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象皮病――脚が丸太になる病をめぐる、蚊と火山灰と、誤診され続けたエレファント・マンの話

人間の脚が、丸太になる。
この言い方を初めて聞いたとき、さすがに盛ってるだろと思った。思っていたんだけど、写真を見たら盛ってなかった。膝から下が元の太さの三倍、四倍に膨れ上がって、皮膚はごわごわに硬くなって、ひび割れて、イボの皮みたいな質感になっている。足首がどこにあるのか分からない。靴ははけない。歩ける人もいるし、歩けない人もいる。
これが象皮病。英語でエレファンチアシス。名前の由来はそのままで、皮膚が象のようになるからだ。で、この病気の主犯は一体何なのかというと、蚊だ。蚊が運ぶ、髪の毛より細い寄生虫。その虫が人間のリンパ管に引っ越して、何年も住み続けた結果、脚が丸太になる。スケールがいちいちおかしい。
しかもこの病気、蚊と寄生虫がいなくても起きるバージョンがある。下手すると、土を踏んでいるだけでなる。さらに、あの有名な「エレファント・マン」ジョセフ・メリックは、実はこの病気じゃなかった。でも百年以上、そう呼ばれてきた。この話、書かなくちゃいけないだろ。
## 脚が丸太になる、という言い方は誇張じゃない
まず、体のなかで何が起きているのかを押さえておきたい。人間の体には、血管とは別にリンパ管という配管が張り巡らされている。こいつは細胞のすき間に溢れた水を回収して、静脈に戻す排水システムだ。地味だが、止まるとすごいことになる。
象皮病では、この排水管が壊れる。すると下半身にリンパ液が溜まる。最初は単なるむくみだ。朝には引いていて、夕方には膝下が重い、くらいの。ところがこれが何年も続くと、溜まったリンパ液に含まれるタンパク質が組織を刺激して、線維化が始まる。皮下にコラーゲンがべったりと積もる。皮膚は弾力を失って、厚く、硬く、でこぼこになる。こうなると、もう引かない。マッサージしても指の跡さえつかない。
さらに厄介なのが、この状態の皮膚は細菌に対して無防備だということ。小さな傷から菌が入り、蜂窩織炎を起こす。高熱が出て、脚がパンパンに腫れて、激痛が走る。この発作を現地では「発熱発作」と呼んだりする。そして発作が起きるたびに、リンパ管はさらに壊れ、脚はさらに太くなる。一方通行の坂道だ。
膨れるのは脚だけじゃない。腕も、乳房も、そして男性の陰嚢も膨れる。陰嚢水腫は、この病気のなかでもとくに患者を苦しめるやつで、重篤な例では歩行が不可能になるほどの大きさになる。日本の泌尿器科の報告にも、巨大な陰嚢象皮症の症例が残っている。
## 犯人は蚊、そして髪の毛より細い虫
寄生虫性の象皮病を起こすのは、リンパ系フィラリア症という感染症だ。原因となる線虫は主に三種類。バンクロフト糸状虫、マレー糸状虫、チモール糸状虫。このうちバンクロフト糸状虫が圧倒的に多く、全体の九割を占める。
成虫は細い糸のような形をしていて、雌は長いもので十センチ以上になる。こいつらが人間のリンパ管やリンパ節のなかに住みつく。しかも短命じゃない。成虫の寿命は五年から八年とされていて、そのあいだずっと子どもを産み続ける。何百万というミクロフィラリア、つまり幼虫が、宿主の体のなかを泳いで回る。
リンパ管のなかで虫がとぐろを巻いている、という絵を想像してほしい。物理的に詰まってもいるし、免疫系がそれに反応して炎症を起こしてもいる。さらに近年分かってきたのが、この線虫の体内にボルバキアという細菌が共生していて、こいつも炎症に一役買っているということだ。この発見は治療にもはねて、ドキシサイクリンでボルバキアを叩くと線虫も弱る、という変な手が使えるようになった。寄生虫を直接叩かずに、その同居人を叩く。面白いこと考えるな、と思う。
