イギリスのある家のリビングで、ソファに沈み込んだまま何週間も動かなかった女の子が、ふっと目を開けたことがあった。母親が慌てて駆け寄る。娘は母親の顔を見上げて、五歳児みたいな高い声でこう言った。
「ママ、私、死んでるの?」
背筋が冷えるだろ。でもこれ、怪談じゃない。医学的に名前のついた病気の、ごくありふれた一場面なんだよな。クライネ・レビン症候群。通称「眠り姫症候群」。数日から数週間、下手すると数か月ぶっ通しで眠り続け、たまに起きても現実感がなく、狂ったように食べ、性的な抑制が外れ、そして目覚めたときにはその期間の記憶がまるごと消えている。しかも発作が終われば、何事もなかったかのように完全に正常に戻る。ここが一番おそろしい。
## 「眠り続ける病」はおとぎ話じゃなく、カルテの上に載っている
まず前提として、この病気は本当に稀だ。推定有病率は百万人あたり一人から五人。国によっては五十万人に一人という古い数字も出回っているけど、いずれにせよ「一生のうちに一人も診ない医者のほうが多い」レベルの希少疾患だ。世界中の医学文献をかき集めても、報告例は数百件から千件そこそこしかない。
発症は圧倒的に十代に集中している。研究によっては八割強が二十歳になる前に発症したと報告されていて、平均発症年齢はだいたい十五歳前後。男性が多く、男女比はおおむね二対一から三対一。つまり典型的な患者像は「中学生から高校生くらいの男の子」なんだけど、世間のイメージが「眠り姫」なのは、たぶん報道されやすいのが若い女性の症例だったからだと思う。実態はむしろ「眠り王子」のほうが多い。
発作一回の長さは平均で十日から十二日ほど。間隔は平均三か月から六か月。病気そのものの持続期間は中央値でおよそ十三年、長い人だと二十年を超える。十五歳で発症したら、二十代を丸ごとこの病気に食われるということだ。ある大規模研究では「十四年の経過のうち、通算で約八か月ぶん完全に無力化されていた」と計算されていた。八か月。人生から八か月、切り取られて捨てられる。
## 1786年、フランスの医師が書き残した「眠りと痙攣の病」
この病気の記録をどこまで遡れるかは、医学史のちょっとした遊びになっている。よく最古とされるのが、1786年にフランスのエドメ・ショヴォ・ド・ボーシェーヌが記した観察記録だ。タイトルを訳すと「睡眠障害を伴う神経疾患の観察――あるときは嗜眠的、あるときは痙攣的」みたいな感じになる。要するに「やたら眠りこける発作と、それに伴う異常な状態を繰り返す患者がいる」という報告で、当時は当然クライネもレビンも生まれてすらいない。
十八世紀のフランスといえば、革命の直前。医学はまだ体液説の残り香を引きずっていて、「眠りすぎる病」を説明する枠組みなんかどこにもなかった。だからこの記録は、症状の羅列としてだけ残った。それでも「周期的に眠りこけ、その間まともじゃなくなる若者」という像はもう出来上がっていたわけだ。
そのあと1815年に発熱後に大食と長時間睡眠を来した若い男の症例、1862年にはブリエール・ド・ボワモンが同種の症例を記述している。文献によっては「最初の明確な症例報告は1862年のブリエール・ド・ボワモン」と書かれることも多い。どこを起点にするかは書き手の好みで、この曖昧さ自体が「この病気は近代医学がずっと取りこぼしてきた」ことの証拠でもある。
## 1925年フランクフルト、ヴィリー・クライネが並べた五人の患者
名前の前半になったのが、ドイツ・フランクフルトの神経科医ヴィリー・クライネだ。1925年、彼はドイツの精神医学・神経学の月刊専門誌に「周期性嗜眠症」と題した論文を発表した。五人の患者について、発作的にどうしようもなく眠り込み、しばらくすると元に戻るというパターンを丁寧に並べてみせた。
