パリの社交界に、こういう噂が流れた時期がある。あの家の令嬢は、悪魔に取り憑かれている、と。話しているとき、いきなり言葉が途切れる。そして本人の口から、彼女が絶対に使わないはずの、最下層の罵り言葉が飛び出す。言い終わった瞬間、彼女は真っ赤になって黙る。誰よりも品のいい教育を受けた娘が、誰よりも品のない単語を叫ぶ。しかも、本人が一番それを嫌がっている。十九世紀の初め、この現象を説明できる言葉は、まだ地上のどこにもなかった。
その言葉が生まれるまでに六十年かかる。生まれたあとも、正しく理解されるまでにさらに百年かかった。そして今、SNSの時代に入って、この病気はもう一度、まったく別のかたちで人々を混乱させている。トゥレット症候群の話をする。
## いきなり会話が途切れる、そして罵倒が飛び出す
一八二五年、フランスの医師ジャン=マルク=ガスパール・イタールが、奇妙な患者について書き残した。イタールという名前にピンとくる人もいるかもしれない。アヴェロンの野生児、森で見つかった少年ヴィクトールの教育を引き受けた、あのイタールだ。彼は当時、パリで最も有名な聴覚と言語の専門家のひとりだった。その彼のところに、貴族の一族が娘を連れてきた。
記録上の呼び名は「ダンピエール侯爵夫人」。長らく本名は伏せられていたが、近年の歴史研究で、エルネスティーヌ・エミリー・プロンドル・ド・ゲルマントという女性であることが特定されている。生年は一七七四年、没年は一八六〇年とされる。名門の家に生まれ、教養があり、話し方も所作も申し分ない。イタールが診たとき、彼女は二十代だった。
症状が始まったのは七歳のときだ。最初は手や肩の、ちょっとした引きつりだったという。子どものクセだと思われた。ところがそれは消えなかった。むしろ増えた。跳ねる、身をよじる、手を振り回す。そして十代のどこかで、音が加わった。犬が吠えるような声。誰かの言った言葉をそのまま繰り返す反響言語。そして、最悪の部類に入るやつ。汚言だ。
イタールが書いた描写は、今読んでもぞっとするほど生々しい。彼女がものすごく興味を持って話し込んでいる、その会話の最中に、突然、どうやっても止められない形で、自分の言っていることや相手の言っていることを、奇妙な叫び声と、さらに奇妙な言葉で中断してしまう、と。そしてその言葉は、彼女の知性と洗練された物腰とに、痛ましいほどの対照をなしている、と。彼はさらに続ける。それらの言葉は大部分が下品な罵り言葉と猥褻な形容であり、しかも本人にとっても聞き手にとっても等しく居たたまれないことに、その場にいる誰かへの否定的な判断や意見が、極端に露骨な表現で飛び出すのだ、と。
つまりこういうことだ。サロンで談笑している。相手は伯爵夫人か、あるいは司教かもしれない。彼女は微笑んで、気の利いた返事をしようとしている。その途中で、口が勝手に動く。飛び出すのは「糞」。あるいは「クソ豚野郎」。当時のフランス語で最も汚い部類の単語が、パリで最も上品な口から出る。しかも運が悪いと、それは目の前の相手への率直すぎる評価とセットで出てくる。彼女は言い終わった瞬間に、自分が何を言ったかを完全に理解している。意識は最初から最後まではっきりしている。ここが恐ろしいところで、意識を失っている間の出来事ではないのだ。彼女は自分の口が言ったことを、全部、聞いている。
## その後の五十五年をどう生きたか
医師たちは治療法を提案した。結婚だ。当時の考えでは、この種の「神経の興奮」は結婚すれば落ち着くとされていた。彼女は結婚した。ダンピエール伯爵夫人になった。症状はまったく変わらなかった。
そこから先が、この症例のいちばんつらい部分だ。彼女は社交界から退いた。当時のフランス貴族の女性にとって、社交界は職場であり、人間関係であり、人生そのものだった。そこに出られないということは、部屋にいるということだ。彼女は自分の屋敷にこもり、ほとんど人と会わなくなった。声は止まらないので、家の中では叫び続けた。数十年、それが続いた。
一八八五年、ジョルジュ・ジル・ド・ラ・トゥレットという若い神経科医が、九人の患者をまとめた論文を発表する。掲載誌は「アルシーヴ・ド・ヌーロロジー」、タイトルは、反響言語と汚言をともなう運動失調を特徴とする神経疾患についての研究、という長いものだった。その九人のうちの一人が、ダンピエール侯爵夫人である。ただし彼女はもうこのとき八十五歳になっていた。ジル・ド・ラ・トゥレットは彼女を直接診ていない。イタールの六十年前の記録を掘り起こし、その後の経過を追った情報とあわせて、症例として組み込んだのだ。
八十五歳。七歳から数えて七十八年。彼女はその間ずっと、跳ねて、叫んで、罵り続けた。しかも知性はまったく損なわれていない。認知症でもなければ精神病でもない。頭は最後まではっきりしていた。はっきりしているからこそ、毎回、自分が何を叫んだかを理解し、そのたびに恥じた。そういう人生を七十八年やった人が、実在した。
## 名前になった男の、あまりに不運な生涯
ジル・ド・ラ・トゥレット自身の話もしておきたい。彼は一八五七年生まれ。パリのサルペトリエール病院で、当時のヨーロッパ神経学の帝王ジャン=マルタン・シャルコーの弟子になった。シャルコーというのは、ヒステリー研究の公開講義で有名な、あの人だ。フロイトも見に来ていた。
