春休みの縁側で聞いた声
八尺様の話は、ひとりの書き手の回想から始まる。高校3年の春休み、語り手はバイクを走らせて、父方の祖父母の家へ向かった。祖父母が暮らすのは、自宅から車で2時間弱かかる田舎の農家だ。この春休みの訪問が、語り手にとって祖父母の家で過ごす最後の時間になった。
着いたのは、天気のいい春の昼間。語り手が広い縁側で足を伸ばしていると、庭のほうから、ぽぽ、ぽぽっぽ、ぽ、ぽっ、という妙な音が聞こえてきた。途切れては続くその声は、笑っているようにも喉を鳴らしているようにも聞こえて、何の音なのか判別がつかない。春の昼間の穏やかな時間に、その音だけが場違いに響いていた。
音のするほうへ目をやると、生垣の上に白い帽子が見えた。高さ2メートルほどの生垣。帽子はその上を横へゆっくり動いていき、やがて、白いワンピースを着た女の姿が生垣の向こうに現れた。頭を生垣の上に出せるほどの背丈の女が、庭のすぐ外に立っている。
近所の人が通りかかったと考えるには、あまりに背が高い。語り手は自分が何を見ているのかをまだ知らず、家の中へ戻って、見たものをそのまま祖父母に話した。その一言で、家の空気が一変する。
「いつ見た」と祖父は怒った顔で聞いた
聞いたとたん、祖父母の顔色が変わった。祖母は黙り込んで下を向き、祖父は怒ったような顔で語り手に詰め寄ってきたという。「いつ見た」「どこで見た」と立て続けに問いただす声は、孫を案じる祖父というより、緊急事態を確かめる者のそれに近かったらしい。
答えを聞くと、祖父はすぐに電話をかけて、老婆を迎えに行ってくると言い残し、軽トラックで出かけていった。残された語り手に告げられたのは、今日は泊まっていけという一言だけ。
見たと話しただけで、二人は動いた。理由を尋ねる暇もなく、電話と迎えと泊まりの段取りが次々に進んでいく。この手際のよさは、八尺様が祖父母の家にとって、初めての相手ではないことをうかがわせる。
八尺様は人によって見え方が違う
祖母が震える声で語った説明は、こうだ。この土地には八尺様と呼ばれるものがいて、名前のとおり八尺ほどの背丈がある女の姿をしているという。1尺は約30センチなので、8倍すると240センチを超える。正確には1尺が3分の10メートルにあたり、8尺は2メートル42センチほどになる。
笑い方も尋常ではない。男のような声で、ぼぼぼぼと変な調子で笑うというが、語り手の耳に届いたのは、ぽぽぽに近い音だった。濁るか濁らないかの違いはあっても、同じものを指していると考えるのが自然なわけだ。
見た目は、人によって違う。喪服を着た若い女に見える人がいれば、留袖をまとった老婆に見える人もいるし、野良着姿の年増だったと話す人もいる。見る側の記憶の中から、姿を借りてくるようにも思える。
それでも、共通する点は3つある。異常に背の高い女であることと、頭に何かを載せていることと、聞く者の気分を悪くさせる気味の悪い笑い声を立てること。祖母は、この3つだけは動かないと言い切った。
狙われるのは、主に子どもや成人前の若者だという。魅入られた者は数日のうちに取り殺されるので、高校3年の語り手は、まさにその年ごろに当たっていた。昔は旅人に憑いたという説もある、と祖母は付け足した。
村の境に地蔵が4つ立っていた
八尺様は、ふだんは地蔵によって封じられている。祖母の説明によると、八尺様が動ける道は理由こそ分からないが限られていて、その道の村境に地蔵を祀ったのだという。
地蔵は、東西南北の境に全部で4か所ある。八尺様をよそへ行かせないための備えだが、語り手がこの詳しい話を聞いたのは、あとになってからだと原話は書く。あの日の祖母は、肝心な部分だけを手短に伝えたことになる。祖母が付け足した、昔は旅人に憑いたという説も、道と無関係ではないように見える。旅人は村の外から道を通ってくる者で、村境の地蔵が見張る相手とも重なるからだ。
