夜中に読むと確実に眠れなくなる話をひとつしたい。頭部移植だ。首から下を丸ごと取り替えるという、あの話。
まず言っておくと、これはネットの怪談じゃない。学術誌に論文が載り、医学会の壇上で実物が披露され、写真週刊誌が誌面を割いて、国家が予算をつけた「本物の科学」の歴史だ。だからこそ気持ち悪い。都市伝説なら笑って閉じられる。でもこれは、記録があり、日付があり、名前があり、証言がある。百年以上、人類は本気で「首をすげ替える」ことを試し続けてきた。しかも、そのうちのいくつかは、部分的に成功している。
そこがいちばん怖いところだと思う。
一九〇八年、ミズーリの男が犬の首をもう一頭の首に縫いつけた
話は二十世紀のあたまに始まる。一九〇八年五月二十一日。アメリカの生理学者チャールズ・クロード・ガスリーが、犬の頭部を別の犬の首に接続した。史上初とされる頭部移植の記録だ。
ガスリーは当時二十八歳前後の若手だった。ミズーリ州ギルモアの生まれで、ミズーリ大学で医学博士号を取り、その後シカゴ大学で博士号も取っている。専門は血管縫合だった。当時、血管をきれいにつなぐ技術は生まれたてで、それができれば臓器の移植という夢に手が届く、というのがこの分野のロマンだった。
そしてこの男には、有名な相棒がいた。フランス人のアレクシス・カレルだ。ふたりはシカゴで組んで、血管吻合の実験を猛烈な勢いで積み上げていった。動脈と静脈をつなぐ、腎臓を移して血を通す、そういうことを片っ端からやった。この共同研究がのちに医学の土台になる。実際、カレルは一九一二年にノーベル生理学・医学賞を受けている。血管縫合と臓器移植に関する業績で、だ。
ここで引っかかる人が多い。じゃあガスリーは。
もらっていない。共同研究者だったのに、ひとりだけ受賞した。この件については昔から議論があって、「本来の功績の中心はガスリーの側にあったのではないか」という主張は繰り返し出てきた。そしてもうひとつ、まことしやかに語られてきた説がある。ガスリーが手を出した犬の頭部移植実験が、あまりに悪趣味だと見なされ、ノーベル委員会の目に彼を「候補にしづらい人物」として映らせたのではないか、というものだ。これは確たる裏づけのある話ではない。ただ、この説がずっと生き残っているという事実そのものが、当時からこの実験が持っていた「触れてはいけない感じ」を物語っている。
ガスリーが実際にやったのは、いまの目から見ると相当に荒っぽいものだった。ドナー犬の頭を切り離し、その血管をレシピエント犬の首の血管につなぐ。頭は宙ぶらりんのまま、他人の心臓から送られてくる血で生かされる。血流が戻ると、切り離されたはずの頭にわずかな反応が現れた。しかしそれは長続きしなかった。血流を止めていた時間が長すぎて、脳はすでに深刻なダメージを負っていたからだ。
ガスリーはこの実験を『血管外科とその応用』という一九一二年の著作にきちんと書き残している。彼は一九六三年六月十六日、ミズーリ州コロンビアで八十二歳で死んだ。名前は医学史のかなり地味な位置に収まっている。だが、頭部移植という発想の門を最初に押し開けたのは、間違いなくこの男だ。
生首は生きていられる、とソ連は言った
ここから舞台がソ連に移る。そして話が一気に嫌な感じになる。
一九三〇年代から四〇年代にかけて、セルゲイ・ブリュホネンコという生理学者が「オートジェクター」という装置を作った。世界最初期の人工心肺のひとつだ。血を汲み上げ、酸素を溶かし、押し戻す。心臓と肺の代わりをする機械。
彼はこれを犬で試した。そして、そこには切り離した犬の頭に血を送り続ける実験も含まれていた。一九三九年の一連の実験は結果としてはまちまちだったと記録されている。だが、翌一九四〇年に公開された記録映画『生体蘇生の実験』が、この話を伝説にしてしまった。ダヴィド・ヤーシンが監督したこの映画には、皿の上に置かれた犬の頭が、まばたきをし、光に反応し、口の周りに塗られたものを舐めようとする映像が入っている。
この映画については昔から疑いがある。実際の手術をそのまま撮ったのではなく、再現・再演を含んでいるのではないか、という指摘だ。もっとも科学的に怪しい場面ほど、全景を映した長回しになっていない、という批判もある。そして映画が主張したほど動物が長く生きたわけでもない。実際には数日で死に、しかも深刻な脳障害を負っていたとされる。
でも、そんなことは当時の観客には関係なかった。ソ連は「生首は生きる」と世界に宣言した。それだけで十分だった。この映像は西側にも流れ、たっぷりと吐き気を残していった。
そして、この空気を吸って育った男が、次に出てくる。
一九五四年二月二十四日、モスクワ。三時間の手術
ウラジーミル・ペトロヴィチ・デミホフ。一九一六年七月三十一日、ヴォルゴグラードの農民の家に生まれた。父はロシア内戦で死んだ。母が三人の子どもを教育に送り出した。ヴォロネジ州立大学に入り、モスクワ大学に移り、一九四〇年に卒業している。
