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人は眠らないとどうなるか――11日間起き続けた高校生と、ガラス箱の中で壊れたDJ

眠らないと人間はどうなるのか。この問いに、人類は何度か真面目に答えようとして、そのたびにちょっと取り返しのつかないことになっている。

サンディエゴの高校生が自由研究のネタのために十一日間起き続け、ニューヨークの人気DJがタイムズスクエアのガラス箱で人格を溶かし、ギネスが「この記録はもう受け付けない」と手を引いた。そしてネットには、ソ連の地下施設で五人の囚人を十五日間眠らせなかったという、ものすごくできのいい完全な作り話が存在する。

この四つを並べていくと、断眠というテーマの怖さの正体がかなりはっきり見えてくる。先に言っておくと、怖いのは「眠らないこと」じゃない。眠らないと「自分」が消えていくことのほうだ。

  1. 1963年12月28日、サンディエゴの高校生が寝るのをやめた
  2. そもそもなぜ十一日なのか――破りたかった記録があった
  3. 二日目で本が読めなくなり、三日目で機嫌が壊れた
  4. 道路標識が人間に見えた日、少年は自分を有名選手だと思い込んだ
  5. 十一日目、100から7を引き続けた少年は65で止まった
  6. 記録達成のあと、彼はたった14時間46分で「回復」した
  7. 半世紀後、ランディ・ガードナーは眠れなくなった
  8. 記録を追った人々――276時間、ロッキングチェアの449時間、そして453時間
  9. 2007年、生野菜とフルーツで266時間起きたと言い張る男
  10. ギネスが「この記録はもう認めない」と言った日
  11. 1959年、タイムズスクエアのガラス箱で人格が溶けた男
  12. 蜘蛛の巣、引き出しの炎、そして葬儀屋――トリップの幻覚日誌
  13. 「みんなは俺をピーター・トリップだと思っているが、俺は違う」
  14. 断眠で起きていることの正体は「起きたまま見る夢」
  15. 眠れないまま死ぬ病――致死性家族性不眠症は別物だ
  16. 音楽教師マイケル・コークの半年
  17. 「ロシア睡眠実験」――二〇一〇年八月十日に生まれた怪談
  18. 一緒に拡散したあの画像の正体は、ハロウィンの飾りだった
  19. なぜ人はあの作り話を実話だと思ったのか
  20. ネットの反応と、地道な反証のしかた
  21. 断眠を巡る「本当にあった話」のほうが、実は気味悪い
  22. 眠らないことが怖いんじゃない。「自分」が消えるのが怖い
  23. 誰ひとり「やめろ」と言わなかった

1963年12月28日、サンディエゴの高校生が寝るのをやめた

ランディ・ガードナーは当時十七歳、カリフォルニア州サンディエゴのポイント・ローマ高校の生徒だった。クリスマス休みに入った1963年の末、彼は友人のブルース・マッカリスターとジョー・マルチアーノと一緒に、自由研究のテーマを探していた。最初は超能力でもやるかという話だったとされる。でも最終的に彼らが選んだのは、もっと単純で、もっと乱暴なテーマだった。

「人間はどれだけ眠らずにいられるのか」。

実験は12月28日に始まった。ガードナーが審判役ではなく被験者になったのは、コイントスだったという話が残っている。他の二人は交代で彼を監視し、起こし続け、記録を取る役に回った。蓋を開けてみると、この「監視役」が死ぬほどしんどい。人間は一人では起きていられないからだ。

途中から、スタンフォード大学の睡眠研究者ウィリアム・デメントが現地に入った。後に睡眠医学の巨人になる人物で、当時はまだ若手だった。健康面の管理には海軍の医師、ジョン・J・ロス中佐がついた。この二人の存在が、子供の自由研究を「人類史に残る断眠実験」に変えてしまった。

そもそもなぜ十一日なのか――破りたかった記録があった

ガードナーが目指していたのは、ホノルルのトム・ラウンズという人物が持っていた260時間という記録だった。ここ大事なところで、この実験は純粋な科学的好奇心だけで始まったわけじゃない。「記録を破る」という、ごく十代的な動機が入っていた。