クライネがやったのは、要するに「バラバラに報告されていた奇妙な症例を、同じ棚に並べ直す」という作業だ。これがめちゃくちゃ重要で、病気というのは名前がついて初めて研究対象になる。それまでは「怠け者」「ヒステリー」「詐病」で処理されていた若者たちが、この論文以降ようやく「患者」になった。
面白いのは、クライネの時代のドイツが、ちょうど嗜眠性脳炎の流行の後始末をしていた時期だということだ。第一次大戦の前後、ヨーロッパから世界中に広がった嗜眠性脳炎は、大量の「眠り続ける人間」を生み出した。オリバー・サックスが後に『レナードの朝』で描いたあの病気だ。眠りこける患者が街にあふれていた時代だからこそ、「周期的に眠る若者」というパターンに医者の目が向いた、という見方もできる。
## ニューヨークの精神科医マックス・レビンが見つけた「もう一つの症状」
名前の後半、マックス・レビンはニューヨークの精神科医だ。1929年ごろから同種の症例を報告しはじめ、1936年には権威ある英国の神経学専門誌に「周期性嗜眠と病的飢餓――新しい症候群」と題した論文を発表した。
レビンが付け加えた決定的な一点が「病的飢餓」、つまり異常な過食だ。ただ眠るだけじゃない。起きているわずかな時間に、常軌を逸した食べ方をする。冷蔵庫を開けて手当たり次第に詰め込む。味なんかどうでもよくて、とにかく口に運ぶ。生の食材だろうが調味料だろうが構わない。この「眠り」と「食」がセットになっている点を強調したことで、症候群としての輪郭がはっきりした。
ちなみにレビンは症例を集める中で、患者が発作中に見せる精神症状――ぼんやりした表情、疎通の悪さ、統合失調症に似た言動――にも注目していた。ここが後に「デリアリゼーション(現実感喪失)」として整理される部分で、実は眠気より本質的な症状かもしれない、という現代の見方につながっていく。
## 1942年、クリッチリーが軍の中に見つけた同じ顔つき
病名を「クライネ・レビン症候群」として定着させたのは、イギリスの神経学者マクドナルド・クリッチリーだ。1942年、彼はホフマンと連名で英国医師会雑誌に「周期性嗜眠と病的飢餓の症候群(クライネ・レビン症候群)」と題した論文を発表した。タイトルの括弧書き、これが病名の公式デビュー戦みたいなものだ。
この論文が書かれたのは第二次大戦の真っ最中で、クリッチリーは海軍の軍医として大量の若い男性を診る立場にいた。戦時下の軍隊というのは、皮肉なことに「同年代の男性を大量に一箇所に集めて健康状態を管理する装置」でもある。だから稀な病気が一定数まとめて見つかる。彼は十一例を自ら診察し、既報の十五例をレビューして症候群の枠組みを整えた。
さらに1962年、クリッチリーは特徴を四つに絞り込んでいる。思春期発症であること、過食を伴うこと、性行動の異常を伴うこと、そして自然に寛解すること。この四点セットは今でも教科書に載っている。ただし「性欲亢進が必須」という部分は現代では緩められていて、実際には半数程度の患者にしか見られない。
## 発作のスイッチは、たいてい風邪みたいな何かだ
じゃあ何が引き金なのか。ここも不気味なんだよな。というのも、発作の直前に「ごく平凡なこと」が起きているケースが圧倒的に多いからだ。
大規模研究のデータでは、発作の誘因として最も多いのが感染症で七割超。うち四分の一は発熱や風邪症状を伴っている。次いで飲酒が約二割、睡眠不足が約二割、強いストレスが二割、激しい運動が二割弱。つまり「風邪をひいた」「徹夜した」「飲みすぎた」「試験前で参っていた」――誰でも年に何度も経験することが、この病気の人にとっては数週間の消失のトリガーになる。
後で紹介するイギリスのベス・グッディアは、扁桃炎のあとに発症している。ありふれた喉の炎症。抗生物質を飲んで治ったはずなのに、そこから人生が変わった。この「日常の側から刺してくる」感じが、この病気の怖さの半分を作っていると思う。
