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まるまる様

誰も置くはずのない場所に、ワラビが積んであった

祖父の代から、山の近くに家があった。

夏になると家族総出で山へ入り、沢沿いに自生するワラビを採る。それが毎年の習わしだった。

まだ小学校の高学年だったその子は、祖母から少し遅れて歩いているうちに、いつのまにか見慣れない場所に出てしまった。木々の隙間から水音が聞こえる。誘われるように進んでいくと、思いがけないほど澄んだ川に出た。川面が日の光を弾いて、底の石の一つひとつまで見通せる。

その岸辺の、平たい岩の上。

採ったばかりだと一目で分かる瑞々しいワラビが、山のように積まれていた。

誰かが置いていったのか。辺りを見回しても人の姿はない。祖母でもない。他の家族でもない。少年が不思議に思って岩に近づこうとした、そのときだった。

藪の奥から、音もなくそれが現れた。

目が合った瞬間に、分かってしまった

大きな猿のような姿をしていた。ただの獣ではない。

体のあちこちに緑の苔がびっしり生えている。山そのものが、古い木の幹のような姿を借りて歩き出したような威厳があった。

それはじっと少年を見つめていた。

目が合った瞬間、言葉なんてひとつも交わされていないのに、少年ははっきりと理解した。

――取れ。岩の上のワラビは、お前へやる。欲しいものがあるなら、それを取ればいい。

体が竦んだ。恐ろしさで足がすくむ。少年はワラビには手を伸ばさず、来た道を駆け戻った。

息を切らせて祖母に追いつき、見たものをそのまま話す。祖母は驚くでもなく、むしろ穏やかに笑った。

「それは、まるまる様が、お前に目をかけてくれたんだね」

発音できない名前

それは本当の名前ではないのだと、祖母は続けた。

本当の名は、口にしてはいけない。名前には力があって、言葉にした者から何かを奪っていく。だからみんな「まるまる様」と伏せて呼ぶのだ、と。

そう言うと、祖母は地面にしゃがみこみ、木の枝で土の上に文字を書いた。

片仮名だった。

ところが少年には、どう発音すればいいのか見当もつかない。文字の並びは日本語の音によく似ている。なのに、口の中でどう転がしてみても、その通りには発音できない。人間の声帯では出せない響きを、無理やり日本語の文字へ押し込めたような、そんな並びだったという。

「書くだけでも本当は危ないんだけどね。それでも、後の人に伝えなきゃいけないことだから」

祖母は静かにそう言って、地面の文字を足で消した。

まるまる様はどこの山にも現れるのだと祖母は語った。姿は一定しない。大きくて、苔むしていて、出会った人間が心の中で欲しがっているものを、黙って差し出してくる。祖母の祖父も、若い頃に一度だけ会ったことがあるらしい。

「貰わなくてよかったね」

祖母は変わらず笑っていた。

「ただより怖いものはないから」

少年はそのとき初めて気づいた。岩の上に積まれていたワラビは、ただの贈り物ではなかったのかもしれない。あれは、何かの契約の入り口だったのかもしれない。

洒落怖の系譜にいる一編

この話は2014年前後、いわゆる『洒落怖』に投稿された短編として流通している。「死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?」系列のスレッド群の総称だ。

洒落怖は2ちゃんねる、後の5ちゃんねるのオカルト板を発祥として、複数のPartに分かれて長期間続いた怪談投稿スレッド群だ。「きさらぎ駅」「八尺様」「コトリバコ」など、後に単独の都市伝説として一人歩きするほど有名になった作品を次々に送り出してきた。まるまる様もこの系譜に連なる一編で、原資料でも「死ぬ程洒落にならない怖い話系採録」として出典が記されている。

ただし、まるまる様固有のスレッド名、投稿日時、レス番号、投稿者名といった一次情報については、この調査の時点で独立した検証ができていない。

怪談まとめサイトの「○○様 ○○さん系」というカテゴリには同題の記事が載っていて、八尺様やテケテケ様といった「様・さん」呼称の一群と並んで紹介されているのは確認できた。ただサイト側の技術的な制約で、全文の直接引用や照合まではできなかった。

だから今言えるのは、洒落怖系のまとめサイトを通じて2ちゃんねる由来の話として伝播した、という大枠だけだ。原初のスレッドそのものへ遡るのは、今後の課題として残っている。

熊にもなるし、人型にもなる

「まるまる様」という呼び方自体が、本来の固有名詞を伏せるための代用表現だ。つまりこの話は、最初から「名付けえない存在」として設計されている。

そのせいで、語り手によって細部が大きく揺れる。

代表的なのは、姿を苔むした巨大な猿として語る型だ。ただし原話自体が「どの山にも現れ、姿も変わる」と明言している。語り手の体験や土地によって、獣の種類や大きさが変わることを最初から許容しているわけだ。

実際、猿ではなく大きな熊のような輪郭で語られることもあれば、人型に近い影として語られることもある。それでも共通しているのは二点。体表に苔や植物が生えているという異形性。そして、欲しいものを黙って差し出してくるという贈与の構造だ。

代価の内容が語られないことも、派生を生みやすくしている。原話では受け取る前に少年が逃げ帰るので、「もし受け取っていたらどうなるか」が空白のまま残る。

この空白を埋めようとして、ネット上の類話では後日談が付け足されることがある。「うっかりワラビを持ち帰ってしまった家族に不幸が続いた」「山で会った獣の贈り物を食べてしまい、原因不明の高熱に見舞われた」。ただしこれらはあくまで後発の創作的な補完で、原資料が保存する原型そのものには、受け取った後の結末は一切描かれていない。

