冷蔵庫の製氷皿を、一日に何度も空にする人がいる。庭の土を、わざわざ深いところから掘り出して、天日に干して、少しずつ口に運ぶ人がいる。トイレットペーパーを一巻き、誰にも言わずに食べてしまう人がいる。硬貨を、剃刀の刃を、スプーンの柄を、次から次へと飲み込んで、それでも何年も平気な顔で暮らしている人がいる。
「食べられないものを食べる」。この一文だけ聞くと、なんだかキワモノの話に思える。でも医学の世界では、これはとっくに名前のついた現象だ。ピカ。異食症。ラテン語で「カササギ」を意味する言葉が、そのまま病名になっている。
そして厄介なのは、飲み込まれたものが必ずしも出ていかないことだ。胃の中で、それは固まる。絡まる。石になる。ベゾアール、日本語で胃石。数キロの塊になって、レントゲンの上に、あるはずのない影を落とす。今回はその両方を、端から端まで追いかける。
その鳥は、光るものを何でも巣に運んだ
まず名前の話から始めたい。ピカという単語は、ラテン語の pica、つまりカササギから来ている。あの黒と白のツートンで、キラキラしたものを見つけると片っ端から巣に持ち帰る、と言い伝えられてきた鳥だ。学名も Pica pica で、綺麗に同じ語が二度並ぶ。何でもかんでも見境なく口に入れる、その無差別ぶりが病名になった、というのが教科書の説明である。
ところがこの語源、掘るとけっこう怪しい。もともとギリシャ語の医学書では、この症状は kissa あるいは kitta と呼ばれていた。ガレノスも、六世紀ビザンツの医師アミダのアエティオスも、その語を使っている。アエティオスは「ガレノス的な kitta について」という章まで立てている。問題は、kissa が指すのはカササギではなく、カケスのほうだったらしいことだ。しかもアエティオス本人は、鳥が物を集めるからではなく、鳴き声が雑多だから、あるいはツタが何にでも絡みつくから、という理屈でこの語を説明している。巣に何でも運ぶという有名な説明は、後世の後付けの匂いがする。
では誰がラテン語の pica を持ち込んだのか。有力な候補は、十六世紀フランスの外科医アンブロワーズ・パレだ。四代の王に仕えた、あの伝説的な戦場外科医である。生年は一五一〇年ごろ、没年は一五九〇年。彼はフランス語で書いた生殖についての著作の中で、妊婦の異常な食欲を説明するのに pica というラテン語をあてた。英語も、いわゆる医学ラテン語も、そこから受け継いだ。つまり我々は五百年前の一人の外科医の、鳥の同定ミスかもしれないものを、今も病名として使い続けている可能性がある。医学用語というのは、案外そういうものだ。
余談だが、印刷業界で使う「パイカ」という活字サイズの単位も、語源をたどると同じカササギに行き着くという説がある。細かい活字がびっしり並んだ紙面が、白黒まだらの鳥に見えたから、というわけだ。食べる話と印刷の話が、鳥一羽でつながっている。
紀元前から、医者はこの厄介な食欲を知っていた
記載の歴史は、びっくりするほど古い。紀元前五世紀ごろのヒポクラテスは、妊婦が土を食べたがることを書き残している。「土を食べたいという渇望」が「血の腐敗」と結びついている、という言い方だ。血の腐敗という表現は今の目で見ればとんでもないが、貧血と異食を結びつけた最初期の記述だと考えると、ちょっと鳥肌が立つ。二千四百年後、我々は「フェリチンを測れ」と言っている。見ているものは、たぶんそんなに違わない。
紀元前四二一年のアリストパネスの喜劇『平和』には、「渇望する」という意味の動詞が、女性の妊娠中の欲求を指す形で出てくる。アリストテレスは『ニコマコス倫理学』の第七巻で、髪を引き抜く、爪を噛む、土や炭を食べる、といった振る舞いを並べて論じている。そしてこう付け加える。生まれつきの性質や習慣によってそうなっている人を、単純に「だらしない」と責めるのは筋が違う、と。紀元前四世紀の時点で、すでに当事者を嘲笑しない視点がある。ここは正直、感心した。
中世を飛ばして十六世紀。ポルトガル生まれの医師アマトゥス・ルシタヌスが、『医療的治癒の百選集』の第三巻に、ひとつの症例を書き込んだ。生没年は一五一一年から一五六八年。若い女性が、いろいろなものを、しかも見るからに楽しそうに食べてしまうという話だ。彼は治療を施し、治したと記録している。同じ十六世紀、この症状はようやく医学書の中に定位置を得た。一五六三年という年が、しばしば「ピカが医学文献で扱われた最初の年」として引かれるのは、このあたりの事情による。
そこから四百年、ピカはずっと「独立した病気」ではなく「他の何かの症状」として扱われてきた。この点を歴史的に総ざらいしたのが、パリー=ジョーンズ夫妻による『ピカ――症状か、摂食障害か』という論文で、英国精神医学誌に載っている。彼らの結論は身も蓋もない。十六世紀から二十世紀まで、ピカは一貫して「何かの徴候」として語られてきた、というものだ。それが公式に単独の摂食障害として格上げされたのは、アメリカ精神医学会の診断基準がDSM-III-Rになった時である。現行のDSM-5系でも、栄養のない非食物を一か月以上にわたって繰り返し食べること、発達段階に照らして不適切であること、文化的・社会的に許容された慣習ではないこと、という条件が並ぶ。目安として二歳以上、というただし書きも付く。赤ん坊が何でも口に入れるのは、病気ではなく仕事のうちだからだ。
もうひとつ、この分野で外せない古典がある。一九五七年にM.クーパーがイリノイ州スプリングフィールドで出した、獣医学と人類学まで巻き込んだ大部の総説だ。人間だけを見ていてはこの現象は分からない、という姿勢が、この時点ですでにある。
氷をバリバリ噛む人は、まず血を調べたほうがいい
ピカの中で、いちばん有名で、いちばん見過ごされているのが氷食症だ。ペイゴファジアという名前がついている。氷を、噛む。一日中、噛む。製氷機が家庭に入った時代の病気だと言う人もいるが、要は「冷たくて硬いものを噛み砕きたい」という衝動である。
この氷と鉄欠乏の関係を医学の土俵に引きずり上げたのが、一九六八年、レイノルズらが米国内科学年報に出した報告だ。以来、無数の追試が重なった。血液内科医のW.H.クロスビーは一九七六年、英国血液学誌にごく短い論考を寄せて、こう主張した。ピカは貧血の症状ではなく、鉄の貯蔵が枯れたことの症状である、と。根拠は明快で、鉄剤を始めると、ヘモグロビンが正常に戻るずっと前に、異食の衝動だけが先に消えてしまうからだ。しかも彼は皮肉たっぷりに付け加える。患者が選ぶ物は、たいてい鉄をまったく含んでいない、と。
数字も出ている。バートンらが二百六十二人の非妊娠成人の鉄欠乏患者を調べた研究では、四十五パーセントがピカを報告し、そのうち八十七・三パーセントが氷だった。氷は圧倒的に多い。同じ研究で、再び鉄欠乏に陥った十九人を追跡すると、前回ピカがあった人はまた出る、なかった人はまた出ない、という一致率が九十五パーセントに達した。この「出る人と出ない人がきれいに分かれる」現象は、体質か遺伝的な素因が絡んでいるのではないか、と考えられている。
