七月のイギリス南部。夜明け前の空はまだ紫がかっていて、麦畑は一面、腰の高さの金色の海になっている。風が抜けるとザーッと波打つ。その音しかしない。
で、丘の上まで登って振り返った瞬間、視界の真ん中に「そこにあるはずのないもの」が浮かんでいる。
円だ。それも一つじゃない。大きな円のまわりに小さな円がぶら下がって、細い線が畑を横切って別の円につながっている。昨日の夕方、ここを通ったときには何もなかった。断言できる。なのに今、そこにある。
これがミステリーサークルだ。英語だとクロップサークル、つまり「作物の円」。日本語の「ミステリーサークル」という呼び名のほうが、正直、現象の空気をよく捉えていると思う。だってミステリーそのものなんだから。
ここでは、この現象の全部を書く。どう見えるのか、いつ始まったのか、誰が作ったと名乗り出たのか、名乗り出たあとも、なぜ止まらなかったのか、そしてなぜ人は「作り物だと分かってから」も、まだこれを追いかけているのか。長くなるけど、付き合ってほしい。
夜明けの麦畑で、人は実際に何を見ているのか
サークルの中に足を踏み入れた人がまず驚くのは、大きさじゃない。倒れ方だ。
麦がバキバキに折れているわけじゃない。地面から数センチのところで、まるで誰かが手のひらでゆっくり撫でつけたみたいに、一方向にぺたんと寝ている。
しかも寝方に秩序がある。中心から外へ渦を巻いていたり、時計回りに何層も重なっていたり、隣り合った区画で倒れる向きが正反対だったり。編み込みみたいに互い違いに重なっている場所もある。
手で持ち上げると、茎はまだ生きている。青い。折れていない。数日経つと、寝たまま日光のほうへ茎の先だけ起き上がってくる。この「生きたまま寝ている」感じが、たぶん一番、人の理性をぐらつかせる。
音のことを言う人も多い。サークルの中に入った瞬間、耳鳴りがしたとか、圧が抜けたみたいな感じがしたとか。コンパスが狂った、カメラのバッテリーが一気に落ちた、携帯が圏外になった、そういう証言はいくらでもある。
もちろんこれらは、興奮して汗をかいた人間の身体が起こしていることや、そもそも古い電池だったという説明でだいたい足りる。でも、その場に立っている人にとって、説明が足りているかどうかは正直どうでもいい。目の前に、直径六十メートルの正確な円がある。その事実の重さのほうが勝ってしまう。
規模の話もしておこう。
初期のものは直径十メートル前後の、ただの円だった。それが八〇年代後半には、中心の円のまわりに四つの小さな円が等距離で並ぶ「五点形」になり、九〇年代には長さ二百メートルを超える帯状の図形になり、九〇年代後半には百五十個以上の円で構成される数学的なフラクタル図形になった。
畑一枚をまるごと使う。地上に立つと全体像は絶対に見えない。上から見て初めて「うわ」となる。この、地上からは把握できないという性質そのものが、この現象を特別なものにしている。誰に見せるために作ったんだ、という問いが自動的に立ち上がるからだ。
そもそもいつから麦畑は倒れていたのか
古い話から行こう。
一六七八年、イギリスで「悪魔の草刈り人」というパンフレットが出回った。畑の中で悪魔が鎌を振るって円形にオート麦を刈っている木版画が載っている。これをミステリーサークルの最古の記録だと紹介する記事は多い。ただ、正直に言うと、これは労働争議の風刺という読み方のほうが自然で、現代の現象とつなげるのはちょっと無理がある。
もっと真面目な記録は一八八〇年、科学誌ネイチャーに載ったジョン・ランド・カプロンの投書だ。サリー州で作物が円形に倒れているのを見つけ、旋風の仕業だろうと書いている。一九三二年には考古学者のE・C・カーウェンが、チチェスター近郊で大麦が円く伏せているのを観察している。
つまり「畑が円く倒れる」こと自体は昔からあった。
だが、現代の現象の起点はもっとはっきりしている。一九七〇年代のイングランド南部、ウィルトシャー州とハンプシャー州だ。特にハンプシャーのウィンチェスター近郊、チーズフット・ヘッドと呼ばれる、すり鉢状にえぐれた丘の斜面。地元では「悪魔のパンチボウル」と呼ばれる地形で、道路から見下ろすと畑全体が一望できる。
ここで、単純な円が現れ始めた。一九七六年頃だ。最初は誰も騒がなかった。畑が倒れたな、で終わっていた。
流れが変わったのは八〇年代に入ってからだ。一九八〇年、ウィルトシャーのウェストベリー、丘に白馬の地上絵が刻まれたブラットン城の下の畑で、複数の円が見つかり、地元紙が報じた。ここから「クロップサークル」という言葉が定着していく。
この頃、気象学者のテレンス・ミーデンが「地形の影響を受けた旋風が円を作る」という説を提唱した。丘陵の風下にできる渦が作物を倒すのだ、と。悪くない仮説だった。少なくとも、円が本当にただの円だった間は。
そして一九八四年、イースト・サセックスのアルフリストン近郊、当時の大物政治家デニス・ヒーリーの家の近くに、中心の円と四つの衛星円からなる五点形が現れる。ここでメディアが一気に食いついた。UFOの着陸痕にしか見えなかったからだ。
