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目を閉じたまま、妹は姉が見ているテレビを言い当てた――頭でつながって生まれたクリスタとタチアナ・ホーガン、二人の視床に架かった「タラモス・ブリッジ」と、意識はひとつかふたつかという終わらない問い

テレビを見ているのは片方だけ。なのに目を閉じたもう片方が、画面の中身を言い当てる。カナダのある家の居間で、それは日常の風景だった。

目を閉じたまま、妹はテレビの中身を言い当てた

まずこの一場面から入りたい。

カナダ西部、ブリティッシュコロンビア州の内陸にバーノンという小さな町がある。湖と果樹園に囲まれた、どこにでもある地方都市だ。その町の一軒家の居間で、二人の女の子がテレビを見ている。

いや、正確には見ているのは片方だけだ。もう片方は目をつぶっている。それでも画面に何が映っているか、閉じた側がすらすら答える。番組が切り替わったことも、キャラクターが動いたことも分かる。家族はもうそれに慣れている。慣れているというより、そういうものとして受け入れている。

この二人はクリスタとタチアナ。ホーガン姉妹という。二〇〇六年十月二十五日生まれ。頭のてっぺんの側面あたりでくっついたまま生まれてきた、頭蓋結合双生児だ。医学の言葉ではクラニオパガス。結合双生児のなかでもいちばん珍しい部類で、二百五十万出生に一組と言われる。

しかもこの姉妹の場合、ただ骨がつながっているだけじゃない。脳の奥、視床という部分どうしのあいだに、神経の橋が架かっている。研究者はこれをタラモス・ブリッジ、日本語なら視床架橋と呼んだ。人類の医学史のなかで、ここまでくっきり確認された例はほとんどない。

視床というのは、脳の中央にある中継所みたいな場所だ。目から入った信号も、皮膚が感じた触覚も、舌が拾った味も、いったんここを通ってから大脳皮質へ送られる。電話交換手みたいなものだと思えばいい。

その交換手どうしが、直通の回線でつながっている。だから片方の目に入った光が、もう片方の後頭葉に届く。片方の舌が拾った甘さが、もう片方の意識に上がる。片方の足の裏をくすぐると、もう片方が笑う。信じがたいけれど、電極を貼って測ったら本当にそうだった。

妊娠中の診察室で、部屋がしんと静まり返った

話を最初まで巻き戻す。

母親のフェリシア・シムズは、当時二十歳だった。二人の子どもを育てていた若い母親で、三度目の妊娠だった。定期健診でエコーを撮っていたとき、技師の手が止まった。医師は「明日、誰か一緒に来てくれる人と、もう一度来てください」と言った。この時点で、何かとんでもないことが起きているのは分かる。翌日、フェリシアは母のルイーズと連れ立って診察室に入った。

そこで告げられたのが、結合双生児だという事実だった。頭でくっついている。

ニューヨーク・タイムズ・マガジンの記事によれば、そのとき部屋は完全に静まり返ったという。そして女三人が泣いた。医師も泣いたのだ。

中絶という選択肢は当然のように示された。この段階での結合双生児は、生まれる前に亡くなる例が多い。生まれても数時間しか持たないことがある。生きても、二人ぶんの命が一つの身体機能を奪い合う。

それでもフェリシアは首を横に振った。後年、彼女はこう振り返っている。考えもしなかった。自分は多くの人より自然というものに敬意を持っているつもりだ、と。

ここは冷静に見ておきたい。フェリシアは宗教的な信念を大声で語るタイプではなかった。ただ、始まってしまった命を自分の判断で止めることに強い抵抗があった。この決断が正しかったかどうかを外野が採点する話ではないと思う。

実際、結果として二人は生まれ、二十年近く生き、学校へ通い、犬を飼い、そりで坂を滑った。だが同時に、この決断のあとに来た日々がどれほど重かったかも、忘れずに書いておきたい。

生存率二十パーセント、そして生まれてきた

出産は三十四週での帝王切開だった。場所はバンクーバーのブリティッシュコロンビア女性病院。二人合わせて体重は五・七キロほど。

医療チームは最悪の事態に備えて待機していた。呼吸が止まったら。心臓が耐えられなかったら。頭部の血管が破綻したら。想定されるシナリオはどれも暗かった。生存の見込みは二十パーセントと言われていた。

ところが二人は、拍子抜けするほど安定して生まれてきた。大がかりな処置は要らなかった。泣いた。呼吸した。おっぱいを飲んだ。医師たちが顔を見合わせる場面だったろう。

フェリシアはのちにこう言っている。毎朝目が覚めて、二人がまだ生きている。それがいい一日だ、と。この一文は、彼女の十数年を凝縮していると思う。

生後まもなく、家族は妙なことに気づいた。片方の口におしゃぶりを入れると、もう片方が泣きやむ。片方の足をくすぐると、もう片方がびくっとする。

最初は偶然だと思った。双子だからタイミングが合っただけだと。でも何度やっても再現する。父親のブレンダン・ホーガンも祖母のルイーズも、同じ場面を何度も目撃した。家の中で「これ、絶対つながってるよね」という会話が交わされるようになる。

医者に話しても、最初はやんわり流された。親の思い込みだと受け取られたのだ。無理もない。そんな症例は教科書に載っていない。

「切れません」と医師たちは言った

二〇〇七年八月、分離手術は不可能という結論が正式に出た。

理由ははっきりしている。二人の脳をつないでいるのが、脳の外側のどうでもいい場所ではなく、意識と感覚の中枢そのものだったからだ。

分離手術の相談を受けたなかに、ジェームズ・T・グッドリッチという医師がいる。ニューヨークのモンテフィオーレ小児病院で小児脳神経外科の責任者を務めていた人で、世界でもっとも多くの頭蓋結合双生児の分離を手がけた外科医の一人だ。

