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新宿西口・池袋サンシャインの「無風ゾーン」都市伝説を検証する――ビル風工学と「気が淀む地」信仰の交差点

台風の夜、風が止まった

台風が接近していた晩、新宿西口の高層ビル街を仕事帰りの男性が歩いていた。都庁方面から新宿中央公園へ抜けようとしたとき、それまで全身を叩きつけていた強風が、ある十字路を境にぴたりと止んだという。

周囲の街路樹の枝は激しく揺れ、遠くのビルの谷間ではゴウゴウという風切り音まで聞こえている。それなのに自分が立っている数メートル四方だけが、真空の泡に包まれたように静かだった。

不自然さに気づいた男性は足を止め、確かめるつもりでライターを出して煙草に火をつけてみたらしい。炎はまったく揺れず、真っ直ぐ立ち上ったという。

動けなくなった数十秒

妙な胸騒ぎを覚えた男性は、なぜかその場から動けなくなった。数十秒ほど立ち尽くし、それから逃げるようにその場を離れる。後日、地元の年配住民にこの話をしてみた。

返ってきた言葉が効いている。「ああ、あそこは昔から風が通らない場所だ」。あまり長居しない方がいい、と意味深に付け加えられたという。

池袋サンシャイン版

池袋バージョンはもっと具体的だ。サンシャイン60の足元、東池袋中央公園に近い一角に「まったく風の抜けない三角形のエリア」があるとされる。そこは巣鴨プリズンの処刑場があったとされる場所に近い。

噂では、その一角へ足を踏み入れると異変が起きるという。真夏でも急に肌寒く感じる。耳鳴りのような違和感を覚える。そんな体験談が繰り返し語られてきたわけだ。

ある会社員女性の話として広まっているバージョンもある。閉店間際のサンシャインシティ地下から東池袋中央公園方面へ抜けようとしたときのことだ。公園の入口に近づくにつれ、周囲の音がすっと消えていった。

自分の足音だけが異様に大きく聞こえ、振り返っても誰もいない。それなのに後ろから見られているような視線を感じて、走って公園を通り抜けたという。公園を出た途端に再びビル風がまともに吹きつけてきて、その落差に鳥肌が立ったと語っている。

ビル風の裏側にあるもの

ここからは工学の話になる。日本建築学会は1997年度に「風環境数値計算WG」を発足させた。2007年には「市街地風環境予測のための流体数値解析ガイドブック」も刊行している。

都心部の強風には、主な原因が二つある。ビルとビルの隙間を風が加速して抜ける「谷間風」と、上空の強風がビルに当たって地上へ吹き下ろす「ダウンウォッシュ」だ。どちらも高層ビルが密集した場所で起きる。

この二つには必ず反作用がついてくる。建物の陰になる区画や、複数のビルが風を遠ざけてしまう区画だ。こうした「弱風域」がどこかに必ずできることは、専門の分野ではとっくに分かっている。

風が強くなる場所を計算すれば、風が弱くなる場所も同時に出てくる。同じ計算の表と裏だからだ。強風だけを取り出して弱風を無視するほうが、むしろ不自然な読み方になる。

ベンチマークになった新宿副都心

新宿副都心の高層ビル群は、日本建築学会の風環境検証用データベースへも登録済みだ。ベンチマークテスト事例、Case F。複雑な形状の建物が入り乱れるエリアとして、学術的にも注目されてきた場所になる。

別の検証事例もある。ソフトウェア企業SimScaleが東京都中野区の中野坂上を対象に行った風環境シミュレーションだ。山手通りと青梅街道の交差点付近では風速が大きくなる一方、交差点から離れた住宅地区は快適な弱風域になることが確認されている。

強風の日でもここだけ風がない。その体感は、ビル風現象の裏面として建築工学上はありふれた話でしかない。

もっとも、ありふれていることと不気味でないことは別だ。理屈を知っていても、台風の夜に自分だけ風の外へ弾き出されたら、やっぱり足が止まる。体感のほうが理屈より先に来る。

気が淀む地という受け皿

土地の話も絡んでくる。新宿西口は江戸時代の甲州街道の宿場町、池袋は雑司ヶ谷の寺社地帯として発展した土地だ。風水思想では古くから、風通しの悪い湿地や谷間が「忌地」や「ケガレ地」として避けられてきた。

