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「温かくなるまで、この人は死んでいない」――体温13.7度・心停止3時間から生還した女性と、凍死者が雪の中で服を脱ぐ理由

心臓が止まって2時間35分。体温13.7度。脈もなければ呼吸もない。瞳孔は開ききって、光を当ててもぴくりとも動かない。どこからどう見ても死体だ。それでもノルウェー北部の病院の医者は、その体をストレッチャーから下ろしながらこう言った。温かくなるまで、この人は死んでいない、と。

これは魔法の話じゃない。医学の話だ。ただ、医学の話にしてはあまりに奇妙で、あまりに美しくて、しかもその周辺には「凍死する人はなぜか服を脱ぐ」「なぜか穴を掘って潜り込む」という、どう聞いても怪談としか思えない現象がびっしり貼りついている。今日はそれを全部まとめて見ていく。

1999年5月20日、ナルヴィク。その日は「ただの春スキー」のはずだった

舞台はノルウェー北部、ナルヴィクの山の中。5月なのに雪がある。北緯68度、北極圏の内側だから当然だ。日は長い。夜の7時でも昼みたいに明るい。

滑っていたのは3人。全員がナルヴィクの病院に勤める若い医者だった。ひとりがアンナ・バーゲンホルム。29歳、スウェーデン出身、整形外科の研修医。あとの2人はマリー・ファルケンベリと、トールヴィン・ネスハイム。同僚であり、山仲間だ。仕事が終わってから山に登って滑る。その土地では珍しくもない過ごし方だった。

アンナが滑ったのは、前にも通ったことのある斜面だった。慣れていた。慣れていたから飛ばした。そして、斜面の途中でバランスを崩した。

倒れたのは沢のそば。小さな滝が落ちていて、その下流の流れの上に厚さ20センチほどの氷が張っていた。5月の氷だ。冬の氷より薄くはないが、下では雪解け水がごうごう流れている。アンナは頭から突っ込んだ。氷に穴が開いていた場所か、彼女の重さで割れたか。とにかく頭と上半身がその穴に吸い込まれ、仰向けのまま、氷の下に入った。

服の中に一気に水が入る。氷点直上の雪解け水だ。あとから振り返れば、これが彼女を殺しかけ、そして助けた。

氷の下で、彼女は40分間しゃべっていた

ここが、この話でいちばん背筋が寒くなるところだと思う。

彼女はすぐには意識を失わなかった。頭から入った先に、氷と水面のあいだの空気の層があった。数センチのエアポケットだ。そこに顔があった。だから呼吸ができた。

つまり、彼女は氷の下で、生きたまま、40分間、意識があった。

上では2人の同僚が必死だった。アンナのスキー板だけが穴から突き出ている。2人はその板を掴んで、引っ張った。抜けない。上半身が氷と岩のあいだに挟まっていて、流れの力も加わって、大人2人の力ではびくともしなかった。

落ちてから7分後、18時27分に緊急通報が出ている。時刻が分単位で残っているのは、このあと世界中の救急医が読むことになる症例報告のためだ。通報を受けた側もすぐには動けない。場所は山の中で、道はない。

2人は交代でスキー板を掴み続けた。手を離せば流される。離すわけにはいかない。かといって引き抜くこともできない。ずっと掴んでいるだけ。氷の下の同僚と、たった数十センチの氷を隔てて。

そして40分が過ぎたころ、彼女の体は止まった。心臓が止まったのだ。深部体温がだいたい20度を割ると心室細動が起きやすくなり、さらに下がると心臓は静かに止まる。あとで判明した彼女の体温は13.7度。人間の体温として記録されている中で、当時としては最低だった。

彼女が水の中にいた時間は、合計で80分。前半の40分は生きて、後半の40分は心臓が止まった状態で、氷の下にいた。

19時40分、庭仕事用のスコップが氷を割った

救助隊が現場に着いたのは、通報からかなり経ってからだった。地元警察のバード・ミカルセン警部補が地上の2班を仕切り、空からはボードー基地のシーキングが飛んだ。ヘリだ。北欧の海難救助でおなじみの、あの大きな双発機。

最初、隊員はロープでの引き上げを試している。失敗した。氷の下で体が挟まっているのだから当然だ。

じゃあどうしたか。氷を割った。使ったのは、ある隊員が持っていた園芸用のスコップ。世界最低体温からの生還という壮大な話の、いちばん決定的な場面で登場する道具が、庭いじりのスコップというのがなんかいい。20センチの氷を、人力で削って穴を広げた。

19時40分、アンナの体が引き上げられた。落ちてから80分後。

そのときの彼女は、医学的にはどう見ても死んでいた。脈がない。呼吸がない。瞳孔散大。心電図をつなげば平坦。皮膚は真っ白を通り越して蝋みたいな色。関節はうまく曲がらない。

だが、引き上げた側は全員が「低体温症の心停止」だと分かっていた。だから、心臓マッサージが始まった。その場から病院まで、ずっと。

ヘリの中でも、着陸してからも、押し続けた。ヘリは南のトロムソへ向かう。トロムソ大学病院、正式には北ノルウェー大学病院。北極圏の医療の中心だ。飛行時間はおよそ1時間。狭い機内で、心臓の止まった人間の胸を1時間押し続けるというのがどういう作業か、ちょっと想像してみてほしい。