この人はどうかしている。褒め言葉として書いている。学生時代にすでに機械式の心臓を作って犬に入れた。第二次大戦に従軍し、戦後の一九四六年には哺乳類で初の心肺同時移植をやってのけた。一九五二年に内胸動脈と冠動脈をつなぐ手技を、翌一九五三年には冠動脈バイパスにあたる手術を、いずれも世界に先駆けて成功させている。心臓外科の教科書に載っていいレベルの仕事を、彼は次々に片づけていった。ついでに言うと「トランスプラントロジー(移植学)」という言葉を作ったのもこの人だとされる。
そんな男が、一九五四年二月二十四日、次の手をやった。
小型犬の上半身を、大型犬の首に縫いつけたのだ。
手術は三時間かかった。子犬の頭と前肢、そして胸のあたりまでを一体のまま切り離し、成犬の頸部の血管につなぐ。血が通う。麻酔が抜ける。そして、移植された頭が動き出す。
記録によれば、その頭はまばたきをした。口を開けた。舌を動かした。噛んだ。数時間のうちに、舐める、水を飲む、肉を食べるといった行動まで見せている。
想像してほしい。手術台の上に、大きな犬が横たわっている。その首の付け根から、もう一頭の小さな犬の顔が生えている。麻酔から覚めた小さいほうが、あくびをする。大きいほうが、自分の首に何かがついていることに気づいて、困ったような顔をする。
これは比喩じゃない。ほぼそのままの光景が、記録として残っている。
学会の壇上で、子犬の頭が成犬の耳に噛みついた
翌一九五五年一月、アメリカの週刊誌『タイム』がこの件を報じている。舞台はモスクワ外科学会の会合だ。
壇上に大きな白い犬が立っていた。その首から、小さな茶色い子犬の頭が突き出していた。
外科医たちが見つめるなか、子犬の頭が、いちばん近くにあった白い耳に噛みついた。白いほうの頭が唸った。
たぶんこの一行が、この話全体でいちばん怖い。
なぜかというと、そこに「二つの意思」があるからだ。頭がふたつあるのは奇形でも見世物でもいい。だが、片方がもう片方に噛みつき、噛まれたほうが怒る。つまりこの体の上には、利害が対立するふたりが乗っている。共有された一つの心臓が、その二人分の血を送っている。
『タイム』の記述はさらに続く。子犬の頭は独立した性格を見せた。唸り、人の手を舐め、限られた体でありながら遊びたがった。そして、両方の頭は同期した行動も見せた。喉が渇けば両方がミルクを舐め、暑ければ両方があえいだ。
体は一つ、意識は二つ。しかし体温と血糖は共有されている。だから「暑い」は同時に来る。「渇いた」も同時に来る。でも「噛みつきたい」は別々に来る。
このときの個体は六日間生きて、二つの頭と一つの体がまとめて死んだ。
この会合の様子はソ連の雑誌『オゴニョーク』の記者ゲオルギー・ブロークが記録している。当時のソ連にとって、これは隠す話ではなく、見せる話だった。そこが効いてくる。
二十四体の犬、最長二十九日
デミホフはこれを一度で終わらせなかった。一九五四年から五年ほどのあいだに、同種の手術を繰り返している。回数はおよそ二十四回とされる。つまり、二十四体の「二つの頭を持つ犬」が、この世に作られた。
生存期間はばらばらだった。最も長く生きた個体で二十九日。一か月近い。一か月近く、一つの体の上に二つの頭が乗ったまま、餌を食い、水を飲み、互いに唸り合って生きていたということだ。
死因の多くは組織の拒絶反応だった。免疫抑制剤がまだ実用の域に達していない時代だ。他人の体は他人の体として攻撃される。それは当たり前の生理現象で、当時はどうにもならなかった。
そして一九五九年、デミホフは『ライフ』誌を実験室に招き入れる。このときの二頭が、いま画像として世界中に出回っている個体だ。ドナーの子犬はシャフカという名で、小柄なメス。ホストは大型の野良犬で、ブロジャーガと呼ばれた。ロシア語で「放浪者」「宿無し」といった意味だ。デミホフは記者たちに「頭は一つより二つのほうがいい」と冗談を言ったと伝えられている。
このとき、有名な「水を飲む」場面が撮られている。ただしここには身も蓋もない事実がついてくる。移植された頭の食道は、胃につながっていなかったのだ。飲んだ水は行き場がない。つまりあの場面は、写真を撮らせるためのデモンストレーションだった。
この個体は四日で死んだ。デミホフ自身、これは予想より短いと感じたらしい。それまでに二十九日という記録があったからだ。
冷戦という増幅器
ここで冷戦の話をしないといけない。
一九五〇年代後半の西側は、ソ連の科学に対して神経質を通り越して被害妄想的だった。一九五七年にスプートニクが飛び、翌年にはライカという犬が軌道上に打ち上げられて死んだ。ソ連は「犬を宇宙に送る国」であり、同時に「犬の頭を接ぎ木する国」でもあった。この二つのイメージが、西側の頭の中で一つに溶け合った。
つまりこう見えたわけだ。あいつらは、人間を人間として扱わない技術体系を持っている。倫理という足かせがない。だから先に行く。