彼の見立ては明快だった。正常な組織をあまりに大量に切らなければならない。しかも視床そのものを割ることになる。それは致命的になりうる、と。

この言葉の重さは、分かる人にはすぐ分かる。視床は意識の維持そのものに関わる。ここを損傷すれば、生きていても意識が戻らない可能性がある。片方を助けるためにもう片方を犠牲にする、という判断がありうる手術ですらない。二人とも植物状態、という結末が十分にありえた。だから「やらない」が唯一の答えになった。

さらに現実的な問題として、二人は最初から対等ではなかった。

タチアナのほうが小さく、体力が弱かった。理由は循環にある。タチアナの心臓が、自分の脳だけでなくクリスタの脳の一部にも血液を送っていたのだ。二人ぶんの仕事を一つの心臓が引き受けていた。その負担で心臓が肥大しかけた。

加えてタチアナには睡眠時無呼吸があり、二十秒ちかく呼吸が止まることがあった。これはフレッド・コザック医師の外科的処置で改善し、心臓の負担も落ち着いた。だが、この「片方が片方を支えている」という構造は、家族の頭の中からずっと消えなかった。片方が倒れたら、もう片方も倒れる。それが物理的に確定している姉妹なのだ。

脳の交換手どうしをつなぐ、ありえない配線

二人の脳を詳しく調べたのは、ブリティッシュコロンビア小児病院の脳神経外科医ダグラス・コクランだ。画像を見た彼が見つけたのが、例の視床架橋だった。

左右の脳をつなぐ脳梁は誰にでもあるが、他人の脳と自分の脳をつなぐ橋は本来ありえない。それがあった。

面白いのは、脳の形そのものが二人とも普通ではないことだ。タチアナの左半球は通常よりかなり小さい。クリスタの右半球も同じく小さい。そして二人とも脳梁が異様に短い。まるで、足りない部分を相手のほうで補っているかのような配置になっている。

実際、機能的MRIで見ると、それぞれの脳が自分の身体だけでなく相手の身体の手足からの信号も処理していた。運動の分担も独特で、タチアナが腕三本と脚一本、クリスタが脚三本と腕一本を主に動かす、という話が伝えられている。腕が三本というのは、自分の腕二本に加えて相手の腕を一本、という意味だ。そしてこの分担は固定ではなく、切り替えられるらしい。自分の脚を自分で動かすときと、相手に動かしてもらうときがある。

小児神経科医のジュリエット・ヒューキンは、この二人の脳の構造を見て「頭が吹き飛ぶようだ」と表現したと伝えられている。医者がそういう言い方をするのは相当なことだ。彼女はのちに、診察室でいくつかの簡単なテストを試みることになる。

ストロボの光と、閉じた目の奥で光った後頭葉

二歳のころ、コクランはひとつの実験をやった。単純だが決定的な実験だ。

クリスタの目を覆う。頭皮に電極を貼る。そのうえで、タチアナの目にストロボの光を当てる。もしタチアナが見たものがタチアナの中で完結しているなら、クリスタの脳では何も起きないはずだ。

ところが起きた。クリスタの後頭葉、つまり視覚情報を処理する領域が、はっきりと電気的に反応した。逆向きにやっても同じだった。タチアナの目を覆い、クリスタの目に光を当てると、タチアナの後頭葉が反応する。

これが、居間でのテレビの逸話に医学的な裏づけを与えた瞬間だった。家族が「なんかおかしい」と言い続けてきたことに、機械が同意した。片方の網膜に飛び込んだ光子が、生み出した電気信号が、視床の橋を渡って、他人の脳の視覚野に届いている。文字にすると簡単だが、これは人類がほとんど観測したことのない現象だ。

ただし注意したいのは、脳が反応したことと、本人が「見えている」と感じていることは別だという点だ。ここが後々、哲学者たちが延々と揉める場所になる。信号が届いているだけなのか、それとも本当に体験として立ち上がっているのか。二歳児の脳波からは、そこまでは分からない。

ジュースを飲んだのは片方、なのに「うわっ」と言ったのはもう片方

とはいえ、成長して言葉を話すようになると、状況証拠がどんどん増えていく。

ニューヨーク・タイムズ・マガジンの記者スーザン・ドミナスが二〇一一年に一家に密着したときの記述が、いちばん生々しい。ドミナスは何日も家に通い、居間の隅に座って観察した。

そこで彼女が見たのが、あのジュースの場面だ。

クリスタがコップのジュースを勢いよく飲んだ。タチアナはそちらを見ていない。別の方向を向いている。なのにタチアナの手がすっと自分のみぞおちの下あたりに当てられて、うわっ、と声が出た。冷たいものが一気に流れ込んだときの、あの反応だ。

しばらくして今度はタチアナが同じコップから飲んだ。すると今度はクリスタの手が自分の腹に飛んで、うわっ、と言った。

飲んだのは自分じゃない。喉を通っていないし、胃も冷えていない。それでも身体は反応する。ドミナスはこの場面を、飾らずにそのまま記事に書いた。読者は震え上がった。

味の話もある。ケチャップが好きなのは片方だけだ。もう片方はケチャップが大嫌いで、相手がケチャップを食べると、自分は何も口に入れていないのに舌をこすってケチャップの味を落とそうとする。食卓では毎回これが起きる。

ほうれん草のディップも似たようなものだった。片方が食べて、もう片方が「わたしはこれが嫌い」と怒る。家族はメニューを決めるとき、二人ぶんの好みを同時に満たさなければならない。ケチャップ一つで喧嘩になる家というのは、なかなかない。

体温計は片方の口の中、なのに舌が動いたのはもう片方

ドミナスが記録したなかで、個人的にいちばんぞくっとするのがこの場面だ。

フェリシアがクリスタの口に体温計を入れた。ふつうの光景だ。ところが隣にいたタチアナが、急に遠くを見るような目つきになり、怒った声で「口に入れないで」と言った。そしてタチアナの舌が、口の中でおかしな動きをした。何かを避けるみたいに、妙なカーブを描いて丸まったのだ。