到着は21時10分。落ちてからちょうど3時間近くが経っていた。

「温かくなるまでは、死んだと言わせない」

救急部の責任者だった麻酔科医、マッズ・ギルベルト。彼は搬送の連絡を耳にして、事態を把握した。北ノルウェーの救急医療をずっと引っ張ってきた人で、この分野では有名人でもある。

彼が下した判断は、当時としてはかなり思い切ったものだった。人工心肺を回す。心臓が止まってすでに2時間半以上、体温は13.7度。普通なら「死亡確認」で終わる患者だ。

ギルベルトはのちにインタビューで、こう言っている。バイパスの機械につないで、ゆっくり、慎重に、チームで血液を温めていった。血を外に出して、温めて、また体に戻す。それが唯一の方法だった、と。そしてこの現場で繰り返し語られたのが、あの言い回しだ。温かくして、それでも死んでいるとはっきりするまでは、彼女を死んだとは宣告しない。

英語では「Nobody is dead until warm and dead」。北欧の救急医の合言葉みたいになっている一文で、のちに同じ大学の研究チームがこの言葉をそのまま論文タイトルに使うことになる。

集まった医療スタッフは100人を超えた。9時間交代のシフトが組まれた。ひとりの患者のために、である。手術室に人が入りきらないくらいの人数が、順番に胸を押し、機械を回し、電解質を測り、血を温めた。

21時40分、人工心肺が回り始めた。ここからは、機械が彼女の心臓と肺の代わりになる。血液を体外に引き出し、酸素を足し、少しずつ温度を上げて戻す。上げすぎてはいけない。急ぐと血液の中に気泡が出るし、体の各所で最悪のことが起きる。ゆっくり、じわじわ、時間をかけて。

22時15分、心臓が動いた

22時15分。モニターに拍動が出た。

心停止から2時間35分。ノルウェーの春の夜、機械の音しかしなかった部屋で、止まっていた心臓がまた動き始めた。人間の心筋は、13度台まで冷やされてから、温め直されてまた動くことができる。この一点だけでも十分に異常な話だと思う。

そのあとも、彼女の体温はゆっくりと上げられていった。深夜0時49分、深部体温が36.4度に到達。ほぼ正常だ。落ちてから、およそ6時間半が経っていた。

ただ、心臓が動いたことと、助かったことは全然違う。ここから先のほうが長い。

彼女は35日間、人工呼吸器につながれていた。腎臓が止まり、消化管が動かなくなり、あちこちが順番に音を上げた。低体温そのものより、長時間の循環停止と、そのあとの再灌流のダメージのほうが体をむしばむ。集中治療室にいた期間は2か月。

目が覚めたら、首から下が動かなかった

意識が戻ったのは、事故から10日ほど経ってからだった。

そして、目を開けた彼女は、首から下がまったく動かない状態だった。麻痺していた。脳そのものは驚くほど無傷だったのに、末梢の神経が広範囲にやられていた。長時間の低灌流と冷却が神経に残した傷だ。

ここから、途方もないリハビリが始まる。指を1本動かす練習から始めて、腕を上げ、体を起こし、立ち、歩く。数か月かかった。歩けるようになるまで1年以上を要したという記述もある。

彼女は10月に職場復帰している。事故から140日後だ。北極圏の秋、雪がまた降り始めるころに、彼女は白衣を着て病院に戻った。

ただし、完全に元通りではなかった。手指と足先の神経の症状が残った。細かい作業が要る外科系の道は諦めることになった。彼女が選んだのは放射線科だった。そして、自分を救ったその病院で、放射線科医として働くようになる。事故から10年後の取材では、ほぼ完全に回復したと語り、スキーにも戻っていた。

自分が心停止していた3時間について、彼女自身にはほとんど記憶がない。落ちた瞬間の氷の冷たさと、その先の空白。目が覚めたら10日が経っていた。本人にとって、あの3時間は存在しない。世界中の医学書に載った3時間が、当事者の中だけ真っ白なままだというのは、この話の中でもいちばん静かに怖いところだ。

ランセットに載った一行が、救急の常識を書き換えた

この症例は2000年、英国の医学誌ランセットに報告された。「13.7度の偶発性低体温症・循環停止からの蘇生」というタイトルで、著者はマッズ・ギルベルトほか、ブスン、スカグセット、ニルセン、ソルボの各医師。掲載は355巻、375ページから376ページ。たった2ページの短い報告だ。

その2ページが、世界の救急医の頭の中を書き換えた。

それまで、心停止の患者に何時間も蘇生を続けるという発想は現実的ではなかった。常温なら脳は数分で不可逆になる。20分もやってダメなら終わりだ、というのが体に染みついた感覚だった。そこに、13.7度、循環停止2時間35分、9時間におよぶ蘇生、そして神経学的にほぼ無傷という報告が飛び込んできた。

以後、低体温症の心停止は「別枠」として扱われるようになる。冷たい患者は、温めるまで死亡を判定しない。日本の救急でも山岳医療でも、この原則は共有されている。ひとりのスキー事故が、教科書の1章を作り替えた。

1980年ミネソタ、「冷凍庫から出した肉のかたまりみたいだった」

アンナの19年前、アメリカのミネソタ州でもっと不気味な事が起きている。

1980年12月20日。ミネソタ州レングビー近郊。当時19歳のジーン・ヒリアードは、ダンスの帰りに父親のフォードLTDを運転していた。夜中だ。車が路肩の溝に落ちた。動かない。

