深夜二時。台所から音楽が聞こえてくる。誰もいないはずの台所からだ。
しかも曲がまた妙に懐かしい。子どもの頃に教会で歌わされた讃美歌だったり、小学校で習った童謡だったり、若い頃にさんざん聞かされた軍歌だったりする。同じところが何度も何度も繰り返される。壁の向こうから聞こえる気もするし、天井から降ってくる気もする。とにかく「頭の中」ではない。「部屋の中」で鳴っている。本人はそう感じる。
だから当然、音源を探しに行く。テレビを確認する。ラジオを確認する。裏口を開けて外を覗く。玄関を開けて道を見る。どこにもない。それでも音楽は鳴り続けている。
これが音楽幻聴だ。英語圏ではミュージカル・イヤー・シンドロームと呼ばれている。難聴の高齢者にわりとよく起きる。そして本人以外には絶対に聞こえない。ここから先は、その話をひたすら掘っていく。
深夜、家じゅうを歩き回って音源を探した八十四歳の話
イギリスのリバプールに、キャス・ガメスターという女性がいた。二〇一二年に取材を受けたとき八十四歳。孫のいるおばあちゃんだ。彼女に音楽が聞こえ始めたのは二〇一〇年のことだった。
その日の始まりはごく普通だった。夜、いつも通りベッドに入って眠った。そして朝、目を覚ました。目を覚ました瞬間には、もう音楽が鳴っていた。
彼女がまず思ったのは、隣の家だろう、ということだった。隣のあの人がレコードをかけているんだろう、と。だってずっと鳴り続けているんだから。人が生活していれば音楽くらいかける。何もおかしくない。おかしくないはずだった。
ところが曲が終わらない。正確には、一曲終わると次の曲が始まる。それも終わると、また次が始まる。延々とだ。さすがに変だと思って、彼女はベッドから出た。裏口のドアを開けて外に出た。音楽は鳴っている。今度は玄関から出て、道に出て、あたりを見回した。音楽は鳴っている。どこで鳴っているのか。誰がかけているのか。彼女は本気で探した。いったいどこから聞こえてくるんだろう、そればっかり考えていた、と本人が語っている。
聞こえていた曲の顔ぶれが、また身も蓋もなくその人の人生そのものだった。イギリス国歌の「ゴッド・セイヴ・ザ・クイーン」。葬儀の定番讃美歌である「アバイド・ウィズ・ミー」。リバプールというサッカーの街だから「ユール・ネヴァー・ウォーク・アローン」。そしてクリスマスの「きよしこの夜」。国歌と讃美歌とご当地の歌とクリスマスソング。まるで彼女の記憶の棚から、誰かが適当に引っ張り出しているみたいだ。
彼女は彼女なりに抵抗した。掃除機をかけた。掃除機の音でかき消そうとしたわけだ。それでもだめなときは、音楽に向かって「うるさい、黙って」と怒鳴った。相手は自分の脳なので、黙るわけがない。彼女自身は、妹を亡くしたあとに処方された抗うつ薬がきっかけだったんじゃないかと考えていた。実際、薬が引き金になる音楽幻聴の報告はいくらでもあるので、まったく的外れな見立てというわけでもない。
最終的に彼女は、高齢者精神医療を専門とするニック・ウォーナーという医師にたどり着く。この人はあとでまた出てくる。ウォーナー医師は言った。あなたは正気だ。これは音楽幻聴という現象だ、と。
彼女の反応が、この話でいちばん好きなところだ。重い病気じゃないんだから、むしろ喜ばなきゃと思うことにした。そして同じ症状で苦しんでいる人たちに向けて、こう言い残している。あんまり気に病まないで、できるだけ人生を楽しみなさい、と。
「隣がラジオをつけっぱなしなんです」と苦情を言いに行った人たち
ここまでなら、ちょっと不思議で、ちょっといい話で終わる。でも音楽幻聴の厄介さは別のところにある。音が「外」から聞こえるという点だ。
方向がある。距離がある。壁の向こう、床の下、屋根裏の奥。だから本人にとって、それは自分の内側の出来事ではなく、近所で起きている迷惑行為になる。
アメリカの難聴支援の現場に寄せられた実例が生々しい。あるマンションに、八十歳くらいの、長年ほとんど耳が聞こえていない男性が住んでいた。彼はここ数年、音楽が聞こえると訴えるようになった。彼の理解では、それは隣の住人が夜通しかけている音楽だった。しかも隣人は自分に敵意を持っていて、嫌がらせでやっているに違いない。彼はそう確信した。夜のマンションは静まり返っていて、他の住人は誰ひとりその音楽を聞いていない。それでも彼は諦めなかった。法律事務所の事務員まで巻き込んで、音楽をやめさせろと要求し続けた。管理組合は完全にお手上げになった。
もっと痛ましいのが、九十歳の男性の話だ。娘の配偶者にあたる女性が事情を書き残している。彼はアパートに一人で住んでいて、耳は年々遠くなっていた。老年精神科で検査も受けたが、認知症ではなかった。ただ、一人でいるとき、とくに真夜中に、大音量の音楽が聞こえる。
彼の解釈はこうだった。階下の大家が、自分が横になるタイミングを正確に見計らって、音量を最大にしている。だから彼は午前三時に階下へ降りていって、大家のドアをノックした。音楽を止めてくれ、と。家族が何度か立ち会っている。彼が「今、鳴っている」と言ったとき、その場にいた誰にも何も聞こえなかった。さらに彼は、大家が床を振動させる装置まで持っていると信じていた。
これも笑い話にしてはいけない。音楽幻聴の人のかなりの割合が、音と一緒に振動を感じると報告している。聴覚と触覚、二つの感覚が同じことを言ってくるのだ。その状況で「気のせいですよ」と言われて納得できる人間が、いったいどれだけいるだろう。
八十二歳の未亡人のケースもすごい。彼女は自宅の二階から物音が聞こえるようになった。彼女の理解では、それは住み着いたホームレスだった。夜になると家に入ってきて、階段を上がって、二階で何かを動かしている。姿は見たことがない。話しかけられたこともない。でも音は毎晩する。彼女は鍵を交換した。それでも音は続いた。もう一度鍵を交換した。それでも続いた。二度警察を呼んだ。警察は家じゅうと敷地をくまなく捜索した。誰もいなかった。
外から見れば、この人たちは「被害妄想の高齢者」に見える。でも順番が逆なのだ。妄想があって音が生まれたのではない。音が本当に聞こえていて、その音に対して極めて合理的な推論をしただけなのだ。足音が階段を上がっていくなら、誰かが上がっている。音楽が階下から来るなら、階下の誰かがかけている。論理は完璧だ。前提だけが偽なのである。
ドイツで報告された九十二歳の女性の例も同じ構図だった。彼女は元気な一人暮らしで、精神科の既往はなかった。復活祭のころに転倒し、その後から歌や音楽が聞こえるようになった。とくに夜だ。彼女は警察を呼んだ。近所の人が音楽をやめてくれない、という理由でだ。聞こえていたのはクリスマスソングと、それから若い頃に耳にしたきり何十年も聞いていなかったナチス時代の歌だった。何十年も思い出さなかった歌が、脳のどこかにきちんと保管されていて、しかも本人の意思とは無関係に再生される。この不気味さは、幽霊よりよほど不気味かもしれない。
なお彼女の場合は結末がある。右の外耳道に異物が詰まっていた。それを取り除いて感染を治療し、少量の薬を併用したところ、六週間後には「音楽が遠くなって、小さくなった」と本人が言うようになった。半年後には症状は消えていた。耳の穴を塞いでいた小さなものひとつで、九十二歳の家に警察が呼ばれていたわけだ。
耳が遠くなると、脳は自分で音楽をこしらえ始める
なぜこんなことが起きるのか。いちばん素直な説明はこうだ。脳が退屈しているから。
もう少し真面目に言い直す。人間の脳の聴覚をあつかう領域は、常に耳から信号が届いていることを前提に設計されている。ところが加齢性の難聴が進むと、その信号がどんどん細くなる。届くはずのものが届かない。すると、その回路は黙って眠るわけではないのだ。むしろ逆で、感度を上げる。上げて上げて、それでも入力が来ないと、今度は自前で出力を作り始める。しかも真っさらな音を作るのではなく、手持ちの在庫を使う。在庫とは記憶だ。だから流れるのは、その人が人生のどこかで覚えた曲になる。