これは冷静に見れば誇張だ。当時のソ連国内でもデミホフの実験には強い反発があった。医学界からは「見世物だ」「いんちきだ」といった非難が飛んだ。「この手技には、いかなる形であれ臨床応用はない」と切り捨てる論文まで出ている。彼は決して国家に愛された英雄ではなかった。むしろ、扱いに困る変人だった。
だが西側は、そういうニュアンスを受け取らない。写真だけが届く。首から顔が生えた犬の写真だけが。
そして実際、この写真は西側の外科医を刺激した。南アフリカのクリスチャン・バーナード。のちに一九六七年に世界初のヒト心臓移植をやることになるあの人物が、デミホフの仕事を知って、一九六二年に自分でも犬の頭部移植をやったと伝えられている。その犬は二日生きた。バーナードはデミホフを心臓移植の父と呼んで敬意を表していた。
つまりデミホフの本領は、二つの頭の犬ではない。心臓だ。心肺移植だ。バイパス手術だ。彼は世界の心臓外科を十年か二十年前倒しした人物だ。だが世間が覚えたのは、あの犬だけだった。
彼自身、そのことを最後まで背負った。一九九八年十一月二十二日、モスクワ郊外で動脈瘤により八十二歳で死去。ほとんど無名のままだった。人生の終盤は決して裕福でも華やかでもなかったと伝えられている。
一九七〇年、クリーブランド。今度はサルだった
舞台がアメリカに移る。
ロバート・ジョセフ・ホワイト。一九二六年一月二十一日、ミネソタ州ダルース生まれ。父を第二次大戦で亡くし、母と叔母に育てられた。高校の生物の授業でカエルの解剖を褒められたのが、脳外科に進むきっかけだったという。ミネソタ大学医学部に入り、ハーヴァード大学医学部に移り、一九五三年に優等で医学博士号を取っている。
経歴は文句のつけようがない。ケース・ウェスタン・リザーヴ大学で四十年間、脳神経外科の教授を務めた。手術は生涯で一万件を超える。論文は九百本以上。低体温による脳保護の研究では本物の業績を残していて、いまも救命の現場で使われている考え方の一部は彼に由来する。看護師だった妻パトリシアとのあいだに子どもが十人いた。熱心なカトリック教徒で、ミサに通い、手術の前に必ず祈った。
その男が、一九七〇年、アカゲザルの頭部移植をやった。
彼はデミホフの方式を一段進めた。デミホフのやり方は「胴体の上にもう一つの頭を足す」ものだった。ホワイトは違う。レシピエントの頭を落とし、そこにドナーの頭を載せた。一頭のサルの頭を、別のサルの体に、正規の位置で接続したのだ。
長い予備実験の積み重ねがあった。脳を冷やす。血流を切る時間を極限まで短くする。頸動脈と椎骨動脈を順に切り替えながらつなぐ。彼は脳を虚血から守る技術で世界のトップにいたから、この部分は本当に上手かった。
そして手術は、ある意味で成功した。
目で追い、噛みついた頭
血が通い、麻酔が抜けると、その頭は目を覚ました。
脳神経は生きていた。だから顔から上の機能はほぼ残っていた。聞こえる。匂いがわかる。味がわかる。目で動くものを追う。噛む。実際、意識が戻った直後、その頭は近づいてきた助手の指に噛みついたと伝えられている。
ここまで書くと成功譚に読める。でも、決定的な一点がある。
脊髄がつながっていない。
首から下は完全な麻痺だ。自分の体なのに、指一本動かせない。呼吸も自力ではできない。感覚もない。頭部と胴体は血管でつながっているだけで、神経では切れたままだ。存在するのは「別の体に接続され、意識だけがある頭」だ。
生存期間については、資料によって数字が食い違う。免疫拒絶により九日で死んだとする記述がある。一方で、ホワイトが行った一連のサル実験、報告によれば十例ほどのうち、最長生存は三十六時間だったとする記述もある。八日という数字が出てくる資料もある。この不一致自体が、この実験がどれほど検証しづらい領域にあったかを示している。
そして、この現場を見ていた人間の証言が残っている。ここがこの話でいちばん重い部分だ。
「あれは二度とやるべきじゃない」
ジェリー・シルヴァー。ケース・ウェスタン・リザーヴ大学の神経科学者で、脊髄の再生研究では世界的に知られた人物だ。彼は若い頃、ホワイトのサルの手術の現場に居合わせている。
彼はのちに、こう語っている。
「あの頭が目を覚ましたのを覚えている。表情は、ひどい痛みと、混乱と、不安に見えた」
さらに、餌を与えようとしたときのことも語っている。
「食べ物は床に落ちた。ひどいものだった」
食道が正しく機能していなかったのか、飲み込む動作が成立しなかったのか。とにかく、その頭は食べようとして、食べられなかった。目の前に餌があり、噛む力もあり、飢えている。でも、それが体に入っていかない。
シルヴァーの結論は短い。
「二度とやるべきではないと思う」
彼はのちの人間の頭部移植計画についても同じ厳しさで臨んでいる。「あんなものは完全な空想だ」「これは悪い科学だ、絶対に起こってはならない」。そして「そういう実験をやろうとすること自体が倫理違反だ」とまで言っている。
この証言が重いのは、シルヴァーが反対のためだけに反対する人ではないからだ。彼自身、切断されたラットの脊髄神経をつなぐ研究で成果を出している。つまり「脊髄をつなぐ」ことのプロが、「あれは無理だ」と言っている。専門家が専門知識に基づいて否定する。それがどれほど重い言葉か。