一八八四年、シャルコーは弟子に課題を与える。運動の異常を調べろ、と。ジル・ド・ラ・トゥレットは症例を集め、翌年に九例の論文を書いた。彼はこの病気を「チック病」と呼んだ。しかしサルペトリエールの中での評判は、正直よくなかった。ところがシャルコーが翌一八八六年、この病気を「ジル・ド・ラ・トゥレットのチック病」と呼ぶことにした。ボスが弟子の名前を病気につけたのだ。それでこの名前が定着した。二十八歳の仕事が、その後百四十年、彼の名前を世界中に残すことになった。
だが本人はその後、幸せにならなかった。彼は催眠術と法医学の関係を研究していて、それが仇になる。一八九三年、ローズ・カンペールという元患者の女性が彼を訪ねてきて、拳銃で首を撃った。彼女は、自分は無理やり催眠術をかけられた、そのせいで人生が壊れたと主張していた。のちに精神病と診断される。彼はこの銃撃を生き延びたが、同じ時期に恩師シャルコーが亡くなり、息子も亡くしていた。晩年には梅毒の第三期による進行麻痺が出て、一九〇一年にスイスの精神科病院に入れられ、一九〇四年、ローザンヌで死んだ。四十六歳だった。自分の名がついた病気が世界共通語になっていくのを、彼は最後まで知らなかった可能性が高い。
## 悪魔憑きファイルの中に、たぶん彼らはいた
トゥレット症候群は、名前がつく前から存在した。当たり前だ。遺伝的な素因を持つ神経発達の状態なのだから、人類がいる限りずっといたはずだ。ではそれ以前の彼らは、どう扱われたか。
一四八六年から八七年にかけて出版された「魔女に与える鉄槌」、いわゆるマレウス・マレフィカルムには、ボヘミアの司祭の話が出てくる。彼は舌が勝手に飛び出し、意志と関係なく叫び声をあげ、手足が勝手に動いた。教会はこれを悪魔憑きと判断した。この記述は、現代の目で読むと、運動チックと音声チックのかなり典型的な描写に見える。魔女狩りの手引書に載っているということは、彼が受けた対応は「治療」ではなかったということだ。
考えてみてほしい。悪魔憑きの認定基準として当時よく挙げられたのが、本人の意志と無関係に体が動くこと、本人が言うはずのない冒涜的な言葉を発すること、そして時に他人の声を真似ることだった。これは、トゥレット症候群の重症例の特徴とほぼ一致する。運動チック、汚言、反響言語。悪魔憑きの定義そのものが、この病気の症状リストとして書けてしまう。
だから中世から近世にかけて、この症状を持った人たちの多くは、修道院に連れて行かれ、聖水をかけられ、悪魔祓いを受け、それでも治らないと今度は魔女や魔物の側に分類された。宗教が説明を独占していた時代に、意志が体を支配していないように見える現象は、外部の何かが体に入り込んだ証拠としか読まれなかった。ダンピエール侯爵夫人が生まれたのが一七七四年だというのは、実は絶妙なタイミングだ。もう百年早ければ、彼女は医師ではなく司祭のところに連れて行かれていたかもしれない。
## 実は九割の患者は汚い言葉を叫ばない
ここで、いちばん大きな訂正をする。トゥレット症候群といえば罵倒語、というイメージは、患者にとって最大の迷惑になっている。
汚言症が出るのは、患者のおよそ一割程度だ。資料によっては一割から一割五分と幅があるが、いずれにしても少数派である。しかも診断の必須条件ですらない。診断に必要なのは、複数の運動チックと、一つ以上の音声チックが、一年以上続いていること。それだけだ。音声チックの大半は、咳払い、鼻すすり、うなり声、短い叫び、喉を鳴らす音といった、意味のない音である。罵倒語ではない。
なのに、なぜ罵倒語のイメージだけが世界を席巻したのか。答えははっきりしている。目立つからだ。地味な鼻すすりはドラマにならない。テレビ番組も映画もコメディも、この病気を扱うときはほぼ必ず汚言を選ぶ。結果として、実際には汚言のない九割の患者が、「あれ、罵倒するやつでしょ」と言われ続けることになった。しかも汚言のある一割の人は、その一割であることによって、社会からいちばん厳しい扱いを受ける。どちらにも損しかない誤解だ。
## くしゃみが出る三秒前の、あの感じがずっと続く
トゥレット症候群を外から見ると、ランダムに体が動いているように見える。だが内側の体験はまるで違う。
チックが出る前に、多くの患者は「前駆衝動」と呼ばれる感覚を経験する。これがこの病気を理解する上でいちばんの鍵だと思う。前駆衝動は、体のどこかに生じる、抗いがたい不快感だ。肩がむずむずする。喉に何かが引っかかっている気がする。目の奥がざわつく。あるいは、身体感覚ではなく純粋に「今これをやらないと収まらない」という圧そのものとして感じる人もいる。
いちばん通りのいい例えは、くしゃみだ。くしゃみが出る直前の、あの、鼻の奥に張り詰めていく感じ。あれを止められる人はいない。止めようと思えば数秒は粘れるが、粘っている間じゅう、そのことしか考えられなくなる。蚊に刺されたところを掻きたい衝動、と説明する人も多い。掻けば一瞬すっと楽になる。だが、またすぐ痒くなる。
つまりチックは、純粋な不随意運動というより、抗いがたい衝動への応答という側面が強い。だから患者は「勝手に動く」とも言うし「やらされている」とも言う。この微妙な感じが、外から見ている人には絶対に伝わらない。前駆衝動を自覚するようになるのはだいたい十歳前後からで、それより小さい子どもは「気づいたら出ている」と感じることが多いらしい。おおよそ九割の患者が、この前駆衝動を報告している。
