夜、玄関のチャイムが鳴る。ドアスコープを覗くと、黒いスーツの男が立っている。季節は九月、蒸し暑い晩なのに、汗ひとつかいていない。話はそこから始まる。
蒸し暑い九月の夜に、そのチャイムは鳴った
一九七六年九月十一日、アメリカのメイン州、オールドオーチャードビーチの近く。ハーバート・ホプキンスという医師の家の電話が鳴った。夜だ。家族はたまたま出払っていて、家には彼ひとりだった。
受話器の向こうの男は、自分をニュージャージー州のUFO研究団体の副会長だと名乗った。落ち着いた声だったという。ホプキンスは当時、UFOに遭遇したと訴える人に催眠をかけて記憶を掘り起こす、いわゆる退行催眠の仕事に首を突っ込んでいた。だから「あなたの症例について話がしたい」と言われても驚かなかった。むしろ興味を持った。今から会えないか、と男は言う。ホプキンスは住所を教えた。
相手は「数ブロック先の公衆電話からかけている」と言った。
ここからが妙なんだよな。ホプキンスが受話器を置いて、玄関の明かりをつけるために廊下を歩き、ドアの鍵を開けた。その、ほんの数十秒のあいだに、もう男は玄関ポーチの階段を上がってきていたという。数ブロック先から歩いてくるには、どう考えても早すぎる。車の音もしなかった。
男は隙のない黒いスーツを着ていた。ズボンの折り目は剃刀みたいに立っていて、糊のきいた白いシャツ、黒いネクタイ、黒い靴。灰色の革手袋をはめていた。九月のメイン州の夜に、革手袋である。ホプキンスがその顔を見て真っ先に思ったのは、「毛がない」ということだった。髪がない。眉毛がない。まつげもない。肌は死人のように白く、それでいて唇だけが妙に赤かった。
あとになってホプキンスは、あれは口紅だったんじゃないかと語っている。鼻と耳が小さすぎて、耳の位置が普通より低い気がした。
男はリビングに通されると、背筋を伸ばして座った。そして前置きもなく喋りだした。声には抑揚がなかった。ゆっくりで、言葉と言葉のあいだが不自然に均等で、機械が原稿を読んでいるようだったという。ホプキンスが催眠をかけた症例の詳細を、男は知っていた。公にしていない部分まで知っていた。
会話の途中で、男はこう言った。あなたのポケットには硬貨が二枚入っていますね、と。ホプキンスは確かめた。入っていた。男は、一枚を手のひらに載せて、じっと見ていろと指示した。ホプキンスは言われた通りにした。硬貨の色が変わりはじめたという。銀色が、青みがかった色に沈んで、輪郭がぼやけて、そして消えた。手のひらには何も残っていない。男は言った。この次元では、誰も二度とその硬貨を見ることはない、と。
それから男は、バーニー・ヒルという人物の名前を出した。一九六一年にニューハンプシャー州で妻と一緒にUFOに遭遇したと訴え、その後有名になった男だ。バーニー・ヒルは一九六九年に亡くなっている。黒服の男は言った。彼は知りすぎたから死んだ、と。そして、あなたが持っている録音テープと記録を、すべて処分しなさい、と告げた。
しばらくして、男の喋り方がおかしくなった。言葉が途切れがちになり、動作が鈍くなった。そして立ち上がりながら、こう言ったという。エネルギーが切れかけている、もう行かなくては、と。玄関を出た男は、階段を一段ずつ、足元を確かめるようにゆっくり降りていった。ホプキンスは窓から外を見た。私道の先に、ぼんやりと青みがかった光が見えたという。車のヘッドライトにしては色がおかしかった。そして、それも消えた。
その夜のうちに、ホプキンスは自分の持っていた録音テープを全部処分した。UFO関連の研究からも、きれいさっぱり手を引いた。彼は生涯、この話を撤回しなかった。
そもそも、最初の黒服はどこから歩いてきたのか
この手の話には、たいてい「最初の一件」がある。MIBの場合、多くの研究者が指を差すのは一九四七年だ。
その年の六月二十一日、ワシントン州のピュージェット湾に浮かぶモーリー島の沖で、ハロルド・ダールという男が船に乗っていた。息子と、犬も一緒だったという。彼の証言によれば、頭上に六つのドーナツ型の物体が現れ、そのうち一機から金属くずのようなものが大量に降ってきた。それが船を直撃して、犬が死に、息子が怪我をした。
翌朝のことだ。ダールが港の食堂にいると、黒いスーツを着た男が近づいてきて、朝食に誘った。ダールは知らない男だった。食堂の席につくと、男は前日の出来事を細部まで正確に語りはじめた。ダールが誰にも話していないはずのことまで、だ。そして最後にこう言った。あなたが見たものについて話すな、話せば家族に良くないことが起きる、と。
これが「黒服の男が目撃者を訪ねて口止めする」という型の、記録に残るいちばん古い例のひとつだとされている。ただし、正直に言っておかないとフェアじゃない。モーリー島事件は、UFO史のなかでもとりわけ評判の悪い一件なんだよな。ダールと、彼の上司だったフレッド・クリスマンという男が持ち込んだ「宇宙船の破片」は、調べたところ製錬所から出る鉱滓、つまりただのスラグだった。