1960年代初頭は、奇妙な耐久記録ブームの真っ盛りだった。ダンスマラソン、ロッキングチェアマラソン、旗竿の上に何日座り続けられるか、電話ボックスに何人詰め込めるか。ラジオ局や地元紙がこぞって取り上げ、スポンサーがつく。断眠もそのラインナップの一つだった。つまりこの実験は、医学史の出来事であると同時に、当時のポピュラー文化の産物でもある。

この背景を抜きにすると、なぜ周囲の大人が十七歳の断眠を止めなかったのかがわからなくなる。当時は「記録に挑む健全な青少年」として地元メディアに取り上げられ、むしろ応援されていた。危険だという発想自体が薄かった。

二日目で本が読めなくなり、三日目で機嫌が壊れた

後に残された記録を並べると、崩れ方にははっきりした順番がある。

二日目でもう、目のピントが合わなくなり、活字を追うのが難しくなった。やがて手の感覚で物を識別するのもあやしくなる。三日目には情緒が崩れはじめ、ガードナーは周囲に当たり散らした。ちょっとしたことでキレ、直後に泣きそうになる。本人は後年、こう振り返っている。「身体的には問題なかった。でも精神のほうがガクンと下がっていった。起きている時間が長くなるほど、どんどん怒りっぽくなった」。

四日目を越えると、記憶があからさまに抜けはじめる。何をしていたのかを忘れる。会話の途中で自分が何を言おうとしていたのか見失う。彼は後にこう表現している。「ものすごく気持ち悪かった。物を覚えていられないのが狂っていて、睡眠不足で早期アルツハイマーになったみたいな感じだった」。

この「身体はいけるのに頭だけが崩れる」という非対称が、断眠の最も不気味な特徴だ。筋肉は動く。心臓も動く。歩けるし、喋れるし、笑うこともできる。だが中身がすこしずつ別のものに入れ替わっていく。

道路標識が人間に見えた日、少年は自分を有名選手だと思い込んだ

四日目から五日目にかけて、ガードナーにははっきりとした幻覚と妄想が出る。

有名なエピソードが二つある。一つは、夕方の道路で見かけた標識を人間だと思い込んだこと。もう一つは、自分をフットボールの有名選手だと信じ込んだことだ。自分が誰かになる。このタイプの妄想は断眠で非常によく出る、と後の研究でも確認されている。

面白いのは、周囲の評価が割れていることだ。監視していたロス中佐は、気分の不安定、集中力の低下、短期記憶の障害、被害妄想、幻覚といった深刻な変化を次々に記録している。一方でデメントは、十日目にピンボールでガードナーに負けたという話を引いて、「意外に影響は小さかった」というトーンで語っていた。同じ少年を見ていてこの差だ。

後年、この食い違いは断眠研究の教訓として語られるようになった。断眠した人間は、短いテストやゲームなら意外とこなせる。アドレナリンが出て、短時間だけ覚醒度が上がるからだ。だから「大丈夫そうに見えてしまう」。実際には、周囲に見えないところで判断力と自制と人格が削られていく。

十一日目、100から7を引き続けた少年は65で止まった

最終日のテストが、この実験で一番有名な場面だ。

デメントらはガードナーに「100から7を引き続けて」と指示した。彼は93、86、79、72、と順調に進む。そして65で止まった。黙り込む。何をしていたのか忘れてしまったという。計算ができなくなったのではない。「今自分が何をやっているのか」という行動の意図が、作業の途中で蒸発した。

人間の意識は、実は「直前の自分の目的を覚えている」というギリギリの仕組みで成り立っている。そこが落ちると、人は話の途中で自分が何の話をしていたのかわからなくなる。ガードナーの「65で止まった」は、その崩壊をこれ以上ないほど簡潔に見せている。