逆の受け取り方もあった。風が充分に回らない静謐な場所を「神の休む場」として神聖視する地域信仰も存在する。恐れるか敬うかの違いはあっても、風の止まる場所をわざわざ特別扱いする点だけは共通している。

高層ビル群が人工的に作り出す無風ゾーンと、江戸期の土地観に直接の因果関係はない。それでも「風が止まる場所には何かある」という直感は、時代をまたいで生き残った。

熱がたまる場所でもある

ヒートアイランド現象との関連も指摘されている。風が止まる地点では熱気や湿気が滞留しやすく、真夏の日中は体感温度が上がりやすいことも古くから知られていた。

国土交通省の3D都市モデルPLATEAUを使った実証実験もある。高層建物が密集するエリアでは鉛直方向の風速分布が大きくなり、住宅地へ強風を吹き込ませない対策が必要とされた。風環境シミュレーションは再開発時に義務化されている。

問題は既存のビル群だ。新宿西口や池袋のような場所では、建設当初に想定されていなかった風の死角が後から生まれている可能性もある。

後から死角ができたとしても、誰かが責任を取る話にはなりにくい。当時の基準で建てられたビルは、当時の基準で合格していたからだ。変わったのは住民の体感のほうだった。

噂が育った場所

この話がどこから来たのかも、はっきりしない。心霊スポット系の個人サイトや、2000年代から続くオカルト系まとめブログ。ビル風の話題のついでに語られることが多い噂だった。

テレビの心霊特番で大きく扱われたこともなければ、ベストセラーのオカルト本に載ったわけでもなかった。都市伝説としての体裁は、わりと新しい部類に入る。

新宿駅の地下を彷徨う都市伝説を扱う個人ブログ、AIチャットボットに新宿の都市伝説を尋ねてみるnote記事、新宿の歴史散歩系コンテンツ。その周辺で、ビル風と気の淀みと浄水場跡地と処刑場跡地が渾然一体になって語り継がれてきた。

いわば合成型の都市伝説だ。どのスレッドの何番目のレスで生まれたか、という明確な初出は確認できない。複数の実話怪談が寄り集まって一つに育つ現象自体が、ネット怪談の典型的な成長パターンでもある。

気を吸われる場所説

派生バージョンも面白い。一部のオカルト系ブログでは、無風ゾーンを気象現象ではなく「生気を吸い取る場所」として語る。長時間留まった人は原因不明の頭痛や倦怠感に襲われ、まれに金縛りに遭うとされる。

語り手の説明はこうだ。風水でいう「殺気」や「陰の気」が、風で循環されずにその場へ滞留し続ける。江戸期にその土地で処刑や不幸な死があった場合、その因縁が高層ビルの谷間に閉じ込められて凝縮されていく。

新宿西口の場合は、もっと巧い言い回しが用意されている。明治以降、この一帯は淀橋浄水場という巨大な浄水施設だった。移転後の再開発で高層ビル街が生まれた。元は水が滞留する場所だった土地に、今度は風が滞留する場所ができた、という語り口になる。

ビル風監視員の噂

もう一つの派生が、ビル風監視員の話だ。新宿西口の高層ビル群には、かつて「ビル風による事故を監視するための係員」が非公式に配置されていたという噂になる。

下敷きになった事実そのものはある。高層ビル周辺で強風による転倒事故や看板落下事故が相次ぎ、それが日本建築学会の風環境シミュレーション重視につながった。ここに尾ひれがつく。

無風地帯の近くでは、逆に風が強すぎる場所で事故が起きた記録がある。その事故を隠すために、無風地帯の存在があえて噂として流されている。陰謀論寄りの語りへ発展したバージョンだ。

この派生では、無風ゾーンは自然現象ではなくなる。ビルの設計段階で意図的に作られた「風除けの死角」。立ち入った人が体調不良を訴えても、企業側は公式に認めていない。そういう構図が強調される。

オカルト勢と理系勢

匿名掲示板やまとめサイトでは、この手の「実在する場所で体験できる不思議」がとにかく人気を集める。「今度新宿西口通るとき試してみる」「池袋サンシャインの噴水広場付近、そういえば風感じたことないかも」。追体験を誘うコメントが定番だ。

現地で風速を体感してみたという書き込みも、定期的に投稿される。一方で理系寄りのユーザーからは冷静な指摘が必ず付く。谷間風の反作用でどこかに弱風域ができるのは当たり前、シミュレーションを見れば速攻で説明がつく。