最後に被害が出たのは15年前だと祖母は言い、語り手が高校3年だった年から数えても、それほど昔の話ではなかった。祖父母の口ぶりには、つい最近の出来事を語るような重さがある。
窓は新聞紙で塞がれ、四隅に塩が盛られていた
夕方になって、祖父が迎えに行った老婆が家に着いた。老婆は語り手に札を渡し、今夜はそれを持って過ごすように告げたという。通されたのは、2階の一室だった。
部屋の窓には新聞紙が貼られ、隙間なく目張りされていて、その上にさらに札が貼られている。四隅には盛り塩があり、部屋の奥には祭壇のような木の箱が置かれ、その上に小さな仏像が据えてある。用を足すためのおまるまで、2つ用意されている。
祖父は念を押した。明日の朝7時になるまで、絶対に部屋を出るなと言い置いて、祖父は階段を降りていった。短い言葉に、迷いは見えない。
窓を塞ぎ、塩を盛り、札を貼り、仏像を据えて、そろえられたのは神道にも仏教にも通じる道具だった。どの流儀が正しいのかは原話の中で問われておらず、使える物をすべて部屋に集めたという印象だけが残る。
午前1時過ぎ、窓ガラスが叩かれた
夜が更けた。午前1時を過ぎたころ、窓ガラスを叩く乾いた音が、コツコツと響いてきた。窓は2階にあるのに外から誰かが叩いていて、足場のない場所に立てる者が、ほかにいるとは思えない。
続いて、声がした。祖父の声に聞こえる。大丈夫か、こっちに来てもいいぞ、と呼ぶ声が、閉ざした窓の向こうから届いてくる。祖父はほんの数時間前に、朝まで出るなと言ったばかりだった。
語り手は、直感でその声に応じなかった。仏像の前に座り直し、札を握りしめて祈り続けていると、四隅の盛り塩の上のほうが、いつの間にか黒く変わっている。
祖父の声は、いつの間にか別のものに変わっていた。ぽぽっぽ、ぽ、ぽぽ。縁側で聞いたあの音が、窓のすぐ向こうから聞こえてくる。ガラスを叩く音も続いていて、語り手には、祈るしか手がなかった。
夜明けとともに音は止んだが、塩はさらに黒くなっている。それでも語り手は、朝の7時を過ぎるまで、決して部屋を出なかった。
札と塩は黒くなった
原話の中で色が変わる物は、盛り塩と札の2つ。どちらも、八尺様の側に何かを持っていかれたかのように、黒ずんでいく。
盛り塩は午前1時過ぎに上のほうから黒くなり、夜明けまでにさらに黒さを増した。札のほうは、あとで書く車の脱出を終えたとき、全体が黒っぽく変わっていた。
何が起きたのかを、原話は説明しない。色の変化だけを書く。外で起きていることが、部屋の中の物にだけ跡を残していくので、語り手の目に映るのは、いつも結果のほうだ。
老婆と祖父が用意したもの
老婆は、原話の中でほとんど語らない。分かるのは、札を渡したこと、車の中で念仏を唱えたこと、最後にうまく抜けたと告げたことの3つだけだ。素性も八尺様との付き合いの長さも、細かくは書かれていない。
祖父の動きは、逆によく見える。見たと聞けば怒り、電話をかけ、軽トラックで老婆を迎えに行き、朝には血族の男たちを集めてバンを用意した。迷う場面は、ひとつもない。
八尺様の相手は、ひとりでは務まらないのだろう。老婆に頼み、男たちを集め、車を3台出すという段取りの大きさが、八尺様の怖さを、語り手の説明よりもはっきり伝えている。
9人乗りのバンに、男ばかりが詰め込まれた
朝になって、父が到着した。祖父はワンボックスのバンを用意していて、9人乗りの車に、周りの家の男たちが次々と乗り込んでくる。みな祖父の血族だったという。
車は3台で連なった。先頭が祖父の軽トラック、真ん中が語り手を乗せた9人乗りのバン、しんがりが父の乗用車という順番。速度は時速20キロほどで、歩くよりやや速い程度にすぎない。