そしてこの感覚は、チックを「やめさせる」訓練の足がかりにもなっている。ハビットリバーサル、そしてそれを発展させたCBIT(包括的行動介入)という行動療法は、まさにこの前駆衝動に気づく力を鍛え、チックの代わりに別の動作を割り当てるという方法をとる。薬より先に試されるべき第一選択として、いま国際的に推奨されている。
## 我慢はできる。ただし、我慢したぶんだけ後で来る
「意志と無関係」なのに「我慢できる」というのは矛盾に聞こえる。だがこれが実態だ。多くの患者はチックを一時的に抑え込める。教室で、面接で、電車で、彼らは必死に抑えている。だから周囲の人が「うちのクラスの子は普通だったよ」と言うことがある。抑えていただけだ。
抑え込みがどれくらいもつかは人による。数分の人もいれば、数時間持ちこたえて家に帰ってから爆発する人もいる。あるアメリカの当事者は、この感覚をこう書いていた。抑えていると腹の中の結び目がどんどんきつくなって、首に巻かれた縄みたいになる。圧が高まり続ける。心の中で「こらえろ、こらえろ」と唱え続ける。そしてついに抑えきれなくなったとき、それはフーバーダムが決壊するみたいだ、と。
この決壊のことを、当事者コミュニティではリバウンドと呼ぶ。学校で一日抑え続けた子どもが、玄関のドアを閉めた瞬間に大爆発を起こす。親から見ると「家でだけひどくなる」ように見える。実際には逆で、外で異常に頑張っているのだ。
そして、抑え込みには恐ろしいほどのコストがかかる。認知資源をごっそり持っていかれる。授業を聞きながらチックを抑えるのは、片手で綱渡りしながらノートを取るようなものだ。ビリー・アイリッシュがこれをすごく的確に言っていた。彼女は十一歳で診断を受けている。耳を動かしたり腕の筋肉をひくつかせたりする小さなチックがあって、こう言った。ふつうに会話しているだけなら絶対に気づかないような動きだけど、自分にとってはものすごく疲れる、と。外から見えないことと、負担がないことは、まったく別の話だ。
## チックにはいろんな顔がある
チックを一括りにすると見誤る。まず運動チックと音声チックに分かれ、それぞれに単純型と複雑型がある。
単純運動チックは、瞬き、首振り、肩すくめ、顔をしかめる、鼻をひくつかせるといった、一つの筋群だけを使う短い動き。おそらく最も多いのは瞬きで、多くの患者はここから始まる。親は目が悪いのかと思って眼科に連れていく。眼科では異常なしと言われる。これがこの病気の典型的な入り口だ。
複雑運動チックになると、動きが「意味を持って見える」ようになる。飛び跳ねる、しゃがむ、物に触る、同じ場所を何度も踏む、体をねじる。目的があるようにしか見えないのに、目的はない。人や物に触らずにいられないタイプ、左右対称にやり直さないと気が済まないタイプもあり、このあたりは強迫症状と地続きになっている。実際、トゥレット症候群には強迫症とADHDが高い頻度で併存し、しかも多くの当事者にとっては、チックそのものより併存症のほうが生活を苦しくしている。
音声チックの単純型は、咳払い、うなり、鼻鳴らし、キーッという叫び、犬の吠え声に似た音など。複雑型になると言葉になる。他人が言った言葉をおうむ返しにするのが反響言語、自分が言った言葉を繰り返すのが同語反復。そして汚言。汚言の動作版が汚行為で、卑猥な仕草をしてしまうものだ。これも稀だが存在する。
最も重い側面が自傷型のチックだ。日本トゥレット協会の資料には、口の中を噛み続けた結果、ケロイド状の傷ができ、歯がぐらつき、骨髄に感染が起き、最終的に顎の骨が折れた例が記されている。目を傷つけて失明に至った例もあるという。跳ねて叫ぶだけの病気ではない。ここは正確に書いておきたい。
症状は「波打つ」。数日から数週間の単位で、強くなったり弱くなったり、出る場所が変わったりする。昨日は肩、今週は喉、来月はまた瞬き、というふうにレパートリーが入れ替わっていく。この予測不能さも、当事者を消耗させる要因になっている。
## 証言その一、教室という戦場
学校は、この病気にとって最悪の設計になっている。静かにすることが求められ、みんな同じ方向を向いて座り、逸脱がすぐ目立つ。しかも周囲は子どもだ。
日本トゥレット協会に関わる保護者の話として記録されているケースに、こういうものがある。息子さんは小学三年生から中学半ばまで、学校に行けなくなった。行けなくなった、という短い言葉の中に、どれだけの出来事が詰まっているかを想像してみてほしい。声が出る。教室が振り返る。誰かが笑う。誰かが真似をする。先生が「静かにしなさい」と言う。静かにできない。もう一度言われる。廊下に出される。翌日また同じことが起きる。それが何十回も繰り返されると、子どもは教室に近づけなくなる。彼は最終的に、通い方に柔軟性のある高校に入って、そこから少しずつ回復した。アルバイトができるところまで戻り、しかしまた症状がぶり返した。良くなったり悪くなったりを繰り返しながら生きている。
海外にも同じ構図の話がいくらでもある。アメリカのブラッド・コーエンという人は、学校で自分の音に対して繰り返し叱られ、あるとき校長に全校集会の壇上へ呼び出された。彼が舞台の上から自分の症状を説明したところで、ようやく周囲が「わざとではない」と理解し始めた。彼はのちに教師になった。皮肉な話で、彼は面接を二十回以上落ちている。声が出る人間を教壇に立たせられない、というのが理由だった。
この病気の子どもがいちばん傷つくのは、症状そのものではないことが多い。「わざとやってるんでしょう」と言われる瞬間だ。自分では止められないものについて、意図を疑われる。これはかなり深いところに刺さる。