11日と24分、合計264.4時間。記録達成後の記者会見で、彼はちゃんと受け答えてみせた。「眠らなくても悪いことは起きないと証明したかった」と語ったという。でも本人はあとでこうも言っている。「十一日目の俺は短気で、記者に食ってかかったのを覚えている。ガキだった」。

記録達成のあと、彼はたった14時間46分で「回復」した

この実験で人々を一番驚かせたのは、実は回復の早さだ。

ガードナーは実験後の最初の睡眠で、14時間46分寝た。二回目の睡眠は10時間半。一週間後、六週間後、十週間後に脳波を記録しても、目立った異常は見つからなかった。当時の一部の研究者はこれを「人間は断眠から驚くほどすばやく回復する」という証拠として受け取った。

この「すぐに元に戻った」という読みが、その後何十年も一人歩きしてしまった。断眠はリスクが低い、寝なくても何とかなる、十一日寝なくても高校生が元気に戻ったのだから、と。実際には、脳波で見えないところに何が残ったのかは、当時の技術では調べようがなかった。

半世紀後、ランディ・ガードナーは眠れなくなった

オチはここだ。

彼はのちに、二〇〇七年ごろから深刻な不眠に陥ったと語っている。当時六十代。「十年ほど前から、俺は眠れなくなった。どうしても眠れないんだ。完全にボロボロだった」。そしてこの不眠を、自分では十七歳のときのあの実験の「カルマ的な仕返し」だと表現していた。

医学的に因果関係が証明されたわけではない。六十代の不眠は珍しくもないし、四十三年前の一回こっきりの断眠を犯人にするのは苦しい。だが本人がそう感じていたことは事実だし、「健康に完全回復した少年」という物語に一つヒビを入れたのは間違いない。

彼は一貫して、自分の記録を真似するなと言い続けていた。これは重要な点だから強調しておく。この記事も断眠のやり方を書くつもりは一切ないし、長時間の断眠は循環器・代謝・精神のすべてに重いリスクを背負う行為だ。面白半分でやっていいことではない。

記録を追った人々――276時間、ロッキングチェアの449時間、そして453時間

ガードナーの264時間は、実はすぐに抜かれている。

1964年2月、フィンランドのトイミ・シルヴォ(トイミ・ソイニと表記されることもある)が276時間、つまり十一日半を記録した。1977年5月にはイギリスのモーリーン・ウェストンがロッキングチェアマラソンで449時間。そしてギネスがこのカテゴリを閉じる時点での頂点が、ロバート・マクドナルドの18日21時間――453時間40分だった。

十八日。数字を見るだけで内臓がひゅっとする。この領域に入ると、人はもはや連続した意識を保っていない。マイクロスリープという、数秒から数十秒のスイッチが勝手に入る現象が頻発するからだ。目を開けたまま脳の一部だけが眠る。本人に自覚はない。つまり長期断眠の記録というのは、厳密には「全く眠らなかった証明」にはならない。この問題も、記録認定が難しくなった理由の一つだ。

2007年、生野菜とフルーツで266時間起きたと言い張る男

2007年5月、イギリス・コーンウォール州ペンザンスのトニー・ライトが、266時間連続で起きていたと主張した。ガードナーの264時間を抜いた、というのが彼の言い分だ。

面白いのが、彼が採用していた理屈だ。ライトは生食中心の食事――ニンジンジュース、バナナ、アボカド、パイナップル、ナッツ――によって人間の脳のある部分の働きを強化でき、その結果長時間の覚醒が可能になると信じていた。彼の目的は名声でも金でもなく、自費出版した自説を広めることだったという。

しかしこの記録は公認されなかった。そもそもギネスはこのカテゴリをもう受け付けていなかったし、皮肉なことにフィンランドの276時間のほうが既に上だった。ライト側は「睡眠研究の世界ではガードナーの264時間が基準とされている」と反論したが、どちらにしろ公式記録にはならない。

この一件は、断眠記録というジャンルがどういう風に終わっていったかをよく表している。公式な審査がないから、記録は自己申告になる。自己申告だから、検証もできない。しかも主張している本人は、ちょうど判断力が一番落ちている状態にいる。

