- 一本の記事が世界を動かした話をする
- 「死のグループ」は何を書いていたのか
- 百三十という数字は、どこから来たのか
- 噂の骨格を、噂として見る
- 逮捕された男と、揺れ続けた供述
- 裁判所が認めたもの、認めなかったもの
- 統計は、まったく別のことを言っていた
- 現地に行って、確かめた記者たち
- キュレーターの正体は、子どもだった
- イタリア編――テレビ番組が火をつけた夜
- ブラジル編――ピンクの鯨と、黄色いカピバラ
- インド編――ムンバイの十四歳と、最高裁まで行った噂
- サウジアラビア編――四十七本のゲーム禁止という、二重の誤報
- イギリス編――学校から届いた手紙
- 派生と変形――噂は形を変えて生き延びる
- モモチャレンジ――同じ型が、もう一度きれいに繰り返された
- 民俗学の言葉で見ると、全部つながる
- 数えられた噂――九万五千五百五十五件
- 報道の作法という、地味だが決定的な論点
- ロシアで実際に変わったもの――噂が作った法律
- 日本ではどう受け止められたか
- 「検索してはいけない言葉」という、日本独自の器
- 主要な考察と、その反証
- なぜ、この噂だけが世界中の政府を動かしたのか
- で、なぜこれが怖いのか
- 記録として、残しておくべきこと
一本の記事が世界を動かした話をする
二〇一六年五月十六日。モスクワの独立系新聞ノーヴァヤ・ガゼータが、一面にとんでもない見出しを載せた。「死のグループ」。書いたのはガリーナ・ムルサリエワという記者だ。中身をざっくり言うと、こうなる。ロシア最大の交流サイトであるフコンタクテの中に、閉じたグループがいくつもある。そこでは大人が子どもに近づき、少しずつ手なずけ、最後には自ら命を絶つよう仕向けている。
二〇一五年十一月から二〇一六年四月までの半年で、百三十人の子どもが死んだ。それは偶然じゃない。誰かが糸を引いている。
記事は爆発した。公開から一週間ちょっとで閲覧数は二百万を超えたと同紙は言っている。数字の出方には諸説あるが、いずれにせよ桁違いのバズだった。ロシアの親たちは震え上がった。上院議員のエレーナ・ミズリナが即座に「自殺を宣伝する交流サイトの運営者を罰すべきだ」と言い出し、通信監督庁のロスコムナドゾルが事実確認に動いた。サンクトペテルブルクでは捜査当局が刑事事件として立件した。
ここまで、記事が出てから十日ほど。
そしてこの記事は、ロシアの国境をあっさり越えた。翌年にはブラジルの警察が動き、イタリアのテレビが特集を組み、インドの高等裁判所が動画サイトに削除を命じ、中東の国が禁止措置に走った。数十か国の政府と警察が、ひとつの「ゲーム」の存在を前提に行動した。名前は「ブルーホエール」――青い鯨。
で、ここからが本題なんだけど。あれから十年近く経った今、報道機関も研究者も捜査当局も、ほぼ同じ結論に落ち着いている。そんなゲームが組織的に運営されていた証拠は、ついに出てこなかった。子どもたちが死んだのは事実だ。それは重い。でも「そのゲームのせいで死んだ」と立証された例は、世界のどこにもない。
これは、証明されなかった噂が、証明されないまま地球一周した話だ。そして、たぶん今も似たことが起きている話でもある。
「死のグループ」は何を書いていたのか
まず、火元になった記事そのものを見ておきたい。
ムルサリエワの原稿は、統計の羅列じゃなかった。むしろ真逆で、子どもを亡くした母親たちの証言を軸に組み立てられた、感情の濃い読み物だった。娘が死んだあと、母親がパソコンを開いて履歴をたどっていくと、そこには自傷の画像や、死を美しいものとして描いた投稿や、正体不明の管理人とのやりとりが残っていた――そういう場面から始まる。
英国放送協会が二〇一六年五月末に出した検証記事は、この文章の「感情的な強度」こそが拡散の原動力であり、同時に最大の弱点でもあったと指摘している。
記事は、グループにアルファベットと数字を組み合わせた記号のような名前がついていたこと、鯨や蝶のイメージが共有されていたこと、深夜に活動が集中していたこと、といったディテールを積み上げた。そして、そこに参加していた子が実際に何人も死んでいる、と書いた。
ここで注意深く読むと、記事が実際に証明していたのは「死んだ子の何人かが、そういうグループに入っていた」ということだけだった。グループが原因で死んだ、という部分は書き手の確信であって、検証された事実ではない。この差はものすごく大きい。にもかかわらず、読者の頭の中では前者が後者にすり替わった。というか、そう読ませる書き方だった。
ノーヴァヤ・ガゼータ側の言い分もある。同紙は「我々は当局を動かすためにこれを書いた」と説明し、集めた資料を捜査機関とロスコムナドゾルに渡したと明かした。編集長のドミトリー・ムラトフは、政権に口実を与えたという批判を強く否定した。ただ、皮肉なことに、この記事のあとロシアではインターネット規制がはっきり強化されていく。
批判的な独立系新聞が、結果として規制の追い風になったという構図は、後々まで議論の的になり続けた。
百三十という数字は、どこから来たのか
この騒動でいちばん有名な数字が「百三十」だ。世界中の新聞が引用し、インドの州議会でも読み上げられ、日本のニュースサイトにも並んだ。じゃあこの数字の出どころはどこなのか。
答えを掘り当てたのは、ロシア語の独立系メディア、メドゥーザだった。記者のエフゲニー・ベルグが取材を進めると、数字はセルゲイ・ペストフという男性に行き着いた。二〇一五年の年末に娘を亡くした父親だ。ペストフ夫妻は娘の死後、サイバー犯罪から子どもを守るための団体を立ち上げ、パンフレットを作った。そのパンフレットには、外国の情報機関がロシアの子どもを死なせようとしている、という趣旨の主張まで含まれていた。
そして数字の作り方。ベルグの説明はこうだ。ペストフは各地の報道や公開情報をかき集め、自分の判断で「これは自殺グループと関係がありそうだ」と思った事例を数え上げた。その合計が百三十だった。統計当局の集計でもなければ、捜査機関の認定でもない。悲しみの底にいる親が、独力で積み上げた数字だった。
メドゥーザは二〇一六年五月十七日、記事公開の翌日という早さで「ノーヴァヤ・ガゼータの記事に対する五つの疑問」という反論を出している。中身は今読んでも切れ味が鋭い。いちばん重要なのは因果の向きの話だ。自殺した子の何人かが自殺をテーマにしたグループにいた、という事実からは、グループが子を殺したとも言えるし、逆に、死を考えていた子がそういうグループに引き寄せられたとも言える。
後者のほうがずっと自然じゃないか、と。この当たり前の指摘が、当時はほとんど届かなかった。
英国放送協会が二〇一九年一月に出した検証番組では、ムルサリエワ本人がこの点を問われている。彼女は「百三十という数字は一人の父親の結論ではない。二百人以上の遺族の結論だ」と反論し、さらに「実際にはもっと多い」と述べた。そして続けてこう言った。それを誰が確認できるのか、どうやって確認しろというのか、と。
正直、この返しには言葉に詰まる。自殺の原因を外側から確定させるのは、本当に難しい。難しいからこそ、確定していないものを確定したように書いてはいけなかった。番組の結論も、そこに置かれている。
噂の骨格を、噂として見る
ここで、語られた「ゲーム」の形そのものを見ておきたい。中身の具体的な手順を並べるつもりはない。というか、それをやると噂の再生産に加担することになるのでやらない。あくまで、噂が世界中で「どういう形をしていたか」を確認する。
報道が伝えた骨格は、驚くほど単純だ。まず、匿名の管理者がいる。「キュレーター」と呼ばれた。参加者はソーシャルメディアでその管理者を見つけ、あるいは見つけられる。期間は五十日。管理者は一日にひとつ、課題を出す。最初のうちは他愛のないもので、日を追うごとに深刻になり、最後の日に取り返しのつかない指示が来る。参加者は課題を実行した証拠を写真や動画で送る。抜けようとすると、家族に危害を加えると脅される。
これだけだ。この骨格が、ロシア語圏から英語圏へ、そこからポルトガル語圏、イタリア語圏、ヒンディー語圏、アラビア語圏へと、ほとんど形を変えずにコピーされていった。
