奇怪千万からのお願い

このサイトの記事が面白かった、役に立ったと思って頂けたら、一つお願いがございます。
Amazonで何か買う予定があるとき、その前に下のボタンから入って頂いて買い物をしていただくと
サーバーの運営費と心霊スポットやパワースポットの取材費になります。

ここから入って買い物をすると、金額の数%が紹介料として私に入ります。
貴方様の支払いが増えることは一切ありません。買う物も何でも構いません。
記事をもっとたくさん増やしたいので、ご協力をお願いします。

当サイトではアマゾンアソシエイト以外のアフィリエイトは使用しません
(記事が見づらくなるから・・・)

一億色の女がいた。北イングランドの暗室で、彼女だけが全問正解した――四色型色覚(テトラクロマシー)をめぐる二十年の追跡と、「あなたの見ている赤」という終わらない問い

いきなりだけど、こういう話をする。

あなたの隣を歩いている誰かが、あなたには絶対に見えない色を見ている。しかもその人自身、自分が余計に見ていることに気づいていない。生まれてからずっとそうだったからだ。比較対象がない。だから気づきようがない。

これはオカルトの導入みたいな書き出しだけど、全部、査読を通った論文の話だ。

「人間は百万色を見分ける」という、わりと雑な前提

まず土台を確認しておく。

人間の網膜には錐体細胞というセンサーが三種類ある。長波長に強いL錐体、中波長のM錐体、短波長のS錐体。ざっくり赤・緑・青と言われるやつだ。この三つの反応の比率を脳が計算して、私たちは色を感じている。

よく「人間は約百万色を見分けられる」と言われる。この数字の出どころは意外と大雑把で、錐体一種類あたり明るさの段階を百くらい区別できると仮定して、それを三乗すると百万になる、という掛け算だ。

ちゃんと測ろうとした研究はいくつもあって、ポインターとアトリッジが一九九八年に出した推定は約二百三十万色、リニャレスらが自然風景の分光画像五十枚から出した数字もやはり二百三十万色くらい。かと思えば一九三九年にジャッドとケリーは一千万色と言っているし、二〇一三年に正岡らが書いた論文のタイトルはずばり「見分けられる物体色の数は難問である」だった。使う色空間と色差の閾値を変えるだけで数字が何倍も動く。つまり「百万色」はきれいな目安であって、聖書ではない。

それでも掛け算の構造は正しい。センサーが一種類増えれば、区別できる組み合わせは掛け算で百倍になる。だから錐体が四種類ある人がいたら、理論上の上限は一億色になる。これがテトラクロマシー、四色型色覚という話の骨格だ。

そして厄介なことに、この能力を持ちうるのは女性だけなんだ。

一九四八年、オランダ人が論文の最後のページに書き捨てたひとこと

話の始まりは戦後まもない一九四八年、オランダの物理学者ヘッセル・デ・フリースが『フィジカ』誌に出した論文だ。タイトルは「正常および異常な二色型・三色型の眼の基本応答曲線」。色覚異常の人の網膜が、どの波長にどう反応するかを地味に測りまくった論文で、正直そこだけ読むと退屈な部類に入る。

デ・フリースがやっていたのはこういう実験だ。被験者に装置のダイヤルをいじらせて、赤い光と緑の光を混ぜてもらう。その混合光が、基準として示された黄色と同じに見えたところで止めてもらう。これがレイリー・マッチと呼ばれる古典的な検査で、色覚異常の男性は正常な人より赤か緑を余分に入れないと一致しない。だから診断に使える。

ここでデ・フリースは、なんとなく思いついて、被験者の一人の娘さんを二人テストしてみた。彼女たちは色覚異常ではない。赤と緑もふつうに見分ける。ところが、マッチを取らせると、正常な人よりわずかに多く赤を入れないと納得しなかった。

色覚異常じゃないのに、正常でもない。

デ・フリースは考えて、答えらしきものにたどり着く。色覚異常の男性が持っているずれた錐体、あれを娘たちも受け継いでいるはずだ。ただし彼女たちには正常な三種類も揃っている。つまり合計四種類。彼女たちの網膜には四つの錐体があるのではないか。

そして論文の三百八十ページ、いちばん最後の方に彼はこう書いた。これらの娘たちは四色型であるに違いない、と。

人類史上はじめて「人間のテトラクロマット」という概念が文字になった瞬間が、地味な物理学論文の末尾の余談だった。デ・フリースはこの件について二度と書かなかった。

X染色体という抽選会場、あるいはなぜ男には絶対に起こらないのか

なぜ女性だけなのか。ここは丁寧に押さえておきたい。

L錐体とM錐体のオプシン、つまり光を吸収するタンパク質の設計図は、X染色体の長腕に並んで載っている。しかもこの二つの遺伝子は塩基配列が九十八パーセントも似ている。三百六十四個のアミノ酸のうち違うのは十五個だけ。

似すぎている遺伝子が隣り合って並んでいるものだから、減数分裂のときに位置がずれて対合してしまうことがある。そこで組み換えが起きると、前半はM、後半はLという継ぎ接ぎの遺伝子、いわゆるハイブリッド遺伝子ができあがる。この設計図から作られる錐体は、感度のピークがLとMの中間あたりに来る。これが異常三色覚の正体だ。

男性のX染色体は一本しかない。だから継ぎ接ぎの遺伝子を受け取ったら、その人の錐体は三種類のままで、そのうち一つがずれているだけ。見分けられる色数は減り、赤と緑の区別がつきにくくなる。日本眼科医会の数字だと日本人男性の二十人に一人がこれに当たる。

女性はX染色体を二本持っている。片方に正常なLとMの遺伝子、もう片方に正常なLと継ぎ接ぎのL’遺伝子、という組み合わせがありうる。

ここで効いてくるのがX染色体不活性化だ。一九六一年にメアリー・ライオンが見つけた現象で、女性の各細胞では二本のX染色体のどちらか一方がランダムに黙らされる。網膜が作られる胚の段階でこれが起きるから、できあがる網膜は「父方のXを使っている細胞」と「母方のXを使っている細胞」のまだら模様になる。三毛猫の毛色と同じ理屈だ。