## 夜にだけ血に出てくる、ふざけた生活習慣
この寄生虫でいちばん気味が悪いのは、生活史のうまさだ。ミクロフィラリアは昼間、肺の血管の奥に潜んでいる。そして夜になると、いっせいに末梢の血液に出てくる。夜間定期出現性という。なぜかというと、この虫を運ぶ蚊が夜に人を刺すからだ。虫は蚊の勤務時間に合わせて、自分のシフトを組んでいる。
しかも地域によって、この時間帯がずれる。太平洋の一部地域では、媒介する蚊が昼行性なので、ミクロフィラリアも昼間に血中に出てくる。虫が現地の蚊に合わせて時間割を変えている。誰が教えたわけでもない。何万年ぶんかの淘汰が、この時計をつくった。
これ、診断の現場では実用的な意味を持っていた。かつてフィラリア症を調べるには、患者の血を採るしかなかった。それも夜。深夜に村を回って、寝ている人を起こして、指先から血を採る。「夜間採血」と呼ばれた調査だ。日本でもこれが延々と行われた。虫の都合で、医者と住民が真夜中に叩き起こされていたわけだ。
## 1866年から1877年まで、十一年で正体が割れた
この病気の正体が分かるまでの流れが、けっこうドラマチックなんだよな。原因不明の「熱帯の脚が腫れる病」が、十年ちょっとで完全解明に近いところまで行った。
最初のピースは一八六〇年代。ブラジルで働いていたドイツ人医師オットー・ヴュッヘラーが、乳糜尿という白く濁った尿のなかに、細い虫を見つけた。ほぼ同時期にパリのジャン・ドゥマルケーも、陰嚢水腫の液から同じようなものを見つけている。ただ、この段階では「なんか虫がいる」までしか分からない。成虫がどこにいるのか、どう感染するのか、まるで見当がつかない。
次のピースは一八七六年。オーストラリアのブリスベンで、ジョゼフ・バンクロフトが成虫を発見した。リンパ系のなかにいた、あの長い糸のような虫だ。これで「幼虫が血にいて、成虫がリンパにいる」までつながった。バンクロフト糸状虫という名前は、彼にちなんでいる。
そして一八七七年、決定打が来る。中国のアモイ、いまの厦門で働いていたスコットランド人医師パトリック・マンソンが、蚊が感染を媒介しているという説を打ち出した。当時これはかなり突飛な主張だった。虫が蚊を経由して人にうつるなんて、誰も真剣に考えていなかったからだ。
## パトリック・マンソンと、蚊の胃袋
マンソンがやったことは、いま思えばえげつない実験だ。彼は自分の使用人のなかに、ミクロフィラリアを大量に持っている男を見つけた。そしてその男を蚊帳のない部屋に寝かせて、蚊に刺させた。血を吸った蚊を回収し、日をおいて解剖し、蚊の体内で虫がどう変化するかを追いかけた。
結果、蚊の体内でミクロフィラリアが脱皮して、感染力を持つ段階まで発育することが確認された。つまり蚊は単なる注射器ではなく、この虫の人生の一部を引き受ける、正式な中間宿主だったわけだ。
この発見の意味は、フィラリア症だけにとどまらなかった。「昆虫が病気を運ぶ」という概念そのものが、ここから本格的に立ち上がる。のちにマラリアの蚊媒介説を証明したロナルド・ロスは、マンソンから直接の指導を受けている。熱帯医学という分野が生まれた瞬間に、この脚が腫れる病気がいた。象皮病は、医学史のなかでけっこうな主役なんだよな。
## 四千万人が感染し、八億人以上が狙われている
数字を出しておく。二〇二二年時点の推計で、リンパ系フィラリア症の感染者はおよそ四千万人。感染のリスクにさらされている人は、四十七の国と地域で八億六千万人以上とされる。八億。日本の人口の七倍近い数の人が、いまも蚊に刺されるたびにこの虫を打ち込まれる可能性のある土地で暮らしている。
