きみの尾てい骨は、ただの飾りじゃない。
そこには、かつて本当に尻尾だったものの残骸が埋まっている。埋まっているというか、正確には「引っ込んだ」だけだ。骨盤の底にひっそりと丸まって、内臓が股の間から落ちないように支える床板の、その留め具になっている。ふだんは尻もちをついたときにしか意識しない。
でも、ごくまれに、それが引っ込みそこねる。
引っ込みそこねた子は、尻尾を生やして生まれてくる。ふさふさの毛が生えていることもある。ぷらぷら動くこともある。長さは数センチから、記録に残る最長で十八センチ。生まれた瞬間、産室の空気が止まる。助産師が黙る。母親が「見せて」と言う。父親が廊下に出ていく。そういう静けさが、世界中の産院で、たぶん今年も何度か起きている。
この話をしよう。医学の話であり、神さまの話であり、呪いの話であり、二千五百万年前の遺伝子の事故の話だ。
誰のからだにも、一回は尻尾が生えている
まずここから始めないと、あとの話が全部ズレる。
きみにも尻尾があった。例外なく、全員。妊娠四週目あたりで胚の後ろ端に「尾芽」というふくらみができる。そこから伸びていく。五週から六週にかけて、その中には十から十二個の尾椎、つまり尻尾の骨が並んでいる。長さのピークは五週の終わりごろで、胚全体の六分の一くらいを占める。六分の一だ。相当なものだ。このころのヒト胚の写真を見ると、正直、魚か爬虫類かトカゲの子と見分けがつかない。十九世紀の解剖学者エッカーは「これを尻尾と呼ばずに何と呼ぶ」と言い切っていて、その気持ちはよくわかる。
で、六週を過ぎたあたりから、それが消え始める。
消え方が面白い。手前側、つまり椎骨が入っている部分は、下に潜り込むように軟部組織の中へ引っ込んでいく。先っぽの、椎骨が入っていない部分は、いったん外へ突き出したあと、細胞が自分から死んでいく。プログラムされた細胞死、アポトーシスだ。白血球が食べに来る。マクロファージが解体して、体内へ持ち帰る。八週の終わりには、外から見える尻尾は跡形もない。残った手前の椎骨がくっついて、尾骨になる。
一九七八年にファロンとシマンドルが「ヒト胚の尾が消えるのは細胞死のせいだ」という論文を出して、この筋書きはほぼ確定した。つまり、ヒトは尻尾を「作らない」んじゃない。毎回きっちり作って、毎回きっちり解体している。工事現場の足場みたいなものだ。足場がないと本体が建たない。だから作る。建ったら外す。
そして、解体作業がどこかでサボられると、足場が残ったまま赤ん坊が生まれてくる。
「本物の尻尾」と「ニセの尻尾」を分ける一本の線
医者は、この突起を二つに分ける。ここが今日いちばん大事なところだ。
一八八〇年、あのウィルヒョウが最初に整理を試みた。椎骨が入っているものをカウダ・ペルフェクタ、入っていないものをカウダ・インペルフェクタ、そして見た目が似ているだけの別物、と三つに分けた。ただこの分類はあまり広まらなかった。
決定版になったのは一九八四年だ。ダオとネツキーという二人の病理医が、生後二週間の乳児の症例を報告しつつ、それまでに報告されていた三十三例を総ざらいして「ヒトの尾と偽尾」という論文を『ヒューマン・パソロジー』誌に載せた。この論文の分け方が、今でも世界中の症例報告の土台になっている。
真の尾、トゥルー・テイル。これは胚の尻尾の、いちばん先っぽの、椎骨が入っていない部分の生き残りだ。中身は脂肪組織と結合組織、そのど真ん中を走る横紋筋の束、血管、神経線維、神経節細胞。そして圧を感じるパチニ小体まで入っていることがある。骨はない。軟骨もない。脊索もない。脊髄も入っていない。皮膚に完全に覆われていて、その皮膚には毛穴も汗腺も皮脂腺も乏しい。長さは十三センチくらいまで報告がある。動く。収縮する。自分の意思で動かせる例はまれだが、反射的にピクッとくることはある。男児に女児の二倍の頻度で出る。遺伝はほぼしない。ただし、ある一族で女性三世代にわたって尻尾が出たという報告が一件だけある。そしてここが大事なんだけど、真の尾は、それ単体では良性だ。根元を楕円形に切って取れば、それで終わる。後遺症は残らない。
偽尾、シュードテイル。こっちが厄介だ。見た目はそっくりなのに、中身が全然違う。いちばん多いのは尾骨の椎骨が異常に伸びたもの。あとは脂肪腫、奇形腫、軟骨の異常増殖、グリオーマ。ダオとネツキーが集めた十例の中には、細く引き伸ばされた寄生性双胎、つまり吸収されそこねた双子のなれの果てまで含まれていた。そして偽尾は、その下に隠れている脊髄の異常と地続きになっていることが非常に多い。
どのくらい多いか。一九九八年に台湾のルーらが五十九例をまとめた報告では、四十九パーセントに脊椎披裂、二十パーセントに脊髄係留を認めている。日本の報告例に限っても、はっきり記載のあるもので三十五パーセントに二分脊椎の合併があった。潜在性二分脊椎の患者の七十六パーセントには何らかの皮膚のサインが出る、というデータもある。くぼみ、毛の房、血管腫、色素斑、臀裂のズレ、そして尻尾。産科と小児科の世界では、これらは「告げ口徴候」と呼ばれている。からだが、内側の異常を外側に告げ口している。
二〇一六年には尾骨が後ろ向きに反り返る「仙尾骨外反」という新しい原因が提唱されて、五分類の新案も出た。二〇一九年には、突起の「位置」と異常の種類に相関があるという分類が『クリニカル・アナトミー』誌に出ている。この論文の著者たちは一八八〇年代から現在までの英語・日本語・フランス語・ドイツ語・イタリア語の症例報告を全部集めた。それだけの手間をかけないと整理がつかないくらい、この現象はとっちらかっている。
つまり、現場の医者にとって「かわいい尻尾ですね」で済ませられる案件は一つもない。まずMRIだ。話はそれからだ。
尻尾を報告した男たち、百四十年分
報告の歴史は意外と古い。
一八八一年、C・H・ミラーという医師が『メディカル・サージェリー・リポーター』に「テイルド・ヒューマニティ(尾のある人類)」という、なかなか攻めたタイトルの報告を出す。これが近代医学における最初期の症例報告とされている。
一八八四年、ドイツのマックス・バルテルスが『アルヒーフ・フューア・アントロポロギー』誌に「尾のある人間たち」という九十ページ近い大論文を発表した。これは症例報告というより、それまで世界中に散らばっていた「尾のある人」の記録を片っ端から集めて分類した、いわば尻尾の百科事典だ。バルテルスはそこで冷静に、旅行者が持ち帰った「尻尾のある部族」の話の多くは獣の皮を腰に垂らす習俗の見間違いだろう、と指摘している。この時点でかなり醒めている。
一九〇一年、R・G・ハリソンが『ジョンズ・ホプキンズ・ホスピタル・ブレティン』に、ワトソン医師が報告した症例の詳細と、ヒトに尾が出現することについての総説を書いた。一九六〇年にはパーソンズが『プラスティック・アンド・リコンストラクティブ・サージェリー』誌に、一九六二年にはランドバーグとパーソンズが『アメリカン・ジャーナル・オブ・ディジーズ・オブ・チルドレン』誌に症例を出している。