なぜこの形が強いのか。まず、日数が決まっている。五十という数字は具体的で、覚えやすく、そして「今日が何日目か」という緊迫感を生む。次に、証拠を送るという工程がある。これは物語を検証可能っぽく見せる装置で、実際に噂を裏づけようとした人が「証拠写真らしきもの」を見つけてしまう余地を作る。そして、脅されて抜けられないという設定がある。
これがあることで、「じゃあやめればいいじゃん」という当然のツッコミが封じられる。
物語の設計として、よくできすぎているのだ。誰かが意図して作ったのか、たまたまそういう形に淘汰されたのかは分からない。ただ、生き残るように出来ている。
名前の由来もうまい。鯨が自ら浜に打ち上がって死ぬ、という広く知られたイメージ――生物学的には諸説あるし、単純な「自殺」ではないんだけど――に、この噂は乗っかった。青い鯨。巨大で、静かで、深いところにいて、自分から浅瀬に向かう。恐ろしいのに、どこか美しい。名前だけでイメージが立つ。これが「ケースなんとか事件」みたいな名前だったら、ここまで広がらなかったと思う。
逮捕された男と、揺れ続けた供述
二〇一六年十一月十六日、モスクワ近郊でフィリップ・ブデイキンという当時二十一歳の男が身柄を拘束された。心理学を学んでいたが大学を追われた、という経歴が繰り返し報じられた。フコンタクテ上でいくつものグループを運営し、そのひとつが「青い鯨」だったとされる。
彼の供述は、初めから終わりまで揺れている。ここが重要なところだ。
ある取材では、自分が二〇一三年からこの仕組みを構想していたと語り、社会には人間と「生物学的なゴミ」がいて、自分は後者を社会から一掃しているのだ、と言った。この一言はあまりに強烈で、世界中の記事に引用された。日本のギガジンも二〇一七年八月二十五日の記事でこの発言を紹介している。一方で別の場面では、誰にも強制していない、と主張した。
ノーヴァヤ・ガゼータの百三十人という数字については、彼自身が否定している。実際に亡くなったのは十七人で、ほかに準備が整っていた者が二十八人いた、という数え方を口にした。
つまり、噂を最も大きくした「百三十」という数字を、噂の首謀者とされた本人が否定しているのだ。この時点でもう、話の土台がぐらぐらしている。
イタリアの研究者が指摘しているとおり、ここには奇妙なねじれがある。有罪を認めた当人でさえ、事件の全体像を再構成できなかった。彼が語ったのは、自分が何をしたかの説明というより、自分が何者であるかの誇示に近かった。捜査に協力的な自白でもなければ、整合した犯行計画の開示でもない。注目を浴びた若者が、注目に合わせて自分を膨らませていく過程のようにも読める。
拘置中の彼のもとに少女たちからラブレターが届いた、という報道まで出た。心理学者のヴェロニカ・マチューシナは、家庭で十分な愛情を得られなかった少女たちが、ネット越しに与えられた関心を本物だと感じたのだろう、という見方を示している。彼を怪物として描く記事と、彼を病んだ若者として描く記事が、同じ時期に並走していた。
裁判所が認めたもの、認めなかったもの
二〇一七年五月、ブデイキンは起訴事実を認めた。そして七月十九日、チュメニ州のトボリスク地区裁判所が判決を言い渡す。刑は三年四か月の収容だった。
ここで数字をよく見てほしい。捜査段階で彼と関連づけられた死は十五人分。だが法廷で有罪と認定されたのは、未成年者に対する自殺教唆の二件だけだった。ロシア司法情報通信社の報道が伝えたのはこの数字だ。十五から二へ。落差がすべてを語っている。
さらに、判決の理由として挙げられた行為は、死者や殺害の画像や動画を投稿するグループを作ったこと、という趣旨のものだった。五十日間の課題プログラムを設計して運用した、という認定ではない。世界中が信じた「五十日のゲーム」は、判決の中心にはなかった。
その後もロシアでは関連する逮捕が続く。二〇一七年六月にはモスクワの郵便配達員イリヤ・シドロフが拘束され、三十二人の子どもを自分のグループに引き入れたと報じられた。二〇一八年六月には金融アナリストのニキータ・ネアロノフが、十人の少女に接触したとして逮捕されている。ただ、いずれのケースも「五十日のゲームの実在」を証明するものにはならなかった。
ネットで未成年に接触して有害な働きかけをする大人は、残念ながらどの国にもいる。それは深刻な問題だ。でも、それと「世界的に統一されたルールを持つ死のゲームが運営されている」は、まったく別の主張である。
統計は、まったく別のことを言っていた
ここからは数字の話をしたい。地味だけど、この騒動でいちばん効いた反証は統計だった。
ロシアの若者の自殺率が高いのは、噂とは無関係に、以前から知られていた事実だ。国連児童基金の二〇一一年の報告は、ロシアがこの年齢層の自殺率で世界三位であり、世界平均の三倍を超えると指摘している。世界保健機関の数字でも、ロシアの十代は十万人あたり十九から二十件という水準だった。悲惨な数字だ。だからこそ、百三十という数字は、聞いた瞬間には「ありそう」に感じられた。
ところが、その百三十を全体の中に置き直すと、話がまるで変わる。
まずロシア連邦統計局の集計。二〇〇五年から二〇一四年にかけて、国全体の自殺者数は四万六千人から二万六千六百人へ、大きく減っている。二〇一五年には過去五十年で最低水準に落ちたとも報じられた。噂が「爆発的増加」を語っていたその時期に、実際の曲線は下を向いていた。
年齢別で見るともっとはっきりする。メドゥーザが二〇一七年三月に高等経済学院のエフゲニー・アンドレーエフに聞いた数字がある。十歳から十四歳の層では、二〇一〇年の百八十九件から、二〇一一年に百六十三件、二〇一二年に百六十六件、二〇一三年に百五十二件、二〇一四年に百三十六件、二〇一五年に百二十九件。
十五歳から十九歳の層では、二〇一〇年の千三百八十一件から、二〇一一年に千二百八十五件、二〇一二年に千七十三件、二〇一三年に八百七十六件、二〇一四年に七百八十六件、二〇一五年に六百七十八件。人口あたりに直しても、前者は二・九から一・八へ、後者は十六・二から十・二へ、きれいに下がり続けている。
この記事が書かれた直接のきっかけは、大統領の下の子どもの権利担当官アンナ・クズネツォワが二〇一七年三月二十日に「二〇一六年の子どもの自殺が五十七パーセント増えた。主因は死のグループの爆発的拡散だ」と発言したことだった。その一か月前の二月十三日には、下院副議長のイリーナ・ヤロワヤが、捜査委員会の資料として二〇一六年に七百二十件という数字を示していた。
アンドレーエフの見立ては冷静だ。まず、国の公式統計は五月まで出ない。三月時点で年齢別の確定値を持っているはずがない。次に、ロシアには「意図不明の損傷による死」という厄介な分類があって、二〇一五年で十歳から十四歳が二百三十件、十五歳から十九歳が七百三十四件ある。自殺か事故か他殺か決まっていない死だ。捜査官と法医が互いに踏み込まないので、真相にたどり着く仕組みがそもそも弱い。
おそらく大きな数字はこの分類を混ぜたものだろう、というのが彼の推測だった。
そして忘れてはいけない数字がもうひとつ。ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティが二〇一七年二月に報じたところでは、ロシア政府の説明では二〇一六年に自ら命を絶った未成年は七百二十人で、主な理由は失恋、家庭の問題、精神的な健康の問題だった。インターネットやソーシャルメディアと何らかの関係があったとされたのは、そのうち〇・六パーセント。
〇・六パーセントである。噂は残りの九十九・四パーセントを、まるごと視界の外に押しやった。
現地に行って、確かめた記者たち
統計は全体像を示すけれど、個別の事例には答えない。そこを埋めたのが、現地取材だった。
ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティのセルゲイ・ハゾフ=カシアは、二〇一七年二月二十一日の記事で、噂と結びつけて報じられていた具体的な死をひとつずつ当たっている。サンクトペテルブルク近郊キリシの十歳の女児が二月十四日に窓から転落して搬送された件。カザフスタンのカラガンダで二月六日に亡くなった十九歳の件。二月一日に亡くなった十五歳の件。