そして、この病気は世界でもっとも大きな永続的障害の原因のひとつに数えられている。命を奪う病気ではない。だから死亡統計には出てこない。けれど脚が丸太になった人は、農作業ができない。市場に立てない。歩けないから学校に行けない。家族の一人が発症すると、世帯の収入が消える。数字に出ない被害のほうが、はるかに大きい。
もう一つ知っておいてほしいのが、感染者の大半は無症状だということだ。血液のなかに虫がいるのに、脚は腫れない。本人も気づかない。ただ、その人は蚊にとっての感染源になっている。流行地では、住民の何割かが「歩く虫の貯蔵庫」になっていて、そこから蚊が延々と虫を運び出す。だから対策は、症状のある人を治すことではなく、地域全体に薬を配るという方向に進むことになった。
## 感染してから膨れるまでの、十年二十年
この病気の残酷さのひとつが、時間差だ。蚊に刺されて虫が入ったとして、次の週に脚が腫れるわけじゃない。何年、ときには十年二十年かけて、リンパ管がじわじわ壊れていく。子どものころに感染して、三十代四十代で症状が出る。だから当事者は、いつどこで何をされたのかを特定できない。
しかも一回刺されただけでは、まず発症しない。流行地で、何年ものあいだ繰り返し繰り返し刺され続けて、虫が蓄積していく。つまりこれは「運の悪い一回」ではなく、「その土地に住み続けたこと」そのものが原因になる病気だ。だから貧困と強烈に結びつく。網戸のない家、蚊帳の買えない世帯、水たまりの多い集落。刺されない生活を選べる人は、この病気にならない。
流行地で暮らす男性の五割、女性の一割ほどが何らかの障害を伴う症状を抱える、という推計もある。この男女差の一部は、男性に多い陰嚢水腫のぶんだ。
## 「エレファント・マン」は、実は象皮病じゃなかった
ここで話が急にイギリスに飛ぶ。ジョゼフ・メリック。一八六二年八月五日、レスターのリー通り五十番地に生まれた男だ。二十一ヶ月ごろから顔が腫れはじめ、五歳ごろには頭部や体幹に骨と皮膚の異常な増殖が広がっていた。母メアリー・ジェーンを一八七三年に肺炎で亡くし、継母のもとで「私の人生は完全な悲惨だった」と本人が書き残す日々を送る。
一八七九年、彼はレスターの救貧院に入れられる。一八八四年に出るまで、そこは地獄だった。出たあとは見世物の世界に入り、トム・ノーマンという興行師のもと、ロンドン病院のすぐ近く、ホワイトチャペル・ロードの空き店舗で公開されていた。そこで彼を見たのが、外科医フレデリック・トリーヴスだ。一八八四年、トリーヴスは彼をロンドン病理学会に連れていき、症例として提示した。
その後、興行が立ち行かなくなったメリックはヨーロッパを巡業に出るが、ブリュッセルで所持金を奪われ、無一文でアントワープ経由の連絡船に乗り、リヴァプール・ストリート駅にたどり着く。ここで再びトリーヴスに拾われた。一八八六年十二月にタイムズ紙で募金が呼びかけられ、ロンドン病院に恒久的な部屋が与えられた。彼は一八九〇年四月十一日、そこで死んでいるのを発見される。二十七歳。死因は窒息とされた。
## メリックの診断名は、三回書き換えられた
で、本題。彼はなぜ「エレファント・マン」と呼ばれたのか。当時の理解では、彼の症状は象皮病の一種だと考えられていたからだ。皮膚が厚くごわごわになり、体の一部が異常に肥大する。見た目の共通点はある。だから象の名前がついた。
でもこれは間違いだった。象皮病はリンパの排水障害の病気で、彼の症状のような骨の過剰増殖は起こさない。二十世紀に入ると、彼の病気は神経線維腫症一型だという説が主流になる。この説は非常に長く、非常に広く信じられた。あまりに広まったせいで、神経線維腫症は英語圏で長らく「エレファント・マン病」という通称で呼ばれてしまった。当事者団体がこの呼び名の撤回を求め続けたほど、これは実害のある誤解だった。