八〇年代後半、パット・デルガドとコリン・アンドリュースという二人の研究者が本を出し、「サーコロジー」ないし「セリオロジー」と呼ばれる研究ジャンルが生まれた。一九八九年にはウィンターボーン・ストークで、円の内部が四分割されて放射状の骨組みを持つ、明らかに「デザイン」された図形が出た。
ここまで来ると、渦では説明がつかなくなってくる。
板とロープと、野球帽についた針金
一九九一年九月、イギリスの新聞トゥデイが、とんでもないスクープを打った。ミステリーサークルは俺たちが作った、と名乗り出た男が二人いる、と。
サウサンプトン在住の風景画家ダグ・バウアーと、その飲み仲間だったデイヴ・チョーリー。当時どちらも六十代だった。
二人が語った経緯は、拍子抜けするほど身も蓋もない。
きっかけは一九六六年、オーストラリアのクイーンズランド州タリーで起きた事件だ。農夫が沼から円盤形の物体が飛び立つのを見たと証言し、あとに残った葦の倒伏が「ソーサー・ネスト」つまり空飛ぶ円盤の巣として報じられた。バウアーはオーストラリアに住んでいた時期にこの話を知っていた。イギリスに戻って、行きつけのパブでチョーリーと飲みながら、ふと言った。あれ、この辺の畑でやったら面白くないか、と。
やり方は本当に単純だった。
長さ一メートルほどの板の両端にロープを結んで輪にする。ロープを手で持ち、板を足で押さえながら前に進むと、麦がきれいに寝る。円を出すときは中心に杭を打ってロープを張り、それを半径にして回る。夜の畑で真っ直ぐ歩くために、野球帽のつばに針金の輪を取り付けて照準器にした。遠くの木や電柱を輪の中に入れて歩けば、暗闇でも直線が引ける。
道具はこれだけだ。畑に入るときはトラクターが通った轍を歩き、足跡を残さない。
最初の数年、二人が作った円は完全に無視された。誰も騒がない。バウアーは後年、あの頃が一番つらかったと語っている。せっかく夜中に畑を這い回っているのに、新聞が一行も書いてくれない。
それが五点形を発明したあたりから急に世間が食いつき始めた。そして、テレンス・ミーデンの渦説が有力になってくると、二人はわざと渦では絶対に説明できない形を作るようになる。円の外側にもう一つ輪を重ねる。直線を引く。四角を出す。
バウアー本人の言葉として「ミーデン博士を片付けるために、円の外にもう一つ円をつけなきゃならなかった」というものが残っている。仮説と悪戯が、互いを吊り上げ合っていたわけだ。
十三年で二百以上。それが二人の自己申告だった。家庭内では別の問題も起きていた。バウアーの妻が、車の走行距離が夜のあいだに妙に伸びていることに気づいて、浮気を疑ったという話がある。そのへんのばかばかしさが、逆にこの告白の生々しさを支えている。
告白の日、専門家が「これは本物だ」と言ってしまった
トゥデイ紙は、告白をただ記事にするだけでは弱いと考えた。そこで実演をさせた。
バウアーとチョーリーに、記者の見ている前で畑に一つ作らせる。そのうえで、当時もっとも名の知られたサークル研究者の一人だったパット・デルガドを現場に呼び、これは本物かどうか鑑定させた。
デルガドは畑に立ち、倒れた麦を見て、こう言った。人間には絶対に作れない。これは本物だ。
そのあとで、実は仕込みですと明かされる。
デルガドの表情がどうだったかは、写真でしか知りようがない。この一件は、彼のキャリアにとって、そして「サークル研究」というジャンル全体にとって、決定的な打撃になった。専門家が本物と太鼓判を押した形が、板とロープで一時間ちょっとで作られたものだったのだから。ちなみにデルガド自身はその後も研究を続けたが、この場面はいまだにあらゆる記事で引用され続けている。ちょっと気の毒ではある。
しかも、その前年の一九九〇年には別の大恥事件が起きていた。
コリン・アンドリュースとパット・デルガドが主導し、イギリス陸軍が協力し、BBCと日本のテレビ局が資金を出した大規模な監視作戦、通称「オペレーション・ブラックバード」だ。ウィルトシャーの丘に監視機材を並べ、赤外線カメラで畑を一晩中見張る。
七月二十五日の夜、隣の畑にオレンジ色の光が明滅するのを観測した。翌朝、そこには二つの大きな円と、それをつなぐ平行線ができていた。アンドリュースは意気揚々と発表した。歴史的瞬間だと。
ところが円の中を調べると、そこには星占いのボードゲームの盤と、木でできた十字架が置かれていた。仕込みだ。誰かが真夜中に畑に入って、監視チームの目の前で作り、ご丁寧に土産まで残していった。オレンジ色の光は、走り回っていた人間の体温だった可能性が高い。
生中継に近い形で放送されていたので、この失敗は全国に伝わった。アンドリュースは「我々の研究は後退させられた」と語った。
犯人が判明したのに、なぜ現象は終わらなかったのか
普通ならここで話は終わるはずだ。犯人が名乗り出て、実演までして、専門家を騙し切った。事件解決、閉店。
なのに、終わらなかった。それどころか一九九一年以降、サークルは増えた。しかも巨大化し、複雑化した。