ふたりは後に、話をでっち上げたことを事実上認めたと記録されている。おまけに、この事件を調査に来た陸軍航空隊の将校ふたりを乗せた爆撃機が、帰路に墜落して二名が死亡している。これが「口封じだ」という尾ひれを生んで、話をさらにややこしくした。
つまりMIB伝説は、その出発点からして、真偽の怪しい話と本物の死者が混ざった、気味の悪い泥沼から生えているわけだ。この構図は、その後七十年以上ずっと変わらない。
一九五三年、ひとりの男が雑誌をたたんだ
MIBという概念を「UFO界隈の共有財産」にしたのは、次の一件だ。
アルバート・K・ベンダーという男がいた。コネチカット州ブリッジポートに住む、アマチュアのUFO愛好家だ。一九五二年、彼は国際空飛ぶ円盤局という団体を立ち上げた。世界初の本格的な民間UFO研究団体と呼ばれることもある組織で、会員は各国に広がり、機関誌『スペース・レビュー』を発行していた。個人の趣味の域を超えて、それなりの規模になっていた。
一九五三年の夏、ベンダーは「UFOの正体について答えを見つけた」と周囲に漏らしはじめる。十月号でそれを発表するつもりだ、と。ところが発表は行われなかった。
彼の説明はこうだ。ある日、自宅に三人の黒服の男が現れた。彼らはベンダーが原稿にしか書いていない内容を、すでに知っていた。そのうえで、お前の推論は正しい、だから公表するなと告げた。ベンダーによれば、彼らは口を動かさずに語りかけてきた。頭のなかに直接、声が響いたという。訪問のあと、彼は激しい頭痛に襲われ、三日間ほとんど動けなかった。
そして『スペース・レビュー』一九五三年十月号に、あの短い一文が載る。円盤研究に携わる者は、どうか十分に慎重であってほしい。そう書き残して、ベンダーは機関誌を廃刊にし、国際空飛ぶ円盤局を解散した。世界中の会員が置いてけぼりを食らった。
考えてみてほしい。ある団体の代表が、突然何もかも投げ出して沈黙する。理由は「三人の男に言われたから」。当時のUFO愛好家たちにとって、これがどれだけ衝撃的だったか。そこには「隠されている何かがある」という確信を燃え上がらせるのに必要なものが、全部揃っていた。空白、恐怖、そして口をつぐんだ当事者。
ベンダーは九年後の一九六二年、『空飛ぶ円盤と三人の男』という本を出して、ようやく自分の口で語った。ところが、その内容がまた輪をかけて奇妙だった。三人は政府の人間ではなく、南極の地下基地に潜む異星人で、地球の海水から特定の元素を抽出しに来ており、人間に化けるために人間を捕らえる、というような話だったんだ。あまりに荒唐無稽で、彼を信じていた人々の多くが逆に離れていった。
ベンダー自身は晩年、UFOの話題そのものを避けるようになった。
一冊の本が、彼らに黒いスーツを着せた
ベンダーの沈黙を「事件」に仕立て上げた人物がいる。グレイ・バーカーだ。
バーカーはウェストバージニア州の映画配給業者で、国際空飛ぶ円盤局の主要メンバーのひとりだった。彼は一九五六年、ニューヨークの出版社から『彼らは空飛ぶ円盤について知りすぎた』という本を出す。ベンダーの一件を軸に、UFOの真実に近づいた者が次々と沈黙させられていく様子を描いた、ノンフィクションの体裁をとった読み物だ。この本の中で、黒服の三人組は明確な輪郭を与えられた。
そして、彼らの背後にいるとされる存在に「沈黙集団」というあだ名がついた。
この本は当時ベストセラーになった。ここが決定的なところで、MIBというイメージは、体験談の積み重ねから自然発生したというより、一冊の本によって設計され、流通したんだよな。黒いスーツ、三人組、脅迫、そして誰も正体を知らない上位組織。テンプレートが完成した瞬間だった。
そしてもうひとつ、ここは正直に書いておくべきだと思う。グレイ・バーカーという人は、後年、かなりの部分を自分で創作していたことがわかっている。彼の書簡や資料は死後に図書館へ寄贈され、研究者が読める状態になった。そこから浮かび上がってきたのは、彼が仲間内で「読者はこれを丸呑みしたよ」といった調子の手紙をやり取りしていた事実だ。
一九六〇年代後半には、当時十代だったジョン・シャーウッドという若者に偽の遭遇談を書かせ、それを実話として自分の媒体に載せていたことも、後年シャーウッド本人が懐疑派の雑誌で告白している。バーカーはMIBを心底怖がっていたわけではなく、面白がっていた節がある。
ただ、これで話が終わらないのがこのテーマの厄介なところだ。テンプレートが出来上がったあと、そのテンプレート通りの体験を語る人間が、実際に大量に出てきてしまった。しかも、その中には自分の社会的立場を明らかに損なう形で語った人が何人もいる。
存在しないナンバープレートをつけた、黒い旧型車
一九六七年七月、オハイオ州トレドの話だ。