カラガンダの件では、亡くなった若者の伯父にあたるマラト・アイトカジンが取材に応じ、この悲劇とインターネット上のゲームには何の関係もない、とはっきり述べている。遺族が否定しているのに、報道の中では「ゲームの犠牲者」として数え上げられていた。
記事の結論はそっけないほど明快だ。ロシアでも中央アジアでも、青い鯨と決定的に結びつけられた死は一件もない。
同じ時期、ロシア国内のニュースサイト、レンタは別の角度から掘っていた。二〇一六年五月十七日に出た調査記事は、問題のグループを実際に運営していたのが誰なのかを追いかけている。答えは、成人の犯罪組織ではなかった。運営していたのは、参加者とさして年齢の変わらない若者たちだった。動機も生々しい。フォロワーを増やしたい。広告収入が欲しい。注目されたい。
衝撃的な内容を投稿すればアクセスが伸びるから、そうしていた。
英国のニュースサイトが後に引用したレンタの取材では、そうしたグループのひとつを作った人物が、子どもを死なせるつもりなどなかった、サイトへの誘導のために作った、と述べている。同時にレンタは、それらのグループの中には、実際に危うい状態の子を追い詰めた例もありうる、と留保もつけていた。誠実な書き方だと思う。
キュレーターの正体は、子どもだった
そして、この件でいちばん背筋が寒くなる調査結果を出したのが、ロシア国立人文大学で民俗学を教えるアレクサンドラ・アルヒポワのチームだ。
彼女たちは、噂に登場する「キュレーター」を実際に探しに行った。ソーシャルメディア上で該当するとされるグループに入り、管理者とやりとりをした。すると、こうなった。キュレーターを名乗る人物は、ほぼ全員が十二歳から十四歳の子どもだった。
大人の捕食者ではなかった。報道で「死のゲームのキュレーター」というものが存在すると知った子どもたちが、その役をやっていたのだ。しかも、報道が伝えた手順をなぞる形で。
アルヒポワの見立てはさらに踏み込む。ノーヴァヤ・ガゼータの記事が出る前に、この「チャレンジ」が実質的な形で存在していた痕跡は見つからない。つまり、記事がこのゲームを発見したのではなく、記事がこのゲームの台本を配ったのではないか、と。
彼女は英国放送協会の取材にこう言っている。これらのグループでは、みんながこのゲームを待っていた。そしてゲームは、決して始まらない。
待っている人がいて、待たれている当のものが存在しない。ゲームの参加者を装う子と、キュレーターを装う子が、互いに相手を本物だと思いながら、存在しないゲームを演じ続ける。これはもう、集団で書いている即興劇に近い。
アルヒポワたちの研究グループは二〇一七年に「死のグループ――遊びからモラルパニックへ」という報告をまとめている。タイトルがそのまま結論になっている。
イタリア編――テレビ番組が火をつけた夜
ここからは、各国で何が起きたかを見ていく。まずイタリア。この国のケースは、報道が現象を作る過程がいちばんくっきり見える。
イタリアで青い鯨の話が最初に紙面に載ったのは二〇一六年六月ごろで、この時点では扱いは小さく、悪趣味な冗談の類として片付けられていた。空気が変わったのは二〇一七年五月十四日だ。この日、民放イタリア・ウーノの人気番組レ・イエネが、記者マッテオ・ヴィヴィアーニによる特集を放送した。ロシアの母親たちの証言。若者たちの死を撮ったとされる映像。
そしてトスカーナ州リヴォルノで亡くなった十五歳の少年の件が、この「ゲーム」と結びつけて語られた。
反応は劇的だった。郵便通信警察に通報が殺到する。五月二十二日には副警視のエルヴィラ・ダマートが、およそ四十件の通報を捜査中で、実際にはもっと多いかもしれない、と語っている。「ここ数日で通報が急増した。メディアのおかげでもある」と、彼女自身が認めている。学校のクラス丸ごとが通報の対象になったケースまであった。ただし彼女はこうも言った。現時点で確認された事例はひとつもない、と。
その後、警察は捜査の力点をはっきり移す。六月五日に警察の広報誌に載った見解はこうだ。最初の捜査から分かるのは、この現象は話題になったから広がったということだ。通報の検証で焦点を当てているのは、何よりも模倣のケースである。模倣は「ゲーム」そのものより危険だ。チャットを見ると、多くの子が課題に興味を持ち、参加したがっている。
ロシアと違い、イタリアでは子どもに指示を出す「チューター」は一人も特定されていない、とも書かれている。
そして六月八日、話は決着に向かう。
ヴィヴィアーニがイル・ファット・クオティディアーノ紙のセルヴァッジャ・ルカレッリのインタビューで、放送した映像が偽物だったと認めたのだ。映像はロシアのテレビ局から渡されたもので、青い鯨とはつながっていなかった。リヴォルノの少年の死も、友人の証言というだけで、事実として確認されたものではなかった。
彼の弁明は、こういう場面で必ず出てくるタイプのものだった。あの映像は出発点にすぎない。四秒のナレーションで「これは無関係です」と入れたところで何が変わったのか。学校で聞いたら生徒の半分がすでにこの話を知っていた。大人はネットの半分を知らない。いじめや女性殺しのニュースも、真似する人が出るからやめろというのか。
一方で、ワイアードのイタリア版に載った検証記事はこう書いている。ロシアで当初語られた百三十という数字は、その時点ですでに十件ほどまで縮んでおり、そのうち公式に結びつけられたのは一件だけだ、とヴィヴィアーニ自身が認めていた、と。そして、番組の放送直後に検索数がはっきり跳ね上がったことを、拡散への寄与の証拠として挙げている。
映像の偽物を最初に見抜いたのは、大手メディアではなかった。当時二十六歳のアンドレア・ロッシという、レ・イエネで働くのが夢だった若者だ。彼は映像の出典が動画共有サイトのまま切られずに映っていることに気づき、友人と一緒に元動画を洗った。一本は確かにロシアで撮られていたが、説明文に青い鯨への言及はなかった。もう一本は中国。さらにもう一本は二〇一〇年のウクライナで、説明には失恋が原因だと書かれていた。
ふたりの少女の映像は、そもそも合成の疑いが濃かった。
つまり、国民的なテレビ番組が全国に流した「証拠」を、素人が数時間で崩したことになる。
ブラジル編――ピンクの鯨と、黄色いカピバラ
二〇一七年四月、噂はブラジルに上陸した。ポルトガル語で「バレイア・アズル」、青い鯨。
四月十七日、リオデジャネイロの州民警察が二人の「キュレーター」の捜査を開始したと報じられた。担当したのは情報犯罪取締課の代理課長フェルナンダ・フェルナンデスだ。十二歳の息子が課題を受け取ったという母親の通報と、同じく十二歳の少女が自ら命を絶とうとしたという件が持ち込まれていた。
四月十八日には、リオ、ミナスジェライス、マットグロッソの三州で捜査が始まっていることが報じられる。フェルナンデスの発言が、この時期のブラジル当局の姿勢をよく表している。自殺の事例をこのゲームに結びつけるのは、とても慎重にやらなければならない、と彼女は言った。同時に、こうも言っている。これは都市伝説じゃない。私たちは時間との競争をしている。被害者が今どの段階にいるのか分からないのだから。
この二つの発言は矛盾しているようで、現場の本音なんだと思う。存在するか分からないものに対して、存在する前提で動くしかない。動かなくて子どもが死んだら誰が責任を取るのか。
規模はどんどん膨らんだ。サンタカタリーナ州で九件、パラナ州で八件、マットグロッソ州では最大三百五十人規模のグループが追跡対象になった。連邦下院が連邦警察の投入を正式に要請し、上院ではこの件を口実に調査委員会を作る話まで出た。四月下旬までに八つの州が警察と保健当局の警告を出している。
ここでブラジルらしいのが、対抗運動が猛烈な勢いで生まれたことだ。四月十三日、サンパウロの広告業界にいた二人が、青い鯨の噂を知って気分が悪くなり、その正反対をやろうと思い立った。生まれたのが「バレイア・ローザ」――ピンクの鯨。五十の課題は全部「善いこと」だ。長らく話していない人に連絡してみる。街で「私は自分が好きだ」と叫ぶ。やったことをソーシャルメディアに上げる。