## 起きているのに、起きていない――現実感喪失という中核症状
一般には「ずっと寝ている病気」と説明されるけど、専門家が本当に注目しているのは覚醒時のほうだ。百八人を系統的に調べた研究では、発作中の症状のうち百パーセントの患者に見られたのが「過眠」「認知障害」、そして「デリアリゼーション(現実感喪失・知覚変容)」だった。過食は六割強、性欲亢進は五割強にとどまるのに、現実感喪失は全員。つまりこれが本体だと言っていい。
患者本人の言葉が生々しい。ある人は「すべてが霞んでいて、霧の向こうにあるようだった」と語った。別の患者はこう言っている。「カップをわざと割ってみた。ちゃんと割れるかどうか確かめたかった。割れれば、世界がまだ普通だってわかるから」。
世界が壊れたのか、自分が壊れたのか、それを確かめるためにコップを割る。この一文だけで、この病気がどれだけ孤独なものか伝わってくる。しかも本人は発作が終わるとその記憶をほとんど失う。だから「あのとき自分がどれだけ怖かったか」を、後から自分で振り返ることすらできない。
約三分の一の患者には幻覚や妄想も出る。四人に一人は抑うつや不安を抱える。統合失調症と誤診されて抗精神病薬を出されたケースも珍しくない。診断がつくまで何年もかかるのが普通で、後述する日本の女性は診断まで三十三年かかっている。
## 冷蔵庫が空になる。見境がなくなる。抑制が全部外れる
過食のエピソードはどれも常軌を逸している。一回の発作で四キロから五キロ体重が増えるのはざら。一日に六食から八食、三キロから十数キロ増えたという報告もある。しかもこれ、「おいしいものを食べたい」という欲求とは違うらしい。冷蔵庫の前に立って、機械的に、無表情で、手当たり次第に口に入れる。家族が止めても止まらない。
性欲亢進も同じ構造だ。男性に多く、報告では男性患者の六割近く、女性患者の三分の一程度に見られる。普段は品行方正な高校生が、発作中だけ露骨な言動をする。これが家族にとって一番きつい症状だという声は多い。本人は覚えていない。覚えていないから謝ることもできない。家族の側だけが記憶を抱えて残される。
医学的には、視床下部あたりの機能異常――食欲・性欲・睡眠を司る場所――がまとめて壊れることで説明されている。発作中の脳画像研究では視床の血流低下が繰り返し確認されていて、発作の合間には正常に戻る。つまり脳の「調光スイッチ」が定期的に落ちる病気だと考えられている。
## ベス・グッディア――十六歳の扁桃炎から始まった十年
イギリスで最も知られた患者が、ベス・グッディアだ。十六歳のとき扁桃炎にかかり、治ったはずなのに授業中どうしても目を開けていられなくなった。母親は当時のことをこう振り返っている。「あの子は起きていようと必死にもがいていた」。二週間ほどして、ベスはリビングのソファで眠りに落ち、そのまま戻ってこなかった。
診断がついたのはクライネ・レビン症候群。以後、彼女の人生は「眠っている時間」と「起きている時間」に切り分けられた。二十二歳の時点で、直近五年間の約七十五パーセントを眠って過ごしていたと報じられている。ある発作は二か月半続いた。数か月単位で眠り続けたと伝える記事もある。
怖いのは、起きているときの様子だ。目を開けても彼女は二十代の彼女じゃない。五歳児のような口調になり、意味の通らないことを言い、母親に「ママ、私死んでるの?」と尋ねる。混乱していて、支離滅裂で、そして大量に食べる。そして発作が明けると、その数か月ぶんの記憶はきれいに消えている。彼女は十七歳の一年をまるごと失った、と語っている。
学校は診断後まもなく諦めた。仕事にも就けない。いつ発作が来るかわからないから、アルバイトの面接すら受けられない。友人たちは進学し、就職し、先へ行く。彼女だけが同じ場所に置き去りにされる。それでも調子のいい時期には運動をし、恋人と一緒に動画で自分の状態を記録していた。母親は「この病気を抱えるすべての人に心を寄せている。とくに娘に。娘を誇りに思う」と語っている。
