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コワモテ様

「自分たちで邪神を作れば、人気者になれるんじゃないか」

小学三年生の教室では、こっくりさんや口裂け女の話が流行っていた。休み時間になると誰かが十円玉と鉛筆を持ち出す。放課後は集団下校の列で「口が耳まで裂けた女に会ったらどうする」と盛り上がる。そんな空気の中で、語り手と二人の友人はふと思いついた。

自分たちで邪神を作れば、クラスの人気者になれるんじゃないか。

深い考えはなかった。ただ、こっくりさんも口裂け女も、誰か他人が始めたものだ。自分たちの手でゼロから何かを作れば、それを最初に語れるのは自分たちだけになる。そういう、子供らしい功名心である。

材料は近所の空き地に転がっていたごみだった。ひび割れたゴムボール。洗濯ばさみ。用途の分からない金具や木片。どう組み合わせても威厳のある姿にはならなかったが、三人はそれで構わないと思っていた。

次に、学校の裏山にプラスチックの空き箱を置いて、簡易な祠に見立てた。供物として持ち寄ったのはパンの耳、蜜柑の皮、時には玉葱の皮。ほとんど台所の生ごみである。でも三人にとっては立派な儀式だった。

そのうち一人が、したり顔で言った。家でオカルト雑誌かテレビの特集でも見てきたらしい。

「神様には依代と名前が必要なんだって」

三人は裏山で朽ちかけた木の板を拾ってきた。油性ペンではなく、わざわざ墨を使って「コワモテ様」と書きつける。名前の由来に大した意味はない。誰かが持っていたRPGに出てくる「コワモテかかし」というアイテムに、何となく似た響きだったから。それだけだ。

それでも、名前が与えられた瞬間から、廃材の寄せ集めは三人の中で確かにコワモテ様になった。

約束の朝、二人とも高熱で動けなかった

それから半月ほど、三人は放課後になると裏山に通った。供物を取り替え、祠の様子を見て回る。誰に強制されたわけでもないのに、いつの間にか日課になっていた。

ある日、三人は近所で大物が釣れると評判の防波堤へ行く約束をした。竿も餌も揃え、当日を心待ちにしていた。

ところが約束の朝、語り手は突然の高熱で身動きが取れなくなった。布団の中で熱にうなされながら、友人たちだけでも行っただろうかと考えていたという。

翌日、学校で謝ろうとしたら、誘ってくれた友人も同じように高熱を出していたことが分かった。二人とも、あの日は結局防波堤に行けなかった。

その夜、家で親から聞かされた話に背筋が冷えた。

三人が行くはずだった防波堤で、ひどく損傷した遺体が発見されたという。自殺なのか、事故なのか、それとも別の何かなのか。詳しいことは分からなかった。

熱を出していなければ、自分たちはその現場に居合わせていた。

名前を書いた板だけが、消えていた

数日後、体調が戻った三人は裏山のコワモテ様のもとへ向かった。日頃の礼を言うつもりだったらしい。

ところが祠は無残に壊れていた。廃材は辺りに散乱し、供物も踏み荒らされたように崩れている。そして、名前を書いた木の依代だけが、どこにも見当たらなかった。

三人は言葉少なに、散らばった廃材を集めて土に埋めた。上に石を置いて、墓の代わりにした。

腐って崩れただけかもしれない。熱もただの偶然かもしれない。それでも語り手は、大人になった今でも時々考えるという。自分たちが遊び半分で作った神様は、最初で最後の仕事として三人を防波堤の惨事から遠ざけ、依代ごとどこかへ去っていったのではないか、と。

どこから出てきた話なのか

この話は「不可解な体験、謎な話―enigma―」シリーズの一篇として、Part101のスレッドに投稿されたとされている。enigmaシリーズは匿名掲示板オカルト板の投稿を収集・再編集する形で長年運営されてきたまとめの系譜で、現在も後継サイトが同種の投稿を蓄積し続けている。

台帳の原資料では「2017年前後・enigma Part101採録」と位置づけられている。ただしPart番号のスレッドは膨大な数に上る。該当スレッドの一次ログ、投稿日時、投稿者ID、レス番号までを外部の独立公開資料で特定するには、今回の調査範囲では届かなかった。

とはいえ、この話の構成は時代の刻印がはっきり出ている。子供時代の悪ふざけが後から超常的な意味づけを獲得していく回顧録形式。固有名詞を伏せた語り口。最後に「偶然かもしれない」という留保を挟む慎重さ。2010年代の掲示板怪談に典型的な、自省型ネットロアの作法そのものだ。

罰なのか、守護なのか。読み手はここで割れる

異本の多くは、コワモテ様の「意図」をどう読むかという一点で分岐する。

ある系統では、供物を怠ったことに腹を立てたコワモテ様が、高熱という形で三人を罰したと解釈される。この場合、防波堤の惨事は罰とは無関係のただの偶然になる。話全体が、粗末に扱われた依代の逆襲譚として組み直されるわけだ。

対して別の系統では、コワモテ様は最初から三人を見守る存在として描かれる。高熱は危険から遠ざけるための、荒っぽい優しさだった。この読みだと、依代の消失は神が役目を終えて去った証になり、話は守護神譚として着地する。