あなたのメンターが見ているよ、という一文まで、元の噂のフォーマットをそのまま反転させている。
公開六日でフォロワーは数千人。八日後には二十万人を超えた。ページには落ち込んでいる人からの相談が殺到し、創設者たちは友人の心理士タマラ・カマルゴに応援を頼んだ。カマルゴによれば、開設から二十四時間で約二千件の連絡があり、そのうち二割ほどが自殺念慮を抱えた人だったという。彼女がやったのは治療ではなく、言葉をかけて公的な相談窓口につなぐ交通整理だった。
同じ時期に「黄色いカピバラ」も生まれ、アドベンチスト系の学校からは「ヨナ・チャレンジ」が提案された。サンパウロの商業学校では、高校の情報系コースの生徒たちが教師の指導のもとで十五の課題からなる「白ウサギ」を作った。発案は生徒自身だったという。テレビの脚本家グロリア・ペレスは四月二十一日、放送中の連続ドラマでこの話題を扱うと表明した。
反転の速さと規模がすごい。ただ、ここには落とし穴もある。対抗運動は、元の噂が実在するという前提の上でしか成立しない。ピンクの鯨が二十万人に届いたということは、青い鯨の物語が二十万人分、さらに補強されたということでもある。
インド編――ムンバイの十四歳と、最高裁まで行った噂
インドのケースは、噂が国家の司法を動かした例として突出している。
二〇一七年七月二十九日の夕方、ムンバイ西郊のアンデリで、九年生の十四歳の少年が建物から転落して亡くなった。名前はマンプリート・シン・サハニと報じられている。友人たちが「彼はあのゲームをやっていた」とソーシャルメディアで話し始め、それが報道に乗った。翌週から数週間、インドの新聞はこの話でいっぱいになる。
ところが、警察の発言を丁寧に読むと様子が違う。メグワディ警察署管轄のミリンド・ケトレ副警視は、遺体に自傷の痕は見つからなかった、と明言している。少年の携帯やパソコンを押収して調べる段階であり、あらゆる可能性を調べていて、ゲーム説はそのうちのひとつだ、と。管区の副本部長ナヴィンチャンドラ・レディも、両親には理由が分からず、友人の証言を取っている段階だと述べた。
つまり警察は「捜査中」としか言っていない。にもかかわらず、新聞の見出しは「インド初の犠牲者か」になった。
政治の反応は速かった。八月一日、マハーラーシュトラ州議会でこの件が取り上げられ、元副首相のアジット・パワールが「これは我々への警鐘だ」と演説した。彼の発言はロシア発の噂をそのまま前提にしていた。世界で百人以上の命を奪ったゲームがインドに来た、この少年が最初の犠牲者だ、と。
州首相のデヴェンドラ・ファドナヴィスは、ゲームの「マスターコントローラー」の所在とサーバーの場所を突き止める捜査を行い、中央政府と協議して禁止の方法を探る、と答弁した。
八月中も少年の死が続けて報じられ、そのたびに警察が関連を調べた。八月二十二日、デリー高等裁判所が動画共有サイトや検索大手に対し、関連リンクの削除を求めた。八月十七日には電子情報技術省が各社に削除要請を出している。日本では時事通信がこれを八月二十四日に報じ、ハフポスト日本版の濵田理央がその内容をまとめた記事を同じ日に出した。
日本語圏でこの噂が広く知られた入り口のひとつが、このインド発のニュースだった。
そして結末。二〇一八年一月、インド政府は、これらの事件のいずれについても青い鯨との関与は確認できなかった、と国会で答えている。二〇二三年六月には、そもそもこのゲームをブロックすることは技術的に不可能だ、という趣旨の説明までしている。存在しないものは遮断できない。当たり前だ。
デリーの精神科医アチャル・バガットの言葉が、この国の空気をよく捉えている。人は自分の経験を説明するために物語に加わるのだ、それが存在する証拠がなくても、と。
サウジアラビア編――四十七本のゲーム禁止という、二重の誤報
二〇一八年七月十六日、通信社が世界に配信したニュースはこうだった。サウジアラビアが四十七本の人気ゲームを禁止した。理由は、十三歳の少女と十二歳の少年が、青い鯨と呼ばれる交流サイト上のゲームをやったあとに亡くなったからだ、と。
禁止リストの中身が話題をさらった。犯罪をテーマにした有名なアクションゲームのシリーズ、歴史ものの人気シリーズ、ファンタジーの大作。どれも、五十日の課題を出すあの噂とは何の関係もない。ゲームメディアが一斉に首をかしげた。基準がまったく読めないからだ。同じシリーズでも古い三本は禁止で最新作は対象外、といった具合で、パターンが見えない。
そして、二日後に話がひっくり返る。
七月十八日、中東のゲームメディアが現地の業界関係者と視聴覚メディア総合委員会への確認を経て、最初の報道は間違いだと伝えた。四十七本のリストは以前から存在していたもので、性的表現や言葉遣いに関する従来の規制方針に沿ったものだった。青い鯨とは無関係だ。さらに、少年の父親は当初たしかにこのゲームのせいだと報道陣に語ったが、後にその主張を撤回している。死因は公式には不明のままだった。
サウジ政府はこの件について何の声明も出していない。
整理すると、こうなる。父親の推測が報じられ、それが政府の措置と誤って結びつけられ、無関係なゲームの禁止リストと合体して、世界配信のニュースになった。事実確認をした複数のゲームメディアが訂正を出したが、訂正の拡散力は元記事にまるで及ばなかった。「サウジアラビアが青い鯨のせいでゲームを禁止した」という誤った要約は、その後何年も引用され続けている。
これは噂が噂を生むという話とは、また少し違う。噂に対する行政の対応が、さらに別の誤報を生み、その誤報が噂の実在の証拠として使われた、という構造だ。
イギリス編――学校から届いた手紙
英語圏で騒ぎが本格化したのは二〇一七年春だ。二月から三月にかけて、英国の新聞やテレビがロシアのサイトの内容を検証しないまま取り上げ、それが国際的な注目に火をつけた。
四月二十六日、英国放送協会の若者向けニュース部門が、複数の警察が保護者に注意を呼びかけていると報じた。ハートフォードシャー警察は「子どものネット利用を注意深く見守ってほしい」と呼びかけた。エセックス州バジルドンの学校は、保護者にこのゲームの危険を説明する手紙を送った。副校長デイヴィッド・ライトはこう説明している。うちの学校でおかしなことが起きている証拠はない。
でも保護者に情報を伝えておくのが最善だと考えた。私たちには若い人たちを守る義務がある、と。
五月十一日には、スコットランドのハイランド地方の学校にも同様の注意喚起の電子メールが回った。地方議会の広報は、校長宛てに情報を送ったこと、保護者への手紙を出すかどうかは各校長の判断であることを認めている。
同じ時期、この動きに待ったをかけた側もいた。英国の子どものオンライン安全を扱う団体は、四月二十七日付の助言で、はっきりこう書いた。調査と関係者への確認の結果、これはセンセーショナルに脚色された虚偽の話の一例だと認識するに至った、と。
その助言の中で紹介されたロンドンの教育関係者ペニー・パターソンのコメントが、この件でいちばん腑に落ちる言葉かもしれない。個別の警報を共有することの問題は、大人が善意から話の細部に集中してしまい、かえって危害や虐待の兆候そのものに鈍くなることだ。
子どもこそが関心の中心にあるべきで、もしニュース記事がなければ子どもの自傷を深刻な問題として受け止められなかったのなら、私たちは自分自身の子ども保護への理解を問い直すべきだ、と。
厳しいけれど、その通りだと思う。噂が来たから見張るのではなく、目の前の子を見ろ、という話だ。
派生と変形――噂は形を変えて生き延びる
この噂の面白い、というか厄介なところは、単体で消えずに、変形しながら次の噂を生み続けたことだ。ひとつずつ見ていきたい。
まず、対抗版という形の派生。ブラジルのピンクの鯨と黄色いカピバラ、白ウサギ、ヨナ・チャレンジはすでに触れた。同じ発想は他国にもある。米国では、同じ名前を掲げつつ、心の健康や幸福を促す五十日間の課題を提供するサイトが立った。ロシア語圏には「シロクマ」というコミュニティが生まれ、精神科医や専門家が対抗プログラムを組んだ。