面白いのは、この現象が静かなときほど激しくなることだ。周囲が騒がしいと弱まり、静かだと強まる。夜中がいちばんひどい理由がこれで説明できる。誰かと会話しているあいだは止まる、という報告も非常に多い。実際に外から音が入ってくると、脳は自作自演をやめて、そっちを処理しに行くわけだ。
さらに残酷なくらい示唆的なのが、聞こえ方の質だ。難聴の人が幻聴で聞く音楽は、しばしば「昔と同じようにちゃんと聞こえる」。こもってもいないし、小さくもないし、高い音域が欠けてもいない。実際の耳ではもう聞き取れない周波数まで、幻の音楽ではきれいに鳴っている。当たり前といえば当たり前だ。その音は耳を通っていないのだから。壊れた再生装置を経由せず、記憶の原本がそのまま再生されている。
急に両耳の聴力を失った人を追った研究がある。突発的に両側の高度感音難聴になった三十二人に「音がしていないのに音楽が聞こえたことはあるか」と尋ねたところ、全員が「ある」と答えた。全員だ。しかも、そのうち二人を音楽が聞こえている最中に脳の血流画像で調べたところ、聴覚記憶に関わるとされる領域の血流が明らかに増えていた。純音を聞かせた健常者の脳で見られるのと似たパターンだった。つまり脳は、本当に「聞いて」いる。入力がないだけで、処理は完全に走っている。
オランダのユトレヒトで行われた大規模な調査も、この現象がぜんぜん珍しくないことを教えてくれる。聴力検査に来た十八歳から九十二歳までの千七人に、過去四週間で幻聴があったかを聞いた。難聴のある人では十六・二パーセント。難聴のない対照群では五・八パーセント。しかも難聴が重いほど率は上がり、最重度の群では二十四パーセントに達した。内訳は声が約五割、音楽が約三割六分、呼び鈴や電話が約二割四分。つまり耳が遠い高齢者の四人に一人が、何かしら聞こえないはずの音を聞いている計算になる。
ただ、ほとんどの人はそれを誰にも言わない。言えば頭がおかしいと思われるからだ。
目のシャルル・ボネ、耳のシャルル・ボネ
視力を失った人に鮮明な幻視が現れる現象には、古くからシャルル・ボネ症候群という名前がついている。見えない人が、見えないはずのものを見る。人物、模様、風景。本人はそれが実在しないと理解している。
音楽幻聴は、その耳バージョンとして理解されることが多い。聴覚性シャルル・ボネ症候群、という呼び方が日本の医学文献にも定着している。構図が本当にきれいに対応しているのだ。感覚の入り口が塞がる。その感覚を担当する脳の領域が入力不足になる。抑制が外れる。記憶や過去の知覚痕跡が勝手に立ち上がってくる。視覚なら映像として、聴覚なら音楽として。
この対応関係を、ほとんど残酷なくらい鮮やかに見せてしまった症例がある。レビー小体型認知症と加齢性難聴を持つ七十一歳の男性だ。彼はある時期から音楽幻聴に悩まされるようになった。合唱、民謡、童謡、有名な讃美歌、それにサッカーの応援歌まで聞こえた。彼は最初、外で誰かが音楽をかけているのだと思っていたが、やがて自分の脳の中で起きている奇妙な出来事だと理解した。耳鼻科にかかったところ、加齢性難聴と診断され、両耳に補聴器を処方された。
補聴器をつけた。音楽は消えた。耳鳴りだけが残った。ここまでは成功例だ。
ところが同じタイミングで、彼はそれまで一度も経験したことのなかった幻視を見るようになった。あちこちに小さな蜘蛛が見えるようになったのだ。聴覚の穴を塞いだ瞬間、幻覚は視覚のほうへ引っ越した。感覚のうち、いちばん弱っている入り口から幻覚が漏れ出す。その仮説を、これ以上わかりやすく示す例はなかなかない。
入力が切れた回路は、何をするのか
このメカニズムには専門用語がある。デアフェレンテーションだ。求心路遮断、と訳される。末梢からの感覚入力が失われることを指す。
手足を切断した人が、もう存在しない手足の痛みを感じる幻肢痛。あれと同じ理屈が聴覚でも起きる、と考えると腑に落ちやすい。神経は入力を失うと過敏になる。除神経性過敏という現象だ。感度を上げすぎた回路は、やがてノイズを信号と取り違えるようになる。そしてその「信号」に、脳は意味を与えようとする。ノイズに意味を与えるとき、脳が引っ張り出すのは自分の中にあるパターン、つまり記憶だ。
もうひとつ、よく併記される考え方に「解放現象」がある。ふだん高次の領域は下位の自動的な活動を抑え込んでいる。入力が減ってバランスが崩れると、その抑えが外れる。抑え込まれていた音楽記憶のネットワークが自走を始める。だから音楽が「解放される」。日本語の文献では解放性幻覚仮説という言い方がされる。
近年はもう少し込み入った説明も出てきている。視床と皮質のあいだのリズムの異常。脳が何を重要とみなすかを決める顕著性ネットワークの関与。あるいは、脳は常に「次に来る感覚」を予測していて、入力が乏しいと予測のほうが暴走して知覚になってしまう、というベイズ的な枠組み。どれも一長一短で、決着はついていない。
末梢の要因もある。人工内耳の患者を大量に調べたフランスの研究では、音楽幻聴を経験する群のほうが、難聴の発見も、リハビリの開始も、埋め込み手術も、有意に若い年齢で起きていた。つまり最初から難聴が深かった人ほど起きやすい。さらに、幻聴が人工内耳を入れた側の耳に偏る例、プロセッサの電源を入れたときに幻聴がオン・オフする例、どうにもならず最終手段として人工内耳を摘出した例まで報告されている。中枢だけの話でもなければ、末梢だけの話でもない。両方が絡んだ複合現象だというのが、今のところ穏当な理解だ。
一八四四年のフランスから、二十一世紀のオランダまで
この現象、実はかなり昔から医学の記録に残っている。
最初の医学的記述とされるのが、フランスの精神科医ジュール・バイヤルジェによるものだ。年代は資料によって一八四四年とも一八四六年とも書かれる。いずれにせよ、フランス王立医学アカデミーの紀要に載った幻覚についての論文の中にある。同じ十九世紀には、ドイツのヴィルヘルム・グリージンガーが精神病理学の教科書で関連する記述を残している。フランスのエマニュエル・レジスが一八八一年に音楽性の幻覚に言及した、という整理もある。
耳の病気と発作、そして幻聴を結びつけた早い例として面白いのが、一八八三年に神経学の専門誌に載ったオーメロッドの論文だ。「てんかんと耳疾患の関係について」という題で、この二つはしょっちゅう同居するじゃないか、と述べている。彼が記載したのは六十一歳の女性で、長年の難聴とてんかんを持っていた。難聴が進み、耳鳴りが強くなるにつれて、彼女は言葉、人の名前、街の物音、そして歌を聞くようになった。十九世紀の時点で、耳が悪くなった人が音楽を聞き始めるという事実は、もう見つかっていたわけだ。
現代的な整理をしたのはケンブリッジのジャーマン・ベリオスだ。一九九〇年、英国精神医学誌に「音楽幻聴 歴史的および臨床的研究」を発表した。自験例十例に、文献から集めた三十六例を足した四十六例を分析している。結論はこうだ。音楽幻聴は女性に圧倒的に多い。年齢、難聴、そして非優位半球の脳病変が発症に重要な役割を果たす。一方で精神疾患や性格の要因は関係していなかった。この「精神疾患は関係ない」という一行が、その後の見方を決定づけた。一九九二年にはケシャヴァンらが別の総説を出し、一九九〇年代を通じて症例報告が積み上がっていく。