## 証言その二、電車の中の三十分
日本の当事者団体の資料に、公共交通機関に乗れないという記述が繰り返し出てくる。これは物理的に乗れないという意味ではない。乗るのが怖いという意味だ。
想像してみてほしい。通勤時間帯の車両。誰も喋っていない。全員がスマートフォンを見ている。あの、独特の静けさ。その中で、自分の喉が動き始める。前駆衝動が来る。抑える。三駅もつ。四駅目で限界が来る。声が出る。周りの人が一斉にこちらを見る。あるいは、もっとつらいことに、誰も見ない。全員が見ないようにする。数人が、そっと別の車両へ移動する。
汚言のある人の場合、これがさらに深刻になる。出てくる単語が、たまたま隣にいる人の外見に関する言葉だったりする。差別的な語彙だったりする。本人が最も言いたくない言葉ほど出やすい、という性質がこの症状にはある。言ってはいけないと強く意識した単語ほど、口から出る確率が上がる。だから隣にいる人が誰であるかによって、出てくる言葉の危険度が上がる。当事者にとって満員電車は、地雷原を歩くようなものだ。
重症のケースでは、外出そのものが難しくなる。字を書くことも、食事をすることすら難しくなる場合がある。トゥレット当事者会の説明にも、軽症であれば普通に学校や仕事に行けるが、重症だと公共交通機関に乗れず外出が難しくなる、とはっきり書かれている。同じ病名の中に、この振れ幅がある。
## 証言その三、面接室で起きること
就労はもう一つの関門だ。日本の支援団体の資料では、書字困難、キーボード操作の困難、面接時の不安、そして強迫症やADHDや睡眠障害や自閉スペクトラムといった併存症が、就労の壁になっていると整理されている。
面接というのは、この病気にとって理不尽な形式だ。第一に、緊張するとチックは悪化する。第二に、面接では長時間じっと座って、相手の目を見て、静かに話すことが求められる。第三に、抑え込みには認知資源が必要なので、抑え込みながら志望動機を語ろうとすると、頭の中は半分しか使えない。第四に、面接官はこの病気を知らないことがほとんどだ。
そして、多くの当事者が直面するのが「言うか、言わないか」という判断である。先に開示すれば、症状が出たときに「ああ、あれか」で済むかもしれない。だが開示した時点で落とされるかもしれない。開示しなければ、面接の途中でいきなり声が出て、面接官が固まる。どちらを選んでも賭けになる。しかもこの賭けを、就職活動の間じゅう、何十社に対して繰り返すことになる。
イギリスのメディアには、テレビ業界でキャリアを築いた当事者の手記が載っている。彼は仕事を得るまでに、この開示のジレンマを何度も通過してきたと書いている。うまくいった職場の共通点は、制度ではなく、たった一人、「で、それで何ができるの」と聞いてくれる人がいたかどうかだった、という。
## 証言その四、一日に一万六千回「ビスケット」と言う人
ジェス・ソーというイギリスの女性の話をしたい。彼女は二十歳のとき、二〇〇〇年ごろにトゥレット症候群と診断された。チック自体は幼少期からあった。
彼女の音声チックの代表格が「ビスケット」だ。一日およそ一万六千回。この数字は家族が実際に数えたものだという。一日十六時間起きているとして、一時間あたり千回。三、四秒に一回、「ビスケット」と言っていることになる。彼女は車椅子も使い、腕を強く動かすチックのために手を保護する必要もある。
彼女がすごいのは、この状況を隠す方向に行かなかったことだ。二〇一〇年、彼女はマシュー・パウントニーと共に「トゥレットヒーロー」というプロジェクトを立ち上げた。チックから出てくる予測不能な言葉を、そのまま創作物の素材にしてしまう試みだ。二〇一四年にはエディンバラのフリンジで「バックステージ・イン・ビスケットランド」という一人芝居を上演した。舞台の上で、彼女のチックは止まらない。だから舞台は毎回違うものになる。この作品は総合演劇賞を受賞し、国際的に巡演された。
彼女は脳深部刺激療法についても書いている。DBSは、頭蓋骨に穴を開けて脳の奥、視床や淡蒼球などに電極を埋め込み、電気刺激を送る手術だ。トゥレット症候群では、薬も行動療法も効かない重症例に対して、実験的な位置づけで行われている。対象になるのは患者全体の三パーセント未満とされる。
彼女自身はこの手術を受けていない。だが、DBSを受けた友人のジョージーに直接会って話を聞き、その体験を記録に残した。彼女が最も心を動かされたのは、ジョージーが刺激装置のテスト中に感じたという「静けさ」の描写だった。彼女はこう書いている。ジョージーが語ったあの静けさの感覚は、自分がいちばん惹かれた部分で、正直に言えば、それは自分の興味をかき立て、わくわくさせた、と。そして続ける。DBSは今すぐ自分が選ぶものではないけれど、もしチックが変わったり、研究や技術が進んだりしたら、調べてみてもいいと思えるものだ、と。
治すべきか、共に生きるべきか。当事者コミュニティの中で最も割れるテーマがこれだ。彼女の答えは、どちらか一方ではない。あの静けさに惹かれる自分も、今の自分を否定したくない自分も、両方を書き残している。ここは非常に誠実な記述だと思う。
## モーツァルトはトゥレットだったのか問題
さて、ここで有名人の話になる。この病気を語るとき、必ず出てくるのがヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトだ。