体温計はタチアナの口には入っていない。

そばにいた姉のローザ、当時八歳が、すかさず言った。見た? あの舌の丸まり方。体温計はクリスタの口の中なのに、タティの舌があんなふうになった、と。八歳の姉が、他人には見えない微細なサインを日常的に読み取っている。これがこの家の当たり前なのだ。

くすぐりの場面もある。ドミナスがタチアナの足の裏をくすぐった。クリスタからは見えない位置だ。するとクリスタが振り返ってにこっと笑い、「次はわたしをやって」と言った。

ここでドミナスは正直に立ち止まっている。クリスタは本当に足の裏の感覚を共有したのか、それとも姉妹が構ってもらっているのを察して自分もかまってほしくなっただけなのか。区別がつかない、と。この慎重さがいい。ここで断定してしまう書き手は信用できない。

赤と紫のクレヨン、そして七面鳥のぬいぐるみ

診察室でのテストも印象深い。

神経科医のヒューキンが、タチアナの前に赤いクレヨンを、クリスタの前に紫のクレヨンを置いた。互いに相手の前のクレヨンは見えない配置だ。そのうえで色を答えさせる。

タチアナは「青」と答えた。クリスタは「赤」と答えた。クリスタの前にあるのは紫なのに、赤と言った。これはタチアナの前にある赤を見ている可能性がある。祖母は「入れ替わってるんじゃないの」と口にし、ヒューキンもそれはありうると認めた。

もうひとつ、七面鳥のぬいぐるみの場面。ヒューキンがタチアナの右側、つまりクリスタからは絶対に見えない位置にぬいぐるみを渡す。そしてクリスタに「お姉ちゃんは何を持ってる?」と聞く。クリスタは少し考えて、「コマドリ?」と答えた。

七面鳥ではない。でも鳥だ。ヒューキンはこれを「驚くほど惜しい」と評価し、感覚共有の臨床的な傍証として受け止めた。

ここも冷静に見よう。三歳児がコマドリと言った。当たっていない。だが鳥のカテゴリに入っている。偶然の可能性はもちろんある。ただ、こういうニアミスが何十回も積み重なると、偶然で片づけるのが苦しくなってくる。逆に言えば、決定打が出ないまま状況証拠だけが積み上がる、というのがこの姉妹をめぐる研究の宿命でもある。

「わたしたち」と言わない子どもたち

代名詞の話をしよう。これがこの物語のいちばん深いところだと思う。

ドミナスは家に何日も通いながら、あることに気づいた。二人はしょっちゅう「わたし」と言う。でも、一度も「わたしたち」と言わなかった。あれだけ協調して動き、あれだけ感覚を共有していながら、自分たちを複数形で語らない。

ところが、その「わたし」の使い方が普通ではない。

お絵描きの時間、クリスタが「わたし、紙を二枚持ってる」と言った。ドミナスが確認する。あなたが持っているのは一枚だよね、と。すると二人が声をそろえて「うん」と答えた。

うん、というのは「一枚だ」への同意なのか、「二枚だ」の主張なのか。どちらとも取れる。自分の手元の紙と、相手の手元の紙。クリスタにとってそれは、両方とも「わたしの視野の中にある紙」なのかもしれない。

別の日、トレーナーを選んでいるときに、クリスタが「わたしはわたしだよ」と言った。すぐさまタチアナが「わたしはわたしだよ」と繰り返した。同じ言葉が二回、別の声で発される。それは自己主張なのか、こだまなのか。

アルバート・アインシュタイン医科大学の精神医学・神経学の教授トッド・ファインバーグは、この状態をこう言い表した。彼女たちは一人であると同時に二人でもあるようだ。それを捉える代名詞が、いったいどれなのか、と。

日本語で考えても答えは出ない。わたしでもわたしたちでもない三つ目の一人称が要る。人類はまだそれを発明していない。

台所とインスリンとトボガン、つまり生活

不思議話ばかり書くと、この一家の実像を見誤る。だから生活の話をする。

一家はバーノンの、区切って貸し出されているような造成地の家に住んでいた。祖母ルイーズ・マッケイと義理の祖父ダグ・マッケイ、母フェリシア、あとから同居した父ブレンダン、姉のローザ、兄のクリストファー、妹のシェイリー。さらに従兄弟が三人、おばとおじ。大所帯だ。収入は主に公的扶助に頼っていた。裕福な家ではまったくない。

そして二人には、視床架橋以外にも山ほど健康上の課題がある。

てんかんがある。毎晩、抗てんかん薬を飲む。一型糖尿病がある。毎日血糖値を測り、インスリンを打つ。グルテンにも反応する。眼科では、毎日アイパッチと眼鏡を使わないと片目が法的な失明レベルまで落ちると警告された。虫歯の治療で全身麻酔の手術が必要になったこともある。発達は一年ほどゆっくりで、十歳のときの学習到達度は幼稚園レベルと評価された。

この記述だけ取り出すと重く聞こえるが、家族の実感はもっとあっけらかんとしている。今日は血糖値が安定した。今日は発作がなかった。よし、そりに行こう、という調子だ。

いちばん好きな証言がこれだ。義理の祖父のダグ・マッケイが、そりで坂を滑らせることの是非を聞かれて答えた言葉。

頭でくっついた小さい女の子が二人、そりに乗りたいと言っている。それにどうやってノーと言うんだ。

この一言に、この家の姿勢が全部入っていると思う。守りすぎない。壊れ物扱いしない。転んだら起こす。

ダグにはもうひとつ、忘れられない発言がある。健康のために必要なことなら何でもやってくれていい。でも、この子たちをつつき回して実験材料にするなら、それは絶対に許さない、という趣旨のことを彼は言った。