そして一九八二年五月二十日、この分野でいちばん有名な論文が出る。ボストンの小児病院にいたフレッド・D・レドリーが『ニュー・イングランド・ジャーナル・オブ・メディシン』に載せた「進化とヒトの尾――症例報告」だ。二年前に運ばれてきた、五センチほどの尻尾を持つ赤ん坊。ほかは完全に健康。生後二日目に安全に切除された。レドリーはこの論文で「ヒトの出生十万に一人」という数字を出し、こう書いた。われわれのようにダーウィン以来の文献に親しんでいる人間ですら、自分と原始的な祖先との関係を日常的に突きつけられることはめったにない。この尾状突起は、その現実を目の前に引きずり出し、触れられるもの、逃れられないものにする。
この一文が、あとで四十年ぶんの論争の火種になる。それは後半で。
一九八四年のダオとネツキー、一九九八年のルーら、二〇〇五年のドノヴァンとピーダーセンによる「脊髄と連続していない脂肪腫を伴う尾」の報告、二〇一六年のタッブスらによる総説「謎めいたヒトの尾」。線は途切れずに続いている。二〇二四年にもインドの症例が『BMJケース・リポーツ』に載った。二〇二五年一月には日本の『皮膚科の臨床』に二例がまとめて報告されている。四十年前も今も、産科の現場では同じ驚きが繰り返されている。
ケララの一日目、六・五センチ
ここからは、一件ずつ、ちゃんと物語として読んでいこう。
二〇一四年、インド南部ケララ州コッタヤムのバラート病院に、生後一日の男の子が紹介されてきた。両親は血縁関係がなく、上に健康な兄がいる。母親は妊娠中、病気もしていないし、放射線も浴びていないし、飲んだ薬はビタミン剤だけだ。経腟分娩。何一つ変わったところのない妊娠だった。
生まれてきた子の仙骨のまん中から、六・五センチの突起がぶら下がっていた。棍棒みたいな形で、先が少し膨らんでいる。全体がちゃんと皮膚に覆われている。勝手に動く様子はない。触ると、肉づきはあるがしっかり硬い。光は通らない。
診察した医師が、その突起をぎゅっと押した。赤ん坊が泣いた。ピンで軽く刺してみた。さっきよりずっと大きな声で泣いた。
この場面が好きだ。というか、この場面がすべてを語っている。そこには神経が通っている。感覚がある。痛い。ただの肉のいぼではない。それは、この子のからだの一部だ。
肛門の筋の緊張は正常。両足はよく動く。ほかに奇形はない。脊椎のMRIを撮った。脊椎披裂はなかった。脊髄円錐は第三腰椎の高さにあって、これも正常。真の尾、と診断がついた。
手術は簡単だった。根元をぐるりと楕円形に切開して、外す。MRIに映らない深部との連絡がないかを、切ったその場で目で確かめる。なかった。摘出した組織を顕微鏡で見ると、扁平上皮に覆われた中に脂肪組織、筋束、血管、神経束がきれいに並んでいた。教科書どおりの真の尾だった。
術後は何事もなく経過した。一か月後の診察で、傷はきれいにふさがっていた。神経学的な検査もすべて正常だった。
フォルタレザの未熟児、先に球のついた十二センチ
二〇二一年、ブラジル北東部フォルタレザのアルベルト・サビン小児病院。
母親は妊娠中に尿路感染症を起こして第一世代セファロスポリンで治療を受けていた。そして妊娠期間中、一日十本の煙草を吸い続けていた。これは報告書に淡々と書かれている事実で、因果関係が示されたわけではない。ただ、書き残された。
三十五週で早産。分娩そのものは何の合併症もなく終わった。生まれた男の子は黄疸が出ていて、そして左の傍脊柱、腰仙部から、約十二センチの繊維性の索が伸びていた。その先端に、直径約四センチの丸い塊がぶら下がっていた。
報告した医師たちは、これを「線維弾性の付属器」と書いている。ニューヨークの新聞は身も蓋もなく「中世のメイス(鎖鉄球)みたいだ」と書いた。赤ん坊の脚とほとんど同じ長さだった、と伝えた記事もある。
皮膚と神経系は胚の同じ層から生まれてくる。だから、腰のあたりに皮膚の異常があれば、その下の神経も疑う。医師たちはまず超音波で脊髄を調べた。何も出なかった。神経系への関与なし。
そこで手術室に運ばれ、尾は切除された。合併症はゼロ。あとで組織を調べたら、骨は一切なく、脂肪と胚性の結合組織だけだった。先端の球も同じだった。真の尾だ。
この症例が世界中のニュースになったのは、単純に見た目のインパクトのせいだと思う。でも報告した医師たちが本当に言いたかったのは別のことだ。腰仙部の皮膚の付属物は、神経系の異常を示す重要なサインである。だから画像による徹底的な検査が必須であり、それが進行性の神経学的後遺症のリスクを減らす。それだけだ。彼らは怪異を報告したのではなくて、チェックリストを一項目増やしたかった。
十七歳まで隠されていた十八センチ
これはインドの症例で、記録されている中でいちばん長い。
十七歳の少年が、腰仙部のまん中から生えた尻尾を主訴に病院へやってきた。生まれたときからあった。彼は健康な若い母親の第一子で、正期産、分娩も問題なし。ただし自宅分娩だった。そして尻尾が見つかったあとも、家族は一度も医者にかからなかった。
なぜか。周りが両親にこう言ったからだ。それは猿神ハヌマーンからの贈り物だ、と。両親はその言葉を信じ、息子にハヌマーンにちなんだ名前をつけた。
生まれたときの正確な長さは誰も測っていない。母親の記憶では、小指の半分より短かった。それが十七年かけて十八センチまで伸びた。
彼が病院に来たのは、信仰が揺らいだからではない。座ると痛くなったからだ。服を着るのも不便になったからだ。日常が回らなくなったから、ようやく来た。
検査してみると、思ったより事情は複雑だった。CTで第五腰椎と第三・第四仙椎のレベルに二分脊椎が見つかった。尻尾はちょうどその第三・第四仙椎に付いていた。尾骨の先が後ろ向きに反り返って、骨の棘を作り、それが尻尾の根元を突き上げていた。MRIでは、後方の脊椎要素と深部の腰仙筋膜が正中で途切れていた。尻尾から硬膜へ、細い線維の帯が伸びていた。
幸いなことに、神経組織そのものとはつながっていなかった。神経の脱落症状もなく、排尿排便の障害もなかった。手術で根元を切開し、筋膜の欠損を通る茎を追い、硬膜との線維帯を処理し、骨棘を削って平らにし、終糸をできるだけ低い位置で切った。合併症なし。
報告した医師たちは、こう書いている。開発途上国には、無知と社会的スティグマと恥のせいで、表に出てこない症例がもっとたくさんあるはずだ、と。
これは責める文章ではないと思う。むしろ逆だ。この少年が十七年間ただの一度も医者に見せられなかったのは、彼の家族が愚かだったからじゃない。「それは神さまの贈り物だ」という説明が、あまりにもよくできていたからだ。その説明は、恐怖を消してくれる。恥を誇りに変えてくれる。そのかわりに、十七年ぶんの痛みを引き受けさせる。