ギネスが「この記録はもう認めない」と言った日

ギネスワールドレコーズは、断眠の記録を認定するのをやめた。一九九七年以降は新規の挑戦を受け付けない方針になり、カテゴリ自体が後の版から削除された。もっと早く一九九〇年頃から健康上の懸念を理由に受付を絞っていたという話もある。

理由はシンプルで、危険すぎるからだ。ギネスは他にも、絶食や大食い系の一部、危険な少年少女の挑戦などを同じ理由で閉ざしてきた。断眠の問題は、やっている本人が自分の危険を正確に評価できなくなるところにある。判断力が落ちているのに「まだいける」と言い張る。周囲も、本人が喋っているのを見て安心してしまう。

この判断については、ギネスの編集者も複雑な心境を語っている。「睡眠は人間の本質の、絶対的な根幹部分の一つだ。これほど絶対的なものの限界に挑むことは、自分たちが何者なのかを知るうえで重要だ」という旨の発言が残っている。知りたいけど、知るために人を差し出すわけにはいかない。そのジレンマの止め方が、カテゴリの削除だった。

1959年、タイムズスクエアのガラス箱で人格が溶けた男

ガードナーの五年前、もっと惨いことになった人間がいる。ニューヨークのラジオ局WMGMの人気DJ、ピーター・トリップだ。

1959年、1月のマーチ・オブ・ダイムズ(小児麻痺の支援団体)のチャリティ企画として、彼は「ウェイクアソン」を決行した。タイムズスクエアに置かれたガラス張りのブースに入り、眠らずに番組を放送し続ける。通行人がガラス越しに彼を見物できる。このセット自体がもう充分に地獄だと思うんだよな。人間をガラスケースに入れて、壊れていくのを街の真ん中で見せものにする。

彼は結果的に201時間、およそ八日と九時間にわたって覚醒し続けた。研究者が常時付き添い、途中からは覚醒を保つための薬も使われた。最後の六十六時間は薬で支えていたと伝えられている。ここがガードナーのケースとの決定的な違いで、トリップの崩壊には薬物の影響が重なっている可能性が高い。

蜘蛛の巣、引き出しの炎、そして葬儀屋――トリップの幻覚日誌

トリップの崩れ方は、もはやホラー映画の台本みたいに進んだ。

百時間を過ぎたあたりで、彼は簡単な計算ができなくなった。アルファベットを順番に言うことすら難しくなっていた。百二十時間を過ぎると、はっきりとした幻覚が始まる。近くのホテルの部屋にシャワーを浴びに行き、着替えを取ろうとチェストの引き出しを開けたところ、中から炎が噴き出した。もちろん何も燃えていない。

テーブルの上に蜘蛛の巣が張っていると訴え、壁の中にネズミが走っていると言い出す。自分の靴の中にも蜘蛛がいると信じ込む。このあたりから、彼は番組の間だけなんとかプロの顔を保ち、マイクが切れた瞬間に崩れるという奇妙な二重生活を始める。プロ意識だけが最後まで残っていたというのは、怖いというか切ない。

決定的な場面が、葬儀屋の件だ。監視役の科学者の一人が、地味でかっちりしたスーツを着てトリップに近づいた。トリップはその姿を見て、自分を埋葬しに来た葬儀屋だと確信し、悲鳴を上げて路上に逃げ出した。タイムズスクエアの真ん中を、人気DJが、死にたくない一心で走っていく。

「みんなは俺をピーター・トリップだと思っているが、俺は違う」

終盤で起きたことが、この話の一番不気味な部分だ。

トリップは壁の時計に取り憑かれ、文字盤の中に友人の顔が見えると言い出した。そして、自分はピーター・トリップなのか、それともあの友人なのかと真剣に悩みはじめる。最後の数時間、彼は科学者たちにこう打ち明けていたという。「みんなは俺をピーター・トリップだと思っているけど、俺はピーター・トリップじゃない」。