そして一九八六年。ティブルズとコーエンという二人の研究者が、英国医師会雑誌にメリックの症状の再検討を発表する。彼らの結論は、これは神経線維腫症ではなく、はるかに稀なプロテウス症候群だというものだった。体の一部が不均等に過成長する、モザイク型の遺伝子変異による病気だ。この説はいま最も有力とされている。ただ完全な決着はついていない。彼の組織サンプルは第二次大戦中に失われ、遺伝子検査で決定的に確かめる道が閉ざされてしまったからだ。
象皮病から、神経線維腫症へ、そしてプロテウス症候群へ。一人の人間の体につけられた名前が、百年かけて三回書き換えられた。しかも本人はとっくに死んでいて、一度も自分の病名を知らないまま終わっている。この事実が、俺はけっこう長く頭から離れなかった。
## 蚊が一匹もいない高地で、脚が腫れる土地がある
さて、ここからが個人的にいちばん面白いパートだ。象皮病には、寄生虫が一切関与しないタイプがある。ポドコニオシスという。日本語では非フィラリア性象皮症などと呼ばれる。
舞台はエチオピアやカメルーン、ウガンダ、ルワンダといったアフリカの高地。標高が高く、涼しく、蚊がほとんどいない。フィラリアの流行地としては成立しない土地だ。ところが、そこで脚が丸太のように腫れた人が大量にいる。しかも一つの村に何十人も。伝染病かと思えば、家族内での発生には偏りがあり、感染症の広がり方をしていない。
原因は、土だった。この地域の土は、火山性の赤い粘土だ。そこにはケイ素やアルミニウムを含む極小の鉱物粒子が大量に含まれている。裸足で農作業をしていると、この粒子が足の裏から皮膚を通って侵入し、下肢のリンパ管に入り込む。そして体はそれを排除しようとして慢性的な炎症を起こし、リンパ管が内側から潰れていく。結果、フィラリアと見分けがつかない脚ができあがる。
つまりこれは、土を踏み続けた人の脚だ。何十年もかけて、大地が足のなかに積もる。ちょっと神話じみた話に聞こえるが、顕微鏡で見ればちゃんとそこに鉱物の粒がある。
## アーネスト・プライス医師が顕微鏡で見たもの
この土説を確立したのが、エチオピアで働いていた英国人外科医アーネスト・プライスだ。一九七〇年代から八〇年代にかけて、彼は患者から採取したリンパ節の組織を顕微鏡で調べ、そこにケイ酸塩の微粒子が実際に取り込まれているのを確認した。憶測ではなく、現物が出てきた。
ただ、話はそこで終わらない。同じ土地で、同じように裸足で、同じ畑を耕していても、発症する人としない人がいる。この差はどこから来るのか。長らく謎だったが、二〇一〇年代にゲイル・デイヴィーらの研究グループが、患者の遺伝子を大規模に解析して答えの一端を出した。HLA領域、つまり免疫が自己と非自己を見分けるための遺伝子群に、発症しやすさと結びつく型があったのだ。
これで構図がはっきりした。ポドコニオシスは、土という環境要因と、免疫の遺伝的な素因の掛け算で起きる。土だけでも起きないし、遺伝子だけでも起きない。両方揃った人の脚が、何十年かけて丸太になる。
エチオピアだけで患者数は百五十万人を超えるとされ、地域によっては住民の四パーセント近くが罹患している。二〇〇四年時点の推計で、この病気による生産性の損失は年間二億ドル規模とされた。国の経済が、土と免疫の掛け算で削られている。
## 靴を履くだけで防げる、という残酷さ
ポドコニオシスの一次予防は、驚くほど単純だ。靴を履く。それだけ。土との接触を断てば、粒子は入ってこない。だから対策の中心は、啓発と靴の配布と、足を毎日洗う習慣づくりになる。
これがどれだけ残酷な話か、分かるだろうか。一足の靴で防げる病気で、百万人単位の人が脚を失っている。買えないからだ。あるいは、農作業に靴を履く文化がなかったからだ。あるいは、この病気が土のせいだと誰も知らなかったからだ。かつて現地では、この病気は呪いや遺伝の祟りだと考えられていた。原因が土だと分かるまで、対策のしようがなかった。