二〇〇五年には、この分野で最大級の症例集積が出る。南ウェールズのセント・カドックス病院で、ヴィクター・アジズとニック・ウォーナーの二人が十五年かけて診た三十例をまとめたものだ。題名が最高で、「讃美歌とアリア ウェールズの高齢者における音楽幻聴」という。平均年齢は七十八歳。女性が多い。三分の二では、音楽幻聴以外に精神的な異常はまったくなかった。三分の一が難聴だった。
そして曲目だ。三分の二が宗教曲。三十人のうち六人が同じ讃美歌「アバイド・ウィズ・ミー」を聞いていた。葬儀でよく歌われる曲だ。ほかには「エビータ」の「アルゼンチンよ、泣かないで」、童謡の「三匹の目の見えないねずみ」、古い流行歌の「バナナはありません」まであった。アジズはこう言っている。今の世代は一日じゅう音楽に浸かって生きているのだから、この現象はこれから増えるはずだ、と。そして、自分が二十年後にそれを自分の身で確かめられるくらい長生きしたいものだ、と。
二〇一五年には神経学の専門誌に、文献と自験例を横断した大規模なレビューが出た。神経疾患群、精神疾患群、脳の構造的病変群、薬物群、分類不能群、という切り分けで整理したものだ。神経疾患群の平均年齢は六十四歳、七割強が女性。曲は宗教曲か愛国歌、そして子ども時代を思い出させるものが多かった、と明記されている。そして、この群では病識が保たれないことがしばしばある、とも書かれている。近所が音楽をかけすぎているのだと確信して、隣家のドアを叩いて回り、時には相手を困らせるまでになる患者がいた、という記述がそこにある。
そして二〇一八年から二〇一九年にかけて、先に触れたユトレヒトの千七人調査が出る。ここで初めて、客観的に測定された難聴の程度と幻聴の頻度の関係が、大きな標本で示された。一八四四年から数えて、およそ百七十五年かかっている。
なぜ讃美歌なのか、なぜ軍歌なのか、なぜクリスマスソングなのか
音楽幻聴のいちばん不思議なところは、レパートリーだ。
新しい曲はほとんど流れない。流れるのは、その人が人生の早い時期に、繰り返し繰り返し聞かされた曲ばかりだ。讃美歌。クリスマスキャロル。国歌。軍歌。童謡。校歌。お経。ある調査では、幻聴として聞こえる音の五割強が讃美歌とクリスマスソングと愛国歌で占められていた。
理由を考えると、けっこう納得がいく。これらの曲には共通点がある。まず、子どものときに覚えている。脳が音の型を吸収するのにいちばん貪欲だった時期の記憶だ。次に、単純で反復が多い。旋律の骨格がはっきりしていて、覚えやすく、崩れにくい。そして三つめ、これが大事だと思うのだが、大勢で一緒に歌っている。教会で、学校で、式典で、行進で。個人的に「聞いた」曲ではなく、身体を使って「歌った」曲なのだ。運動として体に入っている記憶は強い。
もうひとつ、感情の重みがある。葬儀でしか歌わない讃美歌。戦争の時代にしか歌わなかった歌。クリスマスの朝。そういう曲は、記憶の中でただの音の並びではなく、場面や匂いや人の顔とセットで保管されている。脳が引っ張り出しやすい形で束ねられている、と言ってもいい。
ここに、この現象の切なさがある。難聴が進んで、世界がだんだん静かになっていく。その静けさを埋めるために、脳が持ち出してくるのが、五歳や十歳や二十歳のときに覚えた曲なのだ。人生でいちばん最初に覚えた音楽が、人生の最後のほうでいちばん大きく鳴る。
オリヴァー・サックスが『音楽嗜好症』で紹介したミセス・オコナーの話が、この点を象徴している。アイルランド出身の八十代の女性で、一九七〇年代、ブロンクスのカトリック系の老人ホームで暮らしていた。ある夜、彼女は音楽で目を覚ました。女性の声がアイルランドのバラードを歌っていた。あまりに大きいので、なぜ同じ部屋の他の人たちが起きてこないのか理解できなかった。彼女はベッドから出て、ラジオかレコードを止めようとした。何もついていなかった。そこで彼女は、音が自分の頭の中にあることに気づいて、ぞっとする。
彼女はサックスに二つ質問した。なぜこんなことが起きるのか。そして、頭の中で歌っているこの人は誰なのか。声はどこか懐かしかった。彼女は幼くして母を亡くしていて、母の記憶を意識の上ではまったく持っていなかった。それを彼女はずっと悲しみとして抱えていた。サックスは、自分はロマンチストなので、と前置きしたうえで、こう伝えた。あなたは八十八歳にして、実際にお母さんの歌声を聞くという、めったにない機会を得ているのかもしれません、と。
科学的に正しいかどうかは別の話だ。サックス自身、後年には同じことは言わないだろうと述べている。それでも、脳の記憶の底に沈んでいた音が浮かび上がってくるという現象を、これほど人間的に受け止めた言葉はない。
とおりゃんせ、般若心経、夕焼小焼
日本の医学文献にも、この現象は着実に記録されている。そして曲目が、あまりにも日本だ。
二〇一四年に脳神経の専門誌に載ったのは、八十三歳の右利き男性の例だ。三年前から難聴を自覚していた。ある日、突然「とおりゃんせ」が聞こえるようになった。あの童謡である。行きはよいよい帰りはこわい、のあれだ。それだけでは終わらなかった。童謡だけでなく、民謡が聞こえるようになり、軍歌が聞こえるようになり、君が代まで聞こえるようになった。脳血流の検査では右の側頭葉と頭頂葉で血流が低下し、左の側頭葉と頭頂葉で血流が増加していた。発作性の吐き気や頭重感もあったことから側頭葉てんかんが疑われ、抗てんかん薬のカルバマゼピンを一日二百ミリグラム投与したところ、音楽幻聴は軽くなり、吐き気と頭重感は消えた。報告者はこれを、聴覚性シャルル・ボネ症候群による音楽性幻聴と推定している。
二〇一八年に耳鼻科系の学会で報告されたのは、八十歳の女性だ。二十年前から左耳の「ジー」という耳鳴りがあった。最近その耳鳴りが大きくなり、加えて般若心経が聞こえてくるようになって受診した。認知症の既往はあったが、意思疎通に問題はなく、説明も理解できた。難聴を伴う耳鳴りだったので、薬は使わず補聴器による音響療法だけを行った。補聴器を試着した直後から音がよく聞こえるようになり、耳鳴りも改善し、般若心経を唱える声は聞こえなくなった。装用から半年以上経っても再発していない。薬を一錠も使わずに、お経が止まったわけだ。
同じ施設の別の報告では、二〇一一年から二〇一九年にかけて耳鳴りを主訴に受診した患者のうち、音楽性の耳鳴りを訴えた十例がまとめられている。年齢は五十六歳から八十八歳、平均七十五歳。男性四例、女性六例。全例で音楽だけでなく雑音性の耳鳴りも自覚していた。全例で病識が保たれていて、実際には音楽が流れていないことを全員が理解していた。聞こえていたのは童謡、メロディー、歌、お経といった「知っている旋律」が八例。残る二例は、なんと自分で作った曲だった。脳が新曲を書いていたことになる。
いちばん物語として奇妙なのは、二〇〇二年に始まった七十五歳の女性の例だ。彼女は脳血管の病気で入院した夫の見舞いに、毎日病院へ通っていた。その病院では、毎日夕方五時に、近くの町役場から童謡の「夕焼小焼」が流れてきた。子どもの合唱にオーケストラの伴奏がついたものだ。八月四日の夕方、彼女は自宅の台所にいた。そこで突然、「夕焼小焼」が聞こえた。彼女はすぐにおかしいと気づいた。五時ではなかったし、家は病院からかなり離れていたからだ。旋律は本物と同じだったが、オーケストラの伴奏だけがなかった。
ここからの展開が壮絶だ。彼女はその曲を止めようとして、別の歌を歌った。すると、自分が歌った歌が幻聴のレパートリーに加わった。もう一曲歌うと、それも加わった。最終的に、彼女の頭の中では複数の歌が決まった順番で延々と流れるようになった。しかも伴奏として、聞いたこともない「おはやし」がついた。「夕焼小焼」の声色は、いつのまにか子どもの合唱から彼女自身の声に変わっていた。他の曲の声色は、彼女自身か、ラジオやテレビでよく聞いた有名歌手の声だった。曲のテンポはだんだん速くなり、速くなりきると次の曲に移った。抗てんかん薬も抗うつ薬も六か月間効かず、中止された。発症から一年後、音量が下がり、短い静寂を味わえるようになった。二年後には、一日の半分だけの症状になっていた。