では、なぜ氷なのか。氷には鉄も亜鉛もほとんど入っていない。栄養欠乏を埋め合わせるという説明が、氷だけはどうしても通らない。ここで面白い仮説を出したのが、ハントらが二〇一四年に『メディカル・ハイポセシズ』誌に発表した研究だ。氷を噛むと、口の中の冷刺激で血管系にスイッチが入り、脳への血流が増える。だから貧血でボーッとしている人だけ、氷を噛むと頭が冴える。彼らは実際に、鉄欠乏性貧血の人と健常者を、氷を噛む群とぬるま湯を飲む群に分けて、持続的注意力のテストをやらせた。結果、健常者にはまったく効果がなく、貧血の人だけ反応速度が劇的に改善した。健常者はもともと天井に張り付いているから伸びしろがない、という説明だ。当事者が「氷はコーヒーみたいなもの」と語ることがあるが、あれは比喩ではないかもしれない。
似た話で、近年になって名前がついたものもある。鉄欠乏の人が、氷ではなく「噛みごたえ」そのものを渇望する現象だ。メイヨー・クリニックとトルコの病院の血液内科が集めた十五人の患者は、全員が女性で、年齢の中央値は四十四歳。求めたのはガム、マスチックガム、クラッカー、乾いたオートミール、ポップコーン、そしておがくずや編み紐だった。顎が痛くなっても噛むのをやめられない、と多くが訴えている。研究者たちはこれを「触覚嗜食」と呼ぼうと提案した。鉄が足りないと、ドーパミンの合成に必要な補酵素が足りなくなる。噛むという行為で、脳が何かを埋め合わせようとしているのかもしれない。
土を食べる、という何千年も続いてきた習慣
ここからが、この話のいちばん難しくて、いちばん面白いところだ。地食、つまり土や粘土を食べる行為は、単なる病気の症状として片付けられない。世界中に、それを文化として持っている人たちがいる。
アメリカ南部の話から始めよう。ジョージア州の中央部、メイコンとオーガスタのあいだのサンダーズビル周辺には、カオリンの巨大な鉱床がある。陶磁器にも紙のコーティングにも化粧品にも使われる、あの白い粘土だ。同時にそこは、「ホワイトダート」を食べる文化の中心地でもある。町のコンビニや市場で、青果のようにパック詰めされて売られている。ラベルには「新奇品。人間の摂取は推奨しません」と印刷されている。この一文がすべてを物語っている。売る側も買う側も、建前と実態を承知の上で、それでも棚に並んでいる。
なぜ食べるのか、と聞かれた人たちの答えはだいたい同じだ。味が好きだから。無性に欲しくなるから。入手先は友人か、近所か、家族か、自分で掘る。習慣は圧倒的に世代を越えて受け継がれる。母がやっていたから、祖母がやっていたから。ミシシッピの記録では、一九四二年の調査で、ある郡のアフリカ系の子どもの二十五パーセントが土を食べていたという数字が残っている。アーカンソーの一八八〇年の死亡統計には、七歳の少女の死因の欄に、ただ「土を食べたこと」とだけ書かれた記録がある。
土の選び方と調理法にも作法がある。表面の土は使わない。寄生虫が少ないとされる深い層から掘る。ざらつきがなく、なめらかで、灰色に赤い筋が走ったものがいい。掘った土は天板に広げ、酢や好みの香りをつけて、薪のオーブンで一時間焼くか、煙突で燻す。仕上がりは酸味があって、口の中でチョコレートのように溶ける、と語られる。北部に引っ越した家族に、南部から土を郵送する、という話まである。この時点でもう、これは「症状」というより料理の記述だ。
一方でアフリカ大陸では、地食は今も広く続いている。ザンジバルで妊婦を調査した研究者が、家の壁の土を食べているという話を聞いて、この研究の道に入った、という有名なエピソードがある。西アフリカから南部の大西洋岸へ、奴隷貿易によって人と一緒に運ばれた習慣だという説明が広く受け入れられているが、慎重な研究者は「起源はもっとずっと古い」と釘を刺す。ヒポクラテスがすでに書いているのだから、少なくとも二千四百年より前だ。人類はおそらく、その何十倍も前から土を食べてきた。
アフリカでは、シロアリの塚の土がよく選ばれる。カルシウムが豊富で、胎児の骨をつくる妊娠後期に理にかなっている、という指摘がある。ハイチでは、他に食べるものがない時期に、粘土を焼いて食べる。ニューメキシコ州のカトリック巡礼地チマヨでは、聖なる砂を口にすることが今も治癒の儀礼の一部だ。マハトマ・ガンディーは、粘土を食べることは体を清めると信じて、周囲にも勧めていた。宗教、飢餓、医療、伝統。同じ「土を食べる」という行為に、まったく違う理由が何層にも重なっている。
そして忘れてはいけないのが、南部のホワイトダート食が、人種と階級の視線に晒され続けてきたという事実だ。白人のカオリン業者は、黒人農家の土地から鉱物権を二束三文で買い叩いた。そのうえで、同じ土を食べる黒人の隣人を見て「無知な連中のすること」と嘲った。実際に取材した記者は、そう嘲られた人たちの中に大卒者が普通にいたことを記録している。文化として続いてきたものが、いつのまにか劣等性の証拠にすり替えられる。その構図まで含めて、この習慣の話だ。
デンプン、紙、髪、金属、ガラス
食べられるものの目録は、正直、際限がない。医学文献に名前が付いているものだけでも、かなりの数になる。
生デンプンを食べるのはアミロファジアと呼ばれる。アメリカでは特定ブランドのコーンスターチの箱が、そのまま代名詞になっている。ある女性は薬剤師のコラムに、三日で一箱空けてしまった、一年以上やめられない、と書き送っている。別の女性は、十代から十五年続けていて、一時期は週に四箱いっていた、体はだるくなるのに欲しくなる、自分でも嫌なのにやめられない、と綴っている。彼女が受診したとき医師が出したのは妊婦用のビタミン剤で、飲んでいるあいだは楽になった、という。おそらく鉄か亜鉛が入っていたのだろう。ここでも根っこは同じ場所につながっている。
生米を噛むリゾファジア。焦げた木炭や灰。壁の漆喰。チョーク。鉛筆の芯。石鹸。ベビーパウダー。コーヒーの出しがら。卵の殻。紙と段ボール。布と羊毛。ゴム。過去には、水銀を含む防カビ剤で処理された紙を食べ続けた人が水銀中毒を起こした、という報告が一件だけ残っている。トイレの消臭ブロックや防虫剤を食べて溶血性貧血になった例もある。ここまで来ると、口に入れる物の種類そのものが、そのまま中毒学の教科書になる。
金属とガラスは、また別の顔をしている。フランスのミシェル・ロティートは「ムッシュ・マンジュトゥ」、つまり「何でも食べる氏」として一時代を築いた芸人だ。生年は一九五〇年、没年は二〇〇六年。十六歳のとき、飲んでいたグラスを割ってしまい、その破片を口の中で噛んでいる自分に気づいた、と本人は語っている。そこから剃刀の刃へ、皿へ、ボルトやナットへ。医師の診断はピカだったが、同時に胃と腸の粘膜が異常に厚く、胃液が異常に強いことも分かった。彼は金属を細かく切り、ミネラルオイルを飲んでから、大量の水と一緒に流し込むという方法を編み出した。一九五九年から一九九七年までに、およそ九トンの金属を食べたと見積もられている。自転車十八台、ショッピングカート十五台、テレビ七台、シャンデリア六基、ベッド二台、スキー一組、鋼鉄の鎖五百メートル、取っ手つきの棺桶が一つ。そして小型機セスナ150を、一九七八年から一九八〇年までかけて一機。