言い出したのは一人ではない。デンマークのフォーとレグールが一九八三年、ウィーンの世界精神医学会でこの説を発表した。スウェーデンのグンネは一九九一年に「モーツァルトはトゥレット症候群だったのか」という論文を医学誌に出した。そして最も有名なのが、アメリカの医師ベンジャミン・シムキンが一九九二年に発表した研究だ。彼はモーツァルトの手紙のうち、およそ三十九通に排泄物や下品な内容が含まれていることを数え上げ、これは家族の他のメンバーの手紙と比べても頻度が異常だと主張した。さらに、同時代人が書き残したモーツァルトの落ち着きのなさ、手足をひっきりなしに動かすクセ、椅子や机を叩く習慣、突然の跳躍などの記述を、運動チックの証拠として並べた。この説はメディアが大好きな種類の話だったので、世界中に広まった。ネット上ではいまだに「モーツァルトはトゥレットだった」が定説のように語られている。
だが、専門家の反応は速く、そして厳しかった。ドイツのトーマス・カンマーは二〇〇七年の論文で、この診断は医学的にも音楽学的にも即座に手厳しく批判されたと書いている。批判の中身は大きく三つある。
一つ目は、運動チックの証拠が足りないという指摘だ。同時代の記述にある「落ち着きがない」「手をよく動かす」は、それだけではチックの診断にならない。ADHD的な多動でも、単なる性格でも説明がつく。診断に必要なのは、反復性、常同性、そして本人の意志と無関係であることの記録だが、そこまで詳細な記述は残っていない。
二つ目は、これが最も本質的な反論なのだが、書いた言葉は音声チックではないという点だ。汚言症は、発話のシステムに割り込んで出てくる現象である。手紙は違う。手紙は座って、ペンを持って、推敲しながら書くものだ。時間の流れが全然違う。カルハウゼンが一九九三年に指摘したのもここで、意図的に書かれた文章に卑語が多いことを、不随意な発声の証拠に転用するのは方法論として無理がある。
三つ目は文化的な文脈だ。歴史研究者たちが繰り返し指摘しているのは、この種の下品なユーモアが十八世紀のドイツ語圏、とくにザルツブルクの言語文化にごく普通に存在したということだ。しかもモーツァルト家では全員がやっている。父レオポルトも、母アンナ・マリアも、姉ナンネルも、手紙で同種の冗談を書いている。母親が書いた手紙にも同じ調子のものが残っている。つまり家族ぐるみの言語習慣であって、一人の病理ではない。
オリバー・サックスや当時のトゥレット症候群協会も、この説には否定的な見解を出した。現在の主流の評価は、モーツァルトがトゥレット症候群だったとは言えない、というものだ。
この一件が示しているのは、遡及診断という営みの危うさだ。死んだ人間は診察できない。残っているのは、当時の人が当時の関心で書き残した断片だけだ。そこに現代の診断基準を当てると、たいてい何かが当てはまってしまう。しかも有名人に病名をつけると話題になるので、検証の甘い説ほど広く流通する。当事者の側から見ると、これはあまり気持ちのいい話ではない。手紙が下品だから病気、という論法は、結局のところ下品さと病気を結びつけているからだ。
## 十八世紀ロンドンの街角で、彼は敷居をまたぎ直していた
その一方で、記録の質が段違いに高く、遡及診断の説得力もはるかに強い人物がいる。サミュエル・ジョンソン。英語辞典を独力で編纂した、十八世紀イギリス最大の文人だ。
なぜ彼の記録が特別かというと、ジェームズ・ボズウェルという弟子が、彼の言動を異常なほど詳細に書き留めたからだ。ボズウェルの伝記は伝記文学の最高峰とされるが、同時に、意図せずして十八世紀の神経学的観察記録にもなっている。
ボズウェルはこう書いている。ジョンソンは戸口を通るとき、突然立ち止まり、それから深刻な様子で自分の歩数を数えているように見えた、と。数え間違えると、彼は引き返し、儀式を最初からやり直せる正しい姿勢を取り直した、と。つまり、敷居をまたぐたびに、特定の足の運びを完遂しないと通れなかったのだ。これは複雑運動チックと強迫的な儀式が重なった状態として、かなりきれいに説明がつく。
声の記録もある。ボズウェルによれば、ジョンソンは絶えず何かを口の中で唱えており、時に何かを反芻しているように、時に半分口笛のような音を立て、時に舌を後ろへ弾いて、めんどりが鳴くような音を出した、という。これは単純音声チックの描写そのものだ。
画家ジョシュア・レノルズの妹フランシス・レノルズは、もっと生々しい場面を書き残している。ジョンソンは足を奇妙な位置に置きたがり、両足のかかとの後ろ側を合わせたり、時にはつま先の先端どうしを合わせたりして、まるで三角形を作ろうとしているようだった、と。また別の場面では、彼の身振りがあまりに異様だったため、男も女も子どもも彼の周りに集まって笑った、という記述がある。彼は本を猛烈な勢いでシーソーのように前後に振っていた。ロンドンの街角で、当代一の知識人が、人だかりに笑われながら本を振り回している。この光景は、そのまま現代の当事者が電車の中で経験することと構造が同じだ。
小説家のファニー・バーニーも観察を残している。彼の口はまるで何かを噛んでいるかのように開いたり閉じたりし続けている、と。そして指を独特のやり方でくるくる回し、手をねじるクセがあった、と。彼女もまた、彼が戸口の前でくるくると回り、体をねじってから、大股で敷居をまたぐ様子を記録している。