結果、その女性の網膜にはS、M、L、そしてL’という四種類の錐体が同居することになる。設計図の上では、彼女は四色型だ。

日本眼科医会の推計だと色覚異常の保因者は女性の十人に一人。ジョーダンの推定では四つの錐体を持つ女性は全女性の十二パーセント。もっと緩い基準で数えれば欧州系女性の四十七パーセントという数字を出した研究者もいる。

つまり、四つ目の錐体を持っている女性は、全然珍しくない。珍しくないどころか、街を歩けばぶつかる。ここが、この話がねじれていく分岐点になる。

モロンとジョーダン、二十年間の空振り

一九八〇年代、ケンブリッジ大学のジョン・モロンは新世界ザルの色覚を研究していた。中南米のサルは面白い生き物で、オスはほぼ全員二色型なのに、メスの三分の二はヘテロ接合になって三色型になる。X染色体の遺伝子多型がそのまま色覚の個体差になる。モロンとボウメーカーとジェイコブスが一九八四年に出したこの研究は、脳が「余った錐体信号」を勝手に使いこなせることを示していた。特別な神経回路が新しく進化しなくても、三色型になれてしまうのだ。

モロンはこの流れでデ・フリースの余談を掘り起こす。彼のもとにいた学生がガブリエレ・ジョーダンだった。二人は考えた。色覚異常が男性の五パーセントもいるのなら、その母親と娘、つまり四つの錐体を持つ女性も同じくらいたくさんいるはずだ。ならば、色覚異常の息子を持つ母親を集めてテストすればいい。

一九九三年、二人は『ヴィジョン・リサーチ』誌に最初の本格的な結果を出す。専用の色度計を作って、五百四十六から六百九十ナノメートルの範囲で、通常より一つ多い原色を与えて比率マッチをさせた。真の四色型なら、三つの原色では絶対に満足な一致が作れないはずだ。余分な次元が見えてしまうから、どこかで必ず「まだ違う」と言うはずだ。

結果は、空振りに近かった。

十四人の絶対保因者のうち、特異なマッチを示したのは一人だけ。残りは全員、平然と一致を取った。四つの錐体を持っているのに、行動としては三色型そのものだった。

ジョーダンは疑いはじめる。四つ目の錐体は、実は働いていないのかもしれない。スーパービジョンなんて最初から存在しないのかもしれない。この空振りが、二十年近く続く。

二〇〇七年、暗室に三つの光が灯る

転機は方法を変えたことだった。

ジョーダンはこの頃ニューカッスル大学に移っていた。彼女は「一致を取らせる」のをやめて、「違いを当てさせる」ことにした。マッチング課題は主観的な基準に依存する。どこで「同じ」と言うかは人によってブレる。強制選択課題なら、正解か不正解かしかない。ごまかしが効かない。

装置はこうだ。被験者は真っ暗な部屋に座り、マクスウェル視の光学系を覗き込む。視野の中心に二度ぶんの小さな円が、三回続けて光る。三回のうち二回は五百九十ナノメートルの単色の黄色。残り一回は、五百四十六ナノメートルの緑と六百七十ナノメートルの赤を混ぜた光だ。混合の比率はコンピュータがランダムに変える。被験者の仕事はただ一つ、三回のうちどれが混合光だったかを答えること。

このあたりの波長域ではS錐体はほとんど反応しない。だから普通の三色型の人にとって、この課題は事実上「二色型」の状態で挑むことになる。赤と緑の比率をうまく調整してやれば、混合光は単色の黄色と物理的に区別できない同じ信号になる。これがメタメリズム、条件等色だ。そうなったら、どうやっても当てられない。当てずっぽうになる。

ところが四色型なら話が違う。四つ目の錐体は、単色の黄色と、赤緑混合とで別の反応を返す。メタメリズムが壊れる。だからどの比率でも混合光がわかってしまう。理論上、真の四色型は絶対に外さない。

色収差で手がかりを与えないよう、円の周りには時間的に変化する色ノイズの環がかぶせてある。輝度でバレないよう、単色光の強さも段階的に振ってある。逃げ道は全部塞いである。

ジョーダンはこの検査を、四つ目の錐体を持つことがわかっている女性たちに順番に受けさせていった。二型異常三色覚の保因者が十八人、一型の保因者が七人。対照群として、正常色覚の女性と男性も。

対照群は全員、予想通りどこかで落ちた。保因者たちもほとんどが落ちた。当てずっぽうに近い比率の帯が、必ずどこかに現れた。

一人を除いて。

cDa29 ――名前を持たない、北イングランドの医師

論文の中で彼女は cDa29 と呼ばれている。carrier of deuteranomaly の二十九番目、という意味の通し番号だ。北イングランドに住む医師で、それ以上のことはほとんど公表されていない。年齢層は三十八歳から六十八歳の集団の中の一人。二型異常三色覚の息子が二人と、色覚が正常な息子が一人いる。息子が異常三色覚だという事実そのものが、彼女が絶対保因者である動かぬ証拠になる。

彼女は全問正解した。

赤と緑の混合比率をどこに設定しても、単色光の輝度をどう振っても、外さなかった。しかも速い。反応時間の平均は一秒二二一。他の被験者は「難しい帯」に入ると露骨に遅くなるのに、彼女の反応時間は刺激空間の端から端までほぼ平坦だった。迷っていないのだ。他の人が迷路で立ち往生している場所を、彼女はまっすぐ歩いて通り抜けていた。

二か月後に再テストした。正答率も反応時間も同じだった。まぐれではない。

「私は飛び上がって喜びました」。ジョーダンは後にこう振り返っている。二十年だ。空振りを続けた二十年の末に、ようやくユニコーンが檻の中に立っていた。

ただしジョーダンは、ここで手を止めなかった。彼女には次の一手があった。

息子たちが、母親の答え合わせをした

これが個人的にいちばん美しいと思う部分だ。

ジョーダンたちは第二の検査を用意していた。今度は光ではなく表面色、つまり色のついた面を使う。二型異常三色覚の男性は、正常な人には全部同じオリーブ色に見える微妙な混合色を、なぜか見分けてしまうことがある。彼らのずれた錐体が、正常な人にはない対比軸を作り出しているからだ。この検査は、まさにその「異常者だけに見える軸」を炙り出すために設計されている。輝度は毎回ランダムに揺らして、明るさで判断できないようにしてある。