この人は難聴もなく、脳にも異常が見つからなかった。特発性の音楽幻聴という診断だ。そして、防ごうとして歌った歌が、そのまま敵の兵力に加わっていくという展開が、正直かなり怖い。
統合失調症の幻聴とは、決定的に違う
ここは強調しておきたい。音楽幻聴は「頭がおかしくなった」ことのしるしではない。
決定的な違いが二つある。ひとつは中身だ。精神疾患の幻聴の中心は、人の声である。それも、自分についてあれこれ論評してくる声、命令してくる声、悪口を言ってくる声。つまり幻聴に「意図」がある。誰かが自分に向かって何かを言っている、という形をとる。音楽幻聴はそうではない。基本的に歌と旋律だけだ。誰も自分に話しかけてこない。誰も自分を評価しない。ただ曲が鳴っているだけだ。
もうひとつは病識だ。日本の症例集積では、報告された全例で病識が保たれていた、と繰り返し書かれている。つまり本人が「実際には鳴っていない」と理解できている。最初は外から鳴っていると思う。でも、家じゅうを探し回った末に、あるいは家族に「何も聞こえないよ」と言われた末に、多くの人は理解する。これは自分の中で起きていることなのだ、と。理解したうえで、それでも聞こえ続ける。だから厄介ではあるけれど、現実検討力は壊れていない。
ここが臨床的にきわめて大事なところで、音楽幻聴を訴える高齢者に反射的に抗精神病薬を出すのは、たいてい良い手ではない。実際、複数の報告で、抗精神病薬は無効だったのに補聴器で消えた、抗てんかん薬で消えた、あるいは説明を受けただけで気にならなくなった、という経過が記録されている。
トルコで報告された八十七歳の女性は、一か月間コンサートが鳴り続けていると訴えて神経内科を受診した。最初は隣の部屋から聞こえていると思っていたが、家族に聞こえていないことに気づいて混乱した。抗精神病薬を五十ミリグラム投与しても症状は変わらなかった。そこで薬を中止し、本人と家族に幻覚の性質を説明したうえで、補聴器で聞こえを最大化し、環境を音で豊かにするよう勧めた。それで彼女は落ち着いた。薬をやめたら良くなった、というオチである。
ただし、ここには落とし穴もある。ユトレヒトの調査では、難聴のある人の幻聴のうち、およそ半分が「声」だった。音楽は三分の一程度にすぎない。つまり「音楽が聞こえるなら難聴由来、声が聞こえるなら精神疾患」という単純な線引きは成り立たない。難聴の人だって声を聞く。だから内容だけで判断するのは危険で、そもそも聴力を測るというごく当たり前の手順が抜けていることのほうが、はるかに大きな問題なのだ。
耳鳴りとの境目はどこにあるのか
音楽幻聴と耳鳴り。この二つは地続きなのか、別物なのか。これがけっこう面白い論点だ。
日本の耳鼻科の一部は、はっきり「音楽性耳鳴」という言葉を使う。つまり耳鳴りの一種として扱う。理由は明快で、患者が単一の症状として訴えてきて、病識が保たれていて、難聴が主因で、しかも補聴器による音響療法で改善するからだ。だったら耳鳴りの延長として耳鼻科医が診るのが筋だろう、という主張である。実際、音楽性耳鳴を訴えた症例のほぼ全例で、音楽だけでなく雑音性の耳鳴りも同時に自覚していた、という報告がある。両方あるなら、同じ土俵の話じゃないか、というわけだ。
一方で、人工内耳の大規模研究は逆の立場をとる。あの研究では、患者たち自身が音楽幻聴と耳鳴りを明確に区別していた。耳鳴りは「聞こえの邪魔になるもの」として体験されるのに対して、音楽幻聴は聴取能力をさほど損なわなかった。さらに、耳鳴りには補聴が第一選択として効くのに、音楽幻聴に対しては補聴器も人工内耳も効いたり効かなかったりだった。だから音楽幻聴は、幻聴の分類の中で独立した項目として扱うべきだ、と結論している。
たぶん実際は連続体なのだと思う。入力が減った聴覚系が自前で信号を作る、という点では同じ現象で、その信号がどれくらい構造化されるかの違いなのだ。単純な信号なら「ピー」という耳鳴りになる。もう少し構造が入るとザーザーいう雑音になる。さらに構造が入って、記憶の型と噛み合うと、メロディーになる。声になることもある。オランダの研究者たちも、単純な幻聴と複雑な幻聴は同じスペクトラム上の別の現象で、デアフェレンテーションという共通の機序を持つのかもしれない、と書いている。
頭の中でぐるぐる回る曲とは、何が違うのか
ここで多くの人が思うはずだ。それって、あの曲が頭から離れないやつと同じでは、と。
違う。英語圏でイヤーワームと呼ばれる、あの「頭の中で曲が回り続ける」現象は、人口の八割以上が経験する、まったく病気ではない体験だ。ドイツ語のオールヴルム、つまり耳の虫が語源になっている。十五秒から三十秒くらいの断片が、ループするサウンドトラックみたいに繰り返される。不快なことは基本的にない。
決定的な差は場所だ。イヤーワームは「頭の中」にある。本人は最初からそれを自分の思考の一部として体験している。外から鳴っているとは思わない。だから隣の家に苦情を言いに行く人はいない。音楽幻聴は「部屋の中」にある。方向があり、距離がある。ある人はそれを、肩越しに、すぐそこで鳴っている感じだと表現した。サックスも同じことを言っていて、いったん経験すれば、これが頭の中の曲ではないことは即座にわかる、と述べている。
二〇一八年に発表された、二百七十人を対象にした比較調査がこの直感を数字にした。音楽幻聴を持つ四十四人と、そうでない二百二十六人を比べたところ、幻聴群のほうが、頻度は低く、制御しにくく、歌詞が含まれにくく、なじみのある曲である度合いも低かった。反復性もイヤーワームより低かった。つまり音楽幻聴は「イヤーワームの重症版」ではない。別の生き物なのだ。音楽の専門教育を受けた人ほど音楽幻聴が少ない、という妙な結果も出ている。
イヤーワームと音楽幻聴のあいだには、音楽強迫という別のものもある。強迫性障害の一部として現れる、頭から離れない曲だ。これは病識があって、不快で、時間を奪う。強迫性障害の人のおよそ四割が生涯のどこかで音楽幻聴的な体験をする、という推計もある。
整理すると、内側で回るのがイヤーワーム、内側で回って苦しいのが音楽強迫、外から鳴っているように感じるのが音楽幻聴、ということになる。ただ、この境界も研究者によって引き方が違う。人間の体験は、分類の都合を気にしてくれない。
どこからともなくオルガンの音が聞こえる、という古い話
さて、ここからが本題かもしれない。
「誰もいない場所から音楽が聞こえる」という話は、医学の記録より圧倒的に古い。それは怪談として語られてきた。しかも世界中で、判で押したように同じ形をとっている。無人の教会からオルガンが聞こえる。無人の屋敷から演奏が聞こえる。近づくと止む。中には誰もいない。
イングランドのヘレフォードシャーに、アヴェンベリーという村がある。ここの教会は十九世紀末から二十世紀初めにかけて、幽霊が出ると評判だった。中に誰もいないはずの時間に、オルガンの音が聞こえるのだ。地元の男が民俗研究者に語った話が残っている。ブルックハウスに兄弟が住んでいて、兄は善人で、教会で定期的にオルガンを弾いていて、みんなに好かれていた。弟はろくでなしで、働きもせず、兄に金をせびってばかりで、誰にも好かれていなかった。ある晩、二人は小川にかかる橋の上で殴り合いになり、片方がもう片方を殺した。それで話は終わらなかった。以来、夜になるとオルガンが鳴るようになった。灯りもなく、人もいないのに。道の上からでも聞こえた。何十人もが一度は聞いている、と男は言った。