ロバート・リチャードソンという若い男が、夜、車を走らせていた。カーブを曲がったところで、道の真ん中に何かがいた。避けきれずにぶつかった。急ブレーキを踏んで停まり、外に出て確かめると、ぶつかったはずのものが消えていた。警察を呼んだが、路面にはスリップ痕しか残っていない。数日後、リチャードソンは現場に戻り、路肩で小さな金属片を拾った。
彼はそれを、当時アリゾナに本部を置いていた空中現象研究機構、通称APROに送った。
事故から三日後の夜十一時ごろ、リチャードソンの家に二人組が訪ねてきた。二十代くらいに見えたという。彼らは名乗らず、身分も示さず、十分ほど事故について質問して帰っていった。脅しめいたことは何も言わなかった。リチャードソンも身分証を見せろとは言わなかった。ただ、窓から見送ったとき、彼らが乗り込んだ車が気になった。一九五三年型のキャデラック、黒。
一九六七年に十四年落ちの高級車というのは、それだけで目を引く。彼はナンバーを控えた。後日、そのナンバーを照会してもらったところ、その番号はまだ誰にも発行されていない番号だった、という結果が返ってきたという。
さらに一週間後、今度は別の二人組が来た。こちらは最新型のダッジに乗っていた。ふたりとも黒いスーツで、浅黒い肌をしていた。ひとりは完璧な英語を話し、もうひとりには強い訛りがあった。彼らはまず、あなたは何にもぶつかっていない、と説得しようとした。それが通じないとわかると、態度を変えた。あの金属片を返せ、と。リチャードソンが「もう分析に出してしまった」と答えると、相手はこう言った。
奥さんにこれからも綺麗でいてほしいなら、金属を取り戻したほうがいい。
この事例が語り継がれるのは、細部の質感のせいだ。金属片の存在を知っていたのは、リチャードソン夫妻と、APROの上層部の二人だけだった。だから当時の関係者は、電話が盗聴されていたのではないかと考えた。冷戦のまっただ中である。荒唐無稽な想像ではなかった。
モスマンの町にも、彼らはいた
一九六六年から六七年にかけて、ウェストバージニア州のポイントプレザントという小さな町で、翼のある赤い目の怪物が目撃されるという騒ぎが起きた。のちにモスマンと呼ばれる存在だ。この騒動を現地で取材し続けたのが、ニューヨークのジャーナリスト、ジョン・A・キールだった。
キールが集めた記録の中には、モスマンそのものより不気味な話がいくつも混ざっている。彼が特に執着したのが、黒服の来訪者だった。キールは、彼らが単なる政府の口封じ役だとは考えなかった。彼の観察によれば、MIBの振る舞いは合理的な工作員のそれとは根本的に違っていた。
キールが記録した典型例はこうだ。彼らは目撃者の家に来て、まだ誰にも話していない情報を口にする。ところが同時に、日常のごく当たり前のことができない。ゼリーをフォークで食べようとする。ボールペンを初めて見る道具のように眺め回す。出されたコーヒーを、カップごと持ち上げて匂いを嗅ぐだけで一口も飲まない。ある事例では、名乗った名前が実在の人物と一致していたのに、その本人は当日まったく別の場所にいた。
キールはやがて、これらを「超地球的存在」による現象だと考えるようになった。宇宙から来た異星人でもなく、政府でもなく、人間の意識の周辺に張りついている何かが、その時代その時代の人間に理解できる姿を借りて現れている、という発想だ。中世なら妖精や悪魔として、二十世紀なら黒スーツの役人として。彼は晩年、MIBのかなりの部分は民間伝承として増殖した完全な作り話だとも書いている。
信じていたのか疑っていたのか、最後までどちらとも言えない書き方をした人だった。
なぜ彼らは、いつも「少しだけ間違っている」のか
証言をたくさん並べていくと、MIBの外見には奇妙な一貫性があることに気づく。そして、その一貫性の中身が面白い。
服は必ず黒い。スーツ、ネクタイ、靴、帽子。白いのはシャツだけ。そして決まって新品同様で、皺ひとつない。逆に言えば、着慣れていない。一九五〇年代の証言では中折れ帽が定番だったが、六〇年代後半になると帽子は消えて、代わりにサングラスが増える。つまり、彼らの服装はその時代の「怪しげな公務員」のイメージに追従しているんだよな。彼ら自身が流行を追っているというより、語り手の頭の中の型が更新されている。
肌の描写も特徴的だ。青白い、蝋のよう、死人のようだ、といった表現が繰り返される。かと思えば、逆に「異様に浅黒い」「東洋人のようでもインド人のようでもある、どこの人種とも判別できない」という証言もかなり多い。共通しているのは「見慣れた顔ではない」という感覚のほうで、色そのものではない。眉毛やまつげがない、唇だけが赤い、耳の位置が低い、というホプキンス型の描写もこの延長にある。
話し方は、抑揚がない、単調、あるいは古い映画の吹き替えみたいだ、と言われる。会話の内容も噛み合わない。挨拶を飛ばして本題に入る、質問に質問で返さない、笑わない。そして例の「電球が切れかけたような」失速。ホプキンス事件の「エネルギーが切れかけている」は、この系統の描写の代表格だ。