ただ、日本のゲーム研究者の井上明人とライターの高橋ミレイがリアルサウンドの対談で指摘しているとおり、このシロクマの参加者は一万四千人程度にとどまった。ポジティブな企画は、ネガティブな噂ほどには伸びない。人間の注意は危険の側に強く引っ張られるようにできている。
次に、地域ごとの変形。中国では「藍鯨」という名で伝わり、二〇一七年五月、大手ポータルが自社の交流サイト上で関連するとみられる十二のコミュニティを閉鎖し、関連する検索語もブロックした。この時期の日本語の記事には、中国版には二系統あって、片方は元の噂と同じ形、もう片方は女性に裸の画像を要求する形だ、という指摘も見える。つまり、噂の外形だけを借りた別の加害が現れていた。
噂が加害のテンプレートとして流用される、というのは実際いちばん怖いパターンだ。
同じくロシア語圏では、噂の後継が次々に現れた。「走るか死ぬか」という、走行中の車の前を横切らせるという触れ込みの噂が二〇一八年二月に広がった。同年一月には「二十四時間の失踪」という、子どもに家を出させるという噂がソーシャルメディアを回った。フコンタクテのグループが閉鎖された結果、活動の場が写真共有アプリに移った、という報告もある。噂の器は変わるが、骨格は同じだ。
匿名の指令者、段階的な課題、抜けられない仕組み。
そして二〇二〇年ごろには「ジョナサン・ガリンド」という別の名前が南米とヨーロッパで浮上する。アニメのキャラクターを模した不気味なマスクの人物が子どもに接触し、課題を出す、という筋書きだった。イタリアの研究者が二〇二〇年から二〇二一年にかけての新聞記事とテレビ報道を分析した際、青い鯨、モモ、ジョナサン・ガリンドの三つを同じカテゴリの現象として並べているのは、その構造がほとんど同一だからだ。
モモチャレンジ――同じ型が、もう一度きれいに繰り返された
派生の中でもいちばん有名なのがモモだ。そして、モモは「フェイクだった」と明確に結論が出た点で、比較の材料としてこの上なくいい。
まず出発点。あの顔は、日本の造形作家、相蘇敬介が制作した彫刻だ。制作は特殊造形を手がけるリンクファクトリーの仕事として行われ、二〇一六年に展示され、その写真がネットに流れた。青白い肌、長く乱れた髪、まぶたのない大きな目、横に裂けた口。もとになったのは日本の妖怪の造形だとされる。作品名は「マザーバード」。
作家は自殺ゲームなど作っていないし、そもそも作品は天然ゴムと植物性の油で出来ていて、二〇一九年三月の時点ですでに劣化して廃棄されていた、と本人が語っている。
二〇一八年七月、動画投稿者たちがこの画像とともに「青い鯨に似た何か」を語り始めた。南米やインドで、メッセージアプリを通じて未成年が接触され、課題を出され、拒めば怖い画像を送りつけられる、という筋書きだ。フランス内務省が日々状況を確認し、アルゼンチン、ドイツ、ルクセンブルク、スペイン、カナダ、メキシコ、米国の警察が注意喚起を出した。
七月にはアルゼンチンで十二歳の少女の死がこれと結びつけて報じられたが、当局は因果を確認できなかった。
八月二十九日、インドの中央捜査局がはっきり言った。十代の死に関する主張は「突拍子もなく、証拠を欠く」。これまでこのゲームは誰の命も奪っていないし、第一段階すら試したという相談すら一件も来ていない、と。
ここで一度沈静化したのに、二〇一九年二月に再燃する。北アイルランド警察が交流サイトで警告を出し、キム・カーダシアンが動画サイトに削除を求める投稿をした。幼児向けアニメやゲーム実況の動画の中にモモが差し込まれている、という話が世界を駆け巡り、親たちが子どもの端末を取り上げた。
そして三月、専門家がまとめて結論を出す。イングランドの子どもコミッショナーは、これ以上増幅するのをやめるよう当局に求めた。英国の児童虐待防止の団体、自殺予防のホットライン、ネット安全の団体が、そろってこれはデマだと表明した。最初にメディアに通報した保護者本人が、子どもは校庭でこの話を聞いただけで、実際に接触されたわけではなかった、と認めた。
動画サイトは「モモチャレンジを見せたり促したりする動画へのリンクは一件も受け取っていない」と明言した。にもかかわらず、同社は三月までにモモに言及するすべての動画を収益化対象外にした。報道機関のニュース動画まで巻き添えになった。
九月の時点で、モモを名乗るとされた電話番号のほとんどはすでに使われていなかった。何もなかったのだ。最初から。
事実確認サイトの創設者デイヴィッド・ミッケルソンの整理は的確だ。これは組織的なチャレンジの存在を示すというより、いじめる側やいたずらをする側が、傷つきやすい若者をからかうための手頃な仕掛けに飛びついた、という話だろう、と。
民俗学の言葉で見ると、全部つながる
ここで一段、視点を上げたい。噂を研究する人たちが持っている道具を借りると、この一連の出来事はきれいに説明できてしまう。
ひとつ目の道具は「モラルパニック」。社会学者スタンリー・コーエンが一九七二年の著書で定式化した概念だ。彼の定義はこうなっている。ある状態や出来事や人物が、社会の価値と利益に対する脅威として定義される。その性質はマスメディアによって様式化され、紋切り型に提示される。編集者や聖職者や政治家といった「まっとうな人々」が道徳のバリケードに立つ。社会的に認められた専門家が診断と処方を語る。
対処法が編み出されるか、既存のものが持ち出される。そして、その状態は消えるか、沈むか、悪化して可視化される。
これ、青い鯨の経過そのものだ。定義が先にあって、事例が後から集まった。
コーエンはさらに「カバリズム」という言葉も使っている。目に見えない秘密の組織が悪意を持って動いている、という想像力のことだ。これがあると、断片的な出来事が一本の線でつながって見える。トルコのケースを分析した社会学者ケレム・カラオスマンオールは、二〇二六年に発表した論文で、青い鯨のパニックがコーエンの図式にぴたりと当てはまる一方で、デジタル時代特有の新しさもあると指摘している。
従来のモラルパニックには、モッズやロッカーズのような目に見える「悪魔役」がいた。ところが青い鯨では、悪役が見えないままだ。姿のないキュレーター、影の組織、あるいは「インターネットそのもの」。敵が見えないことは、一見すると危険が薄いようでいて、実は逆に働く。どこにでもいて、どこにもいない脅威になるからだ。
彼はこうも書いている。パニックの渦が回り始めると、それを鎮めようとする声さえ、中心的な主張を繰り返すことで警戒を強めてしまう。コーエンの言葉を借りれば、雪だるまのように勢いを増していく、と。存在しないゲームの禁止を求める声。守ろうとする若者よりも知識を持たない警察の警告。慎重論をかき消す監視の呼びかけ。全部そろっている。
ふたつ目の道具が「オステンション」だ。民俗学者のリンダ・デーグとアンドリュー・ヴァージョニが一九八三年に導入した言葉で、語られた伝説の内容が現実の行動として演じられる現象を指す。ビル・エリスがこの概念を大きく広げた。仮装する、伝説の舞台とされる場所に行く、いたずらとして再現する、自然現象を伝説のせいにする。ほとんどは遊びの範囲だ。だが、ごくまれに深刻な行動に至る。
そしてエリスが繰り返し警告してきたのが、まさにここで起きたことだった。伝説を演じた結果として生まれた痕跡が、伝説が本当だった証拠として誤読される。腕に鯨の絵を描いた子の写真は、ゲームの存在の証拠ではなく、噂を知った子が噂をなぞった痕跡かもしれない。だが、証拠として流通してしまう。
三つ目に、この構造がいちばん残酷な形で現れた前例がある。二〇一四年、米国ウィスコンシン州で、十二歳の少女二人が同級生を刺した事件だ。二人はネット発の怪物「スレンダーマン」の物語を熱心に読んでおり、その存在に認められるために必要だったと供述した。スレンダーマンは二〇〇九年に画像加工の投稿から生まれた、作り物だとみんなが知っているキャラクターだった。それでも、こうなった。