これ、カプグラ妄想や自己同一性の崩壊と呼ばれるタイプの症状に近い。しかも彼の場合、周囲の人間ではなく自分自身が「ニセモノ」になっている。自分はピーター・トリップの役を演じている別の何かだと思い込む。この感覚はウェイクアソンが終わってからもしばらく残ったとされる。

一晩休んでトリップは見た目上回復した。だがその後の人生は座りが悪い。仕事を失い、離婚も経験し、翌年にはラジオ業界を揺るがしたペイオラ(楽曲をかける見返りに金を受け取る行為)のスキャンダルに巻き込まれていく。なおペイオラの嫌疑は断眠以前の行為に関するもので、実験の結果で人格が壊れたから事件を起こした、という直線的な話にしてしまうのはフェアじゃない。そこは切り分けておきたい。

ただし、ガラス箱の中で一人の人間が自分を失っていく過程が、エンタメとして公開され、チャリティという大義名分で包装されていたこと自体は、今見ると相当にイカれている。

断眠で起きていることの正体は「起きたまま見る夢」

じゃあ、なぜ断眠すると幻覚が見えるのか。

よく使われる説明は、長時間の断眠中、脳が覚醒したままREM睡眠のサイクルに入りはじめる、というものだ。つまり彼らは夢を見ている。目を開けたまま、現実の風景に夢が重ね書きされる。引き出しを開けたら炎が噴き出すのも、道路標識が人間に見えるのも、夢の文法で考えれば何も奇妙じゃない。

もう一つ重要なのが、前頭葉の機能低下だ。判断、抑制、自分を監視する力、矛盾に気づく力。このあたりが先に落ちる。だから、幻覚が見えても「これは幻覚だ」と判定できなくなる。健康な人は常に、夢と現実を区別する審査官を常駐させている。断眠はその審査官を先に居眠りさせる。

マイクロスリープの存在もここに絡む。断眠が進むと、脳の一部だけが数秒単位で勝手に眠る。本人は起きているつもりなのに、体験の連続性に小さな穴があいていく。その穴を、脳は自動的に何かで埋めようとする。埋めたものが妄想になる。

眠れないまま死ぬ病――致死性家族性不眠症は別物だ

ここで必ず区別しておかないといけないのが、致死性家族性不眠症だ。ネットではよく断眠実験と一緒くたに語られるけど、これは全く別のメカニズムの病気だ。

原因はプリオン。プリオン蛋白遺伝子の変異によって、異常なプリオンが脳に蓄積し、とくに視床をスポンジ状に壊していく。視床は睡眠を司る中枢の一つなので、壊れると人は物理的に眠れなくなる。意志で起きているのとは根本から違う。眠るための装置そのものが死んでいく。

発症は四十代から五十代が中心で、発症後の余命は多くの場合二年以内。進行は段階的で、まず頑固な不眠と頻脈などの自律神経症状、やがて幻覚、不随意運動、認知症、そして「睡眠でも覚醒でもない状態」を経て昏睡に至る。一九八六年にルガレージらによってイタリアのある家系で報告されたのが最初とされる。日本でもごく少数の家系に見いだされるのみだ。

このイタリアの家系の話は、それ自体が一つの怪談みたいな重さを持っている。十八世紀のヴェネツィアで、ある医師が長い不眠と麻痺の末に死に、当時は心臓を包む膜の病だと思われていた。そこから二百年以上にわたって、同じ一族から定期的に「眠れないまま死ぬ人間」が出てきている。家の中では話題にするのもはばかられる病だったという。遺伝する、名前のない呪いのようなもの。伝承の構造そのものだ。

音楽教師マイケル・コークの半年

致死性家族性不眠症のケースで最も広く知られているのが、シカゴの音楽教師マイケル・コークだ。

四十歳を迎えてまもなく、彼は眠れなくなった。一九九一年のことだ。最初は重いうつと診断され、大学病院で治療を受けた。だが不眠は深まる一方で、やがて体重が落ち、歩けなくなり、言葉を失い、最後は医師が人工的に昏睡を誘導するところまで行った。発症から半年ほどで亡くなっている。