二〇〇一年頃までに、世界中で約一万件が報告されている。イギリスだけじゃない。旧ソ連圏、アメリカ、カナダ、そして日本。バウアーとチョーリーは当時六十代の二人組で、南イングランドの限られた範囲でしか活動していない。彼らがドイツやカナダの畑まで出張していたはずがない。
理由ははっきりしている。模倣だ。
告白は「これは謎ではない」という証明であると同時に、「こんなに簡単に作れるのか」という技術公開でもあった。板とロープと帽子。これなら俺にもできる、と思った人間が世界中にいた。しかも作れば新聞に載る。テレビが来る。ヘリコプターが飛ぶ。これほど反響の大きい遊びは、そうそうない。
オレゴン大学の物理学者リチャード・テイラーは、この現象を「クロップアートの第二波」と表現した。謎の解明が、ジャンルの誕生になってしまったのだ。
一九九二年には、この流れを決定づける出来事があった。バークシャーで、賞金三千ポンドをかけたサークル制作コンテストが開かれたのだ。七月十一日から十二日にかけての一夜勝負。参加した十二チームのうち十一チームが、指定されたデザインをちゃんと再現してみせた。優勝したのはヘリコプターメーカーの技師三人組で、ロープ、塩ビパイプ、板、紐、伸縮式の測量器具、そして脚立二台を使っていた。
人間に作れるかどうかという議論は、この時点で完全に終わった。作れる。それも一晩で、けっこう綺麗に。
二〇〇二年にはディスカバリーチャンネルがMIT出身の航空工学の若手を集め、「本物にしかない特徴」とされていた要素をどこまで再現できるかという企画をやった。結果は番組になった。
一晩で百五十以上の円が出た夜――ジュリア・セット一九九六
告白後の時代で、いちばん語られている形がこれだ。
一九九六年七月七日、ストーンヘンジのすぐ向かい側、道路一本を挟んだ畑に、巨大な渦巻きが現れた。中心から外へ弧を描きながら、大小の円が数珠のように連なっていく。数学のジュリア集合、フラクタル図形にそっくりだった。だから「ジュリア・セット」と呼ばれる。
この形が伝説になったのは、デザインの美しさ以上に、目撃証言の中身のせいだ。
近くの飛行場からセスナで飛んだパイロットが、午後の早い時間にストーンヘンジ上空を通ったときには畑には何もなかった、しかし数十分後に戻ってきたらそこに完成していた、と証言した。
しかもストーンヘンジは世界屈指の観光地だ。夏の午後、駐車場には車が並び、遺跡には人がびっしりいて、隣を幹線道路が走っている。その真ん前で、白昼堂々、誰にも見られずに百五十以上の円を作るなんて不可能じゃないか。これが「ジュリア・セットは本物だ」派の主張の核だった。
ところが、この話をきちんと追いかけると、証言のほうがぐらぐらしている。
作られたとされる所要時間は、調べる資料によって十五分から四十五分まで振れる。パイロットの名前すら、記事によって違う名前で書かれている。飛んだ時刻も、目的も、同乗者の人数も、資料ごとに食い違う。形のサイズに至っては、全長が百五十二メートルと書く資料もあれば二百八十メートルと書く資料もあり、円の数も百四十九個から二百十二個まで幅がある。
渦を巻いた状態の長さと、渦をほどいたときの長さを混同したまま孫引きが続いた結果らしい。
さらに、円の中心点を全部拾って作図してみると、幾何学的にはけっこう歪んでいることが分かる。地上を歩いていて気づくレベルではないが、「人間には不可能な精度」と言えるほど正確ではない。夜のうちに作られ、朝から午後にかけて誰も畑のほうを見ていなかっただけ、と考えれば筋は通る。ストーンヘンジに来た観光客は遺跡を見に来ているのであって、向かいの麦畑をじっと観察しているわけじゃない。
それでも、この形は美しい。作った人間が誰であれ、あれを一晩で描き切った技術と胆力は本物だ。そこは素直に讃えていいと思う。
「返事」が返ってきた――二〇〇一年チルボルトン
ここからが、この現象のいちばん狂っている部分だ。
一九七四年、プエルトリコのアレシボ天文台から、フランク・ドレイクとカール・セーガンらが宇宙に向けて電波信号を送った。アレシボ・メッセージと呼ばれるやつだ。
内容は千六百七十九ビットの二進数で、素数の二十三と七十三の積になっている。だから七十三行二十三列の格子に並べ直すと絵になる。並べると、生命に必須の元素の原子番号、DNAの二重らせん、ヌクレオチドの数、当時の地球人口、人間の姿と身長、太陽系の並びと地球の位置、そしてアレシボ望遠鏡の形が現れる。宛先は球状星団M13。距離およそ二万五千光年。
二〇〇一年八月二十一日、ハンプシャー州のチルボルトン電波天文台のすぐ横の畑に、その格子図形が現れた。ドット絵として。しかも、内容が書き換えられていた。
元素のところには、炭素に加えてケイ素が足されていた。DNAは二重らせんではなく、三本目の鎖が加わっていた。ヌクレオチドの数も増えていた。人口を示す数値は、地球の六十億に対して、二百億を超える数になっていた。太陽系の図では、地球の位置ではなく、別の三つの惑星が強調されていた。人間の姿は、頭が異様に大きい、いわゆるグレイ型の姿に置き換わっていた。