五十六歳の背中で、たまたま見つかったもの
もっと静かな話もある。
五十六歳の男性が皮膚科を受診した。主訴は背中まん中の色素斑。ほかに既往歴はない。ごく普通の受診だ。
医師が全身の皮膚を診た。そのついでに、仙尾部の正中に、肌色の小さな突起があるのを見つけた。〇・七センチ掛ける〇・五センチ。ほくろよりちょっと大きいくらい。
これ、いつからありますか。
子どものころからです。ずっと変わりません。
シェイブ生検で切って調べた。顕微鏡下の所見は、真のヒト尾に一致した。脊髄構造の関与は認められず、追加の治療は不要と判断された。
五十六年間、彼はそれが何なのか知らないまま生きていた。周りも知らなかった。たぶん、本人も特に気にしていなかった。真の尾のうち相当数は、こうやって誰にも気づかれないまま一生を終えているんじゃないか。報告書を書いた医師も、そのことを暗に言っている。あらゆる年齢の患者において、仙尾部の消えない病変の鑑別診断にヒト尾を入れておくべきだ、と。
日本にも、ちゃんとある
海外の珍事じゃない。日本の症例報告も積み上がっている。
一九八六年、『臨床皮膚科』に「人尾の1例」が載った。一歳の女児、仙骨部正中。著者らは「稀な疾患といわれているが、日常臨床において目に触れることもあると考えられ報告した」と書いている。この一文の温度感がいい。珍しいけど、たまに来ますよ、と。
一九九九年には十二歳の男児の症例が報告されている。尾骨の上に十五センチ掛ける二・五センチの腫瘤。神経症状はなし。MRIで脊柱管との連絡も二分脊椎もないことを確認して、単純切除。この報告には本邦例の一覧表がついていて、これがなかなか読ませる。一九四〇年の松繁の報告、十二歳女性、仙尾部。一九八六年、加畑、一か月男児、脊髄係留と潜在性二分脊椎。一九八七年、荒、一歳男児、二分脊椎。一九八九年、井出、二十六歳男性、尾骨上部、二分脊椎と脊髄係留。一九九五年、大浦、六十八歳女性、仙骨部正中、潜在性二分脊椎。
六十八歳。この人は、六十八年間その突起と暮らしてきた。何を思っていたのか、報告書は何も語らない。
二〇〇四年、国立病院機構仙台医療センターから、十一歳九か月の女児の報告が出た。主訴は「しっぽの存在」と「座ったときの痛み」。生まれたときから尾骨部にしっぽ状の突起があって、その上がくぼんでいた。放っておかれた。心室中隔欠損と動脈管開存もあった。突起の中には硬いものが触れる。開けてみたら、尾骨が正常と逆に、背中側へ折れ曲がっていた。反転して突き出ていた部分を脂肪組織ごと切除した。術後一年以上、再突出なし。座っても痛くない。
二〇一一年には、肛門縁に生じたきわめて珍しい例が報告された。二か月の男児。組織を見ると大部分は脂肪だが、平滑筋の増生と、索状の横紋筋・神経線維があった。ダオ分類でもリン分類でも真の尾に分類される。
そして二〇二五年一月、『皮膚科の臨床』に二例。生後二日の女児は仙骨部正中に長さ五センチの索状腫瘤で、筋・骨との連続がなく単純切除。生後一か月半の女児は右臀部に長さ二・五センチの円柱状腫瘤で、こちらはMRIで脊柱管に続く索状構造が見つかった。将来の脊髄係留症候群を防ぐため、一歳ごろに索状物ごと全摘の予定、と書かれている。
日本の報告例のうち三十五パーセント以上に二分脊椎の合併がある。これが、日本の小児外科と皮膚科の共通認識だ。
神になった男
さて、いちばん有名な人の話をしよう。
チャンドレ・オラム。オラオンとも表記される。インド北東部、西ベンガル州ジャルパイグリ地方アリプルドゥアール。アルナーチャル・プラデーシュ州だという説明を見かけることがあるが、彼が暮らしているのは西ベンガル州の茶園地帯だ。仕事は茶摘み。ごく普通の農園労働者だ。
彼の背中の下部から、三十三センチ、太さ二十五ミリの突起が出ている。全体が濃い毛で覆われている。報道によっては三十七センチと書かれている。十三インチ、つまり約三十三センチというのがいちばんよく使われる数字だ。
そして彼は、ラーマ・ナヴァミの日に生まれた。ラーマ神の誕生日だ。『ラーマーヤナ』でラーマにひたすら忠誠を尽くし、さらわれた妻シーターを取り戻すのを助けた猿の神が、ハヌマーンだ。
尻尾。ハヌマーンの日に生まれた男。木にするすると登る。バナナをむさぼる。跳ぶ。この四つが揃った瞬間、村の解釈は一つに固まった。この人はハヌマーンの化身だ。
二〇〇六年ごろ、この話がインド全国紙に載り、それから海外メディアに広がった。コルカタから六百五十キロ以上離れた、バナルハトの小さな集落に、何千人という人が押し寄せた。何時間も並んで、彼の尻尾に触れる順番を待った。触れば病が治ると信じられていた。
彼は家の中庭の隅にハヌマーンの小さな祠を建てた。てっぺんに赤い絹の旗を掲げた。ハヌマーンの色だ。ラーマ・ナヴァミの日には供物を受け取り、それを神像に捧げた。
医師の見方はまったく違う。地元の医務官は、彼は木に登れるかもしれないが、先天異常を持ったごく普通の人間だ、とはっきり述べている。医学的には、これは真の尾ではないとされる。彼の突起は腰部から出ている。真の尾なら尾骨の延長として、犬や猿の尻尾と同じ位置に出るはずだ。位置がずれているというのは、脊椎の癒合不全、それも髄膜瘤型の二分脊椎を強く示唆する。専門家はそう説明している。
彼は手術を拒み続けてきた。家族の言葉によれば、それはもう彼の一部であり、それなしでは生きられないものになっている。
触れば治る、と人は言う
ここからは、三人の声をそのまま聞いてほしい。
まずチャンドレ本人だ。彼はメディアの前で、繰り返し同じことを言っている。私はハヌマーンだ。人々はこの尻尾のせいで私をとても敬ってくれる。この尻尾のことはまったく気にしていない。これは神からの贈り物だ。別の場面ではこうも言っている。私はラーム・ナヴァミの日に生まれた。人々は私に大きな信を置いている。私の尻尾に触れると、重い病が治るのだ。信心を持って私のところへ来る人には、私はたくさんの良いことができると信じている、と。
この言葉を、都会の人間が笑うのは簡単だ。でも彼が置かれた条件を考えてほしい。茶園の日雇い労働者として生まれ、背中には隠しようのない三十三センチの突起があり、周囲の子どもは一生それを見て育つ。この状況で、「これは病気だ」という説明と「これは神の証だ」という説明のどちらを選ぶかは、信じるか信じないかの問題ですらない。生き延びるための選択だ。彼は後者を選んだ。そして選んだ以上、最後まで演じ切っている。結婚の話が持ち上がるたび、彼はこう言っていた。私と、この尻尾ごと受け入れてくれる女性と結婚する。さもなければハヌマーンと同じく、一生独身でいる、と。二十人ほどの女性に断られたあとの言葉だ。
次に、その結婚相手の声だ。彼は二〇〇七年に結婚し、子どももいる。妻の名はマイノ。彼女がテレビの取材に答えた言葉は、この物語のいちばん苦い部分だ。彼は見た目がよくない。私は幼いころに母も父も亡くした。だから兄たちが私を結婚させたがった。それで、妥協して彼と結婚しなければならなかった。生きた神と暮らすのは楽じゃない、と彼女ははっきり言っている。