被験者には色の組み合わせを見せて、どれとどれがどのくらい似ているかを主観で答えてもらう。その全ペアの類似度を多次元尺度構成法にかけると、その人の頭の中の色空間が何次元でできているかが図として出てくる。

cDa29 の二人の異常三色覚の息子にこれをやると、二次元の空間が出た。第一次元は彼らの異常な錐体の軸、第二次元は青黄の軸。教科書通りの異常三色覚の色空間だ。

正常色覚のもう一人の息子にやると、彼は色の組を分離できなかった。第一次元は普通の赤緑と青黄の混ざったもの、第二次元は相関を取っても何とも一致しない、ただのノイズだった。

そして母親、cDa29。彼女の色空間は、はっきり二つの集合を分離していた。第一次元は正常な三色型の軸と強く相関した。ところが第二次元が、異常三色覚の息子たちの第一次元と相関したのだ。相関係数は〇・七七と〇・六五。

つまり彼女は、正常な息子ができる区別も、異常な息子たちにしかできない区別も、両方できていた。母親の頭の中に、二人の息子の色空間が重ね合わさっていた。これは比喩じゃない。データがそう言っていた。

論文は二〇一〇年、『ジャーナル・オブ・ヴィジョン』第十巻第八号に掲載された。著者はガブリエレ・ジョーダン、ワシントン大学のサミール・ディーブ、当時ケンブリッジのジェニー・ボステン、そしてジョン・モロン。タイトルは「異常三色覚の保因者における色覚の次元性」。派手さのかけらもない題名だ。

十二ナノメートルという、宝くじみたいな隙間

では、なぜ他の二十三人の保因者は駄目で、彼女だけが特別だったのか。ここでディーブの遺伝子解析が効いてくる。

cDa29 のハイブリッド遺伝子は、エクソン一から四までを正常なM配列から、エクソン五と六を正常なL配列から取っていた。この構造から作られるオプシンの吸収ピークは、マーブズとネイサンズが一九九二年に試験管内で測った値をあてはめると約五百四十五ナノメートル。彼女はこれに加えて正常なM遺伝子とL遺伝子も持っている。それぞれ約五百三十、約五百五十七ナノメートル。

つまり彼女の網膜には、長波長側だけで五百三十、五百四十五、五百五十七という三つのピークがきれいに並んでいた。L’とLの間隔は十二ナノメートル。これがかなり広い。アセンホらの別の推定値を使っても、間隔は同じく十二ナノメートルになる。

錐体が四種類あっても、二つのピークがくっつきすぎていたら信号はほとんど同じになる。区別する意味がない。だから間隔が広いことは必要条件に見える。

ただしジョーダンたちは慎重で、それだけでは十分条件にならないと書いている。cDa15 という別の保因者は十一ナノメートルの間隔を持っていたのに、どの検査でも凡庸だった。逆に cDa20 は四ナノメートルしか離れていないのに、異常軸と有意な相関を示した。間隔以外の何か、たとえば網膜上での錐体の並び方の偏り、L型に偏ったモザイク、あるいは網膜から皮質に送られる色信号の重みづけ。そういう要素が絡んでいる。

ちなみに二〇一九年のレビューでジョーダンとモロンは、英国の二〇一二年国勢調査を使ってこんな推定を出している。ハイブリッド遺伝子の保因者は英国だけで約三百九十万人。そのうち十二ナノメートルという最適な間隔を持つと期待されるのは、四万八千五百八十五人。約八十分の一だ。そしてその中でさらに、脳がその信号を実際に使いこなせている人がどれだけいるのか。誰も知らない。

錐体があっても脳が使わなければ、何も起きない

ここが本題だ。この話でいちばん大事な区別を、はっきりさせておきたい。

網膜に四種類の錐体があること。これを仮に遺伝的な四色型と呼ぶ。ジョーダンの推定で女性の十二パーセント、もっと緩く数えれば半分近く。全然レアじゃない。

四つの信号が独立に脳まで届き、四次元の色空間として使われていること。これを強い四色型、あるいは機能的四色型と呼ぶ。ジョーダンとモロンが一九九三年に定義した用語で、色を一致させるのに四つの独立した原色が必要になる状態を指す。二十年以上探して、査読論文で報告されたのは cDa29 ただ一人だ。

その中間に、弱い四色型がある。錐体は四種類あるが、網膜より後ろの段階では三つの信号にまとめられてしまっている状態。この人たちは色混合の第三法則、グラスマンの法則が微妙に破れることで見分けられることがある。でも実用上は三色型と変わらない。

なぜまとめられてしまうのか。網膜の神経節細胞のうち、色を運ぶミジェット細胞は、中心に一個の錐体、周辺にそれ以外の錐体をまとめた入力、という受容野を持つ。中心にどの錐体が来るかで色特異性が決まる仕組みだから、理屈の上では四つ目の錐体もそのまま新しいチャンネルになれる。しかしそこから先、大脳皮質がその信号を「他とは別物だ」と学習しなければ、余分な次元は生まれない。ヴァハトラーたちが二〇〇七年にモデル計算で指摘したのは、自然の風景の中には、四つ目の錐体信号を教師なしで学習できるだけの情報が足りないかもしれない、ということだった。

ワシントン大学のジェイ・ナイツはこの点をもっと身も蓋もなく言っている。私たちが色つきだと思っているものの大半は、三色型の人間のために三色型の人間が作ったものだ。テレビは三色しかない。カラープリンタも三色だ。人工的に作られたもので、テトラクロマットだけに見えるものなど何一つ存在しない、と。