そして最後、アレシボ望遠鏡の絵は、正体不明の別の構造物に差し替えられていた。
おまけに、同じ畑の同時期には、人間とも宇宙人ともつかない「顔」を、新聞の網点印刷のように点描で描いた別の形も出ていた。
見た瞬間ぞっとする出来だ。
ただし、冷静に考えると論理が破綻している。一九七四年の信号がM13に届くのは、あと二万四千七百年ほど先だ。返事が二〇〇一年に届くはずがない。しかも送信ビームは月の見かけの直径の十五分の一より細い。たまたま通りがかりで拾える代物じゃない。
そして何より、電波を受信できる文明なら、電波で返せばいい。わざわざ地球まで来て、真夜中に麦を寝かせて点描を打つ理由がない。加えて、描かれていたのが典型的なグレイ型宇宙人だったという点。これは一九七〇年代以降の地球のポップカルチャーが作り上げた造形だ。宇宙人が地球の映画の宇宙人像に合わせてくる義理はない。
でも、そういう理屈を全部並べたあとでも、あの形の完成度は残る。二進数のドットを、麦畑の上で一マスも間違えずに配置する。それを一晩で。作った人間が誰か、いまだに名乗り出ていない。私はこれを、二十一世紀初頭に生まれた最高のランドアートの一つだと思っている。
顔とディスクと、ASCIIコードの警告文――二〇〇二年クラブウッド
翌年の二〇〇二年八月十五日、今度はハンプシャー州ウィンチェスター近郊、クラブウッドの小麦畑に、もっと露骨なものが出た。
縦横百メートルを超える巨大なグレイ型宇宙人の顔。それが円盤を手にしている。顔は網点で陰影までつけられていて、遠目には粗い印刷写真に見える。
問題は円盤のほうだ。円盤の内部は渦巻き状に細かいブロックが並んでいて、それが二進数として読めるように設計されていた。
コンピューター技師のポール・バイゲイが解読を試み、ASCIIコードとして読める文章が出てきた。訳すとこうなる。偽りの贈り物を運ぶ者と、その破られた約束に用心せよ。多くの苦痛があるが、まだ時間はある。そこには善もある。我々は欺瞞に反対する。通信路を閉じる。
正直、めちゃくちゃかっこいい。かっこよすぎる。
文章の途中に不自然な大文字小文字の混在があったり、意味の取れない文字列が挟まっていたりして、そこも含めて「宇宙からの不完全な通信」っぽさを演出している。逆に言えば、演出が上手すぎる。伝えたいことがあるなら、なぜ英語なのか。なぜASCIIなのか。ASCIIは地球のコンピューター業界がローカルに決めた文字コードの取り決めであって、宇宙の普遍言語ではない。
この形も、作者は名乗り出ていない。イギリスのサークル制作者たちは基本的に匿名を貫く。作品に署名しないことがルールみたいになっている。それは、名乗った瞬間に器物損壊で立件されうるという実際的な事情と、名乗った瞬間に作品が「ただの悪戯」に格下げされてしまうという美学的な事情の、両方から来ている。
日本の麦畑と田んぼで起きたこと
日本にこの現象が上陸したのは一九九〇年代前半だ。というより、上陸したのは「現象」というより「言葉と映像」だった。
そもそも「ミステリーサークル」という呼び名自体が日本製だ。英語圏ではクロップサークルとしか呼ばない。九〇年代のテレビの超常現象特番が「謎の円」というニュアンスでこの和製英語を使い、それが完全に定着した。
当時のテレビ環境を思い出してほしい。UFO、心霊、ノストラダムス、超能力。それらを扱う特番がゴールデンタイムに何本も並び、視聴率を取っていた。ミステリーサークルは、その中でも扱いやすい素材だった。何しろ映像が強い。ヘリコプターから撮った空撮一枚で番組が持つ。
しかも日本のテレビはただの紹介にとどまらなかった。一九九〇年のオペレーション・ブラックバードには日本の放送局が資金を出していた。あの、ボードゲームの盤が見つかった大失敗の監視作戦だ。イギリスの丘の上に日本の取材クルーがいた、というのは、当時の熱量を物語っている。
国内での目撃報告も出た。北海道、茨城、千葉、長野といった地域で、麦畑や田んぼに円形の倒伏が見つかったという話が九〇年代を通じて散発的に報じられている。
ただし、日本のケースの多くは、明確に人為的なものか、あるいは自然の倒伏だった。田んぼの稲は台風や集中豪雨でしょっちゅう倒れる。強い下降気流が当たれば、渦を巻いたような倒れ方をすることもある。農家からすれば「またか」でしかない現象が、空から撮られてテレビに乗ると急に神秘になる。
面白いのはその後の展開で、日本では現象が観光資源というより、地域イベントに化けていった。北海道の本別町のように、小麦畑にわざと巨大な模様を作って人を呼ぶ企画が行われた例もある。作物を使った巨大地上絵という発想は、田んぼアートとして完全に日本の農村文化に取り込まれた。稲の品種で色を変えて絵を描くあれだ。
ミステリーサークルの怪しさが抜けて、技術と観光だけが残ったとも言える。ちょっと寂しい気もするけれど、農家に金が落ちる分、イギリスよりよほど健全ではある。
語り継がれる三つの夜
ここで、記録に残っている印象的な話を三つ、じっくり紹介したい。
一つめは、告白した本人たちの側の話だ。