どちらの側も、相手を言い負かすつもりはあまりないように見えた。理屈で説明がつくことと、現場で気味が悪いことは、そもそも別の話として扱われている。

応酬はほぼテンプレート化している。台風が近づくたび、SNSには新宿西口や池袋周辺の体感を報告する投稿が散発的に現れる。足を運んで確かめられるタイプの噂であることが、拡散力を支えてきた。

浄水場の跡地に建った街

土地の履歴も押さえておきたい。新宿西口の高層ビル街は、明治31年に完成した淀橋浄水場の跡地に築かれている。浄水場は1965年に東村山へ移転し、その跡地へ新宿副都心計画のもとで超高層ビルが次々と建った。

水はけの悪い低地だったという記憶と、摩天楼が作り出す谷間風と弱風域という気象現象。この二つが重なったところに、無風ゾーンの噂の下敷きができあがっている。

浄水場の時代を知る人は、もうそれほど多くない。それでも土地の由来だけは、噂の部品として何十年も生き延びてきた。地面の下に何があったかという情報は、たぶん建物の高さより長持ちする。

サンシャイン60と巣鴨プリズン

池袋側の履歴はもっと重く、サンシャイン60は戦後の巣鴨プリズンの跡地に建設された。東条英機ら7名を含むA級戦犯やB・C級戦犯が刑を執行された場所として知られている。

ビルの高さが60階であることと処刑者の数を結びつける「サンシャイン60=墓標」説は、都市伝説界隈では極めて有名なテーマだ。無風ゾーンの噂も、この巨大な文脈へ吸い込まれて語られてきた。

つまりこの都市伝説はハイブリッドになる。ビル風という実在の気象現象と、浄水場と処刑場という実在の土地の記憶。まったく別の二つの実在要素が組み合わさって生まれた。

外れようがない噂

この都市伝説には、他にはない強みがある。現地に行けば確かめられる。

心霊スポットの怪談は、行っても何も起きないことが多い。無風ゾーンは違う。台風の日に新宿西口を歩けば、風の当たらない場所は必ずどこかに見つかる。そこで噂は当たったことになる。

理由は超常的なものではない。高層ビル群があれば弱風域は必ずどこかにできてしまうし、谷間風の裏返しである以上、物理的に避けようがないというだけの話だ。

一角がどこかは言わない

巧妙なのは言い方のほうだ。「特定の一角に風が吹かない」とだけ言い、その一角がどこかは指定されていない。だから探せば必ず見つかる。

見つけた人が、あったと報告する。噂が補強される。検証可能に見えて、実は反証できない。占いが当たる仕組みと同じ構造だ。

なぜこの二か所だったのか

もうひとつ気になるのが、選ばれた場所だ。新宿西口は淀橋浄水場の跡地。池袋サンシャインは巣鴨プリズンの跡地。どちらも、まったく別のものを更地にして建て直した場所になる。

東京には高層ビル街が他にもある。汐留、六本木、丸の内、大手町。同じようにビル風が吹き、同じように弱風域ができているはずだ。それなのに噂が定着したのは、この二か所だった。

理由は風のほうにはない。土地の履歴のほうにある。前に何があったか説明できる場所は、怪談の受け皿になりやすい。

水が滞った土地、人が死んだ土地。日本の怪談がいちばん好む素材だ。順番はこうなる。ビル風はどこでも起きる。物語になったのは、前歴のある土地だけだった。

数字合わせが効く理由

サンシャイン60が60階で、巣鴨プリズンで処刑されたA級戦犯が7名。この二つに関係はない。それでも墓標だという語りは定着した。

効くのは、検証の手間が異常に安いからだ。60階建て、7名。どちらも一秒で確認でき、読者は自分で確かめた気になった。

確かめたのは数字であって、因果関係ではない。この手の話が強いのは、嘘をついていないからでもある。60階も7名も、どちらも動かしようのない事実だった。並べただけで、何も主張していない。

主張していないから、反論もされない。都市伝説がいちばん強いのは、断定を避けて事実だけを並べたときだ。

無風ゾーンの噂も、結局はそこへ落ち着く。風が止まる場所は本当にあるし、その土地に前歴があったことも本当だった。二つを並べて、あとは読む側の想像に任せてしまう。

証明も反証もされないまま、台風のたびに誰かが確かめにいく。そうやって噂は更新されていくのだろうね。

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