弘化三年、肥後の海に毎晩立った光
弘化三年、西暦でいえば1846年の四月中旬のことだったという。
肥後国、いまの熊本県にあたる土地の海辺で、夜な夜な奇妙な光が海上に立つという噂が広まりはじめた。漁師たちは薄気味悪がりながらも仕事を続けていたが、光が消える気配はない。日が重なるにつれて噂は村中に広がり、ついには役人の耳にも届いた。
役人が確かめに海辺へ赴いた夜、波間に人ならざるものの姿が浮かび上がった。
長く垂れた髪。鳥の嘴のように前へ突き出た口。全身は魚のような鱗に覆われ、下半身からは三本の脚、あるいは鰭とも見える突起が伸びている。異形なのに、どこか神々しさすら漂っていたと伝えられる。
その者は自ら名乗った。
「私は海中に住むアマビエである」
そして役人に向けて告げた。今年から数えて六年の間、諸国は豊作に恵まれるだろう。しかし同時に、疫病もまた広く流行するだろう。もし病が国中に広まったならば、私の姿を写し取り、その絵をできるだけ早く人々に見せなさい。
そう言い残すと、アマビエは静かに海の中へ帰っていった。
役人はその場で見た姿を絵に描き起こし、江戸へ送った。その写しがさらに刷り物として複製され、市中に出回った。現存する史料は、そういう体裁を取っている。
退治もしない、治しもしない。ただ「広めろ」とだけ言う
この話には、勇者が怪物を退治するという筋書きがない。劇的な決戦もない。
アマビエ自身が疫病を引き起こすとも言わないし、人々の病を直接治すとも言わない。ただ未来の出来事を予言し、自らの姿を写して広めよ、とだけ命じる。それだけの、恐ろしく簡潔な物語だ。
なぜ絵を見ることが必要なのか。原文は説明しない。
災いを遠ざける護符として機能するのか。予言が現実になったときの証拠を広く知らしめたいのか。それとも、疫病の流行と歩調を合わせるように、自分自身の姿を国中に増殖させること自体が目的だったのか。
答えのないまま、絵だけが時代を超えて残った。
そして2020年、新型コロナウイルス感染症が世界的に拡大すると、人々は再びアマビエの絵を描き始めた。SNSのアイコンやイラスト投稿。和菓子や洋菓子の意匠。工芸品。さらには行政の啓発ポスターやウェブサイトのアイコンにまで、アマビエは姿を変えながら増殖していった。
「写して人に見せよ」という江戸時代の指示が、百七十年以上の時を経て、デジタル画像の複製・拡散という現代の情報環境と、気味が悪いほどぴたりと符合した。
アマビエが予言した疫病の流行よりも先に、予言の中に書き込まれていた拡散の方法のほうが、現実になっていたわけだ。
現物が、京都大学に残っている
アマビエが他の都市伝説や怪異と決定的に違うのは、原資料そのものが現存していることだ。しかも公的機関が所蔵し、公開している。
『肥後国海中の怪(アマビエの図)』。弘化三年四月中旬、西暦では1846年5月に相当する日付を持つ、一枚の刷り物である。京都大学附属図書館が所蔵し、貴重資料デジタルアーカイブ上で画像として公開されている。
つまりこの話については、こう言い切れる。アマビエという怪異が実在したかどうかは検証しようがない。だが、1846年当時、アマビエについて記した刷り物が実際に作られ、流通していたという事実そのものは、一次史料で裏付けられている。怪談としては、かなり珍しいケースだ。
そもそも「アマビエ」という名前は誤記かもしれない
名称の由来をめぐっては、研究上の議論がある。
妖怪研究者の湯本豪一は1999年、アマビエという名称は「アマビコ」の誤記・誤写ではないかという説を出した。アマビコは江戸後期から明治中期にかけて複数の資料に登場する類似の予言獣だ。海中からの出現、豊作や疫病の予言、そして自らの姿を写した絵によって災いを避けるという構造を、アマビエとほぼ共有している。
一方で、研究者の長野栄俊は違う見解を示している。アマビエとアマビコの図像を比較検討した結果、外見上の類似性はそれほど高くない、と。単純な誤写説では説明のつかない差異が残る、という指摘だ。
どちらにせよ、はっきりしていることがある。アマビエは孤立した存在ではない。「海から現れ、予言をし、自分の絵を広めさせる」という一群の予言獣たちの中の一体として位置づけるのが、現在の研究における標準的な理解である。つまり同僚が何体もいる。
2020年、一日に3万8千件
アマビエが江戸期の専門的な妖怪研究の枠を超えて全国区になったのは、2020年の新型コロナウイルス感染症の流行下でのことだった。