ダグ・バウアーとデイヴ・チョーリーが十年以上続けたこの遊びは、傍から見れば愉快犯だが、当人たちの言葉を追うと少し違う手触りがある。二人が最初に円を作った夜、成果は完全に黙殺された。翌朝、車を走らせて畑を見に行っても、誰もいない。新聞にも載らない。それが何年も続いた。
彼らは、注目されないことに苛立ちながら、少しずつ形を凝っていった。そして世間が騒ぎ出し、学者が真面目な仮説を立て始めると、今度はその仮説を潰しにかかった。渦では作れない形を、わざわざ作りに行く。
これは悪戯というより、匿名の対話だ。相手は自分たちのことを知らないのに、こちらは相手の理論を読んで、次の一手を打つ。バウアーが後年になって妻に浮気を疑われたと語ったのは笑い話だが、深夜に家を出て畑を這い回る六十代の男二人が、十年以上それを続けた執念のほうがよほど怖い。金にはならない。名前も出ない。それでもやめなかった。
二つめは、一九九〇年七月二十五日、オペレーション・ブラックバードの夜だ。
監視チームは、丘の上に陣取って赤外線カメラを構えていた。イギリス陸軍の協力があり、放送局のクルーもいた。真夜中、隣の畑にオレンジ色の光が明滅するのを観測する。全員が色めき立った。ついに現場を押さえた、と。
夜が明けるのを待って畑に降り、彼らが見たのは、二つの大きな円とそれをつなぐ平行線。そして円の真ん中に、几帳面に置かれた星占いのボードゲームの盤と、木の十字架。
作った側は、監視されていることを知ったうえで、監視カメラの視界に入って、堂々と作って、置き土産までしていったわけだ。これを痛快と取るか悪質と取るかは人による。ただ、この夜の映像が広く流れたことで、イギリス社会全体の「サークル研究」への視線が決定的に変わった。冷笑が始まった。
三つめは、二〇〇〇年、ウィルトシャー州デヴァイゼス近郊で起きた逮捕だ。
マシュー・ウィリアムズという男が、農地に無断で入ってサークルを作り、器物損壊でイギリス初の有罪判決を受けた。罰金は百ポンドと訴訟費用四十ポンド。金額だけ見れば軽い。だが意味は重かった。この現象が、ロマンでも謎でもなく、他人の財産を壊す行為として法廷で扱われた最初の例だからだ。
彼は自分が作ったことを公言していた。公言しなければ捕まらなかった。逆に言えば、匿名を守っている限り誰も捕まらない。イギリスでこれ以降、サークル制作で有罪になった例はほとんど出ていない。作った人間が名乗らないから、立証できないのだ。この構造が、現象の匿名性をさらに強固にしている。
渦なのか、プラズマなのか、それとも節が膨らむのか
科学側の説明も整理しておこう。
最初に出たのが、さっき触れたテレンス・ミーデンの渦説だ。イングランド南部の丘陵地形が風を巻き込み、下降する渦が作物を円形に倒す。単純な円だけを相手にしている間は、これはかなり説得力があった。
ミーデンは形が複雑になるにつれて理論を拡張していき、最終的には電磁流体力学的な「プラズマ渦」という概念まで持ち出した。渦が帯電し、発光し、複雑な倒伏パターンを作る、という筋書きだ。ただ本人も一九九一年の終わりには、複雑なデザインのものは人為だと認めている。そこは誠実だったと思う。
ちなみに一九九一年、スティーヴン・ホーキングが「サークルはいたずらか、空気の渦運動でできたかのどちらかだ」と発言している。要するに、宇宙人という選択肢は最初から議論に入っていない。
もう一つ、いまだに引用され続けているのがBLTリサーチと生物物理学者ウィリアム・レヴェングッドの研究だ。
彼らはサークル内部の麦の茎を採取し、外側の麦と比較して、節の部分が異常に伸びている、節に微細な穴が空いて内部から蒸気が噴き出したような痕跡がある、種子の発芽率が変わっている、といった主張を発表した。一九九〇年代に植物生理学の専門誌に論文も出ている。
彼らの説明は、微小重力を伴うプラズマ状のエネルギー塊が上空から降下し、マイクロ波的な加熱で茎の内部の水分を一気に沸騰させ、節を膨らませて茎を曲げる、というものだった。だから茎は折れずに寝ている、と。
この説の魅力は、現場の質感をうまく説明している点にある。折れずに曲がる、あの独特の倒れ方。
ただ、批判も相当に厳しい。懐疑論者のジョー・ニッケルらが指摘したのは、まず相関と因果の混同だ。節が伸びている茎が円の中に多いとして、それが「異常なエネルギー」の証拠になるわけではない。倒された植物は光のほうへ起き上がろうとして、節の部分を伸ばす。これは屈地性・屈光性と呼ばれる、ごくありふれた植物の反応だ。板で倒された麦だろうが台風で倒れた麦だろうが、生きていれば節は伸びる。
となると、この「証拠」は、人間が作ったサークルでも同じように出るはずだ。
もう一つの批判は手続きの問題だ。どのサンプルがサークル内でどれが対照区なのかを、分析者に伏せた状態で測る、いわゆる盲検の設計になっていない。独立した第三者による追試もほとんどない。さらに、サンプルの提供者が「これは本物のサークルだ」と信じている人たちである以上、そもそもサンプルの選び方に偏りが入り込む。