すでに固まってしまった脚に対しては、毎日の洗浄と保湿、圧迫包帯、そして必要なら結節の外科的切除といった管理が行われる。これも地味だが効く。丁寧な足のケアを続けると、あの発熱発作の頻度が目に見えて減り、脚のサイズも縮む。派手さゼロの介入で、人生の質がはっきり変わる。
## 結婚できない、店に入れない――スティグマという第二の病
寄生虫性でも非寄生虫性でも、この病気の患者が共通して語るのは、体のことよりも周囲の目のことだ。
現地の調査でよく報告されるのは、こういう話だ。腫れた脚を持つ女性には縁談が来ない。婚約していても、脚が腫れはじめると破談になる。市場で商品に触ると、他の客が買わなくなるから触るなと言われる。子どもが学校で「あいつの親は脚が腫れてる」といじめられる。教会や集会所で、隅のほうに座らされる。伝染すると信じられている地域では、同じ皿で食事をさせてもらえない。
ポドコニオシスの調査では、患者の生活の質のスコアが周囲の住民より明らかに低く、抑うつや精神的苦痛の指標も高いことが一貫して示されている。当たり前だ。脚が痛いうえに、村八分にされる。
一つ、エチオピア高地の患者について報告されている話を紹介したい。ある中年の男性は、二十代の終わりごろから右脚が腫れはじめた。最初は畑仕事の疲れだと思って放っておいた。三十代半ばで左も腫れ、発熱発作で年に何度も寝込むようになる。妻は残ってくれたが、村の集まりには呼ばれなくなった。彼がいちばん堪えたと語ったのは、脚の痛みでも、収入が減ったことでもなく、息子の結婚の話が「あの家系は脚の病がある」という理由で流れたことだったという。病気は自分の体で終わらない。家族の未来の話にまで手を伸ばしてくる。
別の報告では、インド南部で陰嚢水腫を抱えた男性が、二十年近く外出をほぼやめていた例が語られている。手術で治せる状態だったのに、誰にも相談できなかった。人に見せなければならないからだ。手術を受けたあと、彼が最初にしたのは市場に歩いていくことだったという。二十年ぶりの買い物だった。
さらにもう一つ。アフリカの流行地で活動した保健ワーカーの記録に、こんな話がある。ある女性は、腫れた脚を布で幾重にも巻いて隠していた。診療所のスタッフが足を洗うケアを教えたとき、彼女は最初、人前で布を外すことを頑なに拒んだ。数週間かけて信頼を築いて、ようやく外した。そこにあったのは、長年布に締めつけられて悪化した皮膚だった。スタッフが泣きそうになりながら洗ったら、彼女のほうが「こんなに気持ちのいいことだったのか」と笑った、という。隠すことが、病気そのものより脚を悪くしていた。
## 日本にもあった。八丈小島の「バク」
ところで、これは遠い国の話じゃない。日本にも、つい最近まで象皮病の流行地があった。
伊豆諸島の八丈小島。八丈島の隣にある、小さな島だ。ここには「バク」と呼ばれる風土病があった。脚が太く腫れ上がり、皮膚が厚くなり、患部に強烈な痒みが出る。島民のあいだで代々語り継がれ、原因不明のまま恐れられていた。正体はマレー糸状虫。日本で唯一の、マレー糸状虫によるリンパ系フィラリア症の流行地だった。
最初に近代医学の目が入ったのは一八九六年二月、中浜東一郎による調査だ。その後も研究者が入るが、原因をめぐって説が割れた。一九一一年九月には吉永福太郎と帖佐彦四郎が連鎖球菌説を主張し、翌一九一二年九月には望月代次と井上三郎がフィラリア説を実証した。同じ島の同じ病気に、細菌説と寄生虫説が並び立っていた時期があったわけだ。
面白いのは、この島のフィラリア症が、教科書的なバンクロフト糸状虫症とは症状の出方が違ったことだ。脚は腫れるのに、陰嚢水腫も乳糜尿もほとんど見られない。つまり日本の医師たちは、教科書と違う顔をした病気を目の前にして、それが何なのかを一から突き止めなければならなかった。