彼女は歩くことにした。友人の家までおよそ3キロ。外気温は華氏マイナス22度、摂氏でいえばマイナス30度くらい。ミネソタの12月の夜としては、極端に寒いというほどではないが、人が屋外で長時間耐えられる温度ではまったくない。

彼女は歩いた。そして、目指した家の玄関まであと5メートルほどのところで倒れた。あと十数歩。そこで意識が切れた。

彼女が発見されたのは、朝7時。倒れてから6時間以上が経っていた。見つけたのはウォーリー・ネルソンという男性。自宅の玄関先に人が倒れているのを見て、抱き起こそうとした。そのときのことを、彼はこう語っている。板より固く凍りついていた。ただ、鼻から泡がいくつか出ているのが見えた、と。

この「鼻から出ていた泡」が、彼女の命を拾った。ネルソンはそのまま彼女を車の後部座席に押し込んで、フォストンの病院まで運んだ。板のように硬直した体は座席で曲がらず、まっすぐのまま横たえるしかなかったという。

病院での様子は、症例というより怪談に近い。体が固すぎて注射針が刺さらない。皮膚が凍っていて、針が通らないのだ。顔は灰色。目は凍って開いたまま、光を当てても反応しない。体温計は測定下限まで下がって、数字が出なかった。かろうじて拾えた脈は、1分間に12回。

担当したジョージ・セイザー医師の言葉が残っている。体は冷たくて完全に固まっていた。冷凍庫から出した肉のかたまりみたいだった、と。医師の口から出るコメントとしては相当なものだが、実際そう見えたのだろう。

治療は、当時の田舎の病院にできることをやっただけだった。人工心肺なんてない。使ったのは電気毛布とヒートパッド。とにかく包んで、ゆっくり温めた。指や足の切断は覚悟されていた。

数時間後、彼女は目を覚ました。昼までには、はっきり受け答えができるようになっていた。そして、凍傷による切断はひとつも必要なかった。

本人の言葉がまたすごい。眠って、病院で目が覚めたって感じ。それだけ。マイナス30度の夜に6時間倒れていて、目が凍っていて、脈が12だった人間の主観がそれだ。

この件は当時から全米で報じられ、のちに未解決ミステリー系のテレビ番組でも取り上げられた。医学的な説明は今も完全には付いていない。体表が凍っていたのに深部が致命的なところまで落ちきっていなかったのだろう、寒冷順化と皮下脂肪と若さが効いたのだろう、といった推測が並ぶ。ただ、それで全部が説明できるかというと、微妙だ。

2001年カナダ、裸足で雪に出ていった1歳児

2001年2月23日の未明、カナダのアルバータ州エドモントン。生後13か月のエリカ・ノードビーが、家の中からいなくなった。

ドアの掛け金が壊れていた。オムツ姿の彼女は、それを押し開けて外に出た。外気温はマイナス24度。

母親が異変に気づいたのは、いつも午前2時にミルクを欲しがる娘がベッドにいないことからだった。探し回って、雪の中に倒れている娘を見つけた。抱き上げたとき、体は固く、脈はなかった。

エドモントンのストラリー小児病院に運ばれた時点で、彼女の深部体温は約16度。心臓が止まってからおよそ2時間が経過していた。臨床的には死亡している状態だ。

医療チームは加温を始めた。加温ブランケットで、じわじわと。そして、心臓が動き出した。

医師たちの説明はこうだった。冷えたことで、体が冬眠に近い状態に入っていた。それが臓器を守った。凍傷はひどく、指や足の切断も検討された。最終的に切らずに済み、足に皮膚移植をして、リハビリを受けて、6週間で退院した。残ったのは傷跡と、左足のわずかな変形だけだった。

このケースは北米で「奇跡の赤ちゃん」として大きく報じられた。カナダ放送協会も米国のCBSも追いかけている。搬送にあたった救急隊員が、同種の生還例に立ち会うのは2度目だったという話も当時報じられた。

子どもは低体温に強い。体積に対する表面積が大きいから冷えるのも速く、逆に「間に合ううちに冷え切る」からだ。冷えるのが速いほど、酸素が足りなくなる前に代謝が落ちる。逆説的だが、そういうことになる。

なお現在、記録上いちばん低い体温から生還した人間は、2014年にポーランドのクラクフ近郊で発見された2歳児とされる。祖母の家から外に出て、屋外はマイナス7度ほど。発見時の深部体温は11.8度。生命維持装置につながれ、2か月後に退院した。アンナの13.7度を下回っている。

さらに桁外れの記録もある。1961年に、外科手術のために意図的に体温を4.2度まで下げられ、神経学的に無傷で生還した患者の症例集が存在する。2020年に「忘れられた症例集」として学術誌で再紹介された。これはもう事故ではなく実験に近い領域なので、直接比べる話ではないけれど、人体が理屈の上でどこまで冷やせるかを示す点では強烈だ。

8時間42分の心臓マッサージ、そして日本の現場

2016年、イタリア北部ドロミテのマルモラーダ、標高2800メートルの岩壁で、31歳のクライマーが落雷と冷たい雨に打たれた。健康な若い男性だ。あっという間に低体温症に落ちた。