実際、あるジュリア・セットの分析では、比較対象として使われた植物が形の外側の立っている麦だった、という指摘もある。
要するに、現時点での科学的な合意は身も蓋もない。サークルは人間が作っている。悪戯として、広告として、あるいは芸術として。サークルに見られるあらゆる特徴は、人間が作ったと考えて矛盾しない。ここは、はっきりさせておく。
それでも消えない熱と、終わらない考察合戦
じゃあ議論は終わったのか。全然終わっていない。むしろネットの時代に入って、独特のねじれ方をしている。
考察界隈の主流は、いまや「誰が作ったか」ではなく「どうやって作ったか」に移っている。衛星測位を使ったのか、レーザー測距を使ったのか、事前に方眼紙で設計図を引いたのか、何人チームで何時間かかったのか。制作技術の解析だ。
実際、複雑な形の内部構造を解析すると、作図に使ったであろう基準点や補助線の痕跡が読み取れることがある。これは、ミステリーの解体であると同時に、作品の鑑賞でもある。二〇〇二年のクラブウッドを見て「これを一晩でやり切ったチームの段取り力がやばい」と唸るのは、宇宙人説とは別種の、しかし同じくらい強い感動だ。
一方で、宇宙人説やエネルギー説を手放さない層も残っている。
彼らの論法にはいくつかパターンがあって、一つは「ダグとデイヴは全部を説明できない」というもの。これは事実として正しい。二人が世界中の一万件を作ったわけがない。ただし、それが「だから残りは人間以外」という結論を導くわけではない。模倣者が世界中にいたと考えるほうがずっと簡単だ。もう一つのパターンは、現場から人間の痕跡が出ても攪乱工作だとする論法。
これは何が出てきても結論が変わらない構造になっていて、議論としては行き止まりになる。
面白いのは、九〇年代から二〇〇〇年代にかけて、この現象が広告の道具として堂々と使われるようになったことだ。
自動車メーカーが畑にロゴを刻んで撮影する。飲料メーカーが商品名を出す。映画のプロモーションで作る。二〇〇九年頃にはイギリスの新聞が、ウィルトシャーのサークル活動が落ち着いてきた理由の一つとして、作り手が金を払ってくれる企業案件のほうを好むようになったから、と報じている。悪戯が仕事になった。
二〇一二年のロンドン五輪の開会式映像にはサークルが五輪マークを描く演出が入り、ヒースロー空港の着陸経路の下の畑にも五輪を模した形が作られた。二〇一七年にはカリフォルニアで、父親と十一歳の息子が三ヘクタールもの反乱同盟軍のマークを畑に作っている。もはや完全にカルチャーだ。
そして、この現象を最初から芸術として引き受けている連中がいる。イギリスのアート集団、サークルメイカーズ。ロッド・ディキンソンとジョン・ランドバーグが立ち上げ、ロブ・アーヴィングやウィル・ラッセルらが加わった。
彼らは自分たちが作っていることを隠さず、方法論も公開し、商業案件も受ける。世界をもう少し面白い場所にする、というのが看板文句だ。同時に、彼らは自分たちの作品を取り巻く信仰や物語そのものを作品の一部として扱う。畑に形を作るだけじゃなく、その形をめぐって人々が語り出す現象までを含めて作品なのだ、という立場。これはかなり批評的で、正直、格好いい。
舞台がイギリス南部でなければならなかった理由
なぜウィルトシャーとハンプシャーなのか。これは偶然じゃない。
まず地形だ。イングランド南部のこの一帯は白亜質の丘陵地帯で、なだらかな丘が波打ち、その谷間に麦畑が広がっている。丘の上の道路から畑を見下ろせる。つまり、作った形が地上から見える。これは決定的だ。誰にも見られない場所に作っても、現象にならない。
次に遺跡だ。この地域は、世界でも屈指の先史遺構の密集地帯である。ストーンヘンジ。エイヴベリーの巨大な環状列石。人工の巨大な塚であるシルベリー・ヒル。長い石室墓のウェスト・ケネット・ロング・バロウ。丘の斜面に白亜を削って描かれた白馬の地上絵が何頭も。
つまりこの土地には、数千年前から「地面に巨大な図形を刻む」文化が実在していた。ミステリーサークルは、その伝統の最新版という顔ができてしまう。
ある研究者が調べたところによると、二〇〇三年にイギリスで見つかったサークルのほぼ半分が、エイヴベリーの環状列石から半径十五キロ以内に集中していたという。しかも道路の近く、人の多い場所、有名な遺跡の近くに偏っている。神秘的な力の分布としては説明しづらいが、「作りに行きやすく、見つけてもらいやすい場所」の分布としては完璧に説明がつく。
そして人の集まり方だ。夏になるとこの一帯には、サークルを追いかける人たちが世界中から集まる。宿が埋まる。パブが賑わう。ヘリコプターの遊覧飛行が飛ぶ。写真集が売れる。ツアーが組まれる。カルチャーとして完全に自立している。
農家は笑っていない
ここまで書いてきて、絶対に落としてはいけない視点がある。畑の持ち主のことだ。