つまり彼女たちは、自分たちより劣った感覚に合わせて設計された世界に閉じ込められている。四つ目の錐体を鍛える機会が、日常のどこにもない。これがナイツの見立てだ。

コンチェッタ・アンティコ ――もう一人の主役と、その周りの雑音

cDa29 はメディアの取材を一切受けていない。名前も顔も出ていない。だから世間の「テトラクロマット」のイメージを作ったのは、まったく別の人物だ。

コンチェッタ・アンティコ。シドニー生まれ、サンディエゴで長く活動してきた画家で、油彩を一気に描き上げるスタイルで知られる。ユーカリの幹に紫とモーブが入り、オウムの黄色い冠羽に緑と青が混じる。ふつうなら作家の解釈だと片づけられる色使いだ。

彼女は生徒を公園に連れていくたびに、こう聞いていたという。水面の光を見て、あの岩を横切るピンクのきらめきが見える? あの葉っぱの縁の赤が見える? 生徒たちはみんなうなずいた。

彼女がそれを真に受けたのは、ずいぶん後になってからだった。生徒たちは礼儀正しかっただけで、実際には何も見えていなかった。

きっかけは客の一言だった。彼女の絵を見た誰かが、テトラクロマシーを研究している人たちに連絡してみたら、と言った。唾液を試験管に吐いてワシントン州の検査機関に送ると、結果は陽性。

ちょうど同じ頃、当時七歳だった彼女の娘が、学校のホワイトボードの色つきマーカーが見づらいと訴えていた。娘は色覚異常だった。母親から受け継いだハイブリッド遺伝子によって。同じ遺伝子が、母には余剰を、娘には欠損をもたらした。この非対称は、この話のいちばん残酷な部分かもしれない。

アンティコの証言はとにかく具体的だ。砂利道について彼女はこう言う。あなたや私にはくすんだ灰色に見える道が、彼女には宝石店のショーケースみたいに光る。小さな石がオレンジや黄色や緑や青やピンクで飛び出してくる、と。

虹色ユーカリを描いたときのことは、こう語っている。絵の具のチューブが飛び交っていた。黄色、紫、ライムグリーン、樹皮を流れる色の筋を全部再現しようとして、パレットの上で必死に混ぜていた。

そして一番好きな色は白だと言う。理由が変わっている。人からは意外がられるけれど、白は目にとって穏やかで休まるから、と。白の中にもたくさん色があるけれど、それは私を痛めつけてこない。ゴミの山を見たときの感覚を、彼女は「色が多すぎて痛い」と表現している。

パーフェクトストーム、という言葉が出てきた実験

アンティコを本格的に測ったのは、カリフォルニア大学アーバイン校のキンバリー・ジェイムソンと、ネバダ大学リノ校のアリッサ・ウィンクラーだ。二〇一四年に予備報告が公開されている。

彼女たちが選んだのは最小運動法という手法だった。二つの色を交互に高速で切り替えて見せると、明るさの差に応じて錯覚的な運動が片方向に見える。明るさが釣り合った点で運動が最小になる。この点は主観的な「同じ明るさ」を非常に安定して測れることが知られている。色の見分けを直接聞くのではなく、明るさの釣り合いを通して間接的に錐体構成を推定しよう、という発想だ。

ジェイムソンははっきり書いている。四色型を測るための道具など存在しない。あらゆる表示装置は三原色モデルで作られている。だから既存の検査は全部使えない、と。

結果はこうだった。アンティコの等輝度点は、色空間のある領域で、遺伝的素因を持たない女性の対照群から明確にずれた。ずれが出たのは赤成分を多く含む刺激と、赤と青の混合を含む刺激。彼女は等輝度を達成するのに、必要な赤原色の量が系統的に少なくて済んだ。LとL’という二つの長波長錐体を持っていれば、まさにそうなるはずの結果だった。

ジェイムソンはもう一つ面白い比較をしている。芸術訓練を受けていない別の遺伝的四色型女性と、正常色覚の画家。この二人と比べても、アンティコの成績だけが突出した。ここから出てきたのが有名なコメントだ。コンチェッタはテトラクロマシーにとってのパーフェクトストームだ、と。毎日色と格闘してきた膨大な知覚学習の経験が、遺伝子と噛み合って初めてこうなる、という意味である。

彼女はまた、色は世界の側にはない、観察者の心の中の構成物だ、という主張をジェイムソンらしい強さで展開している。プロヴァンスのひまわり畑を見た人がみな「黄色い花、青い空、茶色い土」と報告するとき、その黄色や青は外に存在していない。観察者の視覚装置が作った、きわめて個人的な構成物なのだ、と。

懐疑派の言い分を、ちゃんと聞く

ここまで景気のいい話ばかりしてきたので、反対側の声を丁寧に並べる。

ジェニー・ボステンの発言は、当事者としてかなり抑制が効いている。彼女は二〇一〇年論文の共著者で、まさに cDa29 を見つけた側の人間だ。それでもこう言う。かなりの数の女性が四色型の遺伝的潜在能力を持っているけれど、誰か一人についても、テトラクロマシーが存在するという決定的な証拠はまだ得られていない、と。

自分たちの論文があるのにこの言い方をするのは、標本数が二十四人しかないこと、被験者の集め方に偏りがあることを自覚しているからだ。実際ジョーダンとモロンは二〇一九年のレビューで、募集方法そのものが結果を歪めると認めている。色覚異常の息子を通じて母親を集めると、症状の重い息子ばかりが集まる。ところが理論上いちばん有望なのは、症状が軽くて本人も自覚していない「最小異常三色覚」の男性の母親なのだ。つまりこの探索は、最初から一番の当たりくじを外すように設計されていた可能性がある。

もう一つ、当事者からの懐疑の声を紹介したい。シドニーの画家キャロル・ダンスは、自身も検査で四色型の可能性が高いと言われた人物だ。息子が色覚異常で、ニューサウスウェールズ大学の検眼学部で二時間かけて色の弁別課題をこなし、九十九パーセントの確度で四つ目の受容体があると言われた。