脳は魂の座である。だから移植していい
ここでホワイト博士の、いちばん厄介な部分に触れる。
彼はローマ教皇庁科学アカデミーの会員だった。教皇ヨハネ・パウロ二世の医療倫理顧問を務め、一九八一年にはバチカンの生命倫理委員会の設立に関わっている。この委員会は、脳死や体外受精に関するカトリック教会の立場に影響を与えた。
つまり、サルの首をすげ替えていた男が、同時に、世界最大の宗教組織に「生命とは何か」を助言していたわけだ。
普通なら、これは矛盾だと言いたくなる。だが本人の中では矛盾していなかった。彼の論理はこうだ。魂の座は脳にある。脳こそが人格であり、その人そのものだ。だから頭は「移植される側」ではない。移植されるのは体のほうだ。
彼は自分の手術を「頭部移植」と呼ばれることを嫌い、「全身移植」と呼ぶべきだと主張し続けた。頭が人であり、体は交換可能な付属品だ、と。この言い換えは詭弁のように聞こえるかもしれないが、彼にとっては神学的な確信だった。
それでも彼は迷っていたらしい。伝えられているところによると、彼はこう自問していた。人間の魂を移植できる地点に、自分は到達してしまったのか。もしそうなら、それは何を意味するのか。
これは信仰を持つ科学者の、かなり誠実な悩み方だと思う。同時に、致命的にずれてもいる。
そして彼は本気で人間にやるつもりだった。一九九〇年代には遺体安置所で献体を使って手技の練習をしている。手術の対象として、物理学者スティーヴン・ホーキングや俳優クリストファー・リーヴの名前を挙げたこともあった。どちらも重い麻痺を抱えていた人物だ。
動物保護団体からは激しく攻撃された。ある活動家は彼を「ブッチャー(肉屋)博士」と呼び、その実験を「粗暴で残酷な生体解剖産業そのものだ」と断じた。ホワイトは動じなかった。動物保護団体の代表に向かって、科学的探究に制限を課すことは全く受け入れられない、と言い放ったと伝えられている。
彼は二〇一〇年九月十六日、オハイオ州ジェニーヴァの自宅で、糖尿病と前立腺がんを患ったすえ八十四歳で死んだ。
二〇一三年、HEAVENという名の計画
そしてイタリア人が出てくる。
セルジオ・カナベーロ。一九六四年生まれ。トリノ大学医学部を出て、同大学病院に二十二年勤めた脳神経外科医。神経調節、つまり電気刺激で痛みを制御する分野の専門家だ。本人によれば、頭部移植のことを考え始めたのは一九八二年からだという。
二〇一三年、彼は『サージカル・ニューロロジー・インターナショナル』誌に、ある手順書を発表した。名前がふるっている。HEAVEN。ヘッド・アナストモーシス・ヴェンチャー、直訳すれば「頭部吻合事業」の頭文字だ。天国という単語になるように単語を選んだとしか思えない。
内容はこうだ。まずドナーとレシピエントを隣り合わせに置き、両方を深部低体温にする。体温を下げれば、脳が血流なしで耐えられる時間が延びる。そして両者の首を同時に、極めて鋭利な刃で切断する。ここが要点で、鋸で挽くのではなく、断面をできる限りきれいに保つ。神経線維をぐしゃぐしゃに潰さないためだ。
そして頭を入れ替え、血管をつなぎ、切断面をポリエチレングリコールという物質で「接着」する。この脊髄再接続の部分にも彼は名前をつけた。GEMINI、双子座だ。
ポリエチレングリコール、略してPEGは、実在する化合物だ。細胞膜どうしを融合させる働きがあることは昔から知られている。細胞融合の実験では標準的に使われる。だからカナベーロの主張は、まったくの出まかせというわけではない。切断直後の神経線維の膜を、PEGで融かしてくっつけてしまえば、軸索は再びつながるはずだ、というのが理屈だ。
理屈は理屈として成立している。問題は、それが成体の哺乳類の、太い脊髄という現実の構造でも起きるのか、という一点に尽きる。
「誰かが、誰も行ったことのない場所へ行かないといけない」
二〇一五年、この計画に志願者が現れた。
ワレリー・スピリドノフ。ロシアのウラジーミル在住のコンピューター技術者。ウェルドニッヒ・ホフマン病、脊髄性筋萎縮症の重症型を抱えていた。この病気は運動神経細胞が進行性に失われていく。彼は生まれてすぐから歩けなかった。
彼はカナベーロにメールを送った。文面は簡潔だったという。必要なら、どんな実験にでも参加する用意がある、と。
彼の言葉を、まとめて引いておきたい。ここは省略したくない部分だ。
「僕は一歳のときから歩いていない。子どものころからずっとだ。自分が歩いている記憶がない」
「僕みたいな人間には、他人の手がたくさん必要になる。世話がいる。支えがいる」
「隣人が毎日、僕をベッドから起こしてくれる。自分では起き上がれないから」
「一日じゅう、母が助けてくれる。料理をして、毎日、僕を助けてくれる」
そのうえで、彼はこう言っている。
「誰かが、誰も行ったことのない場所へ行かないといけない。最初の宇宙飛行士だって怖かったはずだ。それは間違いない」