## 六十四日間眠り続けた少女――ニコール・デリエンの記録
アメリカ・ペンシルベニア州のニコール・デリエンの名前も、この病気を語るうえで外せない。彼女は十代のとき、十一月のある晩に眠りについて、次に本格的に目覚めたのは翌年の一月だった。実に六十四日。もちろん完全な昏睡ではなく、途中でぼんやり起きてトイレに行ったり何かを食べたりはする。だが本人にその記憶はほとんどない。
彼女は平均して一日十八時間から十九時間眠っていたと報じられている。クリスマスも新年も、家族の誕生日も、片っ端から抜け落ちた。楽しみにしていたケイティ・ペリーのコンサートも発作で行けなかった。この話が全米に広まったあと、ペリー側が彼女を楽屋に招いたというエピソードがついている。こういう小さな救いがあると、逆に失われたものの大きさがくっきりする。
他にも実名で報じられた患者は多い。二週間単位で眠り込んで試験も家族旅行も逃した十五歳のルイーザ・ボール。最長十日眠るという十七歳のクレア・オニール。テニスの有望選手だったのに九年近くこの病気に人生を削られたアラナ・ウォン。二十代半ばで一週間単位の発作に襲われていた慈善団体職員のナタリー・ホイランド。さらに、姉妹そろって十代で診断された初めての例として知られるダニ・ファーバーとアリエル・ポレグ。二人が同じ病気を抱えているというのは、遺伝的な素因を示唆する例としても注目された。
## 「別人が乗り移った」と家族が言う理由
家族の証言を集めていくと、判で押したように同じ言葉が出てくる。「あの子じゃなかった」「別の何かが入っていた」。
これは比喩というより、観察の忠実な記述だと思う。表情が消える。声のトーンが変わる。年齢相応の語彙が失われて、幼児退行する。目線が合わない。名前を呼んでも一拍遅れて反応する。そして数週間後、何事もなかったかのように元の人格が戻ってくる。もし民間伝承の時代にこの病気を目撃したら、憑依としか解釈しようがない。
ある母親の証言が印象に残っている。娘が発作中に自分を見る目つきが、まるで見知らぬ大人を値踏みするようだったという話だ。娘の身体に別の誰かが座って、こちらを観察している。その感覚に耐えられず、部屋を出て泣いた。数週間後に発作が明けたとき、娘はその期間のことを何も覚えていなくて、母親が泣いた理由すら理解できなかった。
別の家族はこう語っている。発作中の息子は真夜中に起きてきて、無言で冷蔵庫の中身を食べ尽くし、また部屋に戻って寝る。その動きが人間の動きじゃなかった。目が開いているだけで、そこには誰もいなかった、と。
三例目として挙げたいのが、患者本人の側の語りだ。ある回復した患者は、発作中の記憶を「ビデオテープの真ん中を切り取られたような感じ」と表現した。切り取られた部分に何があったかは家族が教えてくれる。自分がやったらしいこと、言ったらしいこと。だがそれは他人の話としてしか入ってこない。「自分の身体を使って、自分じゃない誰かが数週間生活していた」――この感覚と一生付き合っていくことになる。
## 発作の合間、患者は完全に正常だ。それが一番残酷なところ
この病気の診断がここまで遅れるのは、発作の合間が完璧に正常だからだ。病院に行こうと思う頃には発作が終わっていて、診察室に座っているのはどこにでもいる普通の若者。血液検査は正常、MRIも正常、脳波もせいぜい軽い徐波化。除外診断の塊なので、医者は「思春期の怠け」「うつ」「詐病」「薬物」を先に疑う。
このラグが患者と家族を追い詰める。学校からは「サボり」と見なされ、親戚からは「甘やかしすぎ」と言われ、時には親のほうが「育て方が悪い」と責められる。実際、発作中の患者を病院に連れて行っても「寝かせておいてください」以上のことは言われないケースが多い。入院が必要になることは基本的にない、というのが標準的な考え方だからだ。
