濡れた赤い大男が、村に流れ着いた
今から二百年から四百年ほど前、江戸の時代の話だという。
海に近いとある村へ、それまで誰も見たことのないような男がふらりと迷い込んできた。
背丈は並みの村人より頭一つ大きい。肌は日焼けというより、むしろ赤黒い。着物ではない見慣れない奇妙な服を身にまとい、全身をぐっしょり濡らして小刻みに震えていた。
村人たちが恐る恐る声をかけても、男は一切答えない。ただ、同じ音の羅列だけを繰り返し口にした。
「で、どでん、こめん。で、どでん、こめん」
言葉にならないその響きに、村人の中には本気で震え上がる者もいた。鬼が人の言葉を真似ているのだ、と。
とはいえ、この騒ぎがお上の耳にでも入れば、村ごと厄介事に巻き込まれかねない。思案の末、庄屋はひとまずこの男を蔵に匿い、水と食べ物だけを与えて様子を見ることにした。
沖から、見慣れない一団が歩いてきた
それから数日が過ぎたころ。沖合から、見慣れない身なりの一団が現れた。
彼らは蔵に匿われていた赤い大男を見つけるなり、村人には理解できない言葉で激しく何かを言い交わした。そして、その男を連れて再び海の彼方へ去っていった。
村に残ったのは、たった一行の言い伝えだけだ。「鬼が、迎えに来た仲間に連れられて帰っていった」。
そして男が繰り返していた奇妙な響きから、彼は「でどでんこめんさん」と呼ばれるようになった。
――ここまでが、村に伝わる話である。
その音を、オランダ語に置き換えてみると
時代がくだる。この言い伝えをたまたま目にした後世の者たちが、ふと考えた。
あの男は、鎖国下の出島から命からがら逃げ出したオランダ人だったのではないか。そして彼が譫言のように繰り返していた音は、実は意味のある異国の言葉だったのではないか。
そうして一人が、あるオランダ語の一文を、この音に重ね合わせてみせた。
De doden komen.
死者たちが来る。
……ここで一度、手を止めてほしい。
もしこの読みが正しいのだとしたら。男は必死に、村人へ向けて警告していたことになる。難破し、命からがら一人だけ生き延びた男が、迫り来る何かへの恐怖を伝えようとしていた。
そして数日後、沖合から歩み寄ってきたあの一団。
あれは本当に、彼の「仲間」だったのか。それとも――既に命を落とした、船の仲間たちの成れの果てだったのか。
村の言い伝えは、その先を語らない。赤い大男が海の向こうへ帰っていった後、この村で何が起きたのかは、誰も知らないままだ。
出所は「2ちゃんねるのオカルト板」としか書かれていない
この話は「意味がわかると怖い話」というジャンルの代表的な一編として、複数のまとめサイトに横断的に採録されている。
まとめサイト「意味が分かると怖い話」および同じ内容を扱う解説記事。ブログ「しっとう?岩田亜矢那」の「意味がわかると怖いコピペ638 でどでんこめんさん」という回次番号付きの解説記事。さらに旧NAVERまとめの「【厳選】意味がわかると怖い話【解説付き】」シリーズの一項目。どれも同じような粗筋で紹介している。
ところが、これらの記事の多くは原文の出所を「2ちゃんねるのオカルト板」ないし「意味怖系スレッド」とだけしか書いていない。具体的な板名、スレッドタイトル、投稿日時、レス番号を明記した一次資料は、現時点では確認できていない。
正直に「詳細不明」と書くしかない。
ただ、複数の独立したまとめサイトが2010年代前半にはすでにこの話を採録している。ここから、2ちゃんねる系の意味怖・洒落怖文化がもっとも活発だった時期に成立し、口伝えならぬ「コピペ」の形で急速に拡散した話であることは間違いない。
ピクシブ百科事典の項目でも「2ちゃんねるのオカルト板で語られた」怪談として紹介されている。関連項目には「きさらぎ駅」「鮫島事件」「牛の首」といった同時代の代表格が並ぶ。意味怖・洒落怖カテゴリの定番として、しっかり定席を得ているわけだ。
鬼のまま終わる版と、オランダ語で反転する版
この話には、大きく分けて二つの読み方の系統がある。
一つは、赤い大男を単純に「鬼」として語る昔話的な系統。鬼が仲間に迎えられて去っていくという、異形との遭遇譚として完結させる読み方だ。これはこれで、素朴な昔話として成立している。
もう一つが、大男を鎖国下に難破・漂着したオランダ人とする合理化系統。「でどでんこめん」という一見意味不明な音の連なりを、実在するオランダ語の一文として読み解く謎解き構造が核になっている。
そしてこの合理化系統の内部でも、解釈がさらに分岐する。
