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ゴギョウ様

泣くことを、異様に嫌う祖父

その家の祖父は、孫が泣くことを異様なまでに嫌った。

転んで膝を擦りむいて泣いただけで、「泣くな」と怒鳴りつける。地域の恒例行事である泣き相撲にも、孫を絶対に出そうとしなかった。

泣き相撲というのは本来、赤子を泣かせて豊作を占う、微笑ましいはずの神事だ。ところがこの町の泣き相撲には妙なルールがあった。先に泣いた方が負け。他の地域とは逆の判定基準である。

この時点で、もう少し引っかかっておくべきだったのかもしれない。

一月七日、道が砂利に変わった

一月七日。七草粥を祝うはずのその朝、少年は友人Aの家へ遊びに行こうと歩き出した。

いつも通っているはずの舗装路が、いつの間にか砂利道に変わっている。気づいたのは、かなり歩いてからだった。振り返っても見慣れた町並みはない。代わりに、鬱蒼とした山の斜面が広がっていた。

道の先を、巨大な岩が塞いでいる。注連縄が幾重にも巻かれ、白い紙垂が風もないのに小さく揺れていた。

そこで空気が変わった。濃い砂糖水の中を歩いているような、粘り気のある圧迫感。気づくと少年は岩の下に膝をつき、素手で土を掘り始めていた。自分の意思ではない。何かに手を動かされている感覚だったという。

そのとき、鈴の音が鳴った。続いて女の声が、手毬歌のような節回しで歌い出す。

「アターヌサキー、ワーセテ、バタクサ、バタクサ」

意味の分からない言葉だ。なのに、聞いているだけで胸の奥から悲しみがせり上がってくる。目頭が熱くなり、泣きそうになった。

その瞬間、土の下から氷のように冷たい何かが手首を掴んだ。掘り返した場所には、人の顔ほどもある赤黒い耳が、生き物みたいに地面へ張りついていた。

「ナケ、ナケ、ナケ」

耳ではない何かが、そう繰り返す。遠くから祖父の怒鳴り声が響いた瞬間、少年の意識はぷつりと途切れた。

祖父も、同じ岩を掘っていた

実は祖父にも同じ経験があった。

子どもの頃、友人Bと連れ立って同じ岩を掘ったのだという。土の下は斜めに落ち込む空洞になっていて、腐敗臭が充満していた。黒い割烹着を着て、顔を黒く塗り潰された人影が二人を取り囲む。

Bが恐怖のあまり泣き出した。すると穴の奥から「ナイタ」という歓喜の声が響き、何か得体の知れないものが這い上がってきた。祖父はBを置き去りにして逃げた。Bは二度と戻ってこなかった。

さらに古い由来を、祖父は自分の祖父から聞かされていた。少年から見れば曾祖父にあたる人物だ。

かつてこの土地には、歩けば鈴の音が鳴るという「鈴城」があった。城主は唐から渡ってきた人物で、大きな耳を持っていた。土地争いを嫌い、農民たちへ土地を平等に分け与えたという。本来なら善政を敷いた人だ。

しかし既得権益を失った者たちが反発した。城に火を放ち、一族を皆殺しにし、城主だけを生きたまま城の縦穴へ閉じ込めた。

その後、天災と飢饉が相次ぐ。人々はこれを城主の祟りと考え、鎮めるために赤子を生贄に捧げることにした。泣き相撲で最も激しく泣いた子どもを選び、城主の好物だったという粥に混ぜ込み、穴へ流し込む。積み重なった供物のせいで、穴の底はいつしか斜めに傾いていったという。

城主の本名は、口にするだけで呼び寄せてしまうと恐れられた。だから村人たちは、婉曲に「御業――ゴギョウ様」と呼ぶようになった。

誰かが取られれば、自分は助かる

岩で穴を封じてもなお、それは泣く子を求め続けている。

だから山沿いの家々には、事情を知らない移住者があえて住まわされる。その子どもが消えても、事情を知る者は岩の下を探そうとしない。

友人Aも、姿を消した。

祖父は言った。誰かが生贄として取られれば、自分の家族は助かる。この村は今も、その残酷な計算の上に成り立っている。

そして最後に、春の七草の名が静かに並べられる。セリ、ナズナ、ゴギョウ、ハコベラ、ホトケノザ、スズナ、スズシロ。

かつては子どもの数え歌だったはずの言葉の連なりが、封印の下でまったく別の意味を持ち始める。

どこから来た話なのか

台帳の記録では、この話は「ほんのりと怖い話スレ その97」の長編として流通したとされる。具体的な投稿日時、レス番号、投稿者のハンドルネームは、今参照できる資料の範囲では特定できていない。

ただし知名度はかなり高い。ゆっくり怪談シリーズの解説動画に取り上げられ、複数の怪談まとめブログに載り、小説投稿サイトへの再録まで確認できる。まとめブログの分類でも「洒落怖名作まとめ」の「殿堂」「長編」タグが付いていて、ネット怪談好きの間では完全に定番扱いだ。