研究者と家族のあいだにある、細くて硬い一線を、この祖父がずっと引いていた。世界中の科学者がこの姉妹の脳を調べたがっていた。実際に調べさせるかどうかを決めていたのは、公的扶助で暮らす一家の年配の男性だった。この構図は、もっと知られていい。

学校へ行く。犬を連れて。

二人は普通の学校に通った。バーノンの地元の学校だ。特別支援の枠組みは使いつつ、教室にいる。二〇一七年の時点で六年生の教室にいた。読み書きと算数の基礎に、毎日数時間を使った。教師たちは、二人の伸びに素直に驚いていたという。

同級生には人気があった。最初はもちろん、じろじろ見られる。でも子どもは慣れるのが早い。数週間経てば、頭がくっついていることは「その子の特徴」の一つになる。

活動もいろいろやった。二人乗り用に特別に設計された自転車に乗る。水泳を習う。最初は頭を水に沈めるのを二人とも猛烈に嫌がった。当然だ。片方が沈めば、もう片方も沈む。そりで坂を滑る。スキーもやった。犬を飼っていて、名前はユナという。この犬を学校に連れていく回もあった。

性格ははっきり違う。タチアナはおしゃべりで社交的で、ちょっと気が張っている。動物が好きで、ハグが好きだ。クリスタは口数が少なくて、のんびりしていて、ジョークを言うのが好きで、そしてときどき短気になる。

母は幼いころのクリスタを「いじめっ子気質」と表現していた。いらいらすると、隣の姉妹をひっかいたり叩いたりする。逃げられない相手を叩くというのは、なかなか壮絶な喧嘩だ。それでいて、あの子うるさいんだよ、と言った直後にぎゅっとハグする。ドキュメンタリーはそういう場面を丁寧に拾っている。

母フェリシアの言葉をもう一つ引く。二〇一七年、十歳の誕生日を迎えたときのものだ。この子たちが実際に十年ここにいてくれた、それだけでもう恵みだ。あの子たちが持っている能力は、他の誰も想像すらできないもので、本当にすごいと思う、と。

そして別のインタビューでは、こんな観察を語っている。二人が黙って座っていて、何も言葉を交わしていないのに、突然どちらかが立ち上がって、もう一人のために食べ物を取ってくる。何の相談もなしに、だ。

報道と研究の流れをざっと整理する

情報の初出をきちんと押さえておく。

最初に大きく世に出たのは、二人が幼いころのカナダ国内のニュースと、アメリカのトーク番組への出演だった。二〇〇九年一月に撮影されたドキュメンタリーが、二〇一〇年春にイギリスで、同年六月にカナダとアメリカで放送される。

このとき二人は、世界最高齢の頭蓋結合双生児だったロリとジョージのシャッペル姉弟と対面している。当時五十一歳。自分たちの未来かもしれない人物に、三歳児が会いに行ったわけだ。

決定的だったのは二〇一一年、ニューヨーク・タイムズ・マガジンに載ったスーザン・ドミナスの長大なルポだ。「結合双生児は心を共有できるのか」という趣旨のタイトルで、この記事が世界中に広がった。前述したジュース、体温計、七面鳥、代名詞のエピソードはほぼここが初出になる。ジャーナリズムとしても評価が高く、記者本人が取材の舞台裏を語る記事まで出た。

二〇一四年三月十三日、カナダ公共放送のラジオ番組が姉妹を特集する。同じ年に「ツイン・ライフ」というテレビ・ドキュメンタリーが放送された。二〇一七年には「インセパラブル 頭でつながった十年」というドキュメンタリーが公開される。二〇一九年六月にも同じ放送局がテレビで特集を組んだ。オーストラリアの報道番組も何度か取材している。

学術面では、脳神経外科医ダグラス・コクランと同僚たちによる機能的MRIの研究が土台になっている。哲学の側では、二〇二一年に哲学誌「シンセーゼ」に、トム・コクレーンによる「共有された意識のひとつの事例」という論文が掲載された。これがこの姉妹を正面から扱った、もっともまとまった哲学的分析だ。それ以前には、認知科学者で哲学者のウィリアム・ハースティンが「マインドメルディング」という概念でこの件を論じている。

そして近年、一家は表舞台からきれいに引いた。二〇一七年のドキュメンタリー以降、大きなメディア露出はほとんどない。プライバシーを選んだのだ。二〇二五年時点で二人は十九歳を迎え、健康状態はおおむね安定していると伝えられている。てんかんと糖尿病の管理は続き、バーノンの家族のもとで暮らしている。

世界でいちばん有名な結合双生児の一組は、静かに暮らすことを選んだ。それは尊重されるべき選択だと思う。

意識はひとつか、ふたつか――哲学界が色めき立った

ここからが本題かもしれない。この姉妹の存在は、哲学の非常に古い前提を揺さぶってしまった。

その前提とは、意識は私秘的である、というものだ。

私が感じている赤の赤さ、私が感じている痛みの痛さは、原理的に他人には体験できない。他人にできるのはせいぜい、私の言葉や表情から推測することだけ。これは近代哲学のほぼ大前提で、コリン・マッギンのような哲学者はこの私秘性を強く主張してきた。神経科学者のジェラルド・エーデルマンも、意識状態は単一の個人によってのみ直接に経験されると書いている。ベンジャミン・リベットも同様のことを述べている。つまり心の融合は単に技術的に難しいのではなく、原理的に不可能だ、という立場だ。

そこにホーガン姉妹が現れた。

片方の視覚が、もう片方の視覚野で処理される。片方の味覚が、もう片方の口の中の感覚として立ち上がる。片方の痛みで、もう片方が頭を押さえる。母親の証言では、片方が怒ると、もう片方も自動的に怒る。二人は「頭の中で話す」と言う。