サークルができると、まずその部分の作物が売り物にならない。それだけならまだいい。本当に痛いのはそのあとで、噂を聞きつけた人が畑に押し寄せる。何百人と来る。彼らは形のところまで歩いていくから、その途中の立っている麦も全部踏み倒される。被害面積が何倍にもなる。柵が壊される。ゲートが開けっぱなしになる。ゴミが残る。収穫機が入れなくなる。土が踏み固められて、翌年の作付けにまで響く。
これは昔話じゃない。近年でもイギリス南西部の農家が、被害額が数千ポンド規模になったと訴えている。ドーセットの農家は、これは自分の生活の糧であって、あからさまな器物損壊だ、と語っている。警察も明確で、地主の許可なくサークルを作る行為は器物損壊にあたる、と繰り返し警告を出している。訪問者が畑に立ち入るのも不法侵入だ。
当たり前の話だが、麦畑は誰かの職場であり、資産だ。
興味深い前例が一九九二年のハンガリーにある。十代の少年二人が直径三十六メートルの円を小麦畑に作り、あとで自分たちがやったと公表して訴えられた。裁判所の判断が面白くて、少年たちが賠償すべきなのは円そのものの被害分だけ、と限定した。なぜなら、作物被害の九十九パーセントは、報道を見て押し寄せた見物人が踏み荒らしたことによるものだったからだ。
つまり、畑を本当に壊すのは制作者ではなく観客なのである。
この構造への対処として、ウィルトシャーでは入場パス制度が試みられた。地元のサークル情報調整センターという団体が二〇一三年に始めたもので、一日券が七ポンド五十から十ポンド、シーズン券が四十から六十ポンド。集めた金から、形の大きさに応じて一件あたり五百から千ポンド程度を農家に渡す。
それ以前は良心箱を畑の入口に置く方式だったが、ほとんど機能しなかった。運営側も強制はできないと認めていて、あくまで良識に訴える仕組みだ。それでも、無秩序に踏み荒らされるよりはましだという判断で、農業団体側からも一定の理解が示された。
要するに、この現象には被害者がいる。空から見て綺麗だな、で終わらせてはいけない部分だ。他人の畑に勝手に入るのは犯罪だし、見に行くにしても許可の有無を確認するのが最低限のマナーになる。
種明かしが済んだあとも、なぜ僕らは畑を見に行くのか
さて、本題だ。
犯人は名乗り出た。実演もされた。コンテストで十一チームが再現した。専門家は誤鑑定した。監視作戦は失敗した。科学的な合意は「人間が作っている」で固まっている。
それなのに、この現象の熱はまだ死んでいない。なぜか。
一つは、種明かしがされた対象と、人が惹かれている対象が、実はずれているからだと思う。
「誰が作ったか」という謎は解けた。でも「なぜこんなものを、金にもならず、名乗りもせず、夜通しかけて作る人間がいるのか」という謎は、まったく解けていない。むしろ人為だと確定したことで、そっちの謎が前面に出てきた。
宇宙人がやったのなら、まあ宇宙人だからで済む。人間がやったとなると、その動機の説明が必要になる。そして、その動機は本当に説明しづらい。二〇〇一年のチルボルトンを作った人物は、二十五年経ってもまだ名乗り出ていない。人生最高の作品を、誰にも自慢せずに墓まで持っていくつもりなのだ。これは、宇宙人説と同じくらい不可解な人間の話だ。
もう一つは、体験の質が説明に耐えるからだ。
理屈の上で人為だと分かっていても、実際に夜明けの畑に立ったときの感覚は変わらない。目の前に、地面に描かれた巨大な図形がある。誰もいない。音がしない。麦は生きたまま寝ている。この体験は、正体を知っていても目減りしない。むしろ「人間がこれを一晩でやった」と知っているほうが、背筋がぞくっとする瞬間すらある。同じことが手品にも言える。タネがあると全員知っている。それでも見に行く。
三つめは、この現象がずっと「参加できる」ものだったことだ。見に行ける。歩ける。写真が撮れる。意味を考えられる。数学的な解析ができる。二進数を解読できる。そして、その気になれば作れてしまう。閉じた奇跡ではなく、開かれた遊び場なのだ。だから世代が変わっても遊ぶ人が絶えない。
そして最後に、これは白状しておくべきだと思うのだが、人はきっと、夜のあいだに世界が勝手に書き換わっていてほしいのだ。昨日と同じ畑、昨日と同じ通勤路、昨日と同じ天気。その退屈な連続性が、一晩で破られる。誰が破ったかは、実のところ二の次だ。破られたという事実があればいい。
ミステリーサークルの本質は、宇宙人でもプラズマでもなく、この「世界は夜のあいだに変わりうる」という感触そのものにある。
この現象は、三つの層に分けると見通しがいい
ここまで書いてきた材料を、もう一度並べ直してみる。
第一層は、自然現象としての倒伏だ。一八八〇年のネイチャー誌への投書も、一九三二年のチチェスターの観察も、日本の田んぼで台風のあとに稲が渦を巻いて倒れるのも、これに含まれる。
畑は倒れる。風で倒れるし、雨で倒れるし、地面の水はけの差でも倒れる。これはミステリーでも何でもない、農業の日常だ。そして見逃せないのは、この層が現象の「素材」を提供していたことだ。畑が円く倒れることが実際にあるからこそ、人が作った円が「自然にできたのかもしれない」という余地を持てた。もし作物が絶対に円く倒れないものだったら、最初の円は一目で人為と分かって、誰も騒がなかっただろう。