出発の前に、祖父が言った。気になるかもしれないが、これからは目を閉じて下を向いていろ。語り手は札を握りしめ、バンの中は男たちの息づかいで満ちて、老婆の念仏が低く流れていた。
言いつけを破って薄く目を開けた語り手の視界に、窓の外を並んで動く白いワンピースが入ってきた。バンの速度に合わせて、頭を低く下げ、車の中をのぞき込むような仕草をしている。
ガラスを叩く音がした。コツ、コツ、コツ。ぽっぽぽ、ぽ、ぽっ、という声も混じるなか、念仏の声が一段と強くなり、やがて老婆が、うまく抜けたと告げた。車内の空気が、ようやく緩んだ。
目を閉じて下を向けという言いつけ
祖父が語り手に命じたのは、見るなということだった。目を閉じて下を向き、八尺様の姿を視界に入れないよう言われたのに、薄目で外を見た語り手だけが、並走する白いワンピースを目にしている。
神や、人でないものが通る道を見てはいけないという禁忌は、各地の祭礼や言い伝えに見られる。夜の行列や神輿が通る間、戸を閉めて外を見ないという土地もあり、見ないことが、そのまま身を守る作法になる。
八尺様の話にも、同じ考え方が通っている。窓の外を見ない。声に応えない。戸を開けない。語り手が助かったのは、どれかひとつを守ったからではなく、これらを重ねて守ったからだ。
黒ずんだ札と、父の打ち明け話
手の中の札は、全体が黒っぽくなっていた。老婆は新しい札を渡してくれた。語り手は父の車で家へ帰り、バイクは後日、送り届けられたという。
帰宅してから、父が打ち明けた。父は八尺様のことを最初から知っていて、子どものころには、友達のひとりが魅入られて死んでいる。八尺様に狙われたあと、土地を離れて助かった人のことも、父は知っていた。
バンに男たちを乗せたのは、血縁を薄くするための備えだったという。最悪の場合は、祖父か父のどちらかが身代わりになる覚悟だという。語り手の知らないところで、大人たちは腹をくくっていた。
祖父にあとで電話をかけて確かめると、夜のあいだ声などかけていないと言い切られた。あれは身内の声で相手を安心させ、外へ導く手口だ。祖父は、そう説明した。
10年後に届いた祖母の電話
話は、そこで終わらない。それから10年ほどが過ぎたころ、祖母から電話が入り、八尺様を封じていた地蔵が誰かに壊されてしまったと知らされた。しかも壊されたのは、語り手の家へ通じる道のものだったという。
祖父は、すでに亡くなっていた。亡くなる2年前、起き上がれなくなってから、絶対に来させるなと言い残したという。葬式にも、来るなと命じられた。
あの春休みを最後に語り手は祖父母の家へ行っておらず、行かなかったのではなく行けなかったのだと原話は書く。祖父の遺言めいた言葉が、そこで重く響く。
語り手は、迷信だろうと自分に言い聞かせている。それでも、ぽぽぽという声が聞こえてきたらと思うと、不安は消えない。話は、その不安を残したまま閉じる。
数字で追う八尺様
この話には、数字が多い。背丈は八尺、つまり約240センチで、生垣は2メートル。祖父母の家までは車で2時間弱かかり、窓を叩く音が始まるのは午前1時過ぎで、朝は7時まで出られない。
地蔵は東西南北の4か所で、前の被害は15年前。車は3台、バンは9人乗り、速度は時速20キロ。語り手が電話を受けたのは10年後で、祖父が亡くなったのは、その2年前のことだ。
作り話に数字が多いと、嘘くさくなるものだ。ところが八尺様の数字は、どれも生活の中の単位でできている。尺、時刻、年数、車の台数。細かい数字を重ねるほど、現実の話らしさが増していく。
原話が書かなかったこと
八尺様が、なぜ人を狙うのか。原話は、理由を語らない。なぜ子どもや若者なのかも、なぜ身内の声を使うのかも、祖母や祖父の言葉の中に答えはない。