## 佐々学と、一九八八年の世界初
この島に本格的な調査が入ったのは、戦後だ。一九四八年七月、寄生虫学者の佐々学が調査を開始する。彼はこの島の状況を出発点に、日本全国のフィラリア症根絶運動を組み立てていくことになる。
やったことは、身も蓋もないほど地道だ。夜中に住民の血を採り、感染者を洗い出し、薬を配り、蚊の発生源を潰す。これを全国の流行地で、何年も続けた。当時のフィラリア症は九州や沖縄、四国の一部にも広がっていて、集落によっては住民の何割もが感染していた。
八丈小島自体は、一九六九年に全島民が離島して無人島になった。病気だけが理由ではないが、この風土病が島の暮らしを重くしていたのは間違いない。そして日本での最後の患者への治療が行われたのが一九七七年。一九八八年、日本はフィラリア症の根絶を宣言する。世界で初めて、この病気を国土から消した国になった。
蚊が飛んでいた島で、真夜中に血を採り続けた四十年。地味すぎて誰も映画にしないが、これは相当にすごい話だと思う。
## 年に一回の薬で、病気が消えていく
現在、世界保健機関は「リンパ系フィラリア症制圧のための世界プログラム」という枠組みで、流行地に薬を配り続けている。集団薬剤投与という手法だ。症状の有無に関係なく、その地域の住民ほぼ全員に、年に一回、薬を飲んでもらう。
使われるのはジエチルカルバマジン、アルベンダゾール、イベルメクチンの組み合わせ。どの組み合わせを使うかは、その土地に他の寄生虫症が流行しているかどうかで変わる。近年は三剤を同時に使う方式が導入され、必要な投与回数が減った。
これが効いている。スリランカ、トンガをはじめ、いくつもの国がすでに制圧を達成した。感染者数は着実に減っている。ただし、すでに脚が丸太になってしまった人の脚は、薬を飲んでも元には戻らない。虫を殺すことと、壊れたリンパ管を直すことは、別の話だからだ。だから制圧が進んだ国にも、症状を抱えたまま歳をとっていく人たちが残る。病気が消えたあとも、病気が残した体は残る。
## なぜこの病気の写真は、人を凍らせるのか
最後に、なぜこの病気がオカルト的な語られ方をしてきたかを考えたい。
理由の一つは、変形が「人間の輪郭」を壊すからだと思う。ハーレクイン魚鱗癬が皮膚の質感で人を驚かせるのに対して、象皮病はシルエットで驚かせる。人間の脚として認識できないものが、人間の体についている。この輪郭の破れが、生理的な不快感を直撃する。
もう一つは、原因の見えなさだ。刺されたのは何年も前。しかも刺された記憶なんて誰も持っていない。土を踏んだ記憶もない。ある日ゆっくり脚が太くなりはじめて、止まらない。原因が見えない変化ほど、人は超自然的な説明に飛びつく。呪い、祟り、前世の罪。実際、流行地の多くでそういう説明が長く信じられてきた。
そして三つ目。この病気は、貧しい場所にしか残っていない。かつては地中海沿岸や日本にもあったのに、いま先進国からは消えた。消えたから、写真だけが「よその世界の光景」として消費される。この距離感が、病気を怪異に変える。実際にはただの寄生虫と、ただの土と、ただの排水管の話なのに。
繰り返しておくが、脚のむくみが気になる人はネットの写真と見比べるんじゃなくて、素直に病院に行ってほしい。日本で足がむくむ原因は、この記事の主役たちより先に検討すべきものが山ほどある。
## 名前が現実をつくる――三回書き換えられた病名の話
象皮病という言葉を追いかけていくと、最終的に「名前が現実をつくる」という話に行き着く。ここを最後にまとめておきたい。