彼女はアンティコのギャラリーのオープニングを取材して、こう書いている。コンチェッタは自分を「カラークイーン」と称し、宣伝資料には三色型の人より何百万も多くの色が見えると書いてある。それは私が大学や各種の解説から説明されたテトラクロマシーとは違う。さらに彼女は、自分の絵を明るい色で描くことで鑑賞者に自分の見え方を体験させられる、と言っている。それは色覚異常の人が三色型の見ているものを見られる、と言うのと同じことで、もちろん不可能だ、と。

同時にダンスは、自分自身の体験も率直に書いている。最初は特別な色覚を持っていると聞いて浮かれた。けれどすぐに、自分の絵は他人には自分が見ているようには見えていないのだと気づいて、絵を描くのが嫌になった。誰にも見えていない虹を指さすのは、なかなか気まずい。他に何を、私は一人だけ見ているんだろう。

ジャーナリストのモーリーン・シーバーグの話も具体的で面白い。彼女はラジオ番組でテトラクロマシーの特集を聴いて研究者に連絡し、唾液検査で陽性が出た。彼女は昔から色の話で人と穏やかに揉めてきたという。服を買うときに、他の人にはぴったり合って見えるトップスとスカートの色が、彼女には壊滅的に喧嘩して見える。家の改装を手伝ったときには、塗料の見本を三十二枚却下してからようやく一枚を選んだ。ベージュは黄色すぎて青みが足りない、冷たさが足りない。アーモンドはオレンジに寄りすぎている。工務店の人は困惑しきっていた。ただし本人も認めている通り、これは全部逸話であって、データではない。

そしてジェイ・ナイツの推定は二パーセントと、ジョーダンの十二パーセントよりずっと辛い。彼はこうも言っている。一億色を見るのは、たぶん相当に頭がぶっ飛ぶ体験だろう。男には扱いきれないだろうな。だから女性に限られているのかもしれない、と。半分は冗談だが、半分は「その情報量を処理する脳の方が問題なんだ」という指摘だ。

決定打として、ナイツ研究室のレゼアヌらは二〇二一年に「四種類の錐体を持つ女性に機能的四色型が見られない理由の説明」という発表をしている。タイトルからして、この分野の空気がわかる。

ネットの「テトラクロマット判定テスト」が、全部インチキな理由

二〇一五年二月末、あの青と黒か白と金かで揉めたドレス騒動の直後に、今度はテトラクロマシー判定テストが拡散した。グラデーションの帯が並んだ画像を見せて、色がいくつ見えるかを数えさせる。三十二色より多く見えたらあなたは四つ目の錐体を持っている、というやつだ。二十五パーセントの人がテトラクロマットだ、というおまけまで付いていた。

これは物理的に不可能だ。理由は一行で説明できる。

あなたが見ている画面は、赤と緑と青の三つの原色しか出せないから。

もう少し丁寧に言う。四色型を炙り出すには、条件等色を壊す必要がある。三色型の人には区別できないが四つ目の錐体には区別できる、そういう二つの光を用意して並べなければならない。具体的には、五百九十ナノメートル付近の単色の黄色と、赤と緑を混ぜて作った偽の黄色。この二つだ。ところがRGBモニタは単色の五百九十ナノメートルを単独で作れない。作れるのは赤画素と緑画素の混合、つまり常に偽物の方だけだ。片方しか出せない装置で、二つを比べさせることはできない。

ニューカッスル大学のテトラクロマシー・プロジェクト自身が、公式に断言している。コンピュータの画面はテトラクロマットが持つかもしれない余分な次元に触れるだけの色情報を提供できない。したがってオンラインでテトラクロマシーを調べることは不可能である、と。ファクトチェックサイトも二〇一五年三月にこの結論を出している。

ではネットのテストは何を測っているのか。三色型の色空間の中での、微細な色差の弁別能力だ。それはそれで意味のある能力ではあるけれど、四つ目の錐体とは関係がない。しかも数字は、あなたのモニタの色域とキャリブレーション、部屋の照明、画面の明るさ、疲れ具合でいくらでも動く。高得点は、あなたの目が優秀だという証明よりも、あなたのモニタが高級だという証明に近い。

さらに念を押しておくと、四つ目の錐体の有無は遺伝子検査でわかる。でも遺伝子検査だけでは足りない。遺伝的に四色型でも、行動としては三色型という人が大多数なのだから。実際に測るには特注の光学系と暗室と較正された分光光源が要る。要するに研究室が要る。家では無理だ。

面白いのは、これに真正面から挑もうとしている人たちがいることだ。二〇二四年にコンピュータグラフィックスの国際会議で発表された研究は、四色型のための理論的な色空間を計算し、三色型のCMYに相当する四色型用の理想的なインクセットを導出して、万年筆インクと多重パス印刷で試作機まで作っている。画面が駄目なら紙でやればいい、という発想だ。四色型の色相は円ではなく球になる、という予測まで立てている。この球体の色相環という概念、なかなか眩暈がする。

鳥と蝶とシャコ ――「多ければ偉い」わけではないという教訓

人間の四色型を考えるときの補助線として、動物の色覚は本当に役に立つ。

鳥はほぼ全種が四色型だ。網膜に四種類の単錐体を持ち、紫外線か紫のどちらかに感度のピークを持つ短波長錐体を備えている。しかもそれぞれの錐体の中に油球という小さな球体が入っていて、これがカロテノイドで色づいたフィルターとして働く。透明、淡黄、淡緑、黄、赤の五種類があって、光が視物質に届く前に短波長側を切り落とす。結果として各錐体の感度曲線が細く尖り、隣どうしの重なりが減る。つまり色の分解能が上がる。

紫外線型の鳥では、短波長錐体の感度がずれた分、隣の錐体の油球の色素まで作り替えて、四つのピークが等間隔に並ぶよう調整されていることまでわかっている。ゼブラフィンチやキンカチョウの網膜は、そういう精密機械だ。人間の網膜には油球がない。哺乳類は進化の途中でこれを丸ごと失っている。

蝶はもっと極端だ。アオスジアゲハの複眼を細胞内記録で片っ端から測った研究では、十五種類の異なる分光感度が見つかった。紫外、紫、青、青緑、緑、赤の六クラスがあり、青が三亜種、緑が四亜種、赤が五亜種に分かれる。昆虫では記録的な数だ。