あんまり激しいので、牧師が殺人の起きた時刻に合わせて橋の上で悪魔祓いをした。三本立てた蝋燭のうち二本が消えて、牧師は汗を鼻から滴らせながら必死に祈った。三本目が明るく燃え上がって、儀式は成った。それで音楽が完全に止まったわけではない、と男は付け加えている。ただ「音楽から痛みが抜けた」。近所の人はもう気にしなくなった。でも、事情を知っている余所者は暗くなってから近寄らなかったし、知らずに来た者はひどく怯えた。
ノーフォークのウィゲンホールにある聖マリア教会の話も似ている。一九八六年の地方誌の記事が伝えるところでは、この教会には幽霊の姿は出ない。出るのは音だ。名手が弾いているとしか思えないオルガンの調べが聞こえる。しかし調べに行くと誰もいない。ただしオルガンは温かかった、という。熱が出るのがこの家の怪異の特徴で、ある結婚式では参列者が耐えがたいほど暑くなり、ブライズメイドの一人が失神した。外は肌寒い秋だったにもかかわらず、である。オルガン自体もときどき言うことを聞かなくなり、奏者が演奏を諦めることがあった。それが二、三日すると何事もなかったように完璧に鳴る。修繕に入った職人たちは、オルガンが勝手に鳴り出したのに仰天して逃げ出し、なだめすかしてようやく戻ってきた。
アメリカにも同型の話は山ほどある。チャールストンの聖フィリップ教会では、夜明け前に無人の教会からオルガンが聞こえるという証言が繰り返されている。ある堂守は、午前七時の礼拝の準備のために五時半に到着したところ、見事なオルガンの演奏が教会からあふれ出しているのを聞いた。オルガニストがずいぶん早く来たんだな、と思った。中に入ると、音楽は数秒間だけ続き、それから旋律の途中でぷつりと切れた。オルガンの椅子は空だった。確認すると、オルガンの電源は切れていた。
こういう話には、ほぼ必ず「悲劇の音楽家」がセットでついてくる。かつてここで弾いていた人。志半ばで死んだ人。生前の務めを果たし続けている魂。物語として非常によくできている。よくできているからこそ、警戒したくもなる。
音楽室のピアノ、日本側の伝承
日本には日本の型がある。学校の怪談だ。
国際日本文化研究センターの怪異・妖怪伝承データベースには、この手の話が大量に登録されている。一九九九年に栃木県宇都宮市西刑部町で採集された中学生の話は、単純明快だ。夜のある時刻を過ぎると、中学校の音楽室のピアノが勝手に鳴り出す。それだけ。一九八六年に東京都の私立高校で語られていた話はもう少し具体的で、音楽室が二つある校舎で、三階の音楽室に行こうとして二階の音楽室の前を通ったら、誰もいないのにピアノの音が聞こえてきた、というものだ。一九九〇年の神奈川県横浜市の中学校でも、夜になると誰もいない音楽室からピアノが聞こえた。同じ話が別の小学校では七不思議の一つに数えられていて、そこでは用務員が不審に思って音楽室に行くとピアノの音が止み、近づいてみると鍵盤に血がべっとりついていた、という尾ひれがつく。
一九九六年に栃木県で採集された話は、もっと映画的だ。山奥の分校で、先生が夜遅く見回りをしていると、十二時ごろ音楽室からピアノの音が聞こえてきた。音楽室に行くと、急にやんだ。おかしいと思って見張っていると、またピアノが鳴り始めた。弾いていたのは、血のついた手首だった。翌日、古株の先生に尋ねると、昔その音楽室で手首を切って死んだ人がいるのだ、と教えられた。
民俗学者の松谷みよ子が集めた記録には、一九四九年ごろの群馬大学学芸学部の講堂で、真夜中にピアノの音が聞こえるようになった話がある。鳴らしていたのは死んだ女性だとされた。彼女は生前ピアノを習っていて、結核を患い、周囲に止められてもこっそり弾き続けるほどピアノが好きだった。彼女が死んだあと、そのピアノからは音が鳴るだけでなく、血が滴り、引っかき傷が現れ、鍵盤についた血の跡の通りに曲が鳴った、と語られた。
岩手県盛岡市の師範学校では、ピアノやオルガンの練習用の個室でうまく弾けないことを苦にして夜に自殺した人がいて、夜になるとその部屋に幽霊が出る、と伝えられていた。静岡県の小学校の話では、ピアニスト志望の少女が楽譜を取りに戻る途中で車に撥ねられて死に、その後、放課後の誰もいない音楽室から寂しげな曲が聞こえるようになったので、父親が音楽室の見える裏山に墓を建てた。
構造がヨーロッパの教会怪談とまったく同じなのが、笑ってしまうくらい興味深い。楽器がある。無人である。音がする。近づくと止む。そして必ず、その楽器に強い執着を持ったまま死んだ人物が物語の中心に置かれる。楽器が違うだけで、脚本は共通している。
一九九八年、ヴィック・タンディは実験室で灰色の影を見た
音の側から怪異を説明した、有名な論文がある。
ヴィック・タンディはコベントリー大学に籍を置く技術者だった。彼が働いていた医療機器メーカーの実験室は、以前は車庫だった細長い建物をつなげたもので、幽霊が出ると噂されていた。清掃員が怯えて出てきたことがあった。タンディは野良猫か製造機械のせいだろうと考えた。彼は技術屋で、実験室には酸素と二酸化炭素のボンベがあり、麻酔薬を扱うこともあった。だから何かあれば物理的な原因があるはずだ、というのが彼の基本姿勢だった。
けれど妙なことは続いた。理由のない憂鬱。突然の悪寒。同僚が、すぐ横にタンディがいると思って話しかけたら、実際のタンディは部屋の反対端にいた、ということもあった。
そして、あの夜が来る。全員が帰ったあと、タンディは一人で机に向かって書きものをしていた。だんだん気分が悪くなってきた。汗をかいているのに寒い。憂鬱がはっきり感じられる。無人になった工場のきしみやうめきは不気味だった。でも、それとは別に何かがいた。部屋には自分の机の前を通らずに入る方法はない。彼は見回した。ガスボンベも確認した。漏れはなかった。コーヒーを取りに行って戻り、また書き始めた。
そのとき、見られているという感覚が来た。左手に、人影がゆっくりと現れた。輪郭ははっきりせず、視野の周辺にあった。それでも、人が動くように動いていた。その影は灰色で、音を立てなかった。首の後ろの毛が逆立ち、部屋にはっきりとした冷たさがあった。本人の言葉によれば、自分は恐怖に打ちのめされていたと言っても言い過ぎではない、という状態だった。細部は見えなかった。彼はようやく勇気を振り絞って、そちらを向いた。向いた瞬間、それは薄れて消えた。何の証拠も残らなかったので、自分は参っているのだと結論して帰宅した。
翌日、彼はフェンシングの試合に出るところで、予備のフルーレの剣身にネジを切る必要があった。実験室の万力を使えば早いので、早めに出勤して剣身を万力にくわえ、油を探しに行った。戻ってくると、固定されていない側の剣先が激しく上下に振動していた。前夜の記憶と重なって、彼はまた一瞬ぞっとした。しかし振動する金属は、幽霊よりずっと彼の専門分野だった。
彼は考えた。剣身が振動しているなら、剣身の共振周波数と同じ速さで強弱が変化するエネルギーを受け取っているはずだ。そういう種類のエネルギーは、普通「音」と呼ばれる。周囲には雑音が多いが、その中に自分に聞こえない低周波音が混ざっていてもおかしくない。しかも音は、オルガンのパイプや、端を突き合わせた元車庫のような細長い管の中では、かなり素直に振る舞う。
そこで彼は剣身を万力ごと床に置いて、少しずつ滑らせていった。振動は大きくなっていった。部屋の中央、ちょうど机の位置で最大になった。そこを越えると小さくなり、いちばん奥では完全に止まった。定在波だ。両端の壁で完全に反射されて、どこにも進んでいかない波。半波長がちょうど部屋に収まっていて、エネルギーが中央で最大になる。彼が計算した周波数は、およそ十九ヘルツ。人間の可聴域の下限より、わずかに下だ。