車は黒塗りの大型セダンで、しばしば「妙に古い年式なのに新車同然」と描かれる。リチャードソンの一九五三年型キャデラックがまさにそれだし、他の事例でも、二十年前のモデルなのにピカピカで走行音がしない、という証言がある。ナンバープレートを照会すると存在しない番号だった、という締めもテンプレート化している。
こうやって並べると、MIBの怖さの正体が少し見えてくる。彼らは「人間じゃないもの」として描かれているわけじゃない。「人間のふりをしているが、詰めが甘い何か」として描かれている。不気味の谷の話に近い。全然違うものは怖くない。ほとんど同じで、一箇所だけ狂っているものが怖いんだ。
派生その一、彼らは本物の役人だった説
MIBの解釈は、大きく四つの系統に分かれる。まず、いちばん地味で、いちばん現実味のある系統から。
これは要するに「本当に政府の人間だった」という読み方だ。冷戦期のアメリカでは、空から降ってきた正体不明の物体は、宇宙人の乗り物である前に、まずソ連の偵察機や気球でありうる案件だった。だから軍や情報機関が目撃者に接触し、写真やフィルムを回収し、口外しないよう求めるというのは、そもそも業務として自然に発生する。
実際、初期の有名な写真事件では、フィルムのオリジナルを「調査のため」と持ち去られたきり返ってこない、という話がいくつもある。
この説の強みは、目撃者が語る細部の一部を素直に説明できる点にある。黒いスーツも、当時の連邦捜査官の標準的な服装だ。黒塗りの大型セダンも政府の公用車として珍しくない。「あなたが誰にも話していないこと」を知っているのは、電話を押さえていれば済む話だ。抑揚のない喋り方は、訓練された事情聴取の口調が、素人の目には不気味に映っただけかもしれない。
弱いのは、説明できない部分の扱いだ。硬貨が消える、ナンバーが存在しない、階段の降り方が下手、といった細部は、この説では「目撃者の誇張または創作」として切り捨てるしかない。切り捨てた瞬間に、この説はMIB伝説そのものを否定する説になる。だから信奉者からは「都合の悪いところだけ無視している」と言われるし、懐疑派からは「そもそも無視していい部分だ」と言われる。板挟みの説なんだよな。
派生その二、スーツの中身は人間ではない説
次が、ベンダーが晩年に語り、キールが理論化した系統だ。黒服の中身は地球の人間ではない、という読み方。
この説の魅力は、証言の中の「変な部分」をそのまま採用できるところにある。スプーンの使い方を知らないのは、食事という習慣を持たないからだ。抑揚がないのは、人間の言語を後から学習したからだ。肌が蝋のようなのは、それが皮膚ではないからだ。エネルギーが切れるのは、この環境で人型を維持するのにコストがかかるからだ。全部つながる。つながりすぎるくらいつながる。
ただし、この説には昔から突っ込まれ続けている急所がある。星間を渡ってくるほどの技術を持つ存在が、なぜ目撃者ひとりの家に、わざわざ人間の車で乗りつけて、下手な変装で玄関に立つのか。記憶を消せる技術があるなら、玄関のチャイムを鳴らす必要がない。そして、そこまで高度なのに、なぜ二十年落ちの車種を選ぶのか。この「能力の水準がちぐはぐ」という問題は、異星人説の最大の弱点であり続けている。
もっとも、この弱点をひっくり返す解釈もある。彼らは記憶を消したいのではなく、恐怖を植えつけたいのだ、という読みだ。目的が沈黙なら、脅しは有効な手段だし、変装が不完全なほうがむしろ効く。人間ではない何かに脅されたという感覚は、洗練された脅迫よりずっと長く残るから。
派生その三、彼らは未来から来ている説
三つ目は、七〇年代以降にじわじわ広がった系統で、MIBは異星人でも政府職員でもなく、時間の別の位置から来ている存在だ、という読み方だ。
この説がしっくりくる理由は、彼らの「時代のズレ」にある。少し古い型の車。少し古い形の帽子。少し古臭い言い回し。妙に丁寧すぎる、あるいは芝居がかった話し方。まるで資料を見て服装と口調を再現したが、資料が数年から数十年ぶんずれていた、という感じ。この読みだと、彼らの服が新品同様なのも説明がつく。当時の服を「作った」からだ。
もう少しひねった版もある。彼らは歴史の記録を管理しに来ていて、UFO遭遇のように記録に残ってはいけない出来事が発生したとき、その情報の拡散を止めに来る、という発想だ。だから殺しはしない。話を広げないでくれと頼むだけで十分だからだ。硬貨を消してみせるのは、脅しであると同時に、自分たちには権限があるという証明でもある。
もちろん検証しようがない。ただ、この系統が生き延びているのは、それが現代人の不安の形にぴったり合っているからだと思う。監視されている、記録されている、そして誰かがその記録を編集している、という感覚だ。冷戦期の「政府に見張られている」が、そのまま情報化社会の「履歴を握られている」に翻訳されただけとも言える。