一九七九年、神経学者のT・J・マレーが、これらの記録を突き合わせて、ジョンソンはトゥレット症候群だっただろうと論じた。以後、この説はかなり広く受け入れられている。モーツァルト説とジョンソン説の説得力の差は、記録の質の差だ。ジョンソンについては、同じ症状を、複数の観察者が、独立に、詳細に、繰り返し記録している。反復性も常同性も確認できる。しかも彼自身は、それを自分で止められないものとして扱っていた。
ジョンソンの人生には、もうひとつ考えさせられる点がある。彼はこの症状を抱えたまま、英語辞典を作り、文壇の中心にいた。周囲は彼を笑ったが、同時に彼の言葉を求め続けた。症状の存在と、その人の達成は、まったく別のレイヤーにある。この当たり前のことを、私たちは何度でも確認する必要がある。
## 脳の中で、ブレーキが少しだけ緩んでいる
ではいったい脳で何が起きているのか。現時点でいちばん有力なのは、大脳皮質から線条体、淡蒼球、視床を経て皮質に戻る回路、いわゆる皮質-線条体-視床-皮質回路の機能異常だ。
この回路は、動きの企画と選択を担っている。人間の脳は、動きたいという候補を大量に生成している。実際に実行されるのはそのごく一部で、残りは基底核が抑え込んでいる。この抑制の仕組みが少し緩むと、本来なら実行されないはずの運動プログラムが、実行側に漏れ出てしまう。それがチックだ、というのがざっくりした説明になる。
つまりこの病気は「余計なものを作り出す病気」というより「不要なものを止める仕組みが弱い状態」に近い。ここが肝心だ。患者は暴れているのではない。フィルターの目が少しだけ粗いのだ。
神経伝達物質としてはドパミンが最も注目されてきた。ドパミンD2受容体を遮断する薬でチックが減るからだ。ハロペリドールがトゥレット症候群に有効だと報告されたのは一九六〇年代で、アーサー・K・シャピロという医師が大きな役割を果たした。彼の功績は薬だけではない。当時この病気は精神分析の対象とされていた。フェレンツィ・シャーンドルが一九二一年に、マーガレット・マーラーが一九四〇年代に、チックを無意識の葛藤の表現として解釈していたのだ。つまり長い間、この病気は「心の問題」であり、悪くすると「親の育て方の問題」にされていた。シャピロはそれを臨床データで叩き潰した。一九七八年に妻のイレインと共著で出した本は、精神分析的な説明を体系的に批判している。悪魔憑きから解放されたあと、この病気は今度は心因説に捕まっていて、そこから抜け出すのにさらに数十年かかった、ということだ。
ドパミンだけでは説明しきれないこともわかっている。セロトニン系、ノルアドレナリン系、そして線条体の介在ニューロンの減少を示す所見なども報告されている。近年はグリア細胞によるシナプス刈り込みの異常を疑う研究も出てきた。まだ決着はついていない。
遺伝の関与は強い。双生児研究では一卵性双生児の一致率が二卵性を大きく上回る。二〇〇五年にはSLITRK1という遺伝子の変異が報告されて話題になったが、これは一部の症例に限られ、単一遺伝子病ではないことがその後わかった。今の理解では、多数の遺伝子がそれぞれ小さく寄与するポリジェニックな構造だとされている。有病率は学齢期の子どもでおよそ一パーセント前後。国際的な十四の疫学研究では〇・四から三・八パーセントに分布している。日本でも千人あたり三人から八人という数字が挙げられることがある。決して珍しい病気ではない。
そして忘れてはいけないのが予後だ。多くの子どもは思春期でピークを迎え、そのあと軽くなる。おおよそ八割で成人までに症状が軽減する。ピーク時に重かった十人を追跡すると、四人はほぼ消え、四人は軽く残り、二人は中等度以上が続く、というのがよく引かれる目安だ。進行性の病気ではないし、寿命を縮める病気でもない。
## 二〇二〇年、TikTokで何かが起きた
ここからが現代編だ。二〇二〇年から二〇二一年にかけて、世界各国の小児神経科と運動障害の専門外来に、奇妙な患者が押し寄せた。
十代の、主に女子。ある日突然、症状が始まる。数日から数週間で完全に完成された形になる。動きが複雑で演劇的で、しかもやたら大きい。学校でペンを投げる。家で皿を割る。卵を握りつぶす。そして言葉が出る。ドイツで診た医師たちは、複数の患者が同じ言葉を叫んでいることに気づいた。「ポメス」つまりフライドポテト。「爆弾」。「あんたブス」。「空飛ぶサメ」。互いに面識のない、住んでいる街も違う若者たちが、同じ単語を叫んでいた。
追跡すると、共通点が一つ見つかった。ヤン・ツィマーマンという若者のYouTubeチャンネル「ゲヴィッター・イム・コプフ」、日本語にすると「頭の中の雷雨」だ。二〇一九年二月に開設され、二〇二二年初頭には登録者二二〇万人。ドイツで二番目に成功したYouTubeクリエイターだった。彼自身はトゥレット症候群の当事者として発信していた。そして彼の動画に出てくるフレーズが、患者たちが叫ぶ言葉と一致していた。
ハノーファー医科大学のキルステン・ミュラー=ファールらのグループは、二〇二一年八月に神経学の主要誌「ブレイン」に論文を出した。タイトルは、やめろ、これはトゥレットではなく新しいタイプの集団心因性疾患だ、というかなり挑発的なものだった。彼女たちは「マス・ソーシャルメディア・インデュースド・イルネス」、SNS誘発性集団疾患という概念を提唱した。