作り話が現実の被害を生むことがある。でも、それは作り話が本当だったという意味ではない。この区別を最後まで守れるかどうかが、報道と行政の分かれ目だった。
数えられた噂――九万五千五百五十五件
噂の広がりを数字にした研究がある。米疾病対策センターのスティーヴン・サムナーらが、非営利研究機関マイターの研究者と組んで行い、二〇一九年に思春期保健の専門誌に発表したものだ。
彼らは二〇一三年一月一日から二〇一七年六月三十日までの期間について、短文投稿サイト、動画サイト、掲示板、画像ブログ、ニュース記事を横断して、この噂に言及した公開投稿を集めた。総数は九万五千五百五十五件。投稿は三つに分類された。ゲームを支持したり参加に興味を示したりする側、反対する側、そして報道。
結果が興味深い。全体の二十八・三パーセント、四分の一以上が「支持側」に分類された。プラットフォーム別では短文投稿サイトが五十・五パーセント、画像ブログが二十八パーセント、動画サイトが十二・三パーセント。投稿者の推定性別はおおむね半々だった。
時系列も面白い。米国で最初にこの噂に触れた報道が出たのは、米国で最初の英語投稿からおよそ四か月後、言語を問わない最初の投稿からは九か月後だった。二〇一七年前半を細かく見ると、まず支持側の投稿が増え、三月初めに反対側の投稿が増え、報道が本格的に急増するのは五月に入ってからだった。研究期間の終わりまでに、支持側の投稿は百二十七か国に広がっていた。
論文自体は、こうしたデータを使えば新しい健康上の脅威を早期に検知できるかもしれない、という趣旨で書かれている。ただ、別の読み方もできる。報道は現象の後を追っていた面もあれば、明らかに現象を膨らませた面もある。そして「支持側」として数えられた投稿の相当部分は、実際には好奇心をあおられた子どもの書き込みだった可能性が高い。
噂に触れた子が四分の一以上いる、という数字を「危険な参加者が四分の一いる」と読むと、また新しいパニックが始まる。数字の読み方まで含めて、この件は教訓の宝庫だ。
なお、この論文には印象的な注記がある。検索に使ったキーワードは、危害のリスクを最小化するため論文中には掲載しない、と。研究者たちは、自分の論文が噂の拡散装置になりうることを自覚していた。
報道の作法という、地味だが決定的な論点
自殺報道には国際的なガイドラインがある。世界保健機関が出しているものが代表的で、英国の相談機関が出している媒体向け指針もよく参照される。中核はシンプルだ。方法を詳しく書かない。単一の原因で説明しない。センセーショナルな言葉を使わない。相談先を必ず添える。
この観点で青い鯨報道を検証した研究がある。スペインの主要デジタルメディアが二〇一七年に出した記事を量的にも質的にも分析したもので、二〇二一年に発表された。結論は身も蓋もない。センセーショナルな言葉遣いと方法の詳細な記述という不適切な実践が広く見られ、国際的なガイドラインへの準拠は乏しかった。信頼できる相談先の情報の提供も不十分だった、と。
同種の分析は英語圏でも行われている。人間とコンピュータの関係を扱う学会の論文誌に二〇二〇年に載った研究は、青い鯨に関するニュース報道が自殺予防の安全な発信指針にどれだけ従っているかを評価している。別のグループは、動画サイトと短文投稿サイト上での描かれ方を分析し、自傷と自殺の伝染効果を検討した。
伝染――ウェルテル効果と呼ばれるものだ。自殺報道が模倣を誘発しうるという知見は、数十年の研究の蓄積がある。厄介なのは、危険を警告する報道でさえ同じ効果を持ちうる点だ。「こんな恐ろしいゲームがある、絶対にやってはいけない」という記事は、その語彙と手順を、まだ知らなかった人に届けてしまう。イタリアの警察が「模倣のほうが危険だ」と言ったのは、この構造を現場で見ていたからだ。
だから、この件でいちばん皮肉な事実はこうなる。噂の実在は証明されなかったが、噂の報道が現実の模倣を生んだ可能性は、否定できない。何もなかったところに、報道が何かを作った。そういうことが、起こりうる。
ロシアで実際に変わったもの――噂が作った法律
証明されなかった噂が、はっきりと現実を変えた領域がひとつある。法律だ。
二〇一六年五月、記事公開の直後から下院では交流サイト上の自殺推奨グループを規制する法案が動き出した。そして二〇一七年六月七日、大統領が署名して法が成立する。未成年を自殺に誘導する行為に対する刑事罰が新設され、既存の自殺教唆罪も強化された。ロシアの刑法学者が二〇一八年に発表した論考は、この立法の社会的な背景がまさに「インターネットを通じた子どもの自殺誘導事案の広がり」だったと明記している。
法案の説明書きには、こうした新しい類型は従来の学問では予測されておらず、犯罪学者の評価も間に合わないうちに大規模化し、刑事法の評価の外に置かれてしまった、と書かれていた。
法の中身そのものを頭ごなしに批判するつもりはない。ネットで未成年を追い込む行為は現に存在するし、それを罰する条文がなかったのは穴だった。ただ、立法の引き金が検証されていない報道だったこと、そしてその流れの中でインターネット規制全般が強化されたことは、記録しておくべき事実だと思う。
ロシアの陰謀論とメディアを研究するイリヤ・ヤブロコフは、この件を職業倫理の問題として論じた。彼の論文の要旨はこうだ。尊敬される調査報道紙に載ったという事実は、批判的に考える職業人でさえ陰謀論的な思考に対して脆いことを示している。それは技術進歩への恐怖を社会に広め、間接的に政府による言論の自由の制限を助けてしまう。
他方で、この論争が倫理の領域に発展したことは、ロシアのジャーナリストが職業上あるいは評判上の制裁を受けずに陰謀論を広められてしまう、職業原則の不在をあらわにした、と。
厳しい評価だが、他人事ではない。同じ穴に落ちた媒体は世界中にあった。
日本ではどう受け止められたか
さて、日本の話をしたい。結論から言うと、日本での受け止め方は他の国とかなり違った。
まず、日本語圏でこの噂が本格的に知られたのは、ロシアでの騒動から一年以上遅れた二〇一七年八月ごろだ。きっかけはロシアではなくインドだった。インドで少年の死が相次いだこと、デリー高等裁判所が動いたことを、時事通信が八月二十四日に報じた。ハフポスト日本版の濵田理央が同じ日に、インディアン・エクスプレス紙などを引きながら解説記事を出した。
この記事のタイトルにあった「シロナガスクジラ」という訳語は、後に日本語版ウィキペディアが「青い鯨は誤訳で、本来はシロナガスクジラを指す語だ」と注記する、ちょっとした語感の議論も生んだ。
八月二十五日にはギガジンが長文の記事を出し、ブデイキンの「生物学的なゴミ」発言や、捜査官アントン・ブレイドの分析、心理学者の見立てまで含めて詳しく紹介した。この記事は日本語圏でかなり読まれ、以後の日本語の言及の多くが、ここを経由している。
九月二十五日にはワイアード日本版が、米国版の記事の翻訳という形で別の角度を出した。書き手はジェシー・ヘンペル。彼女がやったのは、噂の真偽の追及ではなく、各ソーシャルメディアがこのキーワードにどう対応しているかの実地確認だった。ある画像ブログで検索すると青い画面が出て「内容を確認してください」という見出しとともに相談先が並ぶ。
同社の広報によれば、五月にこの噂について警告を受けてから表示を始めたという。同月の検索数は約六万件に急増し、翌月には六十八パーセント減った。動画サイトでも画面上部に相談窓口が表示された。一方、当時のあるメッセージアプリと短文投稿サイトでは何も出なかった。交流サイト大手も当初は何も出ず、広報が「作成中で、技術的に少し複雑だが数日中に表示される」と説明し、実際に七月二十日には表示された。
この記事の視点はいい。噂が本物かどうかより、プラットフォームがこの種の検索にどう応じる設計になっているかのほうが、実務的にはずっと重要だ、という立て方をしている。
そして日本語圏で最も踏み込んだ議論は、二〇一八年三月一日と四日にリアルサウンドが公開した対談だった。ゲーム研究者の井上明人と、この問題を追っていたライターの高橋ミレイによるものだ。