救助隊が接触した時点で心停止。19時48分から心肺蘇生が始まった。ここで登場するのが機械式胸骨圧迫装置、ルーカス2。人間が押し続けるのは限界があるが、機械なら止まらない。この機械が3時間42分、圧迫を続けた。

病院に着いた時点での体温は26.6度。そこから静脈脱血・動脈送血のECMOにつないで、1時間に1度ずつ、5時間かけて温めた。自己心拍が戻ったのは、救助隊が接触してから8時間42分後。

彼は約3か月後、神経学的な後遺症がほぼない状態で退院した。この症例は2019年に米国の救急医学誌に報告され、フォルティ医師らの名前で残っている。

日本でも同種の症例報告は積み重なっている。心停止を伴う高度低体温症から神経学的後遺症を残さずに回復した例は、日本蘇生学会の雑誌に古くから載っているし、近年は日本救急医学会雑誌に、経皮的心肺補助装置やVA-ECMOで復温して救命した報告が続けて出ている。超高齢の患者をECMOで温めて助けた報告まである。

日本の場合、山岳での低体温症死は毎年出るし、実は室内での低体温症、いわゆる「屋内凍死」のほうが件数としては多い。冬に暖房が効いていない家で、高齢者が動けなくなって冷えていく。これも同じ病態だ。雪山の話として消費されがちだけれど、低体温症は都市の話でもある。

体温が1度ずつ落ちると、人間の中で何が起きるのか

深部体温が35度を割ると、低体温症ということになる。ここからの落ち方が、けっこう物語的で怖い。

35度から32度くらいまでが軽症。まず出るのが震えだ。全身の筋肉を細かく震わせて熱を作る。人体に備わった最後の暖房装置で、これがフル稼働していると本人はかなり寒く、そして苦しい。判断力はもう落ち始めている。手先が動かなくなり、ジッパーが上げられない、火が点けられない、といった小さな失敗が積み重なる。ここで引き返せなくなる人が多い。

32度から28度が中等症。ここで震えが止まる。止まるのは良くなったからではなく、熱を作る仕組みが壊れたからだ。低体温症でいちばん危ない転換点がここで、外から見ると「震えが止まって落ち着いた」ように見えるのがたちが悪い。同時に意識が濁る。呂律が回らなくなり、話の辻褄が合わなくなり、うつらうつらし始める。仲間の呼びかけへの返事が遅れる。そして、この帯域で例の奇行が出る。服を脱ぐ。

28度を割ると重症。意識はなくなる。瞳孔が開く。脈は触れないほど弱く遅くなり、呼吸も数が減る。心臓は些細な刺激で心室細動を起こす。20度前後で心臓が止まる。そして、この状態の体は、常温の死体とは決定的に違う。代謝が落ちきっているから、酸素をほとんど使わない。研究者はこれを「ゆっくり走っている車は燃料を食わない」と説明する。トロムソ大学のトルケル・トヴェイタ教授の比喩だ。

だから、冷たい体には時間がある。常温なら脳の不可逆変化まで数分。14度前後では、化学反応が遅すぎて酸素をほとんど必要としない。アンナの脳が3時間持ったのは、根性でも奇跡でもなく、化学反応速度の問題だった。

凍え死ぬ人は、なぜ服を脱ぐのか

ここからが怪異の領域に入る。

凍死体が、なぜか脱いでいる。上着を脱ぎ、セーターを脱ぎ、ズボンを脱ぎ、下着まで脱いで、雪の上で裸で死んでいる。周囲に服がきれいに並べて置いてあることさえある。矛盾脱衣という。

どれくらい起きるのか。北海道の旭川医科大学が2003年にまとめた研究では、道内の凍死体221例のうち45例、全体の20.4パーセントに矛盾脱衣が見られた。男性33例、女性12例。5人に1人だ。法医学の教科書によっては、凍死の20から60パーセントに見られると書かれている。つまり、めったにない珍現象ではまったくない。凍死のかなり標準的な最期の姿だと思ったほうがいい。

初出は1979年、法医学の専門誌に載った「致死的低体温における矛盾脱衣」という論文。ウェディンらスカンジナビアの研究者による報告で、そこからこの言葉が定着した。その後も、2014年に国際法医学誌に出た「低体温症の死後診断」といった総説で繰り返し取り上げられている。

なぜ脱ぐのか。説はいくつもあるが、決着はしていない。

いちばんよく語られるのが、体温調節中枢の破綻による誤作動説だ。体温が落ちると、皮膚の血管はぎゅっと縮んで血を体の中心に集める。これが低体温での標準の防御反応。ところが冷えが進んで血管を締める仕組みそのものが疲弊すると、締まっていた血管がいっせいに緩む。すると、冷え切った体の中心から見て、皮膚に一気に温かい血が流れ込む。本人はそれを「急に暑くなった」と感じる。だから脱ぐ。

もうひとつが、視床下部という体温の司令塔そのものが低温で麻痺してしまい、暑い寒いの判定がひっくり返るという説。それに、低体温で意識が混濁したところに幻覚が加わるという説も昔から言われてきた。アドレナリンの酸化物が幻覚を起こすという記述を載せる文献もある。

現場で起きているのは、たぶんこれらが全部混ざったものだ。ただ、生還者の証言が極端に少ないのがこの現象の厄介なところで、というのも、矛盾脱衣が出た人はたいてい死ぬからだ。脱ぐという行動が出るのは中等症から重症の境目で、そこから自力で助かる人はほとんどいない。だから「あのとき暑かったんですよ」と語れる人が、ほぼ存在しない。