真名の部分にも揺れがある。祖母が地面に書いた片仮名の文字列を、実際に特定の音として明かそうとする再話が一部に存在するのだ。だが原話の核心は「発音できない」という不可能性そのものにある。だから具体的な音を当てはめてしまうバージョンは、多くの語り手から「原話の恐怖を薄める改変」として敬遠されがちだ。

同じ理由で、まるまる様を山の神や既存の妖怪――山男、猿神など――の別名だと断定する再話も見かける。しかし祖母が「本当の名は言えない」と明言している以上、これも原話の設定と矛盾する後付けと考えるのが妥当だろう。

「勝手なものを拾って帰ってきちゃだめだよ」

類話として語られる山菜採りの体験談は、けっこうな数がある。

ある投稿者は、祖父母の代から通っていた山の斜面でゼンマイを採っていたときの話を書いている。少し離れた岩陰に、見慣れない獣の気配を感じた。

「振り返ったら、大きな影が茂みの奥にすっと隠れるのが見えた。灰色っぽい体に、緑っぽい染みのようなものがまだらに浮いていて、最初は苔むした岩かと思ったけど、確かに息をしているのが分かった」

投稿者はすぐその場を離れた。後になって祖母にその話をすると、返ってきたのはこれだけだったという。

「山にはそういうのがいるから、勝手なものを拾って帰ってきちゃだめだよ」

それ以上は詳しく教えてもらえなかったそうだ。

別の類話では、祖父が生前語っていた思い出が紹介される。「山の主に会った者は、その日のうちに何か一つ、欲しかったものが手に入る」という言い伝えだ。

「うちのじいさんは、会ったその日に長年欲しがっていた猟銃の弾を安く譲ってもらえたらしい。本人は偶然だと言っていたけど、婆さんはずっと“あれはまるまる様のおかげだ”と言い張っていた」

この語りが不穏なのは、代価が不在なのではなく、代価がすでに静かに支払われた後で気づく、という形になっている点だ。もらった時点で、何かは持っていかれている。

なお、山菜採りコミュニティのブログや個人サイトには、冷静な指摘も多い。苔むした動物の目撃自体は珍しくないというのだ。長雨の後、体毛が濡れて緑色の藻や苔が付着したように見えるニホンザルやツキノワグマの目撃例は実際に報告されている。こうした自然現象が、まるまる様のような怪異譚の土台になっている可能性は高い。

オチがない、と最初は言われた

洒落怖まとめを読む層の間では、まるまる様の評価は割れている。

多くの洒落怖作品は、怪異による直接的な被害や恐ろしい結末で締めくくられる。ところがまるまる様は「祖母が笑って終わる」という、奇妙に穏やかな幕切れを持つ。だから初読で「これのどこが怖いのか分からない」という感想を持たれることも少なくない。

ところが読み返すと印象が変わる。「ただより怖いものはない」という祖母の台詞が、贈与そのものへの根源的な不信感を突きつけていることに気づくのだ。じわじわ怖くなってくる。この再評価の声は考察界隈で根強い。

真名を発音できないという設定についても、面白い指摘がある。「言葉にした瞬間に何かを差し出したことになる」という語りの構造そのものが、読者に対して暗に沈黙を強いる仕掛けになっている、というものだ。読んだ者を物語の内側に引きずり込む洒落怖特有の文体。その好例として引用されることがある。

オコゼを捧げる山の神と、忌み名の文化

まるまる様という呼称そのものを裏付ける民俗資料は確認されていない。ただ、モチーフの土台には日本各地の山岳信仰が色濃く重なっている。

山の神は各地で女神として祀られていて、醜女とされる伝承が残る。そして供物として、あえて醜いオコゼの魚を捧げる風習が知られている。「見た目の異形性」と「贈与・供物」という組み合わせは、古くからの民間信仰に根ざしているわけだ。

猿の姿をした神格である猿神の伝承も見逃せない。近江国、美作国、能登国など複数の地域で確認されていて、年に一度の人身御供を求める説話や、神と巫女の婚姻儀礼に由来するという学説もある。

苔むした巨大な猿という異形。人間の欲望を見透かして贈り物を差し出すという構造。こうして並べると、山の神や猿神信仰の変奏として読める。

名前を口にすると力を奪われるという禁忌も、民俗学でいう「忌み名」の概念と深く重なる。

かつて日本では、本名を口にすることが、その人物への呪術的な支配を許すと考えられていた。だから目上の者や神仏の実名を直接呼ぶことを避け、官職名や愛称、あるいは「様」「さん」といった婉曲な呼び方で代替する文化があった。

まるまる様という呼称自体が、この忌み名の文化を怪談の形式でそのまま体現している。単なる偶然というより、日本語話者が無意識に共有している言語感覚へ、まっすぐ訴えかける設計になっている。

最後に、現実の山の話もしておきたい。山中での道迷いや滑落、熊や猿など野生動物との遭遇、私有地や入会地への無断立ち入り。どれも実際に起こり得る事故やトラブルだ。単独での奥山への立ち入りは避け、必ず複数人で行動し、天候や日没の時刻を意識した計画を立ててほしい。

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