エネルギー源はすぐ判明した。工場の職長に相談したところ、実験室の端にある清掃室の排気系に新しいファンを取り付けたばかりだという。ファンを止めた。定在波は消えた。
では十九ヘルツの定在波は人に何をするのか。彼は文献を調べた。十五から二十ヘルツの帯域が引き起こす症状のリストが見つかった。全身振動の症状として過換気を挙げた航空宇宙関係の報告もあった。過換気は浅く速い呼吸で、肺に残る二酸化炭素を減らす。その結果、息苦しさ、めまい、筋肉のけいれん、そして「突然死ぬのではないか」という恐怖が起きる。恐怖は交感神経を刺激し、呼吸をさらに速める。パニックが自分で自分を増幅していく。タンディの体験と符合した。
そして影のほうだ。エネルギーが最大になる腹は、机の中央の高さにあった。彼が身を起こして振り返ったとき、彼はその最大点から少し外れた場所に移動した。だから幽霊は消えた。眼球そのものが十九ヘルツ前後で共振して視野がぶれる、という説明も後に加えられた。人間は視野の周辺で明暗にだけ敏感なので、そこに現れるものが灰色になるのは何ら不思議ではない、と彼は書いている。
排気ファンの取り付けを修正した。定在波は消えた。幽霊も一緒に出ていった。この論文は一九九八年、心霊研究協会の学会誌に「機械の中の幽霊」という題で発表された。共著者はコベントリー大学の心理学者トニー・ローレンスだ。
タンディはその後、コベントリーにある十四世紀の「幽霊が出る」地下室でも測定を行っている。白魔女を名乗る二人が訪れて、感じの悪い老婦人の霊がいると確信していた場所だ。精密騒音計をスペクトラムアナライザーにつないだところ、三十八デシベル、十九ヘルツの低周波音が記録された。実験室で幽霊を出したのと同じ帯域だった。
彼は自分の論文が出たあとに寄せられた話も紹介している。ある女性は、冬になると憂鬱になり、暗い奇妙な影を昔飼っていた犬と見間違えることがよくあった。影は椅子に近づいてきて、撫でようと振り向くと消えた。息子が、椅子がラジエーターの近くにあることに気づいた。座ってみると、セントラルヒーティングのポンプの振動がはっきり伝わってきた。椅子をポンプから離したところ、女性の気分は良くなり、犬の幻影は現れなくなった。
心霊説と、その検証
こうなると当然、こう言いたくなる。幽霊屋敷の音楽なんて全部これで説明がつくじゃないか、と。
そこは慎重にいきたい。低周波音の話と音楽幻聴の話は、そもそも別の現象だからだ。タンディが説明したのは「気配」と「影」と「恐怖」であって、「メロディー」ではない。十九ヘルツの定在波は、人に讃美歌を聞かせたりしない。逆に音楽幻聴は、環境の低周波とは関係なく、静かな部屋でこそ強まる。二つは違うルートで「そこにないものを知覚する」ところに行き着いている。
しかも低周波音仮説そのものも、その後の検証で万能ではないことがわかっている。二〇〇九年に発表された「ハウント計画」は、人工的に幽霊屋敷を作る試みだった。専用のチャンバーを作り、七十九人の参加者を五十分間その中で過ごさせて、低周波音を流す条件、複雑な電磁場を流す条件、両方の条件、どちらもない条件に振り分けた。事前に「異常な感覚を経験するかもしれません」と伝えたうえで、感じたことを間取り図に記録してもらった。結果、参加者は確かに数々の異常な感覚を報告した。ただし、その数は実験条件とまったく関係がなかった。関係していたのは、側頭葉的な体験のしやすさを測る尺度の得点だった。研究者たちの結論は、いちばん無理のない説明は暗示だ、というものだった。
リチャード・ワイズマンらがハンプトン・コート宮殿とエジンバラのサウスブリッジ地下街で行った実験も似た結論に行き着いている。参加者は「幽霊が出る」と噂されている区域で、有意に多くの異常体験を報告した。しかしこの効果は、その区域の評判を事前に知っていたかどうかとは関係しなかった。代わりに、体験が起きた場所は、局所磁場のばらつきや照明の明るさといった環境要因と有意に相関していた。宮殿での実験では六百人以上が参加し、四百三十一件の異常体験が報告されたが、その三分の二は「気温の妙な変化」だった。そして「これは幽霊のせいだと思うか」という問いに「絶対にそうだ」と答えたのは、全体の四パーセント弱にすぎなかった。
つまり検証の結論は、幽霊はいなかった、でもないし、全部低周波音だった、でもない。人は、暗い場所、冷たい場所、狭い場所、評判のある場所で、身体の変調を「誰かがいる」と読み替える傾向を持っている。その傾向の強さには個人差がある。そして環境の物理的な特徴が、その読み替えの引き金を引く。それだけのことが、繰り返し確かめられている。
ネットの反応も見ておく価値がある。この種の話が掲示板やSNSに流れると、必ず二つの極が現れる。ひとつは「霊感がある人にだけ聞こえるのだ」という方向。もうひとつは「認知症の始まりだから病院へ行け」という方向。どちらも、当事者にとってはあまり救いにならない。前者は本人を神秘の側に閉じ込めるし、後者は本人を病理の側に閉じ込める。実際に必要なのは、その中間にある地味な情報だ。あなたの耳は遠くなっている。あなたの脳は入力不足で自作自演を始めている。それは病気ではないし、霊でもない。聴力検査を受けてください。補聴器を試してください。部屋を無音にしないでください。この地味な四行が届かないせいで、警察が呼ばれ、鍵が二度交換され、隣人が困り果てている。
なお、歯の詰め物がラジオを受信する、という都市伝説がある。難聴支援の現場に長く関わってきたニール・バウマンは、そういう報告を数え切れないほど聞いてきたが、証明された例は一つも知らないと書いている。彼の見立てでは、あれは音楽幻聴だ。人は「頭がおかしくなった」と認めるくらいなら、詰め物が電波を拾ったと信じるほうを選ぶ。合理化のためなら、人はいくらでも物理法則を曲げる。
三つの証言
患者の側 ― 「あの音楽がなくなったら、寂しくなると思う」
キャス・ガメスターは、結局この音楽と何年も付き合った。彼女の言葉には、諦めとも受容ともつかない独特の落ち着きがある。重い病気ではないのだから、むしろありがたく思うことにした、と彼女は言う。同じ症状の人たちには、あまり心配しすぎないで、できるだけ人生を楽しみなさいと呼びかけた。
もっと踏み込んだことを言う人もいる。ある女性は「もしこれが消えてしまったら、寂しくなると思う」と語った。難聴の人にとって、これは軽口ではない。世界の音がどんどん遠ざかっていくなかで、はっきりした音楽が鳴り続けている。しかもそれは補聴器も、イヤホンも、機械も要らない。彼女の脳の中にだけある、彼女専用の演奏だ。イギリスのブログで自身の体験を書いた聴覚障害の女性も、幻の音楽を「厄介者」と呼びつつ、同時に「自分がどれだけ音楽を愛しているかを思い出させてくれるもの」と書いている。
五年間、交響楽と大合唱を聞き続けているという人の証言はもっと強烈だ。一度も聞いたことのない音楽です、と彼女は書いている。年を追うごとに音楽は強くなっていく。彼女は集中力を保つ訓練を続け、意識を学習のほうに振り向けることで対処している。音楽は聞かない。テレビも見ない。人からはあなたの声はとても小さいと言われるが、自分の声は自分にはとても大きく響く。頭の中を音楽でいっぱいにしたまま、深い海の底に沈んでいくような感じです、と彼女は表現した。それでも付け加える。だいたいは心地よい。ただ、時々このコンサートは音がでかすぎる、と。
家族の側 ― 「私たちには何も聞こえなかった」
家族の側の証言は、方向がまるで違う。彼らが直面するのは音楽ではなく、音楽を確信した人だ。