高橋の整理は的確だった。最初は百三十人と報じられたが、後に関連が特定できたのは八十人程度だと訂正されている、と述べたうえで、死のグループに参加していた者が全員ゲームをやっていたとは限らないし、最終的な自殺の理由は本人以外に分からない場合がある、と留保をつけている。この慎重さは、当時の日本語記事の中では際立っていた。
井上の切り口はゲーム研究者ならではだ。ゲームの定義の一要素として「自由に始められて、自由にやめられること」がよく挙げられる。ところが青い鯨の噂は、始めるのは自由でもやめられないという構造で語られる。それはゲームというより依存の構造に近い、と彼は言う。
そして、世界保健機関が二〇一七年十二月に国際疾病分類へのゲーム障害の追加方針を示した文脈と重ねながら、ゲーム的な仕組みは人間の行動を制御する技術であって、一歩間違えば厄介なことになる、と論じている。彼は二〇一二年に『ゲーミフィケーション』という本を書いた人で、社会のあちこちにゲーム的な仕掛けが増えていくことの功罪を、ずっと考えてきた側だ。
対談の後編では、対策の難しさが率直に語られる。ロシアの騒動を受けて作られた「シロクマ」のような善意のコミュニティは、参加者が一万四千人規模にとどまった。井上は、いいことをする企画はメディアには取り上げられやすいが、人間の原初的な欲望を誘う設計になっていないことが多い、と手厳しい。そのうえで彼が持ち出した対抗策の例が独特で面白い。
過激派の処刑映像が日本に流れ込んできたとき、一部のネット民がパロディのネタにして、映像のリアリティを丸ごと切り落としてしまった件だ。不謹慎ではあるが、あれは実戦的だった、と彼は評価する。高橋も、日本のネットにはネタ化して悪意のある元ネタを陳腐化させるセンスがある、と応じている。
これは、日本での受容を考えるうえでかなり重要な指摘だと思う。
「検索してはいけない言葉」という、日本独自の器
日本語圏でこの噂が収まった場所は、報道でも行政でもなかった。ネット文化の中の、ある決まった棚だ。
「検索してはいけない言葉」というジャンルがある。二〇〇〇年代の匿名掲示板文化から生まれた枠で、グロテスクな画像、不快なサイト、いわくつきのキーワードを、危険度のランク付きで並べて共有する遊びだ。まとめウィキがあり、動画実況があり、リアクションを見せ合う文化がある。要するに、肝試しのインターネット版だ。
青い鯨は、日本語圏ではこの棚に収まった。ロシアやブラジルやインドでは行政の対応課題だったものが、日本ではコンテンツになった。この違いは大きい。
理由はいくつか考えられる。まず、日本語圏での認知が遅かった。二〇一七年夏には、すでに英語圏の懐疑的な検証記事がいくつも出ていた。最初から「これは本当かどうか怪しい話」として輸入されたのだ。次に、日本語で参加する経路が実質的に存在しなかった。噂の舞台はロシア語の交流サイトであり、日本の子どもが同じ導線に乗ることはまずなかった。そして三つ目に、日本には自前の類例がすでにあった。
高橋がリアルサウンドの対談で挙げているのは、一九九八年の、医師を名乗る人物がネット経由で自殺志願者に薬物を送っていた事件。二〇一七年に発覚した、ソーシャルメディアで自殺願望を発信した人が次々に狙われた神奈川県座間市の事件。閉じた環境での支配という点では、二〇〇二年に発覚した北九州の監禁事件や、二〇一二年に発覚した尼崎の事件も構造が近い、と彼は指摘している。
つまり日本社会は、「ネット経由で追い詰められる」という危険を、外国発の噂を借りなくても既に知っていた。だから輸入された噂は、現実の警戒対象ではなく、怖い話の在庫のひとつになった。
掲示板やまとめサイトでの語られ方は、だいたい三層に分かれていた。いちばん外側は、驚きをそのまま増幅する層。海外でこんなことが起きている、日本にも来るのか、という反応だ。真ん中は、構造に興味を持つ層。マインドコントロールの手口として分析する、洗脳の段階論と重ねる、「茹でガエル」の比喩で説明する、といった書き込みが二〇一七年夏に大量に出た。
実際、当時の日本語ブログにはこの比喩を使ったものがいくつもある。そしていちばん内側に、懐疑の層があった。数字がおかしい、出典が一本しかない、逮捕された人物の供述が矛盾している、と指摘する層だ。
この懐疑層に決定的な材料を与えたのが、二〇一九年一月の英国放送協会の検証だった。日本語では二〇一九年三月にリアルサウンドが、モモチャレンジがデマだったという話とセットでこれを紹介している。
その記事はムルサリエワが取材に対して、百三十件の自殺の原因については本当のところはよくわからない、と答えた点を伝えたうえで、センセーショナルな報道は諸刃の剣であり、善意からの報道でも社会に不安を広げうる、と書いた。ソーシャルメディアの時代には誰もが「報道」できるから、検証不十分な情報が拡散しやすい、とも。
この一本で、日本語圏における青い鯨の位置づけはほぼ確定した。実在した死のゲームではなく、報道が作った騒動として整理された。
ただ、それで完全に終わったわけではない。二〇二三年三月、動画配信者のグループに所属していた配信者が、有料の限定コミュニティ内でファンに一連の「ミッション」を課していたと暴露され、炎上する騒ぎがあった。真冬の噴水に入る、といった内容が拡散され、これは青い鯨の模倣ではないかという指摘が飛び交った。指示の存在を直接示す証拠は乏しく、捏造ではないかという反論もあり、事実関係ははっきりしていない。
当人はその後、この件とは別の発言が原因でグループを離れている。
事実がどうだったかはさておき、この騒動が示したことがひとつある。噂の中身はとっくに否定されていても、「閉じたコミュニティで、崇拝される側が課題を出し、実行の報告をさせる」という骨格だけは、日本語圏でも共有された参照枠として生き残っていた、ということだ。青い鯨は、危険な実在の話としてではなく、構造を指す一種の記号として残った。
主要な考察と、その反証
騒動の最中から、いくつもの説明が競い合った。整理しておきたい。
もっとも広く信じられたのが「組織説」だ。統一されたルールを持つゲームが存在し、それを運営する中枢がある、という見方。これはノーヴァヤ・ガゼータの記事が示唆し、ブデイキンの自白めいた発言が補強した。ブラジルの警察官が米国にキュレーターがいると語り、インドの政治家がマスターコントローラーの捜索を求めたのは、この説に立っている。
反証は複数の方向から来た。ラジオ・フリー・ヨーロッパ/ラジオ・リバティの現地取材で、決定的な因果が確認された死は一件もなかった。イタリアの警察は指示を出すチューターを一人も特定できなかった。アルヒポワの調査ではキュレーターの実体は十二歳から十四歳の子どもだった。ロシアの裁判所が認定したのは、五十日のプログラムの運営ではなく二件の教唆だった。
そしてインド政府は、自国の事例で関与を確認できなかったと国会で認めている。
次に「商業説」。ロシアのニュースサイト、レンタが提示したもので、グループを運営していたのは若者であり、衝撃的な内容でアクセスと広告収入を稼ぐのが目的だった、という説明だ。この説は、なぜグループが実在したのに殺害の意図が見つからないのかをうまく説明する。実際、初期の象徴的な出来事として語られる少女の死をめぐって、その物語性を利用してフォロワーを集めた運営者がいたことは、複数の取材で裏づけられている。
三つ目が「伝染説」。噂そのものが存在しなくても、噂の報道が模倣を生んだ、という見方だ。イタリア警察の「模倣のほうが危険だ」という認識、スペインの報道分析、ウェルテル効果の研究蓄積が、これを支える。この説の強みは、証拠の説明力にある。腕に絵を描いた子は実在する。アプリの指示だったと語った子も実在する。だがそれは、報道を読んだ子が報道をなぞった結果として説明できる。
四つ目が「モラルパニック説」。コーエンの枠組みで、この現象全体を社会の反応の産物として捉える見方だ。米国の懐疑主義者ベンジャミン・ラドフォードは、これを「今月のモラルパニック」と呼び、一九八〇年代のテーブルトーク型ロールプレイングゲーム騒動と同じ系譜に置いた。彼の言葉を借りれば、これは長く続くモラルパニックの連鎖の最新版にすぎない。