寛解は多くの場合、自然に訪れる。思春期に発症した人の大半は三十歳前後までに落ち着き、六年間発作がなければ治癒と見なされる。だが「いつか終わる」と言われることは、十代の当事者にとってほとんど慰めにならない。その「いつか」までの十年が、まるごと青春だからだ。
## 日本にもいる。診断まで三十三年かかった女性の話
日本語の情報はまだ少ないが、当事者の発信はある。よく紹介されるのが、四歳という異例の早さで発症し、三十七歳でようやくクライネ・レビン症候群と診断され、四十五歳で寛解したという女性の経歴だ。診断まで三十三年、寛解まで四十一年。数字を見るたびにちょっと言葉を失う。
四歳発症ということは、彼女は物心ついたときからこの病気と一緒だったわけだ。幼稚園でも小学校でも中学でも、周期的に「起きられない子」になる。当時の日本にこの病気の知識がある医者がどれだけいたかを考えると、たらい回しにされた年月の長さは想像がつく。国内では過眠症の患者会が情報発信をしていて、日本での認知は少しずつ広がってはいる。
専門医の解説では、過眠期の状態を「冬眠に近いメカニズムが働いているようだ」と表現することがある。冬眠。恒温動物が代謝を落として季節をやり過ごす、あのシステムの残骸が人間の脳にも眠っていて、それが誤作動している――そう言われると急にSFめいてくる。もちろん確立した説ではない。ただ、この病気を前にすると医者ですらそういう比喩に手を伸ばしたくなる、ということでもある。
## 百八人を洗い直した研究が示した、地味だが重い事実
2008年、フランスとアメリカの研究チームが百八人の患者を系統的に調べた論文を発表した。この分野では今も基準になっている仕事だ。
そこで示された数字がなかなか重い。発症年齢の平均は十五・七歳。発作の平均持続は十二・五日。発作の間隔は平均五・七か月。病気全体の持続期間の中央値は十三・六年で、男性のほうが長い(男性十七年、女性九年)。そして性欲亢進を伴う患者はさらに長く、二十一年を超える。成人発症例では二十二年以上というデータもある。
遺伝的背景の示唆も出ている。ユダヤ系(とくにアシュケナージ系)の割合が期待値の六倍という偏りがあり、家族内発症も約五パーセント弱で見つかった。出生時・発達期のトラブルを抱えていた率は患者三十四パーセント対対照七パーセントで、六倍以上の差がついた。ウイルス感染との関連も繰り返し指摘されていて、EBウイルス、水痘帯状疱疹ウイルス、インフルエンザA、アデノウイルスなどの名前が挙がる。染色体三番のLMOD3遺伝子との関連を報告した研究もある。
ただ、どれも決定打じゃない。この病気は今も「原因不明」の欄に置かれたままだ。
## リチウムしか効かない。しかも効くとは限らない
治療の話は正直かなり寂しい。発作を止める薬はなく、発作を予防できる可能性がある唯一の薬がリチウムだ。研究では二割から四割の患者に効果があったとされる。逆に言えば、半分以上には効かない。しかもリチウムは甲状腺や腎臓への副作用があり、血中濃度の管理が要る薬だ。十代に長期投与する判断は簡単じゃない。
覚醒薬のモダフィニルやメチルフェニデートは眠気をいくらか和らげるが、発作そのものは短くしない。行動面の問題を悪化させることもある。アマンタジンが比較的マシで四割ほどに部分的な効果があったという報告もあるが、これも決定的じゃない。抗うつ薬は予防効果なし。電気けいれん療法はむしろ悪化させる。
結局、現場でいちばん役に立っているのは薬ではなく環境調整だ。発作中は安全な場所で寝かせておく。無理に起こさない。運転などの危険な行為をさせない。学校や職場に病気を説明して、単位や勤務の扱いを事前に決めておく。親が「これは怠けじゃない」と腹をくくることが、実は治療と同じくらい重要だと言われている。
(当然ながら、ここに書いたのは読み物としての整理で、診断や治療の代わりにはならない。心当たりがあるなら睡眠を専門にする医療機関に行ってほしい。)