九十歳の男性の家族はこう書いている。彼は主に一人でいるとき、しばしば真夜中に、大きな音楽を聞く。彼は階下の大家がそれをやっていると信じている。自分が横になるタイミングを見計らって音量を上げている、と。彼は午前三時に大家のドアを叩きに行った。私たちは彼が音楽を聞いているときに何度か同席しました、私たちの誰にも、何も聞こえませんでした、と家族は書いている。さらに、大家は床を振動させる機械まで持っている、と彼は信じている。
別の家族は、母親を説得するのに何か月もかかった。母親は明らかな難聴があり、数年前に補聴器を試したが、自分の声の響きが嫌で使うのをやめた。テレビの音量は爆音で、電話で話せばそれがわかる。彼女は音楽が聞こえると訴え、その音源として身内の一人を疑うようになった。屋根裏と壁にスピーカーを仕掛けて、自分を狂わせようとしている、と。娘は資料を印刷して郵送した。書籍も注文した。ようやく話を聞いてもらえるようになったと思います、というのが娘の報告だ。彼女は母親に、一日に何度か声に出して本を読むよう勧めた。それから、一日に二回、家の周りを散歩するよう勧めた。耳に違う音を入れるためだ。専門家に検査してもらって、あなたはおかしくないと言ってもらうこと、そして弟が何かをしているわけではないと納得してもらうこと。それが娘の当面の目標だった。
こうした証言に共通しているのは、家族が「嘘をついている」とも「ぼけた」とも思いたくない、という葛藤だ。そして多くの場合、正解は「どちらでもない」である。
医師の側 ― 「本人にとっては、とてもとても現実的なんです」
ニック・ウォーナーは、この現象を長年診てきた高齢者精神医療の医師だ。彼はこう説明する。音楽幻聴が起きているとき、それは本物としか感じられない。レコードプレーヤーが鳴っているように感じるし、演奏者が同じ部屋か隣の部屋にいるように感じる。本人からすれば、たぶん他の人にも当然聞こえているはずなんです、だから、とてもとても現実的なんですよ、と。
彼が診てきた症例の大半で、聞こえていたのは讃美歌とクリスマスキャロルだった。年に二例ほど、と彼は言う。治療法はない。ただ、生きていくための工夫はある。別の音楽をかけることで、幻聴に対する主導権を取り戻せたという人がいる。人に話すこと。気を紛らわせること。できることをできるだけやること。これが彼の勧めだ。
彼の同僚ヴィクター・アジズは、別の角度から大事なことを言っている。学会でこの結果を発表し始めてから、紹介されてくる患者が急増したというのだ。十五年で三十人だったのが、一年足らずで五人来ました、単に、みんなが知るようになったということです、と。つまり患者は昔から存在していた。医者が知らなかっただけであり、患者は恥ずかしくて言わなかっただけなのだ。
日本の耳鼻科医たちも同じ方向を向いている。音楽幻聴は主に精神科で扱われ、抗精神病薬や抗てんかん薬や抗うつ薬が投与されてきたが、十分な効果が得られなかったという報告が多い。一方で、耳鳴りについて詳しく説明したうえで補聴器による音響療法を行った十一例では、耳鳴りの苦痛を測る指標が有意に改善した。だから難聴が主因の音楽幻聴は、耳鼻咽喉科医が中心になって診るのが望ましい、というのが彼らの主張だ。薬より先に、説明と補聴器。医療としてはずいぶん地味だが、地味であることがこの症状の本質を言い当てている。
なぜこの現象は、怪異と結びつくのか
ここまで来て、最初の問いに戻る。なぜ「聞こえないはずの音が聞こえる」ことは、これほど霊と結びつけられてきたのか。
理由は四つくらいあると思う。
ひとつめ。音は姿を持たない。幻視なら「見えているのは誰か」を問える。人の形をしているのか、動物なのか、何色なのか。姿を問えれば正体を絞れる。ところが音には輪郭がない。オルガンの音は、オルガンを弾いている何者かの存在を示唆するが、その何者かは見えない。見えない存在を指す言葉を、人類は昔から一つしか持っていない。
ふたつめ。音は方向を持つ。ここが視覚の幻覚との決定的な違いだ。幻視は目の前にある。幻聴は「あっちから」来る。あっちに何かがいる、という空間認識をともなう。だから探しに行ける。探しに行って、何もない。この「行って、なかった」という体験が決定的なのだ。何もないのに音がするという事実が、その場所に空白を作る。空白は必ず何かで埋められる。
みっつめ。曲目そのものだ。音楽幻聴で流れるのは讃美歌でありクリスマスキャロルであり童謡でありお経である。宗教曲だ。あるいは死者を送る曲だ。「アバイド・ウィズ・ミー」は葬儀の定番であり、般若心経は言うまでもない。誰もいない部屋で葬送の讃美歌が鳴っていたら、それを霊のしわざだと解釈しない文化のほうが珍しいだろう。脳がたまたま持ち出してきた在庫が、あまりにも死者と縁の深い曲ばかりなのだ。これは偶然ではなく、幼少期の反復記憶が宗教儀礼に集中していたという、社会史的な理由による。だが体験する側にとっては、そんな理屈は関係ない。
よっつめ。起きる場面が完璧に整いすぎている。難聴で、高齢で、一人暮らしで、夜で、静かで、家が古い。怪談の舞台設定として、これ以上のものがあるだろうか。しかも音楽幻聴は静かなときほど強くなる。つまり怪談が起きやすい条件と、症状が強くなる条件が、物理的に一致している。夜中に音楽が鳴るのは、夜中が静かだからだ。それを幽霊が夜に活動するからだと解釈するのは、まったく自然な誤りである。
そしてもうひとつ、忘れてはいけない事情がある。当事者が黙るからだ。難聴支援に関わってきた人々が繰り返し書いているように、この体験をした人はまず誰にも言わない。「幻覚」という言葉が怖いからだ。言えば頭がおかしいと思われる。だから、無数の人が数十年にわたって、誰にも言わずに音楽を聞き続けてきた。医学の記録に残る症例数は、実際に起きている数の何十分の一かでしかない。
体験が語られず、しかし体験は起き続ける。そういう状況では、体験は個人の症状として蓄積されず、場所の物語として蓄積される。「あの家では音楽が聞こえる」という形でだけ生き残る。誰が聞いたのかは忘れられ、どこで聞こえたのかだけが残る。幽霊屋敷の伝承とは、たぶん、そうやって作られた部分がある。医学が名前をつけるまでの百七十年間、この現象の受け皿は怪談しかなかったのだ。
治療というより、付き合い方の話
最後に実務的なことを書いておく。
まず、聴力を測る。これに尽きる。音楽が聞こえると訴えた人に対して、真っ先に精神科の薬を出すのはたいてい遠回りだ。ユトレヒトの研究者たちが強調しているのも同じことで、幻聴の鑑別診断に難聴を入れよ、そして難聴の人には幻聴の有無を尋ねよ、と書いている。難聴は治療可能な要因だからだ。
次に、説明する。これが驚くほど効く。何人もの報告者が同じことを書いている。この現象に名前があり、原因がわかっていて、精神の病ではないと知った時点で、多くの人の症状は軽くなるか、あるいは背景に退く。不安が増幅装置として働いていたものが、外れるのだ。トルコの八十七歳の女性も、日本の八十歳の女性も、説明と補聴でおさまった。
そして、環境を音で満たす。無音を作らない。扇風機を回す。ラジオを小さくかける。人と話す。声に出して本を読む。散歩に出る。これらはどれも「脳に本物の入力を与える」という一点で共通している。脳が自作自演を始めるのは、材料が足りないからだ。材料を与えれば、たいていの場合、脳は自作をやめて外の音を処理しに行く。
そのうえで、どうにもならないほど苦痛な場合には薬という選択肢がある。抗てんかん薬が効いた報告、コリンエステラーゼ阻害薬が効いた報告、少量の抗精神病薬が効いた報告、どれもある。ただし高齢者への薬は副作用の危険が常について回るので、非薬物的な手段を先に、というのが現在の穏当な立場だ。