この証言があるおかげで、この話は「奇跡の村」というきれいな物語にならずに済んでいる。神に祭り上げられた男の家の内側には、その神を「見た目がよくない」と言い切る妻がいて、彼女には彼女の事情がある。信仰は、家の外では奇跡を配り、家の中では誰かに負担を回している。彼女はそれを隠さなかった。
三人目は、信じる側だ。モニカ・ラクダという女性が、はるばる彼のもとを訪ねてきた理由を語っている。兄の息子が病気だった。薬を飲ませたけれど効かなかった。だから私たちはチャンドレのところへ、彼の祝福をもらいに来た。その直後、赤ん坊はよくなった。私たちは、チャンドレはハヌマーンの化身だと信じている。彼は聖なるハヌマーンの日に生まれたという。だから私たちは彼を信じている。
この短い証言の中に、信仰が生まれる仕組みが全部入っている。薬が効かなかった。ほかに手がなかった。行った。治った。順番が全部そろっている。医学的には、乳児の熱の大半は放っておいても下がる。でも、絶望していた家族にとって、その事実は何の慰めにもならない。手を尽くしたあとに残るのは、祈るという行為だけだ。彼女は祈り、子は治り、彼女はそれを一生忘れない。
四人目を足そう。次の章の主人公の祖父、イクバル・クレシの言葉だ。あの子が一歳で初めて言葉を話したとき、口にしたのはいろいろな宗教の神々の名前ばかりだった。あの日、私はこの子には何か神聖で神々しいものがあるのだと悟った。彼はまた、こうも言っている。私たちは人にお金を出せとは言わない。くれるものを受け取るだけだ。あの子は人々の願いをかなえる。全能者から特別な力を授かっているのだ。子どもを失った夫婦や、子どもができない夫婦が訪ねてくる。バラジが祝福する。しばらくして子ができる。祖父はそう語った。
バラジと呼ばれた少年、そして「神をやめた」日
二〇〇一年二月十五日、インド北部パンジャーブ州、チャンディーガル近郊の村ナビプル。サルマという女性が男の子を産んだ。父はラージ・モハンマド。イスラーム教徒の一家だ。
その子の腰から、十センチほどの肉の尻尾が伸びていた。
噂が広がるのに時間はかからなかった。何百人という人が家に押し寄せた。ヒンドゥー教徒たちは、この子をハヌマーンの化身と見なした。ムスリムの家に生まれた子が、ヒンドゥーの神の生まれ変わりとして拝まれる。インドの宗教風景の複雑さがそのまま出ている話だ。
彼らは少年をバラジと呼んだ。ハヌマーンの別名だ。家は改装されて簡易の寺になった。日曜には二、三十組が「ダルシャン」、つまり神の姿を拝む儀礼のために訪れた。祖父イクバル・クレシによれば、少年の体には九つの神聖な印がある。尻尾のほかに、足には蓮の印、左腕にはシーターとカダーの印。彼は特別なのだ、と祖父は言った。
尻尾は成長とともに伸びた。十三歳のころには十八センチ近くになっていた。
そして、少年の体は苦しんでいた。生まれつき内反足があり、両下肢が弱かった。尻尾は根元で引きつれていた。歩くのが難しくなり、やがて車椅子が必要になった。診断のつかない障害、と報じられている。
十三歳の彼が取材に答えた言葉が残っている。この尻尾は神から与えられた。私は神に祈り、人々の願いがかなうから、崇拝されるのだ。同時に、彼はこうも言った。私は尻尾があることについて、良いとも悪いとも思っていない。そして、手術で取ることについて訊かれると、こう答えた。医者は私の尻尾を取ることができる。でも人々は私を信じ続けるだろう。
祖父は迷っていた。決めるのはバラジだ。あの子が取りたいというなら、私たちは構わない。あの子は歩くのがつらい。だから医者に何ができるか尋ねているところだ。
二〇一五年、パンジャーブ州モハーリーのフォルティス病院で、七時間の手術が行われた。費用は無料だった。執刀した医師の説明はこうだ。バラジは内反足の変形と下肢の筋力低下を持って生まれた。尻尾は根元で固定されており、そのままにすれば上位の脊髄に正常でない変化を引き起こす可能性が高い。だから遊離するか、切除する必要があった。
つまり、あの尻尾は本当に彼の脚を悪くしていた。信仰の対象が、同時に病巣だった。
手術のあと、十四歳になった彼が言った言葉が、この記事で一番の名台詞だと思う。
手術がうまくいって、本当にうれしい。これでみんな、僕を神と呼ぶのをやめるだろう。ずっと嫌だった。だって僕は、自分がふつうの子どもだとずっと思っていたから。
そして、こう続けた。友達が病院に会いに来てくれた。すごく喜んでくれた。これで僕も、あいつらの仲間になれる。
祖父も折れた。名前をバラジからアルシド・アリ・ハーンに戻そうと考えている。もうヒンドゥーの祭りには行かない。人生のあの時期は終わった。人々はあの子が特別だと思っていたが、私たちにとってはほかの子と同じだった。これからは、同じように普通になる。
将来の夢は音楽教師、と彼は答えている。
尻尾は、呪いでもあった
インドで尻尾が神性の証だったのと、まったく同じ時期に、ヨーロッパでは尻尾は最悪の侮辱だった。
一四三六年、パリ。十六年間パリを占領していたイングランド軍が街を出ていく。市民が石を投げるかわりに投げつけたのは、言葉だった。尻尾、尻尾、と。
パリの人々にとって、それは常識だった。イングランド人は服の下に尻尾を隠している。十二世紀ごろからフランス文学にこの話が出はじめ、そこから欧州じゅうに広がった。一三三二年、スコットランド人はイングランド軍との小競り合いの前に、こう豪語した。イングランド人の尻尾でロープを作って、そいつらを縛ってやる。十四世紀のイタリアの本は、イングランドを「住民が鹿のように短い尾を持って生まれる島」と紹介している。
なぜそんなことになったのか。始まりはケントの人々だけを指す悪口だったらしい。聖アウグスティヌスがブリテンに布教に来たとき、土地の者たちが彼を嘲り、その衣にエイの尾を結びつけた。神はその侮辱に怒り、彼らとその子孫に尻尾を与えた。ドーセットのマグリントンという村を舞台にする版もある。十五世紀のスコットランドの年代記『スコティクロニコン』の書き手は、こう書いている。神は彼らの後ろの部分を打ち、永遠の恥を与えたので、彼ら自身とその子孫の隠れた部分に、みな一様に尻尾が生まれるようになった。
もう一つの版は、トマス・ベケットだ。ルネサンス期の歴史家ポリドール・ヴァージルが書き残している。ベケットが失脚してメドウェイ川のほとりのストルードという村に来たとき、村人たちは彼を辱めようとして、彼が乗っていた馬の尾を切り落とした。この不敬な行いによって、彼らは永遠の恥を身にまとうことになった。神の意志によって、この行いをした男たちから生まれるすべての子孫が、獣のように尻尾を持って生まれるようになったからである。