研究者で活動家のアン・コリアーはさらに踏み込んで、青い鯨自体がフィクションであり、必要なのはパニックに油を注ぐことではなく、その作られた土台を認めてそこから始めることだ、と主張した。子どもは受け身の犠牲者ではなく、しばしばこうした主張が偽物だと知っている。正確な情報を与えられれば、本物のリスクに対してより現実的な警戒を持てる、と。
この四つは対立しているようで、実は排他的じゃない。実在した危ういグループがあり、それは商業的動機で運営され、そこに報道が過剰な物語を与え、その物語が模倣を生み、社会の反応がさらに物語を強化した。全部が同時に起きたと考えるのが、いちばん実態に近い。
一点だけ、慎重にしておきたいことがある。専門家の多くは、この噂が最初はセンセーショナルな作り話だったと見つつも、その現象が模倣的な自傷や伝染効果につながった可能性は否定していない。「全部デマだったから何も問題なかった」ではないのだ。子どもが亡くなったのは事実だ。その一人ひとりに、噂とは無関係の、固有の事情がある。
それを「ゲームのせい」で片付けたことこそが、この騒動のいちばんの罪だったのかもしれない。
なぜ、この噂だけが世界中の政府を動かしたのか
ここが最大の問いだ。ネットの怖い噂は無数にある。なぜこれだけが、数十か国の警察と、複数の国の議会と、高等裁判所まで動かしたのか。
第一に、権威のある発信元があった。ノーヴァヤ・ガゼータは匿名掲示板ではない。国際的にも評価の高い、権力に批判的な調査報道紙だ。二〇二一年には編集長がノーベル平和賞を受賞している。その一面に載ったという事実そのものが、外国のメディアにとっては検証をスキップする免罪符になった。「あの新聞が書いたのだから」。この一言で、何十社もの事実確認が省略された。
第二に、逮捕があった。ここが決定的だ。ロシア当局が実際に人を捕まえ、裁判所が有罪判決を出した。それを外国のメディアが見れば、「ロシア政府が認めた」と読む。判決が認定した事実の範囲がどれだけ狭かったかまでは、翻訳の過程でほぼ落ちた。逮捕という事実が、噂の実在の証明として機能した。
ある研究者が指摘するとおり、ロシア語圏の外に噂が出たとき、当局が人を逮捕したという事実だけで、話の真実性は十分に確認されたように見えたのだ。
第三に、対象が子どもだった。これに尽きる面がある。子どもの安全に関する警告は、真偽が不確かでも「念のため」で動くのが合理的だと判断されやすい。動かなくて何かあったときの政治的コストが、動いて空振りだったときのコストより、はるかに大きい。ブラジルの捜査官が「都市伝説じゃない、時間との競争だ」と言ったのも、英国の副校長が「証拠はないが手紙を出した」と言ったのも、この非対称性の中にいたからだ。
この判断自体を責めるのは酷だと思う。ただ、その判断の総和が、噂の実在を社会全体で追認する結果になった。
第四に、既存の不安に完璧に噛み合った。二〇一六年から二〇一七年は、ソーシャルメディアが子どもに何をしているのかについて、世界中の親が漠然と不安を抱えていた時期だ。スマートフォンが行き渡り、親が中身を見られなくなった。同じ時期に、十代の自殺を描いたある配信ドラマが大きな論争になっていた。青い鯨の噂は、その言葉にならない不安に、顔と名前と日数を与えた。
「何かよくないことが起きている気がする」が、「五十日の課題を出すキュレーターがいる」に変換された。不安は、輪郭を持つと扱いやすくなる。だから人は輪郭を求める。
第五に、統計的な下地があった。ロシアの若者の自殺率は実際に高かった。だから百三十という数字は、聞いた瞬間には「ありそう」だった。噂は、真実の一部を骨組みに使うと強くなる。
第六に、反証しにくい形をしていた。自殺の原因を外から確定するのは極めて難しい。だから「関係ない」と証明することも、ほぼ不可能だ。ムルサリエワが英国放送協会に返した「誰が確認できるのか」という言葉は、批判に対する居直りであると同時に、この噂が持つ構造的な強さを言い当ててもいる。証明も反証もできない領域に置かれた主張は、いつまでも生き延びる。
で、なぜこれが怖いのか
ここまで散々「実在しなかった」と書いてきたが、この話は今でも怖い。その怖さの質を最後に言語化しておきたい。
ひとつは、加害者がいない怖さだ。悪い大人が子どもを狙っていた、という話なら、まだ分かりやすい。捕まえればいい。ところが実態に近いのは、十三歳の子が別の十三歳の子に、報道で読んだ役を演じてみせていた、という光景だ。そこには首謀者がいない。責めるべき悪人がいない。全員が、どこかで読んだ話をなぞっているだけ。これは対処のしようがない。誰も悪くないのに、傷つく人がいる。
ふたつめは、大人の善意が燃料になる怖さだ。この騒動を大きくしたのは、悪意ではなかった。子どもを守ろうとした記者、通報を受けた警察、手紙を書いた学校、削除を求めた裁判所。全員が正しいことをしようとしていた。そして、その全員が、噂を強くした。善意で作動する装置ほど止めにくいものはない。
みっつめは、否定が届かない怖さだ。二〇一九年の英国放送協会の検証も、インド政府の答弁も、イタリアの記者の謝罪も、最初の記事の百分の一も広がらなかった。訂正には、元記事のような物語の力がない。「実は何もありませんでした」は、面白くないのだ。だから、いったん貼られたラベルは剥がれない。今でもインターネットには、青い鯨が百三十人を殺したと書いた文章が無数に残っている。
よっつめは、これが終わっていないという怖さだ。モモが来て、ジョナサン・ガリンドが来た。次も来る。名前とビジュアルを差し替えるだけで、同じ骨格が何度でも再利用される。そして毎回、同じ順番で同じことが起きる。誰かが警告し、報道が広げ、当局が動き、専門家がデマだと言い、静かに忘れられ、数年後に別の名前で戻ってくる。
いつつめが、いちばん重い。この騒動の中で、実在した悲しみは、ずっと脇に置かれていた。ロシアの十代の自殺率が高いことには、家庭の問題、暴力、貧困、精神的な健康の問題という、地味で、複雑で、記事にしにくい理由がある。ロシアの検察の資料では、未成年の自殺の六割以上が家庭内の対立や周囲との関係の問題に結びついていた。国連児童基金の報告は、自殺の増加が経済危機や急激な社会変動の時期に起きると指摘している。
そういう話は、バズらない。「秘密のゲームが子どもを殺している」のほうが、圧倒的に読まれる。だから世界中のメディアが、そちらを書いた。半年間、あるいは二年間、世界の関心はそこに注がれ、その間に本当に必要だった対策の議論は進まなかった。
ロンドンの教育関係者ペニー・パターソンの言葉を、もう一度引いておきたい。ニュース記事がなければ子どもの自傷を深刻な問題として受け止められなかったのなら、私たちは自分自身の理解を問い直すべきだ、と。
記録として、残しておくべきこと
この話に、すっきりした結末はない。
証明されなかった。それだけは確かだ。二〇一六年五月十六日の記事が主張した因果関係は、その後十年近く、誰にも証明できていない。百三十という数字の出どころは、悲しみの中にいた父親の手作業だった。逮捕された男の供述は最初から最後まで揺れ、裁判所が認定したのは二件だけだった。キュレーターの正体は子どもだった。統計は逆を向いていた。世界中の当局が調べ、確認された事例はほとんど出てこなかった。
でも、子どもは亡くなっている。それは変わらない。彼らの死には、それぞれの理由があった。噂に回収されるべきではない、固有の理由が。
たぶんこの件からいちばん学べるのは、「怖い話を信じるな」という教訓ではない。もっと面倒な教訓だ。目の前の子が苦しんでいるとき、その苦しみに名前がついていないと、大人は動きにくい。だから私たちは名前を探す。ゲームのせい。ソーシャルメディアのせい。ロシアのせい。名前がつくと安心する。安心してしまう。
青い鯨は、そういう名前だった。よく出来た、覚えやすい、恐ろしくて、少し美しい名前。世界中の大人が、その名前に飛びついた。
そして名前の裏側には、名前を必要としないまま苦しんでいた、たくさんの子どもがいた。