地蔵を壊したのが誰なのかも書かれておらず、語り手は誰かに壊されたと祖母から聞いただけだ。壊された地蔵がどの道のものかについても、語り手の家へ通じる道という以外、何も分からない。
舞台になった村の名前も伏せられていて、かつての×村、いまは○市の一部の、大字という単位の地区だとしか分からない。地名を消したことで、どの田舎の家にも置き換えられる話になった。
声は3回、姿を変えた
原話に出てくる八尺様の声は、場面ごとに違う。縁側で聞いたのは、ぽぽ、ぽぽっぽという音で、夜に窓の外から聞こえたのは、祖父の声だった。そのあとで、また、ぽぽっぽ、ぽ、ぽぽへ戻っていく。
昼の縁側では姿と声がそろっていたのに、夜の部屋では声と窓を叩く音しか届かず、朝の車では姿と窓を叩く音だけがある。一度に全部は見せない八尺様。
とくに祖父の声は、聞いた語り手にとって、いちばん厄介だったに違いない。姿が見えない夜に、いちばん信じやすい声で呼ぶ。祖父があとで否定したとおり、声をかけた者は、家の中に誰もいなかった。
祖父の声が呼んだ言葉は、大丈夫か、こっちに来てもいいぞ、の2つ。どちらも、閉じこもる者に外へ出る許しを与える言い方で、朝まで出るなという祖父の言いつけと、真正面からぶつかる。
呼ばれた側が気づくのは、声が別のものに変わった瞬間だ。語り手はその前に応じず、窓を開けなかったから、こうしてこの話を書き込むこともできた。
洒落怖という場所に落ちた話
八尺様が最初に現れたのは、2008年8月26日の匿名掲示板、2ちゃんねるのオカルト板だった。2ちゃんねるは、いまは5ちゃんねるの名で続いている。スレッドの題は「死ぬほど洒落にならない怖い話を集めてみない?196」という。
このスレッドは、怖い話を持ち寄る長いシリーズのひとつで、一般に洒落怖と略される。題の末尾の196は、シリーズ196本目のスレッドを示す数字。八尺様は、その中の一本の書き込みとして現れた。
投稿は9つのレスに分けて書き込まれた。語り手は書き手自身で、体験した出来事を自分で語る形をとっている。書き手が誰なのかは、記録からは分からない。
掲示板のスレッドは、ひとつの投稿の下に、ほかの人の書き込みが連なっていく仕組みだ。読んだ人がその場で反応し、別の場所へ貼り、語り直す。八尺様もそうして、最初の書き込みの形から離れていったのだろう。
実話なのか創作なのか、確かめる手立てはない。それでも話はスレッドの外へ広がり、八尺様は掲示板発の怪異として定着した。まとめサイトや動画で広まるうちに、古くからの伝承であるかのように扱われることも増えている。
白いワンピースに帽子という姿
原話を読み返すと、語り手が見たのは白いワンピースの女だった。祖母の説明では、見え方は人によって違うので、列挙された喪服、留袖、野良着は、どれも白ではない。
いまの解説では、白か黒のワンピース姿で現れることが多いと書かれる。白い帽子をかぶっていて顔がよく分からず、語り手が見た姿のほうが、代表像として残った。のちの絵や動画では、白いワンピースに白い帽子、背の高い女という姿が、ほとんどお約束のように描かれる。
ぽぽぽという笑い声も同じで、祖母はぼぼぼぼと説明していたのに、八尺様の名と一緒に覚えられているのは、語り手が聞いたぽぽぽのほうだ。
八尺様に出会って助かった者はいない、と説明する解説もある。原話の語り手は、老婆と血族の男たちと、仏像と札と塩に守られて助かった。この食い違いも、語られ方が変わっていく様子のひとつだ。
2010年ごろからは、短文の投稿サービスで、背丈を変えた亜種が作られるようになった。一尺様、四尺様、八寸様といった具合。絵や創作では愛らしく描かれることも増え、怪談としての怖さから離れた遊びも広がった。
ぽぽぽの由来についても、ネット上では多くの推測が出た。ラジオのノイズ音が元だとする説があり、同じ2008年に流行した歌の一節に結びつける指摘もある。どちらも、裏づけは取れていない。