集団心因性疾患そのものは古くからある。中世の踊り病、修道院での集団的な発作、工場や学校での集団失神。従来は、同じ場所にいて互いを直接見ていることが必要だった。今回が新しいのは、患者同士が一度も会っていないことだ。地理的な制約がない。SNSが「目と耳の延長」として機能し、面識のない人間の間に症状が伝播した。人類史上、たぶん初めての形式だった。
同じ時期、カナダのカルガリー、オーストラリア、イギリス、アメリカでも同様の報告が出た。カナダのトーマス・プリングスハイムらは二〇二一年に、若い女性における急速発症の機能性チック様行動として症例集積を発表している。パンデミックによる孤立、不安、そしてスクリーンタイムの激増が背景にあったと考えられている。
## 「あいつら嘘ついてるだろ」への、反証
ネットの反応は、予想通りの方向に走った。切り抜き動画、検証動画、暴露スレッド。演技だ、注目を集めたいだけだ、ミュンヒハウゼン症候群だ、という書き込みが大量に流れた。本物のトゥレット症候群の当事者が「本物と偽物の見分け方」という動画を出して数百万回再生される、という現象まで起きた。当事者の一部は、自分の病気が流行アイテムのように消費されることに強い怒りを表明した。それは無理もない。二十年抑え込みと闘ってきた人間から見て、症状がプロフィールの一部として扱われるのは耐えがたいだろう。
ただ、ここで踏みとどまって考えたい。「嘘」という言葉は、医学的にはまったく正しくない。
医学が使う言葉は「機能性チック様行動」だ。機能性という語は、故意という意味ではない。脳や体の器質的な損傷では説明できないが、本人が意図して作り出しているわけでもない症状、という意味である。アメリカのトゥレット協会は、この点をかなり強い調子で書いている。これらは意図的に作り出されているものではなく、当事者は演技をしているのではない、と。そして家族に対して、演技だと言うな、わざとやっていると言うな、と明確に求めている。
臨床的な違いも整理されている。トゥレット症候群は小児期に緩やかに始まり、単純な瞬きなどから始まって、波打ちながら数年かけて広がる。男性に多い。前駆衝動があり、一時的に抑え込める。一方、機能性チック様行動は思春期に突然始まり、最初から複雑で、発作のような塊で出る。女性に多い。前駆衝動が乏しいか非典型的。チック症や強迫症やADHDの既往も家族歴もないことが多い。そして症状が、SNSで見た内容をなぞっている。この対比はかなりきれいに出る。
さらに言えば、両者は排他的ではない。もともとトゥレット症候群を持っている人に、機能性の症状が上乗せされることもある。だから外野が動画を見て「本物か偽物か」を判定するのは、原理的に無理だ。診断は診察でしかできない。
一つ、意地悪でない形で指摘しておきたいことがある。この騒動が示したのは、若者が嘘つきだということではない。人間の脳が、他人の運動パターンを、本人の意思とは無関係に取り込んでしまうということだ。あくびがうつるのと、根っこは近い。私たちの体の制御は、私たちが思っているほど「自分だけのもの」ではない。トゥレット症候群が示す不気味さと、この現象が示す不気味さは、実は同じ方向を向いている。
## なぜ、この病気だけが特別に怖がられるのか
最後に、この話の核心にあたる問いを置きたい。なぜトゥレット症候群は、こんなにも怖がられ、こんなにも誤解されるのか。
一つ目の理由は、意志の境界を侵すからだ。骨折した人を見て怖がる人はいない。体の不調は、その人の人格の外側にあるものとして処理できるからだ。ところが、口が勝手に言葉を発するとなると、話が変わる。言葉は人格の中身だと、私たちは無意識に信じている。だから、意図しない言葉が出てくる人を見ると、脳が処理に失敗する。「本音が漏れたのでは」という解釈に飛びつく。これが最悪の誤解を生む。汚言の内容は本音ではない。むしろ逆で、その人が最も言ってはいけないと思っている単語ほど出やすい。抑制のフィルターにひっかかった単語が、フィルターが緩んだ瞬間に真っ先に飛び出す。禁止のタグが付いた語ほど脳内で強く目立っているからだ。あれは本音の露出ではなく、禁止リストの読み上げに近い。
二つ目は、笑いを誘発してしまうからだ。ビリー・アイリッシュが言っていた、いちばん多い反応は笑いだ、なぜならみんな自分がふざけていると思うから、という言葉は効く。突然の予測不能な動きや音は、それだけで笑いの生理的なトリガーになる。悪意がなくても、反射的に口角が上がってしまう。そして笑われた側は、それを悪意として受け取る。ここで断絶が起きる。
三つ目は、症状が変動することだ。昨日は出ていた、今日は出ていない。学校では出ない、家では出る。緊張すると悪化し、集中すると消えることがある。演奏中や競技中にぴたりと止まる人がいる。この変動性が「じゃあ我慢できるじゃないか」という誤解を生む。できるのではない。できるように見えている時間の裏で、莫大な代償を払っている。
四つ目は、歴史の重さだ。悪魔憑きから始まって、魔女狩りの資料に載り、精神分析で親のせいにされ、テレビで笑いのネタにされ、二〇二〇年代にはSNSの流行として消費された。この病気は数百年にわたって、一度もまともに扱われた期間が長く続いたことがない。誤解が積み重なりすぎて、正しい情報が入っても押し流されてしまう。
でも、ひとつだけ確かなことがある。ダンピエール侯爵夫人は、七十八年間、自分が何を叫んだかを毎回きちんと理解していた。理解した上で、恥じ、耐え、生きた。悪魔に取り憑かれていた人など、そこには一人もいなかった。いたのは、自分の口が勝手にやったことを最初から最後まで見ていた、まともな知性の持ち主だけだ。