派生その四、映画のあとで生まれた黒服たち
そして一九九七年。ローウェル・カニンガムとサンディ・カラザーズによるコミックを原作にした映画『メン・イン・ブラック』が世界的な大ヒットになった。トミー・リー・ジョーンズとウィル・スミスの、あのサングラスとスーツだ。
この映画は、MIB像を決定的に書き換えた。それまでのMIBは、正体不明の不気味な訪問者だった。映画のあとのMIBは、機密を守る有能でスタイリッシュな組織になった。記憶を消すペン型の装置も、映画の発明だ。原典の伝承に、記憶消去デバイスは出てこない。彼らは「忘れろ」と口で言うだけだった。
面白いのはここからで、映画が定着させたイメージが、その後の「実話」の側に逆流したんだよな。九〇年代末以降にネットに現れるMIB遭遇談には、それ以前にはほとんど見られなかった要素が混ざりはじめる。サングラスを室内でも外さない。ペンのようなものを向けられて記憶が飛んだ。二人組で、片方が若く片方が年配。イヤホンをしている。これらはどれも映画の記号だ。
伝承研究の側から見ると、これは実に教科書的な現象だ。物語が現実の証言に影響を与え、その証言がまた物語の材料になる。MIB伝説は七十年かけて、自分の尻尾を食べながら成長してきた蛇みたいなものだ。そしてこの逆流は、皮肉なことに「映画以前の証言のほうが本物っぽい」という判定基準を研究者に与えてしまった。今では、サングラスが出てくるMIB談は、それだけでちょっと疑われる。
手紙の束から出てきた、三つの遭遇談
ここからは、比較的知られていない事例を三件ほど。どれも、上で見たテンプレートの部品が違う組み合わせで現れているのが面白い。
ひとつめ。一九六五年八月、カリフォルニア州サンタアナで、ある道路交通局の職員が、勤務中に円盤状の物体を目撃し、車のダッシュボードにあったカメラで三枚の写真を撮った。写真は地元紙に載り、それなりの騒ぎになった。しばらくして、彼の職場に男が現れる。男は北米航空宇宙防衛司令部、いわゆるNORADの職員だと名乗り、身分証を提示して、写真のオリジナルを「分析のため」と持ち去った。
領収書のようなものは残されなかった。オリジナルは二度と戻ってこなかった。後日、この件について地元選出の下院議員を通じて問い合わせが行われ、NORADの参謀長を務めていた将官の名前で回答が返ってきた。要旨は、NORADはそもそもUFOの評価を任務としておらず、証拠物の収集も行っていない、というものだった。つまり、名乗った男は少なくともNORADの人間ではなかったことになる。
誰だったのかは、今もわからない。
ふたつめ。ホプキンス医師の一件には、あまり語られない後日談がある。事件からしばらく経った同じ年、彼の息子夫婦のもとに、面識のない男女から連絡が入った。話がしたいから会いたい、という。息子夫婦は近所のレストランで会うことにした。現れた二人は、どこかちぐはぐだった。女性のほうは、歩き方が不自然で、脚の付け根の動きがおかしかったという。服装も、上半身は普通なのに全体としてどこか調和していない。
男性のほうはほとんど喋らず、女性が主導して質問した。その質問の内容が、いきなり露骨に性的な、しかも人間の生殖の仕組みそのものを確認するような問いだったという。息子夫婦が戸惑って言葉を濁すと、二人は席を立った。店を出ていく彼らを追って外を見ると、姿がなかった。この後日談は、恐怖よりも「気味の悪さ」の質が際立っている事例としてよく引き合いに出される。
みっつめ。日本の事例も紹介しておきたい。一九九〇年ごろ、静岡県の御殿場周辺でUFOの写真を撮ったという少年のもとに、二人組の男が訪ねてきたという話が、国内のオカルト研究者によって記録されている。男たちは身長が二メートル近くあり、黒い服を着て、玄関先でネガの引き渡しを求めた。日本の住宅の玄関に、二メートル級の黒服が二人立っている絵面を想像すると、それだけでかなり異様だ。
また、日本の実話怪談を集めた書物には、UFOを撮影した人物のところに「ブラックマン」と呼ばれる黒ずくめの人物が現れ、写真とネガを処分させた、という体験談が収録されている。日本では長らくMIBという呼称より「黒服の男」「ブラックマン」という言い方のほうが通りが良かった時期があり、その呼び名の違いにも、輸入された伝説が土着化していく過程が透けて見える。
冷戦の空気が、この話を本物っぽくした
MIB伝説が単なる与太話で終わらなかった最大の理由は、当時のアメリカに「政府は実際にUFO情報を管理していた」という動かしがたい背景があったからだ。
空軍は一九五二年からプロジェクト・ブルーブックという名前でUFO報告を集めていた。それ以前にもサイン、グラッジという名の調査計画があった。これらの計画には、真相究明という側面と同時に、社会不安の抑制という側面があった。実際、一九五三年には、CIAが招集した科学者の委員会が、UFO報道が国民の通報回線を詰まらせて防空体制の妨げになるという趣旨の勧告を出している。
