。作品として発表したものが、キャプションを剥ぎ取られて拡散した。デジタル環境では、画像と文脈は簡単に分離する。分離した画像は、どんな文脈にも再接続できる。張り子の頭が「ミイラ」になり、実在の患者の写真が「架空の貴族の証拠」になった。後者は本当に許しがたい。実在した子どもの尊厳が、存在しない男の伝説の燃料にされたわけだ。

第五工程、フィクションによる上書き。ドラマ版のモードレイクが原典を侵食した。今後さらに時間が経てば、「ハロウィンに現れる呪い」のほうが本来の伝説だと思われるようになるだろう。伝説は最新版で上書きされる。オリジナルは残らない。二〇一四年の脚本家が書いた設定が、一八九五年の詩人が書いた設定を食っている。

ここまでが情報論の話。ここからは怪談としての話をしたい。

この物語の芯にあるのは、実は「顔がふたつある」ことではないと思う。芯にあるのは、誰にも信じてもらえないという状態だ。うしろの顔は他人には何もしない。他人には表情が見えるだけで、声は聞こえない。ささやきを聞くのはエドワードだけだ。だから彼が「こいつが夜通し話しかけてくる」と訴えても、医師たちは記録に「患者は幻聴を訴える」と書くしかない。彼が本当に苦しんでいることは伝わる。だが彼が苦しんでいる原因は、彼以外の誰にも観測できない。

これは怪異譚の最も強い型のひとつだ。怖いものが自分にしか認識できず、他人に説明すると自分の正気を疑われる。説明すればするほど孤立が深まる。逃げ場が塞がっていく。エドワードは物理的にも逃げられず、社会的にも逃げられない。二重に閉じ込められている。二十三年でそれが終わったことを、責められる人間はいないと思う。

そしてもうひとつ。この話には、後年の受け手が勝手に見出した第二の読み方がある。「うしろの顔は敵ではなかったのではないか」という読みだ。女中の証言とされるあの断片、眠っている本体を起こすなと唇が動いた、という一節は、明らかにこの読みから生まれている。感情が逆に出るということは、本体が泣いているとき笑うということだ。それを嘲笑と取るか、悲しみを引き受けて反転させていると取るかで、話は正反対になる。エドワードが泣かなくていいように、代わりに全部持っていってやろうとしていたのかもしれない。ささやいていたのは呪いではなく、なだめる言葉だったのかもしれない。

もちろん原典にそんな読みはない。原典はきっぱりと「悪鬼」と書いている。だがこの物語が百三十年も語られ続けたのは、原典が持っていなかった余白に、後から人が入り込めたからだ。伝説が長生きする条件は、正しさではなく、余白の広さなんだと思う。

最後にひとつだけ。ヒルドレスは記事を書いてから八か月ちょっとで死んでいる。四十二歳前後。詩人としても小説家としても大成しなかった。その彼が残したものが、いま世界中の人間の頭の中で生きている。後頭部にくっついて離れない、彼が作った顔として。

書き手が死んでも作品だけが残り、切り離せずにささやき続ける。これ自体が、モードレイク譚の一番よくできたオチだと思う。誰も意図していないところが、また怖い。

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