この「体験者がいない」という一点が、矛盾脱衣を医学の現象でありながら怪談じみたものにしている。誰も内側から報告できない。残っているのは、雪の上で服を脱いだ人の姿だけだ。

そして、穴に潜り込んで死ぬ

矛盾脱衣とセットで語られるのが、もうひとつの奇行。潜り込み現象、あるいは終末期埋没行動、英語ではターミナル・バローイングという。

服を脱いだあと、あるいは脱がずに、その人は狭くて暗いところに潜り込む。ベッドの下。タンスの裏。棚の隙間。屋外なら、木の根元の窪み、岩の割れ目、雪の中に自分で掘った穴。そして、そこで丸くなって死ぬ。

1995年に国際法医学の専門誌に報告されて広く知られるようになった現象で、英語圏では「隠れて死ぬ症候群」という呼び名もある。屋内の凍死で捜索が長引く原因にもなっている。家の中で行方不明になって、何日も見つからず、家具の裏で見つかる。

なぜそんなことをするのか。有力なのは、脳幹に残っている原始的な保護行動が、意識が壊れたあとに剥き出しになって出てくる、という説明だ。哺乳類は寒いと巣穴に潜る。冬眠する動物がやることと同じだ。大脳の理性的な部分が先に落ちて、いちばん古い層だけが残ったとき、人間もハムスターと同じ行動を取る。

そう考えると、脱衣と潜り込みが同じ人に順番に出るのも筋が通ってしまう。暑いと感じて服を脱ぎ、それから巣穴を探して潜る。冬眠に入る動物の手順そのものだ。ただし人間は冬眠できないので、そのまま死ぬ。

人間が死ぬ間際に、教わってもいない動物の作法をなぞる。ここが、この現象のいちばん薄気味悪いところだと思う。

「事件性あり」とされてきた遺体たち

さて、ここで法医学と警察の話になる。

雪山で、上半身裸の遺体が見つかる。あるいは全裸の遺体が見つかる。服は少し離れた場所に脱ぎ捨ててある。周囲に争ったような跡はあるかもしれないし、ないかもしれない。

この状況を先入観なしに見ると、まず疑うのは事件だ。暴行、性的暴行、強盗、あるいは何者かに脱がされた。実際、矛盾脱衣という現象が知られていなかった時代には、そう処理されかけた例がある。日本語版の百科事典的な記述でも、脱衣を伴う異常な状態で発見された遺体については、犯罪の可能性も疑う必要があると但し書きが付く。逆に言えば、矛盾脱衣を知らないと確実に読み違える。

日本でいちばん有名な集団凍死は、1902年、明治35年1月の八甲田雪中行軍遭難事件だ。青森の歩兵第五連隊が雪中行軍の訓練中に猛吹雪に遭い、210名中199名が死亡した。生存者はわずか11名。現場の気温はマイナス20度から25度、風速は30メートル近く、谷では積雪が6メートルから9メートルあったと推定されている。

この事件の記録には、低体温症の教科書に出てくる症状がほぼ全部揃っている。衣服を脱ぎ始める者が多数出た。幻覚を見て「救助隊が来たぞ」と叫ぶ者がいた。「この崖を降りれば青森だ」と叫んで川に飛び込んだ者がいた。「いかだを作って川を下って帰る」と言い出して、銃剣で木に斬りつけた者もいた。凍傷で指が利かず、軍袴のボタンを外せないまま用を足し、そこから凍りついて死んだ者もいた。

そして有名なのが、雪の中に立ったまま発見された後藤房之助伍長だ。彼は生存し、のちに銅像のモデルになった。上官の神成大尉は、帽子も手袋もないまま首まで雪に埋もれ、全身が凍っていた状態で見つかり、蘇生しなかった。

当時の記録を読むと、明らかに矛盾脱衣であり、明らかに潜り込みであり、明らかに低体温性の錯乱だ。しかし1902年に、それを説明する言葉はなかった。異常な精神状態、狂乱、といった記述で処理されるしかなかった。

海外に目を向けると、必ず名前が挙がるのが1959年のディアトロフ峠事件だろう。ウラル山脈で登山者9人が死亡し、テントが内側から切り裂かれ、遺体の何人かがひどく薄着で、靴も履かずに見つかった。長年、軍の実験だの雪男だのUFOだのと騒がれてきたが、近年は雪崩と低体温症、そして矛盾脱衣で説明できるという議論が主流になっている。もちろん全部が説明できたわけではない。だが、「薄着で死んでいたから不自然だ」という前提だけは、矛盾脱衣を知った時点で崩れる。

不自然に見えた死が、実はごくありふれた生理現象だった。逆に言えば、生理現象を知らない人間の目には、それは常に怪異に見える。

助けようとして殺してしまう、アフタードロップとレスキューコラプス

低体温症の恐ろしさは、見つけたあとにも続く。

まず、アフタードロップ。救出して、暖かい場所に移して、毛布をかけて、さあよかった、というタイミングで、深部体温がさらに下がる現象だ。

理屈はこうだ。冷えた人の手足には、体の中心よりずっと冷たい血が滞留している。皮膚の血管が縮んで、そこで止まっているからだ。ここで体を動かしたり、四肢を温めたりして血流が戻ると、その冷たい血が一気に心臓へ帰ってくる。結果、心臓の周りの温度が下がる。だから、助け出した直後にかえって危険になる。