つまり「国民のUFOへの関心を積極的に冷ますべきだ」という方針が、公的な場で真面目に議論されていたわけだ。
だから、目撃者のところに人が来て情報を持って帰る、というのは想像上の出来事ではなかった。実際にあった。あったからこそ、その周辺で「あれは空軍じゃなかった」という話が育つ余地が生まれた。
そして、ここが本当に興味深いところなんだけど、政府の側もMIB騒動を無視しなかった。一九六七年二月、プロジェクト・ブルーブックの広報を担当していた空軍大佐が、地方紙の取材に応じて、こういう趣旨のことを述べている。我々はこの種の事例をいくつも確認したが、これらの男たちは空軍とは一切関係がない、と。同じ一九六七年には、空軍の高官名義で各部隊に向けた通達が出されたことが知られている。
空軍将校や政府職員を装った人物がUFO目撃者に接触し、証拠品を持ち去ったり脅迫めいた発言をしたりする事例が報告されている、そうした事案を把握したら捜査機関に通報せよ、という内容だ。
この通達は、MIBが超常的存在であることを認めた文書ではない。むしろ逆で、「官憲を騙る不審者がいるから注意しろ」という、極めて実務的な警告だ。ただ、これが公文書として残っているという事実そのものが、伝説の側にとって強烈な燃料になった。政府が公式にMIBの存在を認めた、という形で引用され続けたわけだ。読み方としては明らかに歪んでいるんだけど、その歪みも含めて、この伝説の生態の一部だと思う。
もうひとつ、忘れちゃいけないのがUFO研究界の内部事情だ。五〇年代から六〇年代のUFO界隈は、複数の団体が会員と情報を奪い合う、なかなか殺伐とした世界だった。他団体の主張を潰すために「あそこは沈黙集団に取り込まれた」と噂を流す。自分の団体の権威づけのために「うちは狙われている」と匂わせる。ライバルの調査員に偽の情報を掴ませて恥をかかせる。
バーカーがやっていたことも、この文化の中に置くとそれほど例外的ではない。MIB伝説の少なくとも一部は、宇宙の謎ではなく、人間関係の副産物として生まれたと考えたほうが筋が通る。
ネットが掘り起こし、ネットが疑った
九〇年代後半以降、この伝説はネットの上で第二の人生を送りはじめる。
初期の掲示板文化では、MIBは「政府が本気で隠しているものがある」という信念とセットで語られた。テレビシリーズの影響もあって、陰謀の全体像を描く大きな物語の一部品として扱われることが多かった。日本のネット掲示板でも、UFOスレッドの定番ネタとして繰り返し登場している。
二〇一〇年代以降になると、語られ方がはっきり変わる。まず、映画の記号が混ざった体験談は、ほぼ自動的に懐疑の目で見られるようになった。動画配信の文脈では「MIBに遭遇した」と称する映像が定期的に話題になるが、その多くは撮影者が単に黒いスーツの人物を撮っているだけで、コメント欄の側が「それは近所の葬儀の帰りでは」「保険の外交員では」と冷静に突っ込む、という光景が定番になった。
考察界隈で今もっとも支持を集めているのは、たぶん「文化的テンプレート説」と呼べるものだ。人間は、説明のつかない体験をしたとき、それを語るための型を必要とする。型が用意されていれば、記憶はその型に合わせて整理される。だから、五〇年代には黒服の政府職員という型が、九〇年代にはサングラスのエージェントという型が、それぞれの時代の体験を吸い込んで形にした。
この見方の強みは、目撃者を嘘つき扱いしないで済むところにある。本人は本当に何かを体験して、本当にそう記憶している。ただ、その記憶の器は文化が用意したものだった、という説明だ。
これに対して、伝承を擁護する側からの反論もある。文化的テンプレートで説明できるのは体験の「語り方」であって、体験そのものではない。しかもMIB談には、テンプレートから外れた細部が妙に多い。テンプレートに従うだけなら、わざわざ「ゼリーをフォークで食べようとした」なんて間抜けな細部は入れない。むしろ細部の奇妙さこそが、体験の実在を示している、という主張だ。これはこれで一理あるんだよな。
心のほうから見ると、この話はどう見えるのか
反証の側も、ちゃんと厚く見ておきたい。
まず、いちばん強力な説明は睡眠に関するものだ。入眠時や覚醒時に、体は眠っているのに意識だけが起きている状態が生じることがある。いわゆる金縛りだ。この状態では、部屋の中に誰かがいるという圧倒的な確信を伴う幻覚が生じやすいことが、実験的にもよく知られている。しかもその「誰か」は、しばしば影のような、暗い人型として知覚される。
医学的には珍しくもなんともない現象で、人口のかなりの割合が生涯に一度は経験する。夜、寝室、暗い人影、動けない、脅されている感覚。MIB談の一部が、この現象の文化的な翻訳である可能性は、真剣に検討する価値がある。