それから、これは治療ではないけれど言っておきたいことがある。この症状を持つ人を笑わないでほしい。彼らは嘘をついていない。彼らは正気だ。彼らの耳は、たしかに音楽を聞いている。ただその音楽が、外の世界ではなく、彼ら自身の記憶から来ているというだけの話なのだ。八十歳の人が真夜中に大家のドアを叩くとき、彼は五歳のときに覚えた歌を今夜も聞かされている。それは滑稽な話ではない。
沈黙が二重になっている、という話
ここまでの話を並べ直すと、ひとつの構図が浮かび上がってくる。音楽幻聴という現象は、脳の話であると同時に、沈黙の話なのだ。
物理的な沈黙が引き金になる。加齢性難聴で世界の音が細くなる。一人暮らしで会話が減る。配偶者を亡くして家が静かになる。夜が長くなる。この四つが重なった人の脳が、自前で音を作り始める。ここまでが生理学の話だ。だがこの現象には、もうひとつの沈黙が重なっている。社会的な沈黙だ。当事者が誰にも言わない、という沈黙である。
ニール・バウマンが二〇〇四年にミュージカル・イヤー・シンドロームという言葉を作った理由がまさにそこにあって、彼は「幻覚」という単語が持つ負の含みを外すためだけに、この呼び名を発明した。この名前なら「私はミュージカル・イヤー・シンドロームなんです」と言っても、相手はまず「頭がおかしい」とは思わない。絶対音感の話でもしているのかな、くらいに受け取る。それだけのために新語を作ったのだ。そして実際、彼が名前を与えた途端に、人々は語り始めた。名前がないと語られない体験というものが、この世にはある。
ヴィクター・アジズが十五年で三十例だったものが一年足らずで五例になったと言った話も、まったく同じ構造だ。患者が増えたのではない。患者が黙らなくなっただけである。医学統計上「稀」とされてきた現象の何割かは、こういう仕組みで稀になっている。ユトレヒトの千七人調査が、難聴のある人の一六パーセント、最重度の群では二四パーセントという数字を叩き出したとき、その数字は新しく生まれた病気の発生率ではなかった。ずっとそこにあって、誰も数えていなかったものの、初めての実測値だった。
この「語られなさ」が、怪異との結節点になる。個人の体験として語られなかった音は、場所の噂として流通する。アヴェンベリーの教会でオルガンが鳴るという話は、少なくとも十九世紀末には確立していた。ウィゲンホールの聖マリア教会でオルガンが勝手に鳴る話も、修繕の職人が逃げ出した話も、結婚式で参列者が異様に暑くなった話も、村の共有財産として繰り返し語られた。栃木の分校で血のついた手首がピアノを弾く話も、群馬の講堂で結核で死んだ女性がピアノを弾く話も、名前を持たない誰かの体験が場所に固着した形をしている。誰が最初に聞いたのか、その人が何歳で、耳がどうだったのか、いつからそうなったのか。そういう情報は物語の流通過程できれいに削ぎ落とされる。残るのは「あそこでは音楽が鳴る」という一行だけだ。
だから私は、幽霊屋敷の音楽伝承のすべてが音楽幻聴で説明できる、とは言いたくない。そんなに単純なはずがない。建物の共鳴、水道管の振動、風、隣家の音、記憶違い、単純な嘘、そして物語を面白くしたいという人間の抗いがたい欲求。要因はいくらでもある。ヴィック・タンディが見つけた十九ヘルツの定在波は、そのうちのひとつの経路にすぎない。しかもタンディが説明したのは気配と影であって、メロディーではなかった。「ハウント計画」が示したように、人工的に低周波と電磁場を浴びせても、報告される異常体験の数は条件によって変わらず、変わったのは参加者側の資質のほうだった。ワイズマンらの実験でも、噂の力より環境の物理的特徴のほうが体験の分布をよく説明した。要するに、怪異は場所の側にも人の側にも半分ずつある。
それでも、音楽幻聴を怪異史の文脈に置くことには意味があると思う。理由は、この現象が「聞こえるはずのない音が聞こえる」という体験の、いちばん純度の高い標本だからだ。姿はない。意味もない。メッセージも来ない。ただ、子どもの頃に覚えた歌が、誰もいない部屋で鳴り続ける。そこには恐怖に転じる余地も、慰めに転じる余地も、両方ある。実際、当事者の証言はこの両極に散らばっている。警察を呼んだ人がいる。大家のドアを叩いた人がいる。鍵を二度交換した人がいる。一方で、消えたら寂しくなると言った人がいる。自分がどれだけ音楽を好きかを思い出させてくれると書いた人がいる。重い病気じゃないんだから、むしろ喜ばなきゃ、と言い切った人がいる。同じ現象なのに、受け取り方でここまで変わる。
その分かれ目を作っているのが、たぶん「説明されたかどうか」なのだ。オリヴァー・サックスがミセス・オコナーに、それはお母さんの声かもしれませんね、と言ったとき、彼は診断を与えたのではなく、意味を与えていた。厳密には正しくない意味だったかもしれない。サックス自身が後年、今なら同じことは言わないだろうと述べている。だが、あの言葉を受け取ったあとの彼女にとって、頭の中のアイルランド民謡はもう恐怖ではなくなっていた。トルコの八十七歳の女性が、薬をやめて説明を受けただけで落ち着いた話も、日本の八十歳の女性が補聴器をつけただけで般若心経が消えた話も、根っこは同じところにある。この症状は、脳の入力不足と、意味の不足の、両方から成っている。片方だけ埋めても足りない。
そしてこの現象が示す、いちばん動かしがたい事実がある。人間の脳は、外の世界からの入力がなくなっても知覚を作り続けるということだ。知覚は世界から一方的に受け取るものではなく、脳が絶えず組み立てているものであって、外からの信号はその組み立てを修正する材料にすぎない。材料が減れば、組み立ては暴走する。難聴の人が音楽を聞き、視覚障害の人が模様や人物を見て、手足を失った人がない指の痛みを感じる。全部同じ話だ。レビー小体型認知症のあの男性が、補聴器で音楽幻聴が消えた途端に小さな蜘蛛を見始めたという症例は、その原理をほとんど実験のように見せてくれる。塞げば、別の穴から漏れる。
つまり、私たちが「現実」と呼んでいるものは、常にこの組み立て作業の産物である。ふだんはたっぷりの入力がそれを校正してくれているので、あまり気にせずに済んでいるだけだ。年を取って入力が減っていくと、その校正が効かなくなる。校正が効かなくなったとき、脳が引っ張り出してくるのは、いちばん古くて、いちばん繰り返された記憶だ。讃美歌。童謡。国歌。軍歌。お経。人生の最初のほうで身体に刻み込まれた音。
そう考えると、誰もいない部屋で鳴り続ける音楽は、怪異というより、その人の来歴そのものなのだと思う。何を歌わされて育ったか。どんな儀式に参加させられたか。どんな時代に子どもだったか。それが、八十年後の深夜に、本人の意思とは無関係に再生される。ドイツの九十二歳の女性が、何十年も思い出さなかった戦時中の歌を聞いたという事実は、そういう意味で非常に重い。彼女の脳は、彼女が忘れたかった時代のプレイリストを、ずっと保管していたことになる。
「聞こえるはずのない音が聞こえる」という体験を、人類は長いあいだ霊のしわざとして扱ってきた。次に低周波や電磁場のせいにする時期が来た。今は脳の解放現象として説明されている。この先また別の説明が出てくるだろう。だが体験そのものは、少なくとも一八四四年から、たぶんもっとずっと前から、まったく同じ形で繰り返されてきた。夜。無人の部屋。どこからともなく鳴り始める、どこかで聞いたことのある曲。探しに行っても、何もない。この体験の骨格は、二百年間びくともしていない。説明のほうだけが着替え続けている。
だから、もし夜中に、誰もいない部屋から古い歌が聞こえてきたら。まずは耳鼻科に行ってほしい。それでもし何も見つからなかったら、そのときは、好きなように解釈していいと思う。少なくとも、そこで鳴っている曲を選んだのは、幽霊ではなく、あなた自身の人生なのだから。