もうひとつがレスキューコラプス、救助虚脱。救助の最中や直後に、突然心室細動を起こして心臓が止まる。引き金になるのは、たいてい体を動かすことだ。抱え上げる。担架に乗せる。立たせて歩かせる。それだけで、冷え切って過敏になった心筋が暴れ出す。

だから、山岳医療の教科書はやたらとしつこく書く。丁寧に扱え。水平に保て。歩かせるな。揺らすな。無理に手足をこすって温めるな。この「触っただけで死ぬ心臓」というのは、想像するとかなり不気味だ。生きているのに、動かした瞬間に止まる可能性がある体。

重症度の判定も年々変わっていて、2021年に国際山岳救助協議会の医療部会が採用した改訂スイス式では、それまで指標にしていた「震えの有無」を外し、意識と脈・呼吸だけで判断するようになった。震えは当てにならない、というのが現場の結論だった。

搬送についても、常識が変わった。心停止した低体温患者を6時間かけて運ぶことがある。押し続ける。機械式圧迫装置を使う。届く先はECMOが回せる病院でなければ意味がない。この「どこへ運ぶか」の判断が、生死を分ける。

血を抜いて、温めて、戻す

アンナを救ったのは、結局のところ機械だった。

人工心肺、心肺バイパス。太い管を血管に入れ、静脈から血を抜き、機械の中で酸素を足して二酸化炭素を抜き、熱交換器で温度を上げ、動脈に戻す。心臓と肺の仕事を、外部の装置が丸ごと肩代わりする。

低体温症の復温にこれを使うのが決定的に強いのは、内側から温められるからだ。毛布や温風で外から温めても、心臓のあたりに熱が届くまでに時間がかかるし、アフタードロップのリスクがある。人工心肺なら血液そのものの温度を制御できる。体の中心から温まる。しかも、心臓が止まったままでも全身に血を回せるので、温まるまでの時間を稼げる。

ただし、扱いは繊細だ。温度差をつけすぎてはいけない。血液中に溶けているガスが、急な加温で気泡になる。ダイバーの減圧症と同じ理屈だ。トロムソの現場では、加温の温度差を10度以内に抑える、といった運用が語られている。1時間に1度から数度、じわじわ上げる。だから9時間かかる。

近年はECMOが主役になった。要するに携行性を高めた人工心肺で、救急外来やICUで比較的すばやく回せる。低体温症の心停止に対するECMOの導入は、この20年で救命率をはっきり押し上げた。トロムソの病院のデータでは、1999年から2013年のあいだに、1年後生存で見た救命率が24例中9例、37.5パーセントまで改善している。

そして皮肉なのは、この技術を医療界に強く印象づけたのが、ほかならぬアンナの症例だったということだ。彼女は自分を助けた技術の宣伝役になり、その技術のおかげでその後の何百人かが助かった。

「冷たさは脳を守る」という逆説

ここまで低体温を悪者として書いてきたが、話はひっくり返る。

冷やすと、脳が守られる。これが低体温症のいちばん奇妙で、いちばん役に立つ性質だ。

脳細胞が死ぬのは、酸素が足りなくなるからだけではない。虚血のあと血流が戻るときに起きる炎症や、細胞内でカルシウムが暴走する反応、フリーラジカルの発生といった一連の「後始末の失敗」が、実際の破壊の多くを担っている。体温を下げると、これらの化学反応がまとめて遅くなる。だから脳が壊れにくい。

この発想が臨床に入ってきたのが、心停止後の低体温療法だ。心臓が止まって蘇生した患者を、意図的に32度から34度くらいまで冷やして、一定時間その温度で維持し、それからゆっくり戻す。2002年に発表された欧州とオーストラリアの臨床試験で、神経学的な予後が改善するという結果が出て、一気に世界標準になった。

ただ、この分野はその後わりと荒れる。2013年に発表された大規模試験で、33度に冷やす群と36度に管理する群を比べたら差が出なかった。2021年のTTM2試験では、低体温群と、発熱だけ抑える通常体温管理群を比べて、やはり有意差が出なかった。結果として、現在の言い方は「低体温療法」ではなく「体温管理療法」になっている。冷やすことより、熱を出させないことのほうが大事らしい、という方向に振れている。

面白いのは、この揺り戻しがあってもなお、偶発的低体温症の患者に対する扱いは変わっていない点だ。人工的に33度まで冷やしても効果がはっきりしないのに、13.7度まで自然に冷えた人は助かる。この差はどこから来るのか。

たぶん、順番だ。治療としての低体温は、心臓が止まって脳がダメージを受けた「あと」に冷やす。事故の低体温は、心臓が止まる「前」に冷えている。冷え切ってから止まった脳と、止まってから冷やした脳では、条件がまるで違う。アンナの脳は、酸素が切れる前にすでに省エネモードに入っていた。

つまり、彼女を助けたのは事故の順番だった。先に冷えたから助かった。落ちた場所が雪解け水の沢で、顔の前に数センチの空気の層があって、40分かけてじわじわ冷えたこと。その全部が噛み合った。