次に、記憶そのものの問題だ。記憶は録画ではない。思い出すたびに再構成され、そのたびに書き換わる。誰かに詳しく聞かれると、聞かれ方に沿って細部が生成される。特に、権威ある調査者が「その男は黒いスーツでしたか」と尋ねた瞬間、記憶の中のスーツは黒くなりやすい。五〇年代から七〇年代のUFO調査は、この誘導の問題にほとんど無自覚だった。
ホプキンス医師自身が行っていた退行催眠は、まさに偽の記憶を作り出しやすい手法として、後年きびしい批判を受けている。皮肉な話だ。
三つめは、身も蓋もないが、誤認説だ。当時、UFOの目撃談が新聞に載れば、その住所を頼りに訪ねてくる人間はいくらでもいた。地方紙の記者。保険の外交員。宗教の勧誘。信心深い近所の住人。他団体のUFO調査員。そして本物の捜査官。玄関に見知らぬスーツの男が立っているという体験は、当時のアメリカでは決して珍しいことではなかった。それが「UFOを見た直後」という文脈に置かれた瞬間、意味が変わる。
何気ない訪問が、あとから振り返ると恐ろしい訪問として記憶され直す。
四つめが、民俗学からの視点だ。研究者の中には、MIBを近代の産物ではなく、はるかに古い伝承の最新形態として位置づける人がいる。黒い服を着て突然現れ、名を名乗らず、契約や約束を迫り、掟を破ると災いをもたらす存在。これは民話の中の悪魔や、異界からの訪問者の系譜そのものだ、という見立てだ。この視点に立つと、MIBが「政府職員のふりをした何か」であることに意味が出てくる。
異界の存在は、いつでもその時代の権威の姿を借りて現れるからだ。中世なら聖職者、二十世紀なら官憲。
そして最後に、創作と商売の問題がある。バーカーの本が売れた。ベンダーの本も出た。以後、MIBは書籍として、雑誌記事として、映像作品として、ずっと商品であり続けた。語れば注目される。注目されれば金になる場合もある。この構造がある限り、誠実な証言と作り話を外側から見分けるのは、ほとんど不可能に近い。
ホプキンス医師の話にしても、後年、身内にあたる人物が「あれは注目を集めたかった人の作り話だ」という趣旨の証言をしていると伝えられている。真偽を確定させる手段は、もう残っていない。
日本ではどう受け止められてきたか
日本にMIBが入ってきたのは、七〇年代のオカルトブームの時期だ。当時の児童向けの怪奇本や、UFO特集の雑誌で紹介された。ただ、初期の日本での紹介は「アメリカにはこういう怖い話がある」という距離のある扱いが多かった。宇宙人や超能力に比べると、いまひとつ主役になりきれなかった感じがある。
風向きが変わったのは、やはり九七年の映画だ。あの大ヒットによって、MIBという語は一気に一般語になった。ただしその意味は、原典の不気味な訪問者ではなく、コミカルで格好いいエージェントのほうだった。日本でMIBといえば黒スーツにサングラスのコンビ、というイメージは、ほぼこの時期に固定されている。企業のコマーシャルからカップ麺の商品名まで、パロディがあちこちに広がった。
その一方で、国内の怪談・実話怪談の文脈では、映画とは別のルートで「黒服の男」の話が語り継がれてきた。UFOの写真を撮った人物のところに黒ずくめの男が現れ、ネガを回収していく、という型の話が、複数の作家によって記録されている。日本の事例で興味深いのは、脅迫の語調がアメリカの事例より柔らかいことだ。ドスの効いた警告というより、丁重に、しかし断れない雰囲気で回収していく。
この微妙な差に、その社会が「見えない権力」をどう想像しているかが表れているようで、個人的にはかなり面白いと思っている。
なぜこの話は、こんなに怖いのか
MIBの怖さは、幽霊や怪物の怖さとは種類が違う。
まず、彼らは家に来る。しかも、忍び込むのではなく、正面からチャイムを鳴らす。こちらが自分でドアを開ける。招き入れるのは自分だ。ここが根本的にたちが悪い。怪異が家に侵入するのではなく、こちらが手続きに従って通してしまう。
次に、彼らは危害を加えない。殴らない。殺さない。ただ、こちらの生活のどこを押せば効くかを正確に知っている。奥さんが綺麗なままでいてほしいなら、という言い方は、直接的な脅しよりずっと後に残る。何をされたわけでもないのに、その日から日常の見え方が変わってしまう。
そして、彼らは記録を持って帰る。写真、ネガ、テープ、金属片。証拠が消えることで、体験者は「証明できない体験をした人」になる。周囲からは信じてもらえず、本人の中にだけ確信が残る。これはある意味、最も残酷な処理の仕方だ。存在を消すのではなく、証言能力を奪う。
さらに言えば、この話は「あなたが誰にも話していないことを、彼らは知っている」という一点を核にしている。この核があるかぎり、MIB伝説は時代が変わっても賞味期限が切れない。電話の盗聴が怖かった時代には盗聴の話として、通信履歴が残る時代には履歴の話として、同じ恐怖を運べる。器が変わるだけで、中身はずっと同じだ。誰かがこちらを見ていて、こちらは相手を見られない。