「怖いよ、もちろん。でも、やらなきゃいけないとわかっている。誰も試さなければ、永久に実現しないんだから」
「この手術のリスクは全部わかっている。誰もやったことがない。それは確かだ」
そして、これが決定的だ。
「僕が生きようが死のうが、歩けるようになろうがなるまいが、どちらにしても、そのあとには巨大な科学的知見が残る」
この言葉をどう受け取るかで、これを読んでいる人の立場は分かれると思う。英雄的な自己犠牲と読むこともできる。追い詰められた人間が差し出した、断りきれない同意と読むこともできる。医療倫理の議論では後者のほうが深刻に扱われる。絶望的な状況にある患者の「同意」は、本当に自由な同意なのか。この問いは臓器移植でも遺伝子治療でも、常につきまとってきた。
二〇一七年十一月、「遺体で成功した」
ここから急速に話がおかしくなる。
二〇一六年、カナベーロは中国のハルビン医科大学で、共同研究者の任暁平(レン・シャオピン)らのチームがサルの頭部移植を行ったと発表した。生存二十時間、血流は保たれ、神経信号も確認されたという。ただし脊髄の再接続が検証されたわけではなく、長期の生存もなかった。
二〇一七年四月には、最初の患者はスピリドノフではなく中国人になる、という発表が出た。理由として説明されたのは、要するに物流の問題だ。手術を中国でやるなら、ドナーの体も中国で探すほうがはるかに簡単だ、と。関係するメディア企業の責任者はこう言っている。もし頭部移植が成功したら、そしてわれわれは成功すると確信しているが、それが最後の一件になるわけではない、と。つまりスピリドノフはあとで、という話だった。
彼にとっては、順番待ちの列の後ろに回されたようなものだ。
そして二〇一七年十一月。カナベーロは記者会見を開き、世界初の頭部移植を「遺体で」実施したと発表した。二体の脳死あるいは死亡した人体を使い、およそ百五十人の要員が関わり、十八時間かけて、頸部の構造を切断し、再接合したという。
彼はこれを「成功」と呼んだ。
学界の反応は、ほぼ全員が同じ顔をした。
総スカン
生命倫理学者のアーサー・キャプランは、頭部移植の話をフェイクニュースだと切り捨てている。
イギリスの研究者ジェームズ・フィルデスは、二〇一七年のこの発表を、自己中心的な疑似科学になりかねないものだと評した。
先ほど登場したジェリー・シルヴァーは、より具体的に否定した。彼自身がラットの脊髄神経を再接続する研究をしていることを引き合いに出されて、こう言っている。自分たちがやっていることと、彼らが言っていることは、光年単位で離れている、と。そしてPEGについては、成体の哺乳類にあれほどの外傷を与えたうえでそんな技術が効くというのは完全な空想だ、と断じた。
ヨーロッパ脳神経外科学会連合の倫理法制委員会は、二〇一六年の時点で、前臨床の裏づけが決定的に不足しているとして、この手術は非倫理的であるという立場を表明している。
批判の核心はシンプルだ。
遺体で「つないだ」ことは、何の証明にもならない。
死体の首を切って、血管と神経の断面をきれいに向かい合わせて縫うことは、技術的にはできる。難しいが、外科医が百五十人いて十八時間かければできる。しかし、それは「解剖学的に構造を再配置した」というだけの話だ。証明しなければならないのは、そこに血を通わせて、免疫を抑えて、そして何より、切れた脊髄が再び機能するかどうかだ。死体はどれ一つとして証明してくれない。
キャプランが指摘したのは、この論法のすり替えだ。目的地は月なのに、はしごを一段登って「月への到達に近づいた」と言っている、というような話だ。
そのうえで、二〇一八年後半、スピリドノフは同意を撤回した。目に見える進展が示されなかったこと、遺体での試行に関する報告に不安を覚えたことが理由だったとされる。彼はその後結婚し、子どもをもうけたと伝えられている。この結末は、あの発言を読み返すとかなり感情を揺さぶってくる。彼は「誰かが行かなければならない」と言い、そして最終的に、生きるほうを選んだ。
カナベーロはその後も止まっていない。二〇一九年には、任暁平とともに、サルと犬で脊髄を完全に切断したうえでPEGと電気刺激により数時間で歩行が回復したと報告している。二〇二〇年代に入ってからは、頭部移植よりさらに先を狙う方向に舵を切り、ロボットによる脳の摘出と若い体への移設という構想を語るようになった。
そして二〇二六年のいま現在、生きた人間の頭部移植は、一度も行われていない。
ポリエチレングリコールという名の接着剤
この百年の物語で、壁はずっと同じ場所にある。脊髄だ。
血管をつなぐのは、実はもうできる。一九〇〇年代初頭にカレルとガスリーが道を作り、いまでは日常の手技だ。骨をつなぐのもできる。気管も食道もつなげる。免疫拒絶は完璧ではないが、抑制する薬はある。デミホフの時代に犬を殺していた最大の要因は、いまは半分くらい制圧されている。
だが脊髄だけは違う。