ただし、ここは正確に言っておきたい。飛行機を丸ごと食べた、という部分については、後年の検証で裏が取れていない。舞台で金属を食べていたことはほぼ間違いないが、記録は記録として、盛られている可能性は残る。そして何より、彼の体は例外中の例外だ。三十年近く金属とガラスを食べ続けたあと、担当医は「体が消耗し始めている」と語っている。真似できる話ではないし、真似してはいけない話でもある。
胃の中で、それは石になる
さて、飲み込んだものは、どこへ行くのか。
多くはそのまま通り抜ける。だが、通り抜けられなかったものは胃に溜まり、絡まり、水分を失い、胃壁の蠕動で揉まれて締まっていく。こうして出来上がる塊がベゾアール、日本語では胃石だ。医学的には、消化管の内腔にできた、消化されない物質の凝集体、と定義される。
種類は中身で呼び分ける。いちばん多いのが植物胃石で、報告例のおよそ四割を占める。セルロース、ヘミセルロース、リグニン、タンニン。要するに繊維の塊だ。柿、かぼちゃ、プルーン、干しぶどうあたりが常連の原因になる。発生率は報告によって〇・四パーセントから四パーセントとばらつく。
その植物胃石の中でも、飛び抜けて硬いのが柿胃石だ。学名の Diospyros kaki から取って、ディオスピロベゾアールと呼ばれる。渋柿に多く含まれるシブオールというタンニンが、胃酸に触れた瞬間に重合を始める。そこにセルロースとヘミセルロースとタンパク質が巻き込まれ、凝固物ができる。あとは脱水と圧縮が進むだけだ。出来上がるのは、他の胃石とは比較にならないほど硬い塊で、内視鏡の鉗子が跳ね返される。日本では胃石のほとんどがこの柿胃石で、欧米では毛髪胃石の割合が高い、と言われてきた。食文化がそのまま病名の分布になっている。
薬剤胃石という種類もある。徐放性のニフェジピン、テオフィリン、腸溶性のアスピリン、アルギン酸ナトリウム、スクラルファートなどが胃の中で固まる。この胃石が厄介なのは、詰まるだけでなく、中身の薬が遅れてまとめて効いてしまう危険があることだ。物理的な閉塞と、薬物中毒が同時に来る。
乳石は、未熟児や新生児で、濃いミルクが胃の中で固まってしまうものだ。哺乳を受け付けない、腹が張る、機嫌が悪い、吐く、といった形で出てくる。腹を触ると塊が分かることもある。多くは絶食と点滴で溶ける。
毛髪胃石については、ここでは軽く触れるにとどめたい。自分の髪を食べ続けた人の胃から、胃の形をした毛の鋳型のような塊が出てくる。あの話は、それ単体でひとつの長い物語を持っているからだ。ここでは、毛髪胃石だけは酵素にも炭酸飲料にも溶けにくく、ほぼ外科的に取り出すしかない、という事実だけ押さえておく。他の胃石とは、抵抗力の桁が違う。
工業材料が固まった胃石、便が固まった糞石、食物塊がそのまま詰まった食餌性のもの。分類の網の目は細かい。だが共通しているのは、どれも「胃の出口を通れなかった」という一点だ。胃の運動が落ちていること、胃酸が減っていること、幽門の働きが失われていること。胃を切った人、迷走神経を切った人、糖尿病の人、甲状腺機能が低い人。胃石は、そういう条件が揃った場所に、静かに育つ。
柿を三十個食べた人たちのカルテ
日本の症例報告を読んでいると、同じ光景が何度も出てくる。秋。庭の柿の木。好物だから、と語る患者。そして数週間後の腹痛。
七十六歳の女性の例。上腹部痛と嘔吐を訴えて受診した。問診で分かったのは、毎年秋になると一日三個の柿を食べる習慣があること。上部内視鏡を入れると、胃体部の大彎に、十センチの黒褐色の塊が座っていた。角部の小彎には潰瘍ができていた。胃石が同じ場所を押し続けて、粘膜が耐えられなくなったのだ。まず炭酸による溶解療法を始めた。少し縮んだ。だが完全には溶けない。結局、内視鏡的破砕術に切り替え、砕いて、全部回収した。炭酸水は有用だが、それだけで済むと思わないほうがいい、というのが担当医の結論だった。
五十代の男性の例は、始まりからして劇的だ。四国遍路の途中で腹痛が出た。搬送された病院で胃潰瘍穿孔と診断され、緊急で大網充填術を受けた。この手術の最中に、執刀医は胃の中に大きな塊があることに気づいている。ただし全身状態から、その場では手を出さなかった。退院後、近医で診てもらっていたが、貧血が続いた。数か月後、胃石の治療目的で別の病院に紹介入院となる。造影で見えたのは、胃の下部にまで及ぶ約十四センチの巨大な影。内視鏡では、胃の三分の二を占める褐色まだらの、表面が比較的なめらかな塊。硬すぎるうえ、分割できたとしても小腸に落ちて腸閉塞を起こす危険がある。内科的治療は無理だと判断され、胃を切開して取り出すことになった。摘出された胃石は十四かける八かける八センチ、重さ三百五十グラム。弾力のある硬さで、割ってみると、断面に柿の種がびっしり並んでいた。赤外線分析では、渋柿の主成分であるシブオールの構成成分、タンニン酸が検出された。報告例の胃石はたいてい十センチ以下、二百グラム未満だという。この症例は、その倍近い。
五十二歳の女性の例は、量が桁違いだった。三か月にわたって、毎日十五個以上の柿を食べ続けていた。腹痛と嘔吐で近医を受診し、腸閉塞の診断で紹介入院となる。小腸造影で下部小腸に閉塞が見つかり、同じ場所を超音波で見ると、四・五センチの音響陰影を伴う腫瘤が写った。柿胃石による腸閉塞を疑って手術に踏み切ると、回盲部から四十センチ口側の回腸に、クルミ大の異物が嵌まり込んでいた。腸を切開して摘出。結石分析の主成分は、やはりタンニン酸だった。この報告の著者たちは、教訓を残している。胃石による腸閉塞は術前診断が難しく、開腹して初めて分かることが多い。だから嗜好品の問診を丁寧にやれ、と。最近、柿を食べましたか。この一問が、開腹の要否を分ける。
落ちた胃石が引き起こす事故を三例まとめて報告した論文もある。七十七歳の男性は、胃石が十二指腸球部に嵌頓し、圧迫壊死で十二指腸に穴が開いた。緊急手術で穿孔部を切開して胃石を摘出、縫合閉鎖して大網で覆った。術後経過は良好で、二十五日目に退院。八十歳の女性は落下胃石による小腸閉塞で緊急開腹、十日目に退院。七十九歳の女性は同じく小腸閉塞だったが、イレウス管を入れて保存療法を試み、改善しないためイレウス管からコーラを注入する溶解療法に切り替えた。注入開始から四日目、胃石は肛門側から排出され、閉塞は解除された。三例とも柿の摂取歴があり、成分分析ではタンニンが九十八パーセント以上を占めていた。
胃を切ったあとに起きる例も多い。七十三歳の男性は、早期胃がんで腹腔鏡下幽門側胃切除を受けた十五か月後に、腹部膨満と嘔吐で入院した。CTで十二指腸の水平脚に硬い塊、その口側が拡張。内視鏡で胃石を確認したが、深すぎて掴めず、砕けもしない。ところがその日の深夜、突然の激しい腹痛が襲った。翌朝のCTでは、胃石は十二指腸から消え、回腸まで一気に流れ落ちていた。炎症反応は跳ね上がっている。保存的治療は無理と判断され、緊急手術に。回腸は細すぎて大腸へ押し出せず、腸を切開して取り出した。胃石は黄土色で、弾力があり、硬く、割った断面は一様なオレンジ色だった。術後に改めて話を聞くと、患者の家の庭には柿の木があり、一シーズンに三十個から四十個食べるのが習慣だったという。