きっかけのひとつとされるのが、同年2月27日。妖怪をモチーフにした掛け軸などを扱う専門店のアカウントが、疫病退散のご利益があるとされるアマビエのイラストをSNSに投稿した。
さらに3月6日、京都大学附属図書館の公式アカウントが所蔵する瓦版の実物画像を投稿する。これが数日のうちに5,000件を超える「いいね」を集めた。翌3月7日には、アマビエに言及する投稿が一日だけで3万8千件以上確認されている。爆発的、としか言いようがない。
この流れは「アマビエチャレンジ」と呼ばれるムーブメントに発展した。イラストレーターや漫画家、一般ユーザーが思い思いのタッチでアマビエを描いてSNSに投稿する文化が、短期間で定着していく。
菓子や酒類のパッケージ。こいのぼり。土人形。御朱印やお守り。さらにはチェーンソーで彫り出した木像まで。あらゆる媒体でアマビエが商品化され、作品化された。
極めつけは行政である。日本の厚生労働省が2020年4月から、自らの啓発活動のアイコンとしてアマビエをかたどったキャラクターを採用した。民間発の草の根的なブームが、公的機関の広報にまで波及する。こんな拡散のされ方をした妖怪は、ちょっと他にいない。
「図の如く」――姿を説明しない原文
アマビエ単体の物語は、一枚の刷り物を中心にした比較的シンプルなものだ。それでも周辺には、いくつもの関連する語りがある。
最大の論点は、やはり前述のアマビコとの関係である。両者を同一視するか、別系統の予言獣として区別するか。今なお研究上の争点であり続けている。
図像面では、長い髪、嘴状の口、鱗に覆われた胴体、三本の脚あるいは鰭という特徴がよく知られている。ところが面白いことに、原文自体はこれらの特徴を文章で詳しく説明していない。「図の如く」という形で、絵そのものに姿の説明を丸投げしているのだ。
つまり今日「アマビエらしさ」として広く共有されている視覚的イメージの大半は、現存する一枚の絵そのものに由来している。あの独特のフォルムは、コピー元がたった一枚しかない。
後世の解釈では、アマビエはしばしば「疫病退散の妖怪」として紹介される。だがこれは後年に付与された性格づけだ。一次資料そのものは、予言と図像の拡散という二点しか指示していない。
ここは押さえておきたい。絵を見ることや飾ることに、医学的・科学的な感染予防効果があるわけではない。多くの解説記事が、この注意書きを繰り返し添えている。
有名になりすぎたことへの、複雑な視線
2020年のブーム期には、SNS上でアマビエをめぐる考察や議論が連日交わされた。
イラスト投稿を楽しむ層がいる一方で、民俗学や妖怪研究に詳しい層からは、少し複雑な反応も出ていた。アマビエは本来アマビコという名称群の一種にすぎないのに、たった一枚の資料の知名度だけが突出してしまった、という指摘だ。研究者からすれば、そういう気持ちにもなるだろう。
行政機関が公衆衛生の啓発にアマビエを起用したことについても、意見は割れた。親しみやすさで注意喚起の効果を高める好例だと評価する声。妖怪の絵に頼らず科学的な情報発信を優先すべきだという慎重な声。どちらも一定数あった。
創作系プラットフォームでもアマビエをモチーフにした作品が大量に投稿された。コロナ禍という重苦しい社会状況の中で、多くの人が創作という手段を通じて不安と向き合おうとした現象。そう位置づける論評も多く見られた。
予言獣が一斉に湧いた時代
物語の舞台とされる肥後国は現在の熊本県にあたる。当時の海防や地域行政の記録が残る地域だ。
現存する刷り物を所蔵する京都大学附属図書館は、この資料を貴重資料デジタルアーカイブとして公開し、学術的な検証や二次利用のための情報も併せて提供している。
背景として押さえておきたいのが、弘化年間という時代だ。全国的に飢饉や疫病の記録が散見される時期にあたる。こうした社会不安を背景に、複数の予言獣がほぼ同時多発的に各地の刷り物へ記録されていったと考えられている。
アマビエはその中の一体にすぎない。ただ、現存資料の保存状態が良かったこと、そして2020年の感染症流行という現代的な文脈と偶然噛み合ったこと。この二つが重なって、数ある予言獣の中から突出して有名になった。
史料としての価値と、現代における文化現象としての価値。その両方が重なり合っている点で、アマビエは都市伝説というジャンルの中でも極めて特異な位置を占めている。海から出てきて「俺の絵を配れ」とだけ言い残した怪異が、百七十年後に本当に配られまくった。予言としては、いちばん妙な形で当たったのかもしれない。