それが理解できる形で玄関に立つと、黒いスーツになる。
結局この伝説は、UFOの話ではなかった
ここまで書いてきて、あらためて思うことがある。MIB伝説というのは、たぶん「UFOの話」ではないんだよな。UFOはきっかけにすぎない。この伝説の本体は、目撃という個人的な体験が、社会の側からどう扱われるかという問題のほうにある。
考えてみてほしい。MIBが現れるのは、いつも目撃の「あと」だ。空に何かを見た瞬間ではなく、それを誰かに話そうとした瞬間に彼らは来る。写真を現像に出したあと。新聞社に電話したあと。研究団体に手紙を書いたあと。つまり彼らは、体験そのものではなく、体験が情報になり、流通しようとする段階を狙って現れる。この構造は徹頭徹尾、情報の管理をめぐる物語だ。
宇宙人が地球に来ているかどうかという問いとは、実はほとんど関係がない。
だからこそ、この伝説は七十年以上も鮮度を保っていられたのだと思う。空飛ぶ円盤という言葉は古びた。銀色の円盤に乗った金髪の金星人という五〇年代のイメージは、今ではノスタルジーの対象でしかない。ところが黒服の男は古びていない。むしろ、時代が進むごとに実感が増している。自分の発言が誰かに記録されている、こちらの知らないところで自分に関する情報が処理されている、証拠を提示しても信じてもらえない立場がある。
こういう感覚は、五〇年代より今のほうが遥かに強い。MIBは冷戦の産物として生まれたが、冷戦が終わっても消えなかった。それは、彼らが担っていた不安が冷戦固有のものではなかったからだ。
証拠がないことが、そのまま証拠になる構造
この伝説の構造で唸らされるのが、証拠と信憑性の関係だ。普通の怪談では、証拠がないことは話の弱点になる。ところがMIB伝説では、証拠がないこと自体が話の一部になっている。写真が消えたのは彼らが持って帰ったからだ。テープが残っていないのは処分させられたからだ。記録がないことが、逆に彼らの実在を裏づける材料として機能してしまう。この構造は、反証がそのまま補強に変換されるという意味で、非常に強靭だ。
強靭だからこそ、学問的には扱いにくい。何を示せば否定したことになるのかが、原理的に決まらないんだよな。
ただ、そのことをもって「だから全部でたらめだ」と言い切るのも、たぶん雑すぎる。この伝説の周辺には、確かに現実の出来事が転がっている。政府がUFO情報を管理しようとしたのは事実だ。目撃者から資料が回収されて戻らなかった事例があるのも事実だ。官憲を騙る人物への注意喚起が公文書として出たのも事実だ。事実の骨組みがあって、そこに創作と誤認と誘導と商売が、七十年ぶんの層になって降り積もっている。
層をひとつずつ剥がしていくと、いちばん下に何か硬いものが残るのか、それとも層しかないのか。今のところ、誰も底まで掘れていない。
個人的に、この題材でいちばん心に残っているのは、ホプキンス医師が最後まで話を変えなかったという点だ。彼はこの話をして、医師としての信用を確実に減らした。得たものはほとんどない。それでも撤回しなかった。もちろん、それは彼が正直だったことの証明にはならない。人は嘘を撤回できずに一生を過ごすこともあるし、身内による否定的な証言も伝えられている。
だが、この伝説の証言者たちの多くが、語ることで得より損をしているという傾向は、統計的に見ても無視しづらい。ベンダーは団体を失った。リチャードソンは平穏を失った。彼らが何を体験したのかはわからない。ただ、何かを体験したと信じ込むだけの出来事が、それぞれの人生の中で確かに起きたのだろうとは思う。
そして、この記事を読み終えたあなたに残るのは、たぶん結論ではなく、感触のほうだと思う。夜、玄関のチャイムが鳴る。ドアスコープを覗く。誰かが立っている。その人が黒いスーツを着ていて、季節に合わない格好で、汗をかいていなかったとして、あなたはドアを開けるだろうか。開けないとして、その判断の根拠は何だろうか。
この伝説がいまだに機能しているのは、まさにその一瞬、ドアの前で人間が確信を持てないという事実にかかっている。彼らが本当にいるかどうかより、いるかもしれないと一瞬でも思ってしまう自分のほうが、たぶんずっと厄介なんだ。
最後に、ひとつだけ書き添えておきたい。この種の話を扱うとき、実在の人物や組織を犯人扱いするのは絶対に避けるべきだと思っている。名前が残っている人たちは、多くがもう反論できない。彼らが嘘をついたのか、誤解したのか、本当に何かに出会ったのか、確定させる手段はもうない。
わかっているのは、この物語が七十年以上にわたって形を変えながら生き延びてきたという事実と、それがこれからも当分死にそうにないという事実だけだ。今夜も世界のどこかで、誰かの家のチャイムが鳴っている。たぶん宅配便だ。たぶん、ね。