面白いのは、原話がどちらにも決め切らないところだ。両方の可能性を並べたまま終わる。だからこそ再話者が都合よく片方に寄せて、複数のバージョンが枝分かれしていく。

依代の板が消えた理由についても同じことが起きている。神が依代ごと移動した超常的な出来事とする再話。単に腐って崩れた、あるいは誰かに持ち去られただけとする再話。後者は原話自身が示していた合理的な可能性を、そのまま引き継いでいる。

名称の由来もそうだ。既存の神話や妖怪とは無関係で、子供が触れたゲームからの連想でしかないと強調する再話がある一方、後年になると「コワモテ様」がまるで最初から実在した土着の神名であったかのように扱われる再話も出てくる。命名の軽さと、後から付与される重み。この落差こそがこの話の面白さの核だ。

「岩男さん」を作った子供たち

似たような「子供の頃に作った自作の神様」体験を語る投稿は、意外なほど多い。

ある投稿者は、小学校高学年の頃に友人たちと空き地の石を積んで塚を作り、拾った棒切れで顔らしきものを彫って「岩男さん」と名付け、毎日水を供えていたという。ある日から急に、その場所に近づくと胸が締め付けられるような息苦しさを感じるようになった。結局怖くなって塚を崩し、二度と近寄らなくなったと書いている。

名付けと供物という反復行為が、遊びの対象を「触れてはいけないもの」へ変質させていく。この過程はコワモテ様の話とぴたりと重なる。

別の体験談は団地の話だ。子供たちが集まって作った秘密基地の奥に、誰かが持ち込んだ壊れた人形を祀るコーナーができ、いつしかそこへお菓子を供えるのが暗黙のルールになっていた。ある年、団地の建て替えでその一角が取り壊されることになる。人形を運び出そうとした子供の一人が高い場所から転落し、骨折した。人形を動かしたから罰が当たったという噂が、しばらく子供たちの間で語り継がれたという。

さらに、部活動の話もある。後輩たちが練習場の隅に作った「お守り」めいたオブジェがあった。廃部が決まった年、それを片付けようとした先輩の一人が原因不明の高熱で入院する。退院後、他の部員から「片付けなくてよかったのでは」と責められたという投稿だ。

粗末に扱った、あるいは処分しようとした直後に体調不良が起きる。このパターンは、驚くほど繰り返し現れる。

スレンダーマンと同じ構造をしている

子供が作った偽物の神が、本物のように振る舞い出す。この筋立ての怪談は掲示板文化の中でも人気の高いサブジャンルで、コワモテ様にも「守護神オチが好き」「偶然だとしても出来すぎている」といった好意的な感想が多い。

一方で、「高熱を神の采配とみなすのは非科学的だが、それも含めて子供の頃の記憶の美しさだ」という、怪異の実在を前提としない鑑賞の仕方も目立つ。個人的には、この距離感がいちばん健全な気がする。

考察系のブログでは、この話を海外の「スレンダーマン」現象と並べて論じるものもある。スレンダーマンはもともとインターネット上の創作画像コンテストから生まれた架空の存在だ。ところが2014年、アメリカでスレンダーマンを信じ込んだ少女二人が友人を刺傷するという実際の事件が起きている。

創作物であっても、名前と儀礼的な反復行為が加わることで、当事者にとって現実の力を持ち始める。この現象は国境を越えて共通する、と指摘されている。コワモテ様の物語はスレンダーマン事件のような悲劇には至らない。だが、子供の創作が本物めいた因果を帯びるという構造そのものは、まったく同じだ。

数週間で作られた、即席の付喪神

依代に名前を書き、供物を捧げ、日常的に世話をする。それによって無機物が神格化していく。この発想は、日本の民俗信仰における付喪神の考え方と強く共鳴する。

室町時代に成立した『付喪神絵巻』には、長い年月を経た道具に精霊が宿るという思想が描かれている。「百年」という数字は象徴的なものだが、古くなった道具や粗末に扱われた道具が意思を持つという発想自体は、日本文化にずっと根付いてきた。

コワモテ様の物語は、その「時間の積み重ねによる神格化」を、子供たちの数週間という極端に短いスケールへ圧縮して見せた。現代版の即席付喪神譚と読める。

名称の元ネタにも触れておこう。作中で言及される「あるRPGの案山子」は、『ドラゴンクエスト』シリーズの一作、ドラゴンクエストVに実在するアイテム「コワモテかかし」を指しているとみられる。フィールド上でモンスターの遭遇率を下げる効果を持つ、いかつい顔をした案山子の人形だ。シリーズをプレイした世代の子供には、馴染み深い名前だった。

自作の神の名前が、こういう身近なポップカルチャーの語感から借りられる。都市伝説が同時代の子供文化と地続きであることの、いい証拠である。

防波堤での遺体発見という結末にも現実の裏打ちがある。日本各地の海沿いの街では、堤防や岸壁での転落・水難事故が後を絶たない。子供たちの間で「あそこには近づくな」という禁忌が語られる地域も少なくない。

現実の水辺の危険と、子供たちの素朴な創作神話。それを高熱という身体的な偶然が結びつけている。作り話としての完成度は、かなり高い。

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