中枢神経は、切れたらつながらない。これは末梢神経とは根本的に違う性質だ。腕の神経が切れれば、条件が良ければ年単位でゆっくり伸びて再生することがある。でも脳と脊髄は再生しない。切断された軸索は伸びようとするが、傷跡にできるグリア性の瘢痕組織と、そこに集まる分子群が、伸長を阻む。生物としてそう設計されている。中枢神経が勝手に伸び直したら、配線がめちゃくちゃになるからだ。
そして脊髄は「一本の線」ではない。何十万本という軸索が、細かい機能地図に沿って束ねられた巨大なケーブルだ。右足の親指を曲げる線と、膀胱を締める線と、汗を出す線が、それぞれ別の位置を通っている。仮に軸索を全部つなげたとしても、それが正しい相手とつながらなければ意味がない。足を上げようとして膀胱がゆるむ体になる。
カナベーロの主張の核心は、この問題を回避できるというところにある。ぐしゃっと潰れた外傷ではなく、極限まで鋭利に切った断面なら瘢痕はほとんどできない。切断直後にPEGを流し込めば、向かい合った軸索の膜どうしが融合する。だから配線図もそのまま保たれる、と。
理屈は美しい。あまりに美しい。
そして、シルヴァーのような専門家がいちばん引っかかるのがそこだ。ラットの脊髄の一部を再生させるのに、この分野は何十年もかかっている。それも部分的な機能回復だ。それを、成体の人間の脊髄を完全に切断したうえで、化学物質を流し込むだけで解決すると言われても、地続きの話に聞こえない。
「頭を移植する」のか、「体を移植する」のか
ここからが、この話のいちばん面白い部分だと思う。
言葉の問題だ。
ホワイトは自分の手術を「全身移植」と呼べと主張した。頭が本人で、体が交換部品だ、と。カナベーロも同じ立場に立つ。移植されるのは体のほうだ、と。
でも、ちょっと待ってほしい。
臓器移植の常識では、移されるほうが「移植片」だ。腎臓移植では腎臓が移植片で、患者はそれを受け取る側だ。じゃあ頭部移植では、頭と体、どちらが患者でどちらが部品なのか。
手術室の光景で考えるとわかりやすい。ドナーは脳死した人間の体だ。その体には、家族がいて、名前があって、指紋があって、生殖器があって、これまでの人生でついた傷跡がある。その体から頭を切り離して捨て、別の頭を載せる。捨てられた頭は、その体にとって「本人」だったはずのものだ。
つまりこの手術は、一人の人間の体と、もう一人の人間の頭を残して、残りを廃棄する手術だ。どちらを主体と呼んでも、もう片方を物として扱ったことになる。
そしてもうひとつ厄介なのが、その体が生殖能力を持っている場合だ。この手術を受けた人物が子どもを持ったら、その子の遺伝子は誰のものか。頭の主のものではない。体の元の持ち主のものだ。死んだ人間の遺伝子が、別人の意思によって次の世代に渡る。これは既存のどの法制度も想定していない。
移植されたあとの人間は、いったい誰なのか
さらに深いところに、この問いがある。
「私」は脳だけにあるのか。
かつては、当然そうだと思われていた。だがこの数十年、その前提はかなり揺らいでいる。腸内細菌が気分や不安に影響することはもはや常識になった。ホルモンは人格の温度を変える。心拍や内臓の感覚が、感情の質そのものを作っているという考え方は、情動研究の主流に近い。恐怖を「感じる」とき、脳は胸の締めつけや腹の落ち込みを材料に使っている。
だとすると、まったく別人の内臓と、別人のホルモン系と、別人の腸内細菌を接続された頭は、術前と同じ人格でいられるのだろうか。
意識はある。記憶もある。名前も答えられる。でも、その人がふと感じる「なんとなく不安だ」の質は、もはや以前のものではないかもしれない。人格が別人になるわけではないだろう。でも、少しずつ、確実に、ずれていく。
しかも、そこに全身麻痺が乗る。首から下が動かず、感覚がない。呼吸器につながれている。免疫抑制剤を大量に使っているから、感染症のリスクは常に高い。そして自分の体は、鏡に映る限り、他人のものだ。
その状態で目を覚ました人間の精神が、どうなるのか。誰も知らない。動物実験でも、そこだけは絶対にわからない。サルは「自分が誰かわからない」とは言ってくれない。
医療倫理の側から出てくる最も現実的な懸念は、実はここにある。手術が失敗して死ぬことより、成功して生き続けることのほうが恐ろしいかもしれない、という懸念だ。
フランケンシュタインは二百年前に全部書いていた
ここで一度、文学の話をしたい。
一八一八年、メアリー・シェリーが『フランケンシュタイン、あるいは現代のプロメテウス』を出した。二十歳そこそこの作者が書いたこの小説には、死体をつなぎ合わせて作られた存在が出てくる。当時のヨーロッパでは、電気で死体の筋肉を痙攣させるガルヴァーニ電気の実演が見世物として流行していた。死んだカエルの足が動く。死んだ人間の顔が引きつる。「死は絶対ではないかもしれない」という感覚が、あの時代の空気に確かにあった。