炭酸による溶解療法は、二〇〇二年にラダスらが提唱して以来、第一選択の座を占めるようになった。効くとされる理屈は三つある。コーラのpHが二・六で胃液に近いこと。二酸化炭素の細かい泡が胃石表面の微細な凹凸に入り込んで軟化させること。重炭酸ナトリウムの粘液溶解作用。ただし機序が完全に解明されたわけではない。そして大事な注意がある。溶解療法の途中で胃石が小腸に落ちて嵌頓し、腸管が壊死した症例が報告されている。イレウス管からコーラを入れる場合、一回百ミリリットルから二百ミリリットルという少量に留め、頻回に分ける工夫をしている施設がある。三百ミリリットル以上入れると腹痛を訴える患者がいるからだ。溶かして流すという治療は、詰まる場所を移動させるだけになりかねない。手術のタイミングを逃さない、という判断が最後まで要る。
手術室で数えられた、七十八本のスプーン
胃石が「食べ物が固まったもの」だとすれば、こちらは「食べ物ですらなかったもの」の話だ。
二〇〇九年、オランダのロッテルダム。五十二歳の女性が腹痛を訴えて病院に来た。不動産業者の秘書として働いている、ごく普通の勤め人だった。撮ったレントゲンが、その日の病院を凍りつかせる。胃の輪郭の中に、フォークとスプーンが、数えきれないほど詰まっていた。手術で摘出されたのは、カトラリー七十八点。彼女は医師にこう語っている。なぜだか分からないけれど、銀器を食べたいという衝動が湧いてくるんです。自分では止められなかった、と。治療は初めてではなかった。彼女は境界性パーソナリティ障害と診断され、その後の治療によく反応したと報じられている。そしてもうひとつ、医師団が説明できなかった事実がある。彼女が飲み込んだのは、フォークとスプーンだけだった。ナイフは、一本もなかった。
同じ年よりずっと前、フランスでも似た記録がある。六十二歳の男性が、腹痛でショレの総合病院に運ばれた。食事も排便もできない状態だった。撮影された影は、ボウリングの球ほどの塊。五・五キロ。開けてみると、硬貨三百五十枚と、いくつものネックレスと、針が出てきた。額にして四千五十フラン分。十年かけて飲み込んだと推定されている。金属の重みで、胃は骨盤のあいだまで垂れ下がっていた。手術は二〇〇二年一月、入院から五日後に行われた。担当医はこの症例をニューイングランド医学誌への書簡として報告している。彼は以前、フォークを食べる患者も診たことがある、と書き添えている。
インドの報告は、数字がとにかく強い。二〇一七年十一月、マディヤ・プラデシュ州レワの医科大学病院で、三十二歳の男性から、六人の医師のチームが五キロ分の金属を摘出した。内訳は硬貨二百六十三枚、剃刀の刃十枚から十二枚、大きな針四本、鎖一本、そしてガラスの破片。二〇二二年九月には、ムザファルナガルの病院で三十二歳の男性から、ステンレス製スプーンの柄が六十三本出てきた。彼はスプーンの頭を折って、柄だけを飲み込んでいた。摘出には二時間以上かかった。同じ二〇二二年の十一月、カルナータカ州バガルコートでは五十八歳の男性から、一ルピー、二ルピー、五ルピー硬貨あわせて百八十七枚、総重量一・五キロが取り出されている。
二〇二五年九月、ウッタル・プラデシュ州ハプルの病院で、四十歳の男性から五十点の異物が摘出された。ステンレスのスプーン二十九本、歯ブラシ十九本、先の尖ったペン二本。手術は五時間に及んだ。この症例には、他とは違う後日談がある。回復した患者本人が語った言葉が、記事に残っているのだ。
二〇一九年、エジプトのマンスーラ大学の消化器センターでは、二十代の男性の胃から、フォーク、スプーン、金の指輪、ネックレス、そして歯ブラシ七本が取り出された。母親は数か月前から、家の食器や宝飾品が消えることを不思議に思っていたという。息子が嘔吐と激しい腹痛を訴えて初めて、消えた物の行き先が分かった。彼は脳の萎縮を伴う疾患を抱えていた。
こうした反復性の異物摂取について、精神医学の側では類型化が進んでいる。ピカによるもの、精神病性障害によるもの、二次利得を狙ったもの、そしてパーソナリティ病理によるもの。四つに大別する枠組みが広く引かれる。オーストラリアの多施設研究では、三十五人の精神科患者が二〇一三年から二〇二〇年のあいだに百六十六回の入院を生み、その半数以上が反復例だった。一回あたりの平均異物数は三・三個。イギリスの司法精神科と知的障害サービスでは、二十七人の入院患者が一年間に百三十三件の事象を起こし、平均すると二・七日に一回。うち一人だけで二十四件を占めていた。ごく少数の人が、圧倒的多数の事象を担っている。この偏りは、どの国のデータでも同じ形で出る。
なぜやめられないのか。研究者たちが指摘するのは、行動が強化されてしまう構造だ。飲み込めば注目が集まる。監視が手厚くなる。守られていると感じる。処置が終われば安堵が来る。内視鏡の際の鎮静や麻酔そのものに、多幸感に近い体験を報告する人さえいる。医療者の対応が場当たり的で、その都度大騒ぎになるほど、この回路は強く回る。だから対応は「一貫していること」が要になる、というのが専門家の一致した意見だ。
ある医者が生涯かけて集めた、二千三百七十四個
異物の話をするなら、この人を飛ばすわけにはいかない。シュヴァリエ・ジャクソン。生年は一八六五年、没年は一九五八年。ピッツバーグに生まれ、フィラデルフィアで働いた耳鼻咽喉科医だ。彼はほぼ七十五年にわたる臨床生活の中で、患者の喉と食道と気管支から取り出した異物を、ひとつ残らず取っておいた。その数、二千三百七十四点。今もフィラデルフィアの博物館の、階段脇の引き出しに整然と並んでいる。
彼が請求したのは、金ではなかった。手術代を払えない患者、あるいは払えない子どもの親には、代わりに「取り出した物をもらう」ことだけを求めた。そうして貯まったのが、あの引き出しだ。安全ピン、玩具、硬貨、メダル、ボタン、動物の骨、菓子のおまけの人形。「幸運を運びます」と刻まれたメダリオン。子どもの皆勤賞のバッジ。小型の双眼鏡の玩具。ラジエーターの鍵。患者の八割以上が十五歳未満だった。
なかでも安全ピンが圧倒的に多いのは、当時の生活を映している。お針子はピンを口にくわえて仕事をした。親はおむつを替えるときにピンをくわえた。赤ん坊は自分のおむつからピンを引き抜いた。ジャクソンは開いたまま刺さったピンを、いったん胃のほうへ押し下げて広い場所で閉じ、それから安全に引き出す、という離れ業をやってのけた。生後九か月の乳児から、開いた安全ピンを取り出したという記録も残っている。
彼が異常なのは、この収集を趣味ではなく研究として扱った点だ。一点ごとに詳細な記録を付け、どんな物が、どういう経緯で、どこに嵌まるのかを体系化した。一八九九年に彼が作った気管支鏡は、最初のものではなかったが、最良のもののひとつとされた。それ以前、気管に落ちた異物を自力で出せる患者は百人に二人程度で、手術に踏み切れば九十八パーセントが死んだ。ジャクソンは、この数字をひっくり返した。一九二四年、彼はコレクションと記録をフィラデルフィアの医師会に寄贈している。