彼のケースはイギリスのドキュメンタリー番組で取り上げられ、世界中に知られることになった。「眠れなくて死んだ男」というフレーズのインパクトは絶大で、このイメージが後に「断眠は人を死に至らしめる」という漠然とした恐怖をネットに定着させていく。

だが繰り返しになるが、これは「自分で寝ないこと」の結果じゃない。遺伝子変異による神経変性疾患だ。断眠実験と同じ棚に並べるのは、医学的には乱暴。それでも並べられるのは、両方とも「眠れないという一点だけで人間が崩れていく」という絵づらを共有しているからだ。

「ロシア睡眠実験」――二〇一〇年八月十日に生まれた怪談

さて、本命だ。

パターンはこうだ。一九四〇年代後半のソ連。秘密の研究施設で、五人の政治犯が密閉された部屋に入れられる。部屋には眠気を奪う興奮性のガスが流され続ける。十五日間耐えられたら自由にしてやる、という約束。監視はマジックミラーとマイクだけ。

三日目までは何も起きない。五日目、被験者たちは重い被害妄想を見せはじめ、互いに口をきかなくなる。九日目、一人が何時間も叫び続けて声帯を裂く。他の四人はそれを見ても無反応。十五日目に部屋を開けると、被験者は自分を傷つけていて、一人は既に死んでいる。連れ出そうとした兵士も死ぬ。生き残った一人は異常な力と薬物耐性を示し、最後にこう言う。

自分たちは人間の中に潜む狂気そのものであり、普段は眠りによって押さえつけられているのだ、と。

この話の初出ははっきりしている。二〇一〇年八月十日、クリーピーパスタを扱うウィキに、OrangeSodaというユーザー名で投稿された。作者の本名は今も不明。つまりこれは一人の名もなきネット住人が書いた短編小説だ。

一緒に拡散したあの画像の正体は、ハロウィンの飾りだった

この怪談を一気に広めたのは、本文とセットで回っていた一枚の画像だ。髪が抜け落ち、目を見開いて口を大きく開け、歯を剥き出しにした痩せこけた人間のやつ。一度見たら忘れない。

だがこれ、実はハロウィン用の飾りだ。アメリカの小道具メーカーが作った「Spazm」という商品で、パーティの入口に飾って子供を驚かすためのもの。実験体でもなければ、ソ連もロシアも関係ない。

この「文章+写真」のセットが強すぎた。ネットの情報リテラシーの弱点をついていて、人は文章だけなら疑うのに、不鮮明な写真が一枚ついているだけで「証拠がある」と感じてしまう。しかもこの画像は、本文の描写に不思議なほど合っていた。合っていたというより、画像に合うように本文が読まれた。

なぜ人はあの作り話を実話だと思ったのか

ファクトチェックサイトが何度も否定しても、この話は死なない。一、二年ごとに新しい世代が発見して、また信じる。なぜか。

一番大きいのは、「ありそうだと思わせる実例」が実際に存在することだ。歴史には本物の人体実験がいくらでもあるし、断眠で人が幻覚を見て人格が崩れるのも事実だ。ピーター・トリップは実在し、ランディ・ガードナーも実在する。だから「もっとひどいことをやった国があってもおかしくない」という推論がすんなり通る。実話の周辺に寄生するのが、良くできた怪談の定石なんだよな。

二つ目は、冷戦の記憶だ。ソ連の秘密施設、政治犯、軍事研究。このワードの並びは、西側の人間にとっては数十年かけて培養された「ありそうの型」だ。学者はこの怪談を、冷戦期の政治的不安の残渣が形を取ったものとして分析している。相手がソ連だから、証拠がないことさえ「隠蔽されているからだ」と説明できてしまう。反証不能の構造になっている。