界隈の議論、「温かくなるまで死んでいない」は本当か

この話、登山界隈や救急界隈ではずっと議論の的でもある。

「Nobody is dead until warm and dead」は、確かに強い言葉だ。強すぎる、という指摘がある。

まず数字。この標語の根拠としてよく引かれる北ノルウェーの研究は、28年間で34例、生存9例だ。生存率でいえば26パーセント。国際低体温症登録のデータでは、低体温症心停止の生存率は全体で36パーセントだが、山岳地域に限ると22.9パーセントまで落ちる。搬送に時間がかかるからだ。悪くない数字ではあるが、「冷たければ誰でも助かる」から相当に遠い。

もっと生々しい数字もある。生き延びた人のCPR時間の平均が29分だったのに対し、亡くなった人の平均は120分だった。つまり、実際に助かる人は「わりと早く戻ってくる」人が多い。何時間も戻らない人が、そのあと戻ってくることは滅多にない。アンナはむしろ、統計から大きくはみ出した例外だ。

助かる見込みを予測する道具もできている。カリウム値がひとつの指標だ。細胞が壊れると血中カリウムが上がるので、これが高い人はすでに組織が死んでいる。生存者の中でいちばん高かったカリウム値は5.9という報告があり、一方で「12を超えたら蘇生中止」という基準を示すガイドラインもある。この12という数字は緩すぎるのではないか、7か10くらいが妥当ではないか、という批判がある。近年はHOPEスコアという予測式が使われるようになった。年齢、性別、誤嚥の有無、CPR時間、カリウム値、深部体温を入れて、ECMOで救命できる確率を出す。

そして、現場からの反論。長時間のCPRは、それ自体が体を壊す。何時間も胸を押されれば肋骨は折れるし、肺も傷つく。ECMO自体にも致命的な出血合併症がある。運んだ先にECMOがなければ、その努力は形になりようがない。ある報告では、助からなかった患者のひとりが218日間入院していた。助かった患者のいちばん長い入院が106日だから、その倍だ。医療資源の話も、避けては通れない。

日本の山岳医療の書き手も、この点は率直に書いている。理屈の上では長時間CPRは正当化できる。ただ、6時間を超えてもECMOのある病院に届かないなら、中止を考えるべき場面がある、と。ガイドラインはそこまで明言しないが、現場の判断としてはそうならざるを得ない。

ネット上で「アンナのように助かるかもしれないから、諦めるな」という文脈でこの話が流通するとき、いつも抜け落ちるのが、彼女の背後にいる何百人という助からなかった人たちだ。この標語は、希望の言葉であると同時に、判断を放棄する言い訳にもなり得る。そこを冷静に見ている人ほど、この話をむやみに美談にしない。

もうひとつ、登山者のあいだでよく議論になるのが「冷たい水に落ちたら助かるかも、というのは危険な誤解だ」という点。アンナの生還は、氷の下に空気の層があって40分間呼吸できたことが前提になっている。溺水を伴う低体温は予後が全然違う。誤嚥があるかどうかはHOPEスコアの項目にもなっている。同じ「冷たい水」でも、息ができたかどうかで結末が変わる。

なぜこの話は、こんなに怖くて、こんなに美しいのか

最後に、この話の手触りについて書いておきたい。

怖さの正体は、たぶん「死んでいるように見えるものが、死んでいない」という一点にある。人間が死を判定するときに頼ってきた指標が、全部裏切られる。脈がない。呼吸がない。瞳孔が開いている。体が冷たい。硬い。この5つが揃えば、普通は死だ。それが揃っているのに、死んでいない。

冷凍庫の肉みたいだと医者に言われた19歳の女性が、数時間後に起き上がって普通に話す。心停止2時間半の女性が、10年後に山でスキーをしている。マイナス24度の雪の中で脈のなかった1歳児が、6週間後に家に帰る。理屈がついていても、その事実の並びは十分に怪談だ。

そして、その怪談の裏側で、もっと静かな怪談が起きている。凍えていく人間が、暑いと感じて服を脱ぐ。裸になって、それから穴を掘って潜り込む。誰もその内側を語れない。生き残った人がいないから、証言が存在しない。人類が何万年も雪の中で死に続けてきて、そのたびに同じ行動を取ってきたはずなのに、その体験は一度も言語化されていない。

美しさのほうは、たぶん「時間が止まる」という部分だ。

アンナの3時間は、彼女の中には存在しない。体温13.7度の彼女は、時間の外にいた。細胞の中の化学反応がほとんど止まっていたから、老いも、壊れもしなかった。そのあいだ、外の世界では100人以上の人間が9時間交代で働いていた。ヘリが飛び、機械が回り、誰かが胸を押し続けていた。

止まっている本人と、動き続けている周囲。この二重構造が、この話をただの生還譚から引き上げている。彼女が眠っているあいだ、彼女を諦めなかった人たちがいた。そして彼女が目を覚ましたとき、首から下は動かなかった。そこからもう一度、指1本ずつ動かして戻ってきた。

奇跡という言葉は、たぶん正確じゃない。彼女が助かったのは、氷の下に空気があったからで、5月の雪解け水が冷たかったからで、同僚が80分間スキー板を離さなかったからで、園芸用スコップを持っていた隊員がいたからで、飛べるヘリがあったからで、その先の病院に人工心肺があったからで、そしてその病院の責任者が「温かくなるまで死んでいない」と言い切る人だったからだ。