哲学者ウィリアム・ハースティンは、意識を私秘的なものと見なす発想そのものが、意識の理解を妨げていると主張してきた。彼の考えでは、脳と脳が適切につながれば、心の融合、マインドメルディングは起こりうる。ホーガン姉妹はその実例になりうる。

二〇二一年のトム・コクレーンの論文はさらに踏み込んだ。彼の主張はこうだ。二人はそれぞれ別個の主体でありつづけている。それでいて、体験の一部が重なっている。ひとつの心に融合したのでもなく、完全に別々なのでもない。「重なり合った意識」という第三の状態がありうる、と。

この整理はよくできている。というのも、家族の観察とも合うからだ。二人はまったく別の人格として振る舞い、喧嘩し、好みが違い、性格が違う。でも同時に、感覚の一部を共有している。

ネット上ではこの話が定期的にバズる。掲示板や動画のコメント欄で、必ず出るのが「じゃあ死ぬときはどうなるのか」「片方が眠っているときもう片方は起きているのか」「夢は共有されるのか」といった問いだ。夢については本人たちの証言が乏しく、はっきりしたことは分かっていない。

そして必ず出るのが「テレパシーの証明だ」という短絡した反応と、「全部作り話だ」という短絡した反応だ。実際はどちらでもない。だからこそ面白い。

反証もちゃんと聞こう

ここは公平にやりたい。この姉妹をめぐる意識共有説には、まっとうな反論がいくつもある。

いちばん強いのが、いわゆる分岐説だ。

情報が視床の橋を通って渡っているのは事実として認める。だが、渡った先で「もうひとつの意識体験」が独立に生じているだけかもしれない。つまり、同じデータのコピーが二つ作られていて、それぞれの脳がそれぞれに体験している。共有ではなく複製だ、という見方である。ハースティンもこの区別を重視していて、二人が心を共有している可能性はあるが、それを実証する証拠は今のところないと、はっきり述べている。

二つ目は、意識には脳全体の統合が必要だという立場からの反論だ。意識とは、脳のあちこちの情報が高度に統合されたときにはじめて生じる、と考える理論がある。この立場からすると、視床という一点でつながっているだけでは足りない。感覚信号は行き来しても、それが体験の共有まで届くとは限らない。

三つ目は、もっと素朴だが強力な問題だ。測定の限界である。

本人たちの自己報告と、外からの行動観察。これしか手がない。三歳の子どもの「コマドリ?」という答えを、どう採点すればいいのか。十代の本人が「頭の中で話してる」と言ったとして、それが本当に相手の言葉を受け取っているのか、それとも自分の想像なのか、本人にも区別がつかないかもしれない。

しかも二人は身体が密着している。筋肉のわずかな緊張、呼吸のリズム、首の傾き。二十年近く一緒にいれば、そういう微細な合図から相手の状態を読む能力が異常に発達していておかしくない。それは超常現象ではなく、単なる熟練だ。

そこでコクレーンが提案したのが、ひとつの決定的な実験だった。

二人に、声を出さずに頭の中だけで相談させる。一から千までのあいだで数字をひとつ決めてもらう。そして合図とともに、同時に声に出して言わせる。もし本当に内的な言葉が伝わっているなら、二人は同じ数字を言うはずだ。身体的な合図の読み合いでは、千通りの選択肢から同じ数字を引き当てることはできない。極めてシンプルで、極めて強力な実験だ。

ただし、この実験は行われていない。

理由は察しがつく。二人は被験者である前に、成長期の子どもだったからだ。祖父ダグの一線がここに効いてくる。健康のためなら何でもやってくれ。でも実験材料にはさせない。

科学的好奇心と、一人の人間として静かに暮らす権利。どちらを優先するかを、この家族はずっと前に決めていた。人類の知識にとっては損失かもしれない。でも、それでいいのだと思う。

ほかにもいる、つながって生まれた人たち

視野を広げよう。

結合双生児は五万から二十万出生に一組と言われる。一卵性双生児になるはずの受精卵が完全に分かれきらなかった、あるいはいったん分かれたものが再びくっついた。原因については説が割れていて、かつては分裂の時期で説明されていたが、今は融合説のほうが優勢だ。遺伝子の発現異常が関わる場合もあるとされる。そのなかでも頭でつながるのは全体の二から六パーセントしかない。以下、それぞれ違う道を歩んだ人たちを見ていく。

アビゲイルとブリタニー・ヘンゼル姉妹。一九九〇年三月七日、アメリカのミネソタ州カーバー郡に生まれた。看護師の母パティと、大工で造園業の父マイクのもとに生まれている。

二人の頭と首がある一つの胴体、というかたちで、医学用語では二頭体パラパガスという。心臓が二つ、胃が二つ、胆嚢が二つ、脊椎が二本、脊髄が二本、肺は二対で一部が癒合している。一方で肝臓は一つ、横隔膜は一つ、小腸はY字型で一つ、大腸も膀胱も一つ、生殖器も一組、骨盤も一つ、そして脚は二本だ。この状態で成人まで生きた例は極めて少ない。

二人の話でいちばん有名なのが、運転免許を二人ぶん取ったエピソードだ。それぞれが別々に試験を受けて、それぞれ合格した。車を運転するときは、アビゲイルが右側の装置を、ブリタニーが左側の装置を担当し、ハンドルは二人で操作する。

ミネソタの高校を二〇〇八年に卒業し、大学で教育学を専攻して二〇一二年に学位を取り、二〇一三年から小学校の教師として働いている。二〇二五年時点で五年生を教えているという。二〇二一年、アビゲイルは看護師で退役軍人の男性と結婚した。

彼女たちが十代のころに語っていた願いは、デートして、結婚して、子どもを持ちたい、ごく普通の社会生活を送りたい、というものだった。かなりの部分を、実際に叶えている。