実際、ベケットの家僕ウィリアム・フィッツスティーヴンの記録には、ロバート・ド・ブロックが貧しい農夫の馬の尾を切ったこと、そしてベケットが一一七〇年のクリスマスのミサでその男を破門したことが書かれている。歴史的な出来事と、伝説の分岐点がここにある。切られたのは馬の尾で、生えたのは人間の尾になった。
そこからは、話が転がっていくだけだ。侮辱は増幅する。尻尾があるということから、うなぎ、蛇、ネズミへの連想が生まれた。フランス語の「クー(尾)」と「クーヴ(卵を抱く)」の音が似ていたせいで、イングランド人は卵を抱く、というわけのわからない中傷まで生まれた。十三世紀のフランドルの詩は、鶏がいないならイングランド人を呼んで巣の上にしゃがませろ、とからかっている。
十四世紀初頭に書かれたと思われる『プロプリエタテス・アングリコルム』という風刺文書は、もっと突っ込んだことをやった。この作者は、元の話に出てくるエイの尾を豚と牛の尾に置き換えた。そのうえで、ロチェスターの住民が持つ尻尾は豚の尻尾だと断じ、神に尻尾を与えられた者は怪物であって、完全な人間ではない、と論じた。当時ヨーロッパでは「怪物的な人種」に人間性はあるのかという議論が盛んで、この作者はその流れに乗った。相手を人間の枠から外す。中傷としてこれ以上のものはない。
十五世紀のドイツの修道士ゴットシャルク・ホーレンは、説教でこう言い切っている。人でも天使でもなく、悪魔だけが尾を持つ姿で描かれる。彼が本当に叩きたかったのは、長い裾を引きずる贅沢な服だったのだけど、その論証のためにイングランド人の尻尾を引き合いに出した。
十六世紀になると、当のイングランド人はうんざりしていた。オソリー司教ジョン・ベイルはこう嘆いている。今やイングランド人は、商売であれ何であれ、まっとうな仕事で他国を旅すると、必ず面と向かって「イングランド人にはみんな尻尾がある」と投げつけられる。彼はこの伝説を、怠惰で無為な連中、つまり修道士と司祭どもが作り上げた嘘の伝説だと罵っている。
英蘭戦争の時代には、この中傷はプロパガンダの武器として大活躍した。オランダの版画のなかで、オリバー・クロムウェルの尻尾はひらひらと揺れている。蛇のようにうねっていることもあれば、狐のようにふさふさなこともある。ある絵では、イングランドの将軍が獅子のような尻尾を持ち上げて、艦隊を吹き飛ばしている。
そして、これは驚くほど最近まで生き残った。十九世紀の民俗学者セイバイン・ベアリング=グールドは、子どものころ「コーンウォール人にはみんな尻尾がある」と信じて育った。仲良くなったコーンウォール出身の本屋にそれを尋ね、ないよ、と言われても納得しなかった。彼はこの人は座りすぎて尻尾がすり切れたのだ、と自分を納得させ、乳母もその説を裏づけてくれたという。二〇二〇年にも、アイルランド人の祖母が「イングランド人には尻尾がある」と言い張っていた、と書き込んだ人がいる。
四百年以上「常識」だったものは、そう簡単には消えない。
裸にされ、針を刺された人々
尻尾が悪魔の証だという発想は、もっと恐ろしい場所にも顔を出す。
近世ヨーロッパの魔女裁判では、告発された者の身体そのものが証拠になった。悪魔の刻印、魔女の印、魔女の乳首。呼び名はいろいろある。悪魔が自分の下僕に印をつけ、契約の証とした、と信じられていた。爪で肌を掻き裂いて作る、舐めて髑髏の模様を浮かび上がらせる、焼きごてで青や赤の焼き印を押す。説明は場所によって違った。
そして、その印は探せば必ず見つかるとされていた。だから探した。
被告は衣服を剥がされ、全身の体毛を剃られた。印を隠せる場所を一つも残さないためだ。傷跡やたこ、皮膚の厚くなった部分に針が刺された。「魔女を刺す」という言い方まであった。この手続きは、多くの場合、大勢の見物人の前で行われた。もし何の異常も見つからなければ、痛みを感じない場所が出てくるまで、ひたすら針を刺し続ければいい。そういう理屈だった。
証拠とされたものは、ほくろ、いぼ、母斑、スキンタグ、そして副乳だ。副乳、つまり普通より多い乳頭は、使い魔に血を吸わせるための乳首だと解釈された。イングランドの魔女信仰では、使い魔は動物の姿をした悪魔の手先で、魔女の余分な乳首から養分をもらう。だから余分な乳首が見つかれば、それは悪魔との盟約の証明になる。一六二七年のリチャード・バーナードの手引書は、この印の発見を、有罪にできる七つの証拠の一つに数えている。
マシュー・ホプキンス、自称「魔女狩り将軍」は、一六四〇年代のイースト・アングリアだけで三百人近くを裁判にかけ、そのうち約百人が死んだ。
一九八九年、フロッテとベルという二人の研究者が『アメリカン・ジャーナル・オブ・ダーマトパソロジー』誌に、セイラム魔女裁判で証拠とされた皮膚病変の分析を発表している。彼らの結論はこうだ。悪魔の印と呼ばれたものは、平坦だったり隆起していたり、赤かったり青かったり茶色かったり、形が変わっていたりする、さまざまな皮膚病変だった。魔女の乳首と呼ばれたものは、ほぼ確実に副乳だった。ただし裁判記録を読むかぎり、この証拠だけで有罪になった人はいない、とも彼らは書いている。
尻尾そのものが決め手になった裁判記録は、正直、はっきりとは残っていない。だからここは慎重に書く。魔女裁判で人を殺したのは、尻尾という具体的な器官ではない。「からだの異常は、見えない契約の可視化された証拠である」という発想そのものだ。その発想の枠組みの中では、尻尾は最上級の証拠になり得た。悪魔だけが尾を持つ姿で描かれる、とゴットシャルク・ホーレンが説教したのは、魔女狩りが本格化する百五十年ほど前のことだ。土壌はとっくに耕されていた。
尻尾のある民族、という長い幻想
十七世紀から十九世紀にかけて、ヨーロッパの旅行記には「尻尾のある人々」が何度も登場する。
オランダの旅行者ヨハン・ストラウスは一六七七年、フォルモサ島で処刑を待つ男を見たと書いた。その男には赤い毛に覆われた三十センチ以上の尾があって、牛の尾によく似ていた。男は驚くヨーロッパ人たちに、それは気候のせいで、この島の南側の住民はみんな尾を持っていると説明した、というのがストラウスの話だ。
十九世紀にはアフリカ内陸の「ニャムニャム」族の話が流行した。一八四九年、メッカから戻ったある人物が、彼らの尾は長く、腕も長く、額は低く狭く、耳は長く立っていると証言した。一八五一年、ド・カステルノーという人物は、ニャムニャムへの襲撃の詳細を語った。四十センチ、直径二、三センチの滑らかな尾を全員が持っていて、女もそうだった、と。コンスタンティノープルの病院の医師ヒュプシュは、一八五二年に「尾のある黒人女性」を見たと書き、奴隷商人から部族の話を聞いたと述べている。
こういう話が、どういう機能を果たしていたかは想像がつく。相手を人間の枠の外に置くこと。それは中世の「尾のあるイングランド人」と、構造的にはまったく同じ道具だ。