全部、誰かの判断だ。奇跡は、条件が全部揃ったときにだけ、あとから奇跡と呼ばれる。

死の定義は、温度に依存している

改めて全体を俯瞰すると、この題材の芯にあるのは「死の定義は温度に依存する」というかなり不穏な事実だと思う。

我々は日常的に、生と死のあいだにくっきりした線があると思っている。心臓が止まる。呼吸が止まる。脳が止まる。それで終わり。ところが低体温症は、その線を温度でずらしてしまう。37度の体では、心停止から数分で脳が不可逆になる。13度の体では、3時間経ってもまだ戻れる。同じ「心停止」という現象が、温度によってまったく違う意味を持つ。だとすると、死とは状態ではなく、速度の問題だということになる。生きているとは、化学反応が一定の速さで進んでいることであり、死とは、その反応が二度と再開できないところまで壊れることだ。反応が遅いだけの体は、死んでいない。ただ、遅い。

この視点に立つと、矛盾脱衣も潜り込みも、単なる異常行動には見えなくなってくる。あれは、人体が「速度を落とすモード」に入り損ねている姿だと解釈できる。冬眠する動物は、体温を下げながら、同時に代謝を秩序立てて落としていく。血液の性質を変え、心拍を落とし、巣に潜り、そして春まで待つ。この一連の手順が、遺伝子のどこかにプログラムとして残っている。人間にはその後半が失われている。潜るところまではやる。脱ぐところまでやる。でも、そこから先の「春まで待つ」が実行できない。だから死ぬ。凍死する人の最期の行動が動物じみて見えるのは、実際に動物の名残だからだ。使えない冬眠プログラムの、前半だけが起動している。そう考えると、あの現象の薄気味悪さの正体もはっきりする。あれは壊れた人間を見ているのではなく、人間の中に残っていた別の生き物の断片を見ているのだ。

もうひとつ、この題材を扱っていて何度も引っかかったのが、証言の非対称性だ。アンナ・バーゲンホルムは生還したが、彼女の中に3時間の記憶はない。ジーン・ヒリアードも「眠って病院で目が覚めた感じ」としか言えない。エリカ・ノードビーは1歳だった。つまり、この現象の中心にいた人たちは全員、中心について何も語れない。語っているのは常に外側の人間だ。氷の上でスキー板を掴んでいた同僚。鼻から出た泡に気づいた隣人。9時間交代で機械を回した医療スタッフ。深夜2時に娘がいないことに気づいた母親。この物語は、当事者の空白を、周囲の証言で埋めることで初めて成立している。生還譚というより、目撃譚だ。そして目撃譚であるという構造が、この話をどうしても怪談に寄せる。

医学の側から見ると、この20年で確実に変わったのは、諦める基準が数字になったことだ。かつては「冷たい人は温めるまで諦めるな」という標語しかなかった。今はカリウム値があり、HOPEスコアがあり、CPR時間の分布があり、ECMOのある病院までの搬送時間という現実がある。標語だけの時代から、確率で語れる時代になった。これは間違いなく前進だ。ただ、同時に少し寂しい変化でもある。1999年のトロムソで、100人以上のスタッフが9時間交代でひとりの女性のために動いたのは、確率を計算した結果ではなかった。むしろ、確率を無視した結果だった。あのとき数字があったら、彼女は蘇生されなかったかもしれない。医学は、無謀な一例から学び、その学びによって次の無謀を許さなくなる。皮肉と言えば皮肉だし、それが進歩の形だとも言える。

現代的な文脈も足しておくと、この分野は今、また別の方向に伸びている。ひとつは外傷への応用だ。大量出血で助からない患者の血液を冷たい保存液に入れ替えて体温を10度台まで落とし、その間に手術をして、それから温め直すという発想。動物実験ではかなりの成功率が報告されていて、人間への応用も臨床試験の段階に入っている。要するに、事故で起きたことを意図的に再現しようとしている。アンナに起きたことを、手術室で計画的にやる。もうひとつは宇宙だ。長期の宇宙飛行で乗員を低代謝状態に置く研究が真面目に進んでいる。SFの冷凍睡眠が、13.7度の生還例を出発点にして、少しずつ現実の側ににじり寄ってきている。

最後に、この話が持っている倫理的な棘についても書いておきたい。「温かくなるまで死んでいない」という言葉は、裏返せば「冷たい遺体を前にして、簡単に手を止めるな」という要求だ。それは救命の側にとっては誇り高い原則だが、家族にとっては残酷にもなり得る。何時間も胸を押され続ける身内を見せられ続ける時間が、そこにはある。そして、大半の場合、それは戻ってこない。ここで紹介した生還例は、どれも例外中の例外だ。低体温症で亡くなる人のほうが圧倒的に多い。日本でも、山だけでなく、暖房のない部屋でひとり冷えていく人が毎年たくさんいる。奇跡の話ばかりが流通することで、その大多数が見えなくなるのは、たぶん良くない。

それでも、この話には残るものがある。氷の下で40分間意識があった人が、そのあと40分間死んでいて、そこから戻ってきた。戻ってきた彼女は、自分を助けた病院で医者として働き続けた。冷たさは人を殺すが、同じ冷たさが人を守る。同じものが、順番次第でどちらにもなる。世界がそういう作りになっているという事実が、たぶん、この話をいつまでも忘れられないものにしている。

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