この小説の恐ろしさは、怪物が暴れることではない。誰にも似ていないという事実にある。あれは他人の部品の集合体で、どの一部分も誰かの元の持ち主のものだ。だから、あれが「誰か」を答える方法がない。名前すら与えられない。作中で怪物は自分の名前を持たない。
そして怪物は、創造主に問いを突きつける。なぜ私を作った、と。
頭部移植の話が二百年たっても人の背筋を凍らせるのは、まさにこの構造を継承しているからだ。技術が問題なんじゃない。技術によって出現する「分類できない存在」が問題なんだ。
ちなみにこの系譜には枝がたくさんある。一九六二年のフランス映画『顔のない眼』は、娘の顔を取り戻すために他人の顔を剥ぐ医師の話だった。日本では手塚治虫が繰り返しこのモチーフに触れている。一九五九年のアメリカ映画『火星人と悪女』の原題は、直訳すれば「死ぬことのできない脳」だ。頭だけになった女が、体を探して待っている。
作り手たちは、みんな同じ場所を掘っていた。デミホフとホワイトが実験室でやっていたのと、同じ場所を。
なぜこの話は、こんなに人を震え上がらせるのか
最後に、これを書くあいだずっと考えていたことを書く。
内臓移植は、もう誰も怖がらない。腎臓移植も肝臓移植も、日本で年に何百件も行われている。心臓移植ですら、いまや「重い病気の治療法」の一つとして受け入れられている。心臓は魂の座だと信じられていた時代があったのに、だ。
なのに、頭部移植だけは受け入れられない。それはなぜか。
いくつか理由が思いつく。
まず、頭は交換の方向が逆に見える。腎臓移植では、患者はずっとそこにいて、部品が変わる。頭部移植では、部品のほうが圧倒的に大きい。九割方の体が入れ替わって、一割の頭が残る。それは「治療」というより「引っ越し」だ。
次に、顔だ。人間の脳は、他人を顔で認識するように徹底的に最適化されている。顔は個体識別のインターフェースだ。だから、顔と体が食い違っている存在を見ると、脳が処理に失敗する。デミホフの犬の写真が生理的にきついのは、まさに顔が二つあるからだ。どちらを見ればいいのかわからない。相手を特定できない。それは捕食者と獲物の時代から続く、根源的な不安に直結している。
三つ目に、この話には「本人がまだそこにいる」という条件がついている。ホワイトのサルは、目を覚まして、目でものを追った。シルヴァーはその表情に、痛みと混乱と不安を見た。ここが決定的だ。もし完全に意識がなければ、それはただの生物学的実験にすぎない。でも、意識があった。意識があるまま、動かない他人の体に接続されていた。
つまりこの恐怖の正体は「死」ではない。「意識のある閉じ込め」だ。
人間がいちばん怖がるのは、消えることではなく、消えられないことなのかもしれない。生き埋め、金縛り、閉じ込め症候群、そして頭部移植。全部同じ棚に並んでいる。
そして四つ目。この話が本当に恐ろしいのは、これが完全な作り話ではないからだ。
血管はつなげる。骨もつなげる。免疫は抑えられる。残っているのは脊髄だけだ。あと一つだけなのだ。もし将来、神経再生の技術が本当に進歩したら、この壁は崩れる可能性がある。そのとき、社会はどう答えるのか。
デミホフの犬は、噛みついた。ホワイトのサルは、目で追った。それらは、まだ誰も答えを用意していない問いを、先に投げてよこした生き物たちだった。
そして問いは、まだ手術台の上に置かれたままだ。
技術ではなく、言葉が追いつかなかった百年
改めてこの百年を並べ直すと、頭部移植の歴史は「技術の歴史」というより「言葉が追いつかなかった歴史」として読めることに気づく。
一九〇八年のガスリーがやったことは、当時の言葉では「移植」ですらなかった。血管をつなぐ実験の、極端な応用例だった。彼の関心は本来、血管吻合という手技の限界を確かめることにあった。頭という部位を選んだのは、それが最も過激な条件だったからだ。だが結果として出現したものに、当時の医学は名前をつけられなかった。だからこの実験は業績表から静かに外され、ノーベル賞の議論からも彼を遠ざけたという説がついてまわることになった。
デミホフの場合はもっと露骨だ。彼の本業は心臓だった。世界に先んじて心肺同時移植をやり、冠動脈バイパスの原型を作った男が、なぜ犬の首に子犬を縫いつけたのか。答えはたぶん「そこに壁があったから」だ。彼は臓器移植のあらゆるパーツを一つずつ潰していく人だった。心臓をやった。肺をやった。肝臓をやった。次は何か。頭だ。彼の中では、それは論理的な次の一手だった。周囲がそれを「狂気」と呼んだのは、彼の論理が悪かったのではなく、彼の論理の外側にある価値観の言葉を、彼が持ち合わせていなかったからだ。ソ連の医学界が彼を見世物師と罵り、西側が彼を怪物として消費し、そして冷戦の空気が両方の解釈を増幅した。彼は最後まで、自分の仕事を説明する言葉を勝ち取れなかった。一九九八年、モスクワの郊外で無名のまま死んだ。バーナードが心臓移植の父と呼んで敬意を払っていた男が、である。