同じ時代の研究者はちゃんと疑っていた。モーニケは、古い尾人伝説の多くは猿の話だろうと考えた。ただそれは怪しい、と当時から反論があった。人にいちばん似ている類人猿こそ、人と同じく尾がないからだ。より説得力があるとされたのは、獣の皮を尾がぶら下がるように腰に巻く習俗の見間違いだという説だ。実際、シュヴァインフルトはボンゴ族の女性たちが椰子の葉で作った尾を、本物らしく見えるように結びつける習慣を観察している。
ただ、全部が幻想だったわけでもない。ギリシャのアテネで、軍医オルンシュタインがリヴァディア出身の二十六歳の男性を詳しく調べた記録がある。円錐形で、先端だけが自由になった五センチほどの尾。押すと中に三つの椎骨が触れた。周囲の皮膚と色は変わらず、仙骨部が毛深いのにその尾には毛がなかった。小さく動く尾だった、と書かれている。一八二〇年にはブルサのティルク医師が、二十二歳のクルド人の脂肪質の尾を報告し、そこには余分な椎骨が四つあったという。十七世紀のトマス・バルトリンも、尾椎の数が規定より多い少年の話を書き残している。
そして、インドのラージプート族の一部の王家、ポルバンダルのラーナー家では、尾は神性の印だった。猿神ハヌマーンの子孫である証拠。彼らはその印を誇りにし、大切に受け継いだと伝えられている。同じからだの特徴が、緯度が変わるだけで呪いにも王冠にもなる。
『ポピュラー・サイエンス・マンスリー』誌の一八九二年一月号は、この一連の議論をまとめた記事の最後に、こう書いている。こうした奇形は、苦痛をもたらさないかぎり、それを持つ者と、その母親に非難が及ぶのを恐れて、注意深く隠される。だから記録される数より、実際の数はずっと多いはずだ、と。
十七歳まで十八センチの尻尾を隠していたインドの少年の話と、百三十年を隔てて完全に一致する。
切りたくても、簡単には切れない
ここで、いちばん現実的な話に戻る。
尻尾を切るのは簡単だ、と昔の教科書には書いてある。真の尾ならそれは正しい。根元を楕円形に切って外すだけ。三十分もかからない。
問題は、それが真の尾かどうかを、外から見て判断できないことだ。
尾の下に隠れているものの代表が、脊髄係留症候群だ。尾の内部の索状物が脊柱管の中に入り込み、脊髄円錐や馬尾神経を下へ引っ張ってしまう。子どもが成長すると背骨は伸びるが、引っ張られた脊髄は伸びない。結果として神経が少しずつ損なわれ、下肢の症状、そして排尿排便の障害が出る。
こわいのは、これがゆっくり進むことだ。生まれたときは何ともない。歩きはじめても何ともない。気づいたときには戻らない。
実際にそういう例が報告されている。三歳の男の子が、腰の腫れを主訴に来た。生まれたときからあって、だんだん大きくなった。歩き方がおかしい。便も尿も漏らす。母親は妊娠中に一度も検診を受けていなかった。診察すると、腰仙部正中に七センチ掛ける五センチの軟部腫瘤があり、その表面から指のような突起が出ていた。MRIで第四・第五腰椎レベルの脊髄脂肪腫が脊柱管の中まで続いていた。肛門は開きっぱなしだった。手術は行われた。突起も、硬膜内の脂肪腫も切除し、係留を解除した。術後の経過は良好だった。それでも、報告書はこう締めくくられている。彼の神経症状は、いまだ改善していない。
これが、尻尾は簡単に取れますよ、と気軽に言えない理由だ。
だから今の手順は決まっている。まず神経学的診察。歩き方、下肢の筋力、肛門の緊張、排尿排便。次に画像。単純X線で尾骨の形と二分脊椎を見る。CTで骨。そしてMRIで、脊柱管との連絡、脂肪腫、脊髄円錐の位置、終糸。ここまでやってから、初めてメスを入れる。
ちなみに、MRIが撮れない環境ではどうするのか。ある報告では、二人の患者がMRIの費用を払えなかった。医師たちは背中と脳の超音波、脊椎の単純X線と、自分たちの臨床経験と、過去の文献を突き合わせて、MRIなしで切除する判断をした。それが正しかったかどうかは、結果的にうまくいったという事実しか語れない。世界のどこで生まれるかで、尻尾の意味は変わる。
二〇二四年、犯人が捕まった
ここまでずっと「なぜ人に尻尾が生えるのか」という話をしてきた。逆の質問がある。
なぜ人には尻尾がないのか。
猿にはある。ニホンザルにもアカゲザルにもヒヒにもある。クモザルは尾で枝をつかむ。でも類人猿、つまりテナガザル、オランウータン、ゴリラ、チンパンジー、そしてヒトには、外に出た尾がない。この境目は、およそ二千五百万年前、類人猿の系統が旧世界ザルから分かれたあたりにある。
二〇二四年二月二十八日、この謎に一つの答えが出た。ニューヨーク大学の夏波、ジェフ・D・ボイケ、イタイ・ヤナイらのチームが『ネイチャー』誌に発表した論文だ。
彼らはまず、脊椎動物の尾の形成に関わる百四十以上の遺伝子を並べて、類人猿にだけあって旧世界ザルにはない変化を探した。そして見つけた。TBXTという遺伝子、ブラキュリとも呼ばれる、中胚葉と内胚葉の形成に必須の転写因子の、第六イントロンの中に、AluYという転移因子が一つ挿入されていた。
Alu配列というのは、ゲノムの中を勝手に増える短い反復配列だ。かつては「ジャンクDNA」とか「遺伝子の寄生虫」とか呼ばれていた。ヒトのゲノムには百万個以上ある。
普通なら、イントロンの真ん中に何か挿入されても大した影響はない。しかもこのAluYは、いちばん近い第六エクソンから五百塩基以上離れている。スプライシング部位のすぐそばでもない。だからこれ単独では何も起きないはずだった。
ところが、隣の第五イントロンには、もっと古い時代に入った別のAlu配列、AluSx1が、逆向きに存在していた。サルと類人猿の共通祖先の時代からある配列だ。
この二つが、第六エクソンを挟んで、向かい合わせの反復ペアを作ってしまった。
転写されたRNAの中で、この二つは相補的に結合する。つまり、ヘアピンのような二次構造ができる。そしてそのループの中に、第六エクソンが閉じ込められる。閉じ込められたエクソンは、スプライシングのときに飛ばされる。結果として、第五エクソンと第七エクソンが直接つながった、第六エクソン欠失型のTBXTタンパク質ができる。
これが類人猿にだけある形だ。
チームはこの仮説をCRISPRで検証した。ヒトのES細胞からAluYを削ると、欠失型はほぼ完全に消えた。AluSx1のほうを削っても、同じく消えた。二つそろって初めて効く。
次に、マウスでやった。マウスにはこの二つのAlu配列がないから、欠失型を作らない。だからマウスには長い尻尾がある。そこで、マウスのTbxt遺伝子に、ヒトのAluSx1とAluYのペアをそっくり移植した。さらに別の系統では、Alu配列とは無関係な、単なる逆向き相補配列を同じ配置で入れた。
生まれたマウスには、尻尾がなかった。あるいは短かった。あるいは折れ曲がっていた。二つの型の存在比によって、表現型が変わった。欠失型の割合が高い個体では、安定して尻尾がなくなった。