## ネットではこう語られている――「冬眠する人間」というロマンと現実
この病気、ネットではだいぶ歪んだ形で流通している。「一日十八時間寝られるとか羨ましい」「俺も眠り姫症候群かもしれない」といったノリの投稿は定期的にバズるし、まとめサイトでは「眠り続ける美少女」的な文脈で消費されがちだ。実際の患者の多くが十代男子で、発作中は無表情で冷蔵庫を漁っているという事実は、そこではきれいに省略される。
一方で、当事者や家族が自分の言葉で発信するアカウントも増えてきた。発作の周期をカレンダーで記録して公開している人、発作明けに「今回は十八日だった」と淡々と報告する人、家族が発作中の様子を(本人の同意を得たうえで)動画に残す人。彼らが共通して言うのは「羨ましがられるのが一番つらい」ということだ。
考察界隈では別の反応も見られる。「これって浦島太郎じゃないか」「神隠しの正体はこれでは」という結びつけだ。医学的には牽強付会だが、話としては面白い。実際、周期的に眠り込んで数週間後に別人のように戻ってくる人間を、近代医学の外側にいた社会がどう説明していたかを考えると、憑き物筋や神隠しの伝承にこの手の症例が紛れ込んでいた可能性は、そこそこ真面目に検討する価値がある。
## 眠り姫、浦島太郎、七人の眠り男――物語の側から見ると
世界中の民話には「長期間眠って戻ってくる人間」の話が異様なほど多い。ヨーロッパの眠り姫、リップ・ヴァン・ウィンクル、エフェソスの七人の眠り男、日本の浦島太郎。共通するのは、眠っていた本人にとって時間が失われていることと、周囲との時間差が悲劇を生むことだ。
クライネ・レビン症候群の患者が語る感覚は、驚くほどこの構造に近い。数か月眠って目を覚ましたら、友人は進学していて、家族の会話には知らない話題が混ざっている。自分だけが去年の続きを生きている。浦島太郎が玉手箱を開けたときの絶望を、彼らは発作のたびに小規模に味わっているとも言える。
もちろん因果関係を主張するつもりはない。ただ、「長く眠る人間の話」が世界中で語り継がれてきたのは、実際にそういう人間がごく稀に存在したからだ、という説明はけっこう魅力的だ。物語のほうが病気より先にあったのか、病気のほうが物語を生んだのか。この順番を確かめる方法はもうない。
## なぜこの病気は、こんなに人を怖がらせるのか
最後に、この病気の怖さの構造を分解しておきたい。
一つ目は、意識の連続性が切れることだ。人間は「昨日の自分と今日の自分は同じ」という前提で生きている。この病気はその前提を定期的に破壊する。数週間ぶんの自分が存在しない。その間に自分の身体は動いていて、食べて、喋って、何かをやらかしていたのに、記憶がない。他人から自分の行動を伝聞で教えられる。これは幽体離脱よりよほど不気味な事態だ。
二つ目は、周囲から見た「入れ替わり」だ。同じ顔、同じ身体、違う人格。ドッペルゲンガーやチェンジリング(取り替え子)の伝承が長く生き延びてきたのは、人間が「見た目は同じなのに中身が違う」という事態に本能的な恐怖を持っているからだと思う。この病気は、その恐怖を家庭のリビングで実演する。
三つ目は、予測不能性。次の発作がいつ来るかわからない。だから予定が立てられない。結婚式も入試も就職面接も、発作と重なったら終わり。生活の全部が「たぶん大丈夫だと思うけど」の上に組み立てられる。
四つ目、そして一番残酷なのが、発作の合間の完璧な正常さだ。ずっと具合が悪いなら、周囲も本人も「病人」として腹をくくれる。でもこの病気は、九割の時間はまったく健康な人間として生きさせてくれる。健康な自分を知っているからこそ、それを奪われる瞬間が耐えがたい。希望と喪失を交互に配る仕組みになっている。
眠り姫の物語では、王子のキスで目が覚めて、そこでめでたしめでたしになる。現実のほうには王子もキスもない。あるのは、目を覚ましたあと「今何月?」と聞くところから始まる、ごく地味なやり直しだけだ。