ラダンとラレー・ビジャニ姉妹。一九七四年一月十七日、イラン南部のフィルーザーバードに生まれた頭蓋結合双生児だ。農家の家に生まれ、一九七九年の革命の混乱のなかで病院で行方が分からなくなり、別の男性に引き取られて育ち、一九九六年に実の両親と再会するという波乱の生い立ちを持つ。

テヘラン大学の法学部に四年間通った。ここが切ない。ラダンは弁護士になりたかった。ラレーはジャーナリストになりたかった。ラダンはシラーズに住みたかった。ラレーはテヘランに住みたかった。二人はラダンの選択に合わせて法律を学んだ。ラレーは自分の望みを折りたたんだのだ。趣味も違った。ラレーは内向的でコンピュータゲームが好き、ラダンはよく喋りプログラミングを好んだ。

一九九六年にドイツの医師団に分離を相談したが、リスクが高すぎると断られた。二〇〇三年七月六日、シンガポールのラッフルズ病院で、二十九歳のときに分離手術が始まる。二十八人の医師と百人以上の助手が関わる大手術だった。ラレー側の執刀を担当したのがキース・ゴー、ラダン側にはジョンズ・ホプキンス小児センターのベン・カーソンが加わった。

手術は五十時間を超えた。そして七月八日、血管の処理中の大量出血で、午後二時半ごろにラダンが手術台の上で亡くなる。ラレーはその九十分後に亡くなった。検死審問はこれを不慮の事故と結論づけた。イランでは国葬に近い規模の追悼が行われた。

この二人が示したのは、成人の頭蓋結合双生児が分離を望むということ自体の重さだ。二十九年間、一度も一人で歩いたことがない。一度も一人で眠ったことがない。それを望んだ人間がいて、その望みは、命と引き換えになるほどの重さを持っていた。

マリアとテレサ・タピア姉妹。二〇一〇年四月八日、ドミニカ共和国に生まれた。胸から腹にかけてつながる臍結合というタイプで、肝臓、膵臓、小腸の一部を共有していた。頭ではないので事情がまったく違う。

二〇一一年十一月七日、アメリカのバージニア州リッチモンドの小児病院で、四十五人からなる医療チームが分離手術を行った。かかった時間はおよそ二十時間。膵臓を分け、肝臓を分け、共有していた消化器系を分け、それぞれの腹壁を作り直した。手術は成功した。二人は六週間のリハビリを経て、それぞれ自分の脚で歩けるようになり、母国に帰った。その後も定期的にアメリカへ検診に来ている。

この事例は、ホーガン姉妹やビジャニ姉妹と対比するとよく分かる。分けられる場所でつながっているなら、現代医療は分けられる。分けられない場所でつながっているとき、医療は無力になる。境目は「どこでつながっているか」なのだ。

ロリとジョージ・シャッペル姉弟。一九六一年九月十八日、アメリカのペンシルベニア州に生まれた頭蓋結合双生児だ。頭皮と血管を共有し、脳は別々だった。ホーガン姉妹が幼いころに会いに行った、あの二人である。

この二人の生き方は、ある意味でいちばん過激だった。徹底的に別々の人生を送ったのだ。

寝室が二つあるアパートで暮らし、それぞれの空間を確保した。ジョージはカントリー歌手として活動し、アメリカ国内だけでなくドイツや日本でも歌った。一九九七年には新人カントリーアーティストの賞を受賞している。ロリは病院のリネン係として働き、ボウリングの腕前がかなりのもので、恋愛もした。相手は当然、ロリの恋人であってジョージの恋人ではない。

二〇〇七年、ジョージはトランスジェンダーであることを公表した。結合双生児で、きょうだいと異なる性自認を明らかにした最初の例とされる。二人は二〇二四年四月七日、六十二歳で亡くなった。世界最高齢の結合双生児だった。分離については、二人ともはっきり望まないと言い続けた。これが自分たちのあり方だ、という姿勢を崩さなかった。

チャンとエン・バンカー兄弟。一八一一年、当時のシャム、つまり現在のタイに生まれた。シャム双生児という言葉はこの二人に由来する。胸のあたりが帯状の組織でつながっていた。

西洋の商人に見出されて一八二九年にアメリカへ渡り、興行の世界で一躍有名になる。ここまでは見世物の物語だが、この二人が興味深いのはその後だ。彼らは興行主から独立し、自分たちで契約を管理するようになり、稼いだ金でノースカロライナに農園を買い、バンカーという姓を名乗ってアメリカ市民になった。そして姉妹どうしと結婚し、合わせて二十人以上の子どもをもうけた。二軒の家を持ち、数日ずつ交互に泊まる生活をしていたという。

同時に彼らは奴隷を所有する農園主でもあった。差別された側が差別する側に回るという、目を背けたくなる事実も含めて、この兄弟の生涯は一筋縄ではいかない。一八七四年、チャンが先に亡くなり、エンは数時間後に亡くなっている。

デイジーとヴァイオレット・ヒルトン姉妹。一九〇八年、イギリスのブライトンに生まれた。腰と臀部でつながり、血液の循環を共有していたが主要な臓器の共有はなかった。

この二人の物語は、はっきりと搾取の物語だ。

生母から引き離され、メアリー・ヒルトンという女性の手に渡り、一九一一年には見世物として稼がされている。三歳だ。メアリーの死後は、その娘夫婦が興行を引き継いだ。稼ぎはすべて取り上げられ、事実上の監禁状態に置かれ、言うことを聞かなければ罰を受けた。

転機は一九三一年、姉妹が興行主を訴えたことだ。裁判に勝ち、法的な自立と十万ドルの賠償を得た。今の価値でおよそ百七十万ドルに相当する。解放された二人はヒルトン・シスターズ・レヴューとして活動し、デイジーは髪を金髪に染めて、二人の見分けがつくように服装を変えた。映画「フリークス」に出演し、後年には自伝的な映画にも出た。