ここで肝心なのは、この研究者たち自身が「だから十五色型か」という問いに慎重に答えていることだ。まず可能性は低い、と彼らは書いている。近縁のアゲハで行動実験をした結果、実際に色の弁別に使われていたのは紫外、青、緑、赤の四チャンネルだけだった。残りの受容体は、たぶん動きの検出とか特定の信号の検出とか、別の仕事をしている。センサーの種類の数と、色覚の次元の数は、まったく別物なのだ。

そして極めつけがシャコだ。この生き物は光受容器を最大で十二種類持っている。深紫外の三百ナノメートルから遠赤の七百二十ナノメートルまでを、それぞれ細い帯で切り分けている。偏光受容器まで別に六種類ある。長らく「究極の色覚を持つ生物」として語られてきた。

二〇一四年、クイーンズランド大学のハンネ・トゥーンとジャスティン・マーシャルたちが『サイエンス』誌に出した論文が、この神話を粉砕した。彼らはシャコに特定の色の光ファイバーを選ばせると餌がもらえる、という訓練をした。そのうえで二択にして、二つの色をだんだん近づけていった。赤と青のような遠い組み合わせは楽勝だった。ところが波長差が二十五ナノメートルを切ったあたりから怪しくなり、組み合わせによっては十二ナノメートル差でチャンスレベル、つまり完全な当てずっぽうになった。

人間は同じ課題で一ナノメートル台の差を見分ける。蜂も魚も蝶も、シャコより上だった。十二種類の受容器を持つ生き物が、三種類の人間に負けたのだ。

マーシャルたちの解釈はこうだ。シャコは色を比較していない。十二個の細い箱に光を放り込んで、どの箱が鳴ったかで色を識別している。目を上下にスキャンさせながら、時間軸に沿って読み取る方式だ。比較演算をしないから精度は出ないが、脳をほとんど使わずに一瞬で判定できる。捕食するにも逃げるにも一撃が命の生き物には、精度より速度なのだ。

この結果が四色型の話に投げかけるものは重い。受容器を増やしても、後段の処理が対応していなければ、色覚は良くならない。むしろ違うものになる。人間の四つ目の錐体もまったく同じ問題を抱えている。網膜にあることと、脳が使うことは、別々の話なのだ。

リスザルのダルトンとサム、そして脳の意外な柔軟さ

ただし、脳の方が意外と融通が利くという証拠もある。しかもかなり強力なやつが。

二〇〇九年、ワシントン大学のジェイとモーリーン・ナイツ夫妻、フロリダ大学のハウズワースらのチームが『ネイチャー』誌に出した論文がそれだ。舞台はリスザル。この種のオスは全員が赤緑の二色型で、生まれてから一度も赤と緑を区別したことがない。

彼らはダルトンとサムという名の成体のオスに、ヒトのLオプシン遺伝子を積んだアデノ随伴ウイルスベクターを網膜下に注射した。片眼あたり三回、合計二兆七千億個のウイルス粒子。M錐体の一部がLオプシンを共発現するようになった。

古典的な視覚剥奪実験の常識では、これは効かないはずだった。生後の臨界期に存在しなかった入力を、成体の脳が処理できるようになるとは考えられていなかったからだ。だから先天性の視覚障害の治療は幼いうちにやるしかない、というのが定説だった。

約二十週後、二頭の色覚検査の成績が変わった。それまで絶対に見つけられなかった青緑と赤紫のパッチを、正確に触るようになった。閾値は健常な三色型のメスに近づいた。しかも中立点、つまり二色型が灰色と混同してしまう色が消えていた。単なる感度のシフトではなく、本物の三色型になっていた。この状態は二年以上安定して続いた。

論文の結論はこうだ。三色型色覚が成立するために必要だったのは、第三の錐体クラスを一つ足すことだけだった。神経回路の作り直しも、発達段階での特別な過程も要らなかった。おそらく既存の青黄回路が二つに分岐しただけで、新しい色の次元が自動的に生まれた。

ただし著者たちは、いちばん知りたいことには答えられないと正直に書いている。治療されたサルは、以前は見えなかった色に確実に反応している。しかしその変化に伴う内的な体験がどのようなものかは、決定できない。彼らが新しい「赤」や「緑」の感覚を体験しているのかどうか、我々には知りようがない、と。

二〇二四年には、この現象を計算モデルで再現した研究も出ている。網膜の錐体が一種類なら一次元、二種類なら二次元、三種類なら三次元、四種類なら四次元の色空間が、皮質の自己教師あり学習から自然に立ち上がる、というシミュレーションだ。同じモデルで、三色型の網膜に四つ目の錐体を足したら四色型に「昇格」する過程まで再現されている。

つまり、脳は思ったより柔らかい。にもかかわらず、四つの錐体を持つ何百万人もの女性のほとんどが四色型として振る舞わない。この落差が、いまだに説明されていない。

で、あなたの見ている赤は、私の見ている赤なのか

さて、いよいよ気持ち悪い方の話をする。

一六九〇年、ジョン・ロックは『人間知性論』の中でこんな可能性を書いた。ある人がスミレを見て抱く観念と、別の人がキンセンカを見て抱く観念が、実は同じものだったとしたらどうか。二人とも自分の見ているスミレの色を「紫」と呼び、キンセンカの色を「黄」と呼び続けるから、この食い違いは永遠に発覚しない。

これが逆転スペクトル、あるいは逆転クオリアと呼ばれる思考実験だ。二十世紀後半にシドニー・シューメーカーやネッド・ブロックが持ち出してから、心の哲学の中心的な論点になった。もし振る舞いの上で完全に検出不可能な逆転がありうるなら、機能主義は間違っていることになる。機能的な役割が同じでも、体験の質が違いうるのだから。

哲学の側からの反論もある。色空間は対称じゃない。赤と青の間に見分けられる段階の数と、黄と緑の間の段階の数は違う。暗い黄色は茶色という別の質になるが、暗い青は青のままだ。彩度の低い青みがかった赤はピンクという別の質になるが、彩度の低い黄緑は黄緑のままだ。だから単純に色相を百八十度回しただけの逆転は、振る舞いの違いとして必ず表に出てくる。ロックの思考実験は、そのままの形では成立しない。