ひとつ、彼の執念を物語る逸話がある。飲み込んだ二十五セント硬貨を返してほしいと、患者の父親が激怒して詰め寄ったことがあった。命の危険をほのめかされてもなお、ジャクソンは硬貨を返さなかった。すべての異物は記録の一部であり、記録は次の子どもの命を救う、という理屈だった。だいぶ変わった人だったのは間違いない。だが引き出しに並んだ二千三百七十四点は、今も静かに主張している。人間は、こんなにも多くのものを飲み込む生き物なのだ、と。
金より高く売られた石――万能薬としてのベゾアール
ここでいったん、話を五百年前へ巻き戻す。
ベゾアールという言葉そのものが、実は「解毒剤」を意味している。ペルシャ語のパードザフル、あるいはパンザフル。毒を追い出すもの、という意味だ。アラビア語のバードザフルも同じ。アラビア語にはpの音がないのでbになる、という説明がよくなされる。この言葉と、それが指す石は、十一世紀から十二世紀にかけて中東からヨーロッパに渡ってきた。
石そのものは、ヤギ、ヒツジ、シカ、レイヨウ、ウシの消化管にできる結石だ。とりわけペルシャやインドに棲む野生ヤギのものが珍重された。新大陸の発見後は、リャマやビーバーからも見つかるようになる。滑らかで、艶があり、糞のような色をしていて、大きさは小石からガチョウの卵くらいまで。屠った動物百頭に一頭からしか出ないと言われた。
ヨーロッパ人はこれを、あらゆる毒を無効化する万能の解毒剤だと信じた。削って葡萄酒か水に溶かして飲めば、熱も、憂鬱も、ペストさえ退けるとされた。狂気を、狂犬病を、コレラを、ハンセン病を防ぐ護符として身につけられもした。イングランドのエリザベス一世は、金の指輪に嵌めたベゾアールを持っていた。ルドルフ二世の財産目録にも記載がある。裕福な者は金銀細工の容器を誂え、王家の宝石と並べて誇らしげに飾った。値段は、重さあたり金の十倍という記録が残っている。装身具として吊るす容器には、実用的な仕掛けもあった。容器ごと葡萄酒に浸して、その葡萄酒を飲めば、それが解毒になるという仕組みだ。要するに、毒殺を恐れる王侯にとっての必需品である。
伝説の尾ひれも豪華だった。一六〇七年に出たエドワード・トプセルの『四足獣の歴史』には、こんな説明が載っている。ある種の牡鹿は、毒蛇を食べることで若返る。そして体内の毒を水に浸かって追い出す。そのとき流した涙が固まって石になる。それがベゾアールであり、だからこそあらゆる毒を癒すのだ、と。一六二一年、ロバート・バートンは『憂鬱の解剖』の中で、ベゾアールは「あらゆる憂鬱な情動に対する格別の効能」を持ち、「心臓を慰め、全身を強くする」と書いた。毒に効くのだから、心を蝕むものにも効くはずだ、という発想の飛躍がある。一六九四年、フランスの薬種商ピエール・ポメは『薬物総史』に、断崖を跳ぶ雄ヤギの挿絵を添えた。動物の中で育つのに鉱物でできている、という奇妙な成り立ちを、絵で強調するためだ。
そしてもうひとつ、この万能薬の話には双子の兄弟がいる。テッラ・シギッラータ、「封印された土」だ。エーゲ海のレムノス島で採れる粘土を洗い、練り、平たい錠剤の形にして、印章を捺したもの。ディオスコリデスは一世紀の『薬物誌』で、洞窟から掘り出し、ヤギの血と混ぜ、ヤギの印章で封をする、と記している。ガレノスは実際にレムノス島まで足を運んで、採掘の様子を書き残した。採掘は年に一日、八月六日だけ。それも神殿の巫女の手で行われるという儀式付きだった。矢傷に、毒蛇の咬傷に、赤痢に、葡萄酒に混ぜて毒に。要するにベゾアールと同じ役割を、鉱物側が担っていたわけだ。オスマン帝国期には「封印された土」がスルタンの統制下で管理され、外交の贈答品にまでなった。あまりに人気が出たので、贋物が大量に出回った。十九世紀以降、繰り返し行われた化学分析の結論は、そっけない。ただの粘土である、と。分析した一人はこう書いている。神話に化学を当てはめようとすると、こうなる、と。
ちなみにベゾアールは、完全に過去のものになったわけではない。ウシの胆石は今も生薬として流通している。日本の漢方薬局でも、解熱と鎮静を目的とした高価な生薬として扱われている。あれもまた、動物の体内にできた結石だ。五百年前の理屈がそのまま生きているわけではないにせよ、系譜は途切れていない。あと、若い世代にとっては、魔法学校を舞台にした小説で親友を毒から救う場面に出てきた石、と言ったほうが早いかもしれない。作中の説明は、ヤギの胃から取れる石で、たいていの毒から身を守れる、というものだった。ルネサンスの医者が言っていたことと、ほぼ同じである。
死刑囚と、料理人と、王の前で行われた実験
万能薬伝説に決定的なひびを入れたのは、さっきも出てきたあの外科医、アンブロワーズ・パレだった。
事の起こりは、フランス王シャルル九世の宮廷である。ある紳士が、スペインから持ち帰ったというベゾアールを王に献上し、この石はあらゆる毒に確実に効くと大げさに吹聴した。王はパレに尋ねた。すべての毒に等しく効く解毒剤など、あるのか。パレの答えは明快だった。自然がそれを許すはずがありません。毒は種類ごとに効き方が違い、原因も違う。ある毒は物質全体の隠れた性質から働き、ある毒は元素的な性質の偏りから働くのです、と。
そして彼はこう続けた。試してみるのは簡単なことです、と。実験台に提案したのは、絞首刑を待つ囚人だった。王はこの提案を気に入った。選ばれたのは、主人の家から銀の皿を二枚盗んだ罪で死刑判決を受けていた料理人である。王はまず本人の意思を確かめた。毒を飲む条件を呑むか。もしこの解毒剤が効いて死を免れたなら、命は助ける。料理人は快活に答えたという。喜んで引き受けます、命が助かるためならもっと大変なことでも、そして何より、あの見世物のような死に方の恥を避けられるのなら、と。
宮廷付きの薬剤師が毒を用意した。飲ませ、直後にスペイン渡りのベゾアールの削り粉を与えた。しばらくして、料理人は嘔吐を始めた。下痢を伴い、激しく苦しみ、内臓が火で焼かれていると叫んだ。渇きを訴えるので、水が与えられた。
一時間後、看守の許可を得てパレが部屋に入った。彼が書き残した情景は、四百年以上経った今読んでも生々しい。料理人は床の上を、獣のように四つん這いで動き回っていた。舌は口から突き出て、目は真っ赤に燃え、嘔吐が止まらず、冷や汗が噴き出し、耳から、鼻から、口から、そして下からも血が流れ出していた。パレは油を八オンス飲ませた。何の役にも立たなかった。手遅れだった。料理人は激しい苦悶と絶叫のうちに息絶えた。毒を飲んでから、七時間が経つか経たないかだった。最期に彼が叫んだのは、こんなことなら絞首台で死んだほうがましだった、という言葉だったと伝えられている。