身の丈八尺の女は、山にいた
背丈が八尺ある女の話は、八尺様より古い。柳田國男の『山の人生』には、熊野の山中で身の丈8尺の女の死骸を見たという話が書き留められている。江戸時代の随筆『秉穂録』に、熊野の八尺の女の話があるとする指摘も見える。
同じ『山の人生』には、江戸時代の奇談集『老媼茶話』から引かれた山姥の話もある。身の丈は7尺から8尺、老いた女に似た獣で、人を捕らえて岩窟へ連れ去り、とくに子どもを盗むと書かれている。
背丈の数字と、女であることと、子どもが狙われることが重なれば、八尺様を山姥の系譜に置く読み方が出るのも無理はない。ただし原話は、八尺様を山の怪異とは書いていない。
八尺様が現れたのは山ではなく農家の庭先だが、ある解説は、山の神や境界の神に通じる特徴を指摘する。名前を呼ぶ声、儀式による封印、代償として命を奪う構図が、伝承の神や妖と共通するからだ。忘れられた土地神のなれの果てだという読み方まで出ている。
親族に化けた鬼が、戸を叩いた
声で人を外へ呼び出す怪異は、古い話にもある。渡辺綱と茨木童子の説話では、物忌みの最中の家へ、親族に化けた鬼が訪ねてくる。戸を開けさせようとする鬼の姿は、窓を叩く八尺様とよく似ている。
物忌みは、凶事や穢れを避けるために家へこもって慎む習わしで、部屋に閉じこもって外と接さない。原話で語り手が命じられた、朝7時まで出るなという約束事も、その形に近い。
どちらも夜に身内の姿や声で来て、拒んでいる間は無事なのに、戸を開けたとたんに終わる。八尺様の話が古めかしく感じられるのは、こうした型を踏んでいるからだろう。
祖父は電話で、あれは身内の声で安心させる手口だと説明した。語り手が窓を開けなかった理由は、直感としか書かれていない。直感ひとつで助かる話は、案外多い。
盛り塩と札が守ったもの
塩で清める習わしは、日本の暮らしに根づいている。葬式から帰った人が家に入る前に塩を体にまき、力士が土俵に塩をまき、玄関や店先に塩を小さく盛る家もある。四隅の盛り塩は、その延長にある。
札も、同じだ。神社や寺で授かる札を、家の入口や部屋に貼って守りにする。原話の部屋では、窓の目張りの上にまで札が貼られ、語り手の手にも1枚が握られていた。内側にも外側にも札がある。
塩が黒ずみ、札が黒ずむのは、守りが働いた印にも見える。朝には新しい札が渡されたので、ひと晩越えるごとに、札を取り替えるものなのかもしれない。
村境の地蔵が引き受けた仕事
村境に地蔵を立てる習わしは、各地にある。村の入り口に地蔵や道祖神を据え、疫病や悪いものが入り込まないようにする。村境に注連縄を張ったり、大きな藁人形を立てたりする道切りの行事も、同じ考え方から来ている。
八尺様を封じる地蔵は、その延長線上にあり、祓って消すのではなく通さないだけだ。動ける道が限られているので、その道が村境に出る場所だけ押さえればいい。東西南北の4か所は、村の外周を囲む形になる。
だから、地蔵が壊されると話が変わる。祖母が電話で知らせたのは、語り手の家へ通じる道の地蔵が壊されたということだった。封じが破れたのは、よりによってその道なのだ。
ぽぽぽと呼ぶ声のその先
八尺様の話は、その後も形を変えて広がった。朗読の動画が作られ、ゲームに登場し、アニメの『裏世界ピクニック』にも出てくる。『劇場版ほんとうにあった怖い話 事故物件芸人3』にも、八尺様の名が見える。
ただ、原話の長さは9つのレスにすぎない。登場人物は語り手と、祖父母と、老婆と、父だけだ。八尺様本人はほとんど何もしゃべらず、あるのは笑い声と、窓を叩く音だけだ。
壊された地蔵が、どの道のものだったのか。原話は書いていない。語り手の家へ通じる道のものだ、と祖母が言った。それ以上の場所は、誰にも分からないまま残っている。