三つ目は、文体だ。あの話は報告書のふりをしている。日付と経過と観察事項を淡々と並べて、感情を一切入れない。怖がらせようとしないからこそ怖い。この手法は仮想ドキュメンタリー形式として完成されていて、読者の警戒心を下げる。

四つ目は、引用の連鎖だ。まとめサイトが転載し、動画が解説し、ゲームや映画が作られ、小説化され、舞台になる。ある集計では、一時期この話は六万件以上シェアされ、クリーピーパスタ史上最大級のヒットになった。二次創作が増えるほど、元ネタの出自は見えなくなる。やがて「どこかで聞いたことがある実話」の顔をしはじめる。

ネットの反応と、地道な反証のしかた

日本語圏でもこの話は定期的にバズる。百科事典サイトやマトメサイトには「これは創作です」と明記されているのに、知恵袋には今でも「あれって実話なんですか?」という質問が定期的に立つ。動画の解説も両極化していて、初期は「実話風」に語るものが多かったが、現在は「創作だと先に言ったうえで、なぜ良くできているかを語る」タイプが増えている。健全な進化だと思う。

反証もしっかり積み上がっている。よく指摘されるのは、皮膚を大半剥いて内臓を引き出した人間が何日も活動できるはずがないという点。失血とショックで即死する。次に、「眠気だけを確実に奪い続けるガス」なんてものは現実に存在しない。覚醒作用のある薬物はあるが、十五日連続で吸入させれば循環器が先に壊れる。さらに、施設名も研究者名も地名も一切出てこない。本物の機密文書なら、必ず固有名詞が残る。

面白いのは、ロシア語圏のメディアでもこの話が検証の対象になっていることだ。ちゃんと矛盾を並べて、創作であると結論づけている。自国が悪役にされた怪談を、自国の記者が淡々と反証する。この構図はなかなかシュールだ。

断眠を巡る「本当にあった話」のほうが、実は気味悪い

ロシア睡眠実験は創作だ。だが、断眠を利用した実在の行為は山ほどある。

不眠は古代から拷問の手段として使われてきたし、現代に至るまで取調べの現場で「寝かせない」ことは人を壊す最も安い方法であり続けている。痕が残らない。道具もいらない。ただ寝かせなければいい。数日で判断力が落ち、暗示にかかりやすくなり、やってもいないことを自白する。

この事実を知っていると、ロシア睡眠実験がなぜここまで人をつかむのかがよくわかる。あの話は、実はごく現実的な恐怖の上にフィクションを乗せているだけだ。土台は本物。乗っている部分が完全な嘘だ。だから境目が見えにくい。

眠らないことが怖いんじゃない。「自分」が消えるのが怖い

ガードナーもトリップもロシア睡眠実験も、最終的に同じ一点を指している。

断眠が奪うのは体力じゃない。先に奪われるのは、自分を外側から見る目だ。これは幻覚や妄想を「変だ」と判定する機能で、これがなくなると、見えているものがそのまま世界になる。トリップはスーツの男を葬儀屋だと思って逃げた。ガードナーは標識を人間だと思った。二人とも、その時点では真剣だった。

そして次に奪われるのが、自分が誰であるかという感覚だ。ガードナーは自分を有名選手だと思い、トリップは自分がピーター・トリップではないと言い出した。ロシア睡眠実験のクライマックスも全く同じだ。生き残った被験者が「自分たちはお前たちの中にいるものだ」と宣言する。作者は、断眠の本当の怖さがどこにあるかをちゃんとわかっていたということだ。

人は毎晩、意識を一度完全に手放している。これはよく考えると異常なことで、人生の三分の一を俺たちは意識を止めて過ごしている。そして朝になると、なぜか同じ人格が戻ってくる。この往復を、俺たちは何万回も疑問に思わずやっている。断眠の記録が怖いのは、その往復を止めたとき、戻ってくるはずのものが少しずつ欠けていくことを見せてしまうからだ。

(念のために書いておくと、ここに並べたのはすべて「やってはいけない例」だ。長時間の断眠は危険で、実験を真似る価値はない。不眠で困っているなら、自己流でどうにかしようとせず医療機関に相談してほしい。)