パレは看守と四人の立会人の前で遺体を開いた。胃の底は黒く乾いて、焼き鏝で焼かれたようになっていた。それを見て彼は、飲まされたのが昇汞、つまり塩化第二水銀だったと理解する。スペインのベゾアールは、その力をまったく抑えられなかった。王は石を焼き捨てるよう命じた。
この実験の年については、一五六七年とする記述と一五七五年とする記述がある。史料の伝わり方によるずれで、どちらの年号も文献で見かける。パレ自身は、この一件をもってベゾアールを全否定したわけではない、という点も付け加えておきたい。彼が否定したのは「あらゆる毒に効く」という万能性であって、本物のベゾアールにいくらかの効能がある可能性までは疑いきっていなかった。この微妙な線引きが、かえって彼の誠実さを感じさせる。
似た実験は他にもあった。一六三一年、フランスの医師フィリベール・ギベールは、ベゾアールの薬効を痛烈に批判する著作を出し、その中でパレの一件に加え、ルイ・ギュイヨンとマティアス・ヴュイゼルスが死刑囚二人に対して行った実験を紹介している。毒を与え、片方にだけベゾアールを与えた。結果は、二人とも死亡。ギベールの最後の論点は経済的なもので、ベゾアールは法外に高く、儲かるのは取引する連中だけだ、だから昔からある実績のある薬を使うほうが安全だ、と結んでいる。この時代に、薬効と価格と利害相反を一緒に論じている点が興味深い。
そして忘れられがちな「もう片方」の記録がある。ほぼ同じ時代のドイツで、同じ賭けに乗った死刑囚がいた。その男は生き延びた。彼が信じたのはベゾアールではなく、テッラ・シギッラータ、あの封印された土のほうだった。粘土が毒物を吸着した可能性はある。運が良かっただけかもしれない。いずれにせよ、当時の人々にとって、この一勝一敗はさぞ悩ましかったに違いない。
本人と、家族と、医者の言葉
数字と症例を並べるだけでは、この話は半分しか見えない。当事者たちが実際に口にした言葉を、いくつか置いておきたい。
ザンジバルで妊婦への聞き取りをしていた研究者が、粘土を食べる理由を尋ねたときの答えは、こうだった。分からない。本当に分からない。ただ、そうするだけ。この「分からない」という答えは、例外ではなくむしろ標準だ。世界各地の研究者が、同じ壁に突き当たっている。理由を聞かれてすらすら説明できるのは、空腹を紛らわせている場合と、胸焼けを抑えている場合くらいで、それ以外はほとんど答えが返ってこない。あるいは「欲しくなるから食べる」という、同義反復の返事になる。ここが大事なところで、当事者が説明できないことと、当事者が何も感じていないことは、まったく別だ。衝動というのは、言語に翻訳される前の階層で動いている。
アメリカ南部のドキュメンタリー撮影で取材された女性の話も忘れがたい。彼女は白い土を大量に食べていて、自分でもそれが体に悪いことをはっきり自覚していた。鉄剤を飲んでいる。土のせいで鉄の値が下がるからだ、と本人が説明している。同居する十七、八歳の娘は、母親に向かって繰り返し言っていた。あなたがこれを食べるのは嫌だ。食べてほしくない。母親はインタビューの席でその話をしながら、それでもこう答えるのだ。だってこれは、私がずっとやってきたことだから。彼女は土を食べ続けた結果、体重が四十五キロ以上落ちていた。理解していないのではない。理解していて、それでも止まらない。この構図が、依存に近い何かを感じさせる。
ロッテルダムでカトラリー七十八点を摘出された女性が医師に語った説明も、ほぼ同じ形をしている。理由は分からない。ただ銀器を食べたいという衝動が来る。自分では止められない。彼女は不動産業者の秘書として日常生活を送っていた。食卓に座るたびに、その衝動が来た。ここに、この症状の残酷なところがある。生活は普通に回っている。仕事もできる。ただ、ある一点だけが制御を外れている。
ハプルの症例で手術を受けた四十歳の男性が、回復後に語った言葉は、これらとまったく違う方向を向いている。家族は自分を施設の医者に見せると言って連れて行き、そのまま置いていった。そこで自分はひどい扱いを受け、しばしば食事も与えられなかった。どうしようもなく無力で、腹が立って、自分を傷つけるために物を飲み込み始めた。彼が飲み込んだのは、スプーン二十九本、歯ブラシ十九本、ペン二本。手術は五時間かかった。彼には妻と二人の子どもがいた。ここには、栄養欠乏も、発達の問題も、文化的慣習も出てこない。あるのは、閉じ込められた場所で、他に手段を持たなかった人間の話だ。同じ「異物を飲み込む」という行動が、まったく違う源から出てくる。ピカという言葉ひとつでまとめてはいけない理由が、この証言に詰まっている。
医師の側の言葉も残っている。ムザファルナガルでスプーンの柄六十三本を摘出した外科医は、こう語った。よく見たら、それがスプーンだと分かった。あんなに大量のスプーンが胃の中にあるのを見て、我々は衝撃を受けた。三十五年近いキャリアで、こんな症例は見たことがない。彼は続けてこうも言っている。正気の人間ならこんなことはしない。飲み込むのは、きっとひどく難しくて、痛かったはずだ。この二つ目の言葉には、驚きと同時に、はっきりと痛みへの想像が入っている。淡々と器具の数を数えるだけでは済まない何かが、手術室にはある。
イギリスの新聞に取材された、仮にメアリーと呼ばれている女性の話も添えておきたい。彼女は土の山を見ると唾が湧いてくる、と表現した。そして自分と同じような症状の人を、まだ一人も見つけられていない、と語っている。検索しても、出てくるのは毒物センターの電話番号か、妊婦向けの掲示板ばかりだ。誰かは自分と同じことをしているはずなのに、その誰かに辿り着けない。この孤立は、症状そのものと同じくらい、本人を消耗させる。
ネットの言い分と、医学界の言い分
ここ十年で、この話の風景を大きく変えたのがSNSだ。動画プラットフォームには、コーンスターチを食べる映像を投稿し続ける人たちのコミュニティができている。ある投稿者は、ブロック状に固めたコーンスターチが届いた箱を開けて、そのまま齧る動画で大量の視聴を集めた。彼女は自分にピカがあることを公言していて、以前はベビーパウダーを食べていたが、コーンスターチに移った、味は苺のようだ、と説明している。同時に「試さないで」とも言っている。
コメント欄では、毎回のように同じ疑問が投げられる。なぜ投稿者は黒人女性が多いのか。ここには複数の要因が絡む。鉄欠乏性貧血の有病率が高いこと。月経過多による鉄の喪失。鎌状赤血球症など遺伝的背景。鉄の豊富な食品へのアクセスの格差。そして診断と治療が遅れやすい医療アクセスの不平等。加えて南部の白い土を食べる文化的伝統が、コーンスターチという入手しやすい代替物に移った、という文脈もある。ある研究者は、この習慣が単に栄養的な意味を持つだけでなく、玄関先で一緒に食べるという社交の場をつくってきたことを指摘している。孤立した奇行としてではなく、共有された習慣として見ないと、この現象は理解を外す。