ホワイトはこの点で対照的だ。彼は言葉を持っていた。神学だ。魂は脳に宿る。だから移植されるのは体のほうだ。この一文があるおかげで、彼は自分の実験を自分自身に説明できた。カトリック教会の生命倫理に助言しながらサルの頭を載せ替えるという、外から見れば分裂した二重生活が、彼の内側では一本の線でつながっていた。しかしその言葉は、彼を止める言葉ではなかった。むしろ加速させる言葉だった。ここが本当に恐ろしいところだと思う。倫理は必ずしもブレーキではない。理屈が通ってしまえば、倫理はアクセルにもなる。バチカンの顧問という肩書きは、彼の暴走を抑えるどころか、彼の中で正当化の材料として機能した可能性がある。彼が「魂を移植できる地点に到達してしまったのか」と自問していたという逸話は、悩みの記録として読むこともできるが、同時に「到達しつつある」という自負の記録としても読める。
カナベーロについては、評価がもう少し単純だ。彼が二〇一三年に発表した手順書は、それ自体としては筋の通った文書だった。深部低体温、極限まで鋭利な切断、PEGによる膜融合。個々の要素には既存研究の裏づけがある。問題は、そこから先の彼の振る舞いだった。二〇一五年に日付を発表し、志願者をメディアに乗せ、二〇一七年に「遺体で成功」と会見を開いた。この順序は、科学の順序ではない。査読、追試、段階的な動物実験の積み上げ、独立した第三者による検証。そのどれもが飛ばされ、代わりに記者会見が置かれた。ヨーロッパ脳神経外科学会連合の倫理法制委員会が二〇一六年に非倫理的と表明したのは、彼の目的を否定したというより、この順序を否定したのだと読むべきだ。生命倫理学者のキャプランがフェイクニュースと切り捨てたのも、同じことを指している。仮に脊髄再接続の技術が将来完成したとしても、この進め方が正当化されるわけではない。
そして志願者の存在が、この構図を一段複雑にする。スピリドノフの言葉には、はっきりした知性と覚悟がある。彼は自分の病気を理解していて、リスクを理解していて、そのうえで「誰かが最初に行かないといけない」と言った。彼が最終的に降りたことを、腰砕けと評する人はいないだろう。彼は約束された進展が示されないことを見て、判断を変えた。その後、結婚して子を持ったと伝えられている。彼が選び直した人生のほうが、頭部移植の物語よりはるかに大きい。だが、彼が一度は「行く」と言ったという事実は消えない。医療倫理の議論が繰り返し立ち止まるのは、まさにここだ。絶望的な状況にある人の同意を、どこまで自由な同意として扱えるのか。この問いは頭部移植だけの問題ではない。末期がんの治験でも、遺伝子治療でも、まったく同じ形で現れる。頭部移植はその極端な倍率の拡大図にすぎない。
技術的な見通しについても、もう一段だけ書いておきたい。脊髄が再生しないという事実は、人体の欠陥ではなく設計思想だ。中枢神経がむやみに伸び直したら、既存の回路が壊れる。だから伸長を積極的に阻む仕組みが備わっている。この分野の研究者たちがやってきたのは、その阻害の仕組みを一つずつ外し、伸長を促す環境を作り、そして伸びた軸索を正しい相手に導く、という気の遠くなる作業だ。何十年もかけて、ラットで部分的な機能回復にたどり着いている。ここに人間の脊髄全断面という条件を持ってくると、桁が二つも三つも変わる。シルヴァーが「光年単位で離れている」と言ったのは、罵倒ではなく、たぶん距離の実感そのものだ。
それでも、この壁がいつか崩れる可能性はゼロではない。それが本当に恐ろしいところだ。血管はつながる。骨もつながる。免疫はある程度抑えられる。残るのは一枚だけだ。そしてもし、その一枚が崩れたとして、そのとき人類は何を議論することになるのか。老いた体を若い体に取り替えたい富裕層。事故で全身を損傷した患者。進行性の神経筋疾患を抱えた人々。ドナーはどこから来るのか。脳死体の体はどちらの家族のものか。生まれてくる子の親は誰か。そして最大の問題として、目覚めたその人は、術前と同じ人物として法的にも社会的にも扱われるのか。
こうして並べると、頭部移植というテーマが百年ものあいだ人を惹きつけ、同時に吐き気を催させ続けた理由がわかってくる。この手術は、私たちが暗黙のうちに信じている「人間の単位」を破壊する。人間は一人につき一つの体を持つ。これは法律にも、言語にも、宗教にも、家族制度にも、あまりに深く埋め込まれた前提だ。誰も明文化していないほど自明の前提だ。頭部移植はその前提を、外科的にほどいてしまう。
だから怖い。血が怖いんじゃない。手術が怖いんじゃない。「あなたは誰ですか」という質問に、答えが二つ以上ありうる世界が怖いのだ。
デミホフの手術台の上で、子犬の頭が成犬の耳に噛みついたとき、その場にいた外科医たちが見たのは、まさにそれだったのだと思う。一つの体に、二つの意思。共有された心臓が、対立する二人分の血を送っている。そこには一人半とも二人ともつかない何かがいた。医学が用意した言葉のどれもが、その存在を指せなかった。
百年たったいまも、私たちはその言葉を持っていない。手術の準備はほとんど整っているのに、名前だけがまだない。それが、この話がいつまでも夜中に効いてくる理由だ。