初出時期は「2010年代前半」と推定されている。これは複数のまとめサイトが扱い始めた時期や、洒落怖系スレッドの活動期からの逆算にすぎない。確定的な一次資料に基づいた数字ではない点は押さえておきたい。

七草を並べ替えると、何が出るのか

この話の最大の仕掛けは、怪異の真名が七文字で伏せられたまま、本文中では絶対に明かされないという構成にある。

「ゴギョウ」という呼び方自体が春の七草のひとつと重なる。しかも「御業」という当て字を当てれば、婉曲な敬称としても機能する。この二重構造が、読者の考察意欲をとんでもなく刺激してきた。

読者考察の中で特に有名なのが、七草の並びや作中の警句をアナグラムとして読み解く試みだ。「鈴城」「競り」「泣くな」「岩の下」「これぞ七草」といった語句を並べ替えると、「なくこなぞされ(泣く子な、ぞされ)」のような警告文が浮かび上がる。この説は動画解説や個人ブログで繰り返し紹介されてきた。

さらに、七草を五七調の短歌のように並べ替えると、末尾に「サクナナゾコ」という文字列が浮かぶという説もある。「咲くな、七つの底」と読むか、豊作占いの怪異そのものを指す暗号と読むかで解釈は割れる。

ただし、これらのアナグラム解釈に統一見解はない。投稿者が意図して仕込んだ仕掛けなのか、後年の読者が見つけた後付けの符合なのか。そこはいまだに判然としない。

念のため書いておくと、実在する泣き相撲は各地の神社で行われている伝統行事で、赤子の健やかな成長や厄除けを祈願するものだ。生贄を選別する儀式では断じてない。しかも実際の泣き相撲では、先に泣いた方を勝ちとする地域もあれば、逆に後まで泣かなかった方を勝ちとする地域もある。判定基準は地域ごとにばらばらなのだ。

「先に泣いた方が負け」という設定は、この現実の多様性をうまく利用して、実在の行事に架空の裏面史を接ぎ木したものと考えられる。

「うちの田舎にも似た相撲があった」

この話を扱った解説動画のコメント欄には、視聴者からの証言が山ほど寄せられている。

「自分の田舎にも似たような『先に泣いたら負け』の相撲があった」「うちの地域では逆に後で泣いた方が負けだった」。こういう地域行事の実体験が次々に書き込まれる。

ある視聴者は、幼少期に祖父母の家で正月に山へ入ることを固く禁じられていた経験を語っている。「理由は聞かされなかったが、この話を読んで妙に納得してしまった」。真偽のほどは分からない。ただ、こういう「実際に似た禁忌がうちにもあった」という体験談の連鎖こそが、この手のネット怪談を単なる作り話以上のものへ押し上げていく。

別の読者は、正月に親戚の家へ向かう途中、見覚えのない砂利道に迷い込んだ経験を書いている。すぐ元の道へ戻れたので大事にはならなかった。ただ、こう付け加えている。「あのとき、遠くで鈴のような音が聞こえた気がする」。この話を読んで以来、その記憶が急に不穏な色を帯びて感じられるようになったそうだ。

本当に怖いのは、怪異じゃない

考察勢が繰り返し指摘するのは、この話の本質が怪物そのものではなく、共同体の合理化にあるという点だ。

村人たちは生贄の慣習をやめたわけではない。事情を知らない外部からの移住者へ、危険をこっそり転嫁しただけである。祖父にしても、孫を守ろうとする一方で、赤の他人の子どもが犠牲になる構造そのものは受け入れている。

この家族愛と共同体倫理の衝突が、単なる化け物譚を超えた重い読後感を生んでいる。「本当に怖いのは御業様ではなく、それを黙認し続ける村人たちだ」。この感想は複数のまとめブログや動画コメントで、判で押したように繰り返されている。

実在するのは、泣き相撲のほうだけ

鈴城も、唐出身の城主も、七文字の真名も、それに対応する連続失踪事件も、裏づける歴史資料は存在しない。春の七草と作中の語句との対応関係は言葉遊びとして見事だが、あくまで物語の内部で完結した暗号であって、歴史的事実を証明するものではない。

一方で、泣き相撲そのものは日本各地に実在する伝統行事だ。赤ちゃんの健康と厄除けを祈願する目的で、北海道から九州まで数十カ所の神社仏閣で今も続けられている。

この話は、その実在の行事を土台にして、そこへ完全に架空の因習と生贄伝説を接ぎ木した。だからこそ実話怪談特有の「本当にありそうな嘘」が成立している。

なお、正月の雪山を子どもだけで歩くこと、注連縄の巻かれた祭祀対象物を掘り返すこと。どちらも物語上の禁忌であると同時に、現実には遭難や転落といった具体的な危険を伴う行動でもある。そこは切り分けて読んでほしい。

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