まず、この病名自体がすでに一種の罠だ。象皮病は診断名ではなく、見た目の記述にすぎない。脚が太く、皮膚がごわごわしている状態を指すだけの言葉であって、その裏には少なくとも三つの全然ちがう機序が並んでいる。蚊が運ぶ寄生虫。裸足で踏んだ火山性の土。そしてリンパ管そのものの先天的な形成不全や、手術やがん治療でリンパ節を失ったあとの慢性リンパ浮腫。この三つは原因も対策も予後もばらばらなのに、同じ名前でひとくくりにされてきた。
この雑なくくり方が、実害を生んだ。エチオピア高地では、長いあいだポドコニオシスの患者にフィラリアの薬が配られていた。寄生虫がいないのだから、効くはずがない。効かないので「あの病気は治らない」という諦めが定着し、患者は放置され、呪いや遺伝の祟りという説明が生き延びた。原因を土だと突き止めたアーネスト・プライスの仕事の価値は、そこにある。診断名の切り分けは、地味な作業に見えて、その土地の人生観まで書き換える。
そしてジョゼフ・メリックの件が、この構図の極端な例だ。彼は象皮病ではなかった。にもかかわらず「エレファント・マン」と呼ばれ、その呼び名が二重の被害を生んだ。一つは、彼自身が正しい病名を知らずに死んだこと。もう一つは、あとから彼の病気だと誤って結びつけられた神経線維腫症の患者たちが、何十年も「エレファント・マン病」というラベルを背負わされたことだ。神経線維腫症の当事者団体が、この通称の追放にどれだけ労力を割いたかを考えると、ラベル一つの重さがよく分かる。一九八六年のティブルズとコーエンによるプロテウス症候群説は、その意味で二重の名誉回復だった。もっとも、証明用の組織サンプルが戦争で焼けてしまっているせいで、この訂正すら永久に仮説どまりになる可能性が高い。名前の訂正には、訂正を裏づける物証がいる。その物証が失われた時点で、彼の本当の病名は歴史のなかに固定されてしまった。
もう一つ深掘りしておきたいのが、「制圧」という言葉の中身だ。世界保健機関の枠組みのもとで、リンパ系フィラリア症の感染は確実に減っている。何十カ国もが目標を達成しつつあり、日本のように完全根絶を宣言した国もある。ただ、ここに落とし穴がある。感染の制圧と、患者の救済は別物だという点だ。集団薬剤投与は、新たに虫が入るのを止める。でも、すでに壊れたリンパ管は元に戻らない。だから制圧達成国のなかにも、丸太のような脚を抱えたまま老いていく人が確実に残る。統計上は「制圧済み」の国で、統計から漏れた人たちが暮らしている。
その人たちに必要なのは、薬ではなく、日々のケアと、社会の側の態度の変更だ。毎日足を洗い、乾かし、保湿し、傷を作らないようにする。この単純な習慣が発熱発作の回数を劇的に減らすことは、複数の地域で繰り返し確認されている。高い機械も新薬もいらない。石鹸と、きれいな水と、それを毎日やる理由を教えてくれる誰かがいればいい。それでも普及しないのは、患者が脚を人に見せられないからだ。隠すことが治療を遠ざけ、治療が遠ざかることで脚が悪化し、悪化するとますます隠す。この輪を断つのは、医学ではなく、たぶん人の目のほうだ。
日本の話に戻ると、八丈小島の「バク」が根絶されて三十数年が経ち、この病気を実際に見たことのある日本人は、もうほとんどいない。海外渡航歴のある人の輸入例が年に数えるほど報告される程度だ。忘れられるというのは、公衆衛生的には勝利の証拠でもある。ただ、忘れられた病気は、遠い国の怖い写真として戻ってくる。俺たちがこの病気をネットで「うわ」と言いながら眺めているとき、その脚は八十年前の九州や沖縄や八丈小島にもあった。真夜中に採血して回った人たちがいたから、いまここにない。それを知ったうえで見るのと、知らずに見るのとでは、同じ写真がまるでちがうものに見えるはずだ。

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