沖から現れた一団を「遭難者を救助しに来た仲間」と読む穏当な結末。もう一つが「既に死んでしまった乗組員たちの亡霊が迎えに来た」と読む、怪談的などんでん返しの結末。この二つが並立している。
ついでに書いておくと、大男が「出島から命からがら逃げ出した者だ」という説明も、後年にこの話を読んだ者たちが導き出した推理にすぎない。原伝承自体がその点を確定させているわけではない。
日本語表記も揺れている。「でどでんこめん」「でどでんこめんさん」「デ・ドーデン・コーメン」。まとめサイトごとに、微妙に違う。
「うちの田舎にも、似た話があった」
読者の反応も、なかなか面白い。
ある投稿者は、幼い頃に祖父母の家で過ごした夏、親戚の集まりの席でこの話とよく似た言い伝えを聞かされたと語っている。海沿いの土地に伝わる話で、「浜に流れ着いた見慣れぬ大男が、わけのわからないことを呟き続けていた」という筋書きだったそうだ。
後にネットで「でどでんこめんさん」を読んだとき、あまりの類似に鳥肌が立った――そんな投稿が、まとめサイトのコメント欄に残っている。
別の体験談は、外国語学習をしている読者のものだ。この話の「オランダ語オチ」を知った後、実際にオランダ語の発音を独学で確かめてみた。すると「de doden komen」の響きが、確かに「でどでんこめん」に近く聞こえることに気づいて背筋が寒くなった、という。この感想は複数のブログ記事のコメント欄に投稿されている。
三つ目は、YouTubeの意味怖解説動画のコメント欄で複数見られる書き込み。「昔祖父から、港町には異国から流れ着いた者にまつわる不思議な言い伝えがいくつもあると聞いたことがある。この話を見て、あながち作り話でもないのではと思った」という趣旨のものだ。
地域の口承文化と結びつけて語られやすい話なのだろう。
村人には、誰も警告できない
「意味がわかると怖い話」の中でも、この話は謎解きの構造が明快だ。だからSNSでの紹介・拡散が、とりわけ盛んな部類に入る。
X(旧Twitter)では、都市伝説紹介系アカウントがあらすじと一緒にこの話を投稿している。反応も熱い。「意味を知った瞬間に鳥肌が立った」「救助隊だと思っていたのが実は死者の群れだったという読み替えが秀逸」。
YouTubeの意味怖解説漫画動画のコメント欄では、「赤鬼のまま終わる昔話バージョンより、オランダ語オチがついたバージョンの方が圧倒的に怖い」という声が目立つ。
個人的にいちばん唸ったのが、こういうコメントだ。「翻訳を知っている自分たちだけが真相に気づけて、物語の中の村人には誰も警告できないという構図が切ない」。
これはドラマティック・アイロニー、つまり観客だけが真相を知っている構造そのものへの言及である。掲示板発の怪談に対して、そこまで読み込む層がいるのが面白い。
一方で、懐疑的な意見も根強い。「地名や庄屋の名前が一切出てこない時点でどこまで本当か分からない」。実話怪談としてではなく、よくできた言葉遊びの創作として楽しむべきだ、という冷静な評価も併存している。
出島という、たった一つの窓口
物語の中では、具体的な地名は明かされていない。
それでも読者の頭には、ある地名が浮かぶ。出島だ。
長崎の出島は、江戸幕府がオランダ東インド会社との交易のために設けた人工島である。鎖国下の日本において、西洋人が合法的に滞在できた数少ない場所として広く知られている。
「赤い大男」を出島からの逃亡者、あるいは難破して流れ着いたオランダ商船の乗組員と結びつける発想。これは、この史実上の背景があるからこそ成り立つ読み替えだ。
ただし、実際に出島から逃亡した人物や、該当する年代・地域における難破・漂着事件を裏付ける郷土史料や古文書の類は、現時点で一切提示されていない。
語義の面では確認が取れる。オランダ語の dode(死者)と komen(来る)を組み合わせた De doden komen. という一文が「死者たちが来る」というおおむね正しい意味を持つことは、一般的なオランダ語辞書からも分かる。
だが日本語表記の「でどでんこめん」自体は、正確な発音転写ではない。口承による訛りや聞き違いを想定した、創作上の仕掛けとみるのが妥当だ。
つまりこれは「外国人を鬼と誤認した実話」ではない。言語の聞き違いという仕掛けを使って昔話をまるごと反転させる、伝承風の創作ネットロアである。
よくできている。よくできているからこそ、あの音を初めて頭の中で再生したときの、あのぞっとする感じが忘れられないのだ。