ここまで書いてきて、この病気の一番の異様さは症状そのものじゃなくて「時間の扱われ方」にあるんじゃないかと思うようになった。
普通の病気は、身体のどこかが壊れる。痛みが出る、動かなくなる、数値が狂う。だがクライネ・レビン症候群が壊すのは臓器じゃなくて、人生の連続性そのものだ。発作のあいだ、身体は健康そのものと言っていい。心臓は動き、内臓も血液も問題ない。壊れているのは「そこに誰かがいる」という状態のほうだ。医学がこの病気をずっと取りこぼしてきたのも、そのせいだと思う。近代医学は基本的に「壊れた部品を特定する」ゲームだから、部品がどこも壊れていない病気には手も足も出ない。1786年の記録から二百四十年経っても原因が不明のままなのは、単に研究が足りないだけじゃなくて、この病気が近代医学の得意な形をしていないからだ。
もう一つ、この病気を追っていて何度もぶつかったのが「記憶を持っているのは誰か」という問題だ。発作中の出来事を、患者本人は覚えていない。覚えているのは家族と友人と、たまたま居合わせた他人だけ。つまりその数週間の当事者は、本人ではなく周囲なんだよな。この非対称は相当きつい。家族は、本人が知らない本人の姿を、一生抱えて生きることになる。冷蔵庫を漁る姿、幼児のような声、性的に逸脱した言動。それを見なかったことにはできないし、本人に共有することもできない。だから患者本人よりも、家族のほうが長く傷を持つことがある。「別人が乗り移った」という言い方が繰り返し出てくるのは、その傷を表現する語彙が憑依しかないからだと思う。医学用語の「デリアリゼーション」も「行動退行」も、家族の見たものを言い表すには冷たすぎる。
発見史を並べ直してみると、面白い偏りも見えてくる。1786年のフランス、1862年のブリエール・ド・ボワモン、1925年のフランクフルト、1936年のニューヨーク、1942年の戦時下イギリス。どれも「若い人間が大量に一箇所に集められ、その健康状態が管理される社会」が成立した場所と時期に対応している。寄宿学校、軍隊、都市の病院。散らばっていれば見つからない稀な病気が、集団管理の網に引っかかって初めて可視化される。逆に言えば、それ以前の何千年か、この病気の患者たちは全員「よく寝る変わり者」か「憑かれた者」として処理されていたはずだ。名前がついたのは、たかだか百年前。それまでの患者は、記録の外側で一人ずつ眠っていた。
ネットでの消費のされ方についても、もう一言足しておきたい。「羨ましい」という反応は無神経だが、無理解ゆえの無神経だけとも言い切れない気がする。現代人が慢性的に睡眠を削って生きているからこそ、「強制的に眠らされる」という状態が反転してユートピアに見えてしまう。労働と時間に追われる感覚が、この病気の輪郭を歪ませて受け取らせる。だから当事者が「羨ましがられるのが一番つらい」と言うとき、そこにはこの病気の孤独が二重に効いている。症状で孤独になり、誤解でもう一度孤独になる。
最後に、この病気が示している一番不穏な事実を書いておく。人格というのは、どうやら思っているよりずっと薄い膜の上に載っている。視床下部と視床のあたりの機能が一時的に落ちるだけで、その人らしさ――語彙も、羞恥心も、自制も、時間感覚も――は数週間まとめて消える。そして機能が戻れば、何事もなかったように帰ってくる。つまり自分という感覚は、脳のごく限られた場所が正常に働いていることの副産物にすぎない。この事実を、クライネ・レビン症候群は数週間おきに、当事者の家のリビングで淡々と証明してみせる。おとぎ話の眠り姫が百年眠って美しいままだったのは、物語がそこを直視しなかったからだ。現実の側では、眠っているあいだも人生は勝手に進んでいくし、目を覚ましたときには誰も王子ではなく、ただ「今、何月?」という質問だけが宙に浮いている。
クライネ・レビン症候群――目を覚ました娘は、もう娘じゃなかった