最後の公の場は一九六一年で、その後は地元の食料品店で働いた。一九六九年一月四日、香港風邪で亡くなっているのが発見された。検死では、デイジーが先に亡くなり、ヴァイオレットはその二日から四日後に亡くなったと推定された。姉の遺体のそばで、二日以上生きた。この事実の重さは、言葉にしづらい。

日本にとって忘れられないのが、ベトナムのグエン・ベトとグエン・ドクの兄弟だ。一九八一年生まれ。下半身がつながった状態で、枯葉剤の影響が疑われた。日本での報道で「ベトちゃんドクちゃん」として広く知られ、日本赤十字社をはじめとする支援が集まった。

一九八八年にホーチミン市のツーズー病院で分離手術が行われる。手術には日本の医療関係者も関わった。ここには重い葛藤があった。ベトはすでに脳症で意識障害を起こしており、分離すれば片方の負担が増す。二人の命を天秤にかけることが許されるのか、という問いだ。手術は成功し、ドクは自立して生活できるようになった。ベトは二〇〇七年に亡くなっている。ドクはその後、結婚して双子の子どもをもうけ、病院で働きながら講演活動を続けている。自分は幸運な男だ、と彼は語っている。

見世物という長い影

こういう歴史を書くと、どうしても触れなければならないのが興行の話だ。

十九世紀から二十世紀前半にかけて、欧米ではフリークショーと呼ばれる見世物興行が巨大な産業だった。サーカスや遊園地に併設され、身体的な特徴を持つ人々が客の前に立った。結合双生児はその中でも最上級の呼び物だった。理由は残酷なほど単純で、いちばん「ありえない」ように見えたからだ。

この産業を語るときに厄介なのは、簡単に善悪で切れないことだ。

たしかに搾取だった。ヒルトン姉妹のように、幼児のうちから稼がされ、金を全部奪われ、監禁同然に扱われた例がある。一方で、バンカー兄弟のように、興行を足がかりに財産を築き、市民権を得て、家庭を持った例もある。当時、身体に大きな違いを持つ人が現金収入を得られる職業はほとんどなかった。舞台に立つことが、生きるための数少ない選択肢だった時代がある。だから当事者の中には、興行を自分の職業として誇っていた人もいた。

障害学の研究では、こうした特異な身体を見世物にする文化を、社会が正常の輪郭を確認するための装置として分析してきた。舞台の上に「あちら側」を置くことで、客席の全員が「こちら側」であることを確かめる。そういう構造だ。

見世物興行は二十世紀半ばに衰退した。理由は複合的だが、大きかったのは医学の進歩だ。かつて舞台の上で驚かれていた身体は、病院で診断名を与えられるようになった。これは前進でもあり、別の問題の始まりでもあった。呼び物から症例へ。驚きの対象から治療の対象へ。研究者たちはこれを差異の医療化と呼んで批判的に検討している。舞台と診察室、どちらも見られる側にとっては見られることに変わりはないのではないか、という問いだ。

ここでホーガン姉妹の話に戻る。

あの一家がドキュメンタリーに出た理由は、はっきりしている。母フェリシアは、身内以外の人にタチアナとクリスタがどういう人間かを分かってほしかった、人が持っている違いというものが、もっと受け入れられてほしかった、と語っている。

かつてタレントの興行主が一家にリアリティ番組の企画を持ち込んだこともある。世間に慣れてもらうのが二人のためになる、という理屈だった。一家はそれを選ばなかった。ドキュメンタリーには出た。でも見世物にはしなかった。そして時期が来ると、きれいに表舞台から降りた。

この舵取りは、ヒルトン姉妹の時代からの二百年を踏まえて見ると、相当に賢明だったと思う。

なぜ、この話はここまで人を掴むのか

最後に、この問いを考えたい。ホーガン姉妹の話は、定期的にネットで再燃する。何年経っても新しい人が見つけて、驚いて、シェアする。なぜだろう。

第一に、これは孤独の話だからだ。

人間は誰もが、自分の頭の中に閉じ込められている。どれだけ愛し合っても、どれだけ言葉を尽くしても、相手が見ている赤を自分は見られない。相手の痛みを自分は痛めない。これは慣れっこになっているだけで、よく考えると恐ろしい条件だ。

ホーガン姉妹は、その条件の唯一の例外かもしれない存在として現れた。だから人は惹きつけられる。羨望と恐怖が同時に湧く。相手の心が全部わかったらいいのに、という願望と、自分の心が全部わかられたらたまらない、という恐怖が。

第二に、これは「自分とは何か」の話だからだ。

私たちは自分が一人だと信じている。でも、その一人という単位はどこから来ているのか。皮膚の内側か。頭蓋骨の内側か。それとも神経の連続性か。ホーガン姉妹は、その線引きを曖昧にしてしまう。二人は明らかに別人だ。性格が違う。好みが違う。喧嘩する。でも感覚の一部が地続きになっている。この「明らかに二人なのに、完全には二人じゃない」という状態が、人間の自己という概念のいちばん柔らかい部分を押す。

第三に、これは家族の話だからだ。

技術的にも哲学的にも壮大な話に見えて、実際に起きていることは、公的扶助で暮らす大家族が、糖尿病の管理をして、そりで坂を滑って、犬を学校に連れていく話だ。ここが効く。不思議な現象の中心に、めちゃくちゃ普通の生活がある。母親は毎朝、二人が生きていることを確かめる。祖父は実験材料にはさせないと言う。姉は妹の舌の動きに気づく。こういう手触りがあるから、この話は都市伝説にならずに残った。

そして第四に、これは決着がついていない話だからだ。

テレパシーだと断定する材料はない。全部の錯覚だと断じる材料もない。一から千までの数字の実験は、行われていない。この宙吊りが、人を考えさせ続ける。答えが出ていないから、何年経っても語られる。