つまり、二千五百万年前、誰かの生殖細胞で、Alu配列がたまたまTBXT遺伝子のイントロンに飛び込んだ。それだけで、ヒトを含む類人猿の全系統から尻尾が消えた。設計変更ではない。事故だ。
そして、この論文には不穏なオマケがついている。
欠失型を発現させたマウスの一部に、神経管閉鎖不全が出た。二匹は出生後に死んだ。ヒトにおける神経管閉鎖障害の発生率は、およそ千人に一人。二分脊椎はその代表だ。
論文の最後で、著者たちはこう書いている。尾の喪失には、神経管閉鎖障害という代償が伴っていた可能性がある。その代償は、今日のヒトの健康に影響を及ぼし続けている。
この記事の前半で、尻尾のある赤ん坊のおよそ半数に脊椎披裂が合併する、という話をした。あれと、この論文は同じ場所を指している。尻尾を捨てた代わりに、背骨の閉じ方が少しだけ雑になった。二千五百万年前の取引の請求書が、今も産院に届いている。
化石は何を言っているか
遺伝子とは別の証拠もある。骨だ。
およそ三千三百万年前のエジプトピテクス・ゼウクシスは、旧世界ザルと類人猿の共通祖先に近い種とされる。この種には、明確な尾椎の遠位部があった。つまり長い尻尾があった。
ところが、一千八百万年前のプロコンスル・ヘセロニ、そして千五百五十万年前のナコラピテクス・ケリオイでは、すでに尾が失われている。
ナコラピテクスの証拠が決定的だ。ケニアのナチョラで見つかった第一尾椎の化石には、椎孔が完全になく、横突起が縮小し、背腹に圧平されていた。これは現生類人猿の尾骨と同じ特徴で、尾の筋肉が減り、仙尾関節の可動性が落ちていたことを示す。二〇〇三年、中務真人らがこれを「ナコラピテクスにおける尾喪失の決定的証拠」として『ジャーナル・オブ・ヒューマン・エボリューション』誌に発表した。
プロコンスルのほうは、ちょっとした学界の喧嘩になった。一九九一年にウォードらが、ある椎骨を最後の仙椎だと同定し、その先細り具合は現生類人猿の範囲に収まる、だからプロコンスルには尾がなかった、と主張した。一九九八年、ハリソンが反論した。あの標本は尾椎と見るべきで、頭側関節面の形は旧世界ザルの近位尾椎に似ている。プロコンスルには尾があった、それも長い尾があったかもしれない、と。二〇〇四年、中務らが再検討して、やはり仙椎で、遠位で尾骨と関節していただろうと結論した。二〇一三年以降の仙骨形態の統計的研究も、プロコンスルは無尾と再構成している。
三千三百万年前には尻尾があって、千五百五十万年前にはなかった。その間の千七百万年、化石がすっぽり抜けている。私たちの祖先が尻尾を失った、その瞬間の骨は、まだ誰の手にも渡っていない。
ネットの戦場、「これは進化の証拠か」
さて、レドリーが一九八二年に書いたあの一文に戻る。この尾状突起は、われわれと原始的な祖先との関係を、逃れられないものにする。
創造論の陣営は、これを絶対に見逃さなかった。
彼らの反論は、意外なほど筋が通っている部分がある。まず、レドリーが報告した突起には、動物の尾の決定的な特徴が一つもなかった。椎骨がない。椎骨につく筋肉がない。そもそも尾があるべき正しい位置に出ていない。にもかかわらず、彼はそれを「ヒトの尾」と呼び、進化の動かぬ証拠だと言った。それは飛躍だ、と。
さらに彼らはこう指摘する。医学文献が使う「真の尾」という言葉が、そもそも誤解を招く。真の尾と呼ばれるものにも、骨も軟骨も入っていない。偽尾には骨が入ることがあるが、それは椎骨ではない。どちらも、構造的に動物の尾には似ていない。バランスを取ることも、物をつかむことも、虫を追い払うこともできない。だから「完全に機能する尻尾を持って生まれた子がいる」という主張は誤りだ、と。
彼らはまた、実際に手術した神経外科医の言葉を引く。私が執刀したもののどれも、文献で知るかぎりのどれも、本物の尾ではない。尾の構造を、原始的な形ですら持っていない。尾がそうであるような形で尾骨についていたものは一つもなかった、と。
さらに『ジャーナル・オブ・ペリナトロジー』の記述を引いて、真の尾と偽尾の区別自体が今では恣意的で臨床的意義に乏しく、どちらも脊索の遺残に由来し、成因はおそらく同じだと考えられている、と主張する。
正直に言うと、この批判の技術的な部分は、かなり当たっている。
一方で、彼らが言い切りすぎている部分もある。ヒト胚は一度も尾を持ったことがない、という主張がそうだ。これは苦しい。四週から六週の胚には十から十二の尾椎が並んでいて、体長の六分の一を占め、そのあと細胞死で解体される。これを「尾ではなく発生に必要な足場だ」と呼び替えることはできる。実際、その構造が神経管や体軸の形成を導く足場として働くのは事実だ。でも、足場であることと、尾であることは矛盾しない。マウスの足場は尻尾として残る。ヒトの足場は解体される。同じ構造の、別の後始末だ。
進化生物学側の言い過ぎも指摘しておく。完璧に形成された、機能する尻尾を持って赤ん坊が生まれることがある、というのは、少なくとも文献上の裏づけがない。動く例はある。神経が通っている例もある。パチニ小体まで入っている例もある。でも「機能する」と呼べるレベルではない。
じゃあ、結局どう考えればいいのか。
たぶん、いちばん誠実な言い方はこうだ。ヒトの尾状突起は、祖先の尻尾が復活したものではない。祖先の尻尾を作っていた発生プログラムの残骸が、解体されずに残ったものだ。復活と残存は違う。でも、その残骸がまだそこにあるという事実自体が、私たちが尻尾を持つ動物の系統から来たことの、静かな傍証にはなっている。TBXTのAlu挿入という二〇二四年の発見は、まさにその「残骸」がどう扱われるようになったかの話だ。プログラムは消されていない。飛ばされているだけだ。
ちなみに、この論争の一番おかしいところは、双方が引き合いに出す映画が同じことだ。二〇〇一年のコメディ映画で、登場人物の一人が犬みたいに振れる「痕跡的な尻尾」を披露する。あれはもちろんCGだ。それでも、あの映画で初めて「ヒトの尻尾」を知った人が、たぶん世界に何千万人といる。
なぜ人は、尻尾に震えるのか
最後に、この現象がなぜこんなに人の心をかき乱すのかを考えたい。
指が六本あることに、人はここまで動揺しない。多指症のほうが尻尾よりずっと頻度が高いのに、多指症の子が神として拝まれた話は聞かない。
尻尾が特別なのは、それが「境界を越える」からだと思う。
人は、自分と動物の間に線を引いて生きている。その線はかなり恣意的で、しかも歴史的にはとても新しい。でも、線があるという感覚だけは、たいていの文化に共通している。尻尾は、その線をまたぐ。しかも、人体で唯一、「かつてあったが今はないもの」として、みんながその不在を知っている部位だ。指は増えても「増えた」だけだ。尻尾は「戻ってきた」ように見える。
だから解釈が二方向に振り切れる。上に振り切れれば神になる。ハヌマーンの化身。ラージプートの王家の血の証。下に振り切れれば獣になる。悪魔の刻印。完全な人間ではない者。中世フランスの文人が「彼らは人ではない、あるいは人であるとしても」と書いたあの躊躇。