一方で、投稿者たちのあいだにも線引きがある。ASMR目的の投稿者の多くは、動画に「私は飲み込みません」「ASMR用です、食べないでください」というテキストを重ねている。音とテクスチャの気持ちよさを提供することと、実際に食べることは別だ、という自覚があるわけだ。この境界が守られている限りは害が少ないが、境界は簡単に溶ける。見ているうちに、やってみたくなる人が出る。ここが今、いちばん現場を悩ませている点だ。
医学界の内部でも、議論は決着していない。最大の論点は、鉄欠乏と異食のどちらが先か、である。長らく信じられてきたのは「粘土やデンプンが腸の中で鉄や亜鉛を吸着してしまうので、食べる人は貧血になる」という説明だった。ところが別の研究者たちは、地食に使われる物質が生物学的に利用可能な鉄と結合するわけではなく、鉄吸収低下の原因とは言えない、と主張している。逆方向、つまり鉄欠乏が異食を引き起こすという説を支持する臨床データも強い。鉄剤を入れると貧血の改善より先に異食が消えるからだ。静注鉄の点滴中に、その場で氷への渇望が消えたという報告さえある。おそらく両方向が同時に回っていて、どちらか一方に決めようとすること自体が間違いなのだろう。
さらに大きな枠組みの論争がある。地食は病気なのか、それとも適応なのか。この問いに正面から取り組んだのが、ヤングらが二〇一一年に『四半期生物学評論』誌に発表した大規模な検証だ。彼らは人間の地食に関する四百八十二件の文化的記録と、二百九十七種の哺乳類・鳥類・爬虫類にわたる三百三十件の記録をデータベース化し、四つの仮説を突き合わせた。空腹説、微量栄養素欠乏説、保護説、そして単なる副産物説である。
結果は明快だった。空腹説は否定された。地食をする人は「腹を満たすためだ」とは決して言わないし、食べる量はごく少量で、食料が豊富な時期にも続ける。微量栄養素欠乏説も苦しい。人が選ぶ土は粘土分が多く、生物学的に利用可能なミネラルはほとんど含まれていない。むしろ鉄や亜鉛を吸着してしまう可能性が高い。残ったのが保護説だ。地食は妊婦と子どもに集中し、病原体密度の高い熱帯地域で多く、毒性のあるものを食べたときや胃腸の不調があるときに増える。食べられる土は入念に選ばれ、丁寧に処理され、しばしば加熱される。粘土は腸の中で病原体や毒素を吸着し、あるいは腸粘膜を覆って透過性を下げる、という理屈だ。妊娠初期は免疫を意図的に落としている時期であり、胎児が最も脆い時期でもある。地食が妊娠初期に最も多いことは、この仮説とよく噛み合う。
この見方が正しければ、地食は「間違い」ではないことになる。粘土を主成分にした市販の整腸薬が実在すること、その薬の名前がカオリンという粘土の名前から来ていることを思い出せば、話はかなり分かりやすくなる。ある研究者はこう言っている。地食が行われる場所の多くは、近代医療へのアクセスが乏しい。そして地食は近代医療よりずっと前から続いてきた。見下されてきたが、これは単なる間違いではなく、自然の薬なのだ、と。
ただしこの擁護論には、必ず但し書きが付く。同じ研究者たちが同時に警告しているのは、現代の土壌に含まれる重金属だ。鉛中毒、寄生虫、細菌。粘土が薬効成分まで吸着してしまい、飲んでいる薬が効かなくなること。便秘と腸閉塞。実際に南部では、カオリンを食べていた人が結腸破裂を起こした症例報告がある。適応かもしれない、ということと、安全である、ということはまったく違う。ここを混ぜて語ってはいけない。
発達障害や精神疾患との関連も、数字が積み上がっている。二〇二一年に小児科学誌に載った大規模な症例対照研究では、三十か月から六十八か月の子どものピカの頻度は、一般集団で三・五パーセント、自閉スペクトラム症の子どもで二十三・二パーセント、自閉スペクトラム症と知的障害を併せ持つ子どもで二十八・一パーセントだった。一九八五年に英国精神医学誌に載った古典的な報告では、自閉症の七十人と、ダウン症の七十人を比較して、六十パーセント対四パーセントという差が出ている。施設入所中の知的障害のある成人では、有病率が二割を超えるという報告が複数ある。関連する要因として繰り返し挙がるのは、男性であること、自閉症の診断があること、言語による表出が難しいこと。とりわけ「非言語」であることが、最も強い相関を示したという分析がある。
この最後の点は、重く受け止めるべきだと思う。痛い、不安だ、退屈だ、いま口の中に何かが欲しい。それを言葉で伝えられない人が、行動で示している可能性がある。統合失調症との関連も報告されているが、こちらは慢性経過による認知機能の低下が背景にある、という見方や、若年発症の前頭側頭型認知症が統合失調症と誤診されている可能性を指摘する声もある。要するに、ピカという行動は最終共通経路であって、そこに至る道は何本もある。
支援の現場では、無理のない話が指摘されている。ある施設で、行動的介入と環境調整を九年間続けた結果、四十一人中八十五パーセントで、異食が七十五から百パーセント減った。数字としては大成功だ。だが同じ報告は、こう付け加えている。飲み込めそうな小さい物を徹底的に排除した結果、その人たちの生活は他の入所者より窮屈になった。外出は減り、外部の活動や社交の機会も少なかった。安全と自由が、この場面では真正面からぶつかる。単純な正解がない。
なぜ人は、食べてはいけないものを食べたくなるのか
ここまで来て、最初の問いに戻る。
答えは、たぶん一つではない。むしろ、まったく異なる四つか五つの現象が、たまたま同じ見え方をしているだけだ、と考えたほうが実像に近い。
一つ目は、生理の回路。鉄が枯れると、脳の中で何かが変わる。鉄はドーパミン合成の補酵素であり、鉄欠乏はドーパミン受容体やモノアミン酸化酵素の量にまで影響することが動物実験で示されている。だから氷を噛みたくなる。噛むことそのものを渇望する。鉄を入れると、貧血が治るより先に、その渇望が消える。ここには意志も性格も関係ない。生化学の問題だ。
二つ目は、防御の回路。粘土を食べる行動は、毒と病原体から身を守るための、ヒトを含む多くの動物が共有する古い装置かもしれない。妊娠初期と幼児期という、最も守るべき時期に集中して発現する。オウムもチンパンジーも、毒のある果実を食べたあとに土をなめる。この装置が現代の都市環境で作動すると、鉛と寄生虫を拾ってしまう。適応が環境から外れたときの典型的な壊れ方だ。
三つ目は、文化の回路。これは病気でも欠乏でもない。母がしていたことを、娘がする。玄関先で一緒に食べる。共同体の記憶が身体に受け継がれる。診断基準がわざわざ「文化的・社会的に許容された慣習を除く」と断っているのは、この層をピカと呼ばないためだ。ここに医学の言葉を持ち込むと、しばしば支配の言葉になる。歴史がそれを証明している。
四つ目は、感覚の回路。テクスチャ、音、口の中での崩れ方。冷たさ。粉っぽさ。ざらつき。自閉スペクトラム症の子どもの異食が、偏食や食感への過敏さと同じ束の中に現れるという指摘がある。求めているのは栄養でも解毒でもなく、感覚そのものだ。ASMR動画に何百万回の再生がつくのは、その感覚が、実は多くの人に通じるものだからだろう。ほとんどの人は、見て満足するところで止まる。止まらない人がいるだけだ。