この話をどう受け取るのが誠実なのか

ここからは、いままで書いてきたことを別の角度から締め直しておきたい。

まず、この物語の中心にあるのは、不可能だと思われていた線が一箇所だけ破られたという事態だ。

哲学史の大前提として、私の体験は私だけのものだ、というテーゼがある。デカルト以来、この私秘性は疑われるどころか、むしろ確実性の砦として扱われてきた。他人の心が本当に存在するかどうかは疑えても、自分の痛みが自分のものであることは疑えない。

ところが、視床という一点で二つの脳が配線されただけで、この砦の壁に穴が開いた。開いたかもしれない、と言うべきかもしれないが、少なくとも壁の材質が問われる事態にはなった。

ここで押さえたいのは、この穴が超自然的な力で開いたのではないという点だ。テレパシーでも霊能力でもない。ただの解剖学だ。神経が物理的につながっていた。それだけで、意識の私秘性という近代最大の前提が揺らいだ。

もし私秘性が神経の分離という物理的な偶然に依存しているだけなら、それは形而上学的な必然ではなく、単なる配線の問題だったことになる。これは実に不穏な結論だ。技術がいずれ人工的に脳と脳をつなげるようになったら、私たちは全員、この問題の当事者になる。

ホーガン姉妹は、その未来の最初の試作品として観察されてきた側面がある。二〇二〇年代の神経倫理の議論で、この姉妹の名前がたびたび引かれるのはそのためだ。同意とは何か。プライバシーとは何か。相手の感覚が自分に流れ込む関係において、同意という概念そのものが成立するのか。生まれたときから配線されていた二人には、つながらない選択が一度もなかった。この点は、将来の技術を語るうえで最も重い前例になる。

次に、方法論の話をしたい。

この事例を扱う難しさは、被験者が一組しかいないことに尽きる。統計が取れない。追試ができない。比較対照群が存在しない。しかも被験者は子どもで、家族には研究に協力する義務がまったくない。科学の作法からすると、これはほとんど最悪の条件だ。

だから一部の研究者は、この事例を根拠に大きな主張をすることに慎重だった。当然の態度だと思う。一方で、条件が悪いから無視する、というのも科学の態度ではない。地球には一つしか例がない現象を、それでも真剣に調べるという営みは天文学にも地質学にもある。

ホーガン姉妹の場合、最低限やれることはやられた。二歳のときのストロボ実験は、自己報告に頼らない客観的な測定として、いまでもこの物語の背骨になっている。機能的MRIによる、それぞれの脳が相手の四肢からの信号を処理しているという所見も同様だ。

逆に言えば、それ以上に踏み込んだ実験は行われなかった。行われなかった理由が「技術的に無理だから」ではなく「この子たちを実験台にしないと家族が決めたから」であることは、記録しておく価値がある。科学的知見と、当事者の生活の質。この二つがぶつかったとき、後者を優先した家族がいた。そしてその判断を、後から外野が惜しかったと評するのは、少なくとも品のいい態度ではない。

三つ目に、語り方の問題がある。

この手の話は、放っておくと二つの方向に転げ落ちる。ひとつはオカルト方向で、テレパシーだ、超能力だ、人類の進化だ、という語り。もうひとつは冷笑方向で、どうせ演出だ、親が商売にしているだけだ、という語り。

どちらも当事者を人間として見ていない点で同じ穴の狢だ。前者は二人を神秘の象徴に変えてしまうし、後者は二人を詐欺の道具に変えてしまう。

実際の二人は、ケチャップの味で喧嘩し、注射を嫌がり、ジョークを言い、犬をかわいがる十代だ。この当たり前の事実を手放した瞬間、書き手は必ず何かを踏みつける。ヒルトン姉妹の時代に舞台の上で起きていたことと、コメント欄で起きていることは、思ったより距離が近い。二百年前は木戸銭を払って見に行った。いまは無料で流れてくる。見る側の姿勢が問われる度合いは、むしろ上がっているかもしれない。

四つ目に、この物語がくれる救いのようなものについて。

個人的にいちばん心に残っているのは、祖父ダグの、そりの話だ。頭でくっついた女の子が二人、そりに乗りたいと言っている。それにどうやってノーと言うんだ。

この言葉には、条件を数え上げて可否を判断する発想がまるでない。てんかんがある。糖尿病がある。頭がつながっている。転倒すれば二人同時に転ぶ。リスクを数えれば、答えは明らかにノーだ。それでも彼はイエスと言った。乗りたいと言っているからだ。

この順序の逆転が、この家族を二十年支えてきたのだと思う。医学的には奇跡的な症例で、哲学的には人類の前提を揺さぶる事例で、報道的には世界的なニュースだった。でも家の中では、そりに乗りたい子どもが二人いるだけだった。この視点の落差こそが、この物語がただの珍事で終わらなかった理由だろう。

最後に、宙吊りのまま残しておきたいことがある。

二人が本当に体験を共有しているのか、それとも同じデータの二つのコピーを別々に体験しているだけなのか。この問いに、いまのところ答えはない。そして、答えが出ないほうがいいのかもしれない、とも思う。

というのも、この問いは彼女たち固有の問いではないからだ。私とあなたのあいだにも、まったく同じ問いがある。私があなたの言葉を聞いて理解したとき、私はあなたの体験を共有したのか、それとも私の脳の中で別の体験を作っただけなのか。厳密に言えば、後者だ。

私たちは全員、コピーを作って生きている。ホーガン姉妹は、その距離が異常に短いだけだ。橋が神経でできているか、言葉でできているか。その違いしかないのかもしれない。

二人が「わたしたち」と言わずに「わたし」と言い続けたことの意味を、私はまだ考えている。あの子たちは、二人でありながら一人だったのではなく、一人でありながら二人だったのでもなく、たぶん人類の語彙がまだ持っていない何かだった。そして、そういう存在がバーノンの家の居間で、テレビを見ながら育ったという事実が、私はいまだにうまく飲み込めずにいる。

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