誰ひとり「やめろ」と言わなかった

このテーマを追っていて一番引っかかったのは、断眠の記録をめぐる話が、どれも「周囲の大人が止めなかった」という共通項を持っていることだ。

ガードナーのケースだと、十七歳の高校生が十一日寝ないと言い出して、学校も親もメディアも、むしろ応援している。途中からは専門家が監視についたけど、それは「止めるため」じゃなくて「記録するため」だった。トリップのケースはもっとひどくて、人が崩れていくのを気づいていながら、薬を使って覚醒を維持させ、放送を続けさせた。チャリティという大義名分があるから、誰も「やめろ」と言いにくい。

ガラス箱の外側には見物人がいて、寄付金が集まっていて、番組はヒットしている。人間一人の人格が溶けていくのは、その中では「コンテンツの盛り上がり」として処理されてしまう。ギネスが一九九七年にカテゴリを閉ざしたのは、この構造をこれ以上回さないための判断だとも言える。公式記録がある限り、誰かが必ず挑む。挑む人間は、自分の危険を正しく評価できない状態で「まだいける」と言い張る。

このループを外から切るには、記録自体をなくすしかない。

もう一つ、あとから振り返って面白いのが、断眠実験の評価が時代とともにひっくり返ったことだ。一九六四年の時点では、ガードナーのケースは「人間は断眠からすぐに回復できる」という楽観的な証拠として消費された。十四時間寝たら脳波が元に戻ったんだから大丈夫だろ、と。しかしこの「大丈夫」は、当時の計測技術で見える範囲での話でしかなかった。

現代の睡眠医学は、慢性的な睡眠不足が免疫や代謝、気分、記憶の定着にじわじわと効いてくることを山ほどのデータで示している。つまり、一発の十一日よりも、十年間の五時間睡眠のほうが人にはじわじわと効いてくる可能性がある。ガードナー本人が六十代で不眠になったとき「あの実験のカルマ」と言ったのは、医学的には証明されないにしても、人間が自分の人生をどう物語として受け取るかという意味で重い。

彼は十七歳の自分の行為に、四十年後に請求書を受け取ったと感じていた。

そしてロシア睡眠実験の件。これは創作怪談の成功例として、構造があまりにも見事だ。一、実在の現象(断眠で人は壊れる)を土台に置く。二、反証しにくい舞台(ソ連の秘密施設)を選ぶ。三、感情を抜いた報告書文体で語る。四、一枚の強烈な画像を添える。五、固有名詞をあえて出さない。この五つが揃うと、人は十五年経っても信じ続ける。

とくに五番目が巧妙で、固有名詞がないから検証のとっかかりがないし、ないこと自体を「機密だからだ」と説明できてしまう。反証されないように設計された話は、永遠に死なない。

最後に、このテーマ全体を貫いている不気味さを書いておきたい。俺たちは普段、睡眠を「休憩」だと思っている。電池の充電みたいなものだと。だが断眠の記録を並べていくと、眠りはむしろ「人格を毎日組み直す作業」に近いことが見えてくる。一日分の体験を並べ替え、いらないものを捨て、夢という形で周辺を排気し、朝になったら「自分」をもう一度立ち上げる。

この作業を取り上げると、人間は三日で機嫌が壊れ、五日で幻覚を見はじめ、十日で自分が誰かわからなくなる。つまり「自分」は存在し続けているものじゃなくて、毎晩作り直されている何かからしい。ピーター・トリップがガラス箱の中で「俺はピーター・トリップじゃない」と言い出したとき、彼は実のところ、何日も組み直されていない古い自分を着たまま、マイクの前に座っていただけなのかもしれない。

今夜も俺たちは、異議もなく意識を手放して、明日の自分を作らせに行く。眠らないとどうなるかの答えは、その組み直しをさぼった分だけ、自分が薄くなっていく、というだけの話だ。そしてそれが、ちょっとしゃれにならないくらい怖い。

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