## 同じ症状に、時代ごとに違う衣装が着せられてきた
この題材を追いかけているうちに、ひとつのことがずっと引っかかっていた。それは、トゥレット症候群が私たちに突きつけている問いが、医学の問いというより、もっと手前の、根本的な問いだということだ。自分の体は自分のものか。自分の口から出た言葉は自分の言葉か。この二つは、ふだん誰も疑わない。疑う必要がないからだ。だがこの病気は、その前提が実は薄い膜の上に成り立っていることを、目の前で実演してしまう。だから人は怖がる。怖がっているのは患者ではなく、自分の側の足場なのだ。
歴史を通して見ると、この病気に対する社会の説明は、いつもその時代が持っていた最も強い物語装置を借りてきている。宗教が世界を説明していた時代には、悪魔憑きになった。心の内面が世界を説明する言語になった二十世紀前半には、抑圧された欲望の表現になった。神経科学が説明を握った二十世紀後半には、ドパミン系の異常になった。そしてアルゴリズムが人間の注意を握った二〇二〇年代には、SNS誘発性の集団現象になった。同じ症状が、時代ごとにまったく違う衣装を着せられてきた。これは裏返せば、私たちが今持っている説明も、数十年後には別の衣装に見えるということでもある。皮質-線条体-視床-皮質回路の話は、たぶん正しい。だが、それが最終の物語だと思うのは、たぶん傲慢だ。
ダンピエール侯爵夫人の症例を追い直していて、いちばん胸に残ったのは、結婚すれば治るという十九世紀の処方だった。あれは今から見ると滑稽な誤りだ。だが構造は今も残っている。しっかりしなさい、気にしなければ出ないよ、リラックスすれば大丈夫、と言われる当事者は今もいる。処方の中身が変わっただけで、「意志でどうにかしろ」という要求そのものは形を変えて生き延びている。これは根深い。なぜなら私たちは、意志でコントロールできない身体という概念を、心のどこかで受け入れきれていないからだ。受け入れると、自分のことも信じられなくなるから。
TikTokチックの騒動を、単なる若者バッシングの話として終わらせるのはもったいないと思う。あの現象がむき出しにしたのは、人間の運動制御が驚くほど他者に開かれているという事実だ。あくびがうつる。人混みで歩調が揃う。誰かが咳をすると自分の喉も気になる。私たちの身体は、常に周囲を模倣する回路を走らせている。ふだんはその出力が抑え込まれているので気づかない。ところが不安が高まり、孤立し、画面越しの他者と何時間も過ごし、しかも「自分は何者か」という問いに追い詰められている状態が重なると、その抑え込みが緩む。緩んだ先に何が出てくるかは、その人が最近いちばん多く見たものに依存する。二〇二一年の若者たちが見ていたのは、チックの動画だった。それだけの話だとも言えるし、だからこそ底なしに不気味だとも言える。あれは「嘘つきの流行」ではなく、「模倣という人間の基本機能が、新しい配管を得たときに何が起きるか」の実証実験だった。
もうひとつ、汚言症の内容について書き足しておきたい。汚言に出てくる語は、その文化で最も禁止された語である。フランスの貴族なら下層の罵り。日本語なら性器や排泄物の名称。英語圏なら差別語。つまり汚言症は、その社会が何を最も強くタブー視しているかを、逆算できる装置になっている。研究者の中には、汚言のレパートリーが時代とともに変化してきたことを指摘する人もいる。かつては宗教的な冒涜語が多く、世俗化が進むにつれて性的な語彙に移り、近年は差別語の比重が増えてきた、と。禁止の重心が移動すると、症状の中身も移動する。神経の病気なのに、症状の内容は社会が決める。この二重構造は、他のどんな疾患にもあまり見られない、きわめて奇妙な性質だと思う。
そして、この病気には救いの構造もちゃんとある。八割は成人までに軽くなる。進行しない。命を奪わない。知能を損なわない。CBITのような行動療法は、症状を消すのではなく、症状と共存する技術を本人の手に渡す。ジェス・ソーが一日一万六千回「ビスケット」と言いながら舞台に立ち続けているという事実は、症状の量と人生の質が単純比例しないことの、いちばん強い証拠だ。ビリー・アイリッシュの「好きなわけじゃないけど、自分の一部だ。仲良くなった」という言葉も同じ場所を指している。仲良くなった、というのは治ったという意味ではない。戦うのをやめたという意味でもない。同居の条件を自分で書き換えた、ということだ。
最後に、この記事を書くにあたって自分に課したことを書いておく。怪異として書きたくなる誘惑が、この題材には常にある。悪魔憑き、意志を持たない身体、口から出る呪詛。素材としてはこれ以上ない。だが、その怖さの主語を間違えてはいけない。怖いのは、彼らが怪物だからではない。私たちの誰もが、抑制の回路がほんの少し緩むだけで、自分の意志と自分の身体の間に隙間があることを知ってしまうからだ。その隙間は、実はもともと全員にある。トゥレット症候群の人は、その隙間が少し広いだけだ。二百年前、パリの屋敷でひとり叫び続けた老婦人が私たちに残したのは、恐怖ではなく、この事実だったのだと思う。彼女は最後まで、自分が何を言ったかを分かっていた。分かっていたのに止められなかった。その状態を七十八年続けられる人間の強さのほうが、どんな怪談よりも、ずっと不思議で、ずっと恐ろしい。