ここで四色型の話が効いてくる。逆転スペクトルは思考実験だ。しかし cDa29 は実在する。彼女と私たちの間には、思考実験ではない、測定された知覚の差がある。彼女には区別できて、私たちには絶対に区別できない色の組が存在する。それは仮定ではない。データだ。

では彼女はそこに何を見ているのか。

二〇二五年に哲学の専門誌でこの問題を正面から扱った論文が出ている。マイケル・ニューオールの「テトラクロマットであるとはどのようなことか」。トマス・ネーゲルの有名な蝙蝠論文をあからさまに踏まえたタイトルだ。

ニューオールの論点はこうだ。四色型が見ているのは、既存の色のあいだの、より細かい階調にすぎないのか。それとも、まったく新しい色なのか。彼は後者だと論じる。理由は、cDa29 が特定の橙の単色光を、赤と緑のどんな混合とも一致させられなかったという事実にある。赤から黄までのあらゆる色調は、三色型のスペクトルの中に位置づけられる。三色型がそれらを全部区別できないだけで、色としては既に存在している。もし cDa29 がそれらすべてから区別できる色を見ているなら、それはそのどれとも質的に似ていない色でなければならない。つまり新しい色だ。

そしてジョーダンの言葉が、この議論のいちばん切ないところを突いている。彼女は二〇一二年のインタビューでこう言った。この私的な知覚こそが、誰もが知りたがっているものです。私も見てみたい、と。

でも見られない。cDa29 自身も説明できない。彼女が自分の色覚を私たちの色覚と比べて描写することは、私たちが二色型の人に赤とはどんな色かを説明できないのと同じくらい、原理的に不可能なのだ。

なぜこの話は、こんなにも不気味なのか

怪異の記事をずっと書いてきて思うのは、いちばん怖い話は「見えないものがいる」じゃなくて「見えているのに認識できていない」だということだ。四色型色覚は、その構造をまるごと持っている。

不気味さの一つ目は、当事者が気づけないという点だ。幽霊なら見た人が驚く。でも余分な色は、生まれたときからずっとそこにある。他人と比較する手段がない。cDa29 は医師として何十年も生きて、研究に呼ばれるまで自分が特別だと知らなかった。私たちが自分の視野の盲点に気づかないのと同じ理屈で、自分の知覚の過剰にも気づけない。これは能力の話であると同時に、自己認識の限界の話でもある。

二つ目は、逆向きに効いてくる点だ。四色型がいるということは、私たちが日常的に「同じ色」だと思って処理している無数のペアが、実は違う色だということでもある。あなたが今日、まったく同じだと思って合わせた服の色。同じだと思って印刷した二枚の紙。あの人にとっては、あからさまに別の色かもしれない。世界の側にあった情報を、私たちの目が捨てている。しかも毎秒、無自覚に。この「捨てている」という感覚が、じわじわ来る。

三つ目は、この能力が色覚異常の副産物だという構造だ。cDa29 の四つ目の錐体は、二人の息子から色を奪ったのと同じ遺伝子から来ている。アンティコの余剰の色覚と、娘の色覚異常は同じ変異の表と裏だ。欠損と過剰が同じ一枚のコインの両面になっている。神話じみている、と言ってもいい。何かを与えるかわりに何かを取る、という構造は、あらゆる怪談の骨格だ。

四つ目は、この能力がほとんどの場合、眠ったまま終わるという点だ。何百万人もの女性が四つ目の錐体を持ちながら、三色型の世界で三色型として一生を終える。使う機会がないから、脳がその配線を作らない。ナイツの言葉を借りれば、私たちの世界全体が三色型に合わせて調律されている。能力があるのに世界の側が対応していないから発現しない、というのは、超能力の設定として出来すぎている。しかもこれは設定ではなく、査読論文が示唆している。

そして最後、いちばん大きいのは、これが「他人の内面には原理的に入れない」という古い哲学的問題に、実証データで手を触れてしまったことだ。逆転スペクトルは長らく机上の思考実験だった。ところが四色型色覚は、測定可能な形で「他人にだけ見える色」を突きつけてくる。しかもその中身は、測定できない。データはある。体験は届かない。この、あと一歩で届かない感じ。これがたまらなく不気味で、たまらなく魅力的なんだと思う。

二十年かけて掘った鉱脈は、本命の隣だったかもしれない

改めて全体を見渡すと、この話の骨格は「一億色を見る女がいる」というキャッチーな見出しとは、かなり違う場所にある。

まず整理しておきたいのは、この二十年の探索で本当に確定したことがどれだけ少ないか、ということだ。査読論文で強い四色型と認定されたのは、いまだに cDa29 ただ一人。二十四人の絶対保因者のうち一人。しかもその一人は、募集の偏りを考えれば統計的な代表性を持たない。

ジョーダンとモロン自身が二〇一九年のレビューで、この募集方法には構造的な欠陥があると書いている。色覚異常の息子を通じて母親にたどり着く方法だと、症状が重い、つまり自覚があって検査を受けている息子ばかりが集まる。ところが理論上いちばん有望な母親は、症状が軽すぎて自分でも気づいていない最小異常三色覚の男性の母親なのだ。彼らのハイブリッド錐体は正常な錐体から遠く離れており、その母親の網膜では四つのピークが最も広く分離する。

要するに、二十年かけて丹念に掘ってきた鉱脈は、最初から本命の鉱脈の隣を掘っていたのかもしれない。この自己批判を当事者が公表しているという事実が、この分野の誠実さを表している。

次に、数の問題を冷静に見ておきたい。英国の国勢調査から出した推定で、ハイブリッド遺伝子の保因者は約三百九十万人。そのうち十二ナノメートルという最適間隔を持つのは四万八千五百八十五人。この時点で八十分の一だ。