五つ目は、行き場のない感情の回路。これは異物摂取の症例で最も鮮明に出る。閉じ込められた場所。無視される訴え。制御できない状況の中で、自分の身体だけが、唯一まだ自分の裁量下にあるものとして残る。飲み込めば、誰かが動く。誰かが自分を見る。行為が結果を生む。この回路が回り始めると、飲み込む物の危険性は、もはや抑止力にならない。ここに必要なのは異物を取り出す技術ではなく、人が人として扱われているかどうか、という別種の問題への手当てだ。
そして胃石は、これらすべての回路の下流で、同じ形をとる。柿を三十個食べた人も、髪を食べ続けた人も、金属を飲み続けた人も、行き着く先の写真は驚くほど似ている。胃の輪郭に沿った、あるはずのない密度の影。人間の胃は、思ったより何でも受け入れてしまう。そして受け入れたものを、思ったより外に出さない。
最後にひとつだけ、はっきり書いておく。ここに出てきた物を、真似して口に入れてはいけない。金属もガラスも、土も、生デンプンも、氷ですら歯を壊す。腸に穴が開き、詰まり、壊死する。ここに出てきた人たちの多くは、数時間の手術と、切られた腹と、長い入院を経ている。もし自分や身近な人に、食べ物でないものを無性に食べたくなる時期があるなら、恥ずかしがる話ではまったくない。まず内科で、鉄とフェリチンを測ってもらってほしい。それだけで解ける話が、統計上かなりの割合で存在する。ヒポクラテスが二千四百年前に、土を食べたがる欲求と血の異常を結びつけたのは、たぶん正しかった。
境界線は、いったい誰が引くのか
改めて全体を見渡すと、この話の芯にあるのは「境界線は誰が引くのか」という問いだと思う。ピカの診断基準には、他の疾患ではあまり見ない一文が入っている。文化的・社会的に許容された慣習である場合は診断しない、というただし書きだ。この一行の重さは、実際に土を食べる人たちの歴史を読んだあとだと、まったく違って見える。同じカオリンの粉を、同じ量、同じ頻度で口にしていても、それが南部の家族の中で受け継がれてきたなら慣習であり、都市部のアパートで一人でやっていれば病気になる。行為は同一で、判定は文脈で決まる。医学がここまで露骨に社会的判断を診断基準に組み込んでいる領域は、そう多くない。そしてこの一行があるからこそ、白人のカオリン業者が黒人の隣人を「無知な連中」と嘲った歴史を、医学が繰り返さずに済んでいる面もある。基準の中に、過去の反省が化石のように埋まっている。
ベゾアール万能薬伝説の顛末も、同じ角度から読み直すと味わいが変わる。あれは単なる「昔の人は迷信深かった」という笑い話ではない。むしろ、ある種の実証精神が働いていた記録として読むべきだ。パレは王の前で、明確な理屈を述べている。毒はそれぞれ作用機序が違うのだから、単一の解毒剤があらゆる毒に等しく効くことは、自然の理に反する。この論理は、今日の薬理学に照らしてもまったく正しい。彼はその推論を検証するために実験を提案し、条件を設定し、結果を観察し、剖検までして機序を確認した。得られた所見は胃底部が焼き鏝で焼かれたように黒く乾いていた、というもので、そこから彼は毒物を昇汞と同定している。これは十六世紀の中毒学として、驚くべき水準だ。
同時に、この実験は取り返しのつかない倫理的な破綻でもある。実験台にされたのは、銀の皿を二枚盗んだ料理人だった。彼は同意した。だがその同意は、絞首台と天秤にかけられた同意である。そして彼が七時間の苦悶の末に叫んだのは、こんなことなら絞首台のほうがましだった、という言葉だった。方法論として正しい実験が、人の扱いとして最悪でありうる。この二つは両立してしまう。医学史がずっと抱えてきた矛盾が、この一場面に凝縮している。
もうひとつ考え込まされるのは、ベゾアールと粘土という「二つの万能薬」が、まったく違う運命をたどったことだ。ベゾアールは、動物の体内で偶然できた結石という、極めて希少で高価な商品だった。百頭に一頭からしか採れず、金の十倍で取引され、王家の宝物庫に収まった。一方のテッラ・シギッラータは、島の地面を掘れば出てくる粘土で、印章を捺して品質を保証する仕組みまで整えられ、大量に流通した。前者は権力の象徴になり、後者は日用の薬になった。そして現代の目で薬効を判定するなら、皮肉なことに、安いほうの粘土に軍配が上がる。ドイツの死刑囚が生き延びたという記録も、粘土の吸着能を考えれば、単なる幸運とは言い切れない。粘土鉱物には実際に毒物や病原体を吸着する能力があり、その延長線上に現代の整腸薬がある。人類が数千年かけて、土という最も安価な物質から見つけ出した効能は、宝石として飾られた結石より、たぶんずっと本物だった。地面を舐めるという、いちばん原始的に見える行為の中に、いちばん確かなものがあった。この逆転は、なんというか、ちょっと痛快である。
現代側の宿題も残っている。異食という行動は、当事者が最も隠したがる症状のひとつだ。研究者たちが繰り返し書いているのは、患者が医師に自分から話すことはほぼない、という事実である。恥ずかしいから言わない。言っても信じてもらえないと思うから言わない。そもそも病気だと思っていないから言わない。結果として、鉄欠乏という単純な原因で説明できる例が、何年も見逃される。だからこの分野の臨床家たちは、たった一つの実務的な提言に収斂していく。氷のことを聞け、そして鉄を考えろ。問診票に一行足すだけで拾える人が、実際にかなりの数いる。医学の進歩というと新しい機械や薬を思い浮かべがちだが、この領域で最も効果があるのは、氷を噛む癖はありますか、と口に出して尋ねる、その一手間だったりする。日本の柿胃石の症例報告が、揃って「嗜好品の問診を丁寧に」と結んでいるのも、まったく同じ構造だ。CTでも内視鏡でもなく、最後は会話が診断を決める。
そして症例報告を読み進めるほど強まるのは、これは「奇病」の話ではないという感覚だ。庭に柿の木がある、それだけで人は胃の中に三百五十グラムの石を育てる。冷蔵庫に製氷機がある、それだけで人は一日中氷を噛む。祖母が玄関先で白い土を食べていた、それだけで習慣は三世代を渡る。施設に置き去りにされ、食事も与えられず、訴えを誰も聞かない、それだけで人は自分の胃をスプーンで満たす。どの症例にも、大げさな異常性はない。あるのは、ありふれた環境と、ありふれた身体の反応と、ありふれた感情だけだ。異常なのは人ではなく、その組み合わせが偶然噛み合ったときの帰結のほうである。
だからこの話の締めくくりに、化け物じみた語り口は要らないのだと思う。腹から二百六十三枚の硬貨が出てきたとき、そこにあるのは怪物ではない。十年間、誰にも打ち明けられずに硬貨を飲み込み続けた一人の人間と、それを引き受けた六人の医師と、五キロの金属の重みで骨盤まで垂れ下がった胃がある。レントゲンに写った光の粒の一つ一つに、飲み込まれた瞬間があり、その瞬間ごとに理由があった。理由は本人にも説明できないことが多い。それでも確かにあった。カササギが巣に光るものを運ぶのを見て、昔の人がその名を病に付けたのは、案外いい直感だったのかもしれない。あの鳥も、なぜ運ぶのか自分では説明できない。ただ、光るものを見ると、どうしても運んでしまうのだ。
