深夜の電話は、言葉になっていなかった
深夜、語り手のスマートフォンが鳴った。画面に出ていたのは友人Aの名前だ。
出た瞬間、聞こえてきたのは言葉になっていない嗚咽だった。何度か聞き返して、ようやく意味の取れる単語が拾えるようになる。
「黒長さんに、殺される」
「裏切られた」
それだけ言うと、Aは泣き崩れて要領を得なくなった。ただごとじゃない。語り手は上着も羽織らずにAのアパートへ向かった。
着いたのは日付が変わってしばらく経った時刻だ。呼び鈴を鳴らしても応答がない。ドアノブに手をかけると、鍵はかかっていなかった。
嫌な予感を押し殺して中に入った瞬間、季節に似つかわしくない冷気が全身を包んだ。真夏だというのに、玄関の空気だけが冷蔵庫の中みたいにひんやりしている。
階段を上がるにつれ、鼻を突く異臭が強くなっていく。饐えたような、獣じみたような、うまく言い表せない臭いだ。
Aの部屋の扉の前に立って、思わず息を呑んだ。木製のドアに、何かで切りつけたような細かい傷が無数に走っている。刃物によるものとしか思えない傷跡が、爪で引っかいたみたいに縦横に交錯していた。
鍵は、開いていた。
部屋の中央で、痩せこけたAが座っていた
扉を開けた先は惨憺たる有様だった。椅子はへし折られ、本棚から落ちた本がページを散らかしたまま床一面に広がっている。
その中央に、見違えるほど痩せこけたAが座り込んでいた。自分の排泄物にまみれ、目の焦点は合っていない。二日間、ほとんど水も食料も口にしていなかったという。
救急搬送された病院で点滴を受け、ようやく落ち着いたAが、途切れ途切れに顛末を語った。
数日前、彼女という知人に誘われて「黒長さん」という遊びをすることになった。願いを何でも叶えてくれるという儀式だ。こっくりさんやさとるくんに似ているが、決定的に違う点があった。
相方となる人物が、インターネット越しに開始と終了を宣言する。そういう現代的な仕組みが組み込まれていたのだ。
Aは願いを叶えてもらう側、つまり呼ぶ側になった。部屋のすべての扉と窓を施錠し、スマートフォンの待受画面を黒一色に設定する。彼女と示し合わせた文言を、二人同時にSNSへ投稿した。Aが投稿した数分後、彼女の方も続けて投稿したのを画面越しに確認している。
あとは終了の合図を待つだけのはずだった。
一時間経っても、二時間経っても、終了の投稿は来なかった
焦れたAは、電話で確認しようとホームボタンに触れた。
その瞬間、真っ黒な画面――決して見てはいけないはずの画面――に、一瞬だけ自分の顔が映り込んだ。
直後、背中に、冷たく長い何かが這い上がる感触が走った。百足のような、無数の脚を持つ生き物が、皮膚の上をゆっくり移動していくような、あの独特の粘つく気持ち悪さだ。壁に背中を打ちつけても、床に転がっても、感触は消えなかった。
同時に、階段を誰かが駆け上がってくる足音が響いた。ドアノブが乱暴に回される。開かないとわかると、今度は扉そのものを叩き壊そうとするような、鈍く重い衝撃音が繰り返し響き始めた。
儀式の最中に部屋を出てはいけない。そう聞かされていた。もっとも、恐怖のあまり、Aには扉に近づくことすらできなかった。
二日間、Aは施錠した部屋の中に閉じ込められたまま、扉の外の何者かに怯え続けた。限界を迎えたAは震える手でスマートフォンを操作し、連絡先に登録されている知人へ片っ端から電話をかけた。最初に応答したのが語り手だった。
種明かしのあとに残る、二つの鍵
事情を聞いた語り手が彼女を問い詰めると、彼女は終了の投稿をしなかったことを認めた。
理由は復讐だった。Aが自分を裏切って浮気をしていたことを知り、そのために誘い出したのだという。ただし、彼女はAの部屋に押し入ってなどいないと繰り返し主張した。様子を見るために家の前を通っただけで、中には一歩も入っていない、と。
Aは首を横に振った。玄関の鍵も、部屋の鍵も、儀式を始める前に自分の手で確かに施錠したはずだ、と。
では、語り手が駆けつけたとき、玄関の鍵はなぜ開いていたのか。内側から施錠されていたはずの部屋の扉は、どうして開いたのか。
語り手の到着があと少し遅れていたら。願いが叶うよりも先に、黒長さんが本当に部屋の中へ入り込んでいたのかもしれない。物語はその余韻を残したまま幕を閉じる。
終わらせる鍵を、他人が握っている
「黒長さん」は2019年頃、匿名掲示板の洒落怖系スレッドに投稿されたとされるネット怪談だ。
こっくりさん、さとるくん、ひとりかくれんぼ。2000年代後半から2010年代にかけてネットで語られてきた儀式怪談の系譜に連なる作品である。ただ、一点だけ決定的に違う。
儀式の完了を、自分自身ではなく、離れた場所にいる相方の行動に委ねるという構造だ。
伝統的な儀式怪談の多くは、参加者が正しい手順を踏めば安全に終えられるという建前を持っている。ところが黒長さんでは、終了の鍵を他人が握っている。この一点によって、超自然的な恐怖と、人間同士の裏切りという生々しい恐怖が分かちがたく結びついてしまう。
道具立ての置き換えもうまい。五十音表や硬貨の代わりにスマートフォンの待受画面。口寄せの呪文の代わりにSNSへの定型文投稿。離れた場所にいる霊媒役の代わりに、遠隔地の相方。