第二層は、悪戯と、それに反応した観測と解釈の相互作用だ。
一九七〇年代半ばに二人の男が始め、当初は無視され、五点形で世間を捕らえ、渦説が出てくるとその渦説を潰す形を作り、研究者がさらに理論を精緻化すると、それを追いかけてまた形を複雑にした。
これは一方通行の騙しではなく、明確なフィードバックループだ。信じる側の期待が、作る側のデザインを決めていた。逆に、作る側の新作が、信じる側の理論を進化させていた。一九九〇年のオペレーション・ブラックバードで置かれたボードゲームの盤は、この対話がどれほど自覚的だったかを示している。あれは事故ではなく、返信だ。
一九九一年の告白は、このループの中で最大の一手だったが、ループを止めることはできなかった。むしろ参加者を世界規模に増やしてしまった。
第三層は「痕跡」ではなく「発話」になった
第三層は、意味の生産だ。
一九九六年のジュリア・セット以降、この現象は数学と情報のフィールドに移った。フラクタル、二進数、ASCIIコード、素数を使った格子。二〇〇一年のチルボルトンは、一九七四年に人類が宇宙へ投げた自己紹介を、そっくり書き換えて地上に返してきた。二〇〇二年のクラブウッドは、そこに感情のこもった警告文まで載せた。
ここに至って、サークルはもう「痕跡」ではなく「発話」になっている。誰かが何かを言おうとしている。そう見えるように、極めて周到に設計されている。
そしてこの第三層は、第二層の告白によっては全く傷つかない。板とロープで作れることが証明されても、二進数の内容が持つ意味は消えないからだ。
これが、種明かし後も熱が続いた最大の理由だと僕は思っている。謎が解かれたのは制作手段についてだけで、内容についてはまだ誰も何も解いていない。というか、内容には解くべき正解がない。作者が何を考えていたかは、作者が黙っている限り永遠に分からない。
板とロープで作れることは、この現象の価値を下げない
この三層構造を踏まえると、いくつかのことがすっきり見えてくる。
まず、宇宙人説を退けることと、この現象を軽んじることは、まったく別だということ。板とロープで作れる、という事実は、この現象の価値を下げない。むしろ上げている。
誰かが、夜の畑で、方位を出し、半径を測り、数百の円の中心を決め、二進数を一ビットも間違えずに配置し、朝までに撤収した。金銭的な見返りも、名誉も、署名すらなしで。この行為に名前をつけるとしたら、それは悪戯ではなく、儀式に近い何かだ。
次に、この現象がイギリス南部という土地と分かちがたく結びついていたこと。丘があるから見下ろせる。麦を作っているから素材がある。数千年前の巨石遺構が転がっているから、地面に巨大な図形を刻むという行為の前例がある。そして観光客とメディアがいるから、作れば必ず誰かが見つける。この条件が全部そろっている場所は、地球上でもそう多くない。
だから、現象は世界中に伝播したのに、聖地はずっとウィルトシャーのままだった。
同時に、この物語には一貫して割を食っている人たちがいる。畑の持ち主だ。彼らは作品の素材を提供させられ、見物人に踏み荒らされ、収穫を減らされ、翌年の土まで痛めつけられてきた。一九九二年のハンガリーの裁判が示したように、被害の大半は作った人間ではなく、見に来た人間が出している。つまり、この現象を消費してきた我々の側に責任がある。
入場パスのような仕組みが試されたのは、そこを認めたからだ。畑を見に行くのは自由だが、それは誰かの職場に入るということだ。許可を取る。踏み跡を増やさない。ゲートを閉める。当たり前のことを当たり前にやる。これができないなら、写真だけ見ていればいい。
それでも、たぶん完全には消えない
最後に、この現象がこれからどうなるかを考えてみる。
実のところ、二〇一〇年代以降、報告件数はゆるやかに減っている。理由はいくつもある。作り手が商業案件に流れたこと。警察と農家の対応が厳しくなったこと。そして何より、驚きの単価が下がったこと。
今は無人機で誰でも空撮できるし、画像は加工できるし、そもそも「一晩で現れた不思議な図形」より刺激的なコンテンツが無限にある。九〇年代に、ヘリコプターから撮った空撮一枚がテレビの目玉になった時代とは環境が違いすぎる。
それでも、僕はこの現象が完全に消えるとは思っていない。
なぜなら、この遊びの核心は技術でも情報でもなく、身体だからだ。夜中に畑まで歩いていって、暗闇の中で縄を張って、板で麦を寝かせる。全部、手と足でやる仕事だ。画面の中でいくらでも複雑な図形が作れる時代に、わざわざ土の上でやる。その徹底した非効率さが、逆にこの遊びを不滅にしていると思う。
そしてある夏の朝、誰かがまた丘の上で足を止めて、昨日まで何もなかった畑を見下ろして、息を呑む。そのときその人が感じるものは、一九八〇年にウェストベリーの畑を見下ろした人が感じたものと、たぶん一ミリも変わらない。
犯人が誰かなんて、その一瞬の前では本当にどうでもいい。世界が夜のあいだに書き換わっていた。それだけで、人は何十年でも同じ丘に登り続ける。