どちらも同じ構造だ。線を越えた者を、人間の枠の外に置く。上に置くか、下に置くかの違いしかない。
そして、これがいちばんきついところだけど、上に置かれるのも、けっこうつらい。
アルシド・アリ・ハーンは十四年間「神」だった。人々が拝みに来た。願いが叶ったと感謝された。祖父はそれを誇りにした。でも本人は、車椅子から立ち上がれず、友達の輪に入れず、ずっと自分はふつうの子どもだと思っていた。手術のあと、彼が最初に喜んだのは、脚が治る見込みでも、痛みが消えることでもなかった。これでみんな、僕を神と呼ぶのをやめる、だった。
信仰は、彼を守った。誰も彼を化け物と呼ばなかった。家は寺になり、供物が届いた。でも同時に、信仰は彼から「ふつうの十四歳」を十四年間取り上げていた。
チャンドレ・オラムは、逆の道を選んだ。尻尾を残し、神であり続けることを選んだ。それも一つの答えだ。彼にとって、尻尾を切ることは自分を切ることだった。二十人の女性に断られ、それでも切らなかった。妻には見た目がよくないと言われ、それでも切らなかった。ある意味では、彼のほうが筋が通っている。
私たちが尻尾のある人に震えるのは、たぶん、彼らが怖いからじゃない。彼らを見ると、自分の尾てい骨を思い出すからだ。自分の中にも同じ足場が組まれ、同じように解体されたことを思い出すからだ。
境界線は、彼らの背中にあるんじゃない。私たちの尻の下にある。
三つの尻尾と、片づけ忘れの話
ここまで書いてきて、いくつか整理しておきたいことがある。
まず、この記事で扱った「尻尾」は、実は三つの全然違うものの寄せ集めだということだ。一つめは医学的な真の尾。胚の尾芽の最遠位部が解体されずに残ったもの。脂肪と結合組織と横紋筋と神経でできていて、骨はなく、切れば終わる。世界の文献で四十例前後しか報告がない。二つめは偽尾。尾骨の異常な延長、脂肪腫、奇形腫、寄生性双胎。見た目だけそっくりで、中身も成因も、そして予後もまったく違う。こちらは下に隠れた脊髄の異常と地続きで、切除の判断には必ず画像が要る。三つめは、そのどちらでもないもの。チャンドレ・オラムの背中から出ている、毛に覆われた三十三センチの突起がそれだ。医学的には髄膜瘤型の二分脊椎とされ、位置も尾骨の延長線上にない。彼は世界でいちばん有名な「尻尾のある人」なのに、いちばん厳密な意味では尻尾ではない。この三つがメディア上でごちゃまぜになり、さらにそこへ進化論論争が乗ってくる。混乱しないほうがおかしい。
次に、この題材を扱ううえで一番気をつけないといけないと思ったのは、当事者を「事例」として消費してしまう危うさだ。この記事で名前を挙げた人たちは、全員、今日も、あるいはつい最近まで、実際に生きている人だ。二〇一四年に取材に答えたアルシド・アリ・ハーンは、今なら三十歳を過ぎているはずだ。音楽教師になりたいと言っていた。なれただろうか。チャンドレ・オラムには子どもがいる。その子は今、父親の背中をどう思っているだろう。十七歳まで十八センチの尻尾を隠していた少年は、手術のあと、初めて痛くない椅子に座ったはずだ。そのときの気持ちは、どの論文にも書かれていない。医学論文は治療の成否を記録するが、その人がどう生きたかは記録しない。だから私たちが読めるのは、いつも断片だけだ。
三つめ。文化のあいだで、同じ体が正反対の意味を持つという事実の重さについて。西ベンガルの茶園では尻尾は神性の証で、中世のパリでは人間性の否定だった。ラージプートの王家では血統の誇りで、魔女裁判の法廷では悪魔との契約の証拠だった。この差は、その体自体には何の関係もない。全部、見る側が持ち込んだものだ。そして、これは過去の話じゃない。今のインターネットで「ヒトの尻尾」の画像がどう消費されているかを見ればわかる。合成写真とフェイク動画が大量に混ざり、そこに進化論と創造論の代理戦争が乗り、それとは別に、ただ驚きたいだけの人たちが数千万回再生していく。中世のパリで尻尾、と叫んだ群衆と、構造はそこまで変わっていない。
四つめ。二〇二四年のTBXTの論文が本当に面白いのは、尻尾の消失を「設計」ではなく「事故」として説明したところだと思う。私たちの体は、生存に最適な形へ向かって粛々と組み上げられてきたわけじゃない。ある日、ゲノムを勝手に増殖する寄生的な配列の一つが、たまたま尾の形成に関わる遺伝子の、たまたまイントロンの中に飛び込んだ。しかもその効果は、そいつ単独では発揮されなかった。もっと前の時代に入っていた別の配列と、たまたま向かい合わせになった。その偶然の組み合わせが、RNAの上でヘアピンを作り、エクソンを一つ飛ばした。それだけで、二千五百万年後の私たちに尻尾がない。この因果の細さは、ちょっと怖い。もしそのAluが五百塩基ずれた場所に入っていたら、あるいは隣のAluの向きが逆でなかったら、私たちには今も尻尾があったかもしれない。直立二足歩行の成立も違っていたかもしれない。人類史のかなりの部分が、たまたまの一回の挿入にぶら下がっている。
五つめ。そして、その事故には請求書がついていた。欠失型を発現させたマウスに神経管閉鎖不全が出た。ヒトの神経管閉鎖障害は千人に一人。尻尾のある赤ん坊のおよそ半数に脊椎披裂が合併する。この三つの事実は、全部つながっている可能性が高い。私たちが尻尾を捨てるとき、背骨の閉じ方の安全マージンも一緒に削ったのかもしれない。進化はトレードオフの帳簿で、しかもその帳簿は締められていない。今日、日本のどこかの産院で二分脊椎の子が生まれるとき、その背景には二千五百万年前の取引が効いている。壮大というより、なんだか、ひたすら気が遠くなる話だ。
最後に。この記事を書きながら、何度も自分の尾てい骨のあたりを触ってしまった。たぶん、読んでいるきみもそうしたと思う。そこには三個か四個か五個の、癒合した小さな椎骨がある。骨盤の底の筋肉が、そこに集まって束ねられている。内臓が落ちないように支えている。ちゃんと仕事をしている。痕跡器官なんかじゃない。
でもそれは同時に、二千五百万年前に途中で止まった建築の、最後の柱でもある。胚だった三十数日のあいだ、きみの体はまじめに尻尾を作っていた。十個以上の骨を並べて、体長の六分の一まで伸ばして、それから全部きれいに片づけた。誰にも見られないまま、誰にも褒められないまま、完璧に片づけた。
まれに、その片づけが終わらない子がいる。そして、その子が生まれてきた場所によって、神になったり、悪魔の子と呼ばれたり、生後二日で手術室に運ばれたりする。
同じ体で。同じ、片づけ忘れで。
尻尾のある人の話は、結局のところ、その人の話じゃない。その人を見た私たちが何を言い出すか、という話だ。四百年前のパリでも、二〇〇六年の西ベンガルでも、今日のタイムラインでも、そこはまったく変わっていない。