そこからさらに、皮質がその信号を独立した次元として扱えるようになる条件が加わる。錐体モザイクの偏り、L型錐体の相対的な多さ、網膜神経節細胞の受容野周辺が「混ざっていない」かどうか。cDa29 の赤と緑の蛍光体に対する相対感度は、L型に偏った網膜モザイクを示唆していた。つまり彼女は、遺伝子の当たりくじだけでなく、網膜の並び方の当たりくじも同時に引いていた可能性がある。二重の宝くじだ。

脳が固いのではなく、この世界に刺激がないのかもしれない

ここで一つ、私が個人的にいちばん面白いと思っている論点を出しておく。四色型が実現しにくいのは脳の限界ではなく、環境の限界かもしれない、という話だ。

ナイツは、人工物が全部三色型向けに作られているから訓練の機会がないと言った。ヴァハトラーたちのモデル計算は、自然の風景の中にすら、四つ目の錐体信号を教師なしで学習するのに十分な情報がないかもしれないと示唆した。つまり四色型が発現しないのは、彼女たちの脳が固いからではなく、この世界に四色型向けの刺激が存在しないからだ。

リスザルのダルトンとサムの実験は、成体の脳でも新しい錐体を二十週で使いこなせることを証明してしまった。脳の柔軟さは、もう疑いにくい。すると残る容疑者は環境だけになる。

この見立てが正しければ、二〇二四年の四色型用インクセットの研究は、思っているよりずっと重要な意味を持つ。四色型の色相環が円ではなく球になる、という予測を立て、その球を紙の上に印刷しようとしている研究者たちがやっているのは、単に検査ツールを作ることではない。この世界に、いままで一度も存在しなかった種類の刺激を、意図的に持ち込むことだ。

もしそれが実現して、四つの錐体を持つ女性たちが日常的にそれと接するようになったら、眠っていた次元が起き上がってくるかもしれない。ジェイムソンがアンティコについて言ったパーフェクトストームという言葉、あれは要するに「遺伝子と訓練の掛け算」という意味だった。訓練の側を、技術で人工的に用意できる可能性が出てきている。

一方で、私は懐疑の側の言い分にもかなり説得力を感じている。とくにシドニーの画家キャロル・ダンスの指摘は的確だった。明るい色で描けば鑑賞者に自分の見え方を体験させられる、という主張は原理的に成り立たない。三色型の目に届いた時点で情報は三次元に潰れるからだ。絵の具も三色型向けの顔料でできている。四色型が四色型として見ているものを、キャンバスの上に載せて他人に渡すことは、いまの画材ではできない。

アンティコの絵が美しいことと、彼女の絵が四色型の世界の窓であることは、別の主張だ。ここを混ぜてしまうと、科学の話が急に怪しい商売の匂いを帯びる。実際、この分野の一般向け報道の大半は、この二つを混ぜている。

四色型の恩恵は、薄暗がりで色が生き残ることかもしれない

それと、動物との比較から学ぶべき教訓を、もう一度強調しておきたい。

シャコは十二種類の光受容器を持ちながら、色の弁別では人間に負けた。波長差十二ナノメートルの二択で当てずっぽうになる。センサーの数と知覚の豊かさは比例しない。むしろシャコがやっているのは、比較を捨てて速度を取るという別の設計思想だった。

アオスジアゲハは十五種類の分光感度を持ちながら、実際の色覚は四チャンネルしか使っていないらしい。残りは動きの検出などに回されている。生物は、余ったセンサーを色以外の仕事に使うことを平気でやる。

だとすれば、人間の四つ目の錐体だって、色ではない何かに使われている可能性は原理的に否定できない。ジェイムソンがアンティコで検出したのが色の弁別ではなく輝度の釣り合いのずれだった、というのは、この意味で示唆的だ。彼女の四つ目の錐体は、まず明るさの方に効いていた。夜明けや薄暮の情景に色が見えるという彼女の証言と、この測定結果は噛み合っている。四色型の恩恵は、色数が増えることではなく、薄暗がりで色が生き残ることなのかもしれない。

そして、この話がなぜ怪異の記事として書きうるのか。私はそれを、検証可能性と体験不可能性が同居しているからだと考えている。

ふつう、怖い話は検証できない。だから怖い。逆に、検証できる話は怖くない。数字になった瞬間に日常に着地するからだ。ところが四色型色覚は、両方を同時に満たしている。cDa29 の反応時間は一秒二二一という数字で残っている。彼女の第二次元と息子たちの第一次元の相関係数は〇・七七だ。ここまでは完全に検証可能な世界の話だ。

ところが、その数字が指し示している中身、彼女が実際に何を見ているのかは、原理的に誰にも届かない。彼女自身にも記述できない。ジョーダンは二十年かけて彼女を見つけ、そして「私も見てみたい」と言うしかなかった。世界でいちばん彼女に近づいた研究者が、最後の一歩の手前で立ち止まっている。

これは科学が失敗しているという話ではないと思う。むしろ科学が、自分の届く範囲の縁を正確に測って、そこに杭を打ったという話だ。この杭の向こう側に何があるかは、永遠にわからない。わからないことがわかっている、という状態がここにある。

だからこそ、この話は終わらない。もし明日、四色型用のインクで刷られたカードが世に出て、それを見た誰かが「これとこれは違う色でしょう」と言い出したとする。周りの全員が同じ色にしか見えないと答える。彼女は困惑する。そして誰かが、その困惑を測定する。それは cDa29 の暗室で起きたことの再演であり、たぶん今後何度も繰り返される光景だ。そのたびに私たちは、自分の目が世界のどれだけを捨てているかを、少しずつ知ることになる。

最後に、いちばん静かで、いちばん効く事実を置いておく。

この記事を読んでいるあなたが女性なら、四つ目の錐体を持っている確率は決して低くない。十人に一人かもしれないし、もっと高いかもしれない。そして、もし持っていたとしても、あなたはそれを一生知らないままかもしれない。生まれてからずっと、比較対象なしにその世界を見てきたからだ。あなたが当たり前だと思って見ている色のいくつかは、隣にいる誰かには存在しない色かもしれない。

その可能性を、たった今、知ってしまったこと。それがこの話のいちばん怖いところだ。

タイトルとURLをコピーしました