この巧みさから、この話は旧作の焼き直しではなく、SNS時代ならではの新作ネット怪談として一定の評価を受けている。動画投稿サイトやショート動画のプラットフォームでは「令和のこっくりさん」というキャッチコピーとともに繰り返し紹介・朗読され、怪談系の投稿者が独自の演出を加えて再話する例も多い。
待つほどに、猶予は短くなる
黒長さんの手順には、いくつか型の違いが語られている。
いちばん大きな違いが待機時間だ。一時間型と二時間型の二種類が並行して流通している。面白いのは、一時間型では終了投稿の猶予が三十分なのに対し、二時間型では十五分に縮まるという点である。待機時間と終了猶予が、きれいに反比例している。
長く待たせるほど、儀式を閉じる猶予はシビアになる。この非対称性が、全体の緊張感を高める仕掛けとして効いている。
黒長さん自身の姿は、どの語りでも直接描写されない。長く冷たい虫が這うような感触。扉の外から聞こえる何者かの気配。それだけだ。決して視覚化されない。
この見えなさは、儀式の核心である「黒い画面を見てはいけない」という禁忌と呼応している。見ることを禁じられた存在は、最後まで見ることを許されないまま終わる。
Aが叶えてもらいたかった願いの内容は、原話では一切明かされない。儀式が失敗に終わったからとも読めるし、そもそも願いの中身より「儀式が破綻した過程」こそが主題なのだとも読める。
彼女の復讐がすべての種明かしなのか。それとも彼女は復讐の手段として、本物の何かを意図的に呼び寄せてしまったのか。ここも未確定のまま残る。二重の鍵が何の説明もなく開いていたという結末の一文が、人間の悪意だけでは説明のつかない後味を最後まで漂わせている。
「終わらせなかった儀式は、どこかで帳尻を合わせないといけない」
この手の「儀式が失敗した」系の怪談が広まると、決まって自分も似た遊びをしたという書き込みが集まる。
ある投稿者は、中学生の頃に友人数人とこっくりさんをやり、終わりの儀式を焦って省略してしまった話を書いている。その晩から金縛りに悩まされるようになり、数週間後、たまたま神社にお参りした翌日から症状が治まったという。持論として添えられていたのが、この一文だ。きちんと終わらせなかった儀式は、どこかで帳尻を合わせないといけない。
別の投稿者は、黒長さんそのものではなく、似た構造を持つ「相方に終了の合図を委ねる」タイプの遊びを大学のサークルでやった経験を語っている。相方役の友人がふざけて数分間わざと終了連絡を遅らせたところ、部屋の空気が急に重くなり、電気を消していないのに天井の照明がちらつき始めた。友人が慌てて謝罪して終了の連絡を送ると、照明はすぐ元に戻ったという。
この人はこう振り返っている。たとえ人間の悪ふざけだったとしても、その数分間の恐怖は本物だった。
看護師を名乗る投稿者からは、もっと現実的な書き込みもある。施錠した部屋に長時間閉じこもった知人を保護した経験として、脱水症状と極度のパニック状態にあった患者を実際に見たことがある、という内容だ。怪異の真偽はどうあれ、密室に長時間閉じこもる行為そのものが医学的に危険だという事実を、こうした証言は繰り返し裏付けている。
いちばん怖いのは、たぶん人間のほうだ
黒長さんがまとめサイトや動画で紹介されるたび、コメント欄でいちばん多いのが「彼女の裏切りが一番怖い」という反応である。
超自然的な虫の感触や扉を叩く音よりも、信頼していた友人が意図的に自分を危険に晒したという事実のほうが生々しい。そういう感想が繰り返し書き込まれる。同感だ。
同時に、「彼女は本当に部屋に入っていないのか」「鍵はどうやって開いたのか」という謎については、考察スレッドが独自の解釈を披露し続けている。彼女の証言が嘘で実際には侵入していたとする説。彼女とは無関係の何かが本当に扉を開けたとする説。さらにはA自身が無意識のうちに鍵を開けてしまったのではないかとする説まである。真相は一つに定まらない。
それとは別に、儀式そのものの危険性を指摘する声も多い。長時間の施錠と絶食、徹夜を伴う点。塩水を摂取する工程が含まれる点。オカルト系のまとめサイトでも「話として読む分には面白いが、絶対に実行してはいけない」という注意書きが添えられるのが通例になっている。これは本当にその通りで、閉じこもって飲食も睡眠も断つ行為は、怪異を抜きにしても普通に命に関わる。
こっくりさんから、令和のスマホへ
黒長さんの土台にあるこっくりさんは、明治時代に西洋のテーブルターニングが日本へ伝わり、狐憑き信仰などの土着の民間信仰と結びついて独自に発展した降霊術だ。
学校教育の現場で流行と社会問題化を繰り返してきた歴史があり、儀式後の異常行動が話題になったことも過去に報じられている。子どもの遊びとして扱われながら、実際には何度も大人を慌てさせてきた。
黒長さんは、この長い儀式怪談の系譜の末端に位置している。そこへスマートフォンとSNSという現代特有の道具立てを組み込むことで、旧来の禁忌を令和の生活様式の中に移植し直した。
塩を用いる場面も、古来から穢れを祓う力があるとされてきた日本の民間信仰の影響を色濃く残している。伝統的な儀式観と、現代的なコミュニケーション手段。その二つが混ざり合った、いかにもインターネット怪談らしいハイブリッドな話だ。
そして結局、この話でいちばん機能している装置は「終了の宣言を他人に預けた」という設計である。霊よりも、既読無視のほうが怖い。そういう時代の